2023年10月の記事一覧
55 線引きの難しさ
55 線引きの難しさ
最近の長男の雰囲気を見ていて、私は、
もう、サッカーへは行かないのだろうな・・・
学校と繋がっている事は全部無理なんだろうな・・・
別の学校のサッカーならいけるのかな・・・
と思考を巡らせていました。
私は以前よりも長男の心に寄り添う感じで話しかけるよう心掛けていました。
私が長男に、
「学校もサッカーも行きたくないなら無理して行かなくていいんだよ」
と言うと長男から笑顔が消えました。
そんな長男の姿を見て私は、
よほど嫌なんだな・・・
今までよく行ってたな・・・
女子を異常に嫌がっていた・・・
とにかくうるさい!!!!と言っていたな・・・
と不登校の原因を無意識に探っていました。
学校をお休みしていても長男は思い通りにならないと不機嫌になりました。
そんな長男を見て、私はこんな感情を抱いていました。
・もともとが難しい性格なんだろうな
・わがままな子なのだ
・わがままにならない様に!わがままにならない様に!!そこを1番気を付けて育ててきたのに
・持って生まれた物なのだろうか
それでも長男は、学校に行っている時よりはとても落ち着いていました。
前よりはマシだから。
黙って耐えていよう。
朝から夫婦で協力して良い雰囲気で過ごすよう心掛けていたけれど、
私はいったいこの子にどんな対応をしたら良いのだろう。
そんな事を考えていると、長男と次男が突然喧嘩を始めました。
長男が、次男に向かって、
「ソファーどけっ」
と怒っています。
長男はDVDを見ていました。
機嫌の悪い長男が次男を思い切り蹴飛ばしました。
次男が大泣きし、主人が次男を別室へ連れて行きました。
長男は別室でDVDを見ている次男に対して、
「ずるい!ずるい!俺にも見せろ!!!」
と叫んでいます。
次男は長男に怯えながら泣いていました。
主人は長男に、
「長男はDVD見てるんでしょ?」
と言いましたが、長男は、
「そんな事関係ない!ずるい!ずるい!次男だけずるい!」
とわがままを言っています。
私は毎日毎日繰り広げられるこのDVD争いにうんざりしていました。
私は長男に、
「皆んなで見れないDVDなら今後は絶対買わないで」
「この部屋は家族の場所だから」
「あなただけの部屋じゃない!!!」
と怒りました。
私のその言葉に長男はますますヒートアップしました。
長男が、
「うるさい!」
「どけって言ったらどけ!」
と言い次男を更に蹴りました。
私は、黙っていました。
すると長男が私に向かってきて、私が突き指するほど大暴れしました。
私はもう言葉がでず、無気力で、黙っていました。
長男は黙っている私に向かって。
「黙ってんじゃねーよ」
「何か言えよ」
「テメー!!!」
と叫んでいます。私はそれでもただただ黙っていました。
長男のこのわがまま行動に対し、
「いくら何でもわがまますぎる!!!!」
「お前がどけよ!」
と普段温厚な主人が激しく怒りました。
長男は、
「うぅぅぅ」
と歯を食いしばって泣いていました。
長男は泣きながら私をクッションで何度も何度も殴り、蹴り続けました。
彼は収まらない怒りをどこにぶつけたら良いのか分からず荒れ狂っている感じでした。
主人が、
「今回のはただのわがままだよね。学校へ行く行かないとは関係ない」
「このまま今の態度を許したら、あの子は人間じゃなくなる」
「おかしいだろ!あんなの!なんなんだよ」
と呟いていました。
それでも私からすると暴れ方は以前よりもマシになっていました。
学校は行かなくてもよいけれど、ダメな事はやはり注意しなければいけない気がする・・・。
しばらくすると、主人が気持ちを切り替え長男をテニスに誘いました。
主人が長男に明るく、
「長男!テニス行こーよ」
と誘うと、長男は、
「急に普通に話しかけてんじゃねーよ」
「自分勝手だな」
「いらつく」
と答えていました。
私は
この子はわがままだなー。
わがままだから学校で色々耐えられないんだろうな。
外では言いたい事言わないから疲れるんだろうな。
ストレス感じると暴力的になる脳の造りなんだろうな。
私は常に、長男の行動に対し、どこまで許してよいのか分かりませんでした。
「線引き難しい・・・」
54 続く学校(居場所)探し
続く学校(居場所)探し
2021.10.15
長男が学校へ行っていた時、我が家は戦場のようでした。
その時と比べると、今はとても平和でした。
私には行き渋りで暴れた時の長男と、今の落ち着いている長男が同じ子とは思えませんでした 。
子供の人格が変わる程の場所に行かせ、学力をつける事に何にいみがあるのだろう。
学力が付いたとしても子供の精神が崩壊してしまうのではないか?
精神科に通えばはストレスに耐えられるよう様に療育してくれるのだろうか?
薬を飲ませたら治るのかな?
学校へ行った日と、休んだ日で顔が全然違うな。
と私は長男を観察していました。
頑張って公立通わす事は正解なのか私にはよく分かりませんでした。
振り返ってみると、小1、小2、小3、と全ての学年で身体が動かなくなる程長男はメンタルを壊していました。
その日は祖母が来ていた事もあり、長男の機嫌はとても良かったです。
私は公立小学校は諦めよう、と思い学校(居場所)を探していました。
長男が毎日何もせず家にいるなど、到底受け入れる事ができませんでした。
40キロほど離れた姉の家の近くに、オルタナティブスクールがありました。
私はその学校に興味を持ち、姉に、
「お姉ちゃんちの近くのオルタナティブスクールいいね!」
と連絡していました。
長男の不登校を心配していた姉は、
「オルタナティブスクールのブログ読んだ?考え方が凄く良いよ」
と教えてくれました。
私は、
「この(別の)学校も滅茶苦茶いい!距離が300キロ先だから無理だけどここなら絶対あの子行く!」
「引っ越そうかな」
「多分倍率高い 」
「とにかく行き先決めたい」
「私が公立の教育方針に疑問が湧いてきちゃった。もう行かなくていいわ」
「人間極限になると慣れるね」
「行き先見つかったら不登校になって良かったと思える日が来るかも」
「この学校はあの子にぴったり!しばらくゆっくりさせて数年後に入れてもいいし」
「不登校じゃなくても入れたい位いい学校」
「公立より全然いい!生きていく為の勉強って感じ」
「全寮制なんだよね。寮はまだ可哀想かなー」
「問い合わせてみようかな」
「順番待ちならその間地元のフリースクール楽しめばいい」
と、とにかく長男をどこかへ通わせようと学校を探していました。
色々な学校を調べておこう!
公立中学校のブラック校則もきっと嫌がる。
長男は自由な学校ならきっと伸びる。
きっと行ける。
行きたいって言うかな?
人間力が育ちそうだなー。
公立型に嵌められるしな。もう嫌だな。
人生のいいタイミングで壊れたのかも!
中々入れない学校だから、入れるまでは繋ぎで色々やっていればいいか。
主人が久々の穏やかな雰囲気の我が家に
「おばあちゃん来てから平和だし、家族全員の顔つきが全然違うありがとう」
その夜、主人が私に言いました。
「長男が連日休む様になってからの様子、顔つき。次男、娘、私に対する態度を見ていると子供が笑っていられたらいいと思えるね。 元気で笑って心身健康なら、なんとかなる。
学校行く事から開放されて、健康になったらまたゆっくり考えていこう」
と言っていました。
私も、まだ心に引っかかるものはありましたが、同じ意見でした。
きっと、甘やかしではない。
あの子が笑える様に寄り添う覚悟が出来てきたのかな。
少し気持ち楽になってきたのかな。
学校行ける様になっても自由のない学校で
幸せなの?
再発しないの?
1.2.3年全部で体調不良を訴えた。
きっとまた行けなくなる。
不登校について調べると、
H25年小学生274人に1人が中学37人に1人が不登校
H30年小学生144人に1人が中学27人に1人が不登校
長男。中学絶対アウトでしょ!!!!
行ける訳ないでしょ!
長男のお陰で夫婦仲も少し改善されました。
いがみ合っていても意味がない。
子供を傷付けてはいけない。
仲良くはないけど、話はしなくちゃ。
子供の前で仲悪いのは良くない。
せめて、子供の前では普通に接しよう。
長男は協調性に乏しい、その反面自分を持っている、しっかりした子なのだ!
長男が楽しく通える学校を探さなくては!!!
53 フリースクールって何?
53 フリースクール?
フリースクールって自由?
フリースクールが何かを私は知りません。
ニュースで、不登校が過去最多、コロナ禍も影響している様子と流れてきました。
学校へ行けない子が通える施設が増えている。
そんな事を言っていました。
意識を向けると新聞には不登校記事だらけ。
息子はコロナが無ければ不登校になっていないのだろうか?
しばらくの間マスクを嫌がり装着できませんでした。
自由がいいならフリースクールがいいかな?
そもそもフリースクールって何するの?
今の学校の別室とかで教えてくれないのかな?
当時私は支援級、通級、保健室登校、放課後登校等一切知りませんでした。
通っていた学校は通級がありましたが学校側から提案は一度もありませんでした。
学校関係で働いている姉から教えてもらい知りました。
学校の話題になると
「全身痛い、怠い、身体が動かない」と言います。
行かない事に慣れてきて初期の衝撃より気持ちは楽になっていました。
行かない事に慣れてきちゃった!やばいやばい!!!
でもやっぱり不安!
担任が変わっても行かないのだろうか?
4年になり嫌な女の子がいなくなれば行けるの?
今心を病んでるから治すのが先?
とにかく長男は自由になりたい
自分のペースで動きたい
嫌な事はしたくない
じゃぁ公立は無理じゃない?
誰かが長男の事を
「活発」
「友達が多い」
「学力も普通」
「手先が器用」
「運動能力あり」
発達障害には見られないケースと言いました。
私には発達障害の知識がありません。
言われたら
「へー、そうなんだ・・・違うんだ」
心が落ち着いたら元気になるのかな?
どうやったら心が落ち着くの?
学校を連日休むようになってから目つきが穏やかになり
弟妹への嫌がらせも減りました。
荒れ狂いません。
もう不登校男子楽しもうかな。
ここで私が暗くなったら益々悪化しそう。
ただ道は探さないといけない。
どんな学校があの子に合っているの?
どこなら行けるの?
難しい・・・
私自身が浮き沈みしていました。
長男が以前よりは荒れ狂わない。
母が助けてくれて子供全員と関わる事が出来る。
長男が無気力ではない。
ここ数日よく笑う。
なんだか平和で私の気持ちにゆとりが出来ました。
学校でストレスを溜め暴れて泣きじゃくっていた。
家族にストレスをぶつけ家庭がぐちゃぐちゃになっていた。
弟妹が殴られ、聞くのも苦しい言葉を投げかけられていた。
家庭を壊してまで学校へ行く事に何の意味があるのだろう?
しがみ付くべき事なのだろうか?
行かない事は不安だけど、「皆同じ」が嫌いな非凡な子なのだ。
何かを見つければ良いのではないか?
もしフリースクールも行かないと言ったらどうしよう。
休む事が当たり前と勘違いしない様、さり気ない声掛けはしていこう。
水曜日だけやっている近所のフリースクールに行かせよう。
他の日はやりたい事習わせて。
なんとか心身健康に過ごしてほしい。
でもあの子は動かすのがほんと難しい。
2年の2月末から1か月間心身の不調があった。
たった半年後にまただな。
季節の変わり目だからか?
フリースクールは学力つかなそうだなー。
どうやって学力付けているのだろう。
さすがに小3卒は将来やばいだろ!
近所で元気に子供あそんでるなーーー・・・
声が聞こえるなーーー・・・
辛いなーーーー!!!!!
52 学校(居場所)探しを始める
学校(居場所)探しを始める
2021.10.14
長男が私をみて、
「今日も明日も休む」
と言いました。
楽を覚えだしているのかな・・・
私が何も言わずにいると、長男は
「土曜日の運動会は行くっ」
と言い出しました。
その言葉を聞いて、ホットする反面、私はこんな事を考えていました。
・前は1日休んだら次の日は行けてたな
・連続して休む様になってきたな
・当たり前に行かない感じだな
・不登校が悪化して1日も行かない子になるのかな
オンライン授業を提案してみました。
私:
「オンラインなら、誰にも会わずに勉強出来るよ」
長男:
「うるせーババアがいるから、寝れない!」
と言い別の部屋へ行きました。
要するに拒否です。
24時間息子といるのは無理 !!!
本当につらい、明るい感情がゼロだ!
ダラダラダラダラして太っていく息子を見ていられない。
イライラしてしまう。
相談所に行っても言われる事は毎回同じです。
・初めてのケース
・前例がない
・解決策が分からない
・困りましたね
・精神科を受診しましょう
本当なの?
そんなに稀なケースなの?
1人はいるでしょ!
うちの子が初なの?
誰か教えてよ!
私はもう 「学校へ行かせよう」とは思わない日が多くなりました。
その代わりに「行き先を探そう」 という気持ちになっていました。
今の学校が合わないのだ。
毎日行く所さえあれば良い気がする!
小学校はキッパリ諦めて中学から全寮制でもいい 。
色々な学校を探し始めます。
「学校に行きたくない子天才が多いらしいよー」
「自由な学校見つけて通ったら天才になれるかもよ!」
と言って長男を導こうかな 。
聞くかな?
凡人だけど何とか前向きにしないとな。
幼稚園の先生もそろばんの先生もとても周りを見ている子。
空気を読む子。
賢い子だからと言ってくれました。
良い学校を見つけたらスイッチが入るかもしれない。
出来る事を試し試し見つけるしかない。
不登校児に特化した所ないかな。
きっとあの子にはこの学校がいい!
ここなら行けるかも!
遠すぎて大変だな。
毎日ある学校がいいな。
弟妹のリズムを狂わせずに私だけで送迎出来る学校はどこだろう?
行先探しを始めました。
次男も自由な学校がいいかもしれない。
あの子は集団が苦手だ。
今日も学校は休みましたが別の学校の友人とサッカーをしていました。
1日1つでも楽しめたら今はいいのかな。
学校はもう諦めよう。
でも行き先がないのは不安。
毎日家に居るのは私がもたない。
行き先さえ有ればもう今の学校はいい。
自由な学校で本人が気に入れば逆にチャンスかもしれない。
枠に嵌められず良い子育てが出来るかもしれない。
問題は本人が行きたがるか。
通える場所に良い学校があるか。
学校に行っていない日は落ちついていました。
学校がそれ程ストレス?
落ちついてる時は次男を虐めません。
夜長男が話かけてきました。
私の目は見ません。
長男:
「明日も休む」
私
「・・・」{まーいいや}
学校探しでネットを検索しまくります。
学校結構あるな、どこも良さそう。希望が見えてきた。
4年生でクラス替えしたら、すんなり行けるかもしれないしな。
そんな子も結構いるって聞くしな。
このまま6年生まで行けなかったら、中学は難しい?
調べると6年生で不登校の子の88%は中学でも不登校です。
もう行く雰囲気はありません。
今もずーっと行かないって言っています。
日に日にいかなくなってる。
明日休んだら今週は1日しか学校へ行けていない。
学力、全く、つかないな。
学校に行っていないからか不思議なほど、落ちついていました。
2日後の10月16日は運動会です。
足の速い長男はいつも楽しみにしていました。
今年は無理なのかな・・・。
51 少しだけ穏やかな日
少しだけ穏やかな日
2021/10/14(木) 就寝時
就寝時長男が天井を見つめながら呟きました。
長男:
「学校嫌すぎる」
「学校嫌すぎる」
「学校嫌すぎる」
呪文のように言っています。
私:
「そうだね、本来学ぶ事は楽しい、新しい事を学ぶのは楽しいのに、 楽しいと思わせる事が出来ない学校が悪い」
私:
「寝るぞ」
長男:
「予告状を書いて弓矢で学校へ飛ばす」
「爆破してやる」
そんな事ばかり言っています。
私は全て適当に返していました。
私:
「予告状書いている時間無駄だよ」
「爆破したいなら、まず、母親からね」
「罪のない人にやらないで!」
「人に迷惑掛けるなら、まず産んだ母親にして」
長男:
「それは嫌だ!」
私:
「誰か楽しい話しして!夢だけでも楽しみたい。寝よ!」
2年生の時1日の楽しかった事を話してから寝ていました。
「今日はどんな事がありましたか?」
と聞く私に長男は毎日のように
長男:
「嫌な事は無い」
「考えても無駄だから」
「楽しかった事は全部」
「給食美味しかった」
「お母さんのご飯が美味しかった」
「2重跳び80回跳べた」
嫌な事は一切言わず、プラス思考でした。
私:
「お母さんに怒られたのは?」
長男:
「あ、忘れとった」
そんな感じでした。
最近、毎日毎日次男と娘を虐める姿を見ると「もーーー!!!(怒)」
と思ってしまうけれど長男が可哀想でした。
長男は今怒りに満ち溢れている。
薬を飲めば治るのだろうか?
11月11日、26日も別の病院の予約を取っていました。
どこで良いアドバイスを貰えるのか分からない。
出来るだけ多く話を聞こう。
私が納得できる話が聞ける場所が見つかるかもしれない。
小児科では、まず頭に腫瘍が出来ていないか調べる。
その後心療内科に移る。
と言っていました。
私が遠方に相談に行く際2歳の娘を連れて行けない為実家の母が来てくれました。
母が居てくれる事で少し気持ちが楽でした。
娘を寝かしつけてくれる。
家事が片付いている。
長男以外の子供に関われる。
長男にもしっかり関われる。
長男も祖父母が大好きな為落ち着いていました。
久しぶりに少しだけ穏やかな日でした。
私は毎日何度も心の中で決意します。
・私が暗くても、明るくても、行く時は行くし、行かない時は行かない
・明るくしていよう
・笑っていよう!
何度も覚悟を決める
何度も挫折する
継続が出来ない。
気力が続かない。
全く食事を取っていなかった私に母が
母:
「とにかくご飯食べなさい」
私:
「うん」
母:
「食べなよ」
私:
「・・・」
「もー、分かってるって、もう誰も私に何も言わないでよ」
「これ以上頭の中に何か入れたくない!今は何も言わないでよ」
脳にこれ以上何の情報も入らない。
誰も、何も注意しないでよ!
始めて感じた感覚でした。もう、何も頭に入れたくない。
心配する母の言葉さえ聞きたくない程、私には余裕がありませんでした。
嫌でもやって来る日々の生活を必死にこなしていました。
50 予約の要らない精神病院にて
予約の要らない精神病院にて
2021.10.14(木)
長男の姿を見て、主人が朝涙を流していました。
どの姿が長男の本当の姿か分かりません。
昔の姿を思い出せません。
本当に、本当に思い出せないのです。
朝起きると、常にお腹に鉛がある様な気分でした。
主人に申し訳ない 。
私がいいお母さんだったら、この子は、不登校にならなかったの?
正直、よく分かりません。
心を治して
環境を変えて
良い指導者に出会って
幸せに生きて欲しい
そう願っていました。
でも、何をどうすればいいか分かりません。
良い指導者も、どこに行けば会えるのか分かりません。
どこに行ったって言われる言葉は皆同じ!
「そうですか、大変ですね」
「お母さん自分を責めないで下さい」
そればっかりです。
寄り添っているつもりなのだろうか?
本当の優しさとは何なのだろうか?
誰も、苦しんでいる長男に焦点を当てません。
私は優しくして欲しい訳ではない。
大変さを共感して欲しい訳ではない。
道を示して欲しいのです。
解決策を教えて欲しいのです。
どこに行っても道を示してくれません。
もう、手当たり次第聞きに行こう。
一言でも、ヒントがあればいい。
そんな気持ちでした。
家から1時間程掛かる病院が、予約無しで受診可能でした。
電話連絡後、すぐに向かいました。
小さな病院で、先生は3人位いました。
電話した際、ある程度は話しましたが、再度一通りの事を話しました。
田んぼの真ん中にある病院で、診察室に入ると大きな窓から、奇麗な田園風景が広がっていました。
担当医は、40歳前後のお気楽な感じの先生でした。
担当医:
「へーーーー凄いね!聞いた事ない!」
「いやー、うちでは力になれないなーー」
「何したらいいか、分かんないもん」
「この県より、隣の県の方が、精神病院の質が良いって言うよ」
「ごめんねー、わざわざ遠くから来てくれたのに」
私:
「・・・」
「でもここ、精神病院ですよね?」
担当医:
「まあね、そうだけど、このケース分かんない」
「話聞いてると、カウンセリングも受けないよねこの子」
「受ける気しないな。無理だね」
「そしたら、やりようがないよね」
「まあさ、学力とかも本人がやばいなってなれば、やりだすんじゃない?」
私:
「どんな時にそう思うんですか?」
担当医:
「あー、まー、分かんないけどテレビ見てる時とか?」
「ははははは、ま、変な事言って親子関係崩さない事が一番大事なんじゃないのぉーー」
発育歴を聞かれました。
幼少期はパズルが好きで、毎朝300ピースのパズルを完成させてから、幼稚園へ行っていた事、
100ピース位の子供用のパズルは、裏側で完成させていた事、を話しました。
担当医:
「へーー、凄いね!化けるかもよ」
「化けるかも、化けるかも!化けるかもねー!もしかしたら天才かもよ」
私
「・・・」
担当医:
「でも、うちでは出来る事はないよ」
「ごめんねー残念だったねー」
「凄い遠くから来てくれたのにねーーー」
「ま、有名な総合医療センター予約取れたんだよね?そこ行くのが良いよ」
私:
「・・・」
軽い、軽すぎる。
意味ないな。
この病院。
だから当日受診できたんだ。
あー、そうゆう事か。
3000円捨てた様なもんだな。
良い病院が、当日診てくれるはずないな。
余りの適当さに、笑えてきました。
逆に、心が軽くなりました。
「天才」と言う言葉だけは引っ掛かり
不登校は、悲劇ではなく良い事なのかも?
と頭を切り替えてみようかな?
角度を変えて見てみようかな?
という気持ちが少し生まれました。
途中のコンビニに停車して
【不登校、天才】で検索しました。
まぁ、無駄じゃなかった!と思いたい。
その思いから、この本を買いました。
↓
あー、結局今日もヒントないな。
家、帰りたくないな。
長男は、学校を休みましたが夕方、別の学校の友人と2時間程サッカーをしました。
普通に元気な小学生でした。
次男は、皆がサッカーで遊ぶ中1人でベンチに座っていました。
相変わらず、身体が固まり友人の輪には入れませんでした。
49 完全不登校が始まった日
完全不登校が始まった日
2021.10.13(水)朝
長男が学校に行かない理由を訴え始めました。
長男:
「今日は発表がある。発表したくない。」
私:
「先生発表しなくていいって言ってるよ」
長男:
「体操座りが嫌だ、お母さんやってみてよ!何時間も!」
私:
「お母さんは体操座りが嫌だったけど嫌だって言えなかった。
嫌だ、でも皆んなと違う事はしたくない、だから休むって凄い!なかなかできんよ!」
真剣に聞く事に疲れて今日は褒めてみました。
長男は年中の時、小1の時も発表前に行き渋りがありました。
ストレス、プレッシャーに弱過ぎる気がしていました。
学校に行く気は無さそうで、結局お休みしました。
妹に向かって
長男:
「バカ、ブス、デブ、」
と言いリビングでテレビを見ています。
2歳の時にこんなこと言われて
この子(娘)大丈夫なのだろうか?
意地悪にならないかな・・・
お友達に言われたことを言う子にならないかな?
長男があまりに暴れるので、私1人では対応できず主人が会社へ行けない日がある。
次男は行き渋り、無表情、癇癪が増えた。
娘も暴言を吐かれている。
娘まで不安定になり、常に泣きじゃくっている。
長男がいる事で家族がめちゃくちゃになっている気がしました。
精神病ならどこかに療養入院させた方が全員の為ではないだろうか?
特性が強く過度なストレスがかかるのかな?
姉は長男に対してこんな見方をしていました。
姉:
「敏感で傷つきやすいから、施設に入れられた、捨てられた、と思って悪化しない?」
自分の事でいっぱいいっぱいの私は、
私:
「でも長男がいると他の家族が普通に暮らせない」
3人(主人、次男、娘)を犠牲にし、長男を守るべきなのかな?
誰を犠牲にしたらいいの?
1年間、精神治療しながら、しっかり休ませるのもありかもしれない。
覚悟はできません。
正解も分かりません。
考えても、考えても、考えても、考えても
答えをだせないのです。
療養方法は、もう専門家を頼るしかないのだろうか。
いつまでダラダラ家で過ごすの?
もう学校行かないの?
学ばないまま体だけ大きくなるの?
我慢を一切しない。
我慢をどこかに捨ててきた感じです。
この頃からお風呂に全然入らなくなっていました。
そんな、長男の頑なな姿を見て、私はこう考えていました。
・「明日も行かないよ!」の意思表示?
・反発?
・面倒くさい?
・だるい?
お風呂、大好きだったよね・・・
何なのだろう・・・
聞くと喧嘩になるのでお風呂に入るのかは聞きませんでした。
精神病だからわがままになってしまうのかな?
特性かな?
私が長男に感じていた【特性】は以下です。
・譲れない
・こだわる
・融通がきかない
・妥協しない
・独占欲が強い
・意思の塊
・極度なマイペース
・私への異常な執着
・負けず嫌い
幼少期、弟が生まれるまで凄く優しい子でした。
一切手が掛からず叱った事はありませんでした。
担任の先生に現状報告をしました。
私:
「もう学校無理かもしれません」
担任:
「そうですねー」
「それがいいと思います」
「それがいいと思います」
「・・・」
頼りなさすぎる・・・。
面倒なのかな?
年長の時の先生が良かったな。
子供が安定したし一気に伸びたな・・・。
教師大事なんだな・・・。
この日から長男が1年半もの間、一度も学校へ行かないとは想像もしていませんでした。
明日は唯一予約無しで受診してくれる精神科に行ってこよう。
出来る事は何でもしよう。
どこにヒントがあるか分からない。
48 児童相談所
48 児童相談所
学校に相談しても解決策はない。
児童精神科は予約が先すぎる。
もう、どうしよう!
主人が児童相談所へ連絡してくれました。
その時の、メモが残っています。
【メモの内容】
女性の方TEL対応 それなりに経験ありそうな感じの方
・児童相談所は親、子供の話を聞くことが出来るが継続して話を聞くことが出来ない。
(単発の相談)
・お父さんの状況を聞く限り、クリニック精神科の方が適しており2度手間と思います。
・今後クリニックを受診され、児童相談所を薦められることがある。
・療育手帳の発行(知的障害証明)を唯一発行できる。
質問:どこのクリニックも受診が先だがその間打つ手はないか?
回答:下の子にも暴力を振るうのであれば、環境の分離も一つの手
実家に下の子を預けるのもあり。
学校登校について
・無理強いは避けた方がよい
・本人が週に一度でも 行く気があるなら、行かせた方が良い
・行くという行為が大事
・外に出る、という行為も重要
勉強についていけないなど、勉学面での心配はスクールカウンセリングに相談するべき
結局ここでも児童精神科です。
スクールカウンセラーも紹介されました。
もう既に相談して助けてもらえない事は分かっていました。
八方塞がりってこうゆう事なのかな?
47 家庭崩壊
47 家庭崩壊
私の思考は毎日ぐるぐる、ぐるぐるフル回転していました。
・しばらく学校には行かせない方が良いのではないか
・学校に行く行かないに捉われている場合ではない
・おかしい
・精神病を治してからじゃなければ危ない
・学校は本当に何もしてくれない
・親身になってくれない
・学校内のトラブルについては対応するが、家庭内での問題には対応できない、と言われた
・先日は担任に「大丈夫ですよ」と言われた
一体誰の何が大丈夫なのだろうか?
「大丈夫」ではない。
絶対に「大丈夫」ではない
もう抜け道がない
どこも診てくれない
私の予想はこうです。
・理由がなく、学校が嫌
・多分先生とも合わない
・授業がつまらないのだろう
長男は何度か
長男:
「先生かわって前まで楽しかった授業がクソつまらなくなった」
と言っていました。
どこに相談しても、どこに電話しても早急に精神科受診を、と言う
でも、診てもらえる医療機関はない
予約が取れない
電話が繋がらない
どうしよう
どうしたらいい
私も限界だ
もともとの拘りの強さ、マイペース、頑固、それが強烈に出だしたのかな
次男もだろうか?人と上手く関われない
昨晩は腹痛を訴えている
相変わらず無表情だ
発達障害なのだろうか?
精神病なのだろうか?
併発しているのか?
ネットには併発しやすいと書いてある
まともに子供の世話ができない
どこか相談窓口はないか?
児相はどうだろう
今度は通学団の不満を言い始めました。
・躓く
・歩くペースが自由じゃない
・歩くの遅い
長男の不満を聞きながら、私は、あゝ、この子は異常だ。おかしい。こんな事まで我慢できないのだ。生きていたら必ずぶち当たる事。それに値しない程の事ですら我慢できないのだ。
と、長男の未来に強烈な不安を抱いた覚えがあります。
とにかく協調性が極端にかけだした
長男:
「火曜日はいい」
「俺が団長だから」
と、言っています。
私の目には、人に合わせる事、支配されることに異常にストレスを感じている様に映りました。
日に日に酷くなっている
確実に病気だ
市役所の児童科はどうだろう
今日は私から「お休みしよう」と伝えました。
テレビに向かってずっと文句を言っています。
視界に入る全ての事が気になり全てが気に入らないみたいでした。
振返ると驚く程、育てにくかったな。
小児科に紹介された医療機関は電話が通じるか分からない。
もう1カ所予約したい。
確実に診てもらいたい。
別の精神科に電話したら紹介状が要ると言われました。
先日の小児科にもう1カ所紹介状を書いて欲しい、と、お願いをしました。
小児科:
「1カ所しか書けません。2カ所は無理です」
どこもかしこも融通が利かない。
ルールを守ってばかりで誰も真剣に考えてくれない。
所詮他人事なのだ。
親身になってくれない。
自分の家族ではない。
どうでもいいのだ。
彼らにとってはお仕事でしかないのだ。
もう親しかいない。
親がやるしかない。
親以外に真剣に考えてくれる人は誰もいない。
誰も助けてくれない。
でもどうやって・・・
その朝は長男が朝から暴れまくり
娘は泣きじゃくり
次男は幼稚園に行かないと支度をせず
私の精神は、もう、崩壊していました。
家の中が荒れ狂っていました。
出勤支度をしていた主人が、
「もう、とても会社には行けない。午後からにするから」
「一旦お母さんは子供から離れて」
て言いました。
私はもう無気力で床にぺたりと座り込ん
で泣き崩れていました。
もう無理・・・
毎日毎日
主人は、
「取り敢えずもう児相に連絡してみる」
「犯罪を犯しそうな雰囲気がある」
「もう何をやらかすか分からない」
「誰かに危害を加えたら大変だから」
「犯罪者にだけはしてはいけない」
「将来を奪ってはいけない」
「児相は警察にも連携しているはずだから」
と言い児相に電話しました。
家族5人は地獄の中にいました。
46 完全不登校になる前日の日
46 完全不登校になる前日の日
2021.10.12朝
長男と、朝のお散歩に出かけました。
長男:
「お母さん濡れちゃうよ」
と言って、長男が傘をさしてくれました。
雨の中2人で散歩に行きました。
今日は顔つきが凄くいいな。
穏やかだな。
時間になると自分で集合場所へ行きました。
長男は、帰宅後不思議なくらいスッキリした顔をしていました。
あれ、この子何か穏やかな雰囲気だな。
こうやって落ち着いていくのかな。
2021.10.12 夜9時
また荒れだしました。
次男と娘にタオルをぶるんぶるん振り回し危ないので主人が注意しました。
長男は半分冗談で遊んでいた様ですが、
注意され豹変しました。
明らかに、表情が変わりました。
長男は、今自分ができる、最大限の反発をしてやろう!という雰囲気で
長男:
「今からDVDみる!」
「風呂入るわけねーだろ!」
「黙れクソババア」
「うざいんだよっ」
と、叫び散らし始めました。
少し下を向き、目を吊り上がらせ、真っ赤な顔をして私を睨みつけてきます、
私は、
「お母さんは大好きだけど・・・」
「何か、辛いの?」
長男は、更にヒートアップし、
「うざい」
「うるせぇ」
「クソババア」
「しゃべりかけんな」
「だまれ」
「宿題やらんからなって先生に言え」
と、叫んでいます。
私は、自分の感情に負けぬよう、心に決め、
「お母さんは大好きだけど」
「長男はお母さんが嫌いなの?」
「悲しいな」
と、冷静に伝えました。
荒れる前、21時までは普段よりも楽しく過ごしていました。
指示、指摘、注意、命令系の事をすると豹変します。
特に次男と娘を庇うと荒れ狂います。
主人は、もう我慢の限界のようで、
「こんなわがまま我慢しなくていいだろ!!!」
「いい加減にしろよ!」
「これは注意するべき事だろうが!」
険しい顔をして、力尽くで長男を押さえ込みます。
長男を押されつける主人の手を、私は力づくで放そうとして、揉み合いになりました。
「もう私に任せて」
「逆効果だって!」
主人はそれが気に入りません。
私を睨みつけてきます。
24時間長男に対応している私はこれ位の事は慣れていました。
たまに関わる主人は受け入れられないのです。
今の長男の状況を本当には理解していないのです。
私は私で、長男を刺激する主人に苛つき冷めた目で主人を一瞬見ました。
最悪な気分でした。
夫婦間にまた溝が生まれます。
家庭内が、一気に嫌な空気に飲み込まれました。
先日約束した、長男を受け入れる覚悟はもう崩れています。
結局、覚悟が緩いのです。
大人が感情に負け、大人の機能を果たしていない。
そんな感じです。
次男、娘は寝室に避難させました。
追いかけていきタオルでぶっ叩く。
主人:
「やめろ!!!」
長男に再び火が付く。
次男は泣き叫びながら私を呼んでいました。
娘を寝かしつけなくては。
次男と娘が可哀想。
長男のせいで家庭内が引っ掻き回されている。
毎日毎日こんな事が繰り返されていました。
この争いが終わったのは午前1時半。
地獄絵図でしかありませんでした。
入院レベルなのではないか?
家族が平穏な日常生活を送れない。
いち早く受診したい。
スクールカウンセラーも解決策を知らなかった。
「いち早く受診を!」と言っただけでした。
私も主人も、長男に殴られました。
私はタオルで滅多打ちにされた後、蹴り続けられました。
体が大きくなったら、と思うと、恐怖でした。
怒りや不安が私の中で渦巻いていましたが、見放さず何を言われても横で話かけ続けました。
長男は少しずつ冷静になりました。
その後、私と2人きりになり落ち着くとネガティブな発言を1時間半、私に話続けました。
長男:
「はい、皆さん!学校爆破したい人ーーー?」
「はーいパチパチパチパチ」
「さんせーい」
「そうだ、学校の周りを燃やせばいいんだ」
「ねー、ダイナマイト買って」
「爆破する」
「鬼ごっこやったけど追いかけられなかった、くそつまらん」
「先生の話が長すぎた、くそつまらん」
「発表なんてしたくない」
「絶対休んでやる」
「学校なんて意味がない」
この子は今、負のエネルギーしかない。
日常生活の中で避けて通れない些細な事を批判している。
そんな一方的な会話を一時間半聞き続けました。
私は一言も話していません。
永遠に聞かされていました。
絶え間なく、ぶつぶつぶつぶつ呟いていました。
そんな長男に、一切の助言をせず、私は頭の中で、こんな事を考えていました。
・この子、頭がおかしいな
・楽しくなければ苦痛を感じる病気
・我慢できない病気
・絶対病気
・一緒にいたら、こちらが頭が変になる
自分の子供が怖い。
どうしたら良いか分からない。
主人には
「今はとにかく平和に1日終わる様に対応しよ」
「次男と娘を守ろう」
と話しました。
45 ・・・医療センターの予約方法
45 ・・・医療総合センターの予約方法
いち早く受診したい。
脳機能の問題だと言われたら今までのわがままも納得できる。
早く楽になりたい。
普通の生活を送りたい。
長男の精神状態も、もう、限界でした。
やっぱり精神病だと思う。
・学校
・小児科
・スクールカウンセラー
が、精神病を疑い、児童精神科の受診を強く薦めました。
どこに電話をしても、最短で、3か月後しか予約が取れません。
待てるはずない・・・
小児科が紹介してくれた医療センターに電話をしました。
医療センターに電話をし、状況を説明し、一刻も早く受診させたい、と伝えました。
火曜日に電話をしたと思います。
医療センターから伝えられたことは以下です。
・今週の予約は満席
・まず、初回の電話で症状を聞く
・その電話での予約は出来ない
・1度目の電話は紹介先の確認と症状の確認のみ
・一旦電話を切り、もう一度電話を掛け直さなければいけない
・月曜日の2時から予約開始
・予約枠が埋まった場合は次の週、月曜2時に再度掛けなおす
・電話が殺到するので中々繋がらない
・繋がれば、ラッキー
・どれほど症状が酷くても対応は同じ
とのことでした。
私:
「では、私は今症状をお話ししたので、次回は予約が出来るのですか?」
医療センター:
「はい、しかし電話は本当に繋がり難いです。」
「繋がれば、予約が出来ます。」
「繋がらなければ、その次の月曜日です。」
私:
「それを永遠にやるのですか?」
医療センター:
「そうです。紹介状がある事は絶対条件です。予約方法もそれしかありません。」
私:
「予約が出来た場合は最短でいつ頃の受診ですか?」
医療センター:
「11月中には受診できますよ。」
「電話が繋がった場合ですが。」
私:
「息子を連れて行くのはとても困難な状況です。私だけでもいいですか?」
医療センター:
「初診は本人不在では受けられません。」
私:
「そうですか、では月曜に掛けます。」
どこもかしこも、規則規則。
みんな、どう、乗り越えているの?
2時か・・・次男のお迎えの時間だな。
でも掛け続けるしかない!
44 緩い覚悟
44 緩い覚悟
長男は、学校をお休みすると、妹にとても優しかったです。
次男のお迎え時、妹を任せられる程、頼りになる優しいお兄ちゃんでした。
好きな事をしていればご機嫌で優しい。
それでも、私は常に不安でした。
この先、好きな事だけをして生きてはいけません。
息子は社会に出られるのだろうか?
嫌な事は断固拒否します。
折り合いを付けるべき場面でもです。
やりたい事だけをやる子と思っていました。
幼少期の発育歴から振り返り
私は長男を【こうゆう子】。今はそれが強く出ている。
と思っていました。
低学年時はある程度我慢していたが爆発したのだろう。
我慢の限界に達したのだろう。
もう、やりたい事しかしない。
そんな感じなのだろうか?
もともと持っている長男の特性と私の子育て法の相性が悪すぎたのかな?
そんな事を思っていました。
主人とは、今は長男の言う事を優先しよう!
言う事を聞こう!と話しており実践していました。
どこまで聞けばいいの?
それが分かりません。
線引きが出来ないのです。
要するに、覚悟が緩いのです。
あまりのわがままに、主人は、
主人:
「これでいいの?怪物を育てている感覚なんだけど・・・」
「わがままにならないの?言いなりだよね」
「このスタイルで定着しないの?」
「定着したら、もう地獄だよ」
と心配していました。
やはり発達障害が入っているのではないか?
児童精神科に行けば合うお薬をくれるかもしれない。
薬を飲めば落ち着いて普通の生活が送れるのではないか。
スクールカウンセラーも結局解決策は示してくれなかった。
もう、児童精神科しかない・・・。
そんな事を毎日毎日ぼ~っと考えていました。
43 スクールカウンセラー
43 スクールカウンセラー
2021.10.12
やっと、スクールカウンセラーに相談できる日がきました。
何か解決策を教えてもらえば、今の地獄から抜け出せるかもしれない。
そんな想いで学校へ向かいました。
時間は50分。
私は、今までの経緯を話しました。
・行き渋り
・暴言、暴力
・指示が通らない
・暴れる
・泣き喚くetc・・・
時間が限られており、出来る限り端的に伝えました。
・休ませるべき?
・行かせるべき?
・どうしたら良い?
・どうするべき?
・対応方法
・暴言暴力について、等など
納得できる道を、はっきり示して欲しいのです。
40代後半くらいの、物静かそうな、女性でした。
話をきいていたカウンセラーさんは、
「そうですか、そうですか。」
と相槌を打つか、私の言った言葉を反復していました。
いわゆる、傾聴の姿勢を取っています。
教科書通りの【傾聴】です。
本当に力になろうとしているのか、そうではないのか。
・・・
熱意は感じられません。
カウンセラーさんは、ずっとメモを取っていました。
私が話終えると、
「そうですか・・・お母さん大変ですね。」
「大丈夫ですか?」
「お母さん、自分を責めないで下さい。」
「お母さんのせいではありません。」
「そうか、そうか、んーーー・・・」
「・・・」
「取り敢えず、今の状況は学校と共有しても良いですか?」
「守秘義務があります。話しても大丈夫ですか?」
私:
「大丈夫です。学校にも大分お話しています。」
カウンセラー:
「そうですか。」
「まずは、今、一番心配なのは、2歳の娘さんですね。」
「娘さんの安全を確保する事が、最重要かと思います。」
「近くに頼れる人は居ますか?」
私:
「いません。」
カウンセラー:
「そうですか・・・んーーー・・・」
「まずは娘さんを安全に。」
・・・
・・・
・・・
私は混乱していました。
今日、スクールカウンセラーに話を聞けば、何か解決策を提示してもらえる!
と何一つ、疑わずに相談に来ていました。
今の最重要案件は、娘の安全なのだろうか?
いや違う!
私は、長男の事で困っている。
困っている、というレベルではない。
どんな対応をしたら、持ち直すのかを聞きに来ている。
娘の安全の確保は、私でも考えられる。
長男をへの対処法を教えてよ!
児童精神科を進められました。
いくつか電話をしたけれど、早くて1月末な事、今電話したらもっと遅い日にちになる事、 4か月もこの状態を続ける事は不可能な事、を伝えました。
カウンセラーさんは、児童精神科リストを私に見せ 、
「んー、そんなに待つんですね。私の持っているリストはこれだけです。」
と言い、児童精神科のリストを見せ、私に伝えました。
・どこが良いかは、分かりません
・いつ見てもらえるかは、問い合わせて下さい
・専門家に診てもらった方がいいです
・息子さん、苦しいですよね
6週間予約の埋まっている、臨床心理士で、スクールカウンセラーの方です。
心理の専門家のはずです。
その方のアドバイスが、児童精神科へ行き、専門医に診てもらいましょうでした。
50分経ちました。
カウンセラーさんが、
「申し訳ないですが、お時間です。次の方がいらっしゃいます。」
「次回はどうされますか?また相談されますか?」
「ご希望でしたら★月★日の★時間からなら今予約が取れますよ。」
私がお礼を言い、帰ろうとすると、
「次回の予約表の裏に、クイズがあります。やってみて下さいね。」
と言われました。
裏を見ると、くだらないクイズが書いてありました。
私は一瞬、時が止まりました。
先の50分間の内容を、重く受け止めていたら、クイズの事を私に伝えようと思うだろうか?
私にクイズをする心境があると思ったのだろうか?
やっぱり誰も助けてくれないんだ。
それでも先が見えない私は、次回の予約をしました。
42 DVD事件②
42 DVD事件②
2021年10月11日(月)夜
この日の事は、今でも脳裏に焼き付いていて消えません。
・・・
長男が些細なきっかけで暴れ出しました。理由は、先日長男が買ってきたDVDを妹がほんの少し触ったからです。
長男は、
「うわー、うわー、うわー」
と四つん這いになり、床を拳で殴り続けています。
涙が、床と拳にぽとぽとぽとぽとと落ち、床が濡れていました。
のたうち回り泣き叫んでいます。
先日買ったCDを狂ったように磨きながら、
長男が、
「ピカピカのままが良かった!」
「新品が良かった!」
「妹が触ったから汚れた!」
「このくそ女!」
「おい!買って来い!」
「今すぐ買って来い!」
「新品を買って来い!」
「今日、今すぐ新品を買わなかったら明日も学校いかん!」
「明日買わなかったらその次も学校いかん!」
「おい!買って来いって言ってるだろう!!!!」
「うゎゎゎーーーーーーーーーーーーー」
妹に向かって、
「お前ーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「俺の物に触るな!!!」
「うゎーーーーーーー」
泣き叫びながら妹を殴ります。
私は、
「叩いちゃだめ!!!」
と娘を叩く長男を止めます。
妹は泣いて怯えています。
長男はもう、彼自身も、どうしていいのか分からない程、
「あぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
と叫び散らしています。
もう何を言っているのか分かりません。
DVDをケースから取り出し気が狂った様に拭いています。
「ひゃーーーあーーーぐぅぅぅーーー」
「汚い!汚い!汚い!汚い!汚い!汚い!!!!」
「このくそ女ーーーーーーーーーーーーーーーー」
「全部の電気を消せ!すぐ消せ!全部消せ!」
その日、早く帰っていた主人が、
「ねー、ねー、ねー、ねー!ねー!ねー!」
「家中の窓閉めて!叫び過ぎてるから!カギ閉めて!!!早く!閉めて!」
長男は、大声で叫び続けていました。
リビング中の物を投げ、のた打ち回り暴れ回る。
リビングがぐっちゃぐちゃでした。
涙でびしょびしょになった顔を拭いもせず、リビング中を歩き回り、妹を探しています。
眼は完全に据わっています。
妹と次男は、奥の部屋に私が避難させていました。
部屋の隅っこに、2人でお山座りをして怯えていました。
長男:
「どこだーーーーーーーーーーーー」
「おい!!!!!!!!」
「うゎゎゎゎーーーーーーーーーーーーーーー」
「(妹の名前)しねーーーーーーーーーーーー」
主人が汗だくで長男を羽交い絞めにしていました。
主人は、
「ごめんね、抑えるよ。」
「ごめんね、ごめんね。」
「落ち着こうね、~(長男の名前)ちゃん、落ち着こ。」
と言いながら、長男をなだめ、押さえつけていました。
それまでにも、娘は何度か長男に殴られていました。
主人は、娘の場所に行かない様必死で抑えていました。
長男にこんなに力があったのか!と思う様な力で、抜け出そうと暴れています。
その後、長男がどうしたのかどれ程考えても思い出せません。
この時、狂ってDVDを拭く長男の姿は、とても鮮明に覚えています。
もう、家族が同じ空間に居られない。
解決策は何もありませんでした。
なんで、
なんで我が家は、こんな事になってしまったのだろう・・・
41 主人
41 主人
姉が私にこんなことを伝えてきました。
「この前旦那さん、長男の事心配してたけど、あんたの事も心配してたよ。」
私は主人が私の事を相談しているとは考えておらず「そーなんだー」と不思議な気持ちでした。
姉は主人はとても優しいと言っていて、私がSOSを出したら、すぐに力になって欲しい、と姉に伝えたそうです。
その頃主人は私に、
「今はなかなかそう思えないかもだけど、この経験で親の在り方を改めて考えさせられたし、長男も、回復したら辛い人の気持ちを少しは分かる人にきっとなるだろうから、笑って話せる日がくる様に、今は頑張ろう」
「とにかく長男の人間性を信じて、不登校も含め今は全部受け入れよう」
「不登校は悪い方に向いているけど、母親に感情を吐き出し始めたから、少しは楽になりだしているよね」
「ただ、心配なのは次男だな、次男の情緒は、やばいな・・・」
と言っていました。
主人は元々子供を強く叱りつける事はせず、長男の行き渋り初期、主人が長男を叱ったのは数回です。
つい最近まで、夫婦仲は悪かった方ですが、今は、協力なしでは家庭が回らず、話せば可能な限り努力してくれまていました。
・・・
長男の不登校が酷くなる中、主人は自身の母親に意見を聞いていたそうです。
義理のお母さんは主人に、
・学校には行かせなくて良いので、わがままを聞いてあげてほしい
・叱らず、家庭内を居心地の良い環境にしてあげてほしい
・とにかくゆっくり休ませてあげて
・本人の意思を尊重し、本人に選択させ、意見を聞いてあげてね
と言っていたそうです。
40 こどもたち
40 こどもたち
私は次男に、
「お兄ちゃんは今、元気が無くて、苦しいんだよ。お母さんは、次男の事大好きだけど、お兄ちゃんが元気になるまで、我慢する事が沢山あると思うけど、ごめんね」
と伝えていました。
次男が長男の事を、理解しているかは分かりませんが、次男は、
「長男病気なの?」
と、私に聞いていました。
次男自身も心身の不調が出ていて、
・10円禿
・爪噛み
・腹痛を訴え、トイレに何度も駆け込む
・幼稚園で話さない
・廊下でずっと寝っ転がっている
・行き渋り
・暴言、暴力
・無気力
・癇癪
などの症状がありました。
娘も、小さいながらに家庭不和を感じ取っているのか、癇癪の様に泣き続ける日が多かったです。
私は、次男と娘をどこにも連れて行く事が出来ませんでした。
長男は行きたくない、でも置いて行くと「寂しい!」と、怒るので、近所の公園ですら、連れて行くことができませんでした。
主人が何とか次男の気をそらそうと何度次男を誘っても、次男は、
「お母さん、お母さん、お母さん、お母さん!」
「お母さんと行きたい!!!」
と、絶対に騙されませんでした。
長男は小さな頃から自分の所有物、場所等を誰かに取れらる事を異常に嫌がる子供でした。
・ボロボロになったスニーカー
・サイズアウトした服
・使用しないおもちゃ
食べ終えたおやつの袋も 「絶対に捨てないで!」 と言う事がありました。
・・・
3年生の6月から特に、長男がいると我が家は異空間になり、私はとにかく長男に神経を使っていました。
・マイペースでこだわりが強く、やたらと細かい事に気が付く
・ああ言えばこう言い 1つ指摘すれば10言い返してくる
かくれんぼや鬼ごっこをして遊ぶ時も、長男が入ると融通が利かず、一気に面倒になりました。
長男は、【こうしたい!】の気持ちがとても強い子で、何となーく何かをする、という事が苦手なのかもしれません。
とにかく難しい、育て難い、と私は常に感じていました 。
39 小児科にて
39 小児科にて
2021/10/11(月)
朝、長男を自転車に乗せて散歩に行くと、長男はご機嫌で【妖怪図鑑】の話をしてくれました。
その朝長男は一度も「休む」とは言いませんでした。
出発時間が来ても、長男はご飯を食べず漫画を読んでいました。私が「時間だよ」と声を掛けると、長男は、昨日の野外活動で虫に刺された足を見せて、
「足が痒すぎる」
と言いました。私は、
「そりゃそうだよね!酷すぎるもん!病院行こうよ!」
と言うと、長男は、
「絶対に行かない!死んでも行かない!」
「お母さんは僕の気持ちを全然分かってくれない!!!!」
と泣き出しました。
週末の野外活動の虫刺されで、膝下が1.5倍くらいに膨れ上がっていましたが、それでも私は、行き渋りと結び付け、痒がる長男の気持ちを無視し、学校へ行くよう説得していました。昨日も泥だらけの中シャワーをせず、汚れたまま寝たため、私が、
「シャワーしてないから余計痒いんじゃない?シャワーしようよ!」
と言うと、長男はしぶしぶ、
「じゃー足だけ・・・」
と服を着たままお風呂の椅子に座り、足だけシャワーをしました。長男は、顔をゆがめて、
「痒い、痒い」
と不快そうでした。
その後、私が何とか説得して皮膚科に連れて行きました。
その日はそのままお休みにしたので、長男は私に【妖怪ウォッチ】の話を沢山してくれて、無気力な雰囲気はなく、とてもご機嫌でした。
長男は皮膚科の飲み薬が効いたのか、3時から6時まで眠りました。
・・・
学校は頼りない、教頭も話にならない、市の相談所の対応は論外。
どこに相談したらいいのだろう?
そんな事を考えながら車を走らせていると、小児科がありました。 私は、保険証も持たず、小児科に飛び込み長男の現状を話しました。
すると、小児科の先生に、
「お母さん、この子、2021年3月にもおかしくなっていますね」
と言われ、当時私が渡し、病院に渡したメモのコピーをくれました。
それを見て私は、「はっ」としました。私は忘れていましたが、その小児科は2年の春、1か月調子が悪かった時に診てもらった小児科だったのです。
私は長男が春に体調を壊していた事を、すっかり忘れていたのです。
きっと長男のメンタル不調はあの時から始まっていたのだ、と思い、頭の中が真っ白になりました。
・・・
小児科医に言われた事は以下です。
・脳に何かが出来ているかもしれないので、早急に受診すべき
・今後、社会に出られる子にする為に、今すぐ出来る事をした方がいい
・内容があまりにも酷すぎて反抗期では形付けられません
・このあたりで一番有名な発達障害研究所も兼ねた病院の【・・・小児医療センター】に行きなさい
・心より精神病な感じの印象だけど、カウンセリングで治す感じではない
・反抗にしては、言葉や言動が過激すぎ、あまりにも酷く前例がない
・二面性や能面になる事も脳がそうさせているのではないか
・非常に稀なケース
小児科の先生は、
「この子は急に豹変しているし、不登校だし、脳に何か起こってるんじゃないか」
「その病院にかかるには、紹介状は出せるけれど、予約はすぐには取れないし、うち(小児科)では取れないので自分で手配して下さいと言われました」
私は、まさかの診断結果に、
え・・・
脳の異常なの?
何?
どうなってるよ?
と、とても混乱していました。
38 DVD事件①
38 DVD事件①
この時期はまだ、ゲームを何も持っておらず、YOUTUBEすら知らなかった長男は、妖怪ウォッチをDVDで見る事を楽しみにしていて、主人と長男が【妖怪ウォッチ】のDVDを買ってきました。次男は長男が一緒に行く事を激しく拒絶し、買い物ついて行くことが出来ずに泣いていました。
帰宅し、夜8時頃になると、 リビングで長男がDVDを見始めたので、次男も一緒に見ようとしました。すると長男は、険しい顔をして、
「お前は見るな!」
「僕が買ってもらったDVDだ!
と怒り出し、次男には絶対に見せない!と言い出しました。私は争いを避けるため、長男に、
「パソコンでみる?」
「1人でゆっくり見れるよ」
と勧めました。そんな私のアドバイスに対し長男は、
「嫌だ!テレビで見たい。でも弟には見せたくない」
「あんなバカ見る意味がない!」
「DVDがつまらなくなる!」
と次男を傷付けます。次男もどうしても買ってきたDVDが見たかったらしく、泣きながら、
「僕も見る!」
「見たい見たい」
「ずるい!僕も見たい」
と私に訴えていました。
・・・
次男が長男が見ているテレビを部屋の片隅から覗いていると、長男が無理矢理テレビを移動させました。
絶対に誰にも見えない様に周りを囲み始めました。
長男は、次男が見る事を絶対に許さない!と決めているようでした。
次男は部屋の隅で、文句を言わず、真っ赤な目で立ちすくんでいました。
その姿はとても可愛そうで、私は見たそうにしている次男の事をとても見ていられませんでした。
その時に、親として、私に何が出来るのか、何を、誰を、優先すべきなのか、考えましたが私には分かりませんでした。
長男は部屋の隅でテレビを覗いている次男に対し、その後もずっと、
「お前は見るな!気持ち悪い!生ごみ!」
と言い続け、 あまりの剣幕に次男は固まってしまいました。
見かねた主人が、次男を別室に行くよう、説得していました。
次男は号泣しながら主人に、
「見たい見たい見たい見たい」
と 地団太を踏んで訴えていました。
・・・
主人がなんとか次男を説得し、次男と娘を別室へ連れて行き、パソコンで【妖怪ウォッチ】を見せていました。
長男を1人にする事は出来ず、長男とリビングに残りました。
次男が部屋からいなくなると、長男はDVDを見ながら大笑いしながら、私に共感を求めてきましたが、私は不快な気持ちを切り替える事が出来ず、呆然としながら、黙ってリビングの床に座っていました。
・・・
DVDを買ってきた時点で、大体の予想はしていましたが、それでも私は長男の次男に対する態度やわがままさに唖然としていました。
長男が、次男を悲しませ、笑っている姿は受け入れ難かったです。
次男はこんな毎日に耐えれるのだろうか・・・ と思わない日はありませんでした。
・・・
奥の部屋で主人、次男、娘でパソコンで動画を見ていると、長男は突然、奥の部屋へ行き、
「次男ずるい!パソコン見てる!ずるい!」
というので、主人が長男に、
「一緒にみる?」
と誘っていましたが、長男は、
「見ない!こんな奴と見る訳ない!こんな奴に見させるな!消して!」
とパソコンで次男が妖怪ウォッチを見る事も許しませんでした。次男が嬉しい事が許せず、次男から全て奪い取る事しか考えていないのです。
次男拒否は、もうずっと続いていて、今に始まった事ではありませんでした。
それでもやはり、この時期は異常でした。
私に物理的に不可能な事ばかり言って困らせ、次男を徹底的に虐めていました。
この日は、休日で主人がいたので何とかなりましたが、もしこの出来事が平日に起こったら・・・と思うと ぞっとしました。
その日の22時、 長男が、再び騒ぎ出しました。 長男は突然、
「今からご飯たべる!」
「まだ夜ご飯食べてない!」
と騒ぎ出し、夕食は食べていたので、私は何も言う事が出来ず黙っていました。長男は、
「今から2時間の映画観る」
と言うので、私が、
「明日起きられるの?」
と言うと、長男は表情を変え、
「起きられないなら休めばいい」
「学校何て、うざい女がいるだけ」
と言い、お腹が空いたと言い続けるので、私はご飯を作り、映画が終わるまでリビングにいました。映画が終わり
私が、
「明日朝起きられる時間に寝てね」
と言い、寝室に向かおうとすると、長男は、
「もう起きられないから、明日も休む」
と、答えました。
私は、もうこれ以上何を言っても同じだなと思い、何も言いませんでした。
37 休日の課外活動②
37 休日の課外活動②
2021年10月10(日)
この日も長男は野外活動に参加しました。
前日の野外活動で、川べりで釣りをし、130カ所位膝下を虫に刺されておりとても不快そうでした。それでも長男は参加すると言い出発しました。
到着した際に水筒を忘れている事に気が付き、自販機でお茶を購入すると 、
「お母さん、ありがとう!」
とにっこり笑ってくれました。
・・・
お迎えに行くと、長男は 「楽しかったーーー!」 と笑っていました。
私はなんだかとても嬉しい気持ちになりました。
貰ってきた材料で工作するにはガムテープが必要で、帰り道にホームセンターへ買いに行くと、
「お母さん、ありがとう!作るの楽しみ!」
ととても元気に見えました。
・・・
夜長男が、「お母さん、宿題やって」と言うので、私はこの子は明日は行こうとしているのかな?と思い少し嬉しかったです。
長男は、
「お母さん、計算ドリルだけでいいよ、漢字は自分でやる!」
と元気に行っており、とても落ち着いているように見えました。
その後主人、長男、次男の3人で、漫画を買いに出かけました。今日は次男が車に乗る事には何も言いませんでした。
なんだか、今週末は先週末より落ち着いているように見えました。
・・・
両親は長男に何一つ注意しをせず、機嫌を損なわないようにしていました。
このまま王様みたいになってしまうのではないか?ととても不安でしたが、親は今やれる事はこれしかない!と全力疾走していました。
野外活動の様子を見ていた私は、この子は学校が無ければ狂わないのかな、学校に行くからおかしくなるのかな、病気なのかな、 それともただ単に学校が嫌なだけかな、と学校がなければ元気な息子の姿を見て思っていました。
36 休日の課外活動①
36 休日の野外活動①
2021年10月9(土)
この日は、以前申し込みをした9時から16時までの市の野外活動に「行く!」と言いました。
到着すると長男を見かけた友人数名が長男を読んでいたのですが、集合場所へ1人で行けませんでした。
長男は私の手を引き、自信がなさそうに小石を蹴りながら、とぼとぼと友人の方へ向かいました。
私は長男の様子が気になり、しばらくの間、車の中から長男の様子を見ていました。
少しずつ輪の中に入り、沢山の友人の中で鬼ごっこをする姿が見え、そんな長男の姿を見るのは久しぶりで、懐かしい感じがしました。
・・・
16時にお迎えに行くと、長男は笑顔で、
「楽しかったよ、明日もあるよね!明日も行く!」
と、とてもご機嫌でした。帰りにコンビニに寄ると、長男が、
「身体が全く動かない」
と言い、私がおんぶをして店内を回りました。
・・・
次男は家に長男がいない間、平和な時間を伸び伸びと満喫しているようでした。
・・・
夜、家族で外食することになり、主人と長男が乗っている車に次男が乗ろうとすると、長男が、
「お前は乗るな!絶対に来るな!狭い!」
と言い、次男が固まりました。
私は次男に、お母さんの車で一緒に行こうと誘い、次男を説得し、2台で目的地へ向かいました。
店内でも次男への暴言は止まりませんでした。 長男は何もしていない、声すら発していない次男に対し、
「目の前に座るな」
「視界に入るな、ご飯が食べれなくなる」
「横に座るな、気持ち悪い」
と言い、次男はどこに座っても徹底的に存在を否定をされていました。
長男の席から、テレビが見え、それが次男の好きな番組だったので、次男はテレビが見える席に移動しようとしました。 すると長男が、
「お前は見るな」
「絶対にダメ」
「こっちに来るな!」
「まずくなる」
と言い、最終的には次男の顔面を拳で殴りました。
長男は次男が少しでも手を触れた食べ物は「汚い」と言い、絶対に口にしませんでした。
次男は泣いていて、 長男はテレビを見ながら笑っていて、私にはとても見るのが耐え難い異常な光景でした。
両親がどんな対応をしたのかは思い出せませんが、吐き気がするほどの不快感は覚えています。
・・・
ずっとこんな感じで次男は長男にいじめられ、何もしていないのに毛嫌いされ、次男がとても可哀そうでした。
長男を可愛がらなければならない事は重々承知していましたが、どうしても、どうしても気持ち追いつきませんでした。
長男が次男をいじめている時に、私は長男の事を、
無理・・・
可愛がれない・・・
全然可愛くない
と感じてしまい、それが私の中にある、本当の気持ちでした。
就寝時、長男は次男が話す事は決して許さず、ずっと私に話しかけてきました。
一方的にずっと話していて、私はとても長い時間、長男の話を聞いていました。
23時だ・・・
もう寝てほしいな・・・
私も眠たいな・・・
・・・
野外活動で泥だらけでしたが、長男は意地でもお風呂に入らず、着替えもせず、そのまま眠りにつきました。
35 完全不登校までのカウントダウン⑤
35 完全不登校までのカウントダウン⑤
2021年10月8日(金)
長男の様子をみていると、今は気持ちを受け入れて否定はしない方が良さそうで、とにかく長男が安らげるように話を聞こう、と私は思っていました。
主任先生や担任の先生との度重なる話し合いで、周りの大人が長男を何とか学校へ来させようとしている雰囲気が長男に伝わり、長男の気持ちだけが置いてけぼりにされていないのか?大人が長男を追い込んでいないか?と疑問が浮かびました。
この時期は長男が頻繁に大泣きするようになり、思う存分泣き、感情を吐き出し、私が「大丈夫、大丈夫」と言うと長男は落ち着くことが多かったです。
長男があまりにも苦しそうに泣くので、見ている私は胸がとても苦しくなりました。
沢山泣いて感情を吐き出すと、長男は一旦は落ち着くのですが、些細な事がきっかけで、またすぐに心が不安定になる、その繰り返しでした。
私は、母や姉が家にいる事で長男は周りの大人に遠慮して、想いのまま泣けないのではないか?と感じるようになりました。
この時期次男は、どこに行くにも置いて行かれ、私は長男に付きっきりなため、私は次男を我慢させてばかりいると感じていました。
・・・
そんな日々の中、夕食の時に次男が、
「うううううーーーー」
と唸りながら、目に涙を溜め、苦しそうに泣く事が増えました。
私は不安定な次男の事も幼い娘の事もとても心配で、2人と関わりたいと望むのですが、長男はそれを許しませんでした。
私が次男、娘と仲良くする姿は、長男を強く刺激し、心を不安定にさせました。
長男は当時情緒が不安定で、とても部屋に1人に出来る精神状態ではなく、私は下の子たちと関わる時間を作れずにいました。
行き渋りが酷くなると、私は毎朝長男にだけ時間を割かざるを得なくなり、次男は幼稚園に毎日遅刻していました。娘は毎朝「抱っこして」とギャーギャー泣いていて、3人全ての子供に、私が1人ずつ必要な状態でした。
長男と私が2人で落ち着いて支度ができるように、主人が出社時間を少しずらし、ぐずる娘を別室へ連れて行ってくれる日もありました。
娘が学校へ付いて行く事を、長男が許さないため、2歳の娘は毎朝1人で留守番をしていました。
家庭を、思う存分ストレスを吐き出せる場所にしなくては!と思い、しばらくの間は母や姉には頼らず、家庭の事は両親で乗り切ろうと主人と話をしていました。
・・・
下2人を、長時間置いて、出かけざるを得ない日が増えており、親族にも頼めず、次男と娘の情緒や安全が心配でした。
次は次男が壊れたらどうしよう、と心配していると、予感は的中しました。
・・・
主人が下の子どもたちの面倒を見ることがベストなのですが、仕事があり無理でした。
1日でも早く、専門家のアドバイスを聞きたい。
児童精神科が数か月後ならとりあえず、小児科に行こう!
長男を、病院へ連れて行くのは無理なので、私1人が小児科へ行き、現状を説明し、大きな病院を紹介してもらおう。
きっと良いアドバイスをくれるはず!
そう思い小児科に行く事にしました。
主人と、長男が好き放題ストレスを出し切れる環境を作れるように両親だけで乗り切ろう!と話していましたが、主人は家族を守るために働かなければならず、結局は私1人で対応する以外に道はありませんでした。
34 帰宅後の無理難題
34 帰宅後の無理難題
この頃の長男は、私が次男の名前を呼ぶだけで、
「あー!」
「あーー!!!」
「あーーー!!!!!」
「あーーーーーーーー!!!!!!!」
と泣き叫ぶようになりました。
私と長男が落ち着いて話せる環境を作ろうと主人が、あの手この手で次男を私から遠ざけようとするのですが、次男はそれを察して、
「お母さん!」
「お母さん!!」
「お母さんがいい!!!」
と、泣き叫ぶので、主人がなんとか次男の気をそらそうと外に連れ出そうとするのですが、次男は絶対に主人と出かけようとはしませんでした。
この時期、長男は、私が次男と関わると荒れ狂うようになったので、我が家の平和のためには長男を立て直さなければ! と私はなるべく長男を優先的に構うようにしていました。
長男は次男が視界に入ると泣き叫び、次男に危害を加えるので、2人を近づける事ができず、同じ部屋にいる事はとても困難でした。
・・・
2021年10月8日(金)
この日の朝、長男と私は自転車で散歩に行きました。
ご機嫌で帰って来ると【NHKの0655】が始まっていて、長男は突然不機嫌になり、私に、
「君に罰を与えよう」
「今日、僕は学校を休むからな」
「これは罰である」
「テレビの時間に間に合わなかった罰である」
と、笑っているような、引き攣っているよう表情で長男は私にそう言いました。
・・・
集合時間になっても体が動かなかったようですが、時間になるとだるい体を引きずるようにして「お母さんと行く」と言うので一緒に学校へ向かうことにしました。
出発前には何度もトイレに駆け込み、しばらくの間出てきませんでした。
・・・
私が長男と歩いて正門まで行くと、2年時の担任の先生が、
「学校生活の不安を取り除けるのなら、長男が大好きだった支援員さんを配置できるか調整してみますよ」
と声を掛けてくれました。
・・・
その日の帰宅後、長男は30分間、獣が鳴くかのように泣き叫び支離滅裂な無理難題を言い始めました。
その日は長男の歯医者の予約が入っていたのですが、帰宅すると長男は、釣り上げたばかりの魚のように布団の上でのたうち回り、手に取るもの全てを壁に投げつけ、
「うぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーーーー!」
「うゎーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
と叫び始めました。
あまりの暴れ方に、私は言葉を失い、ただ背中を撫ぜる事しかできませんでした。
長男は、わんわんと泣き叫びながら、
「お母さん、こないだの消しゴムは?」
と私に聞いてきました。私が、
「え、「遠いからまた行こ」ってなったやつ?」
と聞くと長男は泣きながらうなずいていました。私が、
「ごめん、ごめん、まだ行ってない!」
と謝ると、長男は、
「今すぐ買ってきて」
と泣き叫びました。私は、この子は今正常な精神状態ではないな、と思い、
「そっか・・・じゃあ今日は歯医者さんやめて、消しゴムを買いに行こう」
と言うと、長男は、
「歯医者は行く!」
と私を困らせました。私は長男に、
「どうしたいのか決めていいんだよ」
となだめても、長男は、
「行くの!どっちも行くの!」
と言うのです。私が、
「そっかそっか・・・」
と背中を撫でていると、長男が、
「遠いから100均で買っておくって言ったじゃん!」
と買ってきていない私の事をとても怒っていました。 私が、
「そうだね 買ってくるよ」
と諭すのですが、長男が、
「今すぐ行く!」
と言うので、私は100均へ向かうことにし、
「いいよ! 下の子達、連れてくるね」
と出かける支度をしようとしました。すると長男が、
「だめ!!!!行くのは僕だけ!!!!」
「あいつらは連れて行くな!!!」
「僕だけだ!」
と激しく泣き叫びました。幼い次男と娘を置いて買い物に行く事が心配で、私はとても困っていましたが、その間も長男はのた打ち回り、叫ぶように泣いていました。
顔を涙でぐちゃぐちゃにし、お腹の中から声を絞り出すように、聞いたことのないような声で唸り、とても苦しそうに、とにかく泣くのです。私は、
「分かった!取り敢えず、歯医者さんにキャンセルの電話だけさせて」
と長男に伝えると、
「歯医者も行く!断るな!行くんだ!」
と泣き、私は歯医者に間に合わせるため、歯医者の後に100均に行く事を提案しました。 その提案に対し、長男は、
「嫌だ、先に100均!!!!!絶対に先に100均!!!!」
と叫び、今この子には何も言わない方がいいな、と思い、
「分かった分かった、そうしよう」
「長い時間だから、弟と妹連れて行っていい?」
と下の子たちをつれて100均に向かおうとすると、長男は、
「ダメ!ダメ!ダメ!ダメ!絶対ダメ!」
と下の子を連れていく事を許しませんでした。
次男と娘は大人しくテレビを見ていたので、私は次男に、
「少しだけ待っていてくれる?」
とお願いをしましたが、 次男は、
「僕も行く!僕も行く!僕も行く!」
「ギャーーーーーーーーーー!」
「何で行ってはダメなんだ!」
と号泣していました。
・・・
あぁ・・・
あぁ・・・
どうしよう
と私は泣きそうになっていましたが、今は長男を優先させるしかない!と思い次男と娘に見つからないよう、そっと外出しました。
辺りが薄暗くなりはじめた夕方に、1時間以上の長い時間、幼い2人を家に残す事はとても心配でした。
・・・
長男は、車の中で一通り泣くと少しずつ落ち着き、私と買い物をしている間はご機嫌でした。
私は、買い物をしながらご機嫌に話しかけてくる長男と楽しく会話をしたいのですが、下の子たちは大丈夫かな・・・ と気持ちがソワソワし、長男の話を上の空で聞いていたように思います。
早く帰らなきゃ、早く帰らなきゃ、と思いながら帰宅をすると、2人は大人しくテレビを見ていてくれました。
33 完全不登校までのカウントダウン④解決策が分からない
33 完全不登校までのカウントダウン④
どこかの相談員が長男の現状に対して、
「反抗期では片付けられませんね。特性、幼少期から我慢してたお母さんへの独占欲、ホルモンバランス、色々重なって自分自身にも怒れてるのではないでしょうか?どうしようもない怒りで訳が分からなくなっているんじゃないかな」
と私に言いましたが、具体的にどうしたらよくなるかもしれないよ、という解決策は教えてくれませんでした。
・・・
10月に入ると長男は常に泣いていて、不登校は悪化していましたが、私にぽつぽつと胸の内を話す事が増えていきました。主人とは、不登校を受け入れ覚悟を決めようね、と話をしていました。
・・・
心療内科に「本人を連れて行くのは難しい」と説明し「私だけで相談に行きたい」とお願いしましたが、初診は本人が居ないと診れず、 予約が取れたとしても最短で4か月後と言われていました。
その言葉に私は、本人が病院へ行けないほどの精神状態だからこそ受診したいのに・・・と臨機応変に対応してくれない病院に疑問を持ちました。
教頭先生がスクールカウンセラーを5日後に手配してくれたので、スクールカウンセラーに話せば何か良いアドバイスがもらえるかも!と少し希望を持てました。
その頃の長男は休むと暴言がなく落ち着いていて、波はあるけれど基本的にご機嫌でしたが、学校の話題になると目つきが変わり、お風呂に入らない日が増えていました。
2021年10月頭
長男が、
「女を全員殺せ、と学校に電話して!女を教室に入れるな!女全員、別の部屋にしろ!」
「先生は、優しいだけで、何の役にも立たない!女子が鬱陶しい 」
と、ここ数日間発言が過激になっていきました。
・・・
寝る時間を過ぎた22時に長男は夕食を沢山食べたのに「お腹空いた」 と、泣き出しました。
私が「もう寝る時間だよ」 と言っても、食べて良いと言われるまで、「お腹が空いた」と言い続けていました。
夜遅い時間から食事をする事を心配していたので私が「太っちゃうよ」と言うと、癇癪を起しました。
あーあ・・・言うんじゃなかった・・・もう、何でも食べてください、と言う気分で私は長男に食事を作りました。
・・・
お風呂の時間になり「引きずって連れて行って!」と、言うので、お風呂場まで引きずって連れて行きました。
お風呂場に着くと、走ってリビングに戻り、また引きずって連れて行く、それを何度も、何度も、繰り返しました。
洗ってくれと言うので頭を洗うと「足しか洗いたくなかったのに! 」と泣き出し暴れ回りました。
・・・
長男は、「学校のこと考えると気が重い、だるい」 とよく言っていました。
夏休み前から、しつこさ、聞き分けの悪さ、が、異常に酷くなり、この子は精神病なのかな・・・と心配していました。
私が、「10時までに寝ようよ!」 「漫画読むけど寝室行く?」 と声を掛けると、こちらからの提案は一切受け入れず、長男は、「わーーーーーーーーーーーーーーー!!!」 と叫び、暴れ出しました。
長男を立ち直らせるために長男の要望をほとんど聞いているので、両親が注意しない事で要望がエスカレートしているのかな、それとも、問題行動を起こした時の私の反応を見ているのかな?と長男の行動心理が良く分かりませんでした。
今は心が元気になってほしいという理由で、ほとんどの要求を聞いているけれど、もしそれが当たり前になったら、我が家は地獄だな、と恐怖心を抱いていました。
私は常に長男をとても育て難い子だな、と感じていました。
・・・
私も主人もいつも長男を腫れ物を扱うように接していて、 これ以上酷い家庭内暴力になったらどうしよう、否定をすると牙を向くので子供を全然注意できない、対応の仕方が全然わからない、次男と娘の情緒が心配でいつまでこんな生活が続くのだろう、と毎日とても憂鬱でした。
・・・
実家の母に迷惑を掛けたくないけれど、娘だけ実家に預け、長男の精神状態を安定させる事に集中しようか、何を最優先にするべきか常に悩んでいて、心療内科は良いアドバイスをくれるはずなので心療内科に行こう!と決めていました。
32 完全不登校までのカウントダウン③教頭先生
32 完全不登校までのカウントダウン③
主人と話をしていると、 主人が、
「僕は指示、命令される事がとても嫌で、今までも誰のアドバイスも聞かず全部独学でやってきた」
「塾に行っても教えられた方法ではなく、自分のやり方でしか学ばなかったし、とにかく指示されるのが嫌だ」
と教えてくれました。
長男も人に何か言われる事が大嫌いで、私は昔から主人と長男は色々な部分でよく似ているなと思っていました。
2021年10月頭
その日も長男は「怠い、怠い」と言っていたので、私はお休みするのかを尋ねると長男は葛藤している様子で、声を出さずに首を少し横に振りました。
出発時間になると腹痛を訴えたので私は再びお休みするのかを尋ねると、今日も、
「休むのか決めていない。少し考える。」
と、答えていました。
その時私は心の中で、長男から「学校へ行く」と言われるまで、何も言わずに待っていた方が良いのかな? 私から声をかけないでいたら、行かないのが当たり前になって本当にずっと学校に行かなくなるんじゃないかな? それとも長男はすでに、不登校気味から【完全不登校】に移りつつあるのかな。
と色々な事を考えていました。
・・・
私は、長男の不登校は私の今までの子育てへの仕返しだと思っていて、私が苦しくなる事は自業自得だな、と思っていましたが、結局社会からはみ出て苦しむのは私ではなく長男なので、私は長男の社会復帰のために何ができるのだろう、といつも考えていました。
担任の先生は、頼りにならず、スクールカウンセラーも6週間後と言われ、 児童精神科も最短で4か月後でした。
よし、もう教頭先生に直接相談してみよう! と思い立ち頭先生に、
スクールカウンセラーが6週間待ちな事、長男の不登校の経緯、女の子を嫌がっている事、女を殺す夢を見た!と起床してきた事、ぶっ殺すと言い続けていることなど、現在の長男の状況を包み隠さずの話しました。
すると教頭先生は、
学校では落ち着いているようで、そんな酷い事になっているとは思いませんでした。 担任も、特に困る事は何も無いと言っていますがそんなに酷いんですね。
へーーー、初めて聞きますね、そんな子は、お困りだと思いますので早めにスクールカウンセラーを手配しますね。
と、電話越しにでも、興味がなく他人事な事が伝わってきましたが、スクールカウンセラーを早めに手配して下さった事には感謝しました。
私が教頭先生にこのまま休ませても大丈夫なのかと聞くと、教頭先生は、
「さぁ、どうでしょうね?でも本人行かないんですよね?こうゆうケースは、今までないので分からないですね。私ずっと中学担当だったので、小学生はよく分かりません」
「小学生ではこのケース聞いた事ないな・・・親が言わないだけかな・・・」
「休んだ日のプリント類は渡します、毎日授業内容の報告があるはずですよ」
と片付け仕事のように淡々と言われました。教頭先生は話し合いの時に「プリントは渡しますね」と言っていたのに、担任の先生からプリントを渡される事はありませんでした。
・・・
私は担任の先生が頼りないので教頭先生に相談したのですが、教頭先生に相談したところで何も変化はありませんでした。 むしろ、教頭先生もダメなんだ・・・という失望感が加わった感じでした。
どこに相談しても、「分からない、どうしたら良いんでしょう・・・」と皆同じことを言い、酷い時は私が相談に行っているのに、逆に相談員に相談される事がありました。
・・・
私には、長男は以前は楽しく学校に行っているように見えたので、何かのきっかけで精神が極限状態になり、些細な事も許せないほどのストレスをかかえるようになってしまったのか。
長男の気持ちが落ちついてきたら、少しはストレスに耐えられる子になるのだろうか?
私はどうかそうであって欲しい、そうでなければ、社会で生きていけない・・・と長男の将来に対して日に日に不安感が強くなっていきました。
・・・
私が少しでも出かけようとすると「行かないで!どこに行くの!」と執拗に着いてくる長男に対し、私は心の中で、
あーーー もう・・・
あーーー
一瞬でいいから1人になりたい。 執着しないでよ!!!
と感じていたのです。
31 誰も助けてくれない!
31 誰も助けてくれない!
2021年10月頭
前日に担任の先生から「体調不良なので明日はお休みします」と連絡がありました。不登校気味になってから長男は、誰かが学校をお休みすると必ず、「僕も休みたい!」と言うようになりました。
私は担任の先生は長男の不登校に危機を感じていないな、とずっと感じていました。
長男は、
「優しい女の子もいるけど、半分以上の女子がうざい!」
「いつもいつも僕の邪魔してくる」
「殺す!、殺す!、殺す!」
と呪文のように言い続けていました。
テレビから流れてくる音声ですら、
「うそつけ!下手くそ!」
「だせえ!」
「殺す!ぶっ殺す!」
「ナイフでぶっ刺す!」
と過激な言葉ばかり言っており、彼の目に映る全てが敵に見えているようでした。
・・・
主人はいつも、大体子供たちが学校へと出発する時間に会社へ出発します。長男が学校を休む日は、長男は必ず主人の車まで行き、
「お父さん、お父さん、いってらっしゃい」
と言い、主人に抱き着いて甘えていました。
・・・
昨日は長男が私に甘えてきて「俺は1ミリも動かないから寝る部屋まで運んで」と言い、リビングから寝室まで赤ちゃん抱っこで運びました。
・・・
学校に私がどれ程相談しても、解決策を提示される事はなく「様子を見ましょう」としか言われないので、私はどこか良い相談所がないかな、と思い学校に尋ねると担任の先生は首をかしげながら、
「さぁ、分かりません」
と答えました。
・・・
そんな頼りない学校からの良い対応は早々に諦め、私は市の相談所に行く事にしました。
娘を置いて行く事もできず、連れていけば落ち着いて話を聞く事は出来ないので、実家の母に来てもらい何とか相談所へ行く事ができました。
この時期長男がストーカーのように私に付きまとい、私が外出する事をとても嫌がっていたので行き場所が相談所でも、1人で外出できる事が嬉しかったことを覚えています。
・・・
市の相談所へ行き、今までの経緯をざっと話しました。
私が少し感情的になり、泣きながら1時間ほど話をしていると、3人いる相談員さんのうち1人はメモを取り、他の2人は、うん、うん、とうなずきながら私の話を聞いていました。
私が話し終えてからも、しばらくの間、誰も口を開きませんでした。
1人の相談員さんに、
「事情は分かりました、そうですか・・・」
「大変ですね・・・」
「一応こちらで状況はメモしましたが、出来る事は何もありません」
「こうゆう子が居る、と言う事だけ、把握しておきますね」
と言われ、私は一瞬時が止まったようで、
何?
出来る事ないの?
相談所だよね?
電話である程度の内容話したら「来て下さい」って言ったよね?
え・・・
は・・・
嘘だぁ・・・
何か教えてよ!!!
と心の中で思いました。わざわざ遠方の母を呼んでまで話を聞きに来たのに、長男の目を盗み、娘を母に預け、何とか相談に来れたのに!何一つヒントをくれないじゃん!
出発前にあった期待感は完全になくなり、失望感だけが私の中に渦巻いていました。
相談中、1人の相談員さんが、身に着けている結婚指輪をぐるぐるとずっと回していた事がとても印象に残っています。
なんなんだよ・・・
結局、誰も助けてくれないじゃん!
そんな気分でした。
30 激しくなる暴言
30 激しくなる暴言
2021月10月7日
この日長男は朝「夢の中でウザイ女殺した」と淡々と言いながら起きてきました。
しばらくの間、うざい、うざい、殺す、殺す、と、ずっと呟いていました。
私は「そっか・・・」以外の言葉は出ず、 黙っていると、長男が「だるい、お腹痛い」とうずくまっていました。
長男の暴言は日に日に激しくなり、私にはとても正常な精神状態には見えませんでした。
長男の口に出す言葉は常に、
「殺したい、うざい」
「学校やめたい、くそつまらん」
そればかりで、私はこの子は精神病なのではないか・・・と思うようになりました。
目がうつろに据わっており、いつか、本当に、何かしてしまうのではないかと学校に行かないのとは別の心配をするようになりました。
精神病院を調べると、小児を診ている心療内科はとても少なく、早くても4か月後の1月末の受診です、と言われました。
心配した私は「もう、休んでいいよ」と言うと長男は「今日は行く」と言ったのですが出発時間が近づくと「やっぱり今はいけない」と言いました。
私は学校への連絡があるので、行くか休むかだけ教えてほしいと伝えると、少し考えるね、と言っていました。
次男を幼稚園に連れて行く支度をしている間中、長男は次男と娘の前で悲観的な言葉を繰り返し呟き続けていました。
学校に、長男が遅刻か欠席か決め兼ねている、と連絡していると、長男は私が誰かと電話で話をしている事に過剰に反応し、
「携帯で何しているの?」
「どこに?何話しているの?」
「何を話しているのか内容を教えて」
としつこく聞いてきました。
長男は私が少しの間部屋からいなくなるだけで探し回り、ストーカーのようについて回りました。
・・・
もう自分ではどうしていいのか分からない私は、担任の先生にスクールカウンセラーの予約を頼みましたが、混雑しているようで、6週間後なら予約が取れる、と言われました。
担任は対応にとても困っていると相談しても「様子を見ましょう」 としか言わず、私ではどうしたら良いのか分からず、誰に相談したらいいのだろう・・・と相談先を探していました。
・・・
朝、次男の方が出発が遅い為、長男がいると次男は幼稚園を休みたがりました。
長男の不登校、暴言は悪化していましたが、私が以前よりも否定せずに話を聞くからか、私に気持ちを伝えてくれる事も多くなり、長男の話をじっくり聞きたい気持ちがありましたが、この時期は次男の無気力、私への執着も酷く、次男も娘もずっと私に張り付いているので物理的に長男の話をゆっくり聞いてあげる事はとても難しかったです。
私は平日に1人で子育てする事に限界をかんじていましたが、解決策も見つけられず、どうしたらいいのだろう? と途方に暮れていました。
29 不登校までのカウントダウン②ミシン
29 完全不登校までのカウントダウン②
2021年10月頭
この時期、朝娘を置いて長男の学校へ付き添う事が増え、娘の事が心配だった私は、遠方に住む姉と母に手伝いに来てもらう事にしました。
2人が来てくれたその日の朝長男は、こちらの話は一切聞かず「休む!」 と言い寝室へ逃げていきました。
長男はお休みが決まると、ご機嫌で折り紙をして遊び、答えを丸写しですが宿題も頑張ってやっていました。
退屈そうにしていた長男が突然「ミシンやりたい!」と言うので、私がやり方を教えると長男は楽し気に色々な袋を作り始めました。
長男がミシンに夢中になっている時に、次男が幼稚園から帰って来ました。
長男がミシンで袋を作っているのを見て次男もミシンをやりたがりました。
次男がやりたがったその時は長男が別の事をしていたので、次男に使い方を教えていると長男は、次男に向かって、
「下手くそ、バーカ、やめろ、そんな簡単な事も出来んのか!」
「お前は本当にバカだな」
と次男を否定し続けました。
次男はそれに無反応で、私も次男に教えながら長男の暴言を、なんとかスルーしていました。
すると相手にされない長男は次男の椅子の後ろに座り、一生懸命ミシンを使っている次男を椅子ごと一定のリズムで蹴り始めました。
「とん、とん、とん、とん、とん、とん、とん、とん」
次男の体が前後に揺れ、上手にミシンが出来ません。
見かねた私が、「やめてあげて」 とお願いしても長男は一向にやめずに蹴り続けました。
私はだんだん苛立ちが増し「ねー、一生懸命作っているよね、危ないって、やめてあげて!」
ときつく言うと長男はより一層強く椅子を蹴りました。
それでも次男は何も言いませんでした。
次男の頭が振り子のように同じテンポで前後していて、まるで蹴られている事に気が付いていないかのような振舞いで、長男には歯向かわずに固まりながら、ミシンをやり続けていました。
その姿は私の胸を締め付け急に次男を虐める長男の事が、憎くて、憎くて、たまらなくなりました。
別の部屋に姉と母がおり、毎日1人で感情を抑え、張り詰めていた緊張感がパーンと切れてしまったのかもしれません。
私は「もーーーーー嫌!!!!」 と言って家を出て、庭に停めてあった車に乗り号泣していました。
追いかけてきた母親は、
「分かるよ、分かるよ、よく今まで1人でやっていたね、どうやって毎日過ごしていたの?」
「下の子、可哀そうなの分かるよ」
「憎たらしいと思うよね」
「どうしたら良いんだろうね」
「下の子が、おかしくなってしまうよね」
と私を慰めていました。
私はその言葉にも、なぜかとても苛ついていました。
姉は長男に、次男虐めちゃだめだよ、と諭しているようでした。
多分ですが、母親が私に言った言葉を長男は聞いており、長男はしばらく部屋に籠り出てきませんでした。
食事の時間に何度か呼びましたが食べに来ませんでしたが、皆が食べ終わる頃長男はリビングに来て 「お腹すいた」 「何で呼ばないの?」 と文句を言っていました。
何度か呼んだ事を伝えましたが、 長男は、聞こえない、言われていないと不機嫌そうにしていました。
夕食に唐揚げを用意すると、
「気分じゃない、いらない、食べたくない」
といいました。最近は、毎回用意した夕食とは別の物を作らされていました。
・・・
夜は「明日休むー」と言い捨てて眠りにつきました。
28 完全不登校までのカウントダウン①
28 完全不登校までのカウントダウン①
2021年10月頭
この日、長男は私が学校まで付いて行くなら学校へ行く、と言うので、私は長男と一緒に学校へ行く事にしました。登校時間、いつもは寝ている2歳の娘が起きてきて「お母さん、抱っこ」と言って泣いた為、私は娘をベビーカーに乗せて連れて行く事にしました。娘をベビーカーに乗せていると、長男が、
「妹は連れて行ってはだめ!」
「妹が付いて来るなら学校へは行かない!」
と言い出しました。私が付いて行けば学校へ行く、と言っている長男をなんとか学校へ連れて行きたいのですが、娘も「抱っこ」「抱っこ」と泣いていて、物理的に2人共の要望を聞くことはできませんでした。
私は何とか娘を泣き止ませ、娘の好きなテレビを見せ、危険そうなものを片付けて学校へ向かいました。
学校へ着くと2年時の担任と現在の担任の先生が立っていました。
2年時の担任の先生が私に気が付き、
「長男君どうですか?」
と声を掛けてくれました、私は行き渋りがとても酷い事を説明すると、隣にいた現在の担任の先生に、長男が学校に来たくない理由に何か心当たりはないのか?と聞いていました。
現在の担任の先生は、
「いや、、、分かりません」
とだけ、首をかしげながら答えていました。
2年時の担任の先生は、長男はとても優しいので、学校生活で嫌な事があっても我慢し過ぎているのではないか?と引き続き担任の先生に聞き続けてくれていましたが、今の担任の先生は、
「いや、、、ちょっと分からないです、学校では普通です」
としか言いません。2年時の担任の先生は、疲れた様子の私を見て、
「お母さん、大丈夫ですか?」
と声を掛けてくれました。私は、休ませるべきか、どうしたら良いか分からなくて悩んでいる事を話すと、今の担任の先生は、ボーっとした感じで、
「もう、お母さんも長男さんもゆっくり休んだらどうですか?しっかりお休みしては?」
と私に提案してきました、それを聞いていた2年時の担任の先生は、
「ちょっと待って、親になれば分かると思うけれど、それは凄く覚悟のいる事だから!」
と私の気持ちを代弁するかのように横で話を聞いていた担任の先生に言ってくれました。
今の担任の先生には、再三にわたり長男の様子を報告していましたが興味はなさそうで、2年時の担任の先生の方が本気で長男の事を心配してくれているな、と私は感じました。
話の中で、2年時の担任の先生が、長男が2年生の終わりにも元気のない時期があった事を教えてくれました。
長男は、椅子からずり落ち、床に座ってしまう事が何度もあり、興味のない話を聞くことがとても苦痛そうだったそうです。
・・・
毎朝朝の支度の時は長男に付きっきりで、下2人のお世話が進みませんでした。
自分に手を掛けてもらえない事が不満なのか次男もどんどん無気力になり、支度に手こずるようになっていきました。
長男は私と2人で過ごす時間に次男や妹の邪魔が入る事を激しく嫌がりました。
私を独り占めしたいのかな、と感じる事もありましたが、平日1人で子育てをしている私には長男のその望みを叶えることはとても困難でした。
私はこの時期にも、不登校の原因は何なのだろう・・・と考え続けていて、
長男はいじめられるタイプには見えず、むしろ友人が多く、いじめではないと私は思っており、発達障害かな、適応障害かな、もしかして鬱なのかな・・・ただ単に学校が嫌いなのかな、女の子が嫌なのかな、と必死に原因を探していました。
もう以前の様に怠けてお休みしている、という思考は無くなっていました。
・・・
長男は運動神経が抜群、手先も器用で勉強のつまずきもなく、友人も多く明るく活発な子でした。
不登校になる前までは、何も心配していなかったのに、あの子に一体何が起こっているのだろうと考えない日はありませんでした。
27 完全不登校までの42日間の事 10
27 完全不登校までの42日間の事 10
2021年10月6日(水)
この日の朝は、長男がベビーカーに乗りたいと言うので、長男をベビーカーにのせ散歩に行きました。
帰ったから朝食を出すと、 「おいしいね!」と、元気に朝食を食べていました。
元気そうに見えましたが出発時刻になるとトイレに何度も駆け込んでいました。少し遅れて集合場所に行くと誰もいなかったようで長男は家に帰ってきて、再び腹痛でトイレに駆け込みました。
それでも長男は休むとは言わず、私も休む?とは聞かず、長男は私と手を繋ぎ学校へと出発しました。
学校までの道、長男は何度も何度も深呼吸し、私が話しかけると怯えた顔で、
「お母さん、声出さないで、黙って歩いて!」
私が話す事を嫌がりました。
学校まで残り50m辺りで長男は肩を上下に上げ、肩呼吸を始め、学校まで残り30mの距離でうずくまってしまいました。
何とか学校へ行かせたい私も、さすがに心配になり、お腹痛いの?大丈夫?お休みする?と聞きましたが長男は、大丈夫と言って正門へ向かいました。
正門まで行くと、長男は「じゃあね」 と言い、何度も振り返り、手を振って、視線を落としたまま校舎へ向かいました。
学校に行ってほしい気持ちはあるけれど、とても辛そうで行かせて良かったのかな?と胸を締め付けられました。
・・・
その日、担任の先生が体調不良で帰宅しまらしく、担任の先生に何度も「僕も帰る」 お願いしたようですが聞いてもらえなかったと言っていました。
長男は6時間授業を受け、 「くそ詰まらなかった!担任帰ってずるい!」 と怒りながら帰って来て次男をいじめ始めました。
弟に届いた郵便物が気に入らない長男は、「こんなバカに使わせなくていい」とその郵便物を取り上げました。
私はそれが次男のものであると伝えましたが、長男は 「次男はバカだから、これがあっても意味がない!」 といい次男に渡しません。次男は悲しくて泣いていました。
私が何度長男に次男に返すように言っても長男が返さないので、私は、それを長男にあげて、次男に新しいものを買おう事にしました。
すると今度は長男が、次男に買うのはずるいから、僕に買ってよ!と言い出しました。
毎日続く長男のわがまま行動にはもううんざりで、私は、
「え?これが欲しいんでしょ?あげるよ!」
と言っても、長男は私が次男に何かを買う事自体が許せないようでした。
そして郵便物を次男に投げつけ次男を殴り始めました。 次男はより一層大きな声で泣き叫んでいました。次男が泣くと長男は、
「お前はバカなの?」
「そんなんで痛いの?」
「病気だな」
「死ね!」
「さっさと死ね!」
「うろつくな」
「お前はとにかく死ね」
「どっか行け」
「見ているだけで気持ち悪い」
「お前なんて生きてる意味がない!」
「目障りだ!」
と傷付く言葉を浴びせ続け、ソフトボールを力一杯顔面に投げつけました。
次男は毎日毎日「バカ・死ね」と長男に言われ続けていました。
どれほど止めても諭しても長男の暴言暴力は一向に収まらず、私は次男と娘がこれ以上酷い言葉を聞かないよう長男から離しました。
10分ほど頭を冷やし、私は気持ちを入れ替え、
「何か辛いの?大丈夫?アイスでも買いに行く?」
と誘い買い物へ行くと、機嫌が直り一緒にアイスを買いに行きました。
・・・
その夜、皆が寝静まっても長男は起きていて、突然泣きながら私に話し始めました。
「女子がうざい!」
「うざい女子がいなかったら学校は楽しいのに!」
「鬼ごっこで僕ばかり追い掛けられて嫌だった」
「嫌だと言ったのに!やめてくれない」
「掃除も皆で一列に並んで一言も話してはいけない!嫌だ!」
そして、
「死ね」
「うざい」
「殺す」
と言い包丁の絵を描き始めました。
・・・
その話の途中、長男は私に向かって、
「お前に仕返しをしているんだよ」
と笑いながら言いました。
私はその言葉に妙に納得し、あー、なるほどね、と思ったのです。
26 完全不登校までの42日間の事⑨
26 完全不登校までの42日間の事⑨
2021年10月頭
その日の長男は「だるい・・・行きたくない・・・」 と言いながらも、小石を蹴りながらとぼとぼ集合場所へ出発しました。
・・・
学校から長男が帰宅をすると長男が、娘にむかって、
「デブ、ブス、死ね、わがままなやつだな!」
「声がうるさい、黙れ!」
と暴言を吐いていました。
・・・
しばらくすると長男は私の近くに来て、ガッツポーズをしながら、
「学校で仲良しな子と同じ班になったーーー!神が下りてきたーーー!」
と喜んでいて、前よりも学校が楽しくなるかもしれないね、と言った私に「うん!」と嬉しそうに答えていました。
私は長男が苦手と言っていた女の子と席が離れ「これで行き渋りが減るかもしれない」とホッとしました。
・・・
夏休み明けから習い事に行きたがらず、しばらくお休みしていたそろばん教室にこの日長男が「行きたい」と、言い出しました。
そろばん教室に着くと、結局恥ずかしくて教室内には入れず、先生を見て走って逃げ帰ってしまいました。
2021年10月4日(月)
長男が生き渋っているという状況を知った実家の母と姉が様子を見に来てくれました。
その時長男は、火曜日木曜日は休む、学校を辞めたい辞めたい学校辞めたい、女子がウザいから違う学校行きたい、宿題のない学校に行きたい 、ウザいウザい学校嫌だ 、嫌だ嫌だ学校爆破!!! うわーーーーーーー!!!と言って大号泣で暴れ回っていて、母と姉は驚いていて「どうなっちゃってるの・・・」と唖然としていました。
我が家に来る前に、状況を詳しく説明してはいましたが長男長男の姿は想像していたより酷く、思っていた以上だったそうです。
・・・
長男が姉たちの前で、ウキウキしている様で「明日も学校行かなーーーい♡」 「お休みーーー♡」とはしゃいでいたので、姉が 「家の中では楽しそうだね、罪悪感無くない?でも学校の事は気にしている感じだよね」と長男の様子を心配していました。
私には長男が学校の事を気にしているとは思っておらず、どうせこの子は、思い通りになればご機嫌なんだよ、と長男の事を呆れた感じで見ていました。
私にとって長男は、性格が難しく何を考えてるのか分からないのでとても苦手でした。本来は学校に行っていて家にいないはずの長男が家にいる事も嫌で、休むなら大人しく黙っているか、平和に過ごして欲しい!休んで喧嘩売って来るから、本当に嫌!と私は思っていました。
主人は、甘い環境にし過ぎるのは良くない、と言っていて、長男の暴れる様子を見た姉は、どう接したら良いのか、分からないね・・・と困惑していました。
長男はこの時期には「休みたい」ではなく「学校を辞めたい」と毎日言っていました。
・・・
長男は、私が長男の言う事を聞かなければ、聞くまで足に纏わりつき、要求し続けました。 昔から言い出したら聞かない部分はありましたが、足元にしが付き、何時間でも同じことを要求し続ける長男を私は異常だな、と感じていました。
宿題をする時間になると、長男は私に「宿題を持って来い!」 「開け!」 「書け!」と命令していました。
私が家事や下の子のお世話で数秒間、長男の横から離れる事も許しませんでした。 離れようとすると足にしがみ付き、どこへも行かせてもらえません。
それを振りほどき、次男や娘のお世話をすると彼らの耳元で、
お前らを見てると吐き気がする、きもい、臭い、汚い、でぶ、ぶす、ばか、しね
と単調に呪文のように言い続け、聞いているこちら側は最悪な気分になりました。
ある程度は我慢するのですが、そんな時間が長く続き私が長男を注意すると矛先は私に変わります。
家庭内に幸せな雰囲気はなく、何も悪い事をしていない下の子たちが暴言を吐かれ続けていて、長男の不登校も心配ですが、下の子供達の情緒もとても心配でした。
25 大好きなサッカー
25 大好きなサッカー
長男は一つの事にはまると異常なまでの集中力を発揮し、とことんやり続けます。コロナで休校の時は、サッカーにはまり朝起きてから寝る時間まで、家の庭でリフティングをしているほど、サッカーが大好きな子でした。
2021年10日2日(土)
そんなサッカーが大好きな長男が、不登校気味になってからサッカーにも行かないと言い出しました。
練習の集合時間は13時なのですがその時間になっても一向に動かずテレビを見ていたので、私は時間に支度をしていない長男にイライラし主人に出発を促すように頼みました。
主人が「時間だよ」と長男に言っても、 長男は返事をせず、ぼーっとご飯を食べながらテレビを観ていました。
主人は何も言わずに黙ってその姿を見守っていました。
私は長男の態度にイライラし、
この子はなんてマイペースなのだろう。マイペースを超えて自分勝手すぎないか?
あー、イライラするな・・・なんで集合時間が気にならないのだろう・・・
でも最近、何かと理由をつけて、全ての事を嫌がるようになったな、とやたらと怠いと訴え気分の起伏が激しい長男の事を私はとても心配していました。
・・・
13時10分を過ぎると、 長男が自分自身に気合を入れる感じで「よし!行くか!」と立ち上がりスパイクを履き始めました。すると今度は「スパイクがきつい」と不快そうに座り込みました。
私はスニーカーで練習に参加しても良い事を伝えましたが、長男は「スニーカーなら行かない」と部屋に戻ってきました。
私は、お休み連絡をしてないんだからスニーカーで行ってよ!と何度か言いましたが、長男は、「スパイクがハマらない」の1点張りで動こうとはしませんでした。
私はこの時、長男はサッカーに行きたい気分じゃないからずる休みしようとしているのだなと思い、長男に、
「だからスニーカーでいいって!!!」
と強く言いました。そんな私に対して長男は、
「暑いし!行かない!」
と言うので、私は、
「サッカーはコーチも含めやる気がある子が行く所!暑いから、行きたくないからって休む位ならもう辞めなさい!」
と叱りつけると、長男は、
「あーーーーー始まった始まったうるせーーー!!!」
と部屋にこもってしまいました。
私は厳しくしなければ、甘やかしてはいけないと思っていて、長男に世間一般的な正論を押し付けていました。
・・・
結局長男はサッカーをお休みし、主人と新しいスパイクを買いに出かけました。 そのスパイクはその後一度も履かれる事はありませんでした。
買い物へ行く途中長男が主人に、
面白くない話、長い話は全て無視し、耳に入らない様にしている。先生にもそうする様になり、何を言われたのか、何をするのか分からない。
何かをあげるから、あれをやって!と言われる事が凄く嫌で今後一切、誰の指示にも従うつもりは無い。
と言ったそうです。
・・・
2021年10月3日(日)
この日も長男は、テニスの体験に行きたいからサッカーは休みたいと言い、サッカーを欠席しました。
主人は、新しいスパイクを買ったし、昨日も休んだし、テニスの体験はいつでも行けるからサッカーにいったら?と説得していましたが長男は、 テニスの体験に【今日】絶対に行きたいから、サッカーは来週行く、と言い結局欠席しました。
・・・
午後から、家族で買い物へ行いくと、 道中の30分間長男は、
学校を辞めたい、給食がまずいしつまらないし全部嫌。
僕はもう、学校を爆破したいと思っているんだ、あんな場所に何の意味があるのか分からない。
とにかく女子が嫌だし、音楽の授業も嫌!
と言い続けました。
・・・
帰宅後に、長男は、「買い物で購入してきた消しゴムがない!!!」 「今すぐ買ってきて」と泣き出しました。
私が、往復1時間以上もかかる場所だから、無理だよと説明しても、
「嫌だ!今すぐ買ってきて!」
「買ってきて!買ってきて!買ってきて!今すぐ買って来いよ!」
と、とにかくしつこく要求してきました。
買いに行けば早いのですが、こんな理不尽な要求を聞いてしまったらわがままにならないのか、そこが不安で私は長男の要望を聞くことが出来ませんでした。
・・・
その日、夕食にグラタンを出すと長男は、
「こんなものは食べたくない、気分じゃないからいらない」
と言い、 私は、今日だけだよと約束してもらい、 別の物を長男に作りました。
。
まだ8歳の子供の、こんなわがままを聞いていていいのだろうか、長男のわがままを聞かなければ長男は絶対に諦めず、引き下がらないので聞くしかないのだけれど、それでいいのだろうか、何が正解なのか私には分かりませんでした。
24 彼の望む自由
24 彼の望む自由
2021.9月末
この日、 夜9時になると長男が突然ソファの周りをぐるぐるぐるぐる回り、一方的に話し始めました。
・自由になりたい
・体育は着替えたくない
・体育の内容は全て自分で選びたい
・靴の履き替えもしたくない
・自分が学びたい時に学びたい事を学びたい
・何で皆同じ事をしないといけないのか分からない
・先生はそんなに偉いとは思えない
・学校行かないで鳥になりたい
そんな内容を30分以上、絶え間なく私に話し続けました。
・・・
その話をすると、誰かが、こんなアドバイスをくれました。
・学校、会社、どこかに属している限りは自由に出来ない
・中学は自由な校風の所に通わせた方が良いのでは
・ルールばかりで退屈だけど、学校を卒業しなければ働けないし、お金が無いと自由に出来ない
・未来に向けて、今は我慢するべき時
・皆同じ気持ちだけど、やらないわけにはいかないから頑張っている
・今は嫌だけど頑張ろう!
・お父さんが家族のために働けているのも、学校を頑張ったから
そんなことを、何度も言い聞かせて教え込むしかない、と言われました。
ダメな事はダメ!と注意をしたかったのですが、注意をすると、負のスパイラルに入りました。
別の日、 リビングで、部屋の明かりを真っ暗にしてテレビを見ていましました。
その日は明かりをつけてはダメ、と言うので、私は夕食を作れませんでした。それなのに、寝る時は電気を消してはダメと言うので、全員が眠れません。
この頃は、就寝時以外は「電気を付けないで」と、言う事が増えていて家中真っ暗な事が多かったです。
私から見た長男は、
プライドが高く負けず嫌いで自由人
こだわりが強く極度なマイペースなのに真面目
些細な変化に気が付き、同調圧力が苦手でいつも不安そう
そんなイメージを持っていました。
学校で疲れ果て、家では私と喧嘩をし、次男をいじめる長男の事を、私は【面倒な子】と思っていたのです。
この日寝る前に長男が、迷路を書く用の新しいノートをランドセルに入れていて、明日は学校に行く気なのだな・・・と胸を撫で下ろしていました。
長男は当時、ずっと自由になりたいと言っていました。
23 心療内科と言う選択肢
23 心療内科と言う選択肢
不登校気味の長男が、家庭内では情緒がとても不安定である事を学校に話すと、学校側に心療内科を薦められました。
学校の先生は、心療内科医はプロなので、原因を引き出してくれるのではないか?と言っていました。
私は、今の状態の長男を心療内科に連れて行けば、「僕を信用していない!僕は病気じゃない!」という気持ちから親への不信感で、より心を閉ざしてしまうのではないかと心配していました。
主任の先生は、私に、
「本人にだらけ癖がつくので、学校を休ませても課題を与え、絶対にストレスフリーにさせないように」
と言い、
「家にいるのが楽になり益々行かなくなるのは怖いですから!」
と言われました。
・・・
2021.9月末
長男が私に、
「1時間目の音楽はお休やすみして、その後学校へ行くのはどう?」
と提案をしてきました。私は長男に、
「音楽嫌なんだね、でも他の子も嫌でも頑張っているんじゃないの?」
と長男の提案には乗りませんでした。
・・・
その日、担任の先生から電話があり、長男が3年生になってから初めて手を挙げて質問したと聞き、波はあるけれど、 少しずつ良い方向に向いてきているのかな? と私は安心したのです。
そんな嬉しい報告を聞いていたのに、長男は、
「クソつまらんかった」
と不貞腐れながら帰宅しました。
・・・
夜は長男の機嫌が悪く、長時間次男にテレビを譲りませんでした。
次男は、
「僕もテレビ見たい!長男見過ぎ!ずるい!」
と怒っていましたが、 長男はわざと2時間の番組を選択し、
「は、は、は、これ終わったらどうぞ!って言ってますよね!」
「ねぇねぇ聞こえませんか?聞こえないか!バカだから」
とまた次男に暴言を吐いたのです。
そんな長男のわがままな振る舞いに対し私は、
今は耐えるしかないのか、 叱る人がいないとエスカレートしてしまわないか、反抗期なのか、 私が可愛がって育てた子は、【こうゆう子】なのだろうか?
と、とても悲しい気持ちになりました。
気持ちの浮き沈みの激しい長男は、常に「怠い、怠い」と、言っていたので、私はこの子は鬱なのかな・・・と心配になる事もありました。
ネットで調べた情報に照らし合わせ、もしかしたらこの子は発達障害かもしれない!と思った事もあり、むしろ発達障害であってほしい!発達障害と診断された方が今までの子育ての困難さの説明がつく!
この子は育てるのが難し過ぎる、と思っていたのです。
22 我が家のゲーム事情
22 我が家のゲーム事情
2021年8月の夏休み、この時までデジタル系のおもちゃが一つもなかった我が家は【VRシューティング】というデジタル系のおもちゃを購入することになりました。
購入を楽しみにしていて、ご機嫌な長男に私は私は長男をダイニングテーブルに座らせ、
「私はあなたを信用していないから、貴方が時間を守れるとは思わないから、約束事を紙に書きなさい」
と私が一方的に決めた約束事を紙に書かせました。確か内容は、
・1日30分
・宿題してから
・少しでも守れなかったら没収
・金土は1時間
ゲームを買うのが気にいらない、と言わんばかりに、私はとても不機嫌そうな顔でその約束事を長男に書かせ、長男も不服そうな顔で、書かなければ買ってもらえない・・・と不貞腐れて記入していました。
お互いに気分は最悪でした。
購入したゲーム機
↓
私自身が幼少期、テレビを厳しく制限された経験があり、デジタルな物はとても悪いもの!と思い込み、長男が小さな頃から子供にテレビをほとんど見せていませんでした。
テレビは極力見せず、外に連れて行き、時期には桜を見せる。
電車を見に行き、絵本を読み、外でお弁当を食べる、五感に刺激のある事を、感性が豊かな子なる様にと子育てを頑張っていました。
未就園児時代はテレビに頼らず、休憩する暇無く、子供と関わっていて、私もガラ携を使用し、ネットも見ない生活でしたが、その事に不満を抱いたことはありませんでした。
・・・
未就園児の時、長男は戦隊ものがとても好きだったので、本人の手作りで剣やヒーローグッズを作っていました。
何度も、何度も、長男が作り直し、ボロボロになった剣は今も捨てられずに残っています↓
私は子供が欲しがるものを何でも買い与える事に抵抗感がありました。
・恵まれすぎて何でも手に入り、物を大切にしない子にならないように
・与えられ過ぎず、我慢が出来る子になりますように
と思っていて、言う事を聞き過ぎてはいけないとわざと望みを叶え過ぎないようにしていました。
・・・
その考え方の子育ては、必然的に「ダメ!」と言う機会を沢山生みました。
小さな子供は基本、親に要求ばかりしていますが何かが欲しいと言われても、 何かをやってみたいと言われても、これを買ってと言われても、テレビ見たいと言われても、ダメと言い、心の中では買うつもりでいるおもちゃも、快諾はせず 一旦は「ダメ」と言わなければ、と思っていました。
要求を何でも聞くとわがままになると思い、ああしたい、こうしたい、と言う子供の要求をすんなり聞き入れませんでした。
私は、一生懸命、いい子に育ちますように、と愛を持って、子供の要求を聞かない様頑張っていました。
その子育て法は【我慢できる子】を育てるより【親にお願いする事を諦める子】を育ててしまいました。
長男にとってはゲームもその一つだったのではないかと思います。
3年生の夏休み、8歳で完全不登校になるまで長男はゲームを持っておらず、YOUTUBEも見た事がなかったと思います。
長男は一度も私にゲームを欲しいと言った事はありませんでした。
私は理想の子供像を持っていて、自然児でワイルドな子に育って欲しいと願い、毎日外で遊ばせていました。
長男も外が大好きで、ゲームに興味があるはずがないと思い込んでいたし、【そうゆう子】であって欲しい、と願っていました。
ママたちの間では、ゲームの開始時期を迷っているという話がよくでていましたが、私は長男がどうしてもゲームが欲しい!と言うまでは、買い与えないでおこうと決めていました。
ゲームが無法地帯の友人宅に長男が遊びに行きたがると、私は、
「ゲームを始めるきっかけになると困るから」
と、行かせませんでした。
私は勝手に、小さい頃にゲームを始めると【ゲーム脳】になり、ゲーム依存症になると思っていたのです。
長男はゲームが欲しいと私に強くは言いませんでしたが、少し欲しがった時があり、その時私は長男に、
「あなたは遊びの天才なんだから、ゲームを買う事でそれが無くなったらお母さんは悲しいから」と言い、購入を許可しませんでした。
主人は自分も主人の父親も電子機器依存気味なので、長男が主人と同じ脳の仕組みな場合、ゲームしかしなくなるかもしれない、とゲームを与える事に否定的でした。
ゲーム時間を作り、ルールを定めると、どちらが何秒長くゲームをした!などと言い争いが始まり、兄弟げんかが激しくなりました。
21 担任の先生
21 担任の先生
2021年9月中旬
突然長男が、床にべたっと座り、上を向き、涙を拭わず、幼い子の様にわんわんわんわん泣きだしました。
「女子が嫌!授業が暇で落書しているのにずっと注意してくる」
「僕は退屈な授業を、落書きする事でなんとが耐えているのに」
「音楽が嫌!部屋が暑い!音がうるさい」
「ミニ先生が嫌!教えてほしい子だけ手を挙げた子だけ教えてもらうのに、何で僕に教えてくるんだ!」
「僕が『教えなくていい』と言うと『じゃー、もう2度と教えてあげない』と意地悪を言われる」
「僕は教えてなんて一度も頼んでいないし手も挙げていない!」
嫌。嫌。嫌。全部嫌!!!
そう言ってしばらくの間長男は泣き続けました。
担任の先生は若い女性で、私に、
・愛情不足が悪い方に出る子がいるので構ってあげてほしい、今日、長男の頭をいい子いい子したら、少し落ち着きましたよ。
・学校では、友人と仲良く遊んでいて、全く不登校児に見えません
・隣の子が嫌な様ですが、女の子に話し掛けられても上手に交わしていましたよ
・席替えは2週間後に予定しています
・迷路が好きなので、授業に迷路を取り入れました
・クラス全員で鬼ごっこをした時は、楽しんでいましたよ
・学校に来たら、フォローしますが、来なければ、出来る事は何もありません
・朝お迎えに行く、一緒に通学団で行く、等はお母さんの方でお願いします
・お母さんも、長男君も、ゆっくり休んだらどうですか?
・算数の回答をわざと間違えたので、注意しました
・テストは85点位で、学習困難は無さそうです
・私では分からないので、主任に相談します
と言われました。
担任の先生は、その後完全不登校になった長男に数か月間、一度もプリントも持って来ず、電話をかけてくる事もなく我が家は学校とは音信不通でした。
1ヵ月ぶりに電話が掛かってきた!と電話をとると、長男の名前は一度も出さずに「もうすぐ懇談会がありますがご都合の悪い日はございますか?」
とだけ聞かれました。
・・・
我が家は不登校経験がなく、学校側に何も期待していなかったし、連絡が来たところで何も変わらない事は分かっていたので、特に不信感や不満を学校側に抱いてはいませんでしたが、完全不登校の場合、担任の先生と連絡を取り合う事を後に知りました。
先生は私に、経験不足で、どうしたらよいか分からない、といつも言っていました。
私は全く連絡をして来ないその先生が、自分が担任している、急に学校に来なくなった生徒の事が気にならない事が不思議で、学校は来ている子に学問を教えるだけの場所なんだな、と思った事は、覚えています。
私は誰に相談すべきか、私自信はどうするべきなのか、いつも悩んでいました。
長男は休んでも、ご機嫌な時がありました。
お買い物の手伝いをしてくれたり、妹が泣いていると泣き止まし、服を着替えさせてくれました。私が、
「ありがとう!」
と、長男を抱きしめると、「大好き」と、手を広げて抱きついてくれました。
ご機嫌で話していても、学校の話題になると完全無視し、無反応になる事が多かったです。
不登校は最初が肝心とどこかの資料に書いてあり、担任の先生が頼りないなら、教頭先生に話すとか、スクールカウンセラーに相談してみたら?と姉が助言してくれました。
長男にばかり気をとられていると、次男が日に日に笑わなくなっていきました。
幼稚園送迎後、近くの公園から様子を見ていると、 皆が元気よく運動会のリレー練習をしている中、テラスで無表情でぽつんと座っていました。
次男も指示が通らず、指が折れそうな程、強く私の指を曲げたり、手あたり次第殴ったり、暴力的な事が多かったです。
兄にいじめられている次男は、兄を見ると、
「あいつ、死ね!死んでほしい!」
と泣き出す事がありました。
20 完全不登校までの42日間の事⑧
20 完全不登校までの42日間の事⑧
2021年9月28日
私が、長男に明日の学校の準備が終わっているのか尋ねると、長男は「行かない」とは言わず、ただ顔が曇りました。
2021年9月29日(水)
1度も「行かない」とは言わずに学校へ向かいました。
毎日学校での様子や家での様子を電話で担任の先生とやり取りしている事を知っている長男は、
「先生に余計な事言っていないだろうな!」
と私に言ってから出発しました。
長男が私にそう聞いてきたその日は、学校が主任先生と担任の先生と長男との3人で話合いをすると言っていて、私は長男にその事を伝えておらず、長男が帰ってきてから怒るだろうな・・・嫌だな、と思っていました。
・・・
担任の先生は長男に、どうして来たくないのか、何が嫌なのか、と何度も問いただしていたようです。
長男はそれを凄く嫌がっていて、主任先生が色々聞いてきてうざい、友達と遊びたいのに放課が潰れるから嫌だ、何で僕だけ呼ばれるんだ、と文句を言っていました。
あの子はいったい周りの大人にどうしてほしいのかな?と考えない日はありませんでした。
姉たちはいつも長男を優しくていい子と言ってくれていて、反抗の事を話すと、なんだか信じられない、いつもの長男君からは反抗する姿は想像できない、と不思議そうでした。
そんな意見を聞くと私は、私が長男を【難しい子】と決めつけ、追い込んでいるだけなのかな? 日頃、子育てを、「面倒だな」と思っているのが、態度に出ているのかな? と自分の子どもに対する良くない振る舞いを反省するようになりました。
長男は毎日休む、と言う訳ではなく、休んだ次の日は学校へ行く事が多かったです。
次男の無表情、無気力は相変わらずでしたが、お休みする!と言う日は減ってきました。
・・・
不登校気味の長男の学校での様子を知らせようと毎日学校から連絡が来るのですが、学校から電話が来るのは決まって授業後で下校後に電話がかかってくると子供たちが家におり、長男は電話が鳴ると過敏に反応するのでとても困りました。
電話がくると長男は、
「誰から?、どこから?、何の話?、学校?、何?」
「余計な事言わないで!」
と私を質問攻めにしました。
私は長男に気付かれぬよう携帯をポケットに入れ、マナーモードにし、電話が鳴ると、急いで家を出て離れた場所で話をするようにしていました。
遠くの方から2歳の娘と6歳の次男が「おかあさーーーん」と何度も私を呼ぶ声が聞こえ、早く家に戻らなきゃな、でも先生の話も聞きたいし・・・と、話に集中できず、1人であたふたソワソワしていました。
・・・
長男と話をした後主任の先生は、話し合いの際長男は全然心を開かず、とても難しいケースな気がしました。
ほとんどの子どもは話合うとポロッと本音を言うけれど長男は頑なに何も言わず、全くヒントを得られなかったので長期化し、全く来なくなるパターンかもしれません。
信頼できる相談者がいない、もしくはいても長男君の性格上言えないのかもしれませんね。
根っこに何か大きな原因を抱え込んでいそうなのと、周囲が見えすぎてストレスを感じている様子です。
長男君は大人びていて、全く言いくるめる事は出来ず、大人と話しているような感覚になりました。
「長男さんの肩を触ろうとしたら びく!!! としていました。お母さん何か心あたりはありませんか?」
と言われました。私は、
夏休みに酷い反抗が何日も続き、取っ組み合いの喧嘩になり、その際私が手が出してしまった事を話しました。
主任先生の話では、長男は話合い中、ずっと俯き、涙を流し、ただただ頑なに黙っていたそうです。
最後に主任先生は、家庭の方針として、休ませたいのか、学校へ通わせたいのかと聞いていました。
私は、
「その答えはよく分かりませんでしたが、通ってくれたら嬉しいです」
と答えました。主任先生は、
「家庭で叱らないのであれば、僕が悪者になり叱り役をするので、ご希望なら言ってください」
と言い電話を切りました。
・・・
長男は帰ってくると、
「先生になんか言っただろ!めちゃくちゃ面倒な事になった!」
「今度言ったら許さんからな!今度いったら2度と学校いかん!」
「俺は全員大嫌い!!!」
と言い、物凄く怒っていました。
皆長男を心配してくれているんだと思うよ、と言う私の意見にも、それがウザいんだ!と反発していて、周りの大人が何をしても、今の状況は悪い方向にしか向かいませんでした。
19 完全不登校までの42日間の事⑦
19 完全不登校までの42日間の事⑦
2021年9月27日(月)
以前誰かに、不登校気味の子は休み明けに学校へ行きたくなくなる子が多いみたいだよ、と聞いていた通りに長男も、休み明けに学校を休みたがりました。
前日の日曜日に絶対に休む!と宣言していたので今日はいくのかな?どうかな?と私は不安になっていました。
朝起こすと、一緒に散歩に行くと言うので、学校の話題は出さずに長男と15分ほど家の周りを散歩しました。
そして、長男は、当たり前の様に支度をし学校へ向かいました。 家から3mほど進むと、長男は、
「のどが痛くて学校へはいけない」
「嫌だ、今日は行かない」
と言い、戻ってきました。
毎日繰り返される行き渋りの中、「今日はどうやって行かせよう!」 ばかりで、私の中に「休ませよう!」という考えは、ありませんでした。
体調が悪くても、休ませてしまう事が恐怖なのです。
体調不良だという長男の訴えを、いつもの行き渋りだと思っていた私は、喉が痛いと言っても休ませませんでした。そして、だましだまし、集合場所へ一緒に向かいました。
集合場所まで行くと長男は目に涙を溜め、不安そうに肩を落としてこちらに向かって手を振ってくれました。
長男は何度も、何度も、何度も、何度も、振り返り、その後下を向き、諦めたようにとぼとぼと学校への道を歩いて行きました。
そんな長男の姿を見て、私は、なんだか、凄く様子が気になるな・・・
あの子は今、正常ではないなと思い、お腹の中に、鉛がある様な不快感と得体のしれない不安感で押しつぶされそうでした。
今までは、さぼり、だと思っていたけれど、長男にはどうしても学校に行きたくない理由があるのではないか・・・
と思うようになりました。 それでも私は、まだ「もう、休もう!」と言う事ができませんでした。
その日の夜、
長男は、
「何が何でも明日は休む!」
と宣言し宿題もせずに眠りました。
姉が学校関係で働いており、長男の行き渋りに何のアクションも起こさない学校に対して、
「うちの学校の先生は、何が何でも原因を突き止めるよ、毎朝家まで迎えに行く先生もいるみたいだよ」
「長男君の学校、何もしてくれないんだよね?対応が悪すぎない?」
と不思議がっていました。
私は担任の先生に、学校の外では何も出来ません、隣の子が嫌なら次の席替えは2週間後ですと言われていて、それ以上学校に何か頼めることはないのだろうな、と学校の対応を諦めていました。
長男は学校を休む理由をつまらないから、としか言わず、私はそんな長男にどんな対応をしたら良いのか分かりませんでした。
2021年9月28日
朝は元気で起きてすぐに2人でお散歩に行きましたが、長男は、
「今日は、絶対いかんっ!!!」
と言い、学校を休みました。
学校をお休みすると、長男は元気になり、明るく私と話しをしていて、反抗もしませんでした。
その頃長男は学校に対して、
・とにかくつまらない
・放課、皆がパソコンをしていて外で遊ぶ子がいなくてつまらない
・トイレに落書きをした子がいて、犯人が見つかるまでは手を挙げて、皆でトイレに行かなくてはいけないので好きな時にトイレにも行けない
・全然自由がない
・授業がつまらな過ぎてノートに落書きをしているのに、 女子が注意そしてきてウザい
・音楽の教室が暑くて嫌すぎる!
口から出てくる言葉は、つまらない、つまらない、つまらない、つまらない、つまらない!そればっかりでした。
私はそんな長男を見て、
・やりたくない事を本当にやらないんだな、この子は、集団生活に耐性がなさすぎるな
・自由な海外なら合っているかもしれないな
・今の環境が長男には合わないんだろうな
と、環境を変えれば、今の生活から抜け出せる、環境が悪い!と思っていました。
・・・
ある日、長男が私に赤白帽子を持ってきて、
「ゴムをつけないと10月16日の運動会に出られない」
と言いました。私はそれを聞いたときに、この子はずっと学校に行かない!と決めている訳ではないんだな、と安心した記憶があります。
・・・
数日後、学校から連絡があり、
「明日は担任、主任、長男、3人で話をするので、何とか送り出してください」
と言われました。
18 完全不登校までの42日間の事⑥
18 完全不登校までの42日間の事⑥
2021.9月中旬
長男は変わらず不登校気味で私は変わらず原因は何なんだろう?と考えてばかりいました。
成長期のホルモンバランスの乱れなのか、元の性格なのか・・・
今までもこだわりが強くて扱い辛い子だとは思っていたけれど不登校になるとは想像もしていませんでした。
この時期には私は子供たちにすぐに怒ってしまう事を反省していて、怒鳴らないようにはしていましたが、怒りを吐き出さない事で、ストレスが溜まり、どこまで子どもの要望を聞いて良いのかも分かりませんでした。
・・・
長男は昔から、座る場所、車の座席、自分の物、順番などにこだわる傾向があり、親が何かと気を遣う子でしたが、この時期には家族に対してめちゃくちゃな要望を言うようになっていきました。
私は常に長男を【面倒臭い子】と、思っていて、何かをスムーズに進めたければ長男の言う事を聞いておくことにしていました。
・・・・
長男の次男いじめは日に日に酷くなり、ついに長男は次男の使用するコンセントの位置を家の中で一番使い辛い場所に指定しました。次男はそれを守らなければ殴られ、蹴られ、暴言を吐かれていました。
私が長男の暴言を注意すれば、すぐに長男の怒りの感情に火が付き、
「こんなバカどうでもいい!」
「くず」
「生ごみ」
「バカ」
「死ね」
と暴言を吐き、次男を殴り倒しました。
そんな事の繰り返しで、私は、やっぱり黙っておけばよかったな、と毎回後悔していました。
私は、長男にいじめられている次男の心理がとても心配で、可哀そうに思っていました。
いつもいじめられている次男も、死んだ様な目をして長男の事を、
「あいつ本当に死んでほしい」
とよく言っていました。
・・・
長男の困らせ行動はどんどんエスカレートしていき、リビングのテレビの音を耳が痛くなる程の爆音にし、私がご近所の迷惑になるからと音量を下げる事をお願いすると、より一層音量を上げました。
もう部屋には居られない程の爆音で、あーあ、余計な事を言わなければよかったなと後悔するのです。
あんなにも可愛がって育てていたのに、長男はまだ8歳なのに、何が原因でこんなことになってしまったのだろう。
・・・
数日後、機嫌の良い長男と2人で買い物に行った時、長男に酷い怒り方をした事を謝り、大切に思っている事、大好きな事を伝えましたが長男は、
「いや・・・気つかわないで、お母さん」
とぼそっと呟いただけでした。
・・・
その日長男は23時頃、何故か玄関の下駄箱の上で寝ていました。
主人とは、今はあの子の全てを受け入れ、否定せず、厳しくせず、一旦話を聞こう。
わがまま行動がエスカレートしない様に良くない事はちゃんと注意していこう。
取り敢えず夫婦は協力していこうね。と話していました。
17 完全不登校までの42日間の事⑤
17 完全不登校までの42日間の事⑤
長男は、2021年9月13日~17日は通常通りに学校へは行きましたが習い事のそろばんやサッカーには行かなくなりました。
学校には行くものの、元気はなく起きている間中、学校の文句ばかりを言っていました。
次男も長男の影響を受けてなのか元気がなく、幼稚園をお休みしたので私は次男を公園に連れて行きました。
・・・
9月18.19.20(休日)
この日、長男と次男が些細なきっかけで激しく喧嘩をしましたが、長男が両親に大きな反発をする事はなく、家族で公園に行き、友人と遊び、庭でサッカーをし元気に過ごしていました。
とても元気そうに見えましたが、夜になり明日は学校だから寝ようね、と言っても長男は寝ようとはしませんでした。
2021年9月21日
次の日、朝起こすと長男は、
「眠い、疲れた、今日は休む」
と言い、私が長男に昨晩早く寝ないから朝起きられないのだよ、と指摘をすると長男は、
「そんなの関係ない!今日は行かない!」
と言い、通学団の集合時間10分前になってもリビングに持ち込んだ布団にくるまり動こうとしませんでした。
出発時刻の5分前、私は大きな人形を着替えさせるかのように長男を着替えさせていると、通学団の団長さんが迎えに来てくれました。 私は長男に、
「もう時間だよ、団長さんが来てくれているよ」
と伝えても、長男は、
「え?今ご飯食べてるじゃん」
と言い、集合時間に間に合わせようとする私の頭がおかしい、とでも言わんばかりの言い方で、急ぐ素振りも見せず、マイペースにテレビを見ながら朝食を食べ続けました。
私は時間通りに集まっている通学団の子たちに迷惑をかけている事、家まで呼びに来させてしまった事、そして何よりも長男が人を思いやれない事がとても嫌でした。
その日は結局長男は15分遅れで学校へ行き私は教室まで付いて行きました。
どんな顔をして帰ってくるのかな、と心配していましたが長男は近所の友達と楽しそうに帰ってきたので、私はほっと一安心していました。
次男は何とか幼稚園には行き、帰りは公園で遊びましたが、腹痛、吐き気があり元気がありませんでした。
・・・
2021年9月22日
長男は出発10分前まで魂が抜けたかのように「ぼーーーー」っとしていましたが、特に何も言わずに学校へ行きました。
帰宅後、我が家から60キロほど離れた祖父母の家に遊びに行く予定でしたが、次男の体調不良が気になり、今回は見合わせる事にしました。すると祖父母宅に行くのを楽しみにしていた長男が次男に向かって、
「うぜー、死ね、バカ、役立たず」
「お前なんか消えろ」
「お前1人で待っていろ」
と感情を一切込めずにただ淡々と次男に向かって呟きました。
その言葉を聞いていた次男はただ無表情で固まっていました。
長男がしつこく祖父母宅へ行きたがり、次男の体調も回復したので結局祖父母宅へ向かう事になり長男はとても喜んでいました。そんな長男の姿を見て私は、
この子は自分の願いさえ叶えばご機嫌なのだな・・・と喜ぶ姿がとても不快でした。
・・・
2021年9月25日(休日)
長男と次男とのチャンネル争いで長男が次男の顔面を、繰り返し繰り返し、繰り返し繰り返し、蹴っていました。
私がいくら止めても長男は次男の顔面を蹴り続け、次男は泣き叫んでいました。
その日のお昼ご飯の時はご機嫌でしたが、下2人に対しては、不快な言葉を言い続けていました。 もう無意識に口から言葉が出ているかのように淡々と、
「バカ、死ね、うざい、気持ち悪い、あっちに行け、生きている意味がない、わがままなやつ」
聞いているこちらの頭がおかしくなりそうな言葉ばかりを並べて言い続けていました。
私がもし、やめるよう注意をすると、より一層次男に暴言を言い出すので、何も言わずに黙っていました。
その日の夕食時、全員が食卓についても長男はなかなか食卓にきませんでした。私が、
「なくなっちゃうよ!」
と言うと少ししてから食卓につき、
「無くなる食べ物なんてないじゃないか!嘘つき!ご飯なんていらん!」
と文句を言い、夕食の雰囲気はいっきにどんよりしました。
・・・
夜は険しい顔で、私に、
「宿題の用意をしろ!」
と命令し次男の些細な行動に文句をつけ次男を蹴り始めました。私は、
「あなたはどうしてそんなふうなの?」
と長男に聞いても、こちらを馬鹿にするかのように、
「さー、どうしてでしょうねぇぇぇぇぇ」
と話にならない返事しか返ってきませんでした。
・・・・・
2021.9.26(休日)
寝る前になると長男が
「今日何曜日?」
と私に話しかけてきました。私が日曜日と答えると、長男は、
「じゃー明日休む!」
と言い、私は行った方が良いと思うよ、と諭しましたが、長男は絶対に行かないと言っていました。
しばらくし私がお風呂に入るようお願いをすると、長男が、
「お風呂入れって言うなら学校行かない。」
と言い出したので、私はお風呂に入らなくても良いから学校に行くといいよ、と伝えましたが、長男は、
「僕朝から喉痛い、体調不良なのに行けって言うのか!明日は休む!」
と言い、22時になるといつも通りに寝室で大きな声を出して漫画を読み始めました。
そしてこの日23時を過ぎると長男は皆の寝ている寝室でボール遊びを始めました。
長男が寝室の電気を消してくれないので23時過ぎても下の子供たちが眠れておらず、次男と娘を寝かしつけなくてはいけないのに・・・ 何この地獄、 もう本当に勘弁してよ!と私は心の中で思っていました。
長男はしばらくの間、異常なテンションで一人でボール遊びをしながら騒いでいましたが、両親はもう、何も言いませんでした。
・・・
私は姉に、長男がまた明日も休むと言っている事、 行く行かないは自分で決めると思っている事、 次男も幼稚園に行かないと言う日が多く、毎朝とても大変であることを話していました。
姉は、もしかしたら長男君負けず嫌いだからテストが嫌とかない?苦手な教科あるの? 学校は行きたくなかったら行かなくていい場所と思っていたら困るよね、と心配してくれていました。
長男は休み明けの月曜日に学校に行きたがらない事が多く、私は勝手に土日が楽で楽しいから、休み明けの学校に行きたくないんだろうな」
と思っていました。
姉は、休み癖は良くないよね、このまま中学生とかになったら困るから今のうちにちゃんと教えておこうよ、 でもコロナ後、楽しいイベントが減って不登校児増えているみたいだよ!
と教えてくれました。
私は、原因が分からないな・・・
接し方も分からないな・・・
次男と娘の生活リズムが崩れ、次男と娘に全然時間がさけず、私は誰か的確なアドバイスをしてくれる人はいないのかな・・・と思っていました。
16 完全不登校までの42日間の事④
16 完全不登校までの42日間の事④
行き渋りが始まり、長男が家族に対して無理難題や暴言を言い、暴力を振るうようになると、家庭が張りつめた空気になり、1日1日を過ごす事がとても大変になっていきました。
私は心の中で、子育てがこれほど大変なら、子供なんて産むんじゃなかった!と思ってしまうほど、この時期、心がすり減る出来事が日に何度も起こりました。
・・・
2021年9月中旬
行き渋りが始まってから毎朝、私は長男は今日は学校へ行くのか、行かないのか、と不安になりました。
学校に行く場合でも、朝家を出るその瞬間まで私に無理難題を言い続けるので、私は神経をすり減らして過ごしていました。
その日の朝は長男が、
「お母さん、僕、力が出ないからリビングまで引きずって!」
と言い、私が長男の体を引きずってリビングまで連れて行きました。
長男の重い体を引っ張って、やっとの思いでリビングに着くと、長男は走ってまた寝室に戻っていきました。
私はもう一度寝室へ行き、再び長男の腕を引っ張り、引きずってリビングへ連れ戻す、それを何度も何度も繰り返し、長男がやっと寝室に逃げ帰らなくなった、と思ったら次はリビングで学校の文句を言い始めました。
・・・
暫くすると長男は、ソファで寝ながら朝食を食べ始めました。
私が座って食事をするよう促すと、長男はそれなら食べない、と言い食事をやめてしまいました。
こんな時、私はどう長男に声掛けしたら良いのだろう?
いいよいいよ、食べてくれるなら寝ながらでも何でもいいんだよ。
いいよいいよ、学校行ってくれるなら何してたっていいんだよ。
そんな甘やかしの言葉をかけて良いのだろうか?
私はどんな声掛けが正解なのかな・・・と頭の中で毎朝何パターンも考えるのですが、結局、何が正解なのかを見つけ出せないまま毎日を過ごしていました。
私はソファで食事をする行為自体をやめさせたい訳ではなく、それをよしとする事で、この子は行儀の悪い、非常識な子になってしまわないのかな?
なんでもいいよ!と全て許す事で、わがままな子になるのではないか? と心配していました。
学校に行かせる事に集中して、躾ける事をやめ、長男の思い通りに生活させることは果たして正解なのだろうか?
私はそんな事ばかりを考えていました。
・・・
私の気持ちも乱降下し、
まぁ、行かないでいいか、思う存分休めばいいや!と思おうと思える日もあれば、漠然とした不安に押しつぶされそうになり、学校に行けなくなった原因は私の育て方なのかな?と原因を知りたくて仕方なくなる時もありました。
それでも私は「どうぞ!好きなだけ休んでね!」と覚悟を持って言う事が出来ず、学校に行きたがらない長男を毎朝頑張って起こしていました。
私の中で休ませよう!という選択肢はなく、この子はどうやったら学校にいくようになるのだろう、ばかり考えていました。
あー、不登校なんて気のせいだったな、と私の不安を取り除いてほしかったです。
・・・
その望みが叶う事はなく、長男の物事の捉え方は日に日に捻くれていきました。
長男の親友が長男と遊びたいみたいだよ、と伝えても、
「俺はあいつらのおもちゃじゃない」
と言ったり、 学校の先生は、生徒の為に色々言いたくない事も言ってくれているんじゃないのかな?と伝えても、
「仕事なんだから、お金貰いたいだけでしょ」
と捨て台詞を吐いたり、
次男が買ってもらったおもちゃを父親に見せたくてワクワクしていても、
「お前自慢したいだけでしょ、嫌なやつだね」
と捻くれた捉え方をする事が多くなっていきました。
・・・
私としては、難しい長男を特別構いし、愛情を沢山掛け、いつも次男を我慢させている感覚でいましたが、長男は、
「お母さんは弟と妹と話す時と、僕と話す時の態度が全然違う」
「僕にだけ優しくない!」
と、不満をよく言っていました。
・・・
この時期長男は、朝私が声を掛けると、「行くわけねーだろーが」と私を睨みつけ、何とか行く支度が出来たとしても、出発時刻になると腹痛でトイレに籠るようになりました。
私が学校へ行かせることを諦め、学校に休む連絡をすると長男が元気になるので、私は長男のお休みを、「こんなのずる休みじゃん!」と感じてしまいました。
長男が学校へ行かないという不安もあるし、元気な子供と1日中一緒にいるのが疲れる、という苦痛もありました。
この時期の長男は喜怒哀楽が異常に激しく、些細な事でも注意をすると、途端に人格が変わり暴力的になりました。
・・・
どんどんと悪化する長男の様子を見ていると、私は、この子はこの先どう育ち、どんな大人になるのかな、ととても不安な気持ちになりました。
同じ時期、次男の情緒もどんどんと不安定になっていきました。
私を手あたり次第殴り、僕も幼稚園には行かない!お兄ちゃんだけお休みしてずるい!と大泣きしたり、些細なきっかけで暴れまわる様になっていったのです。
元々器用に感情表現をする子ではありませんでしたが、以前にも増して、周りとの交流が消極的になっていきました。
次男は私と2人きりになると、子供らしく優しく明るい子でしたが、だんだんと子供らしさを失い、無気力で暴力的になっていったのです。
15 完全不登校までの42日間の事③
15 完全不登校までの42日間の事③
2021.9.12(休日)
この日は、家族で動物園へ行く事にしました。
長男は、歩くのが疲れると言い、動物園内を歩かずに、娘用のベビーカーにずっと乗っていました。
娘も長時間は歩かず、抱っこ抱っこと言うので、長男にベビーカーを貸してほしいと何度かお願いしましたが、なかなか貸してくれず、次男までベビーカーに乗りたいと言い出し、入り口から一向に中に入る事が出来ませんでした。
家族でいるとベビーカーに乗って自分で歩かない長男は、私と2人になると歩き、「お母さん、荷物持つよ」と言って私を助けてくれました。
・・・
別の日の夜、長男の事を気にかけている主人が長男と2人きりで話をしようと外食に誘いました。それを見ていた、いつもは母親にべったりな次男が、
「僕も行きたい!絶対行きたい!」
「なんで長男だけなんだ!なんで僕は行ってはダメなんだ!」
と駄々をこね始め、私が「お母さんと次男の好きな物食べに行こうよ」 と言っても、
「嫌だ!僕はお父さんと行きたい!何で僕は行ってはダメなのか教えて!」
と長男と出かける主人の車を裸足で追いかけていきました。
主人は私に「次男を上手く、説得してね」と言い出かけていきました。
そんな、長男ばかりを優先する、という事が頻繁に起こり、次男の情緒はどんどんと不安定になっていきました。
主人と長男は楽しそうな雰囲気で帰宅し、仲良くお風呂に入り、「さー、寝よう!」 となった10時頃、明日は学校なのに、長男が再びテレビを見始めました。
主人は長男に、「寝るよ!」と声をかけていましたが、長男はその言葉を無視しテレビに1点集中していました。
何度か主人が「寝るよ!」と声をかけていましたが、長男は、 言う事は聞きませんというオーラを出していました。
そんなやり取りを何度かしていると、長男が突然、「うるせーな、だまれ、鬱陶しい!!!!」
と主人に怒鳴りました。主人は、そんな長男を見て、
「食事に行った時と同じ子だと思えない・・・この子はどうなってるんだ・・・」
と悲しそうに呟いていました。
私は、私にとっては日常的な長男のその行動に、
あー、始まった、始まった。
なんて育てにくいの!
なんて扱いにくいの!
なんてわがままなの!
なんて面倒な子なの!
思っていました。
12時を過ぎると、主人が怒りだし、長男が見ていたテレビのカードを抜きどこかへ隠しました。
長男がどんな態度に出たかは覚えていませんが、私は、
・毎朝〈はながっぱ〉見るよ!と起こしているのに、明日朝テレビがつかなかったら絶対怒ってくる!
・番組が1秒でも始まった後に起こすと絶対怒る・・・
・テレビが観れなかったから学校に行かないって言い出す・・・
・えー、どうしよう、カード返してよ・・・
と、1人であたふたしていました。
・・・
この時期、夫婦仲は良くなかったので、主人に余計な事を言うと喧嘩になるな、主人に頼みごとをするのは嫌だな、と思っていて、私は主人に朝までにテレビのカードを返してよ、とは言えませんでした。
14 完全不登校までの42日間の事②
14 完全不登校までの42日間の事②
2021年9月10日
この日の朝、
出発前、長男がソファで寝転んで朝食を食べていたので私は、
「机に座って食べてね」
と声を掛けると、長男は、
「それなら食べない」
と言い、朝食を食ませんでした。
長男は通学団の集合時刻の10分前に、私にも聞えそうな深いため息を「ふー、、、」っとつき、呼吸を整え、長男の周りを黒い雲が覆っているような雰囲気を漂わせ、集合場所に向かうために家を出ました。
とにかく学校へ行ってほしいと思っていた私は、そんな長男の様子を気にかけながらも「あ、何とか行ったな」と、一安心していました。
今日は行けたな・・・と安心していると、家を出る時間が遅かったからか、集合場所には誰もおらず、長男は家に帰ってきてしまいました。
私は長男に、付いて行くから、一緒に行こうかと提案し、長男は私と一緒に学校へ向かう事になりました。出発前に長男はお腹に手を当てて、前かがみになり、
「お腹痛いからトイレに行ってくる」
としばらくの間トイレにこもってしまいました。
当時娘はまだ2歳で、長男が学校へ向かう時間はまだ眠っていました。
「長男の学校に付いていかなくちゃ!」
という気持ちと、
「まだ小さい娘が起きてしまったらどうしよう!1人で大丈夫かな、、、」
と冷や冷やする思いで私は長男の学校まで付いて行っていました。
この頃の長男は学校から帰ると様子がおかしくなり、毎日毎日、
・クラスの女子がウザい
・今日は描いている落書きを勝手に消された
・コロナなんだし、ソーシャルディスタンスだよ!と言って離れようとしても『関係無い!』と言って近寄ってくるのが嫌だ!
・僕は自分のペースで教科書を閉じたいのに、授業が終わる瞬間に勝手に教科書を閉じてくる
・頑張って作った練り消しを勝手にゴミ箱に捨てられた
・前の人の座高が高くて、僕は全然黒板が見えない
・今日は体操服を見つけられなくて、体育に参加できなかった
・・・
と学校の文句ばかりを取り上げて言っていました。
長男はその日学校から帰って来ると、
・あんな場所に行くのは馬鹿みたい
・くそつまらん
・学校に行っても意味がない
・僕はもうに行きたくない
と険しい表情をして、私を見ずに呟いていました。
私は長男の異変に気付き始めていたので、否定的な発言を注意はせずに、
「嫌だったんだ、疲れただろうね」
と言い聞き流す事にしていました。
・・・
行き渋り当初、主人は、
「そんなに心配しなくていいんじゃない」
「夏休み明けだし時期の事なんじゃないの?」
と言っていましたが、日々悪化していく長男の様子を見て、
「なんなん?これ、長男どうしたの?」
と混乱し始めていました。
・・・
私は学校の先生から面倒臭い親、厄介な親、と思われる事が嫌で、学校に個人的なお願いごとをする事に抵抗がありましたが、勇気を出し担任の先生に電話をし、
長男が横の席の女の子のお節介を酷く嫌がっている事を伝え、先生からその子にあまり強くお節介しないよう、やんわりと指導してもらえないか?と、お願いをしました。
お願いはしましたが、状況が変わる事はなく、長男の【女】に対しての嫌悪感は日に日に激しくなっていきました。長男は毎日のように、
・女がまじでうざい
・この世に女なんていなくなればいいんだ
・クラスに女が居なければ僕は学校に行けるのに
・女がいるせいで学校の全部がつまらなくなる
・女は全員この世から消えろ
・女は皆わがまますぎる
・女が視界に入るのも僕は嫌なんだ
・音楽の先生(女性)が大嫌い
と、とにかく女の人が嫌だ!と言い続けました。
テレビで、くれよんしんちゃんのみさえが画面に映るだけで、
「この女はわがまますぎる、こんな女は死ねばいい」
と言い、女性でなくても、ドラえもんの、のび太君を見て、
「こいつバカ過ぎる、鬱陶しい、嫌い、ウザい」
と、目に映る全てを否定し始めました。
・・・
長男が学校を休む日が続き、長男の異変に気が付いてからは、私は長男の要望にできる限り応えていこう!叱らないようにしよう!と努力しているつもりでした。
学校に行かない長男を見て私は、
・何でもいいから学校には行ってほしいな、学校に行っていればきっと何とかなる
・もし長男が明日も学校へ行かないと言いだしたらどうしよう・・・
・あの子に何をしたら、今の生活の何を取り除いたら、あの子は普通に学校に行ってくれるのだろう
・今学校に行かなくなって、このままずっと学校に行かなくなったらどうしよう
・女の子を嫌だっているから、中学は男子校のがいいかな?
・機嫌の悪い長男を明日の朝起こすの嫌だな、、、
と思っていました。
長男が生き渋る様になってから、私はこの先この子はどうなってしまうのだろう?と漠然とした不安を常に感じていたように思います。
13 次男の異変
13 次男の異変
2021.8月後半
長男の情緒が乱れることで、我が家は家庭内不和になっており、その影響からか次男がこの時期から、無意味に叫んだり、突然物を投げつけたりするようになっていました。
幼稚園の帰り道、私が、
「今日は幼稚園どうだった?」
と、聞くと、次男はとても無気力で、とげとげしい雰囲気で、
「全然つまらない、だから僕は1日中座っていただけ」
と、答える日が増えていきました。
私は次男が毎日長男に酷い事を言われ、殴られている現状を幼稚園の先生に伝え、次男の様子を気にかけてもらうようお願いしていました。
次男はもともと、人と積極的に関わる事が得意ではなく、 長期連休明けに幼稚園に行くと、仲の良い友人といつものように遊べるようになるまでに、1か月程掛かるような子どもでした。
そんな次男はいつもいつも長男の顔色を伺い、
「ぼくが、これをやってもいいのかな?長男に何か言われないかな?」
と怯え、何をする時も、長男に何か傷付く言葉を言われないか、と考えながら行動しているようでした。
次男は長男がいなければ、何にも怯えず伸び伸びとすごしているのですが、楽しく遊んでいる空間に長男が加わると、次男の顔つきは一気に変わり「長男に何かを言われるのは嫌だから」と次男は無気力を装うようになりました。
ある日次男が早起きをして漫画を読んでいると、長男が起きてきて、力ずくで次男の読んでいる漫画を奪い取りました。
漫画を奪われ次男は大泣きしていましたが、長男は一向に漫画を貸そうとはしませんでした。
そんな、次男の心が不健康になるような出来事が毎日毎日続いており、2人の漫画争いに疲れていた私は、次男に長男と同じ漫画を買い与える事にしました。すると長男が、
「次男にだけ買うなんてずるい!」
と文句を言い始めました、私が、次男も読みたいのに長男が漫画を貸さないから買うしかないんだよ、と説得しても、
「ずるい!ずるい!僕にも買ってよ!!」
と長男は言い続けました。私はそんな長男の事を、またいつものわがままだな、と不快に思っていました。
結局私は長男を説得する気力もなく、とにかく喧嘩をしないでくれ!黙っていてくれ!と言う気持ちで、同じ漫画の同じ巻を10冊づつ、2人に買い与えました。
2人共が漫画を手に入れ、平和になるかとほっとしていると、今度は寝かしつけの時に読んでほしいと言われるようになりました。
私が長男に読めば、次男が僕にも読んでと言います。
長男に読んだ後に次男に読めば、長男が僕にももう一回読んでと言う。
本当に読んでほしいというよりは、自分の方がお母さんに沢山本を読んでもらった状態で眠りにつきたい、という兄弟間のくだらない争いをしているように私には見えました。
私が次男に漫画を読んでいると、長男はわざと不自然な程に大きな声で笑い、邪魔をし、自分の存在をアピールしているように見えました。私は内心、
「あー、毎日毎日面倒臭い!何回も読むのは疲れるから、2人同時に聞いてよ!」
と思っていましたが、その提案をしても長男は、次男と一緒に本を見たくないという理由で受け入れてはくれませんでした。
それなら、寝る前に2人に2話ずつ読む!と約束を決めると、長男は、
「次男の方が1話のページ数が長かったから、僕だけにもう1話読んで」
と言い、それを聞いた次男が兄に読むなら僕にももう一回読んでほしいと言うのです。
お互いが自分の主張が通った状態で争いを終了したいため、その喧嘩に折り合いが付く事はありませんでした。
毎日、毎日、毎日、毎日、繰り返される解決しようのないこの無意味な争い。
私は本当にうんざりしており、優しい言葉を掛ける心の余裕はありませんでした。
・・・
そんな日々の中、次男の様子がだんだんとおかしくなっていきました。
ある日、買い物から帰ると、普段温厚な主人が次男にきつく叱って(怒って)いました。
主人が次男をあまりにも叱りつけた為、長男が、
「お父さんやりすぎだよ!」
と叫ぶと主人は振り返り長男に向かって、
「お前が言うなよ!!!!!」
と、怒りをぶつけていました。主人の珍しいその態度に、私が、
「怒りすぎだって!」
と口をはさむと、主人は、私の方を見て、お前だっていつも怒っているくせに!と言いたげに私を見て、
「お前が言うな!」
「お前だけは言うな!」
と言い返してきました。
もう家庭内がぐちゃぐちゃで、誰も誰の事も思いやれておらず、仲間であるはずの家族全員が敵同士のようでした。
主人は、子育てに疲れ果て常に機嫌が悪い私に嫌気が差していただろうし、私も、仕事ばかりで現状を理解していない主人に苛立っていたのです。
・・・
家庭内不和が酷くなりだしたその頃から、次男は心身ともに不調になりました。
次男の頭には10円禿ができ、爪が全てなくなる程、爪を噛み、顔には覇気がなく無気力になっていきました。
今まで優しくしていた妹にも、不必要に意地悪をし、わざと妹を泣かせるようになりました。
家中のどこかで、誰かが争い合っている、そんな悲しい家族になっていったのです。
12 主人と長男
12 主人と長男
2021年6月~
この当時、仕事が忙しい主人は、子供が寝てから帰って来る事がほとんどでした。
主人は温厚で大らかな性格ですが、他人の世界に入り込んで来ない雰囲気の人でした。
その当時の主人は、夫婦間で話し合う、助け合うなどをせず、お互いに依存をせずに問題を自己解決しよう、と考えているようでした。
例えば・・・私の父親が海外に住んでいた時期があり、私は幼い子供たちと父を訪ねて1か月ほど海外に滞在した事がありました。
帰国後、その時の写真を主人に見せても、主人はその写真に興味を示さず、
「目の前に子供がいるから、別に写真は見なくてもいい」
と言ったりする事がありました。
私の主人に対して、共感力に乏しく、ドライな人と思っていました。
・・・
そんな主人に気を遣い、上手く頼みごとの出来ない私と、自分のペースを崩される事を嫌い、子供たちの事を聞いてこない主人。
私は主人に対して「助けてよ」「手伝ってよ」と言う気持ちを持ちながら、それを口に出すことが出来ず、嫌味の様に自分だけで家事、育児を抱え込む様になりました。
主人に当て付けて、「あなたは役にたたないよね!」と言わんばかりに忙しそうに動きまわり、全ての家事育児を自分1人でこなし、勝手にそれに苛立っていました。
平日は主人の仕事が忙しい事を理解していて、それ程イライラしないのですが、主人がお休みの土日になり、主人が家にいると「助けてくれるかも!」と期待してしまい、私の期待を裏切り、助けてくれない主人に不満を抱いている事が多かったです。
私はそんな不快感を態度に出しており、土日の家庭内の雰囲気は、張り詰めた空気な事が多かったと思います。
・・・
長男はお父さんが大好きな子どもで、主人も長男をとても可愛がってくれていました。
行き渋りが始まり、長男の情緒が激しく乱れ始めると、長男は父親に対しても暴言を吐くようになり、仲の良かった2人の関係も崩れ始めました。
主人は、長男に注意する際、次男を叩く長男に対して、
「そんな事もう止めようね」
「はいはい~ちゃん(長男)もうやめようね」
「どうしたの?」
と冷静に諭すように言う事もあれば、わがままな長男の態度に主人の気持ちも限界になってしまい、大人な対応が出来ずに、
「おい!いい加減にしろよ!」
と叱りつけてしまう事もありました。
時に主人は、私と長男が言い合いになっていても、見て見ぬふりな事もありました。
・・・
長男が次男をいじめて次男が泣き、主人が長男に謝るように諭しても、長男は、
「ざまーみろ!!!」
と言ったり、目にいっぱい涙をためて、それでも主人に負けないようにと、
「はいはいはいはい、すみませんねぇ!これでいい?」
「はい、謝りました!これでいいんでしょ!」
と吹っ掛けてくる事もありました。
主人に叱られたことが悔しくて、何とかして主人が不快になるような言葉を言いたい長男は、主人の方言を馬鹿にし、
「は?は?は?は?何ですか?なんですか?」
「何言っとるか分らんし、日本語話せよ!」
「この、くそじじい!」
と主人に向かっていきました。
長男は、昔から自分が否定され、注意される事に過度に反応し、話が通じず、注意をすれば暴れ出す子、と私は思っていました。
・・・
長男と他の家族との関係が悪化していたある日の夜中、寝室で寝ていると、突然リビングから、
「うぁぁぁぁぁぁーーーーーーー!」
「うぁあああああーーーーーーー」
「ひぇーーーーん」
と泣き叫ぶ声ような声が聞こえてきて、私と主人は飛び起きました。
リビングへ行くと、長男が1人暗闇の中で、声を振り絞り、唸るような、悲しくて、苦しくて、壊れそうな、そんなふうに泣いていました。
両親は驚き、
「どうしたの?」
と長男の背中をさすりましたが、長男はだただ肩を震わせ、唸るように泣いているだけでした。
記憶は曖昧なのですがしばらくすると、長男が私に、
「お母さんが次男の横で寝ていたから」
と言いました。
長男は、
「寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、うゎーーーーーーーーー」
と、泣き崩れてしまいました。
そんな子供の訴えにも、全てがうんざりで疲れ果てていた私は、溜息をつき、長男に、
「次は何?」
「じゃー横で寝ればいいじゃん」
と、素っ気なく言ったような気がします。
その当時は、自分の中で目覚めている間の全ての時間を、子供達に使っているという感覚があり、私はそれにとても疲れていました。
長男が泣いていたのは夜中でしたが、主人が長男を散歩に連れ出してくれました。
散歩に出かけた2人は、出かけてから2時間ほど経った明け方の2時頃になると明るい表情で帰ってきました。
私は長男と主人が何を話してきたのかを聞こうとはしませんでしたが、帰ってきた主人は、少しため息をつきながら、私に、
「明日のサッカーは休ませてあげてね、朝は起こさずゆっくり寝かせてあげて」
「長男とは色々話はしたけど、まあ、、、」
「俺から見ても・・・貴方は長男の事を嫌っているように見えるよ」
と、私に言いました。
私は何も言い返さずに黙って主人の話を聞いていました。
・・・
主人の言葉の通り、その時期、私が長男を嫌いだったのか?
今、どれ程考えても思い出すことができません。
嫌いだった、という事も、心底愛していた、という事も本当に思い出せないのです。
そんな私の気持ちは、幼い長男にどう映っていたのだろう?と今は思います。
11 閉ざされた空間での出来事
11 閉ざされた空間での出来事
次男の幼児期、次男はよく長男に殴られていました。
そんな2人の姿を見て、周りは、
「男兄弟の喧嘩、激しいよね~」
「ハラ子ちゃん家は特別激しいよね~」
と、よく言っていました。
下の子が生まれると赤ちゃん返りをする、上の子がやきもちで下の子をいじめる、と聞いていても、長男の次男に対する暴力行為は一般的な赤ちゃん返りのレベルではない、何かがおかしいと私はうっすら感じていました。
次男は小さな頃から長男に叩かれるため、いつもいつも顔が傷だらけで体に青あざが出来ている事もありました。
赤ちゃん返りで上の子が下の子を叩くと言っても、それ程皆殴られるのか?
という疑問が私の中には常にあり、いや、いや、おかしい! 絶対におかしい!ここまで弟妹を拒否している子を見た事がない!
私はそう思っていても、何をどうすれば良いのか解決策を見つけ出すことが出来ずにいました。
私を育てた親に状況を話し、解決策を聞いても、神経質に考えなくていい、男の子なんてそんなもの、と言っており、長男の暴力行為を気にする私がおかしいのかな・・・気にし過ぎなのかな?と思う事もありました。
誰に相談しても、男のは子激しい、そんなものと言われ親身に相談にのってくれる人はいませんでした。
・・・
公園で子供を遊ばせていると、ママ友の誰かが、
「昨日兄弟で殴り合いの喧嘩をした」
と、言っていて、あー、やっぱり我が子だけが異常な訳ではないんだな・・・とホッとした事を覚えています。
家庭内の閉ざされた空間の中、我が家の子供たちがどれ程酷い状態なのかは誰にも理解される事はありませんでした。
育てている私自身も、我が家が特別に酷いのか、激しいけれど正常な範囲内なのか、分かってはいませんでした。
・・・
仕事が忙しく、昼間、子育てをしていない主人も、その大変さを理解してはいませんでした。
私は長男が毎日楽しい時間を過ごせますように!と、毎日お弁当を作り2人の子供を連れて、児童館や公園へ出かけるように心がけていたので、昼間は平和に過ごせるのですが、夜はどうする事もできませんでした。
・・・
長男が特に反抗的になりだした2021.6月頃から、長男の次男に対する拒否反応は、より一層激しくなっていき、長男が次男に馬乗りで殴る事が常習化していったのです。
それは、毎日、毎日、毎日、毎日、繰り返されました。
次男は、顔を涙でぐちゃぐちゃにしながら、
「ぎゃーーーーーーーーーーーーーー」
と言って泣き叫んでいて、私が、長男に、
「やめなさい!」
「もーーー!」
「やめなさいって!!!!」
と、止めに入るのですが長男は、握り締めた拳により一層力を込めて、
「うるせーーーー!!!」
と言いながら、次男を殴り続けていました。
私は、ぎゃーぎゃー泣き叫んでいる次男をかばいながら長男に、
「もう!離れなさい!」
「もーーーーー!!!!どうしたの!!!!!」
と長男を止めようとしても、長男は、
「次男が嫌い!気持ち悪い!」
と次男が傷付く言葉を言い続けました。私はなぜそんな事を言うのかと長男に何度も尋ねましたが、長男は、
「気持ち悪いから、嫌いだから、バカだから!」
と理由にならない理由を言い、次男を傷付け続けました。
・・・
年齢が上がってくると、やられっぱなしの次男にも意志が出てきて、長男の言いなりにはならず、やり返すようになっていきました。
2人ともまだ小さいとはいえ、体も段々大きくなり、力も少しずつ強くなり、長男と次男の喧嘩は日々激しさを増していきました。
・・・
私はいつも長男の暴力行為に対し、長男の事を強く責めました。
「何であなたはそんなに暴力的なの?」
「何であなたはそんな事ばかりするの?」
「何で?」
「何で?」
「何で?」
「何で?」
その答えはいつも、
「次男が嫌いだから」
それだけでした。
・・・
長男の次男への暴力を止めさせるために、私は色々な作戦に出ました。
ある時は、暴力を振るおうとする長男に聞こえるように、次男と娘に、
「あっちの部屋行こ、お兄ちゃん頭おかしいから!この部屋にいるとお兄ちゃんに叩かれるから、あっちの部屋に行こ!」
と、長男の心に、
「あなたは悪い子!」
と刻みつけるような、長男が傷付く言葉をあえて選び、長男1人を部屋に取り残す。
またある時は、長男が次男を叩いたように私が長男を叩いて、
「ほらね!叩かれたら痛いでしょ!次男を叩くのをやめなさい!」
「もーーーー何であなたはそんなふうなの!」
「何でなの!」
「何があったの?」
と取っ組み合いの喧嘩をする。
また別の時には、毎日繰り返される暴力行為に私が疲れ果て、号泣しながら長男に、
「もう、お願いだからやめてよ、お願いだからやめて、、、」
と、泣き落とそうとする。
・・・
その時々の、自分の気分で方法を変えて長男に次男を殴る事をやめるように訴えかけました。
どれほど長男に訴えかけても、どれもその場しのぎにしかならず、長男の暴力行為が根本から治る事はありませんでした。
息子2人が馬乗りになって、叫び合いながら殴り合いをしている中、状況を何も理解していない2歳の娘は、キョトンとして私に、
「おかあたん(お母さん)これ読んで」
と本を持ってくる。
そんな娘の横で息子たちは、
「お母さん、お母さん、お母さん、お母さん!!!!」
「こっちが悪い!あっちが悪い!」
「あっちが!・・・こっちが!」
と、私に訴えかけ、長男か次男のどちらが悪いのかをジャッジしろと言ってきます。
母親が長男か次男のどちらの見方をするのか、どちらを庇うのか、それを知りたい!そんな感じでした。
記憶があまり残っていませんが、私は殴られ続ける次男を私の身体で守っていた様な気がします。
長男が全力で次男に向けた拳が私に当たり、身体的な痛みと、精神的苦痛が重なり、絶望感のような、とても悲しくて、とても苦しくて、とても痛かった事をなんとなく覚えています。
次男も、手足をばたつかせ、力の限り長男にやり返していて、私は2人共が殴られないように!と2人の間に入り、私が長男にも次男にも殴られている状態でした。
・・・
6歳の次男は口の中がキレて血まみれになっている事もあり、 2歳の娘にそんな激しい喧嘩を毎日のように見せるのはとても辛かったです。
2人をとめる事が出来ず、私が居なければ殴り合いの喧嘩をやめるのではないか?と思い、娘を抱いて車に逃げた事もありました。
車に逃げ込むと、次男が私を探して声の限り叫ぶので、ご近所にその叫び声が聞こえていて、次の日に「昨日、大丈夫だった?」と声をかけられた事もありました。
それほど激しい喧嘩を長男と次男はいつもしていました。
・・・
長男がお出かけを嫌がり、次男と娘と3人でお出かけをすると何だかとても平和な気分になりました。 私は心の中で、
「えーーー!!!なにこれ?」
「これが通常の子育てなの?」
「楽過ぎない?」
「長男が一緒にいないと、子育てってこんなに楽なの?」
と思ってしまうのです。
・・・
私はいつも、周りの、仲の良さそうな家族を見ると、
「何でうちだけ?」
「何で私だけ、、、」
と思い、とても苦しい気持ちになっていました。
10 弟を完全拒否
10 弟を完全拒否
長男は2歳3か月でお兄ちゃんになりました。
生まれてからお兄ちゃんになるまで、長男はスーパーで反りくり返って大泣きする、などの一般的な2歳児のような手を焼く行動はほぼなく、私を困らせる事もなく、手がかからない落ち着いた子どもでした。
先に子育てを始めている友人や、姉や親からも子育ては大変、と聞いていましたが次男が生まれる前まで私は、
「いつ、どんなふうに子育てが大変になるのかな?」
と思っていたほど、長男はとても育てやすい子どもだったと思います。
子育てを大変と思う事もなく、ただただかわいいな、と思いながら私は長男を育てていました。
・・・
次男が生まれた際、我が家に遊びに来た、長男と同じくらいの年の子供が、まだ生まれたてで首も座っていない小さな次男を想いのままにいじりまくるので、周りにいた皆が、
「次男君のお兄ちゃんが長男君で良かったね」
「絶対に意地悪したりしなさそうだもんね」
と言い、私も本当に長男がお兄ちゃんで良かったな、と安心していたほど、長男は穏やかで優しい子供だったのです。
・・・
次男が生まれてからしばらくは長男はそれまで通りに落ち着いていましが、次男が3か月になる頃から、長男の次男に対する不適切な行動が始まりました。
長男は、
「次男だけでなく、僕も構ってよ」
と泣いたり、甘えたりするのではなく、次男に対してとても暴力的になっていきました。
次男を叩いたり蹴ったり、ソファの上からまだ乳児だった次男のお腹をめがけて飛蹴りしたり、次男のお腹の上でジャンプしたり、赤ちゃんにとってはとても危険な暴力行為を始めたのです。
私は、上の子がやきもちを焼くと、叩いたり、蹴ったりすると聞いていたので、長男は俗に言う赤ちゃん返りをしているのだと思っていましたが、長男の次男に対する暴力行為は次第にエスカレートし、私が全身を使って次男を守らなければならない程、次男を叩く日が出てきました。
私は長男に、
「叩いちゃだめだよ!次男君痛いよ!」
と注意すると、長男は、わんわんわんわん泣きながら、
「赤ちゃん捨ててきて!赤ちゃんを捨ててきて!」
と2時間以上も泣き叫びました。
私が、 本当に捨てていいのかと聞いても、長男は、本当に捨ててきて!と泣き続けました。
そんな事の繰り返しは、私も、長男も、次男も、毎日心がすり減り、泣き疲れ、全員でソファで寝落ちしてしまうほど疲れ果て、幸せとは程遠いものでした。
・・・
あまりにも長男の赤ちゃん返りが酷く、私はこの先、どう子ども達を育てたら良いのか分からなくなり、長男の赤ちゃん返りで困っている事を保健センターへ相談に行くことにしました。
とても困っている、と相談しましたが、保健所では、
「お兄ちゃんを可愛がってあげて下さい」
「子育てとはそんなもんですよ」
と言うだけでした。
別の知り合いに長男の次男への酷い暴力に悩んでいる、と相談をしても 、
「どこの兄弟もそんなもんだよ、一緒一緒!」
と言われるだけ。
誰に相談しても、解決策を提示される事はありませんでした。
その頃から私は子育ての大変さを痛感するようになっていきました。
次男の生後3か月から、長男が次男を受け入れることは一度もなく、長男は常に次男に、
・暴力的に接する
・次男を一切認めない
・大人が次男を抱くことを許さない
・大人が次男を視界に入れる事を許さない
・私が次男におっぱいをあげるのを嫌がる
・次男が同じ部屋にいる事を許さない
・私が次男を優先する事を一切許さない
・周りの大人が次男に話しかけるのを極端に邪魔する
長男が親族に会い、その中の誰かが次男を抱こうとすると、
「~ちゃん!(長男の名前)を抱っこして!」
と言い、長男は自分の両手をいっぱいに広げ、誰にも絶対に次男を抱かせませんでした。
・・・
私は次男に離乳食を与えるとき、ダイニングテーブルの下に次男を入れて長男の視界に次男が入らないように次男を隠し、長男と私と次男で過ごすその部屋から、次男の存在を消すようにしていました。
長男と仲良く話をしながら、私は手をテーブルの下に伸ばし、次男にこっそり食事を与えていた記憶が残っています。
次男が生まれる前までは、毎日穏やかに子育てができるほど育てやすかった長男は、次男が生まれた後、とても育て難くい子になっていったのです。
・・・
子供たちの年齢が上がっても長男のその育て難さは変わることはありませんでした。
長男はずっと次男を見下し、認めず、常に次男を邪魔な存在として馬鹿にしているように、私は感じていました。
長男が次男を、常に邪魔者扱いするため、次男は次第に長男の顔色を伺いながら行動する様になりました。
後にそれは、次男の情緒の発育に多大な影響を与えていきます。
私は、長男にこんな質問をした事があります。
「お兄ちゃん、もう一人赤ちゃんが生まれたら嬉しい?」
と私が聞くと、長男は、
「絶対に嫌だ!怒られるのが3回になる!絶対にいらない!絶対に!」
と激しく拒絶しました。
日にちを変えて、私が何度同じ質問をしても、長男から返ってくる回答はいつも同じでした。
長男は次男のせいで自分が叱られるようになったと思っているようでした。
長男からしたら、長男に対してとても優しく温かかった私の態度が、次男が生まれてから変化した、と思っていたのかもしれません。
そして、2021.6月頃から、【完全不登校】になるまで、長男の次男、妹に対する暴力行為は凄まじいものになっていきました。
9 自己中心的で暴力的な日々の事
9 自己中心的で暴力的な日々の事
当時私は度々、長男に対しての不満を姉にラインしていました。
・とにかく欲が凄い
・物欲にしろ独占欲にしろ所有欲にしろ 、僕、僕、僕。僕ばっかり
・次男にも絶対何も貸さないし、触らせもしない
・将来が本当に心配 この子こんなに自己中でどうやって生きていくんだろう、、、
・もう話も通じないしお手上げ
・長男の生意気さは半端なく、主人にも馬鹿にしまくる!
・なんでこんな風になっちゃったんだろう、、私のせいなの?
・長男があまりに自己中すぎて優しい主人もさすがに今日凄い怒ってた!
・もう毎日が地獄絵図、いつまで続くのこの生活、、、
・もう嫌だ
そんな内容ばかりです。
この頃、長男は常軌を逸して訳の分からない事を言うようになっていました。
何一つスムーズに事が進まず、とにかく私を困らせるのです。
長男は、全ての事で次男よりも優先され次男よりも多く与えられなければ絶対に納得しませんでした。
・・・
この頃から、長男は就寝時間の10時頃になると漫画を読み始めるようになりました。
皆が寝る時間になるとわざと大声で笑い、ワーワー叫びながら漫画を読むのです。
サッカーを習っていた長男は、次の日がサッカー練習で早朝起きなのにも関わらず、私に反抗し23:30になっても漫画を読むことを、わざとやめませんでした。
・・・
家族は全員同じ部屋で寝ており、両親、8歳、6歳、2歳が同室で寝ている為その時間に漫画を読み始めると私は本当に困りました。
漫画は2冊あり、 次男も同じように読みたがりました。
私が、長男に、
「一冊貸してあげて」
とお願いすると、長男が、
「嫌だ」
と拒否しました。
私は、2冊一気に読めないのだから、貸してあげてほしいと頼みましたが、 長男は、
「嫌だ」
としか言いません。私がイライラし呆れた感じで、
「は?何が嫌なの?」
と聞くと、長男は、
「嫌だから、僕のだから」
と意地でも貸してくれませんでした。
私は、長男のいつものその意地悪な感じに心底イライラしていて、
「あんたのじゃないよね、それ、皆のじゃん、皆のって言って貰ったんでしょ」
と怒りましたが、長男はそれでも、
「嫌なものは嫌」
と言い、絶対に貸してはくれませんでした。私は切れかけて、長男の事を睨みつけました。
そのやり取りを聞いていた次男が、
「僕も見たいー僕も見たいー」
と泣き出しました。 早く寝かしつけたい私は、長男に、
「もーーーー、寝る時間なんだし早く貸してよ!」
と怒りました。明らかに不服そうな長男は、怒りに任せて次男の顔に、
「はい、どうぞ!!!」
と漫画を投げつけたのです。次男がその漫画を読もうと本を開くと、 長男が、
「やっぱりそっち貸せよ」
と次男に貸した漫画を奪い取りました。
次男が長男に漫画を渡し、別の漫画を読もうとするとまた長男は、
「やっぱりそっち貸せよ」
と意地悪を言います。
そんな事を何度も何度も繰り返していました。
それを見ていた私は、
「もー、いい加減にしなって!」
と長男を厄介だな、という目で見ても、長男は永遠に次男に漫画を読ませませんでした。
次男は、悲しそうな目で私をずっと見ていました。
私は、長男にかなりきつい言い方で、
「ねー、何なの?減るわけじゃあるまいし、何で一つずつ読めないの?」
「あんたはどれだけ意地悪いの?」
「あんた、何なの?」
と長男の人格を否定し続けました。
・・・
昔から長男は、次男に自分の持ち物(と決めつけている物)を一切触らせませんでした。
サイズアウトした服も「僕のだからダメ!」と言って下に回すことはできませんでした。
とにかく面倒で、こだわりが強く、両親が神経を使う子と私はずっと長男に不満を抱いていました。
・・・
その日は、私が何を言っても23時30分を過ぎても長男は電気を消さず、漫画を読み続けていました。
私は、皆が眠れないから、電気を消してほしい、と不快感を丸出しにして声を掛けましたが、長男は、
「電気を消したら僕が漫画をよめない、だから消さない」
と言い切りました。 私は、長男に、
「じゃー、別の部屋で読んでよ」
とお願いしましたが、長男は、
「無理」
と言って、意地でもその部屋の電気を消さずに漫画を読み続けました。
私は長男のその態度が不満で、不快でたまりませんでした。
別の日に、リビングで宿題をやっている時には、
長男は、
「うるさい、全員あっちにいけ」
と言い、私が呆れて、
「あんたがあっち行けばいいじゃん、皆の場所だよ」
と言うと、長男は、
「無理」
とだけ言いました。
冬にエアコンを低い温度でつけている長男に、
「え、冬だよ!寒いんだけど!」
と言えば、長男は、
「僕は暑い、何で僕の意見は聞いてもらえないの?」
と言いエアコンを消してくれない。
いつも、どんな事でも長男は自分の要求が通るまで要求を言い続け、やり続けました。
私は長男の事を、本当に自分の事しか見えていない、思いやりのない子と決めつけていました。
私はいつしか、怪物のような子を育てているような気分になり、長男にどう接する事が良いのか分からなくなっていました。
8 夏休み祖父母宅での出来事
8 夏休み祖父母宅での出来事
2021年8月
夏休み、私は長男の反抗的な態度への対応で、既に精神崩壊しそうな程疲れ切っていましたが、子どもたち3人を連れて私の実家の祖父母宅へ行きました。
大好きな祖父母と過ごせば、長男の気持ちは少しは落ち着くかな・・・、と期待していましたが長男のわがまま行動、無気力な態度は祖父母宅でも変わる事はありませんでした。
長男は元々は活発な子でしたが、祖父母宅での長男はソファから動かず、ずっとテレビを見ているだけでした。
当時の私は子供はとにかく外で元気に走り回っていてほしい!と切に願っているような母親で、テレビばかり見ている子供たちの事が気に入らず、外に遊びに行くように促していました。
子供たちはゆっくりテレビを見ていたかったようで、私の声には無反応でずっとテレビを見ていました。
・・・
しばらくすると、私の友人とその子供たちが遊びに来てくれました。
子供たち同士は以前からよく遊んでいて、とても仲良しでした。
下の子2人は、友人の子達が来ると喜び、私も一緒に祖父母宅から20mほどの、すぐ近くの公園へ行きました。
テレビを見ていた長男には「後からきてねー」と声をかけました。
しばらくの間外で遊んでいても、長男が全然家から出てこないので、私は長男を呼びに行きました。 長男に、
「~君待ってるよ」
と言うと、長男は、無表情で少し頷きました。
だらだらしている事にイライラしがちな私は、長男のペースは無視して、しつこく何度も何度も、外へ行くように言いました。
長男は、何度言ってもその場から動かず、私の問いかけに無表情で頷くだけでした。
・・・
私は長男の子育てに悪戦苦闘していること、長男にどれ程神経を使い、育てるのが大変かを両親に愚痴っていました。
私の両親は、
「何か疲れているんじゃない?」
「とにかく、長男のペースで動かしたらいいんじゃない」
と長男をかばいました。その言葉を聞いた私は、
あー、また私の気持ちは分かってもらえないんだな・・・
と内心で思いながら、長男が異常なほどにマイペースな事、そんな長男と毎日過ごす事はとても疲れるという事を話し、
「私の大変さは貴方たちには絶対に分からない!」
と言わんばかりに、長男を強く否定しました。
・・・
祖父母宅から帰るその日は、家族でキャンプに行く予定でした。
私の中では9時には祖父母宅を出て、1時間半かかる自宅へ向かい、その後、キャンプの支度をしようと決めていました。
全員が車に乗り、エンジンをかけて長男が車に乗るのを待っていましたが、どれほど声をかけても、長男は一向に車に乗りませんでした。
長男はソファに吸い込まれるようにずっしりとソファに座り、ずっとテレビを見ていました。
長男の異変に気が付いていて、優しく接していた方がきっと良い、と思っていた私は、
あの子のペースに合わせてしばらく待とう!と思っていて、長男に、
「見ているテレビのキリがついたら帰るよ!」
と声だけかけて長男が来るのを待っていました。
・・・
帰ってからキャンプの準備をしなくちゃ!と思っていた事、長男の反抗的な態度に対する日々のストレス、この子はどうなってしまったの?という不安、そんなマイナスな感情の蓄積で私のイライラはピークに達していました。
玄関で私が長男を待っていると、内容は覚えていませんが、母親が何か私に言いました。
決して私を否定するような事ではなく、上手くいかない子育てに落ち込み、長男の態度にイライラいしている私を励ましてくれていたのだと思います。
気持ちに余裕の無い私は、なぜか母親のその言葉でストレススイッチが、完全にオンになりました。
ストレススイッチが入ったまま、私は1時間以上長男を玄関で待ち続けました。
1時間ほどすると、やっと長男が体を引きずるようにして動き出しました。
長男は他の家族を待たせた事に謝罪はせず、待たせる事が当たり前かのように助手席に乗り込みました。
私は、自分でも完全に理性を失いかけており、感情のコントロールが効かなくなっている事に気が付いていて、心の中で、今、私はきっと黙っていた方がいい、私が今長男に抱いている感情を、絶対に口に出してはいけない。
そう頭では考えるのですが、元々思っている事をすぐに相手に伝えてしまう性格の私はその感情を抑える事が出来ませんでした。
私は車に乗り込んだ長男に向かい、叫ぶように、
「あんたさー、いい加減にしなよ!」
と、怒鳴り散らしました。
長男は完全に顔が引きつっていましたが、そんな長男に向かい、私は意地悪で、
「今日のキャンプなしね」
と、言い追い打ちをかけました。長男は、泣き叫び、
「何で!?行く!!!」
と、泣いていましたが、私は怒りのままに、
「は!何言ってんの!?あんたのせいじゃん!」
「あんたがもたもたもたもたしてるから、キャンプに行く時間に、間に合わないじゃん」
と、長男が全て悪い!と思わせるような言い方で長男を責め続けました。長男は、泣きながら、
「行きたい!!!行きたい!!!」
と、叫んでいましたが、私はそれでも意地悪を言う事を止めずに、白けた感じで、
「行くわけないよね、バカなの?」
と、長男に向かって言い放ちました。長男は、なおも、
「行きたいーーーー。」
と、泣き叫び続けましたが、私は長男に向かい、とても嫌な言い方で、
「おじいちゃんも、おばあちゃんも、あんたのわがままさにびっくりしてたわ!」
「何あの子って言ってたわ!」
(実際は言っていません。優しく見守るように言われていました)
と、私は長男が傷つく言葉を選んで、探して、傷つけよう、傷つけよう、と酷い言葉を浴びせ続けたのです。
傷付ければ長男は悲しみ、良くない行動を改める、それが子育てなのだ、と信じていました。
・・・
帰り道の車内で、その言い合いは永遠に続き、私は運転しながら長男の服を掴み、
「もー、何なの!何なの!何なの!何なの!」
「何が気に入らないの!ねー!ねー!!ねー!!!何が気に入らないのか聞いてるじゃん!」
「ねー!!!答えなよ!言いなって!」
「あんたなんて!・・・あんたなんて!」
と長男を揺さぶってドアに何度も何度も叩きつけていました。 長男は、
「うーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
と唸りながら、目を吊り上げ、泣きながら、歯を食いしばって、小さな体で私に向かってきていました。
完全に精神が崩壊して正気を失っている私は、叫んでいる状態で、主人に電話しました。
主人に、いかに長男がわがままで、祖父母にも迷惑をかけたか、をギャンギャン泣き叫びながら訴えかけたのです。
主人は、
「あなたの今の精神状態は普通じゃないから、とりあえず車の運転をやめて!」
「一旦車を止めて!」
「取り合えず落ち着いて、事故るよ!子供3人乗ってるから!」
「まずは車止めて!!今すぐ車止めて!!!そこから話を聞くから!!!!」
「分かったから!!!!!とにかく、今すぐ車止めろって!!!!!」
と、電話越しに叫んでいました。
後ろに乗っていた次男と娘は静かにその風景を見ていたと思います。
7 夏休み前、姉に送っていたライン
7 夏休み前、私が姉に送っていたライン
2021年7月4日
私には姉が2人います、この時期私はその姉たちに、長男が驚くほど言う事聞かない事、主人にまで食ってかかり、噛みついたり暴れ回ったりする事、長男の反発が酷くて困り果てている事などを相談していました。
私自身も子供への接し方が良くない事は分かっていましたが、日々の忙しさを理由に、子供たちに優しく接する気持ちの余裕がない事を話すと、姉たちは、
「子供なんだから、たまには反抗するんじゃない?」
と言っていました。
私はラインで姉たちに、
「長男の酷い反抗は毎日だよ!」
「これくらいの年齢の子だと中間反抗期ってあるの?こんなに酷いの?正常の子供とは思えない」
「家族がリビングで話をしているだけで、長男が、
『てめーら うるせーんだよ!黙れ!』
『テレビ見てるんだよ、お前ら全員うるさくて聞こえん!別の部屋行け!』
と、言ってくる事。
毎日毎日馬乗りで殴り合いの兄弟喧嘩をしている事。
など、とにかく長男の異常行動の酷さを理解してもらおうと、長男の悪い部分を姉たちに伝え続けました。更に私は、
「3人産んだけど私はやっぱり子供は好きじゃない!それが子供に伝わっているんだ!」
「全然可愛くない!子供なんて煩わしいのみ!」
と、長男の不満をぶちまけ、酷い言葉を言い続けていました。姉は、
「いくつになっても我が子は可愛いものだよ!」
と、私の気持ちを聞きながらもはげましてくれていましたが、私は、【子供がかわいい】と言う気持ちを理解できず、
「ほんとに可愛いの?可愛いという感情が本当にないんだけど・・・」
「【我が子 かわいくない】で何回もネットで検索しちゃってる」
「調べていくと結構いるよ、我が子を愛せない親!」
「産んだんだし、育てなきゃ無責任だし、可愛がらないのは子供が可哀そうだとは思うけど、どうしても可愛くないって思ってしまう」
「産む前に自分がそんな気持ちになる事を分かっていればよかったけど、産まなきゃ分からない事だよね」
「私は子供無理!」
「長男に私のそんな気持ちが伝わって、悲しくて暴れまくるんじゃないかなって思えてきた」
「この前、長男に『お母さんは、僕が嫌い!気持ちが見える』って!」 言われたんだよね、、、」
と長男が聞いたらとても悲しむであろう内容のラインを姉達に送っていました。
・・・
2021月7月22
そんな気持ちで毎日長男に接していると、長男はどんどんと、どけとげしい子になっていきました。
ある日、長男が料理を作っていて、主人が長男が使おうとしていたまな板を先に使ってしまった時の出来事です。
先に長男が使っていたまな板を主人が使ってしまい、長男が、
「僕が使っているのに!」
と怒り出し、主人に向かって、
「あいつが使いやがった!」
「俺がやろうとしてるのに!」
とキレて泣きじゃくっていました。主人を指さして、
「あいつは自己中」
「邪魔」
「うわーーーーーー」
と言い、暴れだしたのです。
そもそもが長男が料理を始めた理由は、私と長男とで言い合いになり、文句ばかり言う長男に自分でご飯を作る様に私が言った事が、事の始まりでした。
そんな長男の態度を横で見ていた主人が、長男のその態度にキレて、手に持っていた食材を床に投げつけていました。
私は毎日繰り返される、この訳のわからない長男の反抗的態度に疲れ果てていて、2人の争いを白けて無視していました。
家庭内の空気は張り詰めていて、とても嫌な雰囲気になっていました。
当時私は姉にラインで、長男への想いを伝えていました。
・性格が悪い
・捻くれてる
・あいつ、やばい
・バカすぎる
・うんざり
・全く我慢しない
・私との相性が悪い
・全然可愛くない!
・親って疲れる
・子育て辛すぎる
などと、長男に対し悪態をつきまくっていたのです。
6 行き渋り前の数か月間の出来事②
6 行き渋りまでの数か月の出来事②
2021年8月
猛暑の夏休み、所属しているスポーツ少年団のサッカーの試合がありました。
長男も私も6月頃からの心のすれ違いと毎日のぶつかり合いで心がすり減っていました。
サッカーの試合中、幼い下の2人を直射日光の照りつける中待たせる事は心配だったこともあり、私は下の子たちを実家に預けました。
下2人を実家に預け、私と2人きりになると、長男は何もわがままを言わず穏やかで優しく、2人でご飯を食べに行くと楽しそう話を沢山してくれて、とても仲良く過ごすことができました。
その日は、夕方から私の友人が子供を連れて家にお泊りに来て、 長男は友人が連れてきていた幼い子どもととても穏やかに優しく遊んでくれていたので、私の友人が、
「長男君、優しすぎるね」
「なんていい子なの!凄い優しい!」
と言ってくれたことを覚えています。
私は長男の激しい反発への解決策を見つけ出すことができず、毎日インターネットで、
【9歳の壁】
【10歳の壁】
【プレ反抗期】
【反抗的な態度になる】
そんなワードを検索し、
え?この反抗は普通なの?
この記事にかいてある9歳の壁なの?
9歳の壁なら一時的なものなんだよね?
と自分を安心させようと、安心出来るような記事を必死に探して読んでいました。
数日後の別のサッカーの大会の日、サッカーが上手な長男は、人数調整で3年枠ではなく、4年枠で出ることになりました。
長男は、
「嫌だ!嫌だ!3年がいい!!!4年なら出たくない!」
と泣きそうになっていて私は長男に、
「そりゃ、3年枠で出たいよねー」
「次からは3年枠にしてってコーチに頼んでみたら?」
と軽い感じで長男に言いました。
試合当日、会場で別の小学校へ行った何人かの幼稚園時代のママに会いました。
試合前の空き時間、私はそのママたちに、
「~君、反抗してこない?うちやばいよ!半端ない!これ9歳の壁なの?皆そうなの?」
「もーーー、滅入るよ」
と、長男が私の横にいる事を気にもせず聞いていていました。
試合が始まり、長男はコーチの指示を聞かず、フィールドの上でほとんどプレーをせずにただ呆然と突っ立っていました。
その姿を見ていた主人も私も、
「あーあ、ついに、コーチの言うことも、聞かなくなったね」
「あの子、4年枠が嫌だからだよね、嫌なこと、本当にしないよね」
「困ったもんだよね」
と、呆れていました。
その頃から長男は全ての行動において異常にに時間がかかるようになっていきました。
顔つきはいつも険しく、目が吊り上がり、扱い辛く、周りに気を使わせる行動が増えていきました。
昔から長男を難しい子だな、と思っていた私は、
「あー、でたでた、まただ」
と呆れていて、私の長男に対する苛立ちは加速していきました。
私の中に、日に日にわがままになる長男に厳しくしなければ、もっと躾けなければ、という親としての想いと、
いい加減にしてよ!どれだけ面倒くさい子なの!という怒りの感情が混在し、頭の中も気持ちもぐちゃぐちゃになっていました。
そんな思いを私は隠しもせずに長男にぶつけ、長男とぶつかる回数がどんどん増えていきました。