2023年10月の記事一覧
5 行き渋り前の数か月間の出来事①
5 行き渋り前の数か月間の出来事①
2021.6月頃から、長男と私の関係は、日に日に悪くなっていきました。
それと同時期、長男は元々几帳面で4月には丁寧に書いていた連絡帳の文字が、6月には読むことが難しいほどにぐちゃぐちゃな殴り書きに代わっていました。
この頃、私は、長男に対してこんな感情を抱いていました。
・何でこんなに言う事を聞かないのだろう
・何でこんなに弟を虐めるのだろう
・何でこんなに暴力的なのだろう
・何でこんなに自分、自分なのだろう
・何でこんなにマイペースなのだろう
・何で全て自分優先じゃなきゃいけないのだろう
・何で人を優先できないのだろう(家族のみ友人には優しい)
・何でこんなにこだわりが強いのだろう
・なんてわがままなのだろう
・なんてかわいくないのだろう
・私との相性が悪い
・私と合わない
・何て難しくて育てにくい子なのだろう
何で、何で、何で、何で、何で。
私は長男を【こうゆう子】と思い込んでいました。
【こうゆう子】を!躾けなきゃ!叱らなきゃ!正さなきゃ!と思っていました。
誰に相談しても、どこに相談に行っても、適格なアドバイスは得られませんでした。
「躾けていきましょう」
「言い聞かせていきましょう」
皆同じ、そんな感じのアドバイスだったと思います。
そのうち私は、長男と喧嘩をすると、長男だけを家において、下2人と出かけるようになりました。
長男も意地になり、
「行かない!」
と言い、私も本当に長男をおいて出かけてしまいました。
私は長男に聞こえるように下の子達に、
「行こ、行こ、早く行こ」
と、わざと彼が孤独を感じるような話し方をして出かけていました。
突き放せば長男は悲しみ、反省し、反抗をやめる!と思っていました。
もうこの子をどう躾たら良いのか分からない!
と、思っていた私は、長男を突き放し、傷つける事ばかりしていました。
そんな日々を過ごす中、長男が家の棚にあったお金を持ち出しました。
4000円程なのですが、8歳児にとっては大金です。
私がそれに気が付いたのは、長男の筆箱の中に、10本以上のマーカーペン、電動式鉛筆削り等、見た事のない文房具が沢山入っていたからです。
それを見つけた私は長男に尋ねました。
会話は覚えていませんが、確かこんな感じです。 私は、見つけた文房具を長男に見せ、
「これ何?」
と、聞きました。長男は私を視界に入れず、顔を引き攣らせ、ずっと黙っていました。それでも私は諦めず、長男に、
「ねー、何って聞いてるじゃん」
と、問いただし続けました。
長男は私を無視し、テレビを一点集中で見ていました。
その日は主人も家にいたので、私は主人に向かって、
「ねー、この子、ついに、お金盗んだんだけど、ありえないんだけど」
「こんな事許していいの?ダメじゃない?」
言う事を聞かない問題児の長男が、ついにお金まで盗んだ!どーなってるんだ!と言わんばかりに主人に言い、主人は長男と何か話しはじめました。
確か、嘘はいけないから、正直に話して、とかそんな話でした。
私はその時、長男がなぜお金を持ち出したのか、欲しいならなぜ買ってと私に言わなかったのか、等をきつく問いただしました。
私の表情は、
「あんた、何やってんの?」
「人として終わってるよね」
と言わんばかりの、愛の無い、責め立てるような表情だったと思います。
私は長男の悪い行為を、さらに自信を無くす様な口調で叱り(怒り)責めました。
言い訳、言い分は聞きませんでした。
長男も私にお金を盗んだ理由を話しませんでした。
夏休みに入り、長男の異変はより一層加速していきます。
4 不登校予備軍な出来事
4 不登校予備軍な出来事
長男が生まれてから【完全不登校】になる前まで、振返れば、不登校予備軍だったな、と思われる出来事がいくつかありました。
2017年 年中(4歳)の秋
長男は突然、
「僕、幼稚園に行かない!」
と寝る前に寝室で泣き始めました。
はじめは、まだ長男は4歳で小さいし、行きたくない時もあるよね、と思っていました。
それでも私は、体調が悪くもないのに幼稚園を休ませて、長男と次男を1日中1人で面倒を見るのは大変なので、
『なんとか幼稚園に行ってほしいな』
と思っていて、正門で立ち止まる長男の手を引っ張り、何とか幼稚園へ登園させていました。
泣いている幼稚園児はちらほらいました。先生も、
「みんな泣く時期がありますよ」
「みんなが通る道だよね、ママがいいよね」
と言い、
「お母さん、皆泣くから心配しないで大丈夫ですよ」
と長男を教室へ連れて行ってくれました。
長男は振り返って不安そうな目で私を見つめていました。
そのうち元気に行き始めるだろうと思っていましたが、長男は2週間ほど毎日毎日寝る前に、
「行きたくない!」
と泣き続けました。
あまりに泣くので、何か原因があるのではないか?と先生に相談しました。
先生は、
「長男くん、【年長さんを送る会】でセリフを言う役なのですよ」
「お遊戯会の参加も得意ではないし、もしかしたらそれがストレスなのかもしれませんね」
と言われ、私は、原因が分かって良かったな、と安心しました。
2019年 小1(7歳)の冬
今回ブログを始める時に、私はいつも不登校相談をしていた姉との昔のラインのやり取りを読み返していました。
その中にこんな文章がありました。
姉:
「長男、落ち着いた?」
私:
「声のかけ方を優しくして、叱り方を変えたら落ち着いてきたよ」
「でも1年生とは思えないような反抗で、旦那さんも「なんなの?長男どうしたの」って言ってた」
姉:
「構ってほしいのかな?」
私:
「さみしいの?不安なの?」
姉:
「母親の気を引きたいんじゃない?構ってほしいんじゃないの?」
私:
「なんかのSOSなのかな?」
「何かが不満で反抗しているの?」
「もしそうなら、小さいうちにSOS出してくれて良かったのか・・・」
長男の反抗が酷くなったこの時期、私は長男に、優しくしよう、優しくしよう、と思っていました。
それでも、私自身に染み付いている間違った子育て法は、長期的に劇的に変化しませんでした。
少しの期間優しくして、長男が安定し始めると、私はまたすぐに、厳しい話し方で長男に接するようになりました。
・・・
反抗が激しかった時期とは別の時期の1年生の冬、長男は体が動かなくなり学校へ行けない時がありました。
朝学校へ行こうとするのですが体を引きずり、起き上がれず、本当に動けないようでした。
体調不良の症状はありませんでした。
私に説得され、長男は結局遅刻して学校へ行きました。
担任の先生に事情を話すと、担任の先生が、
「長男さん、今日お昼の放送、当番なんですよ」
「みんなが聞いているお昼の放送でお話するんです」
「もしかして、それが不安だった?」
と、長男に尋ねていました。
長男は、
「うん・・・」
と頷き、
「何のじゃんけんしてるのか知らなくて、皆のじゃんけんに入ったら、勝っちゃっただけ・・・」
「本当は放送になんて出たくない」
「僕はとても不安で、学校へは行きたくなかった」
と話していました。
その時も私は、
『あー、原因が分かってよかった、この子は人前で何かをするのが嫌な時、学校へ行きたくなくなるんだな』
と原因が分かった事で少し安心しました。
・・・
2020年 小2(8歳)の冬
小2の冬、長男は長期で体調を崩しました。
体調不良があまりにも長いのでメモを取る事にし、治らないので小児科へ連れて行きました。
以下は当時のメモです。
【メモの内容】
・2/22 朝元気、公園で10時から4時まで遊ぶ
・夕方から、猛烈なだるさで立てない
・24.25.26 元気だが、だるさがあり目元が体調不良時の様子なので、学校を休ませました
・風邪症状無だが、いつも絶対に昼間寝ない子が、16時から22時まで寝て、食事後22時半から朝まで寝ました
・24日はおねしょをしました
・ここ数年、一度もありません
・27.28 元気?いつもよりは、体が重い様子だが、風邪症状なし
・箸を持てないほどに、手に力が入らないと言う
・3/1.2 特に気になる点なし
・3/3 喉の痛みが出だす
・3/4.5 咳、鼻詰まり、痰
・3/6.7.8 耳鼻科受診 抗生剤処方してもらう
・3/9 夕方急に動きが止まり、頭が痛い動けないと言う
・10.11.12
・3/13.14 下痢気味
・朝8時からスポ少のサッカーへ行く予定だったが、身体が動かないと言う
・今まで一度もありません
・自転車に乗れず、漕げずに何度か転倒しました
・とてもサッカーができない、と言うので休ませました
・学校を休んだので、さぼり癖かな?とか色々考 えましたが様子が少し違います
・その後、10時から元気になりました
・体中が痛くて重いようです
・夕方様子を聞くと、頭を後ろに傾けると、首のあたりなのか頭なのかが、とても痛いと言っていました
・通常はとても活発で、ずっと運動しているような子です
・今も常に元気なのですが、急にだるさ、手足も力が全く入らない、等の症状があるようです
・元気になったり、動かなかったりを、1か月ほど、繰り返しています
調子が悪くなる前、長男は毎日二重跳びを80回以上連続で跳び、頭に酸素がいかなくなったりしていないか、何か発見しにくい病気じゃないか等、心配です。
1か月、様子を見ましたが、だるさ、手足の力が抜けるのが治らないので、大きな病院で精密検査したいです。
以上がメモに残っていた私の走り書きです。
子供のメンタルの知識のある小児科医ならば、この時点でメンタル不調に気が付くはずです。
この病院ではメンタル不調の可能性すら指摘されず、長男のメンタル不調は発見されませんでした。
小児科医は、
「性格が急変していますよね」
「そんな事はおかしいから、脳に何か腫瘍ができているかもしれませんね」
「その腫瘍が脳の何かの機関を刺激して、性格が変わっているかもしれません」
「大きな病院で、MRIを撮りましょう!」
と総合病院の紹介状を書いてくれました。
・・・
私自身も不調があれば病院に連れて行く、そこで言われたことが全てである、という認識で子育てしており、長男のメンタル不調の早期発見には至りませんでした。
そのまま春休みに入りました。
その後、私が長男の体調不良の事をすっかり忘れてしまうほど、長男は元気な姿に戻りました。
しかし、長男は2か月ほど経過した6月あたりから、驚く程情緒が乱れ、反抗的になり、荒れ始めたのです。
3 完全不登校までの42日間の事①
3 完全不登校までの42日間の事①
2021年9月2日(行き渋る)
学校へ行く時間になると、長男は無理難題を言い始めました。長男が、
「お母さんが『ご飯をソファで食べて良い』と言わなかったから、僕は今日学校を休む」
と言うのです。
私は、内心では、どうしよう、どうしよう、と思いながら、
「分かったお休みね!」
と言い、頑張って学校へ行かせようとはしない素振りをしました。
すると出発10分前、長男は、
「まだ、学校って間に合うの?」
と私に聞き、ゆっくりと学校の準備をし、学校へ向かいました。
・・・
2021月9月3日(学校へ行く)
長男は通常通り朝起きて、通常通りに学校へ行きました。
視線を足元に落とし、下を向き元気はありませんでした。
・・・
2021年9月4日(休日)
※我が家はこの時点でゲーム類を一切与えていませんでした。
YouTubeも知らなかったと思います。
その件に関しては後に記入します。
・・・
ゲームの無い我が家でしたが、この日【VRシューティング】を購入する事になりました。
初めてのデジタルのおもちゃが手に入る事で長男はとてもご機嫌でした。
私はご機嫌な長男に向かって、
「お母さんは、あなたの事を全く信用していないから、ゲーム時間を守れるとは思っていないから、約束事を紙に書いておいて」
「お母さんの字だと、僕は言ってないとか言いそうだから、あなたの字で書いてよ」
とゲームを楽しみにして機嫌の良かった長男に言いました。
見るからに不機嫌になった長男は、ふてくされながら紙に約束事を書いていました。
私は当時、デジタルな事に対して異常な程に強い不安感と嫌悪感を持っていました。
・・・
その日、私は次男と2人で次男のランドセルを購入しに行きました。
私は何かにつけて長男に文句を言われる事をとても恐れており、長男と同じランドセルを選ぼうとする次男に、
「お兄ちゃんと同じのだけはやめて、お兄ちゃんが絶対文句言うよ!面倒な事になるから、お願いだから、別のにして」
と頼みました。
私は新1年生になる次男がワクワクしながら買うランドセルの種類ですら、長男にケチをつけられることを恐れ、次男を我慢させようとしていました。
私は次男の気持ちを大切にする事よりも、とにかく長男に面倒なことを言われたくない!
あの子に何か言われる事は本当に嫌だ、そんな事ばかり考えるほど、長男との関係は悪くなっていました。
長男に対して腫れ物に触るような、厄介者のような感情を常に抱いていました。
・・・
2021年9月5日(休日)
長男、次男、娘を連れて友人達と公園へ行きました。
みんな赤ちゃんの頃から知っている幼馴染です。
長男の事をよく知っている1人のママが、遅れて公園に来た長男の表情を見て、
「あれ、長男君、本当に遊びたくて公園来てる?凄いテンション低くない?」
と私に聞いていました。
その日、長男は泥まみれで遊んでいましたが、家に帰りお風呂に入るように言うと、
「お風呂は嫌!」
「絶対に入らない!」
と言い、汚い服のまま、お風呂にも入らず、長男は眠りにつきました。
・・・
この頃の長男はほとんど笑わなくなっていました。
・・・
2021年9月6日(休む)
長男は朝起きましたが、学校へは行きませんでした。
長男は、
「お母さんが早く起こしたから、僕は学校へ行かない」
「明日からお母さんが朝7時5分より1秒でも早く起こしたら、絶対に学校へは行かない」
「僕が学校へ行かないのはお母さんのせいです、残念でした」
と言っていました。
・・・
2021年9月7日(学校へ行く)
長男は通常通りに学校へ行き、私には楽しそうに帰って来たように見えました。
長男は、妹(2歳)のお世話を進んでしてくれて、とても優しいお兄ちゃんでした。
その日は私に、やたらと抱き着いてきました。
私は、長男を抱きしめる事が苦手でした。
抱き着いてくる長男を抱きしめ返したりはしませんでした。
・・・
2021.9.8(学校へ行く、習い事行かない)
原因はわかりませんは、この日の長男は機嫌が悪く私と軽い言い合いになりました。
長男は喧嘩をした私に反抗するかのように、夜12時近くになっても意地でも寝ようとはしませんでした。
・・・
2021.9.9(休む)
長男が朝7時5分に自分で起きてきました。
朝食を食べ、7時45分までは学校へ行く気でいる様子でした。
そんな長男が出発直前に急な腹痛を訴えました。
その後、数回トイレに駆け込み、何度もお腹を下し、トイレから出てこられずに、学校をお休みしました。
午後には元気になり、今から行けばいいのに、と私は思っていました。
・・・
学校を休んだこの日、長男は私にこう言いました。
「お母さんは子供が嫌いだよね」
「顔を見ていれば分かるよ」
「お母さんは僕を信用していない」
長男の言葉を聞いて私が、
「え・・・信用しているよ」
と言っても、長男は、
「いや、僕は信じない、絶対に信用していない」
と言い切りました。
この日も長男はなぜか、夜10時を過ぎるとテレビを見始めました。
両親が、
「もう寝る時間だよ、寝ようね」
と声をかけても全くの無反応でした。
長男を残し家族全員が寝室で寝ていると、1時間ほど後に長男は自ら寝室にきました。
電気を消して全員が寝ている部屋で、わざわざ1番明るい電気をつけて、漫画を読みはじめました。
家族全員寝ている寝室で、長男はわざと不自然に大きな声で笑っていたので、
私は、
「下の子が起きるから、静かにしてね」
とお願いしましたが長男は無反応でした。
「ごめんね、お願い」
と私が長男を諭しましたが、諭せば諭すほど一層大きな声で不自然に笑って漫画を読んでいました。
私はもう、どう対応したらよいのか分かりませんでした。
・・・
当時私は日記に走り書きで、こんな事を書いていました。
・長男は話を聞いて欲しがってる?
・お母さん、僕を見て?と言ってる?
・長男と覚悟を決めて、向き合おう!
・自分が言われて嬉しい言葉だけ言おう!
・私が強くなろう!
・この子は大丈夫、と信じよう!
・長男には幸せで、いい子になってほしい!
・あの子を突き放さず「愛している、大切だ」の気持ちを常に心に留めて関わろう!
そんな事を思っていたけれど、下に6歳と2歳の子供がいる私は、長男にしっかり愛情をかけることが、なかなか上手に出来ませんでした。
心配しながら、何でこの子はこんなにも私を困らすのだろう?と困り果てていました。
2 夏休み明け前日の夜の出来事
2 夏休み明け前日の夜の出来事
2021.8.31
夏休み最終日の夜、長男は突然、
「僕、明日学校へは絶対行かない!」
と、言いだしました。
【不登校】という言葉すら知らなかった私は、
「40日間もお休みだったのに何を言ってるの?」
と、素気なく言ったような記憶があります。
・・・
長男は眠りにつく迄の10分くらい、ずっと私に、
「明日は学校へ行かない」
「絶対に行かない」
「絶対に行かないからね!」
と言い続けました。
寝室でそれを聞いていた私は、
{あー、怠け癖ー、夏休みボケー}
くらいに思ってました。
私は長男の訴えを全く重く受け止めてはいませんでした。
長男は生まれてから今まで、悲しい、辛い、苦しいと泣いて訴えることをあまりする子ではありませんでした。
威勢を張って相手を威嚇し、自分を守る、そんなタイプの子でした。
「学校を休む」
「学校を休む」
と言い続ける長男の訴えを私は、
相変わらず、本当にわがままな子だな、とイライラしながら聞いていました。
・・・
そして、一夜明けた、2021年9月1日、朝起こすと長男は、
「昨日の夜、僕行かないって言ったじゃん!」
と言い、起きてきませんでした。
私は、何甘ったれてるの?というオーラを出しながら、長男を起こし、その日はなんとか学校へ行かせました。
その日を境に長男は、行き渋る、休む、泣きわめく、暴れる等様々な異常行動を始めたのです。
そして、1か月半程過ぎた、2021年10月13日から、長男は1年半もの間、【完全不登校】になりました。
【完全不登校】になるまでの1日1日をこの後詳しく記入していきます。
1 はじめに
1 はじめに
これは、8歳の長男が、ある日突然不登校になり、芋づる式に、6歳の次男も、ゲーム依存に陥った我が家の、母と息子達の克服迄の成長日記です。
一年半の、地を這うような期間を経て、現在10歳になった長男は、毎日学校へ行き、帰ってからは、暗くなるまでキラキラしながら泥まみれで遊んでいます。
自信がなく、死んだ魚のような目をしていた6歳の次男は、8歳になり、苦手だった集団生活も克服し始め、自信を持って様々な事に挑戦したがるようになりました。
何よりも、母である私が、自分自身と向き合い、成長させてもらった一年半のお話です。
我が家で本当に起こった出来事を、ただただ淡々と、書き記していこうと思います。
もし今、お子様が不登校で苦しんでいる、児童精神科で、発達障害の診断名をもらい途方にくれている、または子供が反抗的で困っている方
私のブログを見て、親子は必ず再生できるのだ!と少しでも希望を持っていただけたらと思います。