不登校復活の道(ブログ)
120 2021年のクリスマス
120 2021年のクリスマス
2021.12月末
この頃は睡眠時間が激しく乱れていました。
16時に起きて、次の日のお昼、12時まで起きている(20時間起きている)、そこから4時間寝て、夕方から友人と遊ぶ。
友人と遊ぶ時間だけが楽しみなので、何とか起きるけれど、睡眠不足で、友人の前で落ち着かない態度になったり、無表情になったり、帰宅後に無理難題を言い困らせたりがあり、友人が不愉快にならないか、不愉快になり、もう来てくれなくならないか、と私がひやひやする。そんな事がよくありました。
明日、友達が来るから早く寝ておこう、と計画立てて、何かをする事が少しも出来ませんでした。
今、どうしたいか、それだけ。
無理して長時間起きていて、情緒が不安定になった時の矛先は、私への無理難題か、下の子達への攻撃でした。
2021年のクリスマス。
我が家は各自欲しい物を紙に書き、壁に貼ってサンタさんが来るのを待ちます。
下の子達はワクワクしながら、
「何にしよう」
とはしゃぐ中、長男はなかなか、書くことができませんでした。
何度も、
「欲しい物ないの?」
と聞いても、興味を示しませんでした。
クリスマスが近づくと、
「欲しい物がある、書きたい」
と、用紙に向かい、鉛筆を持ち、いざ書こうとすると、字が書けない。
本当に書けないようでした。
リビングの床に紙を置き、正座をして用紙に向かう、鉛筆を持つ、深くため息をついて、鉛筆を紙に近づける、離す、溜息をつく、また書こうとする、そんな事を繰り返していました。
字が分からない、とかではなく、体が、字を書くことを拒否している、書こうとしても、手が動かない、そんな感じで、結局【大乱闘スマッシュブラザーズ】の【す】だけ書き、
「お母さん、あとは書いておいて」
と、うつむいたまま言い、すぐに、ゲームを始めました。
やる気がない、やりたくないではなく、本当に出来ない!そんな雰囲気でした。
12月24日クリスマスイブ
例年は子供達が深い眠りについてから、枕元にプレゼントを置いていました。
今年は、長男が昼夜逆転しており、遅い時は朝7時でも寝ていませんでした。
どのタイミングでプレゼントを置こうかな、と悩みました。
予想は的中し、朝6時、長男は起きて、動画をみていました。
「あー、どうしよう!プレゼントはまだ置けていない、下の子が起きちゃう!」
「昨晩、楽しみに寝ていたし、どうしよー」
結局、プレゼントは枕元には置けず、部屋のすぐ近くの廊下に置いて、下の子が起きたタイミングで、さり気なく室内に入れました。
長男は前日、16時に起きており、彼にとっては朝6時は寝る時間であるのに、プレゼントの【大乱闘スマッシュブラザーズ】を始めると、そのまま食事もせず、ノンストップで20時までやり続けました。
結局、寝たのは22時ごろです。ほぼ30時間、8歳の子が、ぶっ続けでゲームをしたことになります。
集中力凄いな・・・ と、思う気持ちもありましたが、母親としては、
この子、大丈夫かな・・・
本当に、大丈夫なのかな・・・
ゲームにのめり込みすぎていないか?
ゲーム障害なのかな?
と、クリスマスなのに、もやもやした気分でした。
その頃の長男は、本当に、もう生理現象として、脳が寝ないと無理です、となるまで起き続け、限界で眠る。そんな生活でした。
周りは、ああしたらどう?こうしたらどう?体に悪いって説明したら?等、色々提案してくれましたが、本当に無理なのです。
助言をされると、
「私が一番それを望んでいる!そんなもん、出来るならやってるわ!」
そんなふうに思ってしまう事もありました。
不登校で生活が乱れている子は、本当にコントロールができません。
周りが生活習慣を立て直そうとし、昼夜逆転を正そうなんて、出来るはずがないのです。
119 母親が元気になれば、回復する、と言う呪縛
119 母親が元気になれば、回復する、と言う呪縛
不登校克服の本、ネット、相談所、色々な場面で、専門家が説く、
「まずは、母親が元気になる」
「リラックスをして、笑顔でいる」
「そうしたら、自動的に子供が回復します」
そんな言葉を何度も何度も目にしました。
「おいしい物でも食べて」
「好きな事をして」
「母親がまず、元気にならなくちゃ」
私は今でも、その意見には賛同できません。
不登校児を抱えたお母さんが、どうしたら、笑顔になれるのか?
そもそもが、母親が笑顔になれない、何らかの理由があり、それを感じ取り、子供は不登校になっているのではないか?
そんなふうに思っています。
我が子の場合はそれが大きかったと思います。
私は、
「お母さん、楽しんで、おいしい物でも食べて、息抜きして、リフレッシュして」
等を言われ続けましたが、私が本当に不登校を受け入れるまでに1年以上かかり、その1年の間に、私自身がリラックスをするなんて事は、とても無理でした。
リラックスはしようと思って出来る事ではありません。
何をしていても、頭や心の奥の部分が苦しく、リラックスなど出来るような心境ではありませんでした。
心が満たされ、心配材料がない時にしかリラックスは出来ないと思います。
美味しいものを、食べたいという気持ちにもなりませんでした。
何をしていても、楽しくないのです。
問題の程度にもよると思いますが、我が子は行き渋り始めから荒れ狂い、泣きわめき、手が付けられない程の状態でした。落ち着いてからも、昼夜逆転、ゲーム漬け、食事もとらず、お風呂も入らない。昼夜逆転しているので、私の子育ては、まさに24時間でした。
そんな状況の中、自分に目を向け、よし、自分をリラックスさせようなんて、私には到底無理でした。
どう、精神を保つのか、どう自分を癒すのか、そんな疑問が浮かぶ暇もなく、嫌でもやって来る苦しい毎日を、何とかこなしている、そんな日々でした。
私は、行き渋りから1年程は、息子の事で精いっぱいで、自分をリラックスさせようなんて、考えもしませんでした。
1年ほど経ち、問題は解決していなくても少しずつ、少しずつ、起っている出来事が現実である事を、心から受け入れられるようになり、頭や気持ちが整理されていくと、
「毎日毎日、何なんだよ!やってられないな、美味しい物でも食べに行こ!」
と、思える事もありましたが、外出先でも、
「あ、そろそろ起きたかな?お腹空いてるかな?寂しがってるかな?」と気になり、得体の知れないものに急かされ、みぞおち辺りに常に不快感がありました。
急いで帰っても、大体の場合、息子は寝ていて、予想はしていても、言い現わしようのない、悲しく、苦しい気持ちになる。そんな日々でした。
母親が元気になれば、不登校は解決されるという専門家の助言は、ほとんどのお母さんにとって、的外れなのではないかと思います。
なぜなら、子供が不登校でいる間は、その事から完全に解放されて、楽しい気持ちになることなど、できるわけがないからです。
子供に、何か少しでも回復の兆しが見えたり、元気な表情が見えると、それに安心して、母親が希望を持ち、少し元気になる、その母親の姿、雰囲気を感じ取り、子供がまた少し元気になる、またその子供の姿を母親が喜び、母親が少しずつ元気になっていく、そんなふうに、子供と母親がお互いを少しずつ、少しずつ、無意識に励まし合い、元気にし合っていくのだと思います。
「まずはお母さんが元気になって下さい」「少し子育てから離れて、気持ちをリフレッシュして下さい」と言われても、当時の私には、到底そんな事はできませんでした。
元気になれ、と言われて、元気になれるものではないと思います。
時を経て、時間をかけて、少しずつ、不幸に鈍感になる。
自分を少しは癒そうと、自分自身の幸せに目を向けようと心がけ、表面上は笑える日もある。
それでも悩みは何も消えておらず、私は依然、出口のないトンネルの中で、光はどこにあるのか、と探し続けるのです。
元気にならなくちゃ、と努力すれば元気になる、というものではないと思います。
子供への対応を変え、状況が好転していく中で、母親自身が、少しずつ元気になれる時を待つしかないと、私は思っています。
118 夜中に両親がゲームに付き合う
118 夜中に両親がゲームに付き合う
ゲームばかりしている長男は、毎日皆が寝静まってからリビングでゲームをしていました。
下の子を寝かしに行く際に、必ず、
「お母さん、戻ってきてよ、絶対だよ」
と言い、私は毎日起きて、長男とゲームをしていました。
もともと、私はゲームが好きではなく、やり方も分からないので、あからさまに、
「えー、お母さん分からないし・・・」
と言い、快く遊んであげる事は出来ませんでした。
どれ程頑張ろうと思っても、無理でした。
それでも、何とか、ゲーム機のボタンを無駄に押しまくり、毎日毎日夜中まで長男とゲームをしました。
正直、私にとってはかなりの苦痛な時間でした。
主人は毎日22時過ぎ、子供が寝てから帰宅します。
長男は主人が帰って来るのを心待ちにしており、主人が帰ると、
「お父さん、ゲームやろ!」
と言って【大乱闘スマッシュブラザーズ】に誘っていました。
主人も、毎日、
「おーいいよ!」
と言い、付き合っていました。
主人は私よりも演技が上手く、仕事でくたくたなはずなのに、嫌そうな素振りは見せずに、30分から1時間ほど、ゲームに付き合う事が多かったです。
長男は、2時過ぎまでゲームをし、その後寝室に来て暗闇の中、動画を見て寝落ちする。
そんな毎日でした。
8歳の、成長段階の子供です。
私は心を満たす事を優先し、何も言いませんでしたが、今の生活習慣が息子の、体、脳、目、情緒にどんな影響を及ぼすのか、この先の人生にどう影響するのか、とても心配でした。
私が、一言、
「目が疲れないようにね」
と、優しく声を掛けるだけで、長男は、
「酷いね、本当に酷い事言うよね」
と私を責め、泣き出します。
親として、心配する事すら、許してはくれませんでした。
あー、この子には、本当に何も言えない。
この子は、一体どうなってしまうのだろう・・・
そんな事ばかり考えていました。
いつか、元気になる日がくるなんて、想像する事は出来ませんでした。
117同じ学校の幼馴染に会う
117 同じ学校の幼馴染に会う
12月下旬
別学区の友人と遊ぶようになり、楽しみができると、長男は日に日に回復しているように見えました。会う勇気がなく、会えていない同じ学校の幼馴染に「会ってみようかな・・・」と言うようになりました。
何度も迷い、
「会う」
「やっぱり、無理」
「んー、会いたい」
「・・・でもな・・・」
「遊びたいけど、同じ学校だからな・・・」
「どうして休んでいるのって言われるかな?」
と、いつもぶつぶつ呟いていました。
何日も何日も悩み、ある日、
「僕、遊んでみる」
と言い、遊ぶ事になりました。
親友が、16時頃来る予定だったので15時半に起こしましたが、体が動かず、なかなか布団から出る事ができません。
10分程経ち、少しずつ少しずつ体を動かし、布団から出た時には、親友は既にリビングにいました。
長男は親友のいるリビングに入る事が出来ず、寝室からリビングに繋がる廊下を行ったり来たりウロウロしていました。
私が、
「もう、友達来てるよー」
と声を掛けると、
長男は、
「お母さん、僕、分かってるよ、心の準備してるの、少し待って」
と言い、しばらくウロウロと落ち着きなく歩いていました。
長男は自分のタイミングで、何とかリビングに入り、すぐにソファに置いてある布団で全身を覆い、隠れてしまいました。
親友はそんな事はおかまいなしに、長男に向かって、
「このゲーム、やり方分からない」
「ちょっと!潜ってないで早く教えて!」
「あれ、Wi-Fiのパスワード教えてよ(笑)」
と言いながら、話しかけてくれていました。
前回の友人の時と同様、少しずつ少しずつ話し始め、ゲームを始めると2人は盛り上がって遊び始めました。
親友が帰宅すると、長男はテンションが上がり、私と、次男とすごろくで遊び始めました。嬉しい感情を抑えきれない様子で大はしゃぎでした。
夜、長男は少し表情を変え、私に、
「あー、僕、めちゃくちゃ学校休んでるなー」
「学校で、毎日折り紙折ってたなー」
「なんだか、折り紙折りたくなってきたなー」
と言い、
「けど!まだ学校は休む!」
と言いました。
それから、しばらくの間、2人で折り紙を折りました。
私は、
「大丈夫、頑張り過ぎていたから、疲れたよね、心が元気になるまで、しっかり休んだらいいよ」
と、言いました。
不登校が始まった頃のような険しい表情になる事が少なくなり、少しずつ、少しずつ、心が満たされてきている気がしていました。
116 久々に友人に会う
116 久々に友人に会う
12月になると、息子は完全昼夜逆転になっており、朝6時頃まで動画を見て寝落ちし、夕方5時ごろ起きてくる生活でした。
友人には誰にも会う事が出来ず、いつも、
「僕はぼっちだ、誰もいない、独りぼっちなんだ」
と言っていました。
「サッカーをやりたい、友人に会いたい」
と、言うものの、
「知っている子には絶対に会いたくない、遠出もしたくない」
と、相変わらず引きこもりでした。
行き渋りが始まった不安定な頃に遊べていた、別学区の親友にも、2か月以上会う事が出来ませんでした。
何度も誘われていたので、それを伝えると、顔が曇り自室にしばらく、こもりました。
12月中旬、息子がその友人と遊びたい、と言い出しました。
連絡を取り、すぐに遊ぶ事になりました。
友人が家に着くまで、長男は緊張した様子で家中をウロウロし、落ち着きなく歩き回っていました。
始めは緊張していたものの、ゲームを始めるとすぐに打ち解け、以前の様に仲良く遊び始めました。
その日から、ほぼ毎日、その友人と遊び、息子はその時間だけが、
「生きていて、楽しいと感じられる時間」
と、言うようになりました。
次男は一緒に遊びたくても、
「遊びたいけど、どうせ、入れてくれない」
「僕は、一緒に遊んではいけないんだ」
と言って、部屋の角にお山座りをして、楽しそうに遊ぶ兄たちを見ながら、無表情で、1人でゲームをしていました。
次男は、全ての事に極端に自信がなく、人とのコミュニケーションがうまく取れませんでした。
長男は、昼夜逆転している為、友人が来る16時頃は、まだ寝ている事が多かったのですが、「友達が来るよ」と声を掛けると、すっと起きてきました。
友人が帰る時は、ウロウロ玄関を歩き回り、下を向き、今にも消えてしまいそうな小さな、自信なさげな声で、
「また、遊びたいな」
と、伝えていました。
息子なりに精いっぱい頑張り、緊張して話している事が伝わってくる話し方でした。
友人が帰った後は、誰の目から見ても分かる程、表情が柔らかくなり、元気になり、家族にも優しく接するようになりました。
心が満たされれば、人は優しくなるのだ。という事を毎日、目の当たりにしていました。
別学区の親友には会えるようになりましたが、同じ学区の幼馴染の親友に、会う事はできませんでした。
何度も何度も誘われていましたが、
「遊びたいけれど、同じ学校だから、会いたくない」
と言い、断っていました。
学校に行っていなくても、部活へ行けたり、友人に会えたりする子がいると聞いていました。息子の不登校の症状は、年齢の割には、なかなか酷い状態なのではないか?と思うようになりました。
どうしてこんなに人に会う事に憶病になるのだろう?
私には、息子の気持ちは理解できませんでした。
115 実家近くの物件を見に行く
115 実家近くの物件をみに見に行く
2021/12月頭
息子が、
「引っ越したい」
「ここは嫌!」
と、何度も何度も訴えるので、実家近くの物件を探しました。
実家に近く、部屋数もあり、これなら、何とか住めるだろう、という物件があったので長男も連れて、家族で見に行きました。
行き道に雨が降っていて、到着する時には雨が止み、今から見に行く物件の上に虹が2本かかっていました。
今まで見たこともないような、くっきり、はっきりとした虹でとても綺麗でした。
主人が、
「何この虹、もう引っ越せって言われてるね、決めちゃうか」
と言いました。
私の気持ちは、
・もう1人で全て回していくのは精神が限界
・楽になりたい
・長男も次男もフリースクールがいい
・遠方のフリースクールの送迎を考えたら、娘もいるので実家近くしか物理的に無理
・引っ越せば息子が外へ出られる
と思っていました。
姓名判断をしているハンコ屋さんにも、家の方角が良くないと言われたし、家の査定も出したし、
「もう、引っ越そう!」
と、私の中で決心が固まっていました。
長男は寝ぐせがつき、表情が見えない程に伸びた髪で、ガリガリに痩せ、ズボンがずり落ちてしまうのを、何度も直しながら、その物件の中へ入っていきました。
主人が不動産会社の人と話をしていました。
長男は玄関から入ってすぐの部屋に行き、私に向かって、
「なにここ?」
と言いました。
私は、
「ん?」
「引っ越したいと言ってたよね?ここに引っ越そうかと思っているよ」
「どう?」
と聞くと、
長男は、
「嫌だ、ここは嫌」
「引っ越すのはいいけど、ここには住まない、住みたくない、絶対に嫌」
「もう、車に戻る、連れて行って」
と言いました。
私は、主人に長男の言葉を伝え、車に戻りました。
主人は、
「全て、長男の言う事を聞く。そうすると決めたのだから、彼がダメと言うならダメなんだよ。仕方ない、シンプルにいこう。何も深く考えなくていい、彼の言う事を聞く、そうすると決めたんだよね?また引っ越したい、と言い出したら、その時考えよう。」
そう言って、それ以降その物件の話はしませんでした。
引っ越して、少しは楽になる、と思っていた私は、
「あ、やっぱり今の生活から抜け出せないんだな」
「結局、このままなんだ、私1人で手のかかる3人をどう面倒見ていこうか」
と、少し落ち込んでいました。
114 情緒が安定してきた?
114 情緒が安定してきた?
2021/12月中旬
この頃、行き渋り以降ずっと無気力で感じの悪かった息子の態度に、変化がありました。
・自らズボンを履き替えた
【自ら、ずぼんを履き替える】そんな当たり前の事が私にはビッグニュースになる程、当時の息子は無気力でした。
・娘を寝かしつけている時に、「お腹空いた、ご飯作って」と言いましたが、寝つくまで、待ってくれました。
以前は少しの時間も待てませんでした。
・事ある毎に、「ありがとう」を、沢山言う
やたらと、私に「ありがとう」と言うようになりました。
・弟を思いやる
「弟に、マリオカートどのコースがいい?」と聞き、弟と一緒にスイッチ(ゲーム)が出来る日がありました。以前は絶対に一緒にゲームはせず、弟だけにはスイッチを触らせませんでした。
・前髪を切る
長く伸び切った髪の、前髪だけ切らせてくれました。
・顔の表情が穏やかになってきた
以前は全く笑いませんでしたが、少し顔を上げて、笑う日が出てきました。
完全不登校になり2か月、ゲーム以外の事をしなくなってから40日ほど経ちました。ゲームは毎日、平均16時間やっていました。
克服ママの言った、【過保護にする】をして、数か月、息子は良い方に向かっていました。
やはり、このやり方がいいのだろう、と私は思っていました。
主人は、今のやり方に疑問を持っており、
「今の子育ては、モンスターを育てているみたいに感じる。この先、子供たちがどう成長するのかが怖い。次男までもが無制限でゲームをしていて、他の事では全く遊ばなくなっている。俺の目からは、無気力で、怠け者に見える。長男も今は動画やらゲームやらで頭がいっぱい。ゲームが出来ないから外出しない!という子になっているよね。子供らしさのかけらもないよね、2人とも」
と、疲れた感じで言っていました。
私の中にも同じ不安があるので、気持ちは痛いほど分かります。
でも、じゃあ、どうしたら良いの?
今の対応が良くないなら、どんな対応にしたらいいの?
息子達を取り締まり、親の言う事を聞かせるの?
今のこの子達が、親の言う事を聞くと思う?
今のやり方に不満があるのなら、他のやり方を調べて提案してほしい。
口には出しませんでしたが、そんな気分でした。
知り合いの方が、私にこんな事を言っていました。
「長男君は、今は、ゲームをしていたいんだよ」
「今は!だよ、今は!」
「今までの、外遊びをした時間を平均したら、数年ゲームしかしなくても、一般的な子供の外遊び時間の平均値になるんじゃない?それくらい、よく遊んでいたと思うよ!大丈夫、心配いらない」
「あの時期に培われた、身体能力や感受性は、絶対残ってるから!成長の土台になっているから」
「今、この時期は、ゲームをやりたい、ゲームしかしたくない!」
「そんな感じなんじゃない?私は、そう思うよ」
以前から信頼を寄せていたそのママは、私をそう、励ましてくれました。
表面的な分かった様なアドバイスを貰うと、不快になり、聞く気になれませんでしたが、このママの励ましは、すっと自分の心に染みわたり、安心することができました。
やはり、今の「過保護にする、好きにさせる」の子育て法は間違っていないはず!
続けて行こう!と思いました。
113 診断書が腑に落ちない
113 診断名が腑に落ちない
2021/12月頭
医療センターの診断書に、【自閉症】の文字を見てから、私は、自閉スペクトラム障害というよりも、【自閉症】というキーワードばかりネットで検索していました。
私は、それまで、医師や専門家の診断は、間違いないものだと思っていました。
しかし、自分で調べた典型的な自閉症の子どもの症例は、息子の現状とは合致しない点がたくさんあったので、この診断結果は、受け入れ難く感じました。
診断名が腑に落ちない私は、他の専門機関に話を聞きにいきました。
その専門機関では、
「医者が本人と話していないのに、自閉症スペクトラム障害の診断を出すのはおかしい」
と言われました。
「もー、何がなんだか分からない!」
どこの専門機関の、誰が言っている事が本当なの?
発達に偏りのある子を専門に塾を開いている先生は、
「診断名が付く前も、付いた後も、その子である事に、何一つ変わりはなく、悲しむ事はありません。学校に特性を理解してもらい、特別な対応をして欲しい時に診断書を都合よく利用したらいいだけです」
と言いました。
調べると、自閉症の特徴として、
・コミュニケーション能力が低い
・人の気持ちを汲み取れない
等がありましたが、
息子は、人の気持ちが汲み取れない、というよりも、むしろ、周囲に気を遣いすぎるところがありました。
周りの子どもたちのペースに合わせ過ぎ、心の内側に大きなストレスを抱えるようなところがありました。
例えば、・・・。
友達に誘われると、理由もなく断る事が出来ず、気が進まなくても無理をし、付き合うような事がよくありました。
楽しそうだと私が思っていたら、その後、疲れ果てて自室にこもってしまう、そんな事がよくあったのです。
上の姉は、いつも、
「まだ人生のほんの一部!一流大学を出て立派に就職しても引きこもる人がいる! 長男君は、そういう意味では大丈夫な気しかしないよ」
と励ましてくれていました。
励ますと言うより、本当に、そう信じている事が伝わる言い方でした。
それなのに、母親である私は、この先、いつまで引きこもるのだろう、4年で行けなかったら、5年も行けなくない?5年で行けなかったら、6年も行けないじゃん!6年で行けない子は、9割中学も行ってないじゃん!そうやって、ずっと行けずに、大人になっても引きこもるの?
この子の人生は、たった8年で真っ暗なの?と考え、不登校をネガティブに捉え、1人で不安に駆られていました。
112 外の世界に怯えた日
112 外の世界に怯えた日
2021.11.29
この日の事はよく覚えています。
いつも、ゲームばかりで引きこもっている長男を、主人がテニスに誘いました。
長男の小学校区ではない、少し離れた地区のテニスコートのある公園に行きました。
遊具があり、その奥に広いグランドがあり、その更に奥へ行くと、テニスコートがありました。
長男は同年代の子に会う事を極端に恐れていました。
行きは、他の子供たちが遊んでいる遊具やグランドを避けて、テニスコートへ向かいました。
テニスコートは高い塀に囲われており、外から中の様子は見えません。
長男は、あまり元気がないものの、周りの視線を感じないテニスコートで、伸び伸び遊んでいました。
家族でテニスをし、帰路に付く際、私は下の子のお世話をしていたため、主人と長男が先にテニスコートを出ました。
主人に長男の状態を話してはいるものの、普段の様子を見ていないため、同年代の子供達がいる空間を、どれ程長男が恐れているのかを、主人は理解していませんでした。
主人と長男は私より100メートルほど前を歩いていました。
主人が先に歩き、長男が後を追っています。
主人は、沢山の子供のいるグランドの真ん中を通り、遊具の方へ向かっていました。
後ろから見ても、長男の様子がおかしいことが分かりました。
主人は気が付いていません。
私は下2人を残し、長男の方へ駆け寄りました。
声を掛けると、振り向いた長男の顔は、今にもこぼれ落ちそうな涙を目に溜め、あたふたし、体が震え、隠れる場所を必死に探しているようでした。
私が、
「大丈夫?」
と聞くと、
我慢していた涙があふれ出しました。
「帰りたい、帰りたい、帰りたい!帰りたい!!!」
「車どこ!早く乗りたい!」
「早くここから離れたい」
「ねー、車どこ」
「ねー!ねーー!!ねーーー!!!」
周りに子供が沢山いるため、呟くような声で、それでも叫んでいるような雰囲気で、口をへの字にし、私の体で、自分自身の体を隠そうと小さくなっています。
徒歩5分程の場所に車が停めてあり、駐車場へ行くには沢山の子供のいるグランド横を通る道しかありませんでした。
私は、長男に、
「急いで車取って来るからね、待っていてね」
と言うと、
長男は、
「嫌だ、嫌だ」
「早く、早くしてよ」
「なんで、なんで車遠くなの!」
「ねー、何で、早くしてよ、早く車乗りたい、帰りたい、帰りたい」
と、周りをキョロキョロと見渡し、隠れる場所を探しています。
私はグランドと長男の間に立ち、視界をさえぎりました。
公園と道を挟んだ向こう側に自販機がありました。自販機の後ろに回れば公園からは長男の姿が見えないので、長男をそこで待たせ、私は急いで車を取りに行きました。
私は主人に、パニックになる前の感じだから、長男から離れないでほしいとお願いし、急いで車を取りに走りました。
車に乗り込むと、長男は、ダッシュボードに入れていたゲーム機を乱暴に手に取り、狂ったようにゲームを始めました。
そんなに近くて、画面が見えるの?と思う程、ゲーム機に顔を近づけ、
「おー、すげー」
「わー、勝った」
「おー、楽しい」
と、不自然にずっと1人で叫んでいます。
助手席に座り、前のめりでゲームの世界に入り込む長男の姿は、異様な雰囲気で包まれていました。
運転しながら長男の顔を、ふと見ると、顔が涙でぐちゃぐちゃでした。
声だけ聴いていると、笑っているのに、顔は涙でぐちゃぐちゃ。
その涙を拭うこともせず、ひたすらゲームボタンを押し続けます。
・・・
私が泣いてはいけない、私が泣いてはいけない、涙が出ないように、涙が出ないように、と思えば思うほど、喉の奥の辺りが熱くなり、痛くなり、自然と涙がこぼれ落ち、止めることが出来ませんでした。
今でも、この出来事、あの時の長男の様子は、昨日の事のように、鮮明に覚えており、脳裏から離れません。
この世に出て、まだ8年しか経っていない子供が、なぜここまで苦しむのか。
私の、何が、この子をここまで追い詰めてしまったのだろう。
111 次男の試し行為
111 次男の試し行為
2021.11
克服ママに「過保護にすること!」と言われたことを頑張っていました。
出来る限り長男の望みを叶えるよう、わがままを言われても指摘せず、可能な限り対応する。
そんな私の変化を見ていた次男が、私に言いました。
次男:
「お母さんは、お兄ちゃんのことが好きなんでしょ」
「お兄ちゃんのことだけが好きで、お兄ちゃんのことだけが大事なんでしょ」
そんなことを何度も何度も繰り返し聞いてきます。
私は次男と2人きりの時に、
「世界で一番次男の事が好き!」
「こんなかわいい子、どこにもいない!」
「お兄ちゃん、今元気がないから、お兄ちゃんばかりに構って、我慢させちゃってごめんね」
と言っていました。
寝かしつけの時間は、
「妹の隣で寝なよ!」
「お兄ちゃんの所(リビング)に行きなよ!」
「僕の横になんて来ないでよ!」
「早く!行きなよ!」
と、突き放してきます。
私は、
「今は次男との、とっても大事な時間だから、意地でもここからどかないぞ!」
と言って、次男を抱きしめ、放しませんでした。
次男は、歯を食いしばり
「やめろ!やめろ!」
と、目に涙を溜め、蹴ったり叩いたりしていました。
この子の情緒は大丈夫だろうか?
食事を作っても、
「これは、嫌」
「あれは、嫌」
「作り直して!」
「今すぐ違うの買ってきて!」
そんな要求が、日に日にエスカレートしていきました。
いろどりに野菜をお皿にのせるだけで、
「嫌がらせかよ!ふざけるな!」
と言って、野菜を投げつけてくる事もありました。
長男の似た様な要求を、私は全て聞き入れているため、次男は試し行為をしているのだろう、と出来る限り対応するようにしていました。
次男は不登校ではなく、健常だと思っていたので、
「こんな事聞いていいの?」
「人を思いやれない子にならないの?」
という不安が脳裏をよぎり、不安になりました。
そしてついに、2歳の娘までが、
「いらない」
「違うのほしい」
と兄たちを真似るようになりました。
私は1日に何食もご飯を作り、何度も何度も作り直していました。
作っても食べてもらえず、要望通り作り直したものですら、一口食べて「もういらない」と残す・・・。
「もぅ、いい加減にしてくれ!」
こんな事、本当に続けていて大丈夫なのだろうか?
この子達は、どんな子に育つのだろうか?
110 不登校中の息子の姿
不登校中の息子の姿
完全不登校中の息子の様子は、以下のような感じでした。
【ゲーム、動画しかしない】
ゲーム、動画を、起きている間、1秒も手から放しませんでした。
数秒顔を上げ、民放テレビに視線を向けた際に、涙が出るほど嬉しかった事を覚えています。
【お風呂に入らない】
「僕は家のお風呂を卒業します」の言葉と共に、家のお風呂には、5か月近寄りませんでした。
【歯を磨かない】
「虫歯になるよ」と何度か言いましたが、磨かないので、言うのを止めました。
【病院に行けない】
平日は、スタッフに、「今日はお休み?」と、聞かれるのが怖くて行けず、休日は、知人に合うのが怖くて行けませんでした。
歯科矯正をしていましたが、一旦ストップしました。
【髪を切らない】
目が前髪で完全に隠れていました。
【爪を切らない】
爪は切らないけれど、噛んでいたのか、いつも短かったです。
【服を着替えない】
1週間以上替えないので、無理矢理着替えさせようとすると、パニックになり、それに私が疲れ、諦めました。
【インターホンに怯える】
インターホンが鳴るだけでパニックになり、震えて怯えました。不登校児の繊細さに配慮出来る人は少なく、玄関先で、
「あれ、お兄ちゃん、見かけないね」
「学校行ってないの?」
と、聞いて来る人もいました。
それが長男に聞こえてしまうと、その後しばらく、長男は自分の部屋から出られなくなりました。
【外出できない】
外出をとても嫌がり、付いて来ませんでした。付いて来ないけれど、1人で家で待つ事を嫌がりました。家族の行動が制限されました。
【食事をしない(初期)】
1日1食しか食べず、やせ細っていた時は、カロリーを取らせようと、ハイカロリーな物を食べさせていました。
【食事を食べ過ぎる(後期)】
夜中の12時にインスタントラーメンを毎日食べたがる時期がありました。あまりに続くので、「体が心配」と伝えると、険悪な雰囲気になった為、言うのを止めました。
【昼夜逆転】
朝方まで布団の中で動画を見て、夕方に起床していました。不登校中、布団に入り、「さぁ、寝よう」と目を閉じて寝た事は一度もありません。毎日、寝落ちするまでスマホを見ていました。私は、夜中にスマホを見ている時間が気になり、使用時間を確認した事があります。大体毎日、夜11時から朝の5時や6時まで、平均6~7時間、真っ暗闇の中、布団に潜り、目から10センチの距離で長時間、スマホを見続けていました。
【動かない】
ずっと、同じ位置でゲームをしていました。廃人の様に、無気力でした。
【笑わない】
顔を上げませんでした。
【友人に会えない】
全く会えない時期が長くありました。少し回復して、特定の子に会える様になっても、心に負荷が掛かると、すぐに会えなくなりました。
【引きこもる】
些細な事に深く傷付き、数日間部屋に引きこもる事がよくありました。
【自信がなく、手を付けない】
親族の集まりで、皆で簡単なゲームに挑戦していた際、長男だけ「僕は、きっと上手く出来ない」と言い、手を付けませんでした。
【電気を消す】
「部屋を明るくしないで!」とお願いされた時期がありました。
【パニック症状】
突然泣き叫ぶ、暴力を振るう等の症状がでました。
【声が小さくなる(出ない感じ)】
心に負荷がかかると、一気に声が出なくなりました。本人は一生懸命声を出そうとしているのですが、とても小さく、聞き取れない程の声しか出ていませんでした。
【イベントを嫌がる】
誕生日等の節目のイベントがある度に、「僕は、ずっとずる休みしているんだ」と言って、自分を責め、いつも暗い顔をしていました。
思い浮かぶ1年半の長男の状態は、こんな感じでした。
109 一瞬治った昼夜逆転の日
109 一瞬治った昼夜逆転の日
2021.11月下旬
昼夜逆転のサイクルがずれ込み、その日、長男は朝から起きていました。
朝の時間帯に長男の姿を見るのは久しぶりで、嬉しい反面、私は、
・朝の忙しい時間に長男に神経を使うのは疲れる
・皆が出発してから起きてほしい
・リビングでゲームを始める姿を見ると、次男が「ぼくも休みたい」と言い出すので困る
・あー、もう1時間長く寝ていてよ
と思っていました。
長男が朝起きていると、私の行動が制限されました。
「どこにも行かないで、出かけないで、寂しい」
「僕が寂しいのに、置いて行くんだね!」
と、言ってきます。
この日は特に荒れていました。
・娘を虐める
・私に暴言を吐く
・ソファに座っていた次男をソファから蹴り落とし、泣かせる
私は下の子を虐められると、怒りスイッチが入ります。
長男に向かって、
「何で、そんな意地悪するの?」
「もう・・・寝ててよ、用事ないんだから!」
そんな言葉を掛けていた気がします。
長男は、
「うるせー、くそばばぁ」
と言い、目を吊り上げ、不機嫌になっていました。
本当に、もう、寝ててよ・・・
家族の平和な日常を、一瞬で壊さないでよ。
そんな気分でした。
学校へ行けていない事への苛立ちなのか、劣等感なのか、理不尽な事を言って周りを傷付けます。
天気の良い日で、娘と一緒に公園に行こうとしていたら、
「絶対に行くな!」
と、言われ、結局娘は家の中で過ごしました。
長男が起きている間は自由に動けない。
娘を家に閉じ込めておきたくない。
幼稚園帰り、次男が公園で遊びたがっても家にいる長男が気になり、落ち着かない。
私は常に、長男の存在に支配されている気分でした。
長男がいるから、出かけられない。
長男がいるから、早く帰らなくちゃ。
長男がいるから、お昼を作らなくちゃ。
長男が行かないから、家族でお出かけ出来ない。
この子が居なかったら、楽なのにな・・・
この子が居なければ、普通の子育てなのに・・・
何で、こんなに、この子は難しいの?
何でうちだけ、こんなに大変なの?
私はイライラしながらも、長男が不安定な時こそ、私の温かな対応が大切なのだろうと、分かってはいました。
それでも、感情が先立ち、不安定な長男に上手く対応出来ませんでした。
優しくしなければ、ストレスを与えない様にしなければ、頑張らなければきっとあの子は回復しない。
どれだけ頭で分かっていても、私はすぐに感情に負け、不快が態度に出てしまいました。
108 発育歴
108 発育歴
2013年冬、私が35歳になった3日後に長男は生まれました。
いわゆる、高齢出産です。
予定日の数日前に、私は背伸びをして天井の掃除をしてしまい、赤ちゃんがお腹でゆっくりしている時に、破水してしまいました。
子宮の中で羊水が減っていく中、赤ちゃんが全然降りてこない為、許可されている、最大量の錠剤の促進剤を飲み、点滴をマックスで打ち、破水してから42時間後に、長男は自然分娩で生まれました。
思い込みなのでしょうが、促進剤を最大限に使用する事は、赤ちゃんの脳機能に影響を与えるのではないのか?と私は感じています。
母親もそうですが、きっと赤ちゃんも苦しんだはず。
薬を大量に使用し、自然に逆らって生まれ、小さな体で苦しんだストレスは、その後の発育に影響しないのか?と疑問に思っています。
・・・
出産後、少し黄疸は出ましたが、全て正常値でした。
発語も、おむつが取れる時期も、問題はありませんでした。
次男が生まれる2歳3ヶ月まで、癇癪を起す事もなく、とても穏やかで、よく笑う、とても可愛い子でした。
それでも、いつもなぜか、少し不安そうな目で物事を見ていた姿は、脳裏に焼き付いています。
長男は泣かない子で、あまりに泣かないので、泣くと、ホッとした覚えがあります。
診断名が出て、【自閉症】で調べると、自閉症児はくるくる回る、とありました。
長男は7か月頃、お座りをして、その場でくるくるくるくると、回っていた事がありました。コンパスみたいだね、と話していました。 それ以外で「回る」という行動はありませんでした。
断乳は1歳半でした。
もうおっぱいは無しだよ、と【へのへのもへじ】をおっぱいに書いて見せると、その日から水筒でお茶を飲みながら寝る様になりました。一度もぐずったり、泣いたりしませんでした。
何て楽な子なのだ・・・と思った記憶があります。
育てていく中で、気になった点がいくつかありました。
・新しい場所に行くと、中々部屋に入れない。
・2歳になる前、友人宅へ行った際、土間に入るまでに1時間、土間から部屋に入るまでに2時間程掛かり、上がってからも、他の子供達の輪には入らず、遠目で様子を見ていた
・遊んでいた子供たちが移動すると、ゆっくり、おもちゃに近づき不安そうな目をしながら、そぉっと触りだす
・2歳児検診の際、長男だけが、身体測定の部屋に入れず、怯え、泣き喚き、一歩も入れないので、保健師が測定を諦めた
・5組位の親子で紙芝居の読み聞かせをした際、長男だけ部屋に入れず、ずっと廊下にいた
・私が読む番になると、「読んではダメ」と泣き喚き、私だけ読むのを諦めた、読んではダメと言った時、何かに怯えているかの様に不安そうだった
・毎日通っていた児童館で、部屋に入る際、必ず不安そうな顔で様子を見る為、時間が掛かる
そんなエピソードがいくつもありました。
とにかく、新しい場所、知らない場所へ行くと、中へ入る事を異様に嫌がりました。
幼稚園の就園前検診の際も、自分の順番になると、軽いパニックになり、お漏らしをしました。
当時は気が付いていませんでしたが、長男は、何をするのか分からない際に、パニック状態になりやすく、泣きわめき、体全体で抵抗し、断固拒否していた様に感じます。
他の子供が困難に感じていない部分に、困難を感じる場面はいくつもありました。
・年少時の運動会の際、入場行進の列に入れず、担任が列に入れようとすると、パニックになり、「嫌だ!」と、最大限に手足をバタつかせ、抱っこも出来ない程にのけぞり、抵抗し、参加できなかった
【運動会のかけっこ】
年少→先生が長男を抱っこして走る 不安そうな目でずっと周りを見ている
年中→先生と手を繋いで走る
年長→運動会1ヵ月前までは、リレーの練習に参加できず、先生と手を繋いで走っていたが、最終的には「アンカーなら走る」と言い、走った(アンカーはこだわり?)
【運動会遊戯】
年少→先生が抱っこ 踊りはやらない
年中→先生の膝の上 手だけ少し動かしていた
年長→元気に、張り切って参加
【お遊戯会】
年少→とても不安そうに、舞台下から観客席を見ていた 舞台には上がらない 着替えに時間がかかる
年中→舞台上には行くが、正面を向かず、後ろ向き 着替えに時間がかかる
年長→友人に指示が出来るほど、張り切ってやっていた 一切問題なし
色々気になる点はありましたが、私は物で釣ったり、叱りつける事に抵抗があった為、「あ、やりたくない子なのだな、私も小さい頃、人前で何かをする事が大嫌いだったな、私に似たんだな」くらいにしか思っていませんでした。
この時点で発達障害などの知識が、少しでもあればよかったのかな?と思う事もあります。
他にも、幼稚園の座席は自由でしたが、長男の席は無言の了解で決まっていたそうです。
長男がその席にしか座らない為、周りの皆が譲る様になったと聞きました。座ったことのある席が安心する様でした。
給食は偏食が激しかった様です。
次男が生まれた際、他の誰かが次男を抱っこする事を一切許しませんでした。
やきもちだね、というレベルではありません、次男を抱く事は不可能でした。
初めての子育ての為、こんなものなのかな、と思いながらも、何だか他の子よりも、スムーズにいかない事が多いなと、何となく気が付いてはいました。
大らかでいよう、大らかでいよう、やらないからと、あたふたする親になってはいけない。そう思う様にしながらも、行事がある度に、帰りにいつも、胃の辺りが重くなっていました。
何で、うちの子だけ違うのだろう・・・
医療センターの問診票に、上記のような、事細かな発育歴を6枚記入しました。
107 出された診断名
107 出された診断名
2021/12/3(金)
初めて医療センターに行った11月1日から1か月が過ぎ、2度目の予約日です。
今日、私に与えられていた診察時間は10分。
とても日当たりの良い、静まり返った診察室に入ると、前回と同じ、30代位の物静かな女性の担当医が、穏やかな口調で、
「お待たせしました」
と、微笑みかけてくれました。
私が、長男は連れて来れる状態ではない、と伝えると、
「いつか、待合室にでも連れて来られたら、連れてきて欲しい」
「待つ姿からも、様子を診察できます」
と、言われました。
前回の発育歴確認の続きからでした。
今回も、今の状態は、ほぼ話せていません。
担当医が、私が質問に答えている内容を、頷きながら聞き、パチパチとパソコンに文字を打ち込みます。
話が一区切りすると、先生が何かをプリントアウトし私に、さっと手渡しました。
そこに書かれていたのは、
【診療計画書 診断名 状態 (疑いも含む) 自閉症スペクトラム障害】
の文字でした。
ん?
何?
何の話?
私はしばらくの間、担当医が、誰の話をしているのか、理解出来ていませんでした。
そこから、先生と何を話したのかは、覚えていません。ただ無感情で、
「そうなんですね」
とか、そんな一言位しか発さなかったと思います。
担当医は、
「本人の性格や、こだわり行為は変えられない、周りが接し方のこつを掴むと、本人も、周りも、スムーズに生活し易くなります」
と、アドバイスをくれました。
こつ・・・
・・・?
こつって何だ・・・
30分ほど掛かる帰り道は、自分がどう帰って来たのか、あまり覚えていません。
ぼーーーーっとしながら車を運転していた様な記憶があります。
負の感情はないけれど、ここ数か月間に目まぐるしく巻き起こっている、出来事。 自分とは一生関係ないと思っていた出来事が、どんどん私の人生に入り込んできて、その情報の処理をする事に、脳が上手く反応していない、そんな感覚でした。
姉に話すと、
「自閉スペクトラム障害・・・学校に自閉スペクトラム障害診断を貰っている子で、長男君と、そっくりな症状の子がいるよ、やりたいことしか基本やらない」
と、言っていました。
長男は今まで、やりたくない事も、卒なくこなしてきました。
比較をした事はありませんが、むしろ、良く出来ている方だったと思います。
その点が、何だか腑に落ちませんでした。
本当に自閉症なら、場面に応じて、やる、やらないのコントロールができるのだろうか?
私の見解は、発達に偏りのある子を指導している先生が指摘した、過剰適応が1番しっくりきていました。
個性と言えば個性、でも、社会生活に支障が出たら障害と名前を付ける。
長男の場合は、不登校という形で、社会生活に支障が出ていると、判断された様でした。
発育歴に書いた、こだわりの強さ、そこで診断されているのだろうか?
そのこだわりの強さも、ゲームを始めてからは、かなり軽減されていました。
満たされ始めたら、様々な症状が、落ち着いてきている様に感じていました。
「今は、こだわりの強さが薄まっている」
「何だか納得いかないな」
「そもそも担当医は、本人に数分しか会っていない・・・」
ネットや、不登校関連本を見た限りでは、長男は典型的な不登校児の道を辿っており、自閉症診断は腑に落ちませんでした。
それでも私は、この本を購入し、読んでみました。
当時、私には、あまりにも発達障害の知識が無く、自閉症と自閉症スペクトラム障害の違いも、全く分かっていませんでした。
2013年?に自閉症の診断名の定義が変わり、自閉症スペクトラム障害と診断される患者は、かなり広範囲になった、と、担当医に言われました。
自閉症はもの凄く狭い範囲、黒の1点。
スペクトラム症は、かなり広範囲、軽い子は、ほぼ健常児である、と説明を受けました。
その説明を受けても、私の様に、自閉症について、全く知識のない親からすると、診断名に【自閉症】の文字があるだけで、医師から与えられるインパクトは、強烈でした。
106 深夜の長男との時間
106 深夜の長男との時間
私は毎日、通常通り下の子のお世話をし、寝かしつけてから、また起きて、長男の話相手をする。そんな生活に心身共に、くたくたになっていました。
睡眠時間が短いのもそうですが、ただ起きている、というよりは、常に、何か重い課題を投げられて、答えの見つからない答えをずっと探している感覚でした。
下を寝かしつけに行く際、必ず長男は、
「お母さん、寂しい、起きて来てよ、後で来てよ、絶対ね、絶対来てよ」
と、毎日言います。
不登校前の生活だと、子供が寝てからの数時間が、唯一の自分だけの時間でした。
「あー、今日も1日終わったな」
と、思った後に、昼間もずっと一緒に居る長男と一通り戯れる事に、私は幸せを感じる事はできませんでした。
長男は昼間も、買い物に行く事すら嫌がる程、そばに居たがりました。
寝かしつけの後起きて行くと、
・深夜にまた料理をするのが面倒臭い
・感情が邪魔し優しい雰囲気で話せない
・上手く傾聴出来ない
・絶え間なく続く、相手からの一歩的なゲームの話に盛り上がって話せない
・そんな態度しか取れない自分自身を心の中で責める
・自分の態度が良くない、と分かっていても、悪い癖を抜く事が出来ない
・私が母親では、この子は立ち直らないだろう、と落ち込む
周りに、どれ程頑張っている、頑張り過ぎている、と言われても、どうしても、そう思えませんでした。
私が頑張れているなら、長男はもっと、良い方向に行っているはず。
「あー、私はやっぱり、こんな状況でも頑張れない」
と、気持ちが沈み、その影響で、また子供に優しくなれない
まさに負のスパイラルでした。
唯一、私の心が少し軽くなれたのは、いつでも姉達が、瞬時に話を聞いてくれていた事でした。
105 引っ越しを考える
105 引っ越しを考える
当時長男は、こんな感じでした。
・インターホンが鳴ると怯える
・外出時に車に乗り込む際、人に見られない様、背中を丸め、急いで車に駆け込む
・車内から、同年代の子を見つけると、社外から自分の姿が見えない様に体を隠す
・学校付近を車で通過する際、顔が引き攣る
・知り合いに会うのを恐れ、近所を出歩くことができない
・人に会うのを恐れ、庭に1秒も出られない
長男が何に怯えているのか、私にはよく分かりませんでした。
学校を休んでいるだけなのに、なぜ、そこまで、隠れ、怯えるのか?
不登校関連の本には母親自身が、
・人に会うのが嫌になる
・外出できなくなる
・近所のスーパーに買い物に行けなくなる
等の記載がありましたが、私には分からない心理でした。
学校に行かないのは、身を隠さなければならない程、いけない事なのか?
そもそも、近所の人に何を言われても、大して気になりませんでした。
私は、その部分に関しては、堂々としていようと、決めていました。
子供会の行事、廃品回収等の学校のイベント、サッカーの大会なども、自分に仕事がある場合は必ず行くようにしていました。
ある意味、意地でした。
お母さんまで、顔を出さない、と思われる事が嫌だった気もします。
あまりにも、家から出る事に怯える長男の姿を見て、当時、両親が考えていた事は以下です。
・私の実家近くに家族で引っ越す
・私の実家に、長男のみしばらく住む
・主人の実家に、長男のみしばらく住む
・私の行かせたい学校がある地域に引っ越す
・このまましばらく、ここで様子を見る
そして私は、こんな行動を起こしていました。
・実家近くの賃貸物件を探しにいく
・実家近くの娘の幼稚園を探す
・実家近くのフリースクールにコンタクトを取る (この時、私は次男もフリースクールのが良いと決めつけていました)
・実家近くの小学校に連絡し、新一年生(次男)の話を聞く
・今の家を査定に出す
・主人が上司に転勤移動を出すかもしれないと相談しておく
その時は11月下旬で、次男の入学が4月です。
コミュニケーション能力が低く、心配事の多い次男を転校させる事は、避けたかったため、引っ越すなら4月からにしよう!と決めていました。
引っ越すべきか、このままここで、様子を見るべきか、どれ程考えても答えは出ません。
たまに来てくれていた姉は長男の姿を見て、こんな事を言っていました。
「毎回、友達来ると顔色を変え、奥の部屋に隠れる姿を見ると、まだまだだなって実感する」
「隠れる時の顔つきが普通じゃない」
「外に出る時に、人目を気にし、おどおどしているよね」
「ただ、もう少し時間がたった時どうなるのか」
「長男君の本心はどうなのか」
「引っ越す事がストレスになるのか、ストレスフリーになるのか」
「長男君は物を大切にするから、家を手放す事をどう思うか」
「長男君の事だけ考えるなら、まだまだ分からない事があるから、4月はまだ早い気がする」
「もう少し長い目で考えてみたら」
不登校に対する、主人の価値観はこうでした。
・大人でも、一度長期で休んだ場所に復帰するのは嫌
・新しい場所が緊張したとしても、心機一転、リセットする方がよいのではないか?
・不登校は黒歴史、俺なら、絶対知ってる人とその後関わりたくない
主人は不登校に対して、マイナスイメージを持っている様でした。
私は、それをあまり理解できず、また、主人とのズレを感じていました。
104 起立性調節障害
104 起立性調節障害
最近は、風邪の症状が無いのに、朝起きれず、よく吐くので、 ネットで調べると、【起立性調整障害】という、言葉を見つけました。
【以下、ネット引用】
起立性調節障害はこんな病気
起立性調節障害(OD:Orthostatic Dysregulation)は、思春期前後の小児に多くみられ、起立時にめまい、動悸、失神などが起きる自律神経の機能失調です。
人の身体は、起立すると重力によって血液が下半身に貯留し、静脈を経て心臓へ戻る血液量が減少し血圧が低下するので、これを防ぐために自律神経系の一つである交感神経が興奮して下半身の血管を収縮させ、心臓へ戻る血液量を増やし、血圧を維持します。しかし、自律神経の機能が低下した結果、このメカニズムが働かず、血圧が低下し脳血流が減少するため多彩な症状が現れます。
起立性調節障害の症状・診断
起立性調節障害でみられる身体症状として、以下があげられます。
1.立ちくらみ、あるいはめまいを起こしやすい
2.立っていると気持ちが悪くなる。ひどくなると倒れる
3.入浴時あるいは嫌なことを見聞きすると気持ちが悪くなる
4.少し動くと動悸あるいは息切れがする
5.朝なかなか起きられず午前中調子が悪い
6.顔色が青白い
7.食欲不振
8.臍疝痛(せいさいせんつう)へその周囲の痛みをときどき訴える
9.倦怠あるいは疲れやすい
10.頭痛
11.乗り物に酔いやすい
これらの項目のうち3つ以上当てはまる、あるいは2つであっても症状が強いなどの場合、起立性調節障害を疑います。
・・・
長男は、いくつかの症状が、あてはまりました。
数か月前まで、元気に学校に行き、外で遊びまわっていたあの子に、一体、何が起こっているのだろう?
調子の悪そうな我が子を見ていると、少しずつ生活リズムを直していきたい。
と、強く思いました。
しかし、無理矢理何かをする事はできません。
様々な不登校関連本にも記載されていますが、不登校児は本当に指示が通りにくいです。
大人が何かして、どうにかなるものではありませんでした。
本人の意識が変わり、自分で変わりたい、と動き出すのを待つしかない。
その心理は、本で読み、何となくですが、理解しているつもりでした。
でも、どうやったら、息子の意識は変わるのだろう?
いつまで、その日が来るのを待てばいいのだろう?
103 伝わらない気持ち
103 伝わらない気持ち
2021/11月中旬
主人が帰宅し、
「毎日、子供達がゲームをしている姿は、胸が締め付けられる、苦しい、本来望んでいる姿じゃない」と言いました。
私は、
「え、ゲームに対して、そんな事思うの?」
という気持ちと、
「これで、スマホしか見ていない主人の背中に対し、私が思う、あの不快な感情を、少しは理解してもらえるかも!」
という、期待の気持ちが同時に浮かびました。
今まで我が家にはゲーム類が一切無く、テレビも見続ける事はしていませんでした。
いつも子供達は、工夫して遊んでいました。
家中の、色々な物を引っ張り出し遊ぶので、リビングは常に散らかっていました。
私は、それを、ストレスに感じる事はありませんでした。
ゲーム漬けで、散らからない家より、創意工夫をして遊び、部屋が散らかる事を、むしろ、喜んでいました。
主人が、今までの子育て環境と比較して、デジタル漬けになっている環境に、まだ、慣れていないのかもしれません。
長男が何か言いたげに、やたらと笑って、
「お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、明日学校休む」
と言ってきました。
ん?
もう、1ヵ月休んでるよね?、と思いましたが 、
「はいはい、ゆっくり、お休みしてね」
と伝えました。
この頃、長男は、少しでも外出すると、くたくたに疲れてしまいました。
風邪の症状はないのに、連日食後に吐き、元気がないので、
・食事を1日1食しか摂らない
・昼夜逆転している
・ゲーム画面を暗闇で長時間見ている
・太陽の光を浴びていない
等で、体に不調が出ているのではないかと、お母さんは心配しているよ、と伝えると、
長男は、
「お母さんは、僕の事を怒ってる!」
と言い、泣き出しました。
完全な昼夜逆転になっており、吐いたり、怠さも訴えていました。
太陽の光は全く浴びていません。
「少しずつ、戻して行けるといいね」
と、私なりに、優しい口調で伝えたつもりでしたが、長男は素直に受け取りませんでした。
今のあの子には、何も伝わらないのかな・・・
そっとしておくしかないのかな・・・
心配している気持ちは、伝わらないな・・・
102 次男がゲームを始めた日
次男がゲームを始めた日
2021.11.中旬
次男がいつも、ゲームを欲しそうに見ていたので、DSをもう1つ購入しました。
長男は、その事を知ると、泣き叫び怒り狂いました。理由は、
・僕だけのゲームじゃなくなった
・僕だけが持っている物じゃなくなった
・真似をされるのが嫌
・弟が自分と同じ事をしている事が嫌
です。
私は、長男はスイッチも買ってもらったが、次男は持っていない、となだめると、
・スイッチを使って次男と一緒にゲームをした事がある(1度だけ)
・だから、僕だけのゲーム機ではない(一度、人が触っている為)
と言います。
長男は、
「次男のDSを、今すぐ捨ててこい」
「絶対に、同じカセットを買うな」
と、叫び散らし、購入した私を責め立てます。
ゲーム機を心待ちにしていた次男は、怯えた顔でそれを握り閉め、無表情でフリーズしていました。
私は、2人でゲームを楽しんだら?と諭しましたが、長男の怒りは凄まじいものでした。
ゲームソフトも、次男は同じものを欲しがります。
私は長男の反応に怯え、次男に他の物を薦めますが、次男は、長男のやっているゲームがしたいのです。
長男が、あまりに次男を傷付ける事に納得がいかない私は、長男を叱りつけました。
・自分だけが楽しければよいのか?
・羨ましそうにしている次男を見て、楽しいのか?
・なぜ、次男がゲームをしてはいけないのか?
・なぜ、それを長男が決めるのか?
・なぜ、いつも自分、自分で他人を思いやらないのか?
そんな事を長男に聞いたと思います。
長男は、
「がみがみがみがみうるせー」
と、ただただ目に涙を溜め、怒り狂っていました。
なんなのだろう、この子は。
昔から、何でもかんでも、自分だけ、自分だけ。
いつもそうでした。
本当に、【長男らしい】発想。
もう、うんざりでした。
次男もゲームがしたい、減る訳でもない、楽しく2人でゲームをしたらいいのに、次男が自分と同じものを持っている事を許せない。
なんの心理なのだろう?
絶対発達障害だ。
脳機能が正常に働いていない、としか思えない。
通常ならば、何もなく過ぎていく事に、いちいち、大きく躓いて、家中が神経をすり減らしていました。
もしかしたら、自分ができない事を、万が一、次男が出来てしまったら、と、不安なのだろうか?
次男はただ、ゲームを楽しむだけで、酷く暴言を吐かれ、ゲームをするにも長男の目を気にし、こそこそと小さくなり、怯えながらゲームをする様になりました。
私からすると、ずっと長男にペースを合わせ、家族は我慢し、希望を聞いている感覚が強かった為、耐えがたい気持ちでした。
この子の独占欲は異常だな。
昔から思っていた事です。
とても不愉快な気分でした。
独占欲は、特性なのだろうか?
小さい頃、欲求が十分満たされなかった為の反動なのだろうか?
あの子は、それ程までに、欲求不満だったのだろうか?
どこで育て方を間違えたのだろうか?
弟に対して、優位に立っていたいだけ?
羨ましがられる存在でいたいの?
もし、幼少期の育て方が影響しているのなら、私の子育ては大失敗だ。
私に対する酷い事は我慢できます。
矛先が次男や娘に向かうと、どうしても感情的になり、長男にきつく当たってしまいました。
過保護にしなければ、優しくしなければ、頭では分かっているのです。
物を与える事、言う事を聞く事は、少しずつ出来る様になってきました。
でも、無理難題を言う事の多い長男への、心の寄り添いがなかなかうまくいきませんでした。
101 新たな葛藤
101 新たな葛藤
11月13日
しばらく誰にも会いたがらなかった長男ですが、幼馴染で同じ学校の友達と、友人宅でゲームをする事になりました。
マイクラをしたようです。
帰宅顔、長男は「スイッチが欲しい」と言いました。
言われたら購入しよう、と決めていましたが、言われたのが夜の9時過ぎでした。
「明日買おうね」の言葉が通じません。
泣きじゃくり、
「欲しい、欲しい、欲しい、欲しい」
「やっぱり、ダメなんだ、買ってくれないんだ」
と泣き喚きます。
丁度、主人が帰宅し、
「空いている店を探しに行こう!」
と言って、長男を連れだしてくれました。
私は、
「あー、また始まった。本当にこちらの都合を聞けない、わがままな子だな、めんどくさいな」と思った記憶があります。
結局、何件か探し回り、スイッチを見つけ、購入して帰ってきました。
明日からは、スイッチにはまり、ますますゲーム漬けになるのだろうな・・・
11月14日
みんな意地悪だ。
こんな場所に住んでいたくない。
転校したい、引っ越したい、と何度も、繰り返し言いました。
11月16日
スクールカウンセラーと教頭先生と話合いがありました。
内容が薄すぎて、何1つ覚えていません。
11月17日
別の幼馴染と、近所の同級生が別々で訪ねて来てくれましたが、顔が引き攣り、会う事は出来ませんでした。
その夜、長男は、わざとらしく、ケラケラと笑いながら、
長男:
「僕、何日、学校休んでるぅ?」
私:
「1ヵ月だよーーー」
長男:
「まだ、そんだけー?」
私:
「うん、ゆっくり休んでねー」
と会話しました。
お休みしている事を、気にしている様でした。
この時期、長男は口の中に酷い口内炎ができ、痛がり、ほとんど食事をしませんでした。
11月19日
いつもは、起きるとすぐにリビングに来ます。その日は、夕方4時頃起きていたようですが、7時頃までリビングには来ず、暗闇の中で動画を見ていました。 体調不調の様子はありませんでしたが、食事後、何度も何度もトイレに駆け込み、吐いていました。
その日の夜、娘を寝かしつけていると、長男が、
「お母さん、オムライス作って」
と、言いました。
私が、
「あと、数分で、娘が寝るから、少し待ってね」
と言うと、
長男:
「いや、待てない、今すぐ、今すぐ作って、待たない、今すぐ!」
私:
「え、、、娘ちゃん、泣いちゃう、、、」
長男:
「関係ない、今すぐ作って、お腹空いた、今作って」
と、執拗に言い続けます。
仕方なく、娘を我慢させ、オムライスを作りに行くと、ほぼ寝かけていた娘が 、
「おかあさん、おかあさん」と、大泣きし始めました。
もう、、、
私は、怒りの感情を抑え、オムライスを急いで作り、長男に渡しました。
その後、娘を寝かしつけ、リビングに戻ると、冷え切ったオムライスは、一口も手を付けられていませんでした。
なんなんだよ・・・
と、思いましたが、何も言いませんでした。
11月20日
銭湯に行きましたが、ずっと「怠い、怠い」と言い、帰りたがりました。
その日も、食後に吐きました。
11月21日
体調不良は、一切ありませんでしたが、この日も、食後に吐きました。
学校に行かなくなり、落ち着き始めていた長男ですが、彼の不安定さが心身にでているように感じました。彼の中に、何か別の葛藤が生まれ始めている様でした。
100 ゲーム生活の中で
100 ゲーム生活の中で
2021.11月頭
行き渋りから2か月が過ぎ、完全不登校になって20日経ちました。
今の長男の生活スタイルは、起きている間中、ゲームか動画のみです。 食事もまともには摂りません。
「好き放題させよう」と決めてはいても、深夜12時過ぎてもゲームをしている息子に、心配のあまり「まだ、寝ないの?」と言ってしまったり、嫌な顔をしてしまう事がありました。
不登校克服ママの話を聞いていたものの、克服ママの息子さんは中1で、我が子は小学3年生でした。 身体が急激に成長するこの時期に、「本当にいいの?」「まだ、8歳だよ」「脳とか、目とか、大丈夫なの?」という気持ちが抜けきりませんでした。
もともとが、ゲームに対して異常なまでの抵抗感がある為、尚更心配でした。
長男はそんな私の気持ちを感じ取っているのか、家族が就寝した後にゲームをする時は、わざとらしく「あー、そういえば・・・」とか、「ちょっと、あっちの部屋(リビング)に忘れ物しちゃった」とか、私に聞こえる様に寝室から立ち去り、リビングでゲームをしていました。
背中に私の批判的な視線を感じとっていたのだと思います。
次男が就寝すると、「お母さん、僕もお母さんの横にいていい?横でゲームしていていい?」と言い、私の布団に入り、抱きついてゲームをする事もよくありました。
思えば、次男が生まれてから、特に娘が生まれてから、長男に触りながら寝る機会は、ほとんどなかったと思います。長男も触れてこなかったので、私は、この子は、あまり人に触りたくない、ドライな子なのだ、と思っていました。
11月1日にゲームが我が家に来てから、次男との争いもなく、平和な日々でした。
次男はこの頃、人目を気にし、常に自信がなさそうにしていましたが、長男から攻撃されない為、以前よりも、穏やかな表情の日が多かった様に思います。
長男は、カーテンを閉め切り、部屋を真っ暗にし、朝から10時間以上休憩なしで動画を見続ける。
「中学になったら、きっとみんな、こんな感じになるはず。」
「数年早く思春期がきたと思っておこう。」
と、何とか気持ちが落ち込まない様に、考え方を変える努力をしていました。
遊びに来てくれた姉が、帰り際に、
「長男君の繊細さ、真面目さ、優しさが伝わる出来事が沢山あったよ、本人が辛い時期なのに、ずっと私(姉)に気を配り、最後は、どうもありがとう、と、抱きついてきたよ」
「人といると気を遣いすぎ、疲れてしまうのかもしれないね」
と、言っていました。
こんな状況でも、私は、まだ、頭の片隅でフリースクールの事を考えていました。
「あの、オルタナティブスクール、募集が始まるな」
「本人が見学に行き、入学したいと希望しなければ入れないな」
「まだ、早いかな」
「いつか、元気に、回復する日がくるといいな・・・」
今の私に出来る事は、何なんだろう。と、毎日考えていました。
99 サッカー話題
サッカー話題
2021.11.6
長男が完全不登校になったその年、私は長男の所属するサッカーの学年委員をしていました。
練習試合や大会の時には会場に行き、お世話をする役です。
長男が不登校になり、サッカーに行かなくなっても私は希望して学年委員を続けていました。
理由は、空いた穴を誰かが埋めなければならない事への罪悪感と、自分自身が、与えられた、やるべき事から逃げる事が嫌だったからです。
11月6日に大会がありました。
会場に行くと、 子供達が、私を見つけ、近寄ってきます。
子供達:
「ねー、(長男の名前)は?」
私:
「あー、ごめんね、今日来てないのー」
子供達:
「えーーー!あいつ(長男)いなかったら勝てんやん!あいつは、最強だからな」
「なんだよー、いねーのかよー」と言い立ち去っていきました。
私は、なんとか笑いながら、
「ごめん、ごめんー」と対応しましたが、家で、暗闇の中、ゲームをしている長男の姿と、元気に笑いながらサッカーをしている子供達の姿を比較してしまい、言い表しようのない、苦しい気持ちになりました。
子供達の、その言葉を、長男に伝えるか、伝えないか、大会後に貰ったおやつを渡すか、渡さないか、とても悩みました。
子供たちの掛けてくれた言葉が、長男の励みになるのか、それとも、思い出してしまい、また情緒が乱れるのか。よく考えた上で、私は伝える事にしました。
長男の機嫌の良さそうな時に、さり気なく、
「みんなが(長男)いないと、勝てない!来ないのかよーって残念がってたよー」と言うと、顔が曇り、下を向き、次男と娘に暴力を振るいました。 特に妹には酷く当たりました。 渡した大会のおやつにも一切、手を付けませんでした。
やっぱり、言うんじゃなかった・・・。
行き渋りから完全不登校になり、些細な発言で長男の情緒が乱れる為、私は発言一つ一つに神経を使い、伝えていいのか、考えながら長男に話しかけていました。
また、失敗してしまった。
しばらくサッカーの話題も避けよう。
98 私に刻み込まれた理想の母親像
98 私に刻み込まれた理想の母親像
子供を産む前から、母には、「子供を産むと、母親は自分の時間は全てなくなり、何1つ思い通りにはならなくなる」と言われていました。
外食もしばらく出来なくなる。
行きたい所へも行けなくなる。
全て子供中心で、自分を犠牲にして生きていく。
そんな事を言われていました。
私の受け取り方が極端なのかもしれませんが、子供を産んでから、子供を置いて、自分だけがどこかへ行く、自分のしたい事をするなどという事は、してはいけないことなのだと思い込んでいました。
実際、シングルマザーで働いている姉が、会社の飲み会等で子供を親に預け、帰りが遅いと、母は、とても不快そうにしていました。「子供がお母さんに会いたがっているのに、一緒に寝たがっているのに、自分が楽しむことを優先するなんて」
そんな感じの事を言っていました。
たった、数時間の事なのに・・・
結婚前に、姉のたまの不在に対する、母のそんな反応を見ていた私には、ますます、母親は楽しんではいけないのだ、という価値観が頭の中で固定されていきました。
そもそもが、早く結婚すると遊び足りないから離婚する、うまくいかない。と、何度も何度も言われていた私は、結婚する事にも躊躇いがありました。早く結婚したら、離婚するんだ、遊びつくした後に結婚しなければいけないのだ、今結婚したいなんて言ったら、絶対に許してもらえない。結婚するという事は、やりたい事を全て諦めるという事なのだ。私は勝手に、結婚へのイメージを固めていきました。
母親たるもの、常に子供が幸せであるように、子供に合わせて、全力で自分の出来る事をする。そうでなければならない、そうでなければ認めてはもらえない、と思い込んでいました。
私は、手間暇を掛け、大変な思いをすればするほど、母親として、しっかりやっている事になる、と信じていました。
楽をしてはいけない。
とにかく、手を抜いてはいけない。
元々の頑張り過ぎてしまう性格もあり、息抜きの仕方が分かりませんでした。
私は長男を布おむつで育てました。
外出先でも、旅行先でも紙おむつを使った事はありません。
布おむつと決めたら「今日は旅行だから、紙おむつにしよう」という選択肢をもてないのです。
少し頑張れば出来る事を、自分が楽をする為にさぼる事を許せませんでした。背中に誰ともない誰かの視線を感じ、頑張らない自分を許せない。自分に負けた気がするのです。
食事も冷凍食品を買った事は一度もありませんでした。 コンビニの物を買って食べさせる、イオンなどの商業施設で食べさせる、そんな事も一切しませんでした。 手抜きをすることには、大きな罪悪感を抱いていました。
布おむつで、完全に手作りの料理。1日中外で遊ばせて帰って来る。本を読んだり、一緒に遊んだりは沢山しましたが、長男を膝に入れ、テレビを見ながらまったり過ごす。そんな大切な時間をあまり持てていなかったのではないかと思います。
当時は、母親とはそうゆうもの、と思い込んでいましたが、今振り返ると、私はかなり、ストイックな性格だったようです。
私の母も、子供の為に全力、そんな母親でした。
私の、そんな理想の母親像を追い求めている姿勢は、夫や子供たちに、どう映っていたのだろう・・・。
気が付いていませんでしたが、私はとにかく、自分の母親から見て良い母親である様に、頑張っていたように思います。
97 「良かった」と思える事
97「良かった」と思える事
長男の反抗的な態度が始まってから、心労続きですが、一つ「良かったな」と、思う事がありました。息子たちの異変が今だったことです。
長男は8歳、次男は6歳です。
きっと、まだ立て直せる。
大変な中、希望は捨てていませんでした。
私は、もともとバカ正直で、うまく受け流すことが、とても苦手です。
特に気を許した家族には、思っている事をすぐに口に出し、態度に出てしまいがちです。伝えずに、内に秘めておく事は、とても苦手でした。
長男に話しかけられ、笑って話さなきゃ、と思っていても、どうにも受け付けなくて態度に出てしまいました。
笑えない時は、態度に出さず、余計な事を言う前に、そっと離れよう。
そう、決めてはいるのです。
分かってはいても、毎日、24時間、精神の不安定な不登校児と過ごす事は、とても苦痛でした。
訳の分からない要求ばかりをしてくる事への、苛立ち。
この子は、どうなってしまうのか、という不安。
無気力に、ゲームばかりしている息子への失望感。
好き放題にさせる、という対応が、正解!と確信を持てない、自信の無さ。
上手くやれない自分への苛立ちが、一番大きかった様に感じます。
どの不登校克服本を読んでも、インターネットを調べても、「まずはお母さんが元気になる事です」と書いてあります。これには、共感できませんでした。
私は、専業主婦です。暴れ回り、異常行動ばかりする息子と、毎日、24時間関わっている母親が、元気がでるわけないのです。
当時の私は、「母親が元気になれば、回復する」という発想は、ただの理想論だな、と思っていたと思います。母親が元気を出す方法があるのであれば、教えてもらいたかったです。
あの子がどんなに異常な事をしても、私は動揺しないように、常に冷静でいよう。
感情的にならないようにしよう。
そんなふうに、いつも自分に言い聞かせていました。
毎日毎日、毎回毎回、何度も自分に言い聞かせ、毎回毎回、失敗する。
上手く出来ない自分に腹が立ち、冷静になり、また、何とか立て直さなくちゃ、と思い直す・・・。
こんな事が、日々、繰り返されていました。
旦那さんに、理解して欲しい!と、期待しない様にしよう。
ゲームばかりの長男の姿を見ても、悲しくなる気持ちを捨てよう!
そう、割り切ろうとしても、無理でした。
旦那さんにも、長男にも、「こうであって欲しい!」と、期待し、いつも私の気持ちを、分かってはもらえない、と感じていました。
こんな生活から、何をどうしたら抜け出せるのか、そんな思いが、頭から離れませんでした。
それでも、「お母さんが大好きだ!」と甘えてくる可愛い時期に、情緒が大きく崩れてくれた2人を、何とか立て直そうと、私に出来る事は、何でもしていこう!と言う気持ちは、強く持っていました。
96 完全不登校突入後のお風呂事情
96 完全不登校突入後のお風呂事情
完全不登校になり、しばらくすると、長男は、
「僕は、もう、家のお風呂は卒業します」
と、宣言し、我が家のお風呂場に、近づかなくなりました。
その後、5か月程、長男は家のお風呂に入りませんでした。
調子の良い時は、週に1回、銭湯へ行きました。
2週間に1回、の時もあれば、1か月間、1度も銭湯に行けない事もありました。
銭湯に行っても、待合室で待つことはできませんでした。
ゲームを片時も手放す事が出来ず、お風呂を出たその瞬間にも、ゲームが手元に無いと落ち着きません。
涙目になり、地団駄を踏み、パニック状態になります。
下2人は、がちゃがちゃしたい、ゲームしたい、アイス食べたい、と子供らしくはしゃいでいます。
夜はライトアップがとてもキレイで、遊び場もあり、娘はとても喜んで見ていました。
長男と下の子2人の望み、両方同時に叶える事は、物理的に不可能でした。
主人が長男と先に車に戻り、車内でゲームをさせて、待たせる時もあれば、下の子達に急いで遊んでもらう、もしくは、遊ぶのを我慢してもらい、急いで帰りました。
毎回毎回、いつ、長男がパニックになるか、私はびくびくして、心がとても疲れました。
下の子達の無邪気な要求を聞いてあげられない事に、心が痛んだ事を、よく覚えています。
待合室に同年代の子供がいると、長男は、必ず酷いパニック状態になりました。
眼に涙を溜め、同年代の子達から隠れ、連れてきた両親に攻撃します。
「何してるんだよ!」
「早く帰りたい!」
「何で来たんだ!」
どちらかの親が、すぐに車に連れていきました。
そんな時は、車中で待つこともできません。即座に出発し、その場を離れなければ大パニックになりました。
その度に、下の子達は急かされ、望みを聞いてもらえず、ただただ諦めて帰るしかありませんでした。
同じ様な事が、毎回毎回起こるので、最終的には2台の車で銭湯に行くようになりました。
長男はお風呂だけ入り、すぐ帰宅。
下2人は、ゆっくり遊んで帰る様になり、少し心が楽になりました。
冬になり、しもやけ体質の長男の足先は血流が滞り、紫色になり、とても冷たかったです。
私は持ち運び用の、体が芯まで温まる足湯を購入し、毎晩、長男の足を温めました。
ソファから動かない長男の足元に、足湯を運び、私が、片足ずつ持ち上げ、足をお湯に入れていく。長男はピクリとも動きません。
足湯をやっている間も、長男は下を向き、ずっとゲームをしていました。
長く伸びきった髪が、長男の顔を覆って表情が見えません。
ソファに座り、首を直角に曲げて、無心でゲーム画面だけを見ています。
ただただ、ただただ、ただただ、無心でゲームをしていました。
表情はありません。
ただただ、ただただ、ずっと、息子は、ゲーム画面だけを見続けていました。
30分ほど、足湯をして、ふくらはぎから下をマッサージしながら洗っていました。血流が戻った足に、靴下を履かせ、足元を温めました。
そうしなければ、ただ、ソファに座って、夜中までゲームをしている長男の足先は、すぐに冷え切ってしまうからです。
お風呂にも入らず、着替えも一切しませんでした。
歯磨きもせず、顔も洗わない。
とにかく、ゲーム以外は何もしなくなりました。
不思議だった事は、1か月お風呂に入らず、頭も洗っていないのに、長男の頭からは異臭がしませんでした。
私の思い込みかもしれませんが、当時の長男は、身体的生理機能が全く働いていなかったのではないかと思います。
長期間お風呂に入らないのに、異臭がしないのは、不思議な感じがしました。
95 ゲームが届いた日
95 ゲームが届いた日
11月1日にゲーム機が届きました。なぜか私は、意味もなく、
「サッカーの大会行く?行かない?」
と、聞いてしまいました。
その質問の後、長男は次男を、ぼこぼこに殴りました。
・・・
・・・
・・・
お昼の郵便で、ゲームが届きました。
11月1日
世間一般的には遅すぎるであろう、我が家のゲーム生活がスタートしました。
11月1日(初日) 12時から24時 12時間 休憩無し
11月2日 朝9時から25時 16時間 休憩無し
11月3日 朝11時から24時 13時間 休憩無し
11月4日 朝10時から25時 15時間 休憩無し
11月5日 朝9時から25時 16時間 休憩無し
・・・・・・
ゲームが来てから、長男は、まともに食事を摂らなくなりました。
ただただ、取り憑かれた様に、ゲーム画面だけを見ていました。
想像していたよりも、どっぷりゲームにはまり込む生活がスタートしたのです。
94 少しずつ固まっていく決意
94 少しずつ固まっていく決意
娘を実家に預け、昼間、長男と2人で居ると、とても落ち着いていました。
私と長男の2人だけ、この空間が、今の息子には、必要な気がしました。
注文したゲーム機が届くまでの間、スマホを渡し、自由に使わせていると、次男と仲良く話し、よく、笑っていました。
その姿を見て、何度も何度も、何度も何度も、覚悟を決めなければ!と思うのです。
「もう、開き直り、とことん、付き合おう」
「好きな様に、させよう!」
その方が、いい子になるはず!一生懸命、自分に言い聞かせていました。
それでも、やはり、どうなってしまうのかが怖くて、中々開き直れません。
4月から、娘は幼稚園です。
娘が、昼間幼稚園に行けば、上手く回るかもしれないな。
娘とも、一緒に住めるかもしれない!
しばらくの間、長男はゲームにどっぷりハマる、と思っておこう!
もう、どうとでもなれ!と思おう!
長男は、もともとマイペースで、自制する事が苦手な様でした。
年齢の問題ではなく、自制が極端に苦手な子だと思います。
ゲームも、好きなだけやらせた方が、効果がありそうでした。
長男に、年長の次男には、まだゲームが早い事を伝えると、
「次男が帰ってきたら、消す、か、お父さんの部屋に移動する」
と言ってくれました。
・・・
・・・
・・・
次男にも、基本的には注意せず、甘やかしていると、落ち着いており、
「明日も1番に幼稚園に行きたいな」
等の発言が、出る様になりました。
正直、まだ心に何か引っ掛かりはあるものの、2人共、自由にさせた方が、よさそうだな。
と、頭では、分かっていました。
93 理想の家庭像
93 理想の家庭像
子供を産む前、私には理想の家庭像がありました。
みんな仲が良く、自分の部屋には行かず、リビングに家族が自然に集まる家庭。
そんな理想がありました。
居心地の良い子供部屋を与える事にも、抵抗がありました。
実際、私自身が、そんな家庭で育ちました。
主人は真逆です。
皆、個々に部屋にいる。
家族でも、相手の事に立ち入らない。
そんな家庭で、主人は育ちました。
主人にとって、自分の部屋がない、と言うのは、
【死に値する】
と、言っていました。
それほどに、1人の時間、空間が必要な人です。
私たち夫婦は、育った環境も、もっている価値観も違い過ぎました。
私は、何かにつけて、自分の描く理想像を持ちすぎていました。
長男に関しては、
引きこもりは怖い。
それでも、一人部屋を作り、落ちつく空間を用意し、ゲーム類を並べる棚を作り、長男だけの場所を作ろうかな。
と、考えはじめていました。
理由は、幼い下の子達まで、ゲーム漬けになる事は、絶対に嫌だからです。
長男の部屋を作り、そこでゲームをしてくれたら、下2人への影響は少なくなる。
2歳の娘が、長男の物を触り、怒られることもなくなるはず。
リビングに長男がいないので、私のストレスも減るはず。
もう、好き放題やらせよう!と覚悟しつつありました。
92 強い嫉妬心
92 強い嫉妬心
2021.10.月下旬
長男が、夜中に枕を殴っていました。
私が、
「何してるの?」
と聞くと、
長男は、
「妹を殴ってた、あいつ思い出すと、むかつく、見るだけでイラつく」
・・・
妹が不在にも関わらず、ずっと妹の文句を言っていました。
嫉妬なの?
以前、幼馴染み3家族で、海外旅行に行きました。
帰宅後、私が、「またいきたいね!」と、言うと、
長男は、「嫌!お母さんが、ママ達と話していて、僕と話さないから、嫌」
と言いました。
その旅行で、私は長男と沢山遊んでいました。
長男も、友人たちと、毎日毎日、大はしゃぎで遊んでいました。
小さい頃は、弟を抱っこする事を許さず、可愛がられる妹を虐める。
幼少期、毎日外へ連れ出し遊んでいた事を、
「楽しかった?」
と聞くと、
「楽しかった」
「でも、お母さんは、弟といたよね」
「弟を抱っこしていて、僕とは遊ばなかった」
「僕は、お母さんと遊びたかった」
「だから、楽しかったけど、寂しかった」
「お母さんは、僕と遊ばないから、悲しい」
と言いました。
どうしたら、この子を満足させられるのだろうか?
91 藁にもすがる思い
91 藁にもすがる思い
一般的な相談所には行き尽くし、どこも、解決策を教えてくれないと気が付いた私は、
・家から1時間以上かかり、1時間7000円の占い
・中々予約の取れない1回5000円の姓名判断(印鑑屋)
・1時間10000円のオンライン不登校相談
手当たり次第、自分を安心させてくれる場所、を探し求めました。
占いでは、
・発達障害と健常児の境界線
・18歳の頃には落ち着く
・異常に負けず嫌い
・弟と同じ習い事で競争させない方がいい
・気が小さすぎる
・学校は嫌いじゃないけど、周りの目を気にしすぎ
・学校には行かないんじゃないかな、この子?
・気持ちを表現できないから、楽器などで感情表現させて
と言われ、
「やっぱり、発達障害なんだ!」
「やっぱり、病的に負けず嫌いなんだ!」
「やっぱり、感情表現が苦手なんだ!」
と、信じ込みました。
姓名判断では、
・一筋縄ではいかない子
・この、漢字が良くないんだよね、改名する?
・印鑑つくるとお守りになるよ
と言われ、印鑑を作るか検討し(結局作ってません)
1時間、10000円のオンライン相談では、 大学生のお兄さんとゲームをする事で、心が解けて、少しずつ回復するパターンもある、と言われ。
「1時間10000円か!回復するなら安いな!」
と、訳の分からない金銭感覚に陥り、 全ての事を真に受け、頭の中で、何が何だか分からなくなっていました。
今考えると、馬鹿らしいのですが、当時はまさに【藁にもすがる思い】 で、全ての事が、息子に当てはまる様に感じ、全ての事を試してみたいと思っていました。
それ程に、私は、正常の様で、正常ではなかったのだと思います。
そして、そんな私を止める人もいませんでした。
90 安心感の生まれ方
90 安心感の生まれ方
子供の気持ちに耳を傾けていると、可愛いな、と思えてきました。
次男が生まれてからの子育ては、ただただ大変でした。
楽しみながら子育てをしてはいませんでした。
「楽しませなきゃ!」と、思いながら子育てしていました。
私は子供が嫌いなのかな? と思う事もありました。
お義母さんは遠方に住んでいる為、年に一度しか会いません。
コロナ渦もあり、3年ほど会っていません。
優しく、芯の強さを持っているお義母さんは、
「不登校はどうでもいいよね、まず、親が元気になることよね」
と、私に言ってくれました。
真面目で、一生懸命な私の母は、私よりも心配そうでした。
「どうしたらいいんだろうね」
「困ったね」
「大変だね」
母は、孫の不登校のことも、その事で精神的に不安定になっている私の事も、すごく心配してくれていました。
上の姉はいつも、
「絶対大丈夫だよ。分かるもん!」
と、在宅ワークのパソコンに集中しながら、カラッとした感じで励ましてくれました。
「私、あんまり外さないよ」
「根拠はないけど、長男君は大丈夫だと思うよ」
大変な人生経験をしている姉が、重くなく、軽くもなく、
「大丈夫、大丈夫!」
と言ってくれると、私の情緒が安定しました。
その反応から、学びがありました。
「子供も同じ心理なのかな?」
「大丈夫だよ!」
と信じてくれる人といると、安心するのかな。
私は、子供に、安心を与えて育ててきただろうか?
気持ちを受け止め、包み込むように子育てしていただろうか?
私の不安、怒り、苛立ちを、子供達に伝染させてはいなかっただろうか?
・・・
圧倒的に後者でした。
89 医療センターの日
89 医療センターの日
2021.11.1
出発直前まで、どう長男を連れて行くか考えていました。
結局、寝ている長男を抱っこし、車に乗せ強行突破です。
朝早かった事もあり長男は車中、ずっと寝ていました。
到着し、寝ている間に手続きを済ませました。
呼ばれる5分前、
頭がボサボサで、寝ぼけた長男を、診察室前に連れて行きました。
長男:
「は?」
「なに?」
「どこ、ここ?」
「・・・」
診察の時間になると、畳の部屋に通されました。
主治医の精神科医、臨床心理士、学生の様な臨床心理士さんも2人いました。
日当たりが良く、ポカポカした部屋で問診が始まりました。
私が、予約時に記入した問診票は6枚。
事細かに幼少期の発育歴を書く欄がありました。
こんなこと、覚えていない!という質問がほとんどです。
それを、ペラペラめくりながら、主治医の先生が長男に話しかけました。
主治医:
「長男くん、はじめまして」
長男:
「・・・」
主人の腕を掴み「何これ?」
主人:
「ん?」
主治医:
「長男くんのこと、色々教えてもらおうと思うけどいいかな?」
長男:
「嫌だ」
「怠い」
「つまらない」更に強く、主人のうでをつねりました。
主人が、
「痛たたた・・・」
と身体をひねっていました。
長男は、
「ねー、なにこれ」
と言い、私を睨みつけ、部屋から出て行きました。
心理の先生が別室で心理検査をしようと長男を誘いました。
長男は、断固拒否し、
「病院内にいるのも嫌だ!」
と言い、主人と外へ出かけました。
私だけ、部屋に残りました。
長男が部屋にいた時間は数分です。
主治医 :
「本人、無理ですね・・・」
主治医の先生は、問診票にかかれた発育歴を一つ一つ確認し始めました。
今の状況を話そうとすると、主治医の先生は、こう言いました。
・問診票に沿ってこちら(主治医)が質問をします
・時間内に、全ての質問が終わらない可能性が高いです
・今の状況を聞く時間はありません
・次回は12月3日
・その日は問診票の質問の続きをします
・発育歴を分析します
・偏りのある性格を、どう組み込み、上手く付き合っていくか、の指導になります
ただただ、問診票に書いた内容を、主治医が確認し、その日は終了しました。
長男は、親への不信感を露わにしていました。
主人は、
「ここ意味あるの?」
と、私に聞いてきました。
「私が知りたいわ」
と言いたい気持ちを抑え、
「有名な病院だから、きっと解決策を教えてくれるはずだよ」
と言い、帰路につきました。
あれ程待ち望んだ医療センターも、結局意味がないの?
解決策どころか、今の状況も話せませんでした。
長男は、
「2度と行かない!」
「絶対行かない!」
と、断固拒否しました。
次は1か月後、、、
結局解決策は分からない。
もう、克服ママの方法を実践するしか選択肢がないじゃん!
88 キャンプ場にて
88 キャンプ場にて
2021.10.30.31は海辺のキャンプ場に行きました。
子供にペースを合わせると、出発予定の8時半から大幅に遅れ、昼過ぎになりました。
行き道、主人は長男にゲーム解禁を伝えました。
約束事は、特にしていません。
長男は大喜びでした。
次男は、「僕は?」と、複雑な顔をしていました。
長男は頭の中がゲームに支配されていました。
海の見える、そのキャンプ場で、ずっとゲームの話をしていました。
長男:
「お母さん!」
「お母さん!」
「これ知ってる?」
「これは?」
「売ってるんだって、知ってる?」
ゲームの話しかしません。
一呼吸もおかず、話しつづけます。
エンドレスです。
その日、ネット購入したのは、
・3DS本体
・DSのソフトは8個
購入後も、
「これ欲しい。」
「これも欲しい。」
と、ネット画面を見せてきました。
当時、長男が欲しがったゲーム機は、なぜか3DSでした。
良かれと思い、我慢させてきた反動なのだろうか?
自制できない病気なのだろうか?
次男は火で遊んだり、子供らしく楽しんでいました。
長男は、ケビンの押入に閉じこもり、ずっとスマホでDSのソフトを探していました。
主人も、
「取り憑かれてるみたい、なんか怖いね・・・」
と言い、顔が引き攣っていました。
「これも」
「これも」
と言い続ける長男の姿は、私を不安にさせました。
今までの頑張りは、何だったのだろう。
何の為に、頑張って我慢させてきたんだっけ?
しんどくても、暑くても、寒くても、毎日外へ連れて行った日々は無駄だったのかな?
長男の会話に相槌を打っていましたが、この先どれ程ゲームに没頭するのだろう、と言う不安と、永遠に続く同じ話にうんざりし、私は席を外し、1人で海を見にいきました。
肌寒い日で、暗闇の中で聞こえる波の音が心地よく、脳内のもやもやを消してくれるようでした。
繰り返し、繰り返し、ずっと、同じ話をしているな。
相手の気持ちは考えないのだろうか?
その日は、ログハウスの鍵を開けるのは僕のみ!
と決めているようでした。
鍵を、絶対に誰にも渡しません。
あー!いちいちめんどくさい!
帰りの車の中で長男はご機嫌でした。
「ゲーム買ったら、友達とゲームの話出来るなー。」
と嬉しそうでした。
それを聞き、私は後で主人に、
「やっぱり、ゲーム話題についていけなかったことが、大きい原因なんじゃない?」
と言いました。
主人は、
「最初から言っているけど、原因探したり、理由探す事に意味はない。根っこだと思うよ。」
と言っていました。
私は主人の言ったその意味を、あまり深く理解していませんでした。
87 得体の知れない不安感
87 得体の知れない不安感
2021.10月下旬
遠足の日以来、長男は、ずっと怠そうでした。
身体を引きずりながら歩いている事が増えました。
ことある毎に「遠足に行きたかった。」と言い、昨晩は夜中まで泣き続けました。
次の日、お昼近くに起床した長男に、
「次男と公園いくよ!」
と、誘いましたが行きませんでした。
「youtubeを見てみたい!」
と言うので、パソコンを渡し、次男と出かけました。
その日が長男にとって、初めてのyoutubeだったはずです。
18時過ぎ、帰宅すると、出発時と同じ体勢でパソコンを見ていました。
机に置いた食事には、手を付けていません。
うわぁ、6時間ずっと見ていたんだ・・・
当時の私にとって、6時間は信じられない程長い、デジタル時間でした。
克服ママとのラインを、繰り返し、繰り返し、読んでいました。
落とし込め!落とし込め!と熟読し、イメトレしていました。
少しずつ脳に馴染み、だいぶ覚悟ができてきました。
ゲームで満たせば、下の子に暴力を振るわないかもしれない!
そしたら、娘と暮らせる!
「学校に行かなくても、大丈夫なんだ!」
と、割り切ると、楽になりました。
楽になったり、急に不安感に襲われたり、その繰り返しでした。
自分が、何に囚われているのか、よく分かりません。
何に対して不安になっているのだろう?
なぜ、学校に行って欲しいのだろう?
そもそも、何の為に学校って行くんだっけ?
私は一体何を求めているのだろう?
この、得体の知れない不安感はどこから来るのだろう?
そんな疑問が頭の中に浮かび始めていました。
86 覚悟が出来ない
86 覚悟が出来ない
学校(居場所)探しは継続していました。
当時の私はこんな事を思っていました。
・電話応対が良かったオルタナティブスクールがいいな
・3ヶ月以内に募集があるかもしれないと言っていたな
・3ヶ月か・・・すぐだな、焦るな
・専門家の話を聞き公立はあの子には向かないと判断しよう
毎日ラインで相談する私に姉は:
・内容は良さそうだけど、通学が大変じゃない?
・不登校が始まって1ヵ月しか経っていないし、まだ様子見でよくないかな?
・少しずつ前進していることない?
・その件も医療センターで相談してみてはどう?
と助言してくれていました。
長男はゲームを買ってほしくて私を竹でずっと叩いていました。
そんな長男の姿を見て私はこう感じました。
・ゲームを与えるタイミングを逃してしまったな
・小さなうちから自由にゲームをさせておけばよかったのだろうか
・長男の目が怖いな
・叩かれていて、痛いな
先日相談した息子さんを不登校から克服させたママに相談しました。
ママが私に教えてくれたのは、次のような事でした。
・行き渋りが始まった頃、布団にくるまり、起きてこない息子を叩き起こし、「学校へ行け!」と、怒鳴りつけていた
・息子はどんなふうに育ち、どんな子になるのか震える程不安だった
・パパからは、まずは心を満たすため、ママは、本人の望みを全て叶える様、アドバイスがあった
・パパのアドバイス通り、どんな要望も快く聞き続けた
・アドバイス通り、要望を叶えれば、いずれ良い子になるのでは、と期待があった
・要望を聞き続けたら、エスカレートするだけではないのか、と不安もあった
・継続した結果、1年半後、中2の夏休みに本人から「学校へ行く」と、言い出した
・不登校開始から2年経過した、中3始業式から宣言通り復学した
・ゲーム依存症になってもいい、と割り切ろう
・わがままを聞き続けても、わがままにはならない
・子供は愛されている、大切にされている、何でも気持ちを聞いてくれる、決めつけられない、等を永遠にやっていると変わりだすよ、身をもって体感したよ!
克服パパは、育児について、次のような考えをもっていたそうです。
・本人の意思を尊重しよう
・気持ちをしっかり聞いてあげよう
・嫌がる事はやらせないようにしよう
・ママは本人の要望を全て受け入れる様に
・どんな無理難題でも絶対に聞こう
・聞く事で、親は自分の気持ちを大切に受け入れてくれていると感じるはず
・子供はどこまで親が許すのかを試している
・要望を聞く事はしばらくお金が半端なくかかる
・それでも、全て要望を聞く様に
・学校は行きたいなら行った方がいい
・行きたくないのなら行かなくて良い
・無理に行かせても余計に学校が嫌になるだけ
・心を壊し仕事まで出来ない大人になる方が困る
・本人が行きたくなるまで待とう
克服ママの話を聞いても、半分以上、消化できず、次のような心配が沸き起こってしまいました。
・永遠にこのまま?
・1、2年の間だけ。高校は行く。等未来が見えていたら平気
・本人も8歳、下の子達への影響が気になる
・長男に相談しながら約束は作りたい
・昼間ずっといるので、長時間ゲームと言われそう
不安な気持ちを話すとママはこう言いました。
・同じように思った時がある
・完璧に過保護にした子だけが満足し、納得し立ち直っている
・約束を守らせる事は意味がない
・自分で決めさせ、自分で動かす事が重要
私は実家近くに引っ越したい事を伝えました。
理由は以下です。
・不安定な3人の子供達としっかり向き合って育児する事が限界
・長男がインターホンが鳴ると激しく怯える
・長男が転校したいと何度も訴えている
・サポーターが居る事で私自身が安定する
・助けてもらえば子供達が健やかに育ちそう
それを聞いたママはこう助言してくれました。
・夫婦が離れるのは反対
・自分のせい!となり兼ねないよ
・お父さんが大好きなら尚更良くない
・ただし、ママ(私)のメンタルが限界なら優先順位を考えるべき
・踏ん張れるなら夫婦は一緒が良い
私はぼんやり、こんな事を思っていました。
長男は友達もゼロになるしな・・・
引っ越すなら4月から次男小学校入学のタイミングに合わせたいな
家を買っちゃった!しまった!
娘の幼稚園、次男の小学校、長男のフリースクール、実家近くを調べ始めました。
どれ程克服ママの話を聞いても私は完全自由にする覚悟がなかなか出来ませんでした。
85 身近な人たちの意見
85 身近な人たちの意見
主人に、克服ママから、過保護にすると良い、と言われた事を伝えました。
伝えた時の、主人の反応はこうでした。
・過保護にする事は大賛成
・注意しなくていいなら気持ちが楽
・躾が苦手な為、むしろ嬉しい
私は、こんな事を思っていました。
・下の子への影響を、考えながらルールを、本人に作らせなければ
・全て、本人に決めさなければ
・テレビやゲームを、何時間にするか本人と相談しよう
・長男以外の家族がテレビ見れる様にするにはどうしたら良いか本人に聞こう
・自己中心的な回答だとしても今は受け入れよう
・繰り返し繰り返し改善されるまで同じ質問をしていこう
・その都度考え、試行錯誤しよう
義理の母から主人に再度メッセージが届きました。
・学校は行かなくていい
・家族でゲームを楽しめばいい
・家庭を本人が生き生きする場所にする
・ありのままを受け入れる
・わがままを聞く
・信頼を取り戻す
・ほめる
・自分で考えさせる
・皆違って、それでいい
・本人希望なら祖父母宅でゆっくりする事も可
・相手を変えたければ自分が変わらなければ絶対に風向きは変わらない
・不登校の子ではなく、人間として接する
・1人の人として大切に温かく接する
・現状から決して逃げずに解決方法を2人で探す
・方向を決めたらブレずに進んで行けば必ず良い方向に向かうと思う
・頑張れ!
義理の母はいつもこんな感じでした。
とても温かく、とても優しい。
長男が学校に行かない事にも全く動揺しなかったそうです。
不登校後に出会ったどのカウンセラーよりも的を得ている気がしました。
実家の父も姉にこんな事を言っていた様です。
・とにかく、心身を壊さない様に
・不登校の件は、長男の好きにやらせたらいい
・開き直ればいい
・自信持って、好きな様にさせたらいい
・色んな人がいて当然
・辛い時はいつでも頼りなさい
・自分が壊れてしまうなら、逃げたっていい
私は環境に恵まれていました。
誰一人何故学校に行かせないのだ!
お前が甘いからだ!
わがままにさせるからだ!
等の否定をする人はいませんでした。
身近な親族全員が温かく、手助けする姿勢を見せてくれていました。
それだけで、心が軽くなりました
84 寮を薦められる
84 寮を薦められる
2021.10月下旬
姉から聞いた話です。
「臨床心理士さんの中3の娘さん行き渋り。塾は行かなくなって成績ガタ落ち。家で寝てばかりいるって。病むよ、妹さんの気持ち分かる、て言ってた」
それを聞いて私はこう思いました。
・相談に乗る側の臨床心理士さんが親でも不登校になるの?
・なんで?
・誰が解決策を知っているの?
長男は、眠い眠いと機嫌が悪く、小さい子の癇癪の様でした。
疲れ、ストレスで感情コントロールが出来なくなるのだろうか。
休日は皆んな休みだから気持ちが軽くなるようでした。
私は長男に対し、
・わがまますぎる
・無理難題の度が過ぎている
・イライラしてしまう
と、感じていました。
私が吹っ切って明るくしなければ!
先日公園で会った不登校の娘さんを抱えるママが相談先を紹介してくれました。
NPO法人の方です。
発達に偏りのある子供が伸び伸び過ごせる空間を作る活動をされていました。
旧自宅を開放しイベント等をしていました。
息子の状態を話ました。
あまり記憶にありませんが覚えている会話は以下です。
・とにかく抱きしめてあげて
・息子が発達に偏りがあり学校で虐めを受けていた
・息子は虐められている事に気が付いていなかった
・家ではいつも息子とぶつかっていた
・色々難しく関係が悪化の一途だった
・旦那は子供達が幼い頃に亡くなっている
・1人で子育てをしていたから、わーーーーっとなっていた
・息子の成績がとても良く、中学から全寮制を薦めた
・息子は気に入り、無事合格し寮生活
・以後一緒に暮らしていない
・娘からは逃げたね、と言われるが選択肢は無かった
・あのまま暮らしていたらお互い不幸だった
・あなたの息子さんも寮も考えてみたらどう?
と言っていました。
NPO法人の方の長男に対するアドバイス:
・抱きしめる
・下を殴ろうとしていても、下を庇うのではなくその子を抱きしめる
・ゲームは、、、依存症になる
・それが怖い、抜けれなくなる
・ゲームは薦めない
そんな話だったと思います。
急なアポイントだったので子供達は友人の家に急遽預けました。
NPOの方:
「工作が好きなら面白いブロックがある。息子さんと作ったら?」
と未完成のニキーチンの積み木を見せてくれました。
私はそれを購入し家に帰りました。
その日の夜息子は早速夢中になって積み木をどんどん完成させていきました。
長男:
「お母さん、出来たよ!」
「これも出来た!」
「すぐ出来るよ!簡単だよ」
「見てみて!」
次の日長男と一緒に無色だった積み木に色を塗り遊びました。
今回の相談で私はこう感じました。
・ゲームは依存になると言われた、どうしよう
・寮に入れ、子供と離れる事は私には出来ない
・あまり心の動く相談場所ではなかった
・やはり克服ママのやり方しかしっくりこない
・でも、完全自由にする覚悟も出来ない
寮を薦められたことに、主人はこう意見しました。
・寮に出したら楽だろうね
・それでも今の信頼関係のまま寮には行かせられない
・今寮に入れたら2度と長男との信頼関係は築けない
・厄介払いしてはいけない
・子供がそれを感じ取った場合修復は不可能
・元気で、本人が強く希望なら賛成
・今は違うと思う
・親との信頼関係をしっかり築く事が先
そうだよね、私も同じ意見でした。
83 学校でのゲーム話題
83 学校でのゲーム話題
2021.10月下旬
長男の学校探しは継続していました。
今は行かせたら悪化するのではないか?
時間が経ち、高学年になると行き辛くなるのではないか?
焦るな。
困ったな。
どうしよう。
長男はよくこんな事を呟いていました。
・自由な学校に行きたい
・宿題がない学校がいい
・女子がいたら、嫌だ
今はどこにも行きたく無さそうでした。
私は公立ではなくフリースクールや自由な学校が良いと思っていました。
行き渋りの時よりは荒れない。
基本穏やかでした。
学校を断絶したからだろうか?
家が平和でした。
学校に戻したくない、子供が荒れる生活はもうごめんだ!
私:
「みんな、学校でゲームの話とかするの?」
長男:
「ゲームの話しかしてないよ」
私:
「みんながゲームの話してる時、分からないよね?」
長男:
「うん、全然分からないよ」
私:
「辛くなかったの?」
長男:
「別に、全然、知らない事知れるから面白いよ」
「楽しく聞いてるけど、段々頭が怠くなって席を離れたりしていたよ」
私:
「そうなんだ、買ってって言えばよかったのに」
長男:
「言ったら買ってくれたの?」
私:
「あ・・・」
長男:
「ゲームの話は分からないから、僕折り紙頑張ってたんだよ」
「むちゃくちゃ難しいのを作っていたんだよ」
「でも、折り紙に興味を示すのなんてほんの一瞬なんだよ」
「すぐ、ゲームの話になるんだよね」
長男は一時期、毎日毎日、むつかしい折り紙を折っていました。
細かい作業が得意で丁寧に一生懸命折っていました。
友人に頼まれている様でした。
私は、今どきの、ゲームばかりしている子供ではない事を喜んでいたと思います。
娘を実家に預けてからの長男は安定していました。
全く反抗してきません。
娘が不在でも娘批判はずっとしていました。
「うざい、うるさい、ブス、デブ」
娘の事を皆が可愛がるから嫉妬しているのだろうか?
不思議と次男とは喧嘩しませんでした。
私との会話も成立しておりとても優しくいい子でした。
娘と一緒に暮らしたい。
それでも、長男を立て直すには今の環境が良いのではないか?
1対1の時間を大切にしなくては!
家では安定していましたが人に敵意がありました。
すれ違う人、同じ空間で遊んでいる人を否定ばかりしていました。
以前は優しい発言ばかりする子でした。
最近は友人に俺はあいつらのおもちゃじゃない。
近所の子が来てくれても面倒な奴が来た。
まるで別人のようでした。
学校を休む様になってから以前の様に泣き叫び荒れ狂う事はありませんでした。
私自身がしっくりきた相談相手は不登校克服ママだけです。
他の相談機関はきれい事ばかりです。
現実的ではありません。
お母さん大丈夫ですか?
それは大変ですね。
・・・
・・・
大変なのは私なのだろうか?
子供を救おうと言う熱量がないのです。
加速させない様に。
子供をどう制そうか。
どう子供を上手くコントロールしようか。
親が楽になる方法を考える。
そんな感じでした。
不登校克服ママのやり方をするしかない。
腹を括ろう。
分かっている。
それしかないはず。
82 ゲームを与えるのか問題
82 ゲームを与えるのか問題
何だか私はすごい子を産んでしまったのだろうか?
長男はゲームの事しか頭に無い。
泣いてゲームを買え!ゲームを買えしか言いません。
ゲーム依存に陥る事を恐れている私は快諾出来ずにいました。
「しね!」
「殺す」
「次男死ね!」
「殺す」
そんな言葉を永遠に言い続けています。
我慢が全然できない!
昨日はとても穏やかだったのに!
望みが叶わなければすぐに暴れ出す。
取り憑かれた様に
お母さん
お母さん
お母さん
お母さん
お母さん
お母さん
お母さん
ずっと言っています。
もう・・・参る・・・
長男が、また、荒れ始めました
「馬鹿どもが」
「あほ死ね」
「死ね死ね」
物に当たり、ずっと暴れています。
精神病患者の様だな・・・と、唖然としていました。
以前相談した不登校ママに相談しました。
ママは長男の状況を聞いて、再度、アドバイスをくれました。
・ゲーム買った方がいい!
・依存の心配より満たす事に集中したほうがいい
・信頼関係をまず作る
・一時期依存するけど大丈夫
・好き放題やらせた方が立ち直り早いよ
・昼夜逆転にも意味がある
・不登校児は昼間、みんなが活動している時間帯に罪悪感で辛い
・みんな休んでいる夜は、罪悪感が無くなる
・心軽くなるんだよ!
・親がルールや躾を譲れない、夫婦喧嘩する、そんな家の子が立ち直ってない
・とにかく過保護に
・バットで液晶テレビを割る程荒れた時期があった
・裸で近所を走り回っていた!
・脱ぎ捨てる服を拾いながら追いかけてたよ
・全ては恐怖の賭け
・でも、今のままでは子供は今のままでしかないよ!
・不安でも、ゲーム買った方がいい!
・まず満たす
・何をして満たすか、は、子供が決める
・全てはそこから!
・依存したら依存したまで
・仕方ないんだよ!
・不登校だった息子はゲーム無なんてありえない!って言ってるよ
真剣に考えてくれるママの話を聞いても恐怖で覚悟が出来ません。
でも克服ママの言う通りにした方がいいんじゃないか?
ゲームをしなければ長男は永遠にコミュニティの会話に入れない 。
時間決めてやるならいいけど。
8歳の子に無制限にしてもいいの?
そんな事ばかりを考えていました。
考えても考えても答えが出ずどうにかなりそうでした。
どこかでこんな記事を目にしました。
ゲーム障害の患者数。
はっきりと分かっていませんが、厚生労働省の調査では「ネット依存」が疑われる人は成人で推定約421万人、中高生で約93万人(2017年)ネット依存の約90%はゲーム障害です。
ゲーム依存になると、親では絶対に治せません。
なるべく早く専門外来に相談しましょう。
医療センターに行く時に相談してみようかな。
克服ママが他にもアドバイスをくれていました。
・カウンセラーは理想論しか言わない
・どこに相談しても意味がない
・きれいごと、ではない
・最後は親しかいない
・実際の不登校児を毎日世話した人にしか分からない事がある
・全て本人に決めさせる
・守れないかもだけどそれでも責めずに
・その都度その都度どうしたらいいか本人に相談する
・どっぷりハマって恐怖な時期あるけどそこを抜ける
・中途半端にやると長引く
・好きにやれば心が満たされていく
・何もしていないと罪悪感、劣等感で脳が疲れる
・エネルギーが減ってしまう。ゲームで楽しければストレスが無くなり満たされる
・心が疲れない
・不登校の子は心が空っぽ、空っぽで全部投げ出した状態だよ!
・心を満タンにするしかないんだよ!
・満タンにして初めて外に目が行く!
・毎回恐怖の賭けだけど やるしかないよ!
話の内容は凄く理解しています。
それでも。私の不安は消えません。
抜け出せるの?飽きるの?
最長1日3時間を守らせたいな。
親が決めたら意味がないって言っていたな。
姉はあまりゲームに賛成ではありませんでした。
「息子の友達、ゲームで引き籠り、親に暴力の子沢山いるよ!」
え・・・
怖いな・・・
賭けか・・・
どうしよう・・・
まさかの展開だな・・・
えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
どうしようーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
81 次男を満たしてみる
81 次男を満たしてみる
次男まで本格的に幼稚園に行かないと言い出しました。
幼稚園では毎日楽しく過ごしてるのに行きません。
長男がその頃夜寝ず次男の就寝時間も遅くなっていました。
悪循環すぎる。
次男を起しても意地でも起きません。
起きないという決心をして布団にしがみ付いています。
布団から出てこないのです。
無理やりは引きずり出せませんでした。
頑固だな。
起こそうとすると、次男は、
「うるせーーーー!」
と、睨みつけてきます。
やっと起きた!
次は、朝食の文句を叫んでいます。
食卓に用意した朝食を見て次男は、
「ベーコンエッグのベーコン少ない!」(激怒)
「黄色い部分いらない!」 (机をバンバン叩いている)
「米!」
「やっぱパン!」
「やっぱ米!」
起こす事から始まり、ひたすら感じの悪い次男にイライラしていました。
イライラする感情を抑え込み、次男に
「わかったー。」
「ベーコン沢山で新しいの作るね。」
「黄色い所、お母さん食べたい!ちょうだい!」
「教えてくれて、ありがとう。」
次男はキョトンとしていました。
拍子抜けしている様でした。
次男:
「・・・」
「新しいのはいらない!これでいい!」(怒るのが少し緩まる)
私:
「パンとお米両方置いておくから好きな方食べてね。」
次男:
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「今日、僕、1番で、幼稚園、行こうかな・・・」(普通)
と自分で服を着替え、支度を始めました。
不登校克服ママに言われた満たす。
【言う事を聞く】を次男に実践してみました。
あー、この方が楽。
でもこれでいいのかな?
楽だけどわがままにならないの?
大丈夫かな?
80 ゲーム依存症について(ネット情報)
80 ゲーム依存症について(ネット情報)
ゲーム依存症について調べました。
【ネット情報引用】
最近のゲームはとても面白い。これは、不登校とか関係なく、そもそもネットゲーム全般、とくにマインクラフトなどのヒット作はめちゃくちゃ楽しい。子どもたちはあっという間にハマってしまう。
ゲームがつまらないものであれば、子どもは自然とゲームに飽き辞める。そうならないようにゲーム会社(有能な大人たち)が嗜好を凝らして、飽きない製品を次々と開発し続けている。ゲームを好きになった子どもたちはなかなか辞められない状況が必然的に続く。
この時、学校に行かず不登校で、自宅で何のルールもなく、無制限にゲームをやれる環境にあれば、依存は必然といっても良い。
2018年に大ヒットしたゲームの一つに、「マインクラフト(通称、マイクラ)」というゲームがある。
このゲームは本当によくできている。ずっと家にいる子どもには魔性のゲームといっても過言ではない。
映像だけ見れば、荒いポリゴンみたいな感じ。いかにも普通のゲームだが、実はかなり自由性の高いゲームになっている。
ゲームをあまりやらない大人がパッと見ただけでは、「いかにもゲームじゃん。何が面白いの?」と感じるかもしれない、実際にプレーしている子どもたちにとっては、彼らの欲望を満たしてくれる仕掛けがたくさんある。結果病みつきになる。
実際にハマっている子どもたちの中には、寝食を忘れ、徹夜でゲームの中の建築業に打ち込むほど熱中できるゲームシステムになっている。(徹夜は一人でなく、友達と一緒に夜通しで建築でき、スゴイ世界になっている。)
そういったネットを通じての楽しい時間を、ゲーム友達たちと昼夜一緒に過ごし、彼らはかけがえのない充実感を得ている。
マインクラフトを例にした時のゲームで得られる充実感
・達成感
・仲間意識
・皆で一緒に感情を爆発させられる
・自尊心
⇒本来、これらの欲求は現実社会でのみ満たされるもの。しかし、これがゲームだけで満たされてしまう。余計に現実社会に戻りたくなくなる。(まるで充実した部活動に所属して活動しているかのような感覚が得られる。)
このように、最近のゲームというのは、昔のゲームのように「終わり」が設定されていないことが多い。ネットを介して全国の同じ趣味を持つ人たちと交流しながら取り組むことができ、学校に行けず、外にコミュニティを持たない不登校・ひきこもりの子にとっては依存する要素しかない。
依存する要素しかないって書いてある!
マイクラも!
どうしよー!
長男はもう頭がゲームの事しかありません。
79 公園にて
79 公園にて
今日は公園に来ました。
公園に行くと幼稚園時代のママと長男の同級生の女の子がいました。
私:
「あれ?学校休み」
ママ:
「違うよ、~ちゃん、学校行けてないの、GW明けから」
私:
「えーー、うちの子もだよ」
ママ:
「そうなんだ!」
私:
「~ちゃんは元気なの?」
ママ:
「元気になってきたよ」
「前は全く笑わなかった」
「それでも私は手を引っ張ってでも連れて行こうとしてたよ」
「無理やり裸足で車に押し込んでた」
「そんな事を繰り返してたら、全く笑わなくなって、最後は食事中に顔面蒼白して吐いちゃったの」
私:
「・・・そっか」
ママ:
「それで、あ、もう駄目だ、これ以上は無理しちゃだめだって」
「旦那さんも、行かせるな!って」
「旦那さん今海外だから、電話でしか状況話せないんだけど」
「そこから全く行ってない」
私:
「じゃー、もう半年くらいだね」
ママ:
「そう、どこに相談行っても何にも解決しないから、今は私とゆっくり過ごしてる」
私:
「そうなんだね。暴れたりしなかったの?」
ママ:
「全く」
「ただただ無」
「本当に無」
「固まってるって感じになっちゃった」
「表情が全くない」
私:
「心配だよね」
ママ:
「そうだね、、、慣れてきたけど、たまにうぅぅぅって気分になる」
私:
「わかりすぎる・・・」
ママ:
「でも、~ちゃん昔から私から離れられないんだよね」
「幼稚園後の公園でもいつも私と遊ぶんだよね」
「長男君滅茶苦茶皆と走り回ってたことない?」
「なんで、この子は友達と遊ばないんだろうって凄い思ってた」
「今は担任と合わないみたい」
「なんか、発表があって、その発表の順番が来る、順番がくる、嫌だ!みたいなのがスタートみたいなんだけど」
「発表終わっても行けないよね」
「友達に会えないとかは全然ないんだよ」
「でも、遊ぶ元気がないかな・・・」
不登校結構いるんだな・・・。
帰り道に長男は私に
「俺は今ずっとズル休みしてるから」
と、呟きました。
ずる休みと思っているんだ・・・。
公園に居る間、長男は全然笑いませんでした。
表情がキツく、柔らかさがありません。
知り合いに会うのを嫌がるので、遠方の公園に行きました。
夕方頃同年代の別の学校の子供たちが元気に遊び始めました。
長男の顔つきがかわり
「ウザい」「うるさい」等言い出しました。
昔はあの中に当たり前に長男の姿があったのにな・・・。
78 ゲームを与える選択肢
78 ゲームを与える選択肢
主人もゲームを今与える事に抵抗がありました。
何か別の方法はないか?とオンライン授業のプログラミングを探していました。
ゲームを与える事への主人の意見はこうです。
・オンラインプログラミングなら時間決まっており、良いのではないか?
・長男は自分(主人)の脳と似ているので、危険
・はまってしまう
主人がゲームの話をすると長男はゲームの質問しかしなくなりました。
ずっとゲームの話を続けています。
私はこんな不安こ抱えていました。
・今始めるのは怖い
・ゲーム依存になったら大変
・学校行っていたらいいけど
・一日中ゲームはありえない
・長男の頭の中はゲームだらけだ
・引き籠り加速してしまう
・与えなきゃ回復しないのだろうか
・家にずっといる、ゲームを買ったら依存になるのではないか
・どうしたらいいのだろう。難しい
覚悟が出来ません。
次男にゲームを与えるのかも悩みの種でした。
・次男も話題に入れない思いをするのはよくない
・次男にも与えるべき?
・本人が買ってと言うまで買わなくていいのではないか?
・買ってと言ってくるだろうか?
・次男はまだ年長さんだ
・早い気がする
・長男と同じ思いをさせたくない
・欲しいと言われたら考えればいいのか?
もう、どうしよう。
どうしたらいいんだろう?
ゲームが欲しいか次男に聞いてみました。
次男:
「あー、まー、やりたいかな」
姉は反対していました。
「ゲームで不登校の子、今めっちゃいるよ」
「今与えたら危険すぎない?」
「せめて時間制限したら?」
「8歳だから、流石に無制限はやばくない?」
えーーーーーーーーーー。
ゲームしたくて不登校になっちゃうのーーー!
このタイミングでゲーム渡したら不登校克服できなくない?
でも、渡さなかったら克服してもまた話題に入れない!
もーーー、どうしよーーーーーーーーー。
77 遠足
77 遠足
明日は遠足です。
2人で中華料理屋さんでご飯を食べていました。
私は恐る恐る長男に聞いてみました。
私:
「遠足どーする。」
長男:
「行きたいな。」
私:
「バス、仲良しの子の隣にしてくれたらしいよ。」
長男:
「でも皆んなに何て言おう。」
「おばあちゃん家に行ってたって言おうかな。」
私:
「じゃおやつ買いに行く?」
長男:
「、、、」
「無駄になっちゃうかもだから。」
私:
「無駄になってもいいんだよ。」
長男:
「買いに行かない。」
私:
「そっか。」
結局おやつは買いに行きませんでした。
遠足の日もお休みしました。
その日の夜中、長男は突然泣き出しました。
長男:
「遠足行きたかった、遠足行きたかった、」(号泣)
怒りをぶつける様にウーウー唸りながら泣いています。
布団をグーで叩き涙がぽたぽたぽたぽた布団に落ちていました。
長男:
「人生なんて何にも楽しくない。」
「もう嫌だ、死にたい。」
そんな事を叫びながら1時間程泣き続けました。
言葉が見つかりません。
背中をさすりながら私は、
「そっか。」
「行きたかったね。」
しか言えませんでした。
十分泣き、落ち着くと長男は、
「ゲーム買えば楽しいかも。」
と泣き腫らした顔で言いました。
ん?それを伝えたかったかな?
私:
「そうだね!」
学校に行かなくなったタイミングでゲームを始めるのは怖いけど、買うしかないかな・・・。
76 壊れ行く夫婦関係
壊れ行く夫婦関係
長男を友人の家まで迎えに行かなくちゃ。
お泊りしたからお礼にお昼ご飯買って持って行こう。
あーお洗濯もまだだ。
サッカー観戦のお弁当を作らなきゃいけないな。
えっとー、DVDも返さなきゃいけないーーー。
娘が遊んでって纏わりついてるな。
遊べないなーーー。
あー、お迎えに間に合わない。
急がなきゃ!
主人は奥で寝てる?
スマホ?
頼んでみよっかな。
私は言葉を選びながら主人にお願いしました。
「お迎え行かなきゃだから、洗濯やってもらっちゃおっかなー♡」
「もし返せたらでいいけどDVDって返しにいける?」
主人が明らかにむっとしたのが分かりました。
私:
「あ・・・、まぁいいや、自分で行くわーー。」
「でも、娘ちゃんと遊んでてもらっていい?」
「長男迎えに行かなきゃいけなくて!」
返事は無く、明らかに嫌そうに娘の前に座りました。
その日はサッカー観戦に行きましたが、主人と話した記憶はありません。
次の日の朝、不機嫌そうな主人に尋ねました。
私:
「何か言いたい事あったら言ってよ。」
「夫婦なんだから、話さないと分からない事があると思う。」
主人:
「言って意味があると思わないから、俺は言わない。」
私:
「そぅかなぁ?」
「歩み寄れる事もない?」
主人:
「・・・じゃー言わせてもらうけど。」
明らかに表情が険しくなりました。
「お前昨日、俺にDVD返してこいって言ったよな!」
「人を顎で使いやがって!!」
「人に頼むなよ!!!」
主人の借りてきたDVDは、いつも私が何も言わずに返却していました。
私:
「あ・・・でもさ、昨日長男のお迎え、お礼にお昼ご飯の買い出し、サッカー観戦のお弁当造り、家事も終わってなかったし、主人は寝てたから返してくれたら助かるなって感じで、出来たら返してきてって言ったつもりなんだけど、感じ悪かった?」
主人:
「俺は俺のタイミングでやりたい。」
「DVDなんて今日だろ。」
「俺を使うなよ!」
私:
「え・・・、そんなに怒る事?」
「本当に理解が出来ないんだけど。」
「返せないよ、とかで良くない?」
「何もしてなかったじゃん。」
主人:
「お前軸かよ全て。」
私:
「え・・・私軸じゃなくて子供軸だよ。」
「私のやりたい事なんて何一つしてない。」
「・・・何なのこんな生活、あー、逃げ出したい。」
主人:
「逃げ出せば。」
「まず、自分のアンガーマネジメントしてこいよ。」
「不登校を何かのせいにしてんじゃねーよ。」
「要するに、お前のせいだろ!!!」
主人は無言で扉を大きな音で閉めて会社に行きました。
あ・・・無理。 本当に無理。無理。無理。無理。
自分の中で、怒って話している感覚が全くありませんでした。
相手がどう捉えていたかは分かりません。
争いが嫌だから、原因を取り除こう!
何でこんなに機嫌が悪いのだろう?
と話掛けていました。
相手に文句を言おう!と思っていませんでした。
それでも話合いは出来ない。
無理だ。
何とも言えない絶望感がありました。
歩み寄っても受け止められない。
子供3人の面倒を見ながらフル稼働で動いて、少しのお願いでもダメなんだ。
全て自分でやるしかないんだ。
あー、この先ずっとこうなのかな。
嫌だな・・・
私は常日頃から主人にこんな不満を抱いていました。
・私の意見をこれほど受け入れられないって、どういう事なの?
・自分のペースが絶対過ぎる
・家族なのに協力出来ない
・頼みごとが出来ない
・自分1人で考え、自分1人で動いている
・長男の思考回路は完全に主人のコピーだ!
姉に愚痴ると、
「普段めちゃくちゃ優しいじゃん!ストレスがマックスになって、ぶちまけたくなったんじゃない?本心じゃないと思うよ」
そうなのかな?
主人は不登校について私とは違う風に捉えていました。
・そこまで心配していない
・心配したって事態は変わらない
・あなた程心配していない
・特別何かしようとも思わない
そう言って不登校の事を調べたり、相談機関に行く事は一切していませんでした。
75 インターホン
75 インターホン
2021.10.下旬
長男はこの日1日中テレビを見てダラダラしていました。
我が家はリビングが南道路に面しており誰がインターホンを押したのか見えます。
学校に来ない事を心配した同級生がインターホンを押しました。
長男は目を吊り上げソファをジャンプして1番玄関から遠い部屋の片隅へ逃げて行きました。
その部屋で頭から布団を被り震えていました。
ストレスを感じたのか人相が変わり妹に暴力を振るいました。
長男は私に向かって、
「おい!ばばあ!!!」
「あれやれよ!それやれよ!」
暴言を吐き命令しています。
こちらのお願いは一切聞きません。
その様子を見ていた姉が、
「もう、娘ちゃん、無理だね。」
「一緒は危険だよ。」
「可哀そうだし、連れて行くね。」
と言って、実家に連れ帰ってくれました。
夜、長男は部屋のブロックで遊び始めました。
楽しそうに遊びながら
「妹がいないと清々する。」
と、ブロックの散らばった床を見ながら呟きました。
娘は長男にひどい扱いをされる為、しばらく実家に預ける事にしました。
次男はとても不安定でした。
私と離れる事ができず、そのまま私と暮らす事にしました。
長男がこのまま暴れ続けたら、私は娘と暮らせないのかな?
小さいのに。
嫌だな・・・
74 不登校克服ママへの相談
74 不登校克服ママへの相談
2021/10/27(水)
長男の不登校後、調べた相談所へは迷わず行きました。
どこへ行っても解決策を教えてもらえませんでした。
姉の友人で息子さんを不登校から克服させたママがいました。
私は姉に頼み連絡先を教えてもらいました。
私:
「長男が不登校で悩んでて、相談乗ってもらっても良いかな?」
ママ:
「私で良ければ!」
「何歳?」
私:
「小3」
「~(ママの名前)ちゃんちは何歳からだった?」
ママ:
「うちは中1。」
私:
「え、、、うち早いよね。」
ママ:
「早い方が早く学校行くようになる子が多いよ。」
私:
「小学生の時は普通だった?」
「5年の時に怪しかったよ。担任が嫌で行き渋った。」
「校長先生がたまたま、息子を理解してくれて担任を指導して、6年まで行けたよ。」
「でも、力尽きて中1の3日目から不登校。」
私:
「1年とかは覚悟だよね。」
ママ:
「そうだねーそれ位の時間かかる子多いよ。」
私:
「そのまま行けない子もいる?」
ママ:
「いるよ。」
私:
「えー、、、」
ママ:
「でもまだ小3でしょ。」
「どんな感じか分からないけど、とにかく過干渉にならず過保護になる。」
私:
「うちは大人びてる」
・感受性強い
・プライド高い
・完璧主義
・マイペース度合い半端ない
・集団では合わせる
「で、私がガミガミ人格否定した。」
ママ:
「向こうからの要求にはちゃんと応えて、こっちからはあーだこーだ言わない方が良いよ。」
私:
「過保護になるといいのかな?」
ママ:
「うちの不登校だった子にそっくり!」
私:
「今までは真逆にしてた。」
「だった子!!!!過去になったのーーーー!!!」
ママ:
「過保護は向こうからの要求は全部飲む。」
私:
「物も?」
ママ:
「うちは買ってたよ。」
「え?って思うでしょ。」
私:
「うん。」
「エスカレートしないかとか心配だったり。」
「うちまだゲーム持ってなくて。」
「このタイミングで買うのは、、、」
「引きこもり加速させるかなって。」
ママ:
「でも買う事で心が満たされるから。」
私:
「えー。」
「今2人で居るけどめちゃくちゃ優しくていい子だよ。」
ママ:
「引き籠りに一度はなると覚悟した方が意外と早く治る子多いよ。」
私:
「めちゃくちゃ学校嫌ってても?」
ママ:
「2人でいる時は心が休まってるからだよ、きっと。」
私:
「学校爆破するとかだった?」
ママ:
「言う言う。」
私:
「そーなんだ、、、」
「ゲームもやりたい放題やらせるって感じ?」
ママ:
「やってたよ。」
「昼夜逆転する。」
私:
「依存症とかになっちゃわないかな〜とか。」
「特にゼロ、100ってタイプの子だから。」
ママ:
「うちの子もだよ。」
私:
「えー。」
「うちまだ下が2歳6歳だから。」
「今は全く元気になったのかな。」
ママ:
「何で学校爆破したいんだろ。」
私:
「不登校開始が小3で早くてよかったねって感じ?」
「女子がうざい、授業つまらん、体操座りやだ、時間のむだ。」
ママ:
「友達の子とか、友達の友達の子とか…結構沢山話聞いて来たけど早ければ早いほど立ち直るのも早いよ。」
私:
「心病んだのは長男が反抗する時私が暴言、暴力だったのが原因じゃないかな?」
「とにかく自由にさせるんだよね?」
私:
「今は長く休んでるから、何で休んだのって言われるのが嫌みたい。」
「心も学校行ける感じじゃ無い。」
「夏休み明けから行き渋りで10/12から完全に行かなくなったよ。」
ママ:
「過保護になれば治りそうな気がする。」
私:
「過保護ってどんなー。」
ママ:
「何で休んだの?って言われるのヤダよねー。」
「わかるわ。でも慣れる。」
私:
「気も小さい。」
「超絶繊細。」
ママ:
「まさしくうちの子と同じ!」
「過保護は要求を飲む。」
「交換条件を出さない。」
私:
「夏休みめちゃくちゃ切れて怒っちゃって。」
「旦那まで巻き込んで旦那とも怒鳴り合いになったんだよね。」
「で、私も息子にお前のせいだとか言っちゃったり。」
「この子だけなら聞けるけど、、、」
「立ち直り何年かかった?」
「つらいよね。」
ママ:
「旦那さんは家族だから巻き込めばいいんだよ!」
「何かを買った時はお金の大切さは話した方が良いよ。」
「うちは2年かかった。」
私:
「ゲーム欲しがってるけど。」
「引き籠りのタイミングで与えていいのか、凄い悩む。」
ママ:
「今は大学目指して頑張ってるよ。」
私:
「がんばったね!!!」
ママ:
「うちは不登校中に40万の犬買ったり、20万のゲーミングPC買ったりしたよ。」
私:
「わおー。」
「フリースクールとかは考えなかった?」
ママ:
「本人が行く気無かった。」
私:
「うちは自由が好きだからフリースクールでもいいなって思ってる。」
ママ:
「まだ、なり初めだから。」
「長い人生のほんのわずかな時間だから。大丈夫!」
私:
「対応間違いたく無くて。」
ママ:
「私が合ってるかどうかわからないけど…」
私:
「ずっと息子責めて。」
「わがままだの、こだわり強いだの。」
「お前なんかお前なんかって言ってた気がする、、、」
ママ:
「私も言ってたよ。」
「親だからちゃんとした大人になって欲しいから言っちゃうよね。」
私:
「うん。」
「とにかく躾けようとしない事だね。」
「不登校めっちゃ奥深いよね。」
「今は息子さんわがままとかじゃ無く普通に元気?」
ママ:
「躾なきゃいけない事もあるけど、基本子供が自分ファーストでいられる事が大事かな。」
「わがままは言うけど、普通に誰でも言う程度のわがままかな。」
「普通に元気だよ!」
私:
「じゃー、やりたい放題やらせてエスカレートとかも無いんだね。」
「あとは子供信じるしか無いかね。」
「小3でなった子も知ってる?」
ママ:
「やりたい放題やる時期は、親がかなりのストレスだし、もしかしてお金もかかるかもしれない。」
「エスカレートする子もいるけどそんな長い間じゃない子ばかりだよ。」
「小3はいないけど小5はいた。」
私:
「早いよね、、、」
ママ:
「今学校に行かせる事が大事ではなくて、大人になった時自立している事が大事だから 今無理矢理学校行かせて心が病んで大人になっても引き籠りで仕事もしない親のスネかじりになったら一番困るから。」
「子供のペースで行けるようになるといいよね。」
私:
「うん。」
「うちはチョット精神病入ってる雰囲気もあるよ。」
「暴れたり。」
「休む様になって落ち着いたけど。」
「たまに感情コントロール出来なくなるみたい。」
「暴言、暴力あったかなー?」
ママ:
「うちの子も暴れてたよ、行き渋りから行かなくなる直前がかなりやばかったよ。」
「一緒だね。」
私:
「やっぱり?」
「暴れたり、暴言、暴力も同じだね休み出したら治ったけど。」
ママ:
「そうだよ同じく。」
私:
「で、たまに、不安だか劣等感だか。多分辛くて学校話題がストレスで妹殴ったり。」
ママ:
「学校の話はしない方がいいね。」
私:
「了解!」
「もうしてないよ。」
今まで聞いてきた相談機関より全然役に立つ情報でした。
でも、うちはまだゲームが無い。
学校に行かないタイミングでゲームをあげるの?
今まで全くゲームを与えていなかった私にはとても恐怖の選択です。
考えても考えても覚悟が出来ませんでした。
掛けに出るしかないのかな・・・
73 不登校のタイプ別
73 不登校のタイプ別
2021/10/27(水)
インターネットにこんな事が書いてありました。
【情緒混乱・内向タイプ】
①定義
「気分の落込みや身体症状が起こり登校したくてもできなくなるタイプ 」
②特徴と留意点
学校に行こうとすると、頭痛や腹痛などの身体症状が起こり、登校したくてもできない状態に陥る 。
学校を休むことに対して罪悪感が強く、不甲斐ない気持ちや、自分を責める気持ちを抱いている 。
真面目で自分に厳しいため、少しくらいの成果では自分自身を認められなかったり、わずかなミスも許せないと思うような完璧思考の面がある 。
勉強もスポーツも人並み以上にでき、そのことが本人の頑張りを支えてきたことでもあるので、不登校になったということを受け入れられずに苦しんでいる 。
不登校になったきっかけや原因を話したがらない場合や、親を頼ろうとしないことがある。
③親や周囲のサポート
助けを求めること自体を許せないことがあるため、本人が「期待されなくなった」と受け取らないように、挫折感や絶望感を認め、いつも味方でいることを伝え、助けを求めるのを待つ 。
親が受け入れる姿勢を見せると、これまで親に対して抱いていた不平や不満をぶつけるようになる場合があるが、制止せずに一旦全て吐き出させるようにする。
心理的に安定してくると、将来についての不安や焦り生じてくるため、慰めるだけでなく、いろいろな選択肢があることを伝え、行動につなげていく。
④このタイプの強みと他のタイプとの関連
もともと集中力や思考力は高いタイプなので、パニックに陥らないように不安をコントロールする術を身につけて、自分のペースで学習を進められるようになれば結果が出やすい。
社交的でない側面があるが、無理をして周囲と同じように振る舞おうとせず、自分のできることや良さを認めていくと、人間関係が上手く行くようになる。
不安や焦りが人一倍強いタイプなので、子どもの気持ちを受け止めずに親主導のかかわりを続けると家庭内暴力などの問題を引き起こしたり、「神経症性障害を伴うタイプ」へと変化する恐れがある。
【神経症性障害を伴うタイプ】
①定義
「情緒的混乱が激しく神経症性の症状を発症しているタイプ」
②特徴と留意点
過大なストレスがかかったことにより、神経症性の症状が現れる。
代表的な症状は不潔恐怖(潔癖症)、醜形恐怖、解離性健忘(記憶障害)、摂食障害などがある
ストレスによってこれらの症状が一時的に起こるが、穏やかに過ごしていると症状が起こらない場合がある。
精神疾患の初期症状の可能性もあるため、思春期の症例に詳しい専門医を受診する。
③親や周囲のサポート
神経症性の症状が現れたときには、登校刺激になるようなことは一切やめ、精神的な休息が取れるように環境を整える。
できるだけ早く思春期の症例に詳しい専門のクリニックを受診したほうが安心だが、本人に病識がない場合は、通院を勧めること自体が気持ちを傷つけることになりかねないため、無理に病院に連れて行くことは避ける。
子どもにいつもと違うような様子があるため親は心や身体のことを心配しているということをきちんと伝え、納得させてから病院に行くようにする。
主治医の指示に従って治療を進めるが、克服するためには病気を治そうとする本人の意志が必要であるため、安定してきたら、少しずつ外出や運動、学習など同世代とのギャップを広げないための取り組みも取り入れていく必要がある。
④このタイプの強みと他のタイプとの関連
繊細でこだわりが強い性格を活かして、芸術や学習の分野で興味のあることに取り組み始めると、集中力を発揮し高いレベルで習得することができる。
他人とは違う感性を持っていても、周囲との関係を拒絶せずに、趣味や特技で繋がるようにしていくと人間関係が広がる。
「情緒混乱・内向タイプ」の一部が変化してこのタイプに移行する可能性がある
・・・
・・・
・・・
両方、びっくりする程長男の症状そのものでした。
両方当てはまる・・・
私はサイトの事を姉に話ました。
私:
「病院私だけで行けないかもう一回聞いてみようかな」
「連れて行かない方がいい気がする」
「行く気がしない」
姉:
「昨日の様子だと行かないだろうね」
私:
「気が済むまで休めばいいけど。転校したい!転校したい!言うから、転校した時に必要な健康診断って言うのはどうだろう」
「学校行けって言っている様に聞こえるかな?」
次男も不安症の症状でした。
小学校に向けて、先手打って精神科で療育しとこうかな・・・
72 総合医療センター
72 総合医療センター
総合医療センターの予約は11月1日です。
朝8時に予約を入れていましたが本人を連れて行かなければ診察してもらえません。
どうしよう、絶対に行かない。
連れて行き方の作戦を立てていました。
私:
「何て言って連れて行こう」
「朝早いし」
姉:
「お母さんと健康診断に行くよ。がよくない?」
私:
「嘘つくと後から半端なく面倒だから」
姉:
「でも、今回は連れて行くしかないもんね」
「前日に言うと更にややこしくなりそうじゃない?」
「帰りに好きな所に連れて行ってあげたら!」
・・・
私:
「長男は要求と主張が凄い」
姉:
「学校の臨床心理士さんが教えてくれた。特性がある子は、こだわりが強いし、興味がある事はやるけど、ない事は本当に苦痛らしいよ」
私:
「特性は絶対ある」
「だから学校なんて苦痛のみ!」
姉:
「その特性を医療センターで見極めてもらって、対策を指導してもらえると思うよ」
私:
「説明で判断?脳波?」
姉:
「発達スクリーニング検査をするんじゃない?色々な事やらせて様子見るんじゃない?積み木とか、箱庭とか」
「集中力とか、出来なかった時の反応とか、色々見るんじゃない?」
「とにかく一流の医者の集まりらしいよ!間違いないって」
「今日話した臨床心理士さんは、よっぽどストレス抱えてて、それを暴言や暴力で出しているんだろうね、本人も辛いよね、て言ってた」
「まずは総合医療センターまであと1週間! 」
「適切な診断結果が出て治療方も出るはず」
「それ以後はいい方向に、向かっていくはずだよ」
私:
「前回MRI撮ったからその続きの検査って言って連れて行こうかな」
姉:
「前日より、朝さらっと言った方が良くない?」
私:
「だよね」
家から出ようとしない長男を行きたがらない病院へ連れて行くのは一苦労でした。
説明すれば余計に行かないと言う。
行かないと言ったら2度と連れて行けない。
それでも最後の砦の総合医療センターには何が何でも連れて行かなければ!
でもどうやって!
予約日まであと1週間。
1週間我慢したら解決策を教えてもらえる!
対応の仕方が分かる!
私はどう連れて行こうか!
その事しか考えていませんでした。
71 どこまで聞いたらいいのだろう?
71 どこまで聞いたらいいのだろう?
この日は長男が1日中わがままを言っていました。
お昼に食べた牛丼がほんの少し残っていました。
それを私が捨ててしまいました。
夕方、長男がそれに気が付き、
「今すぐ買って来い!」
「早く買って来い!」
と泣き喚いていました。
この場合、買ってこればいいのだろうか?
わがままにならないの?
結局主人が買いに行きました。
その次は、家にあったおやつを次男と娘が少し食べました。
長男:
「次に買う時は僕しか食べちゃだめだ!」
「絶対に弟、妹には買うな!」
「買ってもらうのは僕だけだ!」
私は言葉には出しませんでしたが、こんな気持ちでした。
本当に疲れる
これがまさに長男だ
長男らしさだ
あぁ、この子らしい
飽き飽きだ
私の中の長男はそんなイメージでした。
自分が1番満たされた状態でいなければ気が済まない。
本当に疲れる。
毎日毎日気が狂いそうでした。
長男の言う事だけを聞くのであれば、何とかなります。
大人は我慢できます。
でも、次男や娘も黙っていない。
次男に買うなと言う長男。
僕にも買ってと言う次男。
同時に2人の願いを叶えられない。
ほとんどのシチュエーションでその繰り返しでした。
どちらの意見を優先するのか。
優先されなかった方が泣き喚きます。
想像を絶する泣き喚き方です。
もう、こんな生活やっていける気がしない。
長男に声を掛ける時はいつも気を使い神経をすり減らしていました。
何かにつけて、永遠に要求をしてくる。
その要求が叶うまで決して止めない。
これは今の長男だからではない。
長男は私の中で常に【こうゆう子】でした。
その日は娘もずっとギャンギャン泣いていました。
頭がキーンとする娘の泣き声と、長男の度を超えたわがままと次男の死んだ様な目つき。
私は:
「・・・」
「もう、耐えられない」
毎日毎日限界でした。
結局長男は主人が買ってきた牛丼を食べませんでした。
長男:
「同じ物なんて飽きる」
「違う物作ってよ」
私はあきれ果て、疲れ果てて
「いい加減にしてよ、わがまますぎるでしょ」(怒)
と白けた目つきで長男を見ながら言いました。
ごたごたしている横で娘は私の足にしがみ付きギャンギャン泣いています。
私はもう何も作りませんでした。
長男は怒りながら自分で何かを作り始めました。
用意された食事は食べません。
この子おかしい。
思いやりが全くない。
主人は何とか優しく対応していました。
娘の世話もしていました。
私はもう逃げました。
頭がおかしくなりそうでした。
この子は元々凄くわがままなの?
特性なの?
承認欲求?
所有欲?
寒いのに扇風機かけて寝る。
寒いと言えば風量を上げる。
嫌がらせ?本当に暑いの?
適応障害なの?
姉は:
「普段凄い優しい子じゃない?」
「わがままではなく、特性な気がする」
私:
「そもそも特性って何?」
姉:
「診断してもらって、療育をしていけば良くなると信じよう!!」
「暴言はぐっと我慢して頑張ろ!!」
頭が常に沸騰している。
対応の仕方が分からない。
どこまで許していいの?
どうしたらこの子を【いい子】に育てられるの?
あー、疲れた。
もー、嫌だ。
70 近所のフリースクールにて
70 近所のフリースクールにて
2021.10月中旬
長男が玄関から裸足で飛び出して、出かけようとする私を追い掛けてきます。
「お母さんどこに行くの?」
「僕も行く!」
「連れて行ってよ」
「ねーどこに行くの?」
私:
「用事があって出かけるだけだよ」
「すぐ戻るから」
完全不登校になってから長男は私が外出するのを怯える様になりました。
自分の知らない所で何かが進められているという不安なのか
裸足で車に乗り込んできて着いて行く!どこにいくの!どうして一緒に行っちゃダメなの?と喚きます。
私は何とか理由を付けて外出していました。
市内で水曜だけ開校のフリースクールが立ち上がりました。
今日は月に一度のアウトドア開校でした。
設立者は私と同年代の女性です。
今日はそこへ話を聞きに行きました。
その女性は中学生(男)、5年生(女)、2年生(男)、年長さん(女)、の4人のお母さんです。
第1子の長男が小3で不登校になったそうです。
その際色々考え前回私が話を聞きに行ったフリースクールに通う様になった、と言っていました。
子供たちが小学校に入学すると選択肢を与えるそうです。
①公立の小学校へ行く
②フリースクールへ行く
③ホームスクーリング(家で学ぶ)
④何もしない
毎日子供自身で選ばせる。
と言っていました。
幼稚園は片道50分ほど掛かる森の幼稚園に、毎日、通わせていると言っていました。
ほわーん。とした不思議な雰囲気の方でした。
その場には第2子の娘さんと第3子の息子さん、旦那さんがいました。
子供達は2人共マイペースで柔らかい雰囲気でした。
私の話を聞いて
設立者の女性:
「そうなんだ、心配いらないんじゃない?」
「学校が合わないんだよ」
「そもそも学校って行く意味あるのかな?」
と言っていました。
一緒に来ていたご主人を紹介してくれました。
物腰柔らかなご主人の事をこう説明していました。
・凄く沢山教育を受けてきた
・小学校では良い中学に入る為、中学に入ると良い高校に入る為、高校に入ると良い大学に入る為、大学に入ると一流企業に入る為、子供時代一度もその瞬間の為に生きてこなかった
・未来の為に子供時代を犠牲にしてきた
設立者の女性:
「今何してると思う?」
「無職(笑)」
「本人が隠さないで良いって言うから言うけど、精神病んで、会社辞めたの」
「笑えるでしょ。何の為に子供時代を必死に生きてきたんだって話」
「本人その気持ちが強いから、子供が不登校でも、まぁ、いいんじゃないって」
「息子は小4になって、しばらく公立の学校に戻ったの」
「担任の先生が楽しくて学校が嫌じゃなかったって」
「学校が嫌ではないからこそフリースクールか、公立か自分で考えてフリースクールに通う事に決めたみたい」
「詰まらなくてフリースクールに行ったら逃げたって思っちゃうから、公立も楽しいけどフリースクールを選んだって
思いたかったんだって!」
ご主人は女性の話を薪に火をおこしながら、にこにこ聞いていました。
私には
「その子(うちの長男)大丈夫な気がするな」
「話聞いてると大丈夫だと思う」
何故大丈夫と思ったかは聞いていません。
その場にいた2人の子供達は、親に
なにしていい?
これしていい?
等の質問は一切せず、自分たちで考えて動いている感じがしました。
親の目を全然きにしていません。
とても柔らかで優しく、私に手作りのおやつを作ってくれました。
その場には長男と同じクラスの子のお母さんで子供を森の幼稚園に通わせている方もいました。
そのママは学校に不満があるようでした。
ママ:
「学校はこれ程子供が苦しむのに内省しないよね」
「先日息子は図工で本人は完成した!と思った絵にここも色を塗ろう、ここも何かを描こう、家に持って行って描き加えて来て、と言われた。息子の中ではもう完成しているから絶対に書き加えないと言っていた」
「宿題の出し方が気に入らないから、私流のやり方でやらせている」
と言っていました。
長男と同じクラスのその息子さんはその1か月後の11月から完全不登校になります。
同じクラスで2人の完全不登校児が出ました。
相談後わたしは
色々な考え方があるんだな。
子供が学校に行かなくても苦しそうじゃなくていいな
私はここまで割り切れないな
と思いました。
69
69
2021/10/24(日)
私は子供への接し方に自信がありませんでした。
主人の子供に対する態度にも思うところがありました。
より良くしたい!と感じ主人にこういいました。
私:
「子供に接する態度でおかしいよって思う事があったら言い合おうね」
主人:
「俺には何も言わないで。指摘しないで。言われたくないから。俺は俺でやる」
「俺が決めて俺がやっている行動には一切口出ししないで」
え?
・・・
今なんて言った?????
・・・
しばらく理解できず私は黙ってしまいました。
喧嘩ではありません。
子供への接し方がおかしかったら教え合い改善して行こう、という提案でした。
お願いやペースを乱す事をやたらと嫌がる主人の事を私はこう思っていました。
・長男の脳機能は絶対に主人の遺伝子だ
・全ての事で2人はそっくり
・指示、指摘を不思議なくらい嫌がる
・嫌がり方が病的
私はそう感じていました。
一般的な声掛けをしても顔が引きつる事があります。
私の言い方が悪いのだろうか?
優しい人ですが何かをお願いする時は凄く気を使いました。
主人は長男の気持ちが良く分かるのではないか?
主人は協力的でした。
長男を頭ごなしに叱ったり、学校へ行かない事を否定したりはしませんでした。
それでも、今の家庭の状況は話し合い必須です。
1日に何があったのか、何に困っているのか話したかったです。
主人と話し合う事はあまりありませんでした。
私は不安な気持や相談をひたすら2人の姉にしていました。
長男も放っておくしかない。
好きにやらせるしかない。
脳機能が指示を受付けないのだ。
今なら、学校さえ行っていれば他は全て放っておこうと思える。
幼馴染のママが我が家の子供たちの主張の強さにびっくりしていました。
実家の母も3人共意志が強く私が大変そうだと心配していた様です。
そんなに我が子達は主張が強いのだろうか?
よその子育てはどんな感じなのだろう?
もっと楽なの?
楽しいの?
私は全く楽しくない。
こんなに大変なのはうちだけなの?
私のせいなの?
何でなの?
次男も大変になってきました。
何一つ言う事を聞きません。
聞かないと言う決心が先にあるの?と思う程聞きません。
主張が強く生意気な事ばかり言います。
優しさや穏やかさが全くありません。
何なんだ、うちの子達は!
ある日サッカーの試合を観に行きました。 出口で 長男が
長男:
「ジュース飲みたい」
私:
「はーい。コンビニ寄ろ」
長男:
「嫌、ここのじゃなきゃ嫌」
私:
「コンビニにあるんじゃない?凄い戻らないと自販機ないよ」
長男:
「じゃぁ無かったらここまで戻ってこいよ」(怒)
私:
「歩いても良いなら戻ろ」
長男:
「嫌だ、歩きたくない!」
「でもコンビニに気に入るのが無かったらここまで戻って来い!」
私:
「めんどくさ・・・」
まぁ、これでいいよ。が出来ない。
妥協しない。
全ての動作でイチイチ躓き、事が進まない。
イライラがとまりません。
頭の中が常に沸騰しているみたいな感覚でした。
次男は次男で
~(次男の名前)ちゃーん。と言って可愛がっても
「うるせー、触るな」
と死んだ魚の様な目をして振り払ってきます。
この時期は次男を幼稚園へ行かせる事も一苦労でした。
可愛くない!
なんなんだこの子達は!!!
私のせいなのだろうか。
ストレスしかない。
解放されたい。
そんな気分の毎日でした。
68 混乱期?安定期?
68 混乱期?安定期?
2021.10.22
ネットを調べると不登校は対応も症状も十人十色らしい。
不登校初期
混乱期
安定期
等出てきました。
引用: https://www.saga-ed.jp/kenkyu/kenkyu_chousa/h17/tekikyou/enerugii2.htm
ネットを共有しながら姉と話をしていました。
姉:
「今、混乱期じゃない?」
私:
「いや!抜けた!安定期???」
「混乱期から安定期に入りつつある気がする」
姉:
「やっぱり、無理はダメって書いてあるね。」
私:
「そうだよね」
姉:
「ゆっくり回復を待とう!」
私:
「何もしないで待つだけ?」
「親は何をしたらいいんだろう?」
記事に載っている不登校児の症状はそのまま長男でした。
驚くほど同じなのです。
この曲線がそのまま長男なら、この表の様に回復する日が来るのだろうか?
悪い情報は頭にすっと入って来るのにプラスな事は信じる事が出来ません。
2021/10/23
幼馴染と遊園地へ行きました。
行くか行かないか葛藤していましたが最終的には行きました。
始め友人に会っても近くに行けずその場でウロウロうろうろ自信が無さそうにソワソワしていました。
不安そうな顔をして、常に落ち着きがない感じです。
以前とは違う姿でした。
波はあるけれど楽しい時間を重ねて回復するのかな・・・
色々な人からアドバイスを聞いて、対応策が見えてくるといいな。
最近は前よりも落ち着いている時間が長い。
当たり前に決められた道は無理なのだろうと思えてきました。
今日は幼馴染と会えた。
同じ小学校なのに会えた。
このタイミングで遊べた事がとても嬉しかったです。
幼馴染のママが長男の様子を教えてくれました。
ママ:
「いつも通りだよ。優しいよー。全然問題ない」
私:
「そうなの、、、信じられないよーーー」
ママ:
「泊っていくみたいでお風呂も入ったよ!」
私:
「えー、ありがとう!うちでは全然入らないからありがたい」
幼馴染のママ:
「心配いらないよ」
この日は友人の家に泊まりました。
お風呂にも入り10時には寝たと聞いてホットしました。
外ではおかしくならないんだな・・・
67 フリースクールにて
67 フルースクールにて
車で1時間、電車なら乗り継ぎで1時間半掛かるフリースクールの見学に行きました。
古びた建物の中で子供たちが走り回っています。
大人は居ません。
学校なの?
約束の時間になると設立者の方がお話をしに来てくれました。
50代位のその方は
「あー、こんにちは」
とラフな感じで話掛けてくれました。
以前電話で一通りの事はお話していました。
今日は学校見学のつもりで来ていました。
その方は以下のように私に話しました。
「早くsos出せて良かったと思った方がいいよ」
「よく2年半耐えたね」
「早いうちから体に出てるよね」
「1年生の時からなんでしょ?反発」
「掛った年数の倍、立ち直りには掛かるから、覚悟した方がいいよ」
「公立は薦めない」
「苦しみ続ける」
「子供を苦しめたいの?」
「子供に何を求めてるの?」
「何かを見つけたら凄い力を出すはず」
「子供ってそうゆうもんだよ」
「信じてあげなよ」
「自分の安心の為に学校行かせようとしてない?」
「うちに来てる子達は最初自己肯定感低いんだよね」
「でもね、半年後にアンケート取ると皆上がってるの!」
「見事だよ!顔が全然違うもんね」
「とにかく色々触れさせるといい」
「目標を見つけてそれに向かう為の勉強しかしないタイプでしょ息子さん」
「うちは皆ゲームばっかやってる」
「完全自由。ただ完全自由にし過ぎてずっとゲームしてるから、DDtime作ろうよって子供達と話合った。デジタルデトックスタイム。そして今度は時間を守る事を学ぶんだよね、子供って」
「凄いよね子供。カウントダウンしてるよ。5.4.3.2.1って」
「来る来ないも勿論自由。家を出る瞬間から自分で決断しなければならないんだ」
「学校に行くのか、何を食べるのか、全て自分で決める、出来るよ、1年生だってやらせれば出来る」
「それが自信に繋がるんだよ」
「今大人になってる人に勉強好き?って聞いて好きって言う人ってどれ位いる?」
「大体嫌いって言うよね。それが公立の学校のダメなとこ」
「学びは本来とても楽しい事、子供は学びたいに決まってるんだよ」
「そうゆう生き物だから」
「それなのに公立って勉強は辛い物、頑張る事って教えてるよね、バカだよね」
「自主性奪って言う事聞け聞け、好きな事を納得行く迄とことんやらせないから、皆勉強は詰まらない事、やらされる事ってなってるんでしょ」
「そんな所に通わせるの?」
「子供が先に道示してくれたんでしょ」
「その子賢いんじゃない?」
「皆と一緒なんてクソくらえなんでしょ?」
「いいじゃん」
「解放してあげてよ」
「何で学校行かせたいかもう一回お母さんが考えてみてよ」
「子供を何者にしたいの?」
「なんで公立行かせたいの?意味ある?」
「うちは不登校児より森の幼稚園とかからの子が多いよ」
「逞しいよ、皆」
「修学旅行の行先も予算も全て自分たちで決めるからね」
「そんな力公立の子達ある?」
「ここは生きていく力を付ける場所なんだ」
「義務教育の9年間が終わったらびしばし俺が社会に出れる様鍛えるよ」
「そうゆう学校を作ってる」
「人は皆に助けてもらって生きていくんだ、それを教え込むんだよ」
「俺なんて滅茶苦茶仲良しだもんね」
「お昼も300円だけ持ってきてもらって、いつ食べても、何食べてもいつ買い物行っても、調理室で何作ってもOK!」
「助け合って作り出すんだよ。何度も何度も失敗してさ」
「そこが学びなんだよ、本物の学び」
「ね、お母さんもさ、自分と向き合ってよ」
「なんでうちだけ!とか思ってない?」
「思ってたら間違えだよ」
「生きていたら色々あるんだ。子供が不登校じゃなくても介護で苦しむ、夫婦関係で苦しむ、災害で苦しむ」
「皆順番に色々あるんだよ」
「子供が公立NO THANKYOU?いいじゃん WELCOME じゃん」
・・・
その日は雨が降っていて、古い建物の室内には電気が付いていませんでした。
薄暗い2階の窓から灰色の空が見えて、それをぼーーーっと見ながら先生の話を聞いていた記憶があります。
あの日の記憶の中の風景は全て灰色で鮮やかな色がありません。
そっか・・・
確かに息子が私に何かを気付かせてくれているのかな。
行く様になったとしても公立に通わせていいのだろうか?
何が正解か分からなくなってきました。
66 学校の対応 教頭先生との話
66 学校の対応 教頭先生との話
同じ市内に少人数制の公立小学校がありました。
全校生徒12人ほどです。
ここでもいい!
ここなら団体生活ではない。
ここなら行けるのではないか。
思い立ち、すぐに電話しました。
とても感じの良い担当者の方は、親切に、こう説明してくれました。
・現在の小学校さえよければ受け入れ可
・中学からは今の小学校の子達が通うマンモス校と合流
・わが校は、のんびりやってます
長男は【学校】=【悪】になっている。
行くだろうか?
私は、オルタナティブスクールの枠が空くまでここに行けばいいのに。
遠方に出し寮に入った方が協調性は養われるのではないか?
鍛えてもらうしかない!
そう考えていました。
その日は教頭先生と面談しました。
カツカツカツカツと、ヒールの音を立て、せかせか歩きながら教頭先生は教務主任を紹介してくれました。
教頭:
「彼がお話を聞きますから」
主任:
「不登校対応させてもらいます」
私:
「不登校児の対応は何度もされているのですか?」
主任:
「まぁ、多少は」
私:
「子供をどう動かすか、何度か経験されているのですか?」
(どんなアプローチをするのか確認したかった為)
主任:
「んー、色々な子がいるので」
私:
「今は学校の話題も出せません 荒れます」
主任:
「それなら、しばらくは無理させない方がいいです」
私:
「それしかないですよね・・・」
教頭先生は私の話を聞きましたがとても事務的でした。
話中何度も何度も時計を見ていた印象だけが残っています。
私は人の名前、顔を覚える事が得意ですが教頭先生の事は何一つ思い出せません。
話の内容も何一つ覚えていません。
それ程意味のない話合いでした。
教頭先生は明らかに興味がなさそうに
「初めて聞くのでね、そうゆう子は」
「んー、どうしていきましょうね」
と、また、時計を見ながら言いました。
復学する際に勉強が分からないと長男が辛いと思った私は教頭先生にお願いをしました。
私:
「4年生に向けて、万が一「行く」と言った場合、学力で困らない様 絶対に外せない学習課題のプリントだけいただけませんか?」
教頭:
「あ、はい。そうですよね、担任に伝えておきます」
解決策を提示される事もなく、私の気持ちを聞いてくれるでもなく、
また時計を見て
教頭「あ、はい、時間です」
私 「お時間いただきありがとうございました」
・・・
ただただ無意味だな。と思いながら帰宅しました。
娘の預かり場所を苦労して探してまで聞くべき話ではないな。
その後何日経っても課題のプリントは届きませんでした。
どうせ、やらないし、いいんだけど。
でも、なんかな・・・。
65 欠席連絡をやめる
65 欠席連絡をやめる
まだ現実だと思えない。
ずっと寝ていたい。
意識の無い状態でいたい。
割り切れない。
不安・・・
周りから色々きかれるのも嫌。
長男は友達と会うのが嫌で外に出たがらなくなりました。
小3で引き籠り?
まさかうちの子が・・・
あんなに元気に外で遊び回っていたのに。
1番無関係なタイプの子だと思っていた。
我が子が引き籠るなんて・・・
想像すらしていなかった。
このままでいいの?
楽を覚えて抜け出せなくなるのではないか?
でもどうしたらいいの?
言う事なんて聞かない。
起こすべき?
寝かせておけばいいの?
毎朝行くのか行かないのか。
その結果で私の感情が揺れ動く。
もう疲れた、学校への連絡をしたくない。
私は欠席連絡をしない事に決め、学校に連絡しました。
私:
「登校する場合は連絡します」
「欠席連絡はしません」
担任の先生は快諾してくれました。
少し楽になりました。
もう学校には絶対に行かない。
行かなくていい。
行けば次男と娘が酷い目に合う。
家庭の平和を優先しよう。
思い返すと最後に学校へ行った火曜日はやたらと安定していました。
あれは何だったのだろう?
その日からぷっつり糸が切れたかの様に学校へ行かない。
私1人では頭がおかしくなりそう。
助けてくれている母親も若くない。
長男の姿を見せて不安にさせてはいけない。
もう解放してあげなければ・・・
何故長男はここまで荒れるの?
行かない罪悪感?
先が不安?
ただの性格?
鬱?
鬱なら何で?
まず総合医療センターで長男の精神を安定させてもらおう!
何とかしてくれるはず!
用事があり学校に行きました。
担任の先生とすれ違いました。
「こんにちわー」と笑顔で会釈されました。
長男の事は一言も聞いてきません。
・・・
そんなもんなの?
何も気にならないの?
誰も助けてくれない。
本当に誰も助けてくれないんだ。
64 学校への過剰な反応
64 学校への過剰な反応
明日は次男の就学時検診です。
次男と学校の話をしていると突然娘に暴力を振るいました。
【学校】と言うキーワードが出ると長男は過剰に反応し暴力的になりました。
感情のコントロールを完全に失います。
夜もその事が頭から離れない様でした
長男の支離滅裂な感じが、始まりました。
長男:
「爆破爆破、学校爆破」
「可哀そう可哀そう!あんな所お前は行くのか!地獄だぞ!可哀そう!くそつまらんぞ!」
次男の顔が引き攣り固まります。
もう!悪影響!!!
お願いだから黙っていてくれ!
そんな気分で私は長男に感情的に言いました。
私:
「あなたが学校嫌いなのは分かったから、次男にわざわざ言わないで」
「あなたはもう行かないなら行かなくていいから」
「行く前から不安になる様な事言わないでよ!」
長男に優しくしなければ!
分かってはいます。
それでも次男に悪影響な長男に優しく出来ません。
次男まで巻き込まないでよ!
もう黙っててよ!
次男と小学校の話を全然出来ません。
話をする時は部屋を変え隠れて話していました。
次男は次男で不安定なので励ましが必要です。
長男は自分より弟が勝る事が許せません。
自分が出来ない事を弟は出来る。
弟が学校へ行き、自分は学校へ行かない。
そんな事があってはならない。
受け入れる事が出来ないのです。
絶対にです。
弟を道連れにしようとしているのではないか?
次男自体が団体行動、コミュニケーション能力に問題がありました。
今は情緒も安定していません。
一体私はどちらの子供を優先したらよいのだろう。
同じ空間に居る息子たちに真逆の支援をしなければいけない。
自分の発する一語一語に神経を使っていました。
どの言葉で長男が反応するか分かりません。
全ての瞬間で脳をフル回転させている感じです。
何故そこまで嫌なのかとても不思議でした。
最近は次男よりも娘を虐めます。
私は変わらず標的にされていました。
ヘルプに来ている母(祖母)は孫のあまりの変わり様に心身共に疲れ切っていました。
長男はもう大好きな祖母を思いやる事すら出来ません。
2歳の娘をこれ以上この環境の中に置いておくのは無理だ。
娘までダメになる。
でもどうしよう・・・
63 困難のある子に詳しい先生との出会い
63 困難のある子に詳しい先生との出会い
以前中学校で支援員をしていた友人が不登校の事を知り声を掛けてくれました。
友人:
「凄く良い先生がいるよ!」
「以前は学校で先生してたけど今は講演会とかもしてるよ」
「確か自分で学校立ち上げてるはず!」
「フリースクールじゃないかなーーー」
私:
「電話してみる!」
「ありがとう!!!」
すぐに電話しました。
先生に長男の今の現状を話ました。
電話越しにもにこやかなのが伝わってくる物腰柔らかなその先生は
「そうなんですね」
「お母さんはご自分を責めないで」
「うちは世間一般的なフリースクールとは違います」
「不登校児、発達レインボーゾーンの子達を支援しています」
「今学校に行けなくても良いですよ」
「全く問題はありません」
「中学も自由な学校がありますよ。ただ電車通学な為、通う事がストレスになってしまう子もいます」
「選択肢はいくらでもあります」
「義務教育を受けなくても高校からスイッチが入れば数か月で9年間全て取り戻せます」
「9年間全く学校へ行かなくても社会に出ている子はいくらでもいます」
「うちに来ている子達も、もう学校には行かないと決めている子は沢山います」
「皆とても元気に通っていますよ」
「通信高校を受けたり、選択肢はいくらでもあります」
「僕自身も不登校でした」
「大丈夫です」
「うちは完全個別です」
「料金は1時間4950円です」
「その子の得意、抜きんでたものを探します」
「ただ、お陰様で今は3年待ちです」
「不登校枠ならもう少し早くご案内できるかもしれません」
「僕との相談は初回は無料。次からは30分3000円です」
「ゆっくり自立していけば良いのです」
「30歳位までに自立を目指し援助しています」
「一度お話ししに来ますか?」
先生は有名な大学を卒業後、発達障害療育センター、学校教員をされていました。
私:
「行きます」
後日相談に行きました。
電話での印象通り、先生はとてもニコニコしていて穏やかな方でした。
私は今までで一番安心して長男の現状を話しました。
私:
「暴力も酷いです」
先生:
「大丈夫ですよ。慣れています。」
「支援に行ったら廊下が血まみれ、運転しているお母さんを後ろの席から羽交い絞めにして首を絞めている、そんな現場はいくつも見ています。慣れています」
私:
「え・・・ではうちはそんなに酷くないですか?」
先生:
「酷くないかは・・・ん・・・でも、色々なご家庭があるのは確かです」
「話を聞いている限り、長男君は過剰適応な気がします」
「本人に面会してないので断言出来ませんが、必要以上に適応してしまう」
「求められている自分を演じ過ぎてしまうのです」
「通常の子が80%の力で出来る事を150%頭をフル回転している」
「もう、くたくたになってしまうんです」
先生が説明する過剰適応の子の症状は長男そのものでした。
・宿題が終わっていなければ学校へ行けない
・遅刻、早退が苦手
・必要以上にその場の空気を読む
・相手の求めている姿に寄せて行く
・辛いと言えない
・断れない
・我慢しすぎてしまう
他にも沢山言われました。
先生:
「うちに来ている子の中にも過剰適応の子は沢山います」
「不登校の子に多いです」
「学校に行くと疲れてしまうのです」
「行かない。も選択肢ですよ」
私:
「家庭訪問もしているのですか?」
「うちの子が今通えるとは思えないです」
先生:
「していますよ」
「1時間8000円です」
「ただ、焦らず、ゆっくり、とりあえず待ちリストに載せておきますか?」
私:
「はい、数年後ですもんね、その頃には来れるかもです」
「一応載せておいてください」
先生:
「あ、あと1分なので、ごめんなさい」
私:
「あ、ありがとうございました」
今までの相談所の中では1番的確に判断してくれそうな気がしました。
この先生は後に次男と深く関わる事になります。
次男の立ち直りのきっかけをくれた先生です。
62 理由なし
62 理由なし
行き渋り開始からしばらくの間は担任の先生から毎日連絡がありました。
策を探すと言うよりは淡々と出来事を話してくる感じです。
何を聞いても
「あー」
「お母さんも無理なさらない様に」
「学校では元気です」
その繰り返しです。
こちらは家での状態を包み隠さず話していますが危機感を全く感じ取ってくれません。
そうですか・・・お母さん大丈夫ですか?
本当に心配なら少しは解決策を真剣に考えてくれ!
そんな気分でした。
教頭先生か校長先生と話した方が助けてくれるのではないか?
でも何を話すの?
担任の先生が頼りにならない事を話していいのだろうか?
苦情にならないか?
文句を言って何になる?
来年度次男が入学する。
学校側との関係を悪くしたくない。
担任の先生が家庭訪問する事は一度もありませんでした。
以前、学校としては来た時の対応以外は出来る事は何も無いと言われました。
来ない子はどうでもいいのだ。
来ない子の方が気にかけるべき存在ではないのか?
学校は学業を教える場、来る子に勉強を教える。それだけが仕事なのだ。
2021.10.20
お休みが続いている長男に声を掛けました。
私:
「今日は学校行こうかっ」
長男:
「絶対行かない」
「2度と行かない」
「どんだけつまらんか知らんの?」
「ふざけんなよ」
「行くわけないだろ」
テレビを見ています。
もう理由も言いません。
長男:
「行くはずないだろ」
「転校したい」
なんだかとても不思議な生き物に見えてしまう。
息子の存在が怖い。
この先何が起こるのだろう。
私のメンタルは持つだろうか?
頭がおかしくなりそうだ
先の見えない不安で押しつぶされそうだ
目覚めると息苦しく 意識の無い世界の中にずっといたい。
眠っていたい。
目覚めたくない。
そんな感じでした。
とても不安な私は長男に聞きました。
私:
「4年生になったら行くの?」
長男:
「転校したい」
主人に色々な場所でアドバイスされた、自由について話ました。
主人:
「フリースクールに行って中学からどうするの?希望としては公立戻したい」
私:
「無理だよ」
「自由がなくて嫌なんだから」
「フリースクールに入れようよ」
主人:
「・・・」
フリースクールに入れよう、と言いながらも問題だらけでした。
・検討していたフリースクールは電車で1時間半
・遠い
・乗り継ぎあり
・毎日送迎も出来ない
長男:
「とにかく色々聞かれるのが嫌」
「誰も僕に何も聞かないで」
今はもう11月1日の総合医療センターだけが頼りだ。
でも、本人を連れて行かなければならない・・・
どうやって?
絶対に行かない。
行くはずがない。
どうしよう・・・。
良いアドバイスをくれる機関はないの?
もう本当にどうしていいのか分からない。
対応の仕方が分からない。
何にも分からない!
誰か教えてよ!!!
61 化け物なの?
61 化け物なの?
2021.10.19
私が相談所巡りで不在の際に娘の面倒を見てもらう為母が来てくれました。
昼過ぎ、娘がDVDを傷付けたと言い娘に暴力を振るい出します。
私が止めますが一向にやめません。
バドミントンのラケットを持ち出したので
祖母が体を張って必死に娘を守りました。
祖母:
「ダメだよ!絶対ダメ!」
長男は言えば言うほど激しく暴れます。
娘は泣いています。
祖母が長男の両腕を抑えました。
長男:
「放せ、生ごみ臭い!魚臭い!触るな!」(前のめりで叫んでいる)
祖母:
「やめよ、やめよ、どうしちゃったの、~(長男の名前)ちゃん」
長男は祖母を振り払い祖母が倒れました。
女2人ではどうにもならない。
私:
「暴力は絶対だめだよ!」
長男:
「うるせー」
胸ぐらを掴まれ蹴られました。
こんな8歳児居るのだろうか。
私の育てたこの子は化け物なのだろうか?
最後は2歳の娘に思いっきり跳び蹴りし部屋に籠りました。
地獄でしかない。
夕方部屋を覗くと長男は眠っていました。
長男が部屋に居ないと心が休まり静かな夜でした。
明け方4時頃、肩を揺すられ目が覚めました。
長男:
「お母さん、お母さん」
「ねー、お母さん」
揺すって私を起してきます。
長男:
「僕ご飯食べてない!」
「お腹すいた」
私:
「え?」
「今何時?」
「4時じゃん」
長男:
「ご飯」
「お腹すいた」
私:
「え・・・今?」
長男:
「お腹すいた」
私:
「もー、寝てるのに!」
長男:
「早く」
「僕、食べてない」
私:
「・・・」
長男:
「ねー、お腹すいた」
私は恐怖を覚えました。
この子は何なんだ・・・。
60 詰まらない 詰まらない
60 詰まらない、詰まらない、
2021.10.19
長男が学校へ行かない理由を言いました。
長男:
「次男がいない時しかDVDが見れないから学校休む」
まだ学校いかなきゃ、ていう意識はあるのか?
長男:
「でもお母さんが一日中教室に居たらいく」
私:
「分かった居るよっ」
長男:
「・・・」
私:
「お母さん一緒に居るから行こうか」
長男:
「行かない」
「・・・」
「本当に嫌だ」と泣き出しました。
「自由な学校に行きたい」
休みたい理由はもう言いません。
長男:
「学校休む」
「学校休む」
「行きたくない」
「学校休む」
私:
「嫌なんだね」
長男:
「ずっと嫌」
学校自体が嫌いなんだ、この子。
理由はきっと無い。
詰まらないだけだ。
上の姉:
「ワガママで嫌なら泣かないと思う。泣くのは、レイジーな嫌ではなくないか?無理させない方がいい気がするよ」
「詰まらないって言うの?」
私:
「うん」
上の姉:
「詰まらないって言ってるけど、まだ心が学校に行く一歩を踏み出せる状態じゃないんじゃない」
私:
「ずっと嫌だった、詰まらないって言ってる」
「授業も前は楽しかった。英語も先生変わって詰まらないって」
下の姉「何か決定的な嫌なことがあった訳ではない?詰まらない、を理由にしてる?」
上の姉「学校に関する嫌なイメージが複数重なってない?」
下の姉「授業や先生が楽しければ行けそうな気もしない?」
私 「結局嫌なことあったら行かなくならない?」
「社会出られないよね・・・」
私 「学校行ってないのに元気に走り回って次男も幼稚園行かないって言うし耐えられない」
上の姉:
「今は長男君は、心が正常じゃないと思う。正常な思考じゃないよね?今の詰まらないとか。正常になれば、元の姿に戻ると思うよ」
私:
「退屈に耐えられなくて異常になったんじゃないの?」
「家庭でのストレスがきっと根っこだよね。治るのか?」
上の姉:
「おそらくまずは薬じゃない?小学生だから飲ませたくないけどかなり変わるみたいよ」
下の姉:
「病院で何が最善かアドバイスくれるはずだよ」
私:
「どうしよう、小3で人生終わるか」
上の姉:
「何か見つかるわ」
私:
「凄い不安になってきた」
「本格的に行かない」
「全く行かなくなっちゃった」
「どこか別に行く学校決まってれば気持ちが楽になる」
「探さなきゃ!」
59 祖父母との旅行(奈良)
59 祖父母との旅行(奈良)
2021.10.17.18
今日から1泊2日で親族で奈良へ旅行予定です。
朝、バタバタ支度をしていると長男が
「漫画14冊持って行く」
と言い出しました。
私:
「は!!!」
「新幹線だよ」
長男:
「持って行く!」
私:
「重いよ!」
長男:
「いいよ」
私:
「絶対お母さんに持ってって言わないでよ!」
「ありえない」
{もー、と言う目で息子を見る}
あー、出かける前からいちいち面倒臭い子!
長男:
「布団も持って行く!」
私:
「何言ってるの!それは本当に無理!やめて!」
そんなやり取りを何度かくりかえし、なんとか出発出来ました。
私は朝から訳の分からない事ばかり言う長男にイライラしていました。
新幹線駅で姉達と合流すると気も紛れ、子供達も可愛がって貰えるのでご機嫌でした。
長男は至って元気で荒れ狂う事もなく昔の子供らしい姿でした。
次男とも喧嘩をしません。
祖父には不登校の事を伝えていませんでしたが気が付かない程元気でした。
わがままも言わず、何一つ困る事もなく1泊2日を終えました。
帰りの新幹線駅で長男が祖父と話していました。
長男:
「おじいちゃん、僕もっと旅行したい!」
「もう1日泊まりたい」
祖父:
「そっかー、楽しかったな。でも長男君明日学校だからな、また来ようね」
数メートル先からでも分る程長男の表情が曇りました。
あ・・・、明日も行かないんだな。
もう行かなくていい。
そう思う時が増えていました。
明るく元気な姿を見ると
不登校なんて気のせいで、学校に行くのではないか?
と期待してしまいます。
2つの気持ちが私の中で行ったり来たりしていました。
今私はこの子にどんな対応をするのが正解なのだろう。
明日は起こすべき?
どの位の熱量で「学校だよ!」と言うべきなのだろう。
行かない。を受け入れた先に何があるのだろう。
また明日から相談所巡り、学校(居場所)探しだ。
一気に気持ちが暗くなりました。
楽しい時間を過ごしていても胃の辺りにいつも鉛がある様な嫌な感じが取れません。
旅行2日目の朝、食事をしている時母親が話しかけてきました。
母親(祖母):
「何があったの?」
「絶対何かあったんじゃないの?」
「あんた、なんか傷付く事言ったの?」
私:
「うん・・・分からないけど」
「私が何か言ったんだろうね」
「私のせいなんだと思うよ」
母親:
「絶対そうだと思うよ」
私:
「・・・うん」
私はその後1人で部屋に戻りました。
何とも言えない孤独さと苦しさでしばらく涙が止まりませんでした。
58 総合医療センターの予約
58 総合医療センターの予約
朝、朝食を食べている主人に話掛けました。
私:
「総合医療センター予約取れたよ」
主人:
「何の話?」
私:
「え・・・」
「月曜の2時から予約開始で、最後の砦だからって言ったよね?」
主人:
「電話する事なんて頭の片隅にもなかった」
私:
「関係ない人にまでお願いしてるのに?」
主人が私を見てムッとしました。
私は、ありえない。親族がこんなに協力してくれているのに、何でこの人だけ蚊帳の外なの?
必死さが無さ過ぎる。
最悪な気分でした。
私は何も言わず、冷めた目で主人を見ました。
2021.10.18(月)
この日は祖父母、3人の子供達、私、私の2人の姉と奈良へ行きました。
以前から約束しており長男の様子から当日まで行けるか分かりませんでしたが
長男は張り切って出発しました。
月曜の14時。
総合医療センターの予約開始時間です。
旅行中ですが絶対に電話して予約を取らなくては!
姉2人、姉の旦那さんも協力してくれて皆で電話しました。
上の姉 121回掛けて全て話し中。
下の姉 89回掛けて全て話し中。
姉の旦那さん 13:55分に掛けて「5分前なので受け付けられません」と言われる。
その後14時から何十回掛けても繋がらない。
私 79回目に繋がり予約が取れました。
2週間後の11月1日に予約が取れました。
主人にも頼んでいました。
電話をかける事すら頭に無かった事に言葉では言い表せない様な失望感がありました。
病院の名前すら知らなかった・・・
なんで・・・。
なんでそんなに必死じゃないの?
57 育て難い息子達
57 育て難い息子達
久々に幼稚園時代のママに会うと、こんな事を言われました。
ママ:
「長男君、女子の間で可愛い可愛いって人気だよ」
「給食食べるのが遅くて可愛いーーー♡って」
3年生になってすぐでした。
私:
「えー、そうなんだ。あの子給食あまり食べないらしいね」
そう言えば担任の先生も
「かわいいので頭ヨシヨシしておきました」
と行き渋りの時に言っていたな。
長男は可愛がられるのはバカにされていると捉えるタイプだ。
絶対に喜ばない。
それも病気?
プライドが高すぎるの?
連日の休みで顔つきは良いけれど、学校嫌いは相変わらずでした。
とにかく自由になりたい。
女子が嫌。
授業つまらん。
そればっかり。
今までは我慢をしていたのだろうか?
ストレスを抱えきれなくなってしまったのだろうか?
学校嫌いになる大きな出来事があったのだろうか?
何だろう?
「休みたい」と言えた事は良い事なのだろうか?
主人は忙しく家にいない。
いても自分の事をしているのであまり会話をしない。
よく姉に気持ちを話していました。
私:
「正直ほんと疲れるよ」
姉:
「常に不快が無ければ穏やかだけど、それでは困るよね」
私:
「困る」
「ストレス無しで生きていけない!」
「人のせいにばかりして逃げていたら生きていけない!」
姉:
「社会に出たら、ストレスまみれだもんね」
「長男君は、わがままではなく病気がそうさせてると思うよ」
「療育すれば適応出来る様になっていくんじゃないかな」
昔からからずっと育て難い。
2歳半からだ。
次男が生まれて数か月後からとにかく大変な子でした。
家族が振り回される。
神経を使う。
とにかく譲れない。
あの子は特性が強い。
私は長男との相性が悪すぎる。
寮に入れて価値観を変えさせないとやばい!
漫画を読むページ数まで次男より多くなければ許せませんでした。
あーー、面倒臭い。
フリースクールも行かなかったら地獄。
総合医療センターは何を指導してくれるのだろうか?
どんな対応が良いのか教えてくれるのだろうか?
穏やかな子になるの?
あの子はカウンセリングをきっと受けない!
受けるはずがない!
受けない子をどう指導するの?
相談した全ての箇所で、前例無し、難しい。
解決策が分からない。
それしか言われない!
次男も特性がありそうだしな・・・
主人か私、どちらかの遺伝子なのだろう。
嫌すぎる!
息子達は2人共プライドが高すぎる!
長男は病的だ。
負けず嫌いの一言では済まされない。
次男も困り事がどんどん増えていました。
・人目を気にしすぎる
・コミュニケーショ能力が低い
・遊戯をやらない
・究極の人見知り
・幼稚園の廊下で寝っ転がっている
髪を切るのですら「笑われる」「嫌だ」と一苦労でした。
爪も切った後の感触がいやだ!と切らせてくれません。
次男が長男を真似してなのか、食事を出しても
次男:
「これは食べたくない」
「こんな物要らない」
「嫌がらせかよ」
「ふざけるな」
と言い出しました。
私は、これ、作り直していいの?
思いやりのない子にならないの?
長男の真似なの?
私はどう対応したらいいの?
もう、どう対応していいのか分からず途方に暮れる日々でした。
次男は半年後に1年生です。
万が一登校出来なかったら、どうしよう。
56 運動会
56 運動会
「運動会は行く!」
何度も何度も聞いた言葉です。
2021.10.16
当日は意地でも布団から出ません。
私:
「運動会、行くんじゃなかったの?いいの?」
長男:
「あー、腕が動かない」
「体が動かない」
起きてから
長男:
「あれ、運動会は?行きたかったのにー」
私:
「まだ、かけっこには間に合うよ」
長男:
「・・・」
私:
「行くなら付いて行くよ」
長男:
「・・・」
私:
「一緒にいく?」
長男:
「・・・」
自分は悪くない。起こさなかった私が悪いのだと主張しています。
かけっこで一番早い子達のチームだけど、少しの差で負けたらしい。
「あーでこーだったから負けたけど、俺のが早い!」
負けず嫌いだから、負ける位なら走りたくないのかな。
負けず嫌いが病的だな、、、
プライドが高すぎるのだろうか?
人生疲れそう・・・
最近学校行ってないから周りの目を気にしてるの?
行くかもしれないと運動会用のお弁当を作ってありました。
悲しくて虚しいなー。
55 線引きの難しさ
55 線引きの難しさ
最近の長男の雰囲気を見ていて、私は、
もう、サッカーへは行かないのだろうな・・・
学校と繋がっている事は全部無理なんだろうな・・・
別の学校のサッカーならいけるのかな・・・
と思考を巡らせていました。
私は以前よりも長男の心に寄り添う感じで話しかけるよう心掛けていました。
私が長男に、
「学校もサッカーも行きたくないなら無理して行かなくていいんだよ」
と言うと長男から笑顔が消えました。
そんな長男の姿を見て私は、
よほど嫌なんだな・・・
今までよく行ってたな・・・
女子を異常に嫌がっていた・・・
とにかくうるさい!!!!と言っていたな・・・
と不登校の原因を無意識に探っていました。
学校をお休みしていても長男は思い通りにならないと不機嫌になりました。
そんな長男を見て、私はこんな感情を抱いていました。
・もともとが難しい性格なんだろうな
・わがままな子なのだ
・わがままにならない様に!わがままにならない様に!!そこを1番気を付けて育ててきたのに
・持って生まれた物なのだろうか
それでも長男は、学校に行っている時よりはとても落ち着いていました。
前よりはマシだから。
黙って耐えていよう。
朝から夫婦で協力して良い雰囲気で過ごすよう心掛けていたけれど、
私はいったいこの子にどんな対応をしたら良いのだろう。
そんな事を考えていると、長男と次男が突然喧嘩を始めました。
長男が、次男に向かって、
「ソファーどけっ」
と怒っています。
長男はDVDを見ていました。
機嫌の悪い長男が次男を思い切り蹴飛ばしました。
次男が大泣きし、主人が次男を別室へ連れて行きました。
長男は別室でDVDを見ている次男に対して、
「ずるい!ずるい!俺にも見せろ!!!」
と叫んでいます。
次男は長男に怯えながら泣いていました。
主人は長男に、
「長男はDVD見てるんでしょ?」
と言いましたが、長男は、
「そんな事関係ない!ずるい!ずるい!次男だけずるい!」
とわがままを言っています。
私は毎日毎日繰り広げられるこのDVD争いにうんざりしていました。
私は長男に、
「皆んなで見れないDVDなら今後は絶対買わないで」
「この部屋は家族の場所だから」
「あなただけの部屋じゃない!!!」
と怒りました。
私のその言葉に長男はますますヒートアップしました。
長男が、
「うるさい!」
「どけって言ったらどけ!」
と言い次男を更に蹴りました。
私は、黙っていました。
すると長男が私に向かってきて、私が突き指するほど大暴れしました。
私はもう言葉がでず、無気力で、黙っていました。
長男は黙っている私に向かって。
「黙ってんじゃねーよ」
「何か言えよ」
「テメー!!!」
と叫んでいます。私はそれでもただただ黙っていました。
長男のこのわがまま行動に対し、
「いくら何でもわがまますぎる!!!!」
「お前がどけよ!」
と普段温厚な主人が激しく怒りました。
長男は、
「うぅぅぅ」
と歯を食いしばって泣いていました。
長男は泣きながら私をクッションで何度も何度も殴り、蹴り続けました。
彼は収まらない怒りをどこにぶつけたら良いのか分からず荒れ狂っている感じでした。
主人が、
「今回のはただのわがままだよね。学校へ行く行かないとは関係ない」
「このまま今の態度を許したら、あの子は人間じゃなくなる」
「おかしいだろ!あんなの!なんなんだよ」
と呟いていました。
それでも私からすると暴れ方は以前よりもマシになっていました。
学校は行かなくてもよいけれど、ダメな事はやはり注意しなければいけない気がする・・・。
しばらくすると、主人が気持ちを切り替え長男をテニスに誘いました。
主人が長男に明るく、
「長男!テニス行こーよ」
と誘うと、長男は、
「急に普通に話しかけてんじゃねーよ」
「自分勝手だな」
「いらつく」
と答えていました。
私は
この子はわがままだなー。
わがままだから学校で色々耐えられないんだろうな。
外では言いたい事言わないから疲れるんだろうな。
ストレス感じると暴力的になる脳の造りなんだろうな。
私は常に、長男の行動に対し、どこまで許してよいのか分かりませんでした。
「線引き難しい・・・」
54 続く学校(居場所)探し
続く学校(居場所)探し
2021.10.15
長男が学校へ行っていた時、我が家は戦場のようでした。
その時と比べると、今はとても平和でした。
私には行き渋りで暴れた時の長男と、今の落ち着いている長男が同じ子とは思えませんでした 。
子供の人格が変わる程の場所に行かせ、学力をつける事に何にいみがあるのだろう。
学力が付いたとしても子供の精神が崩壊してしまうのではないか?
精神科に通えばはストレスに耐えられるよう様に療育してくれるのだろうか?
薬を飲ませたら治るのかな?
学校へ行った日と、休んだ日で顔が全然違うな。
と私は長男を観察していました。
頑張って公立通わす事は正解なのか私にはよく分かりませんでした。
振り返ってみると、小1、小2、小3、と全ての学年で身体が動かなくなる程長男はメンタルを壊していました。
その日は祖母が来ていた事もあり、長男の機嫌はとても良かったです。
私は公立小学校は諦めよう、と思い学校(居場所)を探していました。
長男が毎日何もせず家にいるなど、到底受け入れる事ができませんでした。
40キロほど離れた姉の家の近くに、オルタナティブスクールがありました。
私はその学校に興味を持ち、姉に、
「お姉ちゃんちの近くのオルタナティブスクールいいね!」
と連絡していました。
長男の不登校を心配していた姉は、
「オルタナティブスクールのブログ読んだ?考え方が凄く良いよ」
と教えてくれました。
私は、
「この(別の)学校も滅茶苦茶いい!距離が300キロ先だから無理だけどここなら絶対あの子行く!」
「引っ越そうかな」
「多分倍率高い 」
「とにかく行き先決めたい」
「私が公立の教育方針に疑問が湧いてきちゃった。もう行かなくていいわ」
「人間極限になると慣れるね」
「行き先見つかったら不登校になって良かったと思える日が来るかも」
「この学校はあの子にぴったり!しばらくゆっくりさせて数年後に入れてもいいし」
「不登校じゃなくても入れたい位いい学校」
「公立より全然いい!生きていく為の勉強って感じ」
「全寮制なんだよね。寮はまだ可哀想かなー」
「問い合わせてみようかな」
「順番待ちならその間地元のフリースクール楽しめばいい」
と、とにかく長男をどこかへ通わせようと学校を探していました。
色々な学校を調べておこう!
公立中学校のブラック校則もきっと嫌がる。
長男は自由な学校ならきっと伸びる。
きっと行ける。
行きたいって言うかな?
人間力が育ちそうだなー。
公立型に嵌められるしな。もう嫌だな。
人生のいいタイミングで壊れたのかも!
中々入れない学校だから、入れるまでは繋ぎで色々やっていればいいか。
主人が久々の穏やかな雰囲気の我が家に
「おばあちゃん来てから平和だし、家族全員の顔つきが全然違うありがとう」
その夜、主人が私に言いました。
「長男が連日休む様になってからの様子、顔つき。次男、娘、私に対する態度を見ていると子供が笑っていられたらいいと思えるね。 元気で笑って心身健康なら、なんとかなる。
学校行く事から開放されて、健康になったらまたゆっくり考えていこう」
と言っていました。
私も、まだ心に引っかかるものはありましたが、同じ意見でした。
きっと、甘やかしではない。
あの子が笑える様に寄り添う覚悟が出来てきたのかな。
少し気持ち楽になってきたのかな。
学校行ける様になっても自由のない学校で
幸せなの?
再発しないの?
1.2.3年全部で体調不良を訴えた。
きっとまた行けなくなる。
不登校について調べると、
H25年小学生274人に1人が中学37人に1人が不登校
H30年小学生144人に1人が中学27人に1人が不登校
長男。中学絶対アウトでしょ!!!!
行ける訳ないでしょ!
長男のお陰で夫婦仲も少し改善されました。
いがみ合っていても意味がない。
子供を傷付けてはいけない。
仲良くはないけど、話はしなくちゃ。
子供の前で仲悪いのは良くない。
せめて、子供の前では普通に接しよう。
長男は協調性に乏しい、その反面自分を持っている、しっかりした子なのだ!
長男が楽しく通える学校を探さなくては!!!
53 フリースクールって何?
53 フリースクール?
フリースクールって自由?
フリースクールが何かを私は知りません。
ニュースで、不登校が過去最多、コロナ禍も影響している様子と流れてきました。
学校へ行けない子が通える施設が増えている。
そんな事を言っていました。
意識を向けると新聞には不登校記事だらけ。
息子はコロナが無ければ不登校になっていないのだろうか?
しばらくの間マスクを嫌がり装着できませんでした。
自由がいいならフリースクールがいいかな?
そもそもフリースクールって何するの?
今の学校の別室とかで教えてくれないのかな?
当時私は支援級、通級、保健室登校、放課後登校等一切知りませんでした。
通っていた学校は通級がありましたが学校側から提案は一度もありませんでした。
学校関係で働いている姉から教えてもらい知りました。
学校の話題になると
「全身痛い、怠い、身体が動かない」と言います。
行かない事に慣れてきて初期の衝撃より気持ちは楽になっていました。
行かない事に慣れてきちゃった!やばいやばい!!!
でもやっぱり不安!
担任が変わっても行かないのだろうか?
4年になり嫌な女の子がいなくなれば行けるの?
今心を病んでるから治すのが先?
とにかく長男は自由になりたい
自分のペースで動きたい
嫌な事はしたくない
じゃぁ公立は無理じゃない?
誰かが長男の事を
「活発」
「友達が多い」
「学力も普通」
「手先が器用」
「運動能力あり」
発達障害には見られないケースと言いました。
私には発達障害の知識がありません。
言われたら
「へー、そうなんだ・・・違うんだ」
心が落ち着いたら元気になるのかな?
どうやったら心が落ち着くの?
学校を連日休むようになってから目つきが穏やかになり
弟妹への嫌がらせも減りました。
荒れ狂いません。
もう不登校男子楽しもうかな。
ここで私が暗くなったら益々悪化しそう。
ただ道は探さないといけない。
どんな学校があの子に合っているの?
どこなら行けるの?
難しい・・・
私自身が浮き沈みしていました。
長男が以前よりは荒れ狂わない。
母が助けてくれて子供全員と関わる事が出来る。
長男が無気力ではない。
ここ数日よく笑う。
なんだか平和で私の気持ちにゆとりが出来ました。
学校でストレスを溜め暴れて泣きじゃくっていた。
家族にストレスをぶつけ家庭がぐちゃぐちゃになっていた。
弟妹が殴られ、聞くのも苦しい言葉を投げかけられていた。
家庭を壊してまで学校へ行く事に何の意味があるのだろう?
しがみ付くべき事なのだろうか?
行かない事は不安だけど、「皆同じ」が嫌いな非凡な子なのだ。
何かを見つければ良いのではないか?
もしフリースクールも行かないと言ったらどうしよう。
休む事が当たり前と勘違いしない様、さり気ない声掛けはしていこう。
水曜日だけやっている近所のフリースクールに行かせよう。
他の日はやりたい事習わせて。
なんとか心身健康に過ごしてほしい。
でもあの子は動かすのがほんと難しい。
2年の2月末から1か月間心身の不調があった。
たった半年後にまただな。
季節の変わり目だからか?
フリースクールは学力つかなそうだなー。
どうやって学力付けているのだろう。
さすがに小3卒は将来やばいだろ!
近所で元気に子供あそんでるなーーー・・・
声が聞こえるなーーー・・・
辛いなーーーー!!!!!
52 学校(居場所)探しを始める
学校(居場所)探しを始める
2021.10.14
長男が私をみて、
「今日も明日も休む」
と言いました。
楽を覚えだしているのかな・・・
私が何も言わずにいると、長男は
「土曜日の運動会は行くっ」
と言い出しました。
その言葉を聞いて、ホットする反面、私はこんな事を考えていました。
・前は1日休んだら次の日は行けてたな
・連続して休む様になってきたな
・当たり前に行かない感じだな
・不登校が悪化して1日も行かない子になるのかな
オンライン授業を提案してみました。
私:
「オンラインなら、誰にも会わずに勉強出来るよ」
長男:
「うるせーババアがいるから、寝れない!」
と言い別の部屋へ行きました。
要するに拒否です。
24時間息子といるのは無理 !!!
本当につらい、明るい感情がゼロだ!
ダラダラダラダラして太っていく息子を見ていられない。
イライラしてしまう。
相談所に行っても言われる事は毎回同じです。
・初めてのケース
・前例がない
・解決策が分からない
・困りましたね
・精神科を受診しましょう
本当なの?
そんなに稀なケースなの?
1人はいるでしょ!
うちの子が初なの?
誰か教えてよ!
私はもう 「学校へ行かせよう」とは思わない日が多くなりました。
その代わりに「行き先を探そう」 という気持ちになっていました。
今の学校が合わないのだ。
毎日行く所さえあれば良い気がする!
小学校はキッパリ諦めて中学から全寮制でもいい 。
色々な学校を探し始めます。
「学校に行きたくない子天才が多いらしいよー」
「自由な学校見つけて通ったら天才になれるかもよ!」
と言って長男を導こうかな 。
聞くかな?
凡人だけど何とか前向きにしないとな。
幼稚園の先生もそろばんの先生もとても周りを見ている子。
空気を読む子。
賢い子だからと言ってくれました。
良い学校を見つけたらスイッチが入るかもしれない。
出来る事を試し試し見つけるしかない。
不登校児に特化した所ないかな。
きっとあの子にはこの学校がいい!
ここなら行けるかも!
遠すぎて大変だな。
毎日ある学校がいいな。
弟妹のリズムを狂わせずに私だけで送迎出来る学校はどこだろう?
行先探しを始めました。
次男も自由な学校がいいかもしれない。
あの子は集団が苦手だ。
今日も学校は休みましたが別の学校の友人とサッカーをしていました。
1日1つでも楽しめたら今はいいのかな。
学校はもう諦めよう。
でも行き先がないのは不安。
毎日家に居るのは私がもたない。
行き先さえ有ればもう今の学校はいい。
自由な学校で本人が気に入れば逆にチャンスかもしれない。
枠に嵌められず良い子育てが出来るかもしれない。
問題は本人が行きたがるか。
通える場所に良い学校があるか。
学校に行っていない日は落ちついていました。
学校がそれ程ストレス?
落ちついてる時は次男を虐めません。
夜長男が話かけてきました。
私の目は見ません。
長男:
「明日も休む」
私
「・・・」{まーいいや}
学校探しでネットを検索しまくります。
学校結構あるな、どこも良さそう。希望が見えてきた。
4年生でクラス替えしたら、すんなり行けるかもしれないしな。
そんな子も結構いるって聞くしな。
このまま6年生まで行けなかったら、中学は難しい?
調べると6年生で不登校の子の88%は中学でも不登校です。
もう行く雰囲気はありません。
今もずーっと行かないって言っています。
日に日にいかなくなってる。
明日休んだら今週は1日しか学校へ行けていない。
学力、全く、つかないな。
学校に行っていないからか不思議なほど、落ちついていました。
2日後の10月16日は運動会です。
足の速い長男はいつも楽しみにしていました。
今年は無理なのかな・・・。
51 少しだけ穏やかな日
少しだけ穏やかな日
2021/10/14(木) 就寝時
就寝時長男が天井を見つめながら呟きました。
長男:
「学校嫌すぎる」
「学校嫌すぎる」
「学校嫌すぎる」
呪文のように言っています。
私:
「そうだね、本来学ぶ事は楽しい、新しい事を学ぶのは楽しいのに、 楽しいと思わせる事が出来ない学校が悪い」
私:
「寝るぞ」
長男:
「予告状を書いて弓矢で学校へ飛ばす」
「爆破してやる」
そんな事ばかり言っています。
私は全て適当に返していました。
私:
「予告状書いている時間無駄だよ」
「爆破したいなら、まず、母親からね」
「罪のない人にやらないで!」
「人に迷惑掛けるなら、まず産んだ母親にして」
長男:
「それは嫌だ!」
私:
「誰か楽しい話しして!夢だけでも楽しみたい。寝よ!」
2年生の時1日の楽しかった事を話してから寝ていました。
「今日はどんな事がありましたか?」
と聞く私に長男は毎日のように
長男:
「嫌な事は無い」
「考えても無駄だから」
「楽しかった事は全部」
「給食美味しかった」
「お母さんのご飯が美味しかった」
「2重跳び80回跳べた」
嫌な事は一切言わず、プラス思考でした。
私:
「お母さんに怒られたのは?」
長男:
「あ、忘れとった」
そんな感じでした。
最近、毎日毎日次男と娘を虐める姿を見ると「もーーー!!!(怒)」
と思ってしまうけれど長男が可哀想でした。
長男は今怒りに満ち溢れている。
薬を飲めば治るのだろうか?
11月11日、26日も別の病院の予約を取っていました。
どこで良いアドバイスを貰えるのか分からない。
出来るだけ多く話を聞こう。
私が納得できる話が聞ける場所が見つかるかもしれない。
小児科では、まず頭に腫瘍が出来ていないか調べる。
その後心療内科に移る。
と言っていました。
私が遠方に相談に行く際2歳の娘を連れて行けない為実家の母が来てくれました。
母が居てくれる事で少し気持ちが楽でした。
娘を寝かしつけてくれる。
家事が片付いている。
長男以外の子供に関われる。
長男にもしっかり関われる。
長男も祖父母が大好きな為落ち着いていました。
久しぶりに少しだけ穏やかな日でした。
私は毎日何度も心の中で決意します。
・私が暗くても、明るくても、行く時は行くし、行かない時は行かない
・明るくしていよう
・笑っていよう!
何度も覚悟を決める
何度も挫折する
継続が出来ない。
気力が続かない。
全く食事を取っていなかった私に母が
母:
「とにかくご飯食べなさい」
私:
「うん」
母:
「食べなよ」
私:
「・・・」
「もー、分かってるって、もう誰も私に何も言わないでよ」
「これ以上頭の中に何か入れたくない!今は何も言わないでよ」
脳にこれ以上何の情報も入らない。
誰も、何も注意しないでよ!
始めて感じた感覚でした。もう、何も頭に入れたくない。
心配する母の言葉さえ聞きたくない程、私には余裕がありませんでした。
嫌でもやって来る日々の生活を必死にこなしていました。
50 予約の要らない精神病院にて
予約の要らない精神病院にて
2021.10.14(木)
長男の姿を見て、主人が朝涙を流していました。
どの姿が長男の本当の姿か分かりません。
昔の姿を思い出せません。
本当に、本当に思い出せないのです。
朝起きると、常にお腹に鉛がある様な気分でした。
主人に申し訳ない 。
私がいいお母さんだったら、この子は、不登校にならなかったの?
正直、よく分かりません。
心を治して
環境を変えて
良い指導者に出会って
幸せに生きて欲しい
そう願っていました。
でも、何をどうすればいいか分かりません。
良い指導者も、どこに行けば会えるのか分かりません。
どこに行ったって言われる言葉は皆同じ!
「そうですか、大変ですね」
「お母さん自分を責めないで下さい」
そればっかりです。
寄り添っているつもりなのだろうか?
本当の優しさとは何なのだろうか?
誰も、苦しんでいる長男に焦点を当てません。
私は優しくして欲しい訳ではない。
大変さを共感して欲しい訳ではない。
道を示して欲しいのです。
解決策を教えて欲しいのです。
どこに行っても道を示してくれません。
もう、手当たり次第聞きに行こう。
一言でも、ヒントがあればいい。
そんな気持ちでした。
家から1時間程掛かる病院が、予約無しで受診可能でした。
電話連絡後、すぐに向かいました。
小さな病院で、先生は3人位いました。
電話した際、ある程度は話しましたが、再度一通りの事を話しました。
田んぼの真ん中にある病院で、診察室に入ると大きな窓から、奇麗な田園風景が広がっていました。
担当医は、40歳前後のお気楽な感じの先生でした。
担当医:
「へーーーー凄いね!聞いた事ない!」
「いやー、うちでは力になれないなーー」
「何したらいいか、分かんないもん」
「この県より、隣の県の方が、精神病院の質が良いって言うよ」
「ごめんねー、わざわざ遠くから来てくれたのに」
私:
「・・・」
「でもここ、精神病院ですよね?」
担当医:
「まあね、そうだけど、このケース分かんない」
「話聞いてると、カウンセリングも受けないよねこの子」
「受ける気しないな。無理だね」
「そしたら、やりようがないよね」
「まあさ、学力とかも本人がやばいなってなれば、やりだすんじゃない?」
私:
「どんな時にそう思うんですか?」
担当医:
「あー、まー、分かんないけどテレビ見てる時とか?」
「ははははは、ま、変な事言って親子関係崩さない事が一番大事なんじゃないのぉーー」
発育歴を聞かれました。
幼少期はパズルが好きで、毎朝300ピースのパズルを完成させてから、幼稚園へ行っていた事、
100ピース位の子供用のパズルは、裏側で完成させていた事、を話しました。
担当医:
「へーー、凄いね!化けるかもよ」
「化けるかも、化けるかも!化けるかもねー!もしかしたら天才かもよ」
私
「・・・」
担当医:
「でも、うちでは出来る事はないよ」
「ごめんねー残念だったねー」
「凄い遠くから来てくれたのにねーーー」
「ま、有名な総合医療センター予約取れたんだよね?そこ行くのが良いよ」
私:
「・・・」
軽い、軽すぎる。
意味ないな。
この病院。
だから当日受診できたんだ。
あー、そうゆう事か。
3000円捨てた様なもんだな。
良い病院が、当日診てくれるはずないな。
余りの適当さに、笑えてきました。
逆に、心が軽くなりました。
「天才」と言う言葉だけは引っ掛かり
不登校は、悲劇ではなく良い事なのかも?
と頭を切り替えてみようかな?
角度を変えて見てみようかな?
という気持ちが少し生まれました。
途中のコンビニに停車して
【不登校、天才】で検索しました。
まぁ、無駄じゃなかった!と思いたい。
その思いから、この本を買いました。
↓
あー、結局今日もヒントないな。
家、帰りたくないな。
長男は、学校を休みましたが夕方、別の学校の友人と2時間程サッカーをしました。
普通に元気な小学生でした。
次男は、皆がサッカーで遊ぶ中1人でベンチに座っていました。
相変わらず、身体が固まり友人の輪には入れませんでした。
49 完全不登校が始まった日
完全不登校が始まった日
2021.10.13(水)朝
長男が学校に行かない理由を訴え始めました。
長男:
「今日は発表がある。発表したくない。」
私:
「先生発表しなくていいって言ってるよ」
長男:
「体操座りが嫌だ、お母さんやってみてよ!何時間も!」
私:
「お母さんは体操座りが嫌だったけど嫌だって言えなかった。
嫌だ、でも皆んなと違う事はしたくない、だから休むって凄い!なかなかできんよ!」
真剣に聞く事に疲れて今日は褒めてみました。
長男は年中の時、小1の時も発表前に行き渋りがありました。
ストレス、プレッシャーに弱過ぎる気がしていました。
学校に行く気は無さそうで、結局お休みしました。
妹に向かって
長男:
「バカ、ブス、デブ、」
と言いリビングでテレビを見ています。
2歳の時にこんなこと言われて
この子(娘)大丈夫なのだろうか?
意地悪にならないかな・・・
お友達に言われたことを言う子にならないかな?
長男があまりに暴れるので、私1人では対応できず主人が会社へ行けない日がある。
次男は行き渋り、無表情、癇癪が増えた。
娘も暴言を吐かれている。
娘まで不安定になり、常に泣きじゃくっている。
長男がいる事で家族がめちゃくちゃになっている気がしました。
精神病ならどこかに療養入院させた方が全員の為ではないだろうか?
特性が強く過度なストレスがかかるのかな?
姉は長男に対してこんな見方をしていました。
姉:
「敏感で傷つきやすいから、施設に入れられた、捨てられた、と思って悪化しない?」
自分の事でいっぱいいっぱいの私は、
私:
「でも長男がいると他の家族が普通に暮らせない」
3人(主人、次男、娘)を犠牲にし、長男を守るべきなのかな?
誰を犠牲にしたらいいの?
1年間、精神治療しながら、しっかり休ませるのもありかもしれない。
覚悟はできません。
正解も分かりません。
考えても、考えても、考えても、考えても
答えをだせないのです。
療養方法は、もう専門家を頼るしかないのだろうか。
いつまでダラダラ家で過ごすの?
もう学校行かないの?
学ばないまま体だけ大きくなるの?
我慢を一切しない。
我慢をどこかに捨ててきた感じです。
この頃からお風呂に全然入らなくなっていました。
そんな、長男の頑なな姿を見て、私はこう考えていました。
・「明日も行かないよ!」の意思表示?
・反発?
・面倒くさい?
・だるい?
お風呂、大好きだったよね・・・
何なのだろう・・・
聞くと喧嘩になるのでお風呂に入るのかは聞きませんでした。
精神病だからわがままになってしまうのかな?
特性かな?
私が長男に感じていた【特性】は以下です。
・譲れない
・こだわる
・融通がきかない
・妥協しない
・独占欲が強い
・意思の塊
・極度なマイペース
・私への異常な執着
・負けず嫌い
幼少期、弟が生まれるまで凄く優しい子でした。
一切手が掛からず叱った事はありませんでした。
担任の先生に現状報告をしました。
私:
「もう学校無理かもしれません」
担任:
「そうですねー」
「それがいいと思います」
「それがいいと思います」
「・・・」
頼りなさすぎる・・・。
面倒なのかな?
年長の時の先生が良かったな。
子供が安定したし一気に伸びたな・・・。
教師大事なんだな・・・。
この日から長男が1年半もの間、一度も学校へ行かないとは想像もしていませんでした。
明日は唯一予約無しで受診してくれる精神科に行ってこよう。
出来る事は何でもしよう。
どこにヒントがあるか分からない。
48 児童相談所
48 児童相談所
学校に相談しても解決策はない。
児童精神科は予約が先すぎる。
もう、どうしよう!
主人が児童相談所へ連絡してくれました。
その時の、メモが残っています。
【メモの内容】
女性の方TEL対応 それなりに経験ありそうな感じの方
・児童相談所は親、子供の話を聞くことが出来るが継続して話を聞くことが出来ない。
(単発の相談)
・お父さんの状況を聞く限り、クリニック精神科の方が適しており2度手間と思います。
・今後クリニックを受診され、児童相談所を薦められることがある。
・療育手帳の発行(知的障害証明)を唯一発行できる。
質問:どこのクリニックも受診が先だがその間打つ手はないか?
回答:下の子にも暴力を振るうのであれば、環境の分離も一つの手
実家に下の子を預けるのもあり。
学校登校について
・無理強いは避けた方がよい
・本人が週に一度でも 行く気があるなら、行かせた方が良い
・行くという行為が大事
・外に出る、という行為も重要
勉強についていけないなど、勉学面での心配はスクールカウンセリングに相談するべき
結局ここでも児童精神科です。
スクールカウンセラーも紹介されました。
もう既に相談して助けてもらえない事は分かっていました。
八方塞がりってこうゆう事なのかな?
47 家庭崩壊
47 家庭崩壊
私の思考は毎日ぐるぐる、ぐるぐるフル回転していました。
・しばらく学校には行かせない方が良いのではないか
・学校に行く行かないに捉われている場合ではない
・おかしい
・精神病を治してからじゃなければ危ない
・学校は本当に何もしてくれない
・親身になってくれない
・学校内のトラブルについては対応するが、家庭内での問題には対応できない、と言われた
・先日は担任に「大丈夫ですよ」と言われた
一体誰の何が大丈夫なのだろうか?
「大丈夫」ではない。
絶対に「大丈夫」ではない
もう抜け道がない
どこも診てくれない
私の予想はこうです。
・理由がなく、学校が嫌
・多分先生とも合わない
・授業がつまらないのだろう
長男は何度か
長男:
「先生かわって前まで楽しかった授業がクソつまらなくなった」
と言っていました。
どこに相談しても、どこに電話しても早急に精神科受診を、と言う
でも、診てもらえる医療機関はない
予約が取れない
電話が繋がらない
どうしよう
どうしたらいい
私も限界だ
もともとの拘りの強さ、マイペース、頑固、それが強烈に出だしたのかな
次男もだろうか?人と上手く関われない
昨晩は腹痛を訴えている
相変わらず無表情だ
発達障害なのだろうか?
精神病なのだろうか?
併発しているのか?
ネットには併発しやすいと書いてある
まともに子供の世話ができない
どこか相談窓口はないか?
児相はどうだろう
今度は通学団の不満を言い始めました。
・躓く
・歩くペースが自由じゃない
・歩くの遅い
長男の不満を聞きながら、私は、あゝ、この子は異常だ。おかしい。こんな事まで我慢できないのだ。生きていたら必ずぶち当たる事。それに値しない程の事ですら我慢できないのだ。
と、長男の未来に強烈な不安を抱いた覚えがあります。
とにかく協調性が極端にかけだした
長男:
「火曜日はいい」
「俺が団長だから」
と、言っています。
私の目には、人に合わせる事、支配されることに異常にストレスを感じている様に映りました。
日に日に酷くなっている
確実に病気だ
市役所の児童科はどうだろう
今日は私から「お休みしよう」と伝えました。
テレビに向かってずっと文句を言っています。
視界に入る全ての事が気になり全てが気に入らないみたいでした。
振返ると驚く程、育てにくかったな。
小児科に紹介された医療機関は電話が通じるか分からない。
もう1カ所予約したい。
確実に診てもらいたい。
別の精神科に電話したら紹介状が要ると言われました。
先日の小児科にもう1カ所紹介状を書いて欲しい、と、お願いをしました。
小児科:
「1カ所しか書けません。2カ所は無理です」
どこもかしこも融通が利かない。
ルールを守ってばかりで誰も真剣に考えてくれない。
所詮他人事なのだ。
親身になってくれない。
自分の家族ではない。
どうでもいいのだ。
彼らにとってはお仕事でしかないのだ。
もう親しかいない。
親がやるしかない。
親以外に真剣に考えてくれる人は誰もいない。
誰も助けてくれない。
でもどうやって・・・
その朝は長男が朝から暴れまくり
娘は泣きじゃくり
次男は幼稚園に行かないと支度をせず
私の精神は、もう、崩壊していました。
家の中が荒れ狂っていました。
出勤支度をしていた主人が、
「もう、とても会社には行けない。午後からにするから」
「一旦お母さんは子供から離れて」
て言いました。
私はもう無気力で床にぺたりと座り込ん
で泣き崩れていました。
もう無理・・・
毎日毎日
主人は、
「取り敢えずもう児相に連絡してみる」
「犯罪を犯しそうな雰囲気がある」
「もう何をやらかすか分からない」
「誰かに危害を加えたら大変だから」
「犯罪者にだけはしてはいけない」
「将来を奪ってはいけない」
「児相は警察にも連携しているはずだから」
と言い児相に電話しました。
家族5人は地獄の中にいました。
46 完全不登校になる前日の日
46 完全不登校になる前日の日
2021.10.12朝
長男と、朝のお散歩に出かけました。
長男:
「お母さん濡れちゃうよ」
と言って、長男が傘をさしてくれました。
雨の中2人で散歩に行きました。
今日は顔つきが凄くいいな。
穏やかだな。
時間になると自分で集合場所へ行きました。
長男は、帰宅後不思議なくらいスッキリした顔をしていました。
あれ、この子何か穏やかな雰囲気だな。
こうやって落ち着いていくのかな。
2021.10.12 夜9時
また荒れだしました。
次男と娘にタオルをぶるんぶるん振り回し危ないので主人が注意しました。
長男は半分冗談で遊んでいた様ですが、
注意され豹変しました。
明らかに、表情が変わりました。
長男は、今自分ができる、最大限の反発をしてやろう!という雰囲気で
長男:
「今からDVDみる!」
「風呂入るわけねーだろ!」
「黙れクソババア」
「うざいんだよっ」
と、叫び散らし始めました。
少し下を向き、目を吊り上がらせ、真っ赤な顔をして私を睨みつけてきます、
私は、
「お母さんは大好きだけど・・・」
「何か、辛いの?」
長男は、更にヒートアップし、
「うざい」
「うるせぇ」
「クソババア」
「しゃべりかけんな」
「だまれ」
「宿題やらんからなって先生に言え」
と、叫んでいます。
私は、自分の感情に負けぬよう、心に決め、
「お母さんは大好きだけど」
「長男はお母さんが嫌いなの?」
「悲しいな」
と、冷静に伝えました。
荒れる前、21時までは普段よりも楽しく過ごしていました。
指示、指摘、注意、命令系の事をすると豹変します。
特に次男と娘を庇うと荒れ狂います。
主人は、もう我慢の限界のようで、
「こんなわがまま我慢しなくていいだろ!!!」
「いい加減にしろよ!」
「これは注意するべき事だろうが!」
険しい顔をして、力尽くで長男を押さえ込みます。
長男を押されつける主人の手を、私は力づくで放そうとして、揉み合いになりました。
「もう私に任せて」
「逆効果だって!」
主人はそれが気に入りません。
私を睨みつけてきます。
24時間長男に対応している私はこれ位の事は慣れていました。
たまに関わる主人は受け入れられないのです。
今の長男の状況を本当には理解していないのです。
私は私で、長男を刺激する主人に苛つき冷めた目で主人を一瞬見ました。
最悪な気分でした。
夫婦間にまた溝が生まれます。
家庭内が、一気に嫌な空気に飲み込まれました。
先日約束した、長男を受け入れる覚悟はもう崩れています。
結局、覚悟が緩いのです。
大人が感情に負け、大人の機能を果たしていない。
そんな感じです。
次男、娘は寝室に避難させました。
追いかけていきタオルでぶっ叩く。
主人:
「やめろ!!!」
長男に再び火が付く。
次男は泣き叫びながら私を呼んでいました。
娘を寝かしつけなくては。
次男と娘が可哀想。
長男のせいで家庭内が引っ掻き回されている。
毎日毎日こんな事が繰り返されていました。
この争いが終わったのは午前1時半。
地獄絵図でしかありませんでした。
入院レベルなのではないか?
家族が平穏な日常生活を送れない。
いち早く受診したい。
スクールカウンセラーも解決策を知らなかった。
「いち早く受診を!」と言っただけでした。
私も主人も、長男に殴られました。
私はタオルで滅多打ちにされた後、蹴り続けられました。
体が大きくなったら、と思うと、恐怖でした。
怒りや不安が私の中で渦巻いていましたが、見放さず何を言われても横で話かけ続けました。
長男は少しずつ冷静になりました。
その後、私と2人きりになり落ち着くとネガティブな発言を1時間半、私に話続けました。
長男:
「はい、皆さん!学校爆破したい人ーーー?」
「はーいパチパチパチパチ」
「さんせーい」
「そうだ、学校の周りを燃やせばいいんだ」
「ねー、ダイナマイト買って」
「爆破する」
「鬼ごっこやったけど追いかけられなかった、くそつまらん」
「先生の話が長すぎた、くそつまらん」
「発表なんてしたくない」
「絶対休んでやる」
「学校なんて意味がない」
この子は今、負のエネルギーしかない。
日常生活の中で避けて通れない些細な事を批判している。
そんな一方的な会話を一時間半聞き続けました。
私は一言も話していません。
永遠に聞かされていました。
絶え間なく、ぶつぶつぶつぶつ呟いていました。
そんな長男に、一切の助言をせず、私は頭の中で、こんな事を考えていました。
・この子、頭がおかしいな
・楽しくなければ苦痛を感じる病気
・我慢できない病気
・絶対病気
・一緒にいたら、こちらが頭が変になる
自分の子供が怖い。
どうしたら良いか分からない。
主人には
「今はとにかく平和に1日終わる様に対応しよ」
「次男と娘を守ろう」
と話しました。
45 ・・・医療センターの予約方法
45 ・・・医療総合センターの予約方法
いち早く受診したい。
脳機能の問題だと言われたら今までのわがままも納得できる。
早く楽になりたい。
普通の生活を送りたい。
長男の精神状態も、もう、限界でした。
やっぱり精神病だと思う。
・学校
・小児科
・スクールカウンセラー
が、精神病を疑い、児童精神科の受診を強く薦めました。
どこに電話をしても、最短で、3か月後しか予約が取れません。
待てるはずない・・・
小児科が紹介してくれた医療センターに電話をしました。
医療センターに電話をし、状況を説明し、一刻も早く受診させたい、と伝えました。
火曜日に電話をしたと思います。
医療センターから伝えられたことは以下です。
・今週の予約は満席
・まず、初回の電話で症状を聞く
・その電話での予約は出来ない
・1度目の電話は紹介先の確認と症状の確認のみ
・一旦電話を切り、もう一度電話を掛け直さなければいけない
・月曜日の2時から予約開始
・予約枠が埋まった場合は次の週、月曜2時に再度掛けなおす
・電話が殺到するので中々繋がらない
・繋がれば、ラッキー
・どれほど症状が酷くても対応は同じ
とのことでした。
私:
「では、私は今症状をお話ししたので、次回は予約が出来るのですか?」
医療センター:
「はい、しかし電話は本当に繋がり難いです。」
「繋がれば、予約が出来ます。」
「繋がらなければ、その次の月曜日です。」
私:
「それを永遠にやるのですか?」
医療センター:
「そうです。紹介状がある事は絶対条件です。予約方法もそれしかありません。」
私:
「予約が出来た場合は最短でいつ頃の受診ですか?」
医療センター:
「11月中には受診できますよ。」
「電話が繋がった場合ですが。」
私:
「息子を連れて行くのはとても困難な状況です。私だけでもいいですか?」
医療センター:
「初診は本人不在では受けられません。」
私:
「そうですか、では月曜に掛けます。」
どこもかしこも、規則規則。
みんな、どう、乗り越えているの?
2時か・・・次男のお迎えの時間だな。
でも掛け続けるしかない!
44 緩い覚悟
44 緩い覚悟
長男は、学校をお休みすると、妹にとても優しかったです。
次男のお迎え時、妹を任せられる程、頼りになる優しいお兄ちゃんでした。
好きな事をしていればご機嫌で優しい。
それでも、私は常に不安でした。
この先、好きな事だけをして生きてはいけません。
息子は社会に出られるのだろうか?
嫌な事は断固拒否します。
折り合いを付けるべき場面でもです。
やりたい事だけをやる子と思っていました。
幼少期の発育歴から振り返り
私は長男を【こうゆう子】。今はそれが強く出ている。
と思っていました。
低学年時はある程度我慢していたが爆発したのだろう。
我慢の限界に達したのだろう。
もう、やりたい事しかしない。
そんな感じなのだろうか?
もともと持っている長男の特性と私の子育て法の相性が悪すぎたのかな?
そんな事を思っていました。
主人とは、今は長男の言う事を優先しよう!
言う事を聞こう!と話しており実践していました。
どこまで聞けばいいの?
それが分かりません。
線引きが出来ないのです。
要するに、覚悟が緩いのです。
あまりのわがままに、主人は、
主人:
「これでいいの?怪物を育てている感覚なんだけど・・・」
「わがままにならないの?言いなりだよね」
「このスタイルで定着しないの?」
「定着したら、もう地獄だよ」
と心配していました。
やはり発達障害が入っているのではないか?
児童精神科に行けば合うお薬をくれるかもしれない。
薬を飲めば落ち着いて普通の生活が送れるのではないか。
スクールカウンセラーも結局解決策は示してくれなかった。
もう、児童精神科しかない・・・。
そんな事を毎日毎日ぼ~っと考えていました。
43 スクールカウンセラー
43 スクールカウンセラー
2021.10.12
やっと、スクールカウンセラーに相談できる日がきました。
何か解決策を教えてもらえば、今の地獄から抜け出せるかもしれない。
そんな想いで学校へ向かいました。
時間は50分。
私は、今までの経緯を話しました。
・行き渋り
・暴言、暴力
・指示が通らない
・暴れる
・泣き喚くetc・・・
時間が限られており、出来る限り端的に伝えました。
・休ませるべき?
・行かせるべき?
・どうしたら良い?
・どうするべき?
・対応方法
・暴言暴力について、等など
納得できる道を、はっきり示して欲しいのです。
40代後半くらいの、物静かそうな、女性でした。
話をきいていたカウンセラーさんは、
「そうですか、そうですか。」
と相槌を打つか、私の言った言葉を反復していました。
いわゆる、傾聴の姿勢を取っています。
教科書通りの【傾聴】です。
本当に力になろうとしているのか、そうではないのか。
・・・
熱意は感じられません。
カウンセラーさんは、ずっとメモを取っていました。
私が話終えると、
「そうですか・・・お母さん大変ですね。」
「大丈夫ですか?」
「お母さん、自分を責めないで下さい。」
「お母さんのせいではありません。」
「そうか、そうか、んーーー・・・」
「・・・」
「取り敢えず、今の状況は学校と共有しても良いですか?」
「守秘義務があります。話しても大丈夫ですか?」
私:
「大丈夫です。学校にも大分お話しています。」
カウンセラー:
「そうですか。」
「まずは、今、一番心配なのは、2歳の娘さんですね。」
「娘さんの安全を確保する事が、最重要かと思います。」
「近くに頼れる人は居ますか?」
私:
「いません。」
カウンセラー:
「そうですか・・・んーーー・・・」
「まずは娘さんを安全に。」
・・・
・・・
・・・
私は混乱していました。
今日、スクールカウンセラーに話を聞けば、何か解決策を提示してもらえる!
と何一つ、疑わずに相談に来ていました。
今の最重要案件は、娘の安全なのだろうか?
いや違う!
私は、長男の事で困っている。
困っている、というレベルではない。
どんな対応をしたら、持ち直すのかを聞きに来ている。
娘の安全の確保は、私でも考えられる。
長男をへの対処法を教えてよ!
児童精神科を進められました。
いくつか電話をしたけれど、早くて1月末な事、今電話したらもっと遅い日にちになる事、 4か月もこの状態を続ける事は不可能な事、を伝えました。
カウンセラーさんは、児童精神科リストを私に見せ 、
「んー、そんなに待つんですね。私の持っているリストはこれだけです。」
と言い、児童精神科のリストを見せ、私に伝えました。
・どこが良いかは、分かりません
・いつ見てもらえるかは、問い合わせて下さい
・専門家に診てもらった方がいいです
・息子さん、苦しいですよね
6週間予約の埋まっている、臨床心理士で、スクールカウンセラーの方です。
心理の専門家のはずです。
その方のアドバイスが、児童精神科へ行き、専門医に診てもらいましょうでした。
50分経ちました。
カウンセラーさんが、
「申し訳ないですが、お時間です。次の方がいらっしゃいます。」
「次回はどうされますか?また相談されますか?」
「ご希望でしたら★月★日の★時間からなら今予約が取れますよ。」
私がお礼を言い、帰ろうとすると、
「次回の予約表の裏に、クイズがあります。やってみて下さいね。」
と言われました。
裏を見ると、くだらないクイズが書いてありました。
私は一瞬、時が止まりました。
先の50分間の内容を、重く受け止めていたら、クイズの事を私に伝えようと思うだろうか?
私にクイズをする心境があると思ったのだろうか?
やっぱり誰も助けてくれないんだ。
それでも先が見えない私は、次回の予約をしました。
42 DVD事件②
42 DVD事件②
2021年10月11日(月)夜
この日の事は、今でも脳裏に焼き付いていて消えません。
・・・
長男が些細なきっかけで暴れ出しました。理由は、先日長男が買ってきたDVDを妹がほんの少し触ったからです。
長男は、
「うわー、うわー、うわー」
と四つん這いになり、床を拳で殴り続けています。
涙が、床と拳にぽとぽとぽとぽとと落ち、床が濡れていました。
のたうち回り泣き叫んでいます。
先日買ったCDを狂ったように磨きながら、
長男が、
「ピカピカのままが良かった!」
「新品が良かった!」
「妹が触ったから汚れた!」
「このくそ女!」
「おい!買って来い!」
「今すぐ買って来い!」
「新品を買って来い!」
「今日、今すぐ新品を買わなかったら明日も学校いかん!」
「明日買わなかったらその次も学校いかん!」
「おい!買って来いって言ってるだろう!!!!」
「うゎゎゎーーーーーーーーーーーーー」
妹に向かって、
「お前ーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「俺の物に触るな!!!」
「うゎーーーーーーー」
泣き叫びながら妹を殴ります。
私は、
「叩いちゃだめ!!!」
と娘を叩く長男を止めます。
妹は泣いて怯えています。
長男はもう、彼自身も、どうしていいのか分からない程、
「あぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
と叫び散らしています。
もう何を言っているのか分かりません。
DVDをケースから取り出し気が狂った様に拭いています。
「ひゃーーーあーーーぐぅぅぅーーー」
「汚い!汚い!汚い!汚い!汚い!汚い!!!!」
「このくそ女ーーーーーーーーーーーーーーーー」
「全部の電気を消せ!すぐ消せ!全部消せ!」
その日、早く帰っていた主人が、
「ねー、ねー、ねー、ねー!ねー!ねー!」
「家中の窓閉めて!叫び過ぎてるから!カギ閉めて!!!早く!閉めて!」
長男は、大声で叫び続けていました。
リビング中の物を投げ、のた打ち回り暴れ回る。
リビングがぐっちゃぐちゃでした。
涙でびしょびしょになった顔を拭いもせず、リビング中を歩き回り、妹を探しています。
眼は完全に据わっています。
妹と次男は、奥の部屋に私が避難させていました。
部屋の隅っこに、2人でお山座りをして怯えていました。
長男:
「どこだーーーーーーーーーーーー」
「おい!!!!!!!!」
「うゎゎゎゎーーーーーーーーーーーーーーー」
「(妹の名前)しねーーーーーーーーーーーー」
主人が汗だくで長男を羽交い絞めにしていました。
主人は、
「ごめんね、抑えるよ。」
「ごめんね、ごめんね。」
「落ち着こうね、~(長男の名前)ちゃん、落ち着こ。」
と言いながら、長男をなだめ、押さえつけていました。
それまでにも、娘は何度か長男に殴られていました。
主人は、娘の場所に行かない様必死で抑えていました。
長男にこんなに力があったのか!と思う様な力で、抜け出そうと暴れています。
その後、長男がどうしたのかどれ程考えても思い出せません。
この時、狂ってDVDを拭く長男の姿は、とても鮮明に覚えています。
もう、家族が同じ空間に居られない。
解決策は何もありませんでした。
なんで、
なんで我が家は、こんな事になってしまったのだろう・・・
41 主人
41 主人
姉が私にこんなことを伝えてきました。
「この前旦那さん、長男の事心配してたけど、あんたの事も心配してたよ。」
私は主人が私の事を相談しているとは考えておらず「そーなんだー」と不思議な気持ちでした。
姉は主人はとても優しいと言っていて、私がSOSを出したら、すぐに力になって欲しい、と姉に伝えたそうです。
その頃主人は私に、
「今はなかなかそう思えないかもだけど、この経験で親の在り方を改めて考えさせられたし、長男も、回復したら辛い人の気持ちを少しは分かる人にきっとなるだろうから、笑って話せる日がくる様に、今は頑張ろう」
「とにかく長男の人間性を信じて、不登校も含め今は全部受け入れよう」
「不登校は悪い方に向いているけど、母親に感情を吐き出し始めたから、少しは楽になりだしているよね」
「ただ、心配なのは次男だな、次男の情緒は、やばいな・・・」
と言っていました。
主人は元々子供を強く叱りつける事はせず、長男の行き渋り初期、主人が長男を叱ったのは数回です。
つい最近まで、夫婦仲は悪かった方ですが、今は、協力なしでは家庭が回らず、話せば可能な限り努力してくれまていました。
・・・
長男の不登校が酷くなる中、主人は自身の母親に意見を聞いていたそうです。
義理のお母さんは主人に、
・学校には行かせなくて良いので、わがままを聞いてあげてほしい
・叱らず、家庭内を居心地の良い環境にしてあげてほしい
・とにかくゆっくり休ませてあげて
・本人の意思を尊重し、本人に選択させ、意見を聞いてあげてね
と言っていたそうです。
40 こどもたち
40 こどもたち
私は次男に、
「お兄ちゃんは今、元気が無くて、苦しいんだよ。お母さんは、次男の事大好きだけど、お兄ちゃんが元気になるまで、我慢する事が沢山あると思うけど、ごめんね」
と伝えていました。
次男が長男の事を、理解しているかは分かりませんが、次男は、
「長男病気なの?」
と、私に聞いていました。
次男自身も心身の不調が出ていて、
・10円禿
・爪噛み
・腹痛を訴え、トイレに何度も駆け込む
・幼稚園で話さない
・廊下でずっと寝っ転がっている
・行き渋り
・暴言、暴力
・無気力
・癇癪
などの症状がありました。
娘も、小さいながらに家庭不和を感じ取っているのか、癇癪の様に泣き続ける日が多かったです。
私は、次男と娘をどこにも連れて行く事が出来ませんでした。
長男は行きたくない、でも置いて行くと「寂しい!」と、怒るので、近所の公園ですら、連れて行くことができませんでした。
主人が何とか次男の気をそらそうと何度次男を誘っても、次男は、
「お母さん、お母さん、お母さん、お母さん!」
「お母さんと行きたい!!!」
と、絶対に騙されませんでした。
長男は小さな頃から自分の所有物、場所等を誰かに取れらる事を異常に嫌がる子供でした。
・ボロボロになったスニーカー
・サイズアウトした服
・使用しないおもちゃ
食べ終えたおやつの袋も 「絶対に捨てないで!」 と言う事がありました。
・・・
3年生の6月から特に、長男がいると我が家は異空間になり、私はとにかく長男に神経を使っていました。
・マイペースでこだわりが強く、やたらと細かい事に気が付く
・ああ言えばこう言い 1つ指摘すれば10言い返してくる
かくれんぼや鬼ごっこをして遊ぶ時も、長男が入ると融通が利かず、一気に面倒になりました。
長男は、【こうしたい!】の気持ちがとても強い子で、何となーく何かをする、という事が苦手なのかもしれません。
とにかく難しい、育て難い、と私は常に感じていました 。
39 小児科にて
39 小児科にて
2021/10/11(月)
朝、長男を自転車に乗せて散歩に行くと、長男はご機嫌で【妖怪図鑑】の話をしてくれました。
その朝長男は一度も「休む」とは言いませんでした。
出発時間が来ても、長男はご飯を食べず漫画を読んでいました。私が「時間だよ」と声を掛けると、長男は、昨日の野外活動で虫に刺された足を見せて、
「足が痒すぎる」
と言いました。私は、
「そりゃそうだよね!酷すぎるもん!病院行こうよ!」
と言うと、長男は、
「絶対に行かない!死んでも行かない!」
「お母さんは僕の気持ちを全然分かってくれない!!!!」
と泣き出しました。
週末の野外活動の虫刺されで、膝下が1.5倍くらいに膨れ上がっていましたが、それでも私は、行き渋りと結び付け、痒がる長男の気持ちを無視し、学校へ行くよう説得していました。昨日も泥だらけの中シャワーをせず、汚れたまま寝たため、私が、
「シャワーしてないから余計痒いんじゃない?シャワーしようよ!」
と言うと、長男はしぶしぶ、
「じゃー足だけ・・・」
と服を着たままお風呂の椅子に座り、足だけシャワーをしました。長男は、顔をゆがめて、
「痒い、痒い」
と不快そうでした。
その後、私が何とか説得して皮膚科に連れて行きました。
その日はそのままお休みにしたので、長男は私に【妖怪ウォッチ】の話を沢山してくれて、無気力な雰囲気はなく、とてもご機嫌でした。
長男は皮膚科の飲み薬が効いたのか、3時から6時まで眠りました。
・・・
学校は頼りない、教頭も話にならない、市の相談所の対応は論外。
どこに相談したらいいのだろう?
そんな事を考えながら車を走らせていると、小児科がありました。 私は、保険証も持たず、小児科に飛び込み長男の現状を話しました。
すると、小児科の先生に、
「お母さん、この子、2021年3月にもおかしくなっていますね」
と言われ、当時私が渡し、病院に渡したメモのコピーをくれました。
それを見て私は、「はっ」としました。私は忘れていましたが、その小児科は2年の春、1か月調子が悪かった時に診てもらった小児科だったのです。
私は長男が春に体調を壊していた事を、すっかり忘れていたのです。
きっと長男のメンタル不調はあの時から始まっていたのだ、と思い、頭の中が真っ白になりました。
・・・
小児科医に言われた事は以下です。
・脳に何かが出来ているかもしれないので、早急に受診すべき
・今後、社会に出られる子にする為に、今すぐ出来る事をした方がいい
・内容があまりにも酷すぎて反抗期では形付けられません
・このあたりで一番有名な発達障害研究所も兼ねた病院の【・・・小児医療センター】に行きなさい
・心より精神病な感じの印象だけど、カウンセリングで治す感じではない
・反抗にしては、言葉や言動が過激すぎ、あまりにも酷く前例がない
・二面性や能面になる事も脳がそうさせているのではないか
・非常に稀なケース
小児科の先生は、
「この子は急に豹変しているし、不登校だし、脳に何か起こってるんじゃないか」
「その病院にかかるには、紹介状は出せるけれど、予約はすぐには取れないし、うち(小児科)では取れないので自分で手配して下さいと言われました」
私は、まさかの診断結果に、
え・・・
脳の異常なの?
何?
どうなってるよ?
と、とても混乱していました。
38 DVD事件①
38 DVD事件①
この時期はまだ、ゲームを何も持っておらず、YOUTUBEすら知らなかった長男は、妖怪ウォッチをDVDで見る事を楽しみにしていて、主人と長男が【妖怪ウォッチ】のDVDを買ってきました。次男は長男が一緒に行く事を激しく拒絶し、買い物ついて行くことが出来ずに泣いていました。
帰宅し、夜8時頃になると、 リビングで長男がDVDを見始めたので、次男も一緒に見ようとしました。すると長男は、険しい顔をして、
「お前は見るな!」
「僕が買ってもらったDVDだ!
と怒り出し、次男には絶対に見せない!と言い出しました。私は争いを避けるため、長男に、
「パソコンでみる?」
「1人でゆっくり見れるよ」
と勧めました。そんな私のアドバイスに対し長男は、
「嫌だ!テレビで見たい。でも弟には見せたくない」
「あんなバカ見る意味がない!」
「DVDがつまらなくなる!」
と次男を傷付けます。次男もどうしても買ってきたDVDが見たかったらしく、泣きながら、
「僕も見る!」
「見たい見たい」
「ずるい!僕も見たい」
と私に訴えていました。
・・・
次男が長男が見ているテレビを部屋の片隅から覗いていると、長男が無理矢理テレビを移動させました。
絶対に誰にも見えない様に周りを囲み始めました。
長男は、次男が見る事を絶対に許さない!と決めているようでした。
次男は部屋の隅で、文句を言わず、真っ赤な目で立ちすくんでいました。
その姿はとても可愛そうで、私は見たそうにしている次男の事をとても見ていられませんでした。
その時に、親として、私に何が出来るのか、何を、誰を、優先すべきなのか、考えましたが私には分かりませんでした。
長男は部屋の隅でテレビを覗いている次男に対し、その後もずっと、
「お前は見るな!気持ち悪い!生ごみ!」
と言い続け、 あまりの剣幕に次男は固まってしまいました。
見かねた主人が、次男を別室に行くよう、説得していました。
次男は号泣しながら主人に、
「見たい見たい見たい見たい」
と 地団太を踏んで訴えていました。
・・・
主人がなんとか次男を説得し、次男と娘を別室へ連れて行き、パソコンで【妖怪ウォッチ】を見せていました。
長男を1人にする事は出来ず、長男とリビングに残りました。
次男が部屋からいなくなると、長男はDVDを見ながら大笑いしながら、私に共感を求めてきましたが、私は不快な気持ちを切り替える事が出来ず、呆然としながら、黙ってリビングの床に座っていました。
・・・
DVDを買ってきた時点で、大体の予想はしていましたが、それでも私は長男の次男に対する態度やわがままさに唖然としていました。
長男が、次男を悲しませ、笑っている姿は受け入れ難かったです。
次男はこんな毎日に耐えれるのだろうか・・・ と思わない日はありませんでした。
・・・
奥の部屋で主人、次男、娘でパソコンで動画を見ていると、長男は突然、奥の部屋へ行き、
「次男ずるい!パソコン見てる!ずるい!」
というので、主人が長男に、
「一緒にみる?」
と誘っていましたが、長男は、
「見ない!こんな奴と見る訳ない!こんな奴に見させるな!消して!」
とパソコンで次男が妖怪ウォッチを見る事も許しませんでした。次男が嬉しい事が許せず、次男から全て奪い取る事しか考えていないのです。
次男拒否は、もうずっと続いていて、今に始まった事ではありませんでした。
それでもやはり、この時期は異常でした。
私に物理的に不可能な事ばかり言って困らせ、次男を徹底的に虐めていました。
この日は、休日で主人がいたので何とかなりましたが、もしこの出来事が平日に起こったら・・・と思うと ぞっとしました。
その日の22時、 長男が、再び騒ぎ出しました。 長男は突然、
「今からご飯たべる!」
「まだ夜ご飯食べてない!」
と騒ぎ出し、夕食は食べていたので、私は何も言う事が出来ず黙っていました。長男は、
「今から2時間の映画観る」
と言うので、私が、
「明日起きられるの?」
と言うと、長男は表情を変え、
「起きられないなら休めばいい」
「学校何て、うざい女がいるだけ」
と言い、お腹が空いたと言い続けるので、私はご飯を作り、映画が終わるまでリビングにいました。映画が終わり
私が、
「明日朝起きられる時間に寝てね」
と言い、寝室に向かおうとすると、長男は、
「もう起きられないから、明日も休む」
と、答えました。
私は、もうこれ以上何を言っても同じだなと思い、何も言いませんでした。
37 休日の課外活動②
37 休日の課外活動②
2021年10月10(日)
この日も長男は野外活動に参加しました。
前日の野外活動で、川べりで釣りをし、130カ所位膝下を虫に刺されておりとても不快そうでした。それでも長男は参加すると言い出発しました。
到着した際に水筒を忘れている事に気が付き、自販機でお茶を購入すると 、
「お母さん、ありがとう!」
とにっこり笑ってくれました。
・・・
お迎えに行くと、長男は 「楽しかったーーー!」 と笑っていました。
私はなんだかとても嬉しい気持ちになりました。
貰ってきた材料で工作するにはガムテープが必要で、帰り道にホームセンターへ買いに行くと、
「お母さん、ありがとう!作るの楽しみ!」
ととても元気に見えました。
・・・
夜長男が、「お母さん、宿題やって」と言うので、私はこの子は明日は行こうとしているのかな?と思い少し嬉しかったです。
長男は、
「お母さん、計算ドリルだけでいいよ、漢字は自分でやる!」
と元気に行っており、とても落ち着いているように見えました。
その後主人、長男、次男の3人で、漫画を買いに出かけました。今日は次男が車に乗る事には何も言いませんでした。
なんだか、今週末は先週末より落ち着いているように見えました。
・・・
両親は長男に何一つ注意しをせず、機嫌を損なわないようにしていました。
このまま王様みたいになってしまうのではないか?ととても不安でしたが、親は今やれる事はこれしかない!と全力疾走していました。
野外活動の様子を見ていた私は、この子は学校が無ければ狂わないのかな、学校に行くからおかしくなるのかな、病気なのかな、 それともただ単に学校が嫌なだけかな、と学校がなければ元気な息子の姿を見て思っていました。
36 休日の課外活動①
36 休日の野外活動①
2021年10月9(土)
この日は、以前申し込みをした9時から16時までの市の野外活動に「行く!」と言いました。
到着すると長男を見かけた友人数名が長男を読んでいたのですが、集合場所へ1人で行けませんでした。
長男は私の手を引き、自信がなさそうに小石を蹴りながら、とぼとぼと友人の方へ向かいました。
私は長男の様子が気になり、しばらくの間、車の中から長男の様子を見ていました。
少しずつ輪の中に入り、沢山の友人の中で鬼ごっこをする姿が見え、そんな長男の姿を見るのは久しぶりで、懐かしい感じがしました。
・・・
16時にお迎えに行くと、長男は笑顔で、
「楽しかったよ、明日もあるよね!明日も行く!」
と、とてもご機嫌でした。帰りにコンビニに寄ると、長男が、
「身体が全く動かない」
と言い、私がおんぶをして店内を回りました。
・・・
次男は家に長男がいない間、平和な時間を伸び伸びと満喫しているようでした。
・・・
夜、家族で外食することになり、主人と長男が乗っている車に次男が乗ろうとすると、長男が、
「お前は乗るな!絶対に来るな!狭い!」
と言い、次男が固まりました。
私は次男に、お母さんの車で一緒に行こうと誘い、次男を説得し、2台で目的地へ向かいました。
店内でも次男への暴言は止まりませんでした。 長男は何もしていない、声すら発していない次男に対し、
「目の前に座るな」
「視界に入るな、ご飯が食べれなくなる」
「横に座るな、気持ち悪い」
と言い、次男はどこに座っても徹底的に存在を否定をされていました。
長男の席から、テレビが見え、それが次男の好きな番組だったので、次男はテレビが見える席に移動しようとしました。 すると長男が、
「お前は見るな」
「絶対にダメ」
「こっちに来るな!」
「まずくなる」
と言い、最終的には次男の顔面を拳で殴りました。
長男は次男が少しでも手を触れた食べ物は「汚い」と言い、絶対に口にしませんでした。
次男は泣いていて、 長男はテレビを見ながら笑っていて、私にはとても見るのが耐え難い異常な光景でした。
両親がどんな対応をしたのかは思い出せませんが、吐き気がするほどの不快感は覚えています。
・・・
ずっとこんな感じで次男は長男にいじめられ、何もしていないのに毛嫌いされ、次男がとても可哀そうでした。
長男を可愛がらなければならない事は重々承知していましたが、どうしても、どうしても気持ち追いつきませんでした。
長男が次男をいじめている時に、私は長男の事を、
無理・・・
可愛がれない・・・
全然可愛くない
と感じてしまい、それが私の中にある、本当の気持ちでした。
就寝時、長男は次男が話す事は決して許さず、ずっと私に話しかけてきました。
一方的にずっと話していて、私はとても長い時間、長男の話を聞いていました。
23時だ・・・
もう寝てほしいな・・・
私も眠たいな・・・
・・・
野外活動で泥だらけでしたが、長男は意地でもお風呂に入らず、着替えもせず、そのまま眠りにつきました。
35 完全不登校までのカウントダウン⑤
35 完全不登校までのカウントダウン⑤
2021年10月8日(金)
長男の様子をみていると、今は気持ちを受け入れて否定はしない方が良さそうで、とにかく長男が安らげるように話を聞こう、と私は思っていました。
主任先生や担任の先生との度重なる話し合いで、周りの大人が長男を何とか学校へ来させようとしている雰囲気が長男に伝わり、長男の気持ちだけが置いてけぼりにされていないのか?大人が長男を追い込んでいないか?と疑問が浮かびました。
この時期は長男が頻繁に大泣きするようになり、思う存分泣き、感情を吐き出し、私が「大丈夫、大丈夫」と言うと長男は落ち着くことが多かったです。
長男があまりにも苦しそうに泣くので、見ている私は胸がとても苦しくなりました。
沢山泣いて感情を吐き出すと、長男は一旦は落ち着くのですが、些細な事がきっかけで、またすぐに心が不安定になる、その繰り返しでした。
私は、母や姉が家にいる事で長男は周りの大人に遠慮して、想いのまま泣けないのではないか?と感じるようになりました。
この時期次男は、どこに行くにも置いて行かれ、私は長男に付きっきりなため、私は次男を我慢させてばかりいると感じていました。
・・・
そんな日々の中、夕食の時に次男が、
「うううううーーーー」
と唸りながら、目に涙を溜め、苦しそうに泣く事が増えました。
私は不安定な次男の事も幼い娘の事もとても心配で、2人と関わりたいと望むのですが、長男はそれを許しませんでした。
私が次男、娘と仲良くする姿は、長男を強く刺激し、心を不安定にさせました。
長男は当時情緒が不安定で、とても部屋に1人に出来る精神状態ではなく、私は下の子たちと関わる時間を作れずにいました。
行き渋りが酷くなると、私は毎朝長男にだけ時間を割かざるを得なくなり、次男は幼稚園に毎日遅刻していました。娘は毎朝「抱っこして」とギャーギャー泣いていて、3人全ての子供に、私が1人ずつ必要な状態でした。
長男と私が2人で落ち着いて支度ができるように、主人が出社時間を少しずらし、ぐずる娘を別室へ連れて行ってくれる日もありました。
娘が学校へ付いて行く事を、長男が許さないため、2歳の娘は毎朝1人で留守番をしていました。
家庭を、思う存分ストレスを吐き出せる場所にしなくては!と思い、しばらくの間は母や姉には頼らず、家庭の事は両親で乗り切ろうと主人と話をしていました。
・・・
下2人を、長時間置いて、出かけざるを得ない日が増えており、親族にも頼めず、次男と娘の情緒や安全が心配でした。
次は次男が壊れたらどうしよう、と心配していると、予感は的中しました。
・・・
主人が下の子どもたちの面倒を見ることがベストなのですが、仕事があり無理でした。
1日でも早く、専門家のアドバイスを聞きたい。
児童精神科が数か月後ならとりあえず、小児科に行こう!
長男を、病院へ連れて行くのは無理なので、私1人が小児科へ行き、現状を説明し、大きな病院を紹介してもらおう。
きっと良いアドバイスをくれるはず!
そう思い小児科に行く事にしました。
主人と、長男が好き放題ストレスを出し切れる環境を作れるように両親だけで乗り切ろう!と話していましたが、主人は家族を守るために働かなければならず、結局は私1人で対応する以外に道はありませんでした。
34 帰宅後の無理難題
34 帰宅後の無理難題
この頃の長男は、私が次男の名前を呼ぶだけで、
「あー!」
「あーー!!!」
「あーーー!!!!!」
「あーーーーーーーー!!!!!!!」
と泣き叫ぶようになりました。
私と長男が落ち着いて話せる環境を作ろうと主人が、あの手この手で次男を私から遠ざけようとするのですが、次男はそれを察して、
「お母さん!」
「お母さん!!」
「お母さんがいい!!!」
と、泣き叫ぶので、主人がなんとか次男の気をそらそうと外に連れ出そうとするのですが、次男は絶対に主人と出かけようとはしませんでした。
この時期、長男は、私が次男と関わると荒れ狂うようになったので、我が家の平和のためには長男を立て直さなければ! と私はなるべく長男を優先的に構うようにしていました。
長男は次男が視界に入ると泣き叫び、次男に危害を加えるので、2人を近づける事ができず、同じ部屋にいる事はとても困難でした。
・・・
2021年10月8日(金)
この日の朝、長男と私は自転車で散歩に行きました。
ご機嫌で帰って来ると【NHKの0655】が始まっていて、長男は突然不機嫌になり、私に、
「君に罰を与えよう」
「今日、僕は学校を休むからな」
「これは罰である」
「テレビの時間に間に合わなかった罰である」
と、笑っているような、引き攣っているよう表情で長男は私にそう言いました。
・・・
集合時間になっても体が動かなかったようですが、時間になるとだるい体を引きずるようにして「お母さんと行く」と言うので一緒に学校へ向かうことにしました。
出発前には何度もトイレに駆け込み、しばらくの間出てきませんでした。
・・・
私が長男と歩いて正門まで行くと、2年時の担任の先生が、
「学校生活の不安を取り除けるのなら、長男が大好きだった支援員さんを配置できるか調整してみますよ」
と声を掛けてくれました。
・・・
その日の帰宅後、長男は30分間、獣が鳴くかのように泣き叫び支離滅裂な無理難題を言い始めました。
その日は長男の歯医者の予約が入っていたのですが、帰宅すると長男は、釣り上げたばかりの魚のように布団の上でのたうち回り、手に取るもの全てを壁に投げつけ、
「うぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーーーー!」
「うゎーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
と叫び始めました。
あまりの暴れ方に、私は言葉を失い、ただ背中を撫ぜる事しかできませんでした。
長男は、わんわんと泣き叫びながら、
「お母さん、こないだの消しゴムは?」
と私に聞いてきました。私が、
「え、「遠いからまた行こ」ってなったやつ?」
と聞くと長男は泣きながらうなずいていました。私が、
「ごめん、ごめん、まだ行ってない!」
と謝ると、長男は、
「今すぐ買ってきて」
と泣き叫びました。私は、この子は今正常な精神状態ではないな、と思い、
「そっか・・・じゃあ今日は歯医者さんやめて、消しゴムを買いに行こう」
と言うと、長男は、
「歯医者は行く!」
と私を困らせました。私は長男に、
「どうしたいのか決めていいんだよ」
となだめても、長男は、
「行くの!どっちも行くの!」
と言うのです。私が、
「そっかそっか・・・」
と背中を撫でていると、長男が、
「遠いから100均で買っておくって言ったじゃん!」
と買ってきていない私の事をとても怒っていました。 私が、
「そうだね 買ってくるよ」
と諭すのですが、長男が、
「今すぐ行く!」
と言うので、私は100均へ向かうことにし、
「いいよ! 下の子達、連れてくるね」
と出かける支度をしようとしました。すると長男が、
「だめ!!!!行くのは僕だけ!!!!」
「あいつらは連れて行くな!!!」
「僕だけだ!」
と激しく泣き叫びました。幼い次男と娘を置いて買い物に行く事が心配で、私はとても困っていましたが、その間も長男はのた打ち回り、叫ぶように泣いていました。
顔を涙でぐちゃぐちゃにし、お腹の中から声を絞り出すように、聞いたことのないような声で唸り、とても苦しそうに、とにかく泣くのです。私は、
「分かった!取り敢えず、歯医者さんにキャンセルの電話だけさせて」
と長男に伝えると、
「歯医者も行く!断るな!行くんだ!」
と泣き、私は歯医者に間に合わせるため、歯医者の後に100均に行く事を提案しました。 その提案に対し、長男は、
「嫌だ、先に100均!!!!!絶対に先に100均!!!!」
と叫び、今この子には何も言わない方がいいな、と思い、
「分かった分かった、そうしよう」
「長い時間だから、弟と妹連れて行っていい?」
と下の子たちをつれて100均に向かおうとすると、長男は、
「ダメ!ダメ!ダメ!ダメ!絶対ダメ!」
と下の子を連れていく事を許しませんでした。
次男と娘は大人しくテレビを見ていたので、私は次男に、
「少しだけ待っていてくれる?」
とお願いをしましたが、 次男は、
「僕も行く!僕も行く!僕も行く!」
「ギャーーーーーーーーーー!」
「何で行ってはダメなんだ!」
と号泣していました。
・・・
あぁ・・・
あぁ・・・
どうしよう
と私は泣きそうになっていましたが、今は長男を優先させるしかない!と思い次男と娘に見つからないよう、そっと外出しました。
辺りが薄暗くなりはじめた夕方に、1時間以上の長い時間、幼い2人を家に残す事はとても心配でした。
・・・
長男は、車の中で一通り泣くと少しずつ落ち着き、私と買い物をしている間はご機嫌でした。
私は、買い物をしながらご機嫌に話しかけてくる長男と楽しく会話をしたいのですが、下の子たちは大丈夫かな・・・ と気持ちがソワソワし、長男の話を上の空で聞いていたように思います。
早く帰らなきゃ、早く帰らなきゃ、と思いながら帰宅をすると、2人は大人しくテレビを見ていてくれました。
33 完全不登校までのカウントダウン④解決策が分からない
33 完全不登校までのカウントダウン④
どこかの相談員が長男の現状に対して、
「反抗期では片付けられませんね。特性、幼少期から我慢してたお母さんへの独占欲、ホルモンバランス、色々重なって自分自身にも怒れてるのではないでしょうか?どうしようもない怒りで訳が分からなくなっているんじゃないかな」
と私に言いましたが、具体的にどうしたらよくなるかもしれないよ、という解決策は教えてくれませんでした。
・・・
10月に入ると長男は常に泣いていて、不登校は悪化していましたが、私にぽつぽつと胸の内を話す事が増えていきました。主人とは、不登校を受け入れ覚悟を決めようね、と話をしていました。
・・・
心療内科に「本人を連れて行くのは難しい」と説明し「私だけで相談に行きたい」とお願いしましたが、初診は本人が居ないと診れず、 予約が取れたとしても最短で4か月後と言われていました。
その言葉に私は、本人が病院へ行けないほどの精神状態だからこそ受診したいのに・・・と臨機応変に対応してくれない病院に疑問を持ちました。
教頭先生がスクールカウンセラーを5日後に手配してくれたので、スクールカウンセラーに話せば何か良いアドバイスがもらえるかも!と少し希望を持てました。
その頃の長男は休むと暴言がなく落ち着いていて、波はあるけれど基本的にご機嫌でしたが、学校の話題になると目つきが変わり、お風呂に入らない日が増えていました。
2021年10月頭
長男が、
「女を全員殺せ、と学校に電話して!女を教室に入れるな!女全員、別の部屋にしろ!」
「先生は、優しいだけで、何の役にも立たない!女子が鬱陶しい 」
と、ここ数日間発言が過激になっていきました。
・・・
寝る時間を過ぎた22時に長男は夕食を沢山食べたのに「お腹空いた」 と、泣き出しました。
私が「もう寝る時間だよ」 と言っても、食べて良いと言われるまで、「お腹が空いた」と言い続けていました。
夜遅い時間から食事をする事を心配していたので私が「太っちゃうよ」と言うと、癇癪を起しました。
あーあ・・・言うんじゃなかった・・・もう、何でも食べてください、と言う気分で私は長男に食事を作りました。
・・・
お風呂の時間になり「引きずって連れて行って!」と、言うので、お風呂場まで引きずって連れて行きました。
お風呂場に着くと、走ってリビングに戻り、また引きずって連れて行く、それを何度も、何度も、繰り返しました。
洗ってくれと言うので頭を洗うと「足しか洗いたくなかったのに! 」と泣き出し暴れ回りました。
・・・
長男は、「学校のこと考えると気が重い、だるい」 とよく言っていました。
夏休み前から、しつこさ、聞き分けの悪さ、が、異常に酷くなり、この子は精神病なのかな・・・と心配していました。
私が、「10時までに寝ようよ!」 「漫画読むけど寝室行く?」 と声を掛けると、こちらからの提案は一切受け入れず、長男は、「わーーーーーーーーーーーーーーー!!!」 と叫び、暴れ出しました。
長男を立ち直らせるために長男の要望をほとんど聞いているので、両親が注意しない事で要望がエスカレートしているのかな、それとも、問題行動を起こした時の私の反応を見ているのかな?と長男の行動心理が良く分かりませんでした。
今は心が元気になってほしいという理由で、ほとんどの要求を聞いているけれど、もしそれが当たり前になったら、我が家は地獄だな、と恐怖心を抱いていました。
私は常に長男をとても育て難い子だな、と感じていました。
・・・
私も主人もいつも長男を腫れ物を扱うように接していて、 これ以上酷い家庭内暴力になったらどうしよう、否定をすると牙を向くので子供を全然注意できない、対応の仕方が全然わからない、次男と娘の情緒が心配でいつまでこんな生活が続くのだろう、と毎日とても憂鬱でした。
・・・
実家の母に迷惑を掛けたくないけれど、娘だけ実家に預け、長男の精神状態を安定させる事に集中しようか、何を最優先にするべきか常に悩んでいて、心療内科は良いアドバイスをくれるはずなので心療内科に行こう!と決めていました。
32 完全不登校までのカウントダウン③教頭先生
32 完全不登校までのカウントダウン③
主人と話をしていると、 主人が、
「僕は指示、命令される事がとても嫌で、今までも誰のアドバイスも聞かず全部独学でやってきた」
「塾に行っても教えられた方法ではなく、自分のやり方でしか学ばなかったし、とにかく指示されるのが嫌だ」
と教えてくれました。
長男も人に何か言われる事が大嫌いで、私は昔から主人と長男は色々な部分でよく似ているなと思っていました。
2021年10月頭
その日も長男は「怠い、怠い」と言っていたので、私はお休みするのかを尋ねると長男は葛藤している様子で、声を出さずに首を少し横に振りました。
出発時間になると腹痛を訴えたので私は再びお休みするのかを尋ねると、今日も、
「休むのか決めていない。少し考える。」
と、答えていました。
その時私は心の中で、長男から「学校へ行く」と言われるまで、何も言わずに待っていた方が良いのかな? 私から声をかけないでいたら、行かないのが当たり前になって本当にずっと学校に行かなくなるんじゃないかな? それとも長男はすでに、不登校気味から【完全不登校】に移りつつあるのかな。
と色々な事を考えていました。
・・・
私は、長男の不登校は私の今までの子育てへの仕返しだと思っていて、私が苦しくなる事は自業自得だな、と思っていましたが、結局社会からはみ出て苦しむのは私ではなく長男なので、私は長男の社会復帰のために何ができるのだろう、といつも考えていました。
担任の先生は、頼りにならず、スクールカウンセラーも6週間後と言われ、 児童精神科も最短で4か月後でした。
よし、もう教頭先生に直接相談してみよう! と思い立ち頭先生に、
スクールカウンセラーが6週間待ちな事、長男の不登校の経緯、女の子を嫌がっている事、女を殺す夢を見た!と起床してきた事、ぶっ殺すと言い続けていることなど、現在の長男の状況を包み隠さずの話しました。
すると教頭先生は、
学校では落ち着いているようで、そんな酷い事になっているとは思いませんでした。 担任も、特に困る事は何も無いと言っていますがそんなに酷いんですね。
へーーー、初めて聞きますね、そんな子は、お困りだと思いますので早めにスクールカウンセラーを手配しますね。
と、電話越しにでも、興味がなく他人事な事が伝わってきましたが、スクールカウンセラーを早めに手配して下さった事には感謝しました。
私が教頭先生にこのまま休ませても大丈夫なのかと聞くと、教頭先生は、
「さぁ、どうでしょうね?でも本人行かないんですよね?こうゆうケースは、今までないので分からないですね。私ずっと中学担当だったので、小学生はよく分かりません」
「小学生ではこのケース聞いた事ないな・・・親が言わないだけかな・・・」
「休んだ日のプリント類は渡します、毎日授業内容の報告があるはずですよ」
と片付け仕事のように淡々と言われました。教頭先生は話し合いの時に「プリントは渡しますね」と言っていたのに、担任の先生からプリントを渡される事はありませんでした。
・・・
私は担任の先生が頼りないので教頭先生に相談したのですが、教頭先生に相談したところで何も変化はありませんでした。 むしろ、教頭先生もダメなんだ・・・という失望感が加わった感じでした。
どこに相談しても、「分からない、どうしたら良いんでしょう・・・」と皆同じことを言い、酷い時は私が相談に行っているのに、逆に相談員に相談される事がありました。
・・・
私には、長男は以前は楽しく学校に行っているように見えたので、何かのきっかけで精神が極限状態になり、些細な事も許せないほどのストレスをかかえるようになってしまったのか。
長男の気持ちが落ちついてきたら、少しはストレスに耐えられる子になるのだろうか?
私はどうかそうであって欲しい、そうでなければ、社会で生きていけない・・・と長男の将来に対して日に日に不安感が強くなっていきました。
・・・
私が少しでも出かけようとすると「行かないで!どこに行くの!」と執拗に着いてくる長男に対し、私は心の中で、
あーーー もう・・・
あーーー
一瞬でいいから1人になりたい。 執着しないでよ!!!
と感じていたのです。
31 誰も助けてくれない!
31 誰も助けてくれない!
2021年10月頭
前日に担任の先生から「体調不良なので明日はお休みします」と連絡がありました。不登校気味になってから長男は、誰かが学校をお休みすると必ず、「僕も休みたい!」と言うようになりました。
私は担任の先生は長男の不登校に危機を感じていないな、とずっと感じていました。
長男は、
「優しい女の子もいるけど、半分以上の女子がうざい!」
「いつもいつも僕の邪魔してくる」
「殺す!、殺す!、殺す!」
と呪文のように言い続けていました。
テレビから流れてくる音声ですら、
「うそつけ!下手くそ!」
「だせえ!」
「殺す!ぶっ殺す!」
「ナイフでぶっ刺す!」
と過激な言葉ばかり言っており、彼の目に映る全てが敵に見えているようでした。
・・・
主人はいつも、大体子供たちが学校へと出発する時間に会社へ出発します。長男が学校を休む日は、長男は必ず主人の車まで行き、
「お父さん、お父さん、いってらっしゃい」
と言い、主人に抱き着いて甘えていました。
・・・
昨日は長男が私に甘えてきて「俺は1ミリも動かないから寝る部屋まで運んで」と言い、リビングから寝室まで赤ちゃん抱っこで運びました。
・・・
学校に私がどれ程相談しても、解決策を提示される事はなく「様子を見ましょう」としか言われないので、私はどこか良い相談所がないかな、と思い学校に尋ねると担任の先生は首をかしげながら、
「さぁ、分かりません」
と答えました。
・・・
そんな頼りない学校からの良い対応は早々に諦め、私は市の相談所に行く事にしました。
娘を置いて行く事もできず、連れていけば落ち着いて話を聞く事は出来ないので、実家の母に来てもらい何とか相談所へ行く事ができました。
この時期長男がストーカーのように私に付きまとい、私が外出する事をとても嫌がっていたので行き場所が相談所でも、1人で外出できる事が嬉しかったことを覚えています。
・・・
市の相談所へ行き、今までの経緯をざっと話しました。
私が少し感情的になり、泣きながら1時間ほど話をしていると、3人いる相談員さんのうち1人はメモを取り、他の2人は、うん、うん、とうなずきながら私の話を聞いていました。
私が話し終えてからも、しばらくの間、誰も口を開きませんでした。
1人の相談員さんに、
「事情は分かりました、そうですか・・・」
「大変ですね・・・」
「一応こちらで状況はメモしましたが、出来る事は何もありません」
「こうゆう子が居る、と言う事だけ、把握しておきますね」
と言われ、私は一瞬時が止まったようで、
何?
出来る事ないの?
相談所だよね?
電話である程度の内容話したら「来て下さい」って言ったよね?
え・・・
は・・・
嘘だぁ・・・
何か教えてよ!!!
と心の中で思いました。わざわざ遠方の母を呼んでまで話を聞きに来たのに、長男の目を盗み、娘を母に預け、何とか相談に来れたのに!何一つヒントをくれないじゃん!
出発前にあった期待感は完全になくなり、失望感だけが私の中に渦巻いていました。
相談中、1人の相談員さんが、身に着けている結婚指輪をぐるぐるとずっと回していた事がとても印象に残っています。
なんなんだよ・・・
結局、誰も助けてくれないじゃん!
そんな気分でした。
30 激しくなる暴言
30 激しくなる暴言
2021月10月7日
この日長男は朝「夢の中でウザイ女殺した」と淡々と言いながら起きてきました。
しばらくの間、うざい、うざい、殺す、殺す、と、ずっと呟いていました。
私は「そっか・・・」以外の言葉は出ず、 黙っていると、長男が「だるい、お腹痛い」とうずくまっていました。
長男の暴言は日に日に激しくなり、私にはとても正常な精神状態には見えませんでした。
長男の口に出す言葉は常に、
「殺したい、うざい」
「学校やめたい、くそつまらん」
そればかりで、私はこの子は精神病なのではないか・・・と思うようになりました。
目がうつろに据わっており、いつか、本当に、何かしてしまうのではないかと学校に行かないのとは別の心配をするようになりました。
精神病院を調べると、小児を診ている心療内科はとても少なく、早くても4か月後の1月末の受診です、と言われました。
心配した私は「もう、休んでいいよ」と言うと長男は「今日は行く」と言ったのですが出発時間が近づくと「やっぱり今はいけない」と言いました。
私は学校への連絡があるので、行くか休むかだけ教えてほしいと伝えると、少し考えるね、と言っていました。
次男を幼稚園に連れて行く支度をしている間中、長男は次男と娘の前で悲観的な言葉を繰り返し呟き続けていました。
学校に、長男が遅刻か欠席か決め兼ねている、と連絡していると、長男は私が誰かと電話で話をしている事に過剰に反応し、
「携帯で何しているの?」
「どこに?何話しているの?」
「何を話しているのか内容を教えて」
としつこく聞いてきました。
長男は私が少しの間部屋からいなくなるだけで探し回り、ストーカーのようについて回りました。
・・・
もう自分ではどうしていいのか分からない私は、担任の先生にスクールカウンセラーの予約を頼みましたが、混雑しているようで、6週間後なら予約が取れる、と言われました。
担任は対応にとても困っていると相談しても「様子を見ましょう」 としか言わず、私ではどうしたら良いのか分からず、誰に相談したらいいのだろう・・・と相談先を探していました。
・・・
朝、次男の方が出発が遅い為、長男がいると次男は幼稚園を休みたがりました。
長男の不登校、暴言は悪化していましたが、私が以前よりも否定せずに話を聞くからか、私に気持ちを伝えてくれる事も多くなり、長男の話をじっくり聞きたい気持ちがありましたが、この時期は次男の無気力、私への執着も酷く、次男も娘もずっと私に張り付いているので物理的に長男の話をゆっくり聞いてあげる事はとても難しかったです。
私は平日に1人で子育てする事に限界をかんじていましたが、解決策も見つけられず、どうしたらいいのだろう? と途方に暮れていました。
29 不登校までのカウントダウン②ミシン
29 完全不登校までのカウントダウン②
2021年10月頭
この時期、朝娘を置いて長男の学校へ付き添う事が増え、娘の事が心配だった私は、遠方に住む姉と母に手伝いに来てもらう事にしました。
2人が来てくれたその日の朝長男は、こちらの話は一切聞かず「休む!」 と言い寝室へ逃げていきました。
長男はお休みが決まると、ご機嫌で折り紙をして遊び、答えを丸写しですが宿題も頑張ってやっていました。
退屈そうにしていた長男が突然「ミシンやりたい!」と言うので、私がやり方を教えると長男は楽し気に色々な袋を作り始めました。
長男がミシンに夢中になっている時に、次男が幼稚園から帰って来ました。
長男がミシンで袋を作っているのを見て次男もミシンをやりたがりました。
次男がやりたがったその時は長男が別の事をしていたので、次男に使い方を教えていると長男は、次男に向かって、
「下手くそ、バーカ、やめろ、そんな簡単な事も出来んのか!」
「お前は本当にバカだな」
と次男を否定し続けました。
次男はそれに無反応で、私も次男に教えながら長男の暴言を、なんとかスルーしていました。
すると相手にされない長男は次男の椅子の後ろに座り、一生懸命ミシンを使っている次男を椅子ごと一定のリズムで蹴り始めました。
「とん、とん、とん、とん、とん、とん、とん、とん」
次男の体が前後に揺れ、上手にミシンが出来ません。
見かねた私が、「やめてあげて」 とお願いしても長男は一向にやめずに蹴り続けました。
私はだんだん苛立ちが増し「ねー、一生懸命作っているよね、危ないって、やめてあげて!」
ときつく言うと長男はより一層強く椅子を蹴りました。
それでも次男は何も言いませんでした。
次男の頭が振り子のように同じテンポで前後していて、まるで蹴られている事に気が付いていないかのような振舞いで、長男には歯向かわずに固まりながら、ミシンをやり続けていました。
その姿は私の胸を締め付け急に次男を虐める長男の事が、憎くて、憎くて、たまらなくなりました。
別の部屋に姉と母がおり、毎日1人で感情を抑え、張り詰めていた緊張感がパーンと切れてしまったのかもしれません。
私は「もーーーーー嫌!!!!」 と言って家を出て、庭に停めてあった車に乗り号泣していました。
追いかけてきた母親は、
「分かるよ、分かるよ、よく今まで1人でやっていたね、どうやって毎日過ごしていたの?」
「下の子、可哀そうなの分かるよ」
「憎たらしいと思うよね」
「どうしたら良いんだろうね」
「下の子が、おかしくなってしまうよね」
と私を慰めていました。
私はその言葉にも、なぜかとても苛ついていました。
姉は長男に、次男虐めちゃだめだよ、と諭しているようでした。
多分ですが、母親が私に言った言葉を長男は聞いており、長男はしばらく部屋に籠り出てきませんでした。
食事の時間に何度か呼びましたが食べに来ませんでしたが、皆が食べ終わる頃長男はリビングに来て 「お腹すいた」 「何で呼ばないの?」 と文句を言っていました。
何度か呼んだ事を伝えましたが、 長男は、聞こえない、言われていないと不機嫌そうにしていました。
夕食に唐揚げを用意すると、
「気分じゃない、いらない、食べたくない」
といいました。最近は、毎回用意した夕食とは別の物を作らされていました。
・・・
夜は「明日休むー」と言い捨てて眠りにつきました。
28 完全不登校までのカウントダウン①
28 完全不登校までのカウントダウン①
2021年10月頭
この日、長男は私が学校まで付いて行くなら学校へ行く、と言うので、私は長男と一緒に学校へ行く事にしました。登校時間、いつもは寝ている2歳の娘が起きてきて「お母さん、抱っこ」と言って泣いた為、私は娘をベビーカーに乗せて連れて行く事にしました。娘をベビーカーに乗せていると、長男が、
「妹は連れて行ってはだめ!」
「妹が付いて来るなら学校へは行かない!」
と言い出しました。私が付いて行けば学校へ行く、と言っている長男をなんとか学校へ連れて行きたいのですが、娘も「抱っこ」「抱っこ」と泣いていて、物理的に2人共の要望を聞くことはできませんでした。
私は何とか娘を泣き止ませ、娘の好きなテレビを見せ、危険そうなものを片付けて学校へ向かいました。
学校へ着くと2年時の担任と現在の担任の先生が立っていました。
2年時の担任の先生が私に気が付き、
「長男君どうですか?」
と声を掛けてくれました、私は行き渋りがとても酷い事を説明すると、隣にいた現在の担任の先生に、長男が学校に来たくない理由に何か心当たりはないのか?と聞いていました。
現在の担任の先生は、
「いや、、、分かりません」
とだけ、首をかしげながら答えていました。
2年時の担任の先生は、長男はとても優しいので、学校生活で嫌な事があっても我慢し過ぎているのではないか?と引き続き担任の先生に聞き続けてくれていましたが、今の担任の先生は、
「いや、、、ちょっと分からないです、学校では普通です」
としか言いません。2年時の担任の先生は、疲れた様子の私を見て、
「お母さん、大丈夫ですか?」
と声を掛けてくれました。私は、休ませるべきか、どうしたら良いか分からなくて悩んでいる事を話すと、今の担任の先生は、ボーっとした感じで、
「もう、お母さんも長男さんもゆっくり休んだらどうですか?しっかりお休みしては?」
と私に提案してきました、それを聞いていた2年時の担任の先生は、
「ちょっと待って、親になれば分かると思うけれど、それは凄く覚悟のいる事だから!」
と私の気持ちを代弁するかのように横で話を聞いていた担任の先生に言ってくれました。
今の担任の先生には、再三にわたり長男の様子を報告していましたが興味はなさそうで、2年時の担任の先生の方が本気で長男の事を心配してくれているな、と私は感じました。
話の中で、2年時の担任の先生が、長男が2年生の終わりにも元気のない時期があった事を教えてくれました。
長男は、椅子からずり落ち、床に座ってしまう事が何度もあり、興味のない話を聞くことがとても苦痛そうだったそうです。
・・・
毎朝朝の支度の時は長男に付きっきりで、下2人のお世話が進みませんでした。
自分に手を掛けてもらえない事が不満なのか次男もどんどん無気力になり、支度に手こずるようになっていきました。
長男は私と2人で過ごす時間に次男や妹の邪魔が入る事を激しく嫌がりました。
私を独り占めしたいのかな、と感じる事もありましたが、平日1人で子育てをしている私には長男のその望みを叶えることはとても困難でした。
私はこの時期にも、不登校の原因は何なのだろう・・・と考え続けていて、
長男はいじめられるタイプには見えず、むしろ友人が多く、いじめではないと私は思っており、発達障害かな、適応障害かな、もしかして鬱なのかな・・・ただ単に学校が嫌いなのかな、女の子が嫌なのかな、と必死に原因を探していました。
もう以前の様に怠けてお休みしている、という思考は無くなっていました。
・・・
長男は運動神経が抜群、手先も器用で勉強のつまずきもなく、友人も多く明るく活発な子でした。
不登校になる前までは、何も心配していなかったのに、あの子に一体何が起こっているのだろうと考えない日はありませんでした。
27 完全不登校までの42日間の事 10
27 完全不登校までの42日間の事 10
2021年10月6日(水)
この日の朝は、長男がベビーカーに乗りたいと言うので、長男をベビーカーにのせ散歩に行きました。
帰ったから朝食を出すと、 「おいしいね!」と、元気に朝食を食べていました。
元気そうに見えましたが出発時刻になるとトイレに何度も駆け込んでいました。少し遅れて集合場所に行くと誰もいなかったようで長男は家に帰ってきて、再び腹痛でトイレに駆け込みました。
それでも長男は休むとは言わず、私も休む?とは聞かず、長男は私と手を繋ぎ学校へと出発しました。
学校までの道、長男は何度も何度も深呼吸し、私が話しかけると怯えた顔で、
「お母さん、声出さないで、黙って歩いて!」
私が話す事を嫌がりました。
学校まで残り50m辺りで長男は肩を上下に上げ、肩呼吸を始め、学校まで残り30mの距離でうずくまってしまいました。
何とか学校へ行かせたい私も、さすがに心配になり、お腹痛いの?大丈夫?お休みする?と聞きましたが長男は、大丈夫と言って正門へ向かいました。
正門まで行くと、長男は「じゃあね」 と言い、何度も振り返り、手を振って、視線を落としたまま校舎へ向かいました。
学校に行ってほしい気持ちはあるけれど、とても辛そうで行かせて良かったのかな?と胸を締め付けられました。
・・・
その日、担任の先生が体調不良で帰宅しまらしく、担任の先生に何度も「僕も帰る」 お願いしたようですが聞いてもらえなかったと言っていました。
長男は6時間授業を受け、 「くそ詰まらなかった!担任帰ってずるい!」 と怒りながら帰って来て次男をいじめ始めました。
弟に届いた郵便物が気に入らない長男は、「こんなバカに使わせなくていい」とその郵便物を取り上げました。
私はそれが次男のものであると伝えましたが、長男は 「次男はバカだから、これがあっても意味がない!」 といい次男に渡しません。次男は悲しくて泣いていました。
私が何度長男に次男に返すように言っても長男が返さないので、私は、それを長男にあげて、次男に新しいものを買おう事にしました。
すると今度は長男が、次男に買うのはずるいから、僕に買ってよ!と言い出しました。
毎日続く長男のわがまま行動にはもううんざりで、私は、
「え?これが欲しいんでしょ?あげるよ!」
と言っても、長男は私が次男に何かを買う事自体が許せないようでした。
そして郵便物を次男に投げつけ次男を殴り始めました。 次男はより一層大きな声で泣き叫んでいました。次男が泣くと長男は、
「お前はバカなの?」
「そんなんで痛いの?」
「病気だな」
「死ね!」
「さっさと死ね!」
「うろつくな」
「お前はとにかく死ね」
「どっか行け」
「見ているだけで気持ち悪い」
「お前なんて生きてる意味がない!」
「目障りだ!」
と傷付く言葉を浴びせ続け、ソフトボールを力一杯顔面に投げつけました。
次男は毎日毎日「バカ・死ね」と長男に言われ続けていました。
どれほど止めても諭しても長男の暴言暴力は一向に収まらず、私は次男と娘がこれ以上酷い言葉を聞かないよう長男から離しました。
10分ほど頭を冷やし、私は気持ちを入れ替え、
「何か辛いの?大丈夫?アイスでも買いに行く?」
と誘い買い物へ行くと、機嫌が直り一緒にアイスを買いに行きました。
・・・
その夜、皆が寝静まっても長男は起きていて、突然泣きながら私に話し始めました。
「女子がうざい!」
「うざい女子がいなかったら学校は楽しいのに!」
「鬼ごっこで僕ばかり追い掛けられて嫌だった」
「嫌だと言ったのに!やめてくれない」
「掃除も皆で一列に並んで一言も話してはいけない!嫌だ!」
そして、
「死ね」
「うざい」
「殺す」
と言い包丁の絵を描き始めました。
・・・
その話の途中、長男は私に向かって、
「お前に仕返しをしているんだよ」
と笑いながら言いました。
私はその言葉に妙に納得し、あー、なるほどね、と思ったのです。
26 完全不登校までの42日間の事⑨
26 完全不登校までの42日間の事⑨
2021年10月頭
その日の長男は「だるい・・・行きたくない・・・」 と言いながらも、小石を蹴りながらとぼとぼ集合場所へ出発しました。
・・・
学校から長男が帰宅をすると長男が、娘にむかって、
「デブ、ブス、死ね、わがままなやつだな!」
「声がうるさい、黙れ!」
と暴言を吐いていました。
・・・
しばらくすると長男は私の近くに来て、ガッツポーズをしながら、
「学校で仲良しな子と同じ班になったーーー!神が下りてきたーーー!」
と喜んでいて、前よりも学校が楽しくなるかもしれないね、と言った私に「うん!」と嬉しそうに答えていました。
私は長男が苦手と言っていた女の子と席が離れ「これで行き渋りが減るかもしれない」とホッとしました。
・・・
夏休み明けから習い事に行きたがらず、しばらくお休みしていたそろばん教室にこの日長男が「行きたい」と、言い出しました。
そろばん教室に着くと、結局恥ずかしくて教室内には入れず、先生を見て走って逃げ帰ってしまいました。
2021年10月4日(月)
長男が生き渋っているという状況を知った実家の母と姉が様子を見に来てくれました。
その時長男は、火曜日木曜日は休む、学校を辞めたい辞めたい学校辞めたい、女子がウザいから違う学校行きたい、宿題のない学校に行きたい 、ウザいウザい学校嫌だ 、嫌だ嫌だ学校爆破!!! うわーーーーーーー!!!と言って大号泣で暴れ回っていて、母と姉は驚いていて「どうなっちゃってるの・・・」と唖然としていました。
我が家に来る前に、状況を詳しく説明してはいましたが長男長男の姿は想像していたより酷く、思っていた以上だったそうです。
・・・
長男が姉たちの前で、ウキウキしている様で「明日も学校行かなーーーい♡」 「お休みーーー♡」とはしゃいでいたので、姉が 「家の中では楽しそうだね、罪悪感無くない?でも学校の事は気にしている感じだよね」と長男の様子を心配していました。
私には長男が学校の事を気にしているとは思っておらず、どうせこの子は、思い通りになればご機嫌なんだよ、と長男の事を呆れた感じで見ていました。
私にとって長男は、性格が難しく何を考えてるのか分からないのでとても苦手でした。本来は学校に行っていて家にいないはずの長男が家にいる事も嫌で、休むなら大人しく黙っているか、平和に過ごして欲しい!休んで喧嘩売って来るから、本当に嫌!と私は思っていました。
主人は、甘い環境にし過ぎるのは良くない、と言っていて、長男の暴れる様子を見た姉は、どう接したら良いのか、分からないね・・・と困惑していました。
長男はこの時期には「休みたい」ではなく「学校を辞めたい」と毎日言っていました。
・・・
長男は、私が長男の言う事を聞かなければ、聞くまで足に纏わりつき、要求し続けました。 昔から言い出したら聞かない部分はありましたが、足元にしが付き、何時間でも同じことを要求し続ける長男を私は異常だな、と感じていました。
宿題をする時間になると、長男は私に「宿題を持って来い!」 「開け!」 「書け!」と命令していました。
私が家事や下の子のお世話で数秒間、長男の横から離れる事も許しませんでした。 離れようとすると足にしがみ付き、どこへも行かせてもらえません。
それを振りほどき、次男や娘のお世話をすると彼らの耳元で、
お前らを見てると吐き気がする、きもい、臭い、汚い、でぶ、ぶす、ばか、しね
と単調に呪文のように言い続け、聞いているこちら側は最悪な気分になりました。
ある程度は我慢するのですが、そんな時間が長く続き私が長男を注意すると矛先は私に変わります。
家庭内に幸せな雰囲気はなく、何も悪い事をしていない下の子たちが暴言を吐かれ続けていて、長男の不登校も心配ですが、下の子供達の情緒もとても心配でした。
25 大好きなサッカー
25 大好きなサッカー
長男は一つの事にはまると異常なまでの集中力を発揮し、とことんやり続けます。コロナで休校の時は、サッカーにはまり朝起きてから寝る時間まで、家の庭でリフティングをしているほど、サッカーが大好きな子でした。
2021年10日2日(土)
そんなサッカーが大好きな長男が、不登校気味になってからサッカーにも行かないと言い出しました。
練習の集合時間は13時なのですがその時間になっても一向に動かずテレビを見ていたので、私は時間に支度をしていない長男にイライラし主人に出発を促すように頼みました。
主人が「時間だよ」と長男に言っても、 長男は返事をせず、ぼーっとご飯を食べながらテレビを観ていました。
主人は何も言わずに黙ってその姿を見守っていました。
私は長男の態度にイライラし、
この子はなんてマイペースなのだろう。マイペースを超えて自分勝手すぎないか?
あー、イライラするな・・・なんで集合時間が気にならないのだろう・・・
でも最近、何かと理由をつけて、全ての事を嫌がるようになったな、とやたらと怠いと訴え気分の起伏が激しい長男の事を私はとても心配していました。
・・・
13時10分を過ぎると、 長男が自分自身に気合を入れる感じで「よし!行くか!」と立ち上がりスパイクを履き始めました。すると今度は「スパイクがきつい」と不快そうに座り込みました。
私はスニーカーで練習に参加しても良い事を伝えましたが、長男は「スニーカーなら行かない」と部屋に戻ってきました。
私は、お休み連絡をしてないんだからスニーカーで行ってよ!と何度か言いましたが、長男は、「スパイクがハマらない」の1点張りで動こうとはしませんでした。
私はこの時、長男はサッカーに行きたい気分じゃないからずる休みしようとしているのだなと思い、長男に、
「だからスニーカーでいいって!!!」
と強く言いました。そんな私に対して長男は、
「暑いし!行かない!」
と言うので、私は、
「サッカーはコーチも含めやる気がある子が行く所!暑いから、行きたくないからって休む位ならもう辞めなさい!」
と叱りつけると、長男は、
「あーーーーー始まった始まったうるせーーー!!!」
と部屋にこもってしまいました。
私は厳しくしなければ、甘やかしてはいけないと思っていて、長男に世間一般的な正論を押し付けていました。
・・・
結局長男はサッカーをお休みし、主人と新しいスパイクを買いに出かけました。 そのスパイクはその後一度も履かれる事はありませんでした。
買い物へ行く途中長男が主人に、
面白くない話、長い話は全て無視し、耳に入らない様にしている。先生にもそうする様になり、何を言われたのか、何をするのか分からない。
何かをあげるから、あれをやって!と言われる事が凄く嫌で今後一切、誰の指示にも従うつもりは無い。
と言ったそうです。
・・・
2021年10月3日(日)
この日も長男は、テニスの体験に行きたいからサッカーは休みたいと言い、サッカーを欠席しました。
主人は、新しいスパイクを買ったし、昨日も休んだし、テニスの体験はいつでも行けるからサッカーにいったら?と説得していましたが長男は、 テニスの体験に【今日】絶対に行きたいから、サッカーは来週行く、と言い結局欠席しました。
・・・
午後から、家族で買い物へ行いくと、 道中の30分間長男は、
学校を辞めたい、給食がまずいしつまらないし全部嫌。
僕はもう、学校を爆破したいと思っているんだ、あんな場所に何の意味があるのか分からない。
とにかく女子が嫌だし、音楽の授業も嫌!
と言い続けました。
・・・
帰宅後に、長男は、「買い物で購入してきた消しゴムがない!!!」 「今すぐ買ってきて」と泣き出しました。
私が、往復1時間以上もかかる場所だから、無理だよと説明しても、
「嫌だ!今すぐ買ってきて!」
「買ってきて!買ってきて!買ってきて!今すぐ買って来いよ!」
と、とにかくしつこく要求してきました。
買いに行けば早いのですが、こんな理不尽な要求を聞いてしまったらわがままにならないのか、そこが不安で私は長男の要望を聞くことが出来ませんでした。
・・・
その日、夕食にグラタンを出すと長男は、
「こんなものは食べたくない、気分じゃないからいらない」
と言い、 私は、今日だけだよと約束してもらい、 別の物を長男に作りました。
。
まだ8歳の子供の、こんなわがままを聞いていていいのだろうか、長男のわがままを聞かなければ長男は絶対に諦めず、引き下がらないので聞くしかないのだけれど、それでいいのだろうか、何が正解なのか私には分かりませんでした。
24 彼の望む自由
24 彼の望む自由
2021.9月末
この日、 夜9時になると長男が突然ソファの周りをぐるぐるぐるぐる回り、一方的に話し始めました。
・自由になりたい
・体育は着替えたくない
・体育の内容は全て自分で選びたい
・靴の履き替えもしたくない
・自分が学びたい時に学びたい事を学びたい
・何で皆同じ事をしないといけないのか分からない
・先生はそんなに偉いとは思えない
・学校行かないで鳥になりたい
そんな内容を30分以上、絶え間なく私に話し続けました。
・・・
その話をすると、誰かが、こんなアドバイスをくれました。
・学校、会社、どこかに属している限りは自由に出来ない
・中学は自由な校風の所に通わせた方が良いのでは
・ルールばかりで退屈だけど、学校を卒業しなければ働けないし、お金が無いと自由に出来ない
・未来に向けて、今は我慢するべき時
・皆同じ気持ちだけど、やらないわけにはいかないから頑張っている
・今は嫌だけど頑張ろう!
・お父さんが家族のために働けているのも、学校を頑張ったから
そんなことを、何度も言い聞かせて教え込むしかない、と言われました。
ダメな事はダメ!と注意をしたかったのですが、注意をすると、負のスパイラルに入りました。
別の日、 リビングで、部屋の明かりを真っ暗にしてテレビを見ていましました。
その日は明かりをつけてはダメ、と言うので、私は夕食を作れませんでした。それなのに、寝る時は電気を消してはダメと言うので、全員が眠れません。
この頃は、就寝時以外は「電気を付けないで」と、言う事が増えていて家中真っ暗な事が多かったです。
私から見た長男は、
プライドが高く負けず嫌いで自由人
こだわりが強く極度なマイペースなのに真面目
些細な変化に気が付き、同調圧力が苦手でいつも不安そう
そんなイメージを持っていました。
学校で疲れ果て、家では私と喧嘩をし、次男をいじめる長男の事を、私は【面倒な子】と思っていたのです。
この日寝る前に長男が、迷路を書く用の新しいノートをランドセルに入れていて、明日は学校に行く気なのだな・・・と胸を撫で下ろしていました。
長男は当時、ずっと自由になりたいと言っていました。
23 心療内科と言う選択肢
23 心療内科と言う選択肢
不登校気味の長男が、家庭内では情緒がとても不安定である事を学校に話すと、学校側に心療内科を薦められました。
学校の先生は、心療内科医はプロなので、原因を引き出してくれるのではないか?と言っていました。
私は、今の状態の長男を心療内科に連れて行けば、「僕を信用していない!僕は病気じゃない!」という気持ちから親への不信感で、より心を閉ざしてしまうのではないかと心配していました。
主任の先生は、私に、
「本人にだらけ癖がつくので、学校を休ませても課題を与え、絶対にストレスフリーにさせないように」
と言い、
「家にいるのが楽になり益々行かなくなるのは怖いですから!」
と言われました。
・・・
2021.9月末
長男が私に、
「1時間目の音楽はお休やすみして、その後学校へ行くのはどう?」
と提案をしてきました。私は長男に、
「音楽嫌なんだね、でも他の子も嫌でも頑張っているんじゃないの?」
と長男の提案には乗りませんでした。
・・・
その日、担任の先生から電話があり、長男が3年生になってから初めて手を挙げて質問したと聞き、波はあるけれど、 少しずつ良い方向に向いてきているのかな? と私は安心したのです。
そんな嬉しい報告を聞いていたのに、長男は、
「クソつまらんかった」
と不貞腐れながら帰宅しました。
・・・
夜は長男の機嫌が悪く、長時間次男にテレビを譲りませんでした。
次男は、
「僕もテレビ見たい!長男見過ぎ!ずるい!」
と怒っていましたが、 長男はわざと2時間の番組を選択し、
「は、は、は、これ終わったらどうぞ!って言ってますよね!」
「ねぇねぇ聞こえませんか?聞こえないか!バカだから」
とまた次男に暴言を吐いたのです。
そんな長男のわがままな振る舞いに対し私は、
今は耐えるしかないのか、 叱る人がいないとエスカレートしてしまわないか、反抗期なのか、 私が可愛がって育てた子は、【こうゆう子】なのだろうか?
と、とても悲しい気持ちになりました。
気持ちの浮き沈みの激しい長男は、常に「怠い、怠い」と、言っていたので、私はこの子は鬱なのかな・・・と心配になる事もありました。
ネットで調べた情報に照らし合わせ、もしかしたらこの子は発達障害かもしれない!と思った事もあり、むしろ発達障害であってほしい!発達障害と診断された方が今までの子育ての困難さの説明がつく!
この子は育てるのが難し過ぎる、と思っていたのです。
22 我が家のゲーム事情
22 我が家のゲーム事情
2021年8月の夏休み、この時までデジタル系のおもちゃが一つもなかった我が家は【VRシューティング】というデジタル系のおもちゃを購入することになりました。
購入を楽しみにしていて、ご機嫌な長男に私は私は長男をダイニングテーブルに座らせ、
「私はあなたを信用していないから、貴方が時間を守れるとは思わないから、約束事を紙に書きなさい」
と私が一方的に決めた約束事を紙に書かせました。確か内容は、
・1日30分
・宿題してから
・少しでも守れなかったら没収
・金土は1時間
ゲームを買うのが気にいらない、と言わんばかりに、私はとても不機嫌そうな顔でその約束事を長男に書かせ、長男も不服そうな顔で、書かなければ買ってもらえない・・・と不貞腐れて記入していました。
お互いに気分は最悪でした。
購入したゲーム機
↓
私自身が幼少期、テレビを厳しく制限された経験があり、デジタルな物はとても悪いもの!と思い込み、長男が小さな頃から子供にテレビをほとんど見せていませんでした。
テレビは極力見せず、外に連れて行き、時期には桜を見せる。
電車を見に行き、絵本を読み、外でお弁当を食べる、五感に刺激のある事を、感性が豊かな子なる様にと子育てを頑張っていました。
未就園児時代はテレビに頼らず、休憩する暇無く、子供と関わっていて、私もガラ携を使用し、ネットも見ない生活でしたが、その事に不満を抱いたことはありませんでした。
・・・
未就園児の時、長男は戦隊ものがとても好きだったので、本人の手作りで剣やヒーローグッズを作っていました。
何度も、何度も、長男が作り直し、ボロボロになった剣は今も捨てられずに残っています↓
私は子供が欲しがるものを何でも買い与える事に抵抗感がありました。
・恵まれすぎて何でも手に入り、物を大切にしない子にならないように
・与えられ過ぎず、我慢が出来る子になりますように
と思っていて、言う事を聞き過ぎてはいけないとわざと望みを叶え過ぎないようにしていました。
・・・
その考え方の子育ては、必然的に「ダメ!」と言う機会を沢山生みました。
小さな子供は基本、親に要求ばかりしていますが何かが欲しいと言われても、 何かをやってみたいと言われても、これを買ってと言われても、テレビ見たいと言われても、ダメと言い、心の中では買うつもりでいるおもちゃも、快諾はせず 一旦は「ダメ」と言わなければ、と思っていました。
要求を何でも聞くとわがままになると思い、ああしたい、こうしたい、と言う子供の要求をすんなり聞き入れませんでした。
私は、一生懸命、いい子に育ちますように、と愛を持って、子供の要求を聞かない様頑張っていました。
その子育て法は【我慢できる子】を育てるより【親にお願いする事を諦める子】を育ててしまいました。
長男にとってはゲームもその一つだったのではないかと思います。
3年生の夏休み、8歳で完全不登校になるまで長男はゲームを持っておらず、YOUTUBEも見た事がなかったと思います。
長男は一度も私にゲームを欲しいと言った事はありませんでした。
私は理想の子供像を持っていて、自然児でワイルドな子に育って欲しいと願い、毎日外で遊ばせていました。
長男も外が大好きで、ゲームに興味があるはずがないと思い込んでいたし、【そうゆう子】であって欲しい、と願っていました。
ママたちの間では、ゲームの開始時期を迷っているという話がよくでていましたが、私は長男がどうしてもゲームが欲しい!と言うまでは、買い与えないでおこうと決めていました。
ゲームが無法地帯の友人宅に長男が遊びに行きたがると、私は、
「ゲームを始めるきっかけになると困るから」
と、行かせませんでした。
私は勝手に、小さい頃にゲームを始めると【ゲーム脳】になり、ゲーム依存症になると思っていたのです。
長男はゲームが欲しいと私に強くは言いませんでしたが、少し欲しがった時があり、その時私は長男に、
「あなたは遊びの天才なんだから、ゲームを買う事でそれが無くなったらお母さんは悲しいから」と言い、購入を許可しませんでした。
主人は自分も主人の父親も電子機器依存気味なので、長男が主人と同じ脳の仕組みな場合、ゲームしかしなくなるかもしれない、とゲームを与える事に否定的でした。
ゲーム時間を作り、ルールを定めると、どちらが何秒長くゲームをした!などと言い争いが始まり、兄弟げんかが激しくなりました。
21 担任の先生
21 担任の先生
2021年9月中旬
突然長男が、床にべたっと座り、上を向き、涙を拭わず、幼い子の様にわんわんわんわん泣きだしました。
「女子が嫌!授業が暇で落書しているのにずっと注意してくる」
「僕は退屈な授業を、落書きする事でなんとが耐えているのに」
「音楽が嫌!部屋が暑い!音がうるさい」
「ミニ先生が嫌!教えてほしい子だけ手を挙げた子だけ教えてもらうのに、何で僕に教えてくるんだ!」
「僕が『教えなくていい』と言うと『じゃー、もう2度と教えてあげない』と意地悪を言われる」
「僕は教えてなんて一度も頼んでいないし手も挙げていない!」
嫌。嫌。嫌。全部嫌!!!
そう言ってしばらくの間長男は泣き続けました。
担任の先生は若い女性で、私に、
・愛情不足が悪い方に出る子がいるので構ってあげてほしい、今日、長男の頭をいい子いい子したら、少し落ち着きましたよ。
・学校では、友人と仲良く遊んでいて、全く不登校児に見えません
・隣の子が嫌な様ですが、女の子に話し掛けられても上手に交わしていましたよ
・席替えは2週間後に予定しています
・迷路が好きなので、授業に迷路を取り入れました
・クラス全員で鬼ごっこをした時は、楽しんでいましたよ
・学校に来たら、フォローしますが、来なければ、出来る事は何もありません
・朝お迎えに行く、一緒に通学団で行く、等はお母さんの方でお願いします
・お母さんも、長男君も、ゆっくり休んだらどうですか?
・算数の回答をわざと間違えたので、注意しました
・テストは85点位で、学習困難は無さそうです
・私では分からないので、主任に相談します
と言われました。
担任の先生は、その後完全不登校になった長男に数か月間、一度もプリントも持って来ず、電話をかけてくる事もなく我が家は学校とは音信不通でした。
1ヵ月ぶりに電話が掛かってきた!と電話をとると、長男の名前は一度も出さずに「もうすぐ懇談会がありますがご都合の悪い日はございますか?」
とだけ聞かれました。
・・・
我が家は不登校経験がなく、学校側に何も期待していなかったし、連絡が来たところで何も変わらない事は分かっていたので、特に不信感や不満を学校側に抱いてはいませんでしたが、完全不登校の場合、担任の先生と連絡を取り合う事を後に知りました。
先生は私に、経験不足で、どうしたらよいか分からない、といつも言っていました。
私は全く連絡をして来ないその先生が、自分が担任している、急に学校に来なくなった生徒の事が気にならない事が不思議で、学校は来ている子に学問を教えるだけの場所なんだな、と思った事は、覚えています。
私は誰に相談すべきか、私自信はどうするべきなのか、いつも悩んでいました。
長男は休んでも、ご機嫌な時がありました。
お買い物の手伝いをしてくれたり、妹が泣いていると泣き止まし、服を着替えさせてくれました。私が、
「ありがとう!」
と、長男を抱きしめると、「大好き」と、手を広げて抱きついてくれました。
ご機嫌で話していても、学校の話題になると完全無視し、無反応になる事が多かったです。
不登校は最初が肝心とどこかの資料に書いてあり、担任の先生が頼りないなら、教頭先生に話すとか、スクールカウンセラーに相談してみたら?と姉が助言してくれました。
長男にばかり気をとられていると、次男が日に日に笑わなくなっていきました。
幼稚園送迎後、近くの公園から様子を見ていると、 皆が元気よく運動会のリレー練習をしている中、テラスで無表情でぽつんと座っていました。
次男も指示が通らず、指が折れそうな程、強く私の指を曲げたり、手あたり次第殴ったり、暴力的な事が多かったです。
兄にいじめられている次男は、兄を見ると、
「あいつ、死ね!死んでほしい!」
と泣き出す事がありました。