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不登校復活の道(ブログ)

170 我が家に見えた少しの光

170 我が家に見えた少しの光

 

2022/4/14 

 

毎日次男の登校に付き添い教室まで同行していましたが、今日は下駄箱で「もういい」とすたすた歩いていきました。 

 

コロナ対策のため、健康チェックカードを下駄箱前で先生に渡すのですが、それはせず、帽子を目深くかぶり、下を向いたまま先生の横を小股で素早く素通りしていきました。

 

先生の「次男さんおはよう!」の声にも全く反応しません。 

 

行き道は、次男を少しでも楽しい気持ちにさせようと、私が一方的に次男の好きなゲームの話をしていました。

 

次男は何も言わず、私の話を聞きながら少しだけ微笑んでいました。 

 

この日、下駄箱で別れると、次男は姿が見えなくなるまで一度も振り返りませんでした。 

 

同じ日、下校時の次男の姿を見ると、周りの子たちがワイワイはしゃぎながら帰ってくる中、ポツンと1人だけ輪には入っていないけれど、並んで帰ってきました。 

 

入学式から、1週間しかたっていないので、割と早く環境に慣れてきたのかな?嬉しいな、という印象でした。 

 

・・・

 

長男は、「学校行きたい!」など色々言ったのは新学期始まって数日でしたが、顔つきが明るくなり、元気になってきていました。 

 

 

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169 長男が学校に行きたいと言い出す

169 長男が学校に行きたいと言い出す

 

2022/4/17(日) 

 
 
家族でプールに行きました。 プールへの道のり、車の中で突然長男が、 

 

「僕、学校行ってもいいよ」 

 

・・・ 

 

「でも、やっぱり、話し合いさせられるから嫌」 

 

「やっぱり行かない」 

 

と言いました。

 

・・・

 

遠くのプールに行きましたが、以前のような元気はなく、同学年の子がいると、少し体を隠すように小さくなり、すぐに帰りたがりました。 

 

・・・
 
  
プールの帰りに外食をすると、食事をしながら、長男が、 

 

「やっぱり、行こうかな、学校」 

 

と、呟きました。 
 
  
・・・

 

他にも、 

 

「お母さん、ゲーム時間は2時間に制限したい、時間になったら教えてほしい」 

 

「朝は9時に起こしてほしい」 

 

「できるか分からないけど、少しずつやってみたい」 

 

と私に言いました。 
 
 
親が、 

 

「ゲームの時間を気にしているだけで、素晴らしいよね」 

 

と伝えると、長男は嬉しそうに、 

 

「うん、ありがとう」 

 

とニコリと笑いました。 

 

長男が自分自身で、何とかしようと頑張っているように見え、 

 

「お母さんとお父さんは、長男が決めた事を全力で応援するね」 

 

と伝え続けました。 

 

私はこの頃、長男の前向きな言動から、何か少し光が見えてきている、きっとこの子は大丈夫と心が少し軽くなり始めていました。 
 

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168 生まれて初めて、長男が次男を認めた日

168 生まれて初めて、長男が次男を認めた日 

 

2022年4月10日 

 

長男が半年ぶりに公園に行きたいと言い出し、幼馴染を誘い公園へ行きました。太陽の下、元気な長男の姿を見るのは半年ぶりでした。 

 

・・・
 
 
次男は学校の時は無表情ですが、兄と【妖怪ウォッチ】のゲームをしている時はとても元気でした。

 

ゲームの時だけ、次男は生き生きとしていて、それ以外の時は一気に無感情になる、そんなふうでした。 
 

・・・

 

 
2022年4月15日
 
 
少しずつ元気になっている様子の長男が、次男に、 

 

「弟、かわいー!弟は心の友」 

 

と言い出しました。 
 
 
次男と【妖怪ウォッチ】のゲームをしながら、長男が、

 

「僕、弟、好きだよ」 

 

「結構好き、大好き、弟といると楽しいし」 

 

弟に向かって、 

 

「トランプやろ、スピードで勝負しよ!」 

 

と誘っています。 

 

え!今何て言った?と耳を疑いました。 

 

うわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、信じられない! 

 

遂に長男が次男を認め始めた! 

 

長男に、何が起こっているの? 

 

我が家ではありえない会話なのです。

 

いつも次男を馬鹿にし、絶対に認めなかった長男から、次男を肯定する言葉を聞いた事は今まで一度もありませんでした。 

 

私が長男に、

 

「弟に優しくしてくれてありがとう」

 

と言うと、長男は、

 

「そんな事ないよ、 弟が僕に優しくしてくれるんだよ」 

 

と言いました。

 

学校の話題を出しても荒れる事が少なくなった長男に、次男が通学団で帰ってくる姿の動画を見せると、 

 

「弟、緊張してるね、顔見れば分かる、頑張ってるね」 

 

と言いました。 
 

・・・

 

長男は私にも、 

 

「お母さん、プール行きたい!」 

 

「みんなで旅行もしたい」 

 

そんな楽しい会話を急に沢山するようになり、私は、長男の心はきっと凄く元気になってきているんだ!と、とても嬉しい気持ちになった事を覚えています。

 

 

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167 次男の脱走

167 次男の脱走 
 
 
次男の立ち歩きは相変わらずでした。

 

担任の先生は

 

「大体、いつも廊下でゴロゴロ寝そべっています」 

 

「でも、誰にも迷惑をかけません、授業を妨害したり、友達にちょっかいを出したりはせず、ただただふらふらしています」

 

「全く手はかかりません、僕も特に何も言わず、自由にさせています」 

 

と言っていました。 

 

・・・

 

当初私は、歩き回ると言っても、授業中に何度か離席してしまう程度だと勝手に思っていました。

 

ある時先生に、 

 

「次男はどれくらい離席していますか?」 

 

と尋ねると、先生は、 

 

「まぁ、15分・・・」 

 

と答えました。 私が、

 

「そうなんですね、15分くらい離席しているのですね」 

 

と長時間の離席ではない事に、私が少し安心した様子を見せると、先生は言いにくそうに、

 

「いえ・・・15分というのは、一日に席に座っていられる時間です」 

 

「それ以外の時間は、全て立ち歩いています」 

 

と言いました。 

 

「え・・・」 

 

「一日15分しか座らないのですか?」 

 

という私の質問に先生は、 

 

「15分座っていたら良いほうです」 

 

と答えました。  

 

うわぁ・・・ 

 

私が想像していたよりも、はるかに酷く立ち歩きをしている事が分かり、 

 

あ・・・聞かなきゃ良かった・・・胃が痛い・・・ 

 

と予想していた以上の次男の行動に、親としてどう対応して良いのか分かりませんでした。 

 

その頃、次男は毎日靴下に穴をあけて帰ってくるようになりました。 

 

本当に毎日毎日靴下の、足の裏の親指の下あたりの膨らんだ部分に500円玉位の大きさの穴をあけて帰ってきます。

 

靴下も、普通では考えられない位真っ黒で、どうしたらこんな風になるの?と思い次男に、 

 

「おいおい(笑)これ、ネットでしか買えない高い靴下なんだけど!毎日破れてるよね!なんで?さすがに悲しいんだけど!」

 

と冗談交じりに聞いても、何も答えないので、先生に聞くと、 

 

「まず、上履きを履きません、上履きを履かない上に、そのまま立ち歩きで校庭に出てしまいます」 

 

「校庭に出る際、運動靴も履きません」 

 

「先日はふらふらと正門から出て、家に帰ろうとしていました」 

 

「さすがに危ないので支援員が止めました」 
 

 

・・・ 

 

・・・ 

 

・・・ 
 

 

えー・・・

 

もう、無理じゃない? 

 

次男は、学校、無理じゃん 

 

えー・・・

 

そんな気分でした。

 

 
 

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166 次男の授業中の立ち歩き

166 次男の授業中の立ち歩き 
 
 
 
入学からしばらくして、娘のお迎え時間の関係で、次男の下校のお迎えに間に合わない事がありました。 

 

次男はその事に不満を言わなかったので、その日から下校時のお迎えは行かないことになりました。

 

・・・

 

毎日毎日下校後、担任の先生から連絡があり、次男の立ち歩きや授業の不参加の現状を伝えられました。 

 

「授業中はウロウロし廊下に寝そべっている」

 

「絵本の読み聞かせをしていると、教卓の近くまでふらふら来てしまう」 

 

「視力検査、聴力検査も自分の順番にはやらず、周りの状況を観察し、一通り全員がやるのを見てから、最後に検査する」 

 

担任の先生は、 

 

「お母さんが入学前に言っていた通りの行動をしていますよ」 

 

「周りの状況をまず観察しています」 

 

「言えば言うほどやらない、というのも分かってきました」 

 

「初めから話を聞いていたので、対応方法が分かり次男さんにペースを合わせのんびりやっています」 

 

と言っていました。 

 

・・・

 

入学前から学校に、押さえつける指導はしないよう、集団に合わせる為に無理をさせないように、とお願いをしていました。

 

先生は次男に対し「みんなと同じようにやりなさい!」と強くは指導していないようでした。 
 
 
担任の先生は言うべきことは言わないといけないので、という言い方をしていましたが、 私は折れずに、

 

「先生のやり方に文句があるのではなく、次男には厳しい指導は逆効果になり、言えば言うほど何もしなくなるので、どうか理解して、タイミングを待ってあげて下さい」

 

 とお願いし続けました。 

 

締めるときは締めないと、と次男の担任の先生はよく言っていましたが次男に関しては、

 

「強くは指導しません」

 

と言ってくれました。 

 

・・・

 

次男は授業中に立ち歩きが激しく常に離席していました。ある日、担任の先生が、 

 

「いつも、離席は特に強く言っていませんが、今日は上履きを履かずに立ち歩きし、教卓前で転んだので、『転んだら危ないよ』『上履きを履きなさい』と強めに指導しました」 

 

「その後、次男さんは涙を流し机の下に潜り、全く動けなくなってしまいました」 

 

「上履きの指導をしてから帰るまで、一度も机の下から出ませんでしたが、帰宅後の様子はどうですか?」 

 

「お母さんがおっしゃっていた、怒らないほうがスムーズにいく、の意味が何となく分かりました」 

 

と連絡をもらいました。 

 

その日は、私が娘を迎えに行き帰ってくると、次男は玄関でしくしくと泣いていました。 

 

学校から事情は聞いていましたが特に何も言わず 

 

「どうしたの?」 

 

と聞くと 

 

「何もない」 

 

「学校怖い」 

 

とだけ言い、次男はしばらくしくしく静かに泣いていました。 

 

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165 次男の朝の支度

165 次男の朝の支度 
 
 

「学校に行かない」と声には出さないけれど、明らかに学校に行くと様子がおかしくなる次男を朝起こすことはとても苦痛でした。 

 

朝7時に次男を起こすと、目を開け、まず一言目に「うるせー!」とか「だまれ!」とか酷い言葉を言われていたような気がします。 

 

その言葉を聞こえないふりをして、次男をおんぶして寝室からリビングへ連れていきます。 

 

この頃次男は、用意しておいた朝食には基本的に手を付けず、 

 

「こんなもん食べられない」 

 

「何か他のものがいい」 

 

「これを作って、あれを作って」 

 

と言いたい放題でした。 

 

私はそんなわがままを聞くことにとても抵抗がありましたが、朝喧嘩をする事が嫌で、何も言わずに言うことを聞いていました。 

 

食事をする時も、椅子の上に膝を立て、片肘をついて、見るからに不機嫌そうに食事をしています。

 

私が一言でも

 

「行儀悪いよ、足はおろしてよ」

 

と言うと

 

「じゃー、もう食べない」

 

と言ったり

 

「うるさい!」

 

と言って涙を流し机を手で叩き癇癪が始まります。 

 

食事が終わると、次男はソファに寝転びます。 

 

集合時間の10分前になっても、5分前になっても一向に準備はしません。 

 

「間に合わないよー」

 

「着替えよー」

 

と言っても無反応です。 

 

私が、

 

「通学団で行かずに、お母さんと2人で行くの?」

 

と聞くと、

 

「何でだ!通学団で行くに決まってるだろ!」

 

と泣き出す。

 

 
それでも一向に着替えようとしないので、私は大きな赤ちゃんを着替えさすかのように寝間着を全て脱がせ、服を着替えさせていました。

 

着替えさせられている間、次男はずっとテレビをボーっと見ています。

 

次男は幼稚園時代も特定の素材のシャツや締め付けのある服が苦手でした。

 

私が少しでも締め付け感のある服を選んで着替えさせると、

 

「嫌だ!嫌だ!気持ち悪い、無理、違うのがいい」

 

と暴れました。

 

私はなるべく締め付けのない緩い服を選び着替えさせていました。

 

一番困ったのは靴下です。

 

一年生になってから、次男は幼稚園時代には履けていた靴下の感触をとても嫌がるようになり、市販で売っている一般的な小学生向けの靴下を履かせると、

 

「気持ち悪い、気持ち悪い、何これ、きつい、嫌だ、うわーーーーー」

 

とのたうち回って泣くようになりました。

 

次男はソファに仰向けで寝っ転がりながら、靴下を履かせている私の顔を蹴るかのように、力いっぱい足をバタつかせて泣き出します。

 

特に足先の縫い目部分が嫌なようで、【ここ】が気持ち悪いと言いながら自分の足の指先をグーでパンチし続けることもありました。

 

幼稚園時代は何も言わずに履けていたのに、何で・・・

 

靴下以外にも服や靴など、身に着ける全ての物の素材、質感、着心地、履き心地に過剰に反応し、少しでも不快感があると激しく泣き、とても嫌がるようになりました。

 

私は縫い目がなく、締め付け感の少ない靴下をネットで探し、それを履かせると次男は、

 

「これなら履ける」

 

とその靴下だけは暴れずに履くようになりました。

 

やっと着替えが終わりました。

 

「学校へ行くよ」

 

とソファで寝転んでいる次男の腕を引っ張って起き上がらせ、手を引いて玄関に連れていきます。

 

玄関でただただ人形のように突っ立っている次男に、私がランドセルを背負わせ、帽子をかぶせ、足を持ち上げ靴を履かせ、無表情の次男と家を出て集合場所へ向かうのです。 

 


 

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164 体育の授業(次男)

164 体育の授業(次男)

 

 

担任の先生から、

 

「体育の時間、遊具説明をしていても話を聞かず、説明を待たずに好きに遊んでいます」

 

「列に並んだりはせず、自由でふらふらしています」

 

と言われました。

 

・・・

 

一番初めの体育の授業の時に、担任の先生から、

 

「体育の授業に参加しようとしていましたが、下のズボンしか着替えなかったので見学させました」

 

と連絡をもらいました。

 

私はどうすべきか少し考え、

 

「先生のおっしゃる事はごもっともです」

 

「ただ次男は【着替えないなら体育はやらせない】【体育をやりたいなら着替えなさい】で指導しても頑なにやらなくなるだけだと思います」

 

「着替えないうちの子が良くない事は重々承知していますが、幼稚園でも上履きを履く習慣を受け入れるまでにとても時間がかかり、受け入れてからは当たり前に履くようになりました」

 

「環境になれるまでは、体操服に着替えなくても、体育の授業をうけさせてもらえませんか?」

 

と伝えると、担任の先生は、

 

「汗をかいて風邪を引く可能性がありますし、衛生的ではありません」

 

と言いました、私は、

 

「風邪を引いても、汚くても、責任は全て我が家がとります」

 

と伝えると、担任の先生は、

 

「僕だけでは判断できませんので、上と相談します」

 

と言い、着替えなかった場合に、体育の授業を受ける事ができるかどうかは保留となりました。

 

先生に色々お願いする事は、過保護のようで、うるさい親に思われそうで、とても嫌でした。

 

 

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163 4月前半、次男の下校時の様子

163  4月前半、次男の下校時の様子

 

 

次男は集団生活が困難な様子でした。

 

例えば下校時・・・

 

次男が、「授業後迎えに来てほしい」と言うので、私は毎日迎えに行きました。

 

次男は必ず、通学団が並んでいる集団の中にはおらず、下駄箱付近の日陰に1人でいました。

 

黄色い帽子を、前が見えないほどに目深くかぶり、ぺちゃんこ座りをしています。

 

遠くから見ても表情が一切ない事が分かります。

 

次男は自分のランドセルを背負っておらず、支援員さんがランドセルを持っていました。

 

周りでは元気いっぱいの新一年生たちが楽しそうに話しています。

 

・・・

 

通学団が出発すると、次男は列の最終尾につき、自分のペースで歩いてついていきます。

 

前の子と距離が離れ、副団長さんが声をかけてくれますが、声をかけられればかけられるほど、次男はランドセルの背負い紐をギューッと握り締め、小石を蹴りながら、頑なに自分の歩くペースを崩しませんでした。

 

私はその事については何も言わず、次男に、

 

「ねー、どうして下駄箱の所に座っているの?何でランドセルを背負ってないの?」

 

と聞くと、次男は、

 

「だって、太陽が眩しい、ランドセルは重たい」

 

と、前を向いたまま単調に答えました。

 

・・・

 

通学団の子たちが右側を歩いているのに、一人だけわざと左側を歩く、細い道で車も通るため私が、

 

「車来るから危ないよ、車の人にも迷惑だよ、団長さん困ってるよ」

 

「こっち歩こ、ねー、こっちを歩くんだよ!」

 

と強く言っても、体を固め動かないこともありました。

 

・・・

 

皆がスムーズにできる事が出来ない。

 

入学してから、全ての行動がそんなふうに困難でした。

 

 

 

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162 新しい教頭先生

162 新しい教頭先生 
 
 
 
教頭先生が変わりました。 

 

子供が何も問題なく学校へ通っている時、教頭先生の存在を意識したことはありませんでしたが、我が家は今、長男、次男ともに問題を抱えており学校に相談に行く機会が何度かありました。 

 

新しい教頭先生は、長期に渡り特別支援クラスを担当していた方で、長男の不登校に対して、 

 

「学校は勉強しにくる所じゃない、遊びでいいんだよ、と長男君に伝えて下さい」 

 

と言いながら、こちら側の気持ちを尊重し、対応を真剣に考えてくれているように見えました。 

 

教頭先生は、 

 

「学校なんて、来なくてもいいと思う、多様化だし」 

 

「でも、長男さんが来たい気持ちが少しでもあるのなら、学校がやれる事は全てやります、何でも言って下さい」 

 

「クールダウンで1人になりたいなら、1人になれる部屋を用意します」 

 

「音楽の授業に出たくないなら、出なくていいです」 

 

「宿題もやらなくていい」 

 

「まずは、学校に来るだけでいいと思います」 

 

「学校の事より、どんな子か知りたいな、会いたいな、何が好きなんだろ話してみたいな」 

 

と私に話しかけてくれました。 

 

「学校側はできる事は何もありません」と断言していた前年度の教頭先生とは比べ物にならない、そんな印象を受けました。

 

長男がとても嫌がっていた3年生の時の担任の先生は他校へ移動になったと聞き、 長男に、 

 

「3年の時の担任の先生、もう学校変わったみたいだね」 

 

と伝えると、長男は、 

 

「あの先生にもう会わなくていいんだ」 

 

「また、1つ学校に行ってもいい理由が増えたな、僕、行こうかな」 

 

と言いました。 

 

・・・

 

私はなぜか、長男が学校行きたいと言い出しても「嬉しい」という気持ちが湧きませんでした。 

 

理由は、多分・・・

 

私はもともと極端な性格で【嫌】という感情が芽生えると、そこから急降下で、その全てが嫌になる。

 

その全てに対し、嫌が止まらなくなり、受け付けなくなる。

 

そんな性格は極端な思考を生みました。

 

当時私は、その感情を学校に持っていました。

 

フリースクールの【自由にさせると子供に自主性が生まれ、伸びる】という思考や、きのくに子供の村学園の【全て自分たちで決める】という教育方針を知る度に、公立小学校への不信感が生まれていきました。

 

全て決められた事で、みんな同じ事をする公立に通えば、型にはめられ、個性や感性が失われてしまう。

 

子供の個性を潰されてしまう、心が病んでしまう、と極端に思い込んでおり、私の気持ちが公立小学校を拒否し、恐怖症みたいになっていたように思います。

 

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161 会えなかった友人に会う

会えなかった友人に会う 
 
 
 
2022年4月頭 
 
 
不登校になってから、病院にも行けていませんでしたが、長男は歯科矯正の歯医者にも自ら行きたいと言い出しました。 

 

歯科医の先生は不登校が理由で矯正治療に通えていない事を知っており、「どうしたい?続けたい?一旦休憩しても大丈夫だよ」と長男に聞いたそうです。

 

長男は「もう、通えます」と答えたと言っていました。 
 
 
 
・・・ 
 
 
スポ少も、3年生のクラスも同じ幼稚園時代の友人がいます。 

 

不登校になってから、断っても断っても、何度も何度も「遊ぼう!」と誘いに来てくれていましたが、長男は絶対に会う事ができませんでした。

 

ある日、突然長男がその友人と遊びたいと言い出しました。

 

ママと私は友人なので、ママに連絡を取ると、すぐに遊びに来てくれました。 

 

 

友人は、リビングのテレビでゲームをしている長男に向かい、 

 

「よー!お前半年くらい会ってないのに、全然変わってねーなー」 

 

「お、お前もついにゲーム始めたか!俺強いぞ!」 
 

と言いながら家に入って来ました。 

 

「お前、毎日何してんの?学校来いよー」 

 

「俺んちだったら、学校休むと父さんにぶん殴られるよ!」 

 

と、言っていましたが、長男は苦笑いをしながら友人の言葉を交わしているようでした。 

 

その子と遊んだのは数時間だったと思います。 

 

友人がゲームではなく「外で遊びたい」「かくれんぼしよ」と誘っていましたが、長男はあまり乗り気ではなく、少し体を動かすと、すぐにソファに座りゲームをしていました。 

 

私の目には、長男はあまり元気がないものの、ガンガン話しかけ、ちょっかいを出してくる友人と楽しそうに遊んでいるように見えました。

 

友人が帰宅すると「楽しかったよ」と言うものの雰囲気は全然楽しそうではなく、元気がなく、部屋にこもり、しばらく出てきませんでした。 
 

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160 4年生の担任発表

160 4年生の担任発表


 
 
私の人生の中に【不登校】という言葉が入り込んでから7か月が経過しました。 
 
 
 

2022年4月7日 

 

在校生の担任発表がありました。 

 

長男の新しい担任は3年生の時の主任先生でした。 

 

行き渋りが始まった頃、何度も何度も放課を潰し長男と話し合いを重ね、不登校原因を問い詰め続けた先生です。

 

先生が何とかしようと頑張ってくれていた事は理解していますが、長男はその話し合いをとても嫌がっていました。 

 

学校側には、復学した際の事を考え、不登校に理解のある先生を担任にしてもらいたい、と何度も頼んだのに。

 

長男の4年生の担任に不登校の知識があるとは到底思えず、

 

「ありえない」

 

そんな気持ちでした。 

 

学校は沢山いる生徒の中で、長男が来ない事など何とも思っていないのだな。 

 

今までの学校の対応を振り返っても学校側に期待できることは何もありませんでした。 

 

それでも、なぜ、わざわざ長男を問い詰め、長男が拒否し続けた先生を担任につけるのか、私には理解ができませんでした。 

 

当時、長男の家での発言から、私は長男が学校に行きたがっていると思っていました。 

 

担任の先生が嫌なことが理由でまた1年間、4年生も行けないと予想し、みぞおち辺りに締め付けられるような不快感を感じた事を覚えています。 

 

 

長男は、 

 

「学校行こうかな」 

 

「友達と遊びたいから行きたいな」 

 

「でも担任が嫌だからやめておく」 

 

そんな事を独り言のようにずっと言っていました。 
 
  

 

私は、

 

「自分がどうしたいか、自分で決めたらいいよ」 

 

と言うと、

 

「遊びたい」 

 

「体を動かしたい」 

 

「ゲームばかりしたくない、お母さんがゲームの時間を決めてほしい」 

 

「学校に行きたい、でも担任が嫌だ」 

 

「3年生の時の担任には会いたくもない」 

 

「1年生の時の先生なら行きたい」 

 

「音楽の時間は受けたくない、教室で1人で待っていたい」 

 

「どの先生にも話しかけられたくない」 

 

「『おはよう』と言われるのも嫌」 

 

「『頑張ってるね』と言われるのはもっと嫌」 

 

「話しかけられる事がとにかく嫌」 
 

 

そんなマイナスな事をずっと言っています。 

 

行き渋りだした頃、励まされたり話し合いをさせられた事がとても嫌だったと言っていました。 

 

そんな事を言い続ける長男に私は、 

 

「先生に話し合いは絶対しないようにお願いしてあるよ」 

 

と伝えましたが、今度は、 

 

「勉強がきっと分からない」 

 

「きっと皆んな話してくれない」 

 

「僕と話していても、きっとすぐに他の子と話すから僕は1人になる」 

 

「きっと、独りぼっちなんだ、嫌だ、嫌だ、行きたくない」 

 

と泣き出します。 
 
 
「行きたいけど不安なら、先生に付き添ってもらおうか?」 

 

と提案すると、 

 

「先生とは話したくない」 

 

と言う。 

 

「4年生の担任の先生は本当に嫌い、嫌、声がでかい、うるさい、頑張れってうるさい」 

 

と言い続けます。 

 

 

そんな息子の気持ちが伝染し、私自身も担任の先生と不登校対策の話し合いをすることにも、学校へ行く事にも抵抗感が生まれ、しばらくの間、担任の先生に会うことができませんでした。 
 
 

・・・ 

 
 
私は4年生の担任の先生に対し、 

 

・熱血先生 

・ビシッと規則正しく整列などをさせる 

・生徒との距離感がつかめず、行こうか、頑張ってみようかと励ましてばかりいる 

・生徒のタイミングに合わせ、程よく放っておく事ができない 

・少し待てば子供が動き出す、というタイミングで、無駄に高いテンションで「さぁ行こう!」と背中を押す 
 

そんなイメージを勝手に抱いていました。 
 

 

・・・  
 

 

長男は私が買い物へ行く事すら嫌がり、こんな事をよく言っていました。

 

「お母さん死なないで、お母さん死なないで、人は死んだらどこへ行くの?天国なんてきっとなくて、1人でその辺をウロウロして、凄く寂しいんだ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」

 

そんなことを突然言い出し、泣き続ける事がよくありました。 

 

長男はいつも不安定でした。

 

私はどんな言葉をかけることが正解なのか分からず、 

 

「不安なんだね、お母さんは死なないよー、好きなだけこの家に居て、好きな時に学びたい事を学べる場所に行けばいいよー」 

 


と明るく伝えるようにしていました。 
 

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159 学校が始まってから数週間の家での次男の様子

159 学校が始まってから数週間の家での次男の様子 
 
 

次男は朝、私と学校で別れる際に、

 

「学校が終わったら迎えに来てね、絶対来てね、絶対だよ、約束だよ」

 

と何度もお願いしていました。

 

私は約束通り、毎日下校時間に正門へ次男をお迎えに行きました。

 

娘の幼稚園のお迎え時間とかぶっていたため、娘を通常保育よりも早めに引き取り、娘と一緒に次男をお迎えにいきました。

 

初日は幼稚園時代の癖が抜けないのか、ランドセルを背負って帰る、という事を知らないからか、私を見ると持っている荷物を全て投げ捨て、通学団の列から抜けて走り出しました。

 

私が、

 

「小学生は自分でお家までランドセルを持って帰るんだよ」

 

と教えると次の日からは自分で背負って帰るようになりました。 
 

・・・

 

次男の先生は賛否両論ある先生でした。 

 

「とても良い先生だよ」という人もいれば「怒鳴りつけて怒りまくるので子供が委縮する」という人もいました。

 

次男には長男から植え付けられた学校への恐怖のイメージがあります。

 

今の次男に委縮するような指導をされたら確実に不登校連鎖になるだろう。

 

私は、担任の先生に、長男の行き渋り時の発言を伝え、次男の学校への恐怖心を話しました。

 

その上で、過度な指導は避けてもらうようお願いしていました。 

 

小学校へ通う次男は、集団に一切なじめず、体が固まり、学校では一言も声を発しませんでした。

 

私の眼にはとても健常児には見えませんでした。

 

5月7日に児童精神科の予約をしてありました。

 

診断名を出してもらい、過度な指導はしないことを徹底してもらおう。 

 

診断名なしに、ただ「厳しくしないでほしい」という要求をする事には躊躇いがありました。

 

過保護のモンスターペアレンツと思われないか、と心配し、学校側に状況説明しやすいよう、診断書が欲しい、と思っていました。 

 

 

最初の数週間、次男には帰宅後、次のような症状がありました。 

 

・玄関でお漏らしをしてしまう 

 

・帰ってからもずっとランドセルを背負って玄関でぼーっと座っている 

 

・帰ってしばらくすると、玄関の土間部分を裸足で、うつろな目付きでうろうろと歩き回り、「どうしたの?」と話しかけても聞こえていないかのように反応がない 

 

・姿が見えない、と次男を探すと、寝室の布団を頭からかぶり震えている 

 

・腹痛 

 

・無表情 

 

・爪かみ 

 

 

その他にも心配になるような出来事がいくつかありました。

 

 

そんな次男の様子を見ていた私は次男に、

 

「学校はここだけではなく、色々な学校が選べるので、苦しくなったら次男に合う学校を一緒に探そうね」

 

と言い続けていました。 
  

 

次男は、私がそれを言うと嫌がりました。 

 

 

私の問いかけへの返答はいつも、

 

「僕はこの学校に通いたいんだ」

 

「そんな事言わないで」

 

でした。 
 

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158 入学式の次の日

158 入学式の次の日 

 

 

2022年4月7日 
 

入学式の次の日、次男は早い時間に起きてきました。

 

緊張している様子でしたが行きたくないとは言いません。 

 


我が家から集合場所までは50メートルほどです。初日なので、私は集合場所まで着いて行きました。

 

1年生は列の先頭に並び、6年生のお兄さんと一緒に通学します。

 

次男は先頭の列へは行けません。

 

列から離れた場所で私にしがみついていました。体はガチガチで顔は完全に無表情です。

 

集合場所でサヨナラできるかな?と思っていましたが、とても無理そうなので、学校まで着いていきました。

 

正門まで行きバイバイしようとすると、私にしがみつき一緒に帰ろうとしています。

 

「じゃー、下駄箱まで!」と下駄箱まで行きました。

 

そこでもバイバイできず、結局教室前まで行きました。

 

私はランドセルを少し押して、席へ着くよう促しましたが、体が完全に固まり本当に動けない様子でした。

 

私は次男の肩を摩りながら「緊張するよね、大丈夫だよ」と言い、席まで送っていきました。

 

その後、私は先生に目配せをして教室を出ました。

 

次男は椅子に座ることができず、ランドセルを背負って黄色い帽子を目深くかぶっていました。

 

机と机の狭いスペースで、背負ったままのランドセルの背負い紐をギュッと握りしめ、ペチャンコ座りをしていました。

 

私は次男を先生に任せ、教室を後にしました。 

 

その日は在校生のクラス発表の日です。

 

次男の教室を出た後、長男のクラス発表を見に行きました。

 

4年生の下駄箱前にクラス名簿が貼られていました。

 

名簿を見ると、ほとんどの子が長男の幼稚園時代からの友人、サッカーで繋がりのある仲が良い子達でした。

 

学校側は、長男が再登校しやすいクラス編成にしてくれているようでした。

 

3年生の時の主任先生がおり、私が、

 

「担任の先生は誰ですか?」

 

と聞くと、主任先生は、

 

「担任の先生はこれから発表なので言えません、担任と話がしたい場合は午後、生徒が帰宅後に電話をして下さい」

 

と言いました。

 

 

我が家は元々子供が沢山遊びに来る家で、私は子供たちと面識がありました。

 

4年生の下駄箱前で長男の友人が、何人も何人も私に手を振ってくれました?

 

「長男、元気?」

 

「いつ来る?」

 

「家行っていい?」

 

 そんな会話に私は、

 

「元気だよー」

 

「いつ来れるかなー分からなーい」

 

「長男が家に来ていいって言ったら、いつでも来ていいよー」

 

そんなふうに返答し、子供たちにバイバイをして正門を出ました。 
  
 

 

あー・・・。

 

 


正門を出て、両手で顔を覆い、吸えるだけの空気を吸い、ふーっと吐き出しました。

 

吐き出す息と同時に涙が溢れ出し、止まりませんでした。

 

無邪気で元気な子供たちの笑顔は、私の心を苦しくさせました。

 

どうしてうちの子だけ、なんでだろう?なんで皆あんなに元気なの? 

 

家で寝ている長男の現状の姿、次男の今日の様子、色々な映像が脳裏によみがえり、とても不安で複雑な気持ちになりました。 

 

「新学年になると、急に行けるようになる子がいるらしいよ!」と聞いていたけれど、長男は新学年になっても行けませんでした。

 

変わらず昼夜逆転のまま。

 

情緒は不安定でゲーム、動画三昧の日々です。

 

あの子はまだ、9歳なのにな・・・。 
 
 
 
 
その日は、娘の幼稚園の入園式でした。 

 

今から気持ちを切り替えて、元気に娘の入園式にいかなくちゃな! 

 

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157 次男の入学式

157 次男の入学式 
 
 
2022年4月6日 
 
 
次男の入学式でした。在校生は旧クラスで1年生の入学式に参加しますが長男は家で眠っていました。 

 

次男は緊張はしているものの、特に嫌がることもなく出発しました。 

 

入学式の列に並んでいると、次男はランドセルを主人に持たせ、主人のワイシャツの中に手を入れて、ガチガチに体を固まらせ、主人にしがみついていました。

 

表情が硬く、周りでニコニコ笑いながらランドセルを背負っている無邪気そうな子供がやたらと目につき、「あー、またうちの子だけだ」そんなことを思った記憶があります。 

 

次男を教室に送り届けました。 

 

次男の名前が書いてある机まで送っていき、保護者は体育館へ行くよう言われました。

 

次男に「後でね」と言い、教室を出ました。振り向くと次男は体を突っ伏して、ガチガチにフリーズした体をねじり、何とか座っているように見えました。

 

 

私は主人に、

 

「卒園式、知り合いばかりの場所であんな感じだったし、入学式は知らない人ばかりだし、大人数だし、どんな感じになるか分からないよ」

 

「学校側には、絶対に無理やり式に参加させたり、頑張ろうねと声をかけすぎたりしないでほしい、式場に入れないなら、親が付き添うのですぐに呼んで下さい、と伝えてあるから」

 

と言うと、

 

 

主人は、

 

「分かったよ」

 

とだけ言い、うなずいていました。 

 

式が始まると、元気そうに入場する1年生の中に次男はいませんでした。

 

皆が入場し終わり、式が始まるころ、次男は付き添いの先生2人に支えられ入口に立っていました。

 

ほかの1年生は全員着席しています。

 

保護者席から遠目で見ていても、次男は両肩が頬のあたりまで上がり、体が動かない、そんな様子が伝わってきました。

 

私は付き添っている先生の方を見ていました。

 

付き添ってくれていたうちの1人が、長男の2年生の時の担任の先生で、面識がありました。

 

先生がこちらを向き私に目配せをしたので、私は主人とすぐに先生の方へ行きました。

 

次男を引き取り、私と主人と次男は3人で体育館横のテラスで運動場の方を向き、式とは関係ない、何でもない話をし続けました。

 

校長先生が何か話している声が、何となくぼんやり響いて聞こえてきました。

 

 

しばらくすると次男が、

 

「僕、中に行かなくていいの?」

 

と聞きました。

 

 

私は、

 

「どうしたい?」

「自分で決めていいんだよ」

 

と言うと、しばらく考え、中を覗いていました。

 

 

またしばらくすると次男は、

 

「中に入る」

 

と言い中に入りました。

 

 

1年生の席には行かず、保護者席で両親の間のパイプ椅子に座り、お山座りをしたり、体をのけぞらせたり、体を終始くねくねさせて落ち着かない様子で式に参加していました。

 

パイプ椅子の上でずっと動き続けるので、ズボンの中に入っていたワイシャツは全て出てしまっていました。

 

式が終わり集合写真を撮る際、次男は上履きを履けませんでした。

 

「写真の時だけ履いておこうか」と言いましたが頑なに嫌がりました。

 

 

整列の順番を指示している先生が次男に話かけました。

「写真」「撮る」「ここ」「座る」「〇?」「座る」「ここ」

単語に区切って、聞き取りやすいようにはっきりと話しかけ、〇?と聞くときは両手で〇を作って次男に見せていました。

 

あー、【単語でしか言葉の通じない子】として話しかけているんだな、とすぐに分かりました。

 

次男は普通に会話のできる子です。

 

今は新しい環境が苦手なため、緊張で体がフリーズしているだけでした。

 

話かけてきた先生に悪気がないことも、親切心であることも理解した上で、私はその配慮がとても不快で、不安な気持ちが生まれました。

 

この子は普通に会話を理解するのに!そんな話し方しなくてもいいのに!

 

そんな気持ちと、

 

この子は周りから見たら、明らかに健常児ではないのだな、そうなんだな。

 

そんな気持ちの入り混じった、入学式に本来ならば感じるであろう【幸せの感情】とは程遠い感情でした。

 

式が終わり、子供たちは教室へ戻りました。 

 

次男は担任の先生と一緒に教室へ行きました。 

 

 

次男を見送ると主人が、

 

「今日の様子を改めて見ていると、貴方には今まで苦労をかけていたんだろうね。イベント毎に、いつもこんな感じだったんだよね?大変だったよね?なんか、こんな父親で申し訳ないな。これからは協力していこう。今までごめんなさい。絶対にあの子達の未来を切り開ける場所を探していこうね」

 

と私に言いました。 

 

 

帰りは通学団に顔合わせをしながら一緒に帰る予定でしたが、次男は通学団の方へは行かず、無意識かのようにふらふらと正門に向かい、帰ろうとしていました。

 

 

私と主人が、

 

「今日は通学団で行くんだよ」

 

と何度か言いましたが、次男はうろうろし、目がうつろで正常には見えなかったため、主人が教頭先生に、

 

「申し訳ないけれど、今日はもう帰らせます」

 

と言い、主人と次男は先に帰りました。

 

私は子供たち全員が帰るのを待ち、次男の担任の先生にお礼と謝罪をし、帰宅しました。

 

家に帰ると元気いっぱいの次男が遊んでいました。

 

「今日はお疲れさまでした」と言い、それ以上式の話はしませんでした。

 

この子は、明日からどうなるのかな?学校行けるのかな? 

 

 

長男の部屋を覗くと、在校生として式に参加するはずの長男が、まだ布団の中で眠っていました。

 

なんとも言えない悲しい気持ちになりました。

 

心の中で、なんでうちの子だけ、どうして2人とも何かがおかしいの?皆が出来ることができないの?その気持ちを完全に拭い去ることを、私はなかなかできませんでした。
 

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156 次男の小学校入学式前夜

156  次男の小学校入学式前夜 
 
 
2022年4月5日の深夜 
 
 
長男が深夜0時から明け方4時くらいまで、泣き続けました。 
 
 
突然、私が座っているソファの周りをぐるぐるぐるぐる回り出し、笑いながら、 
 
「お母さん大好き、お母さん死なないで」 
 
そんな事を言い始めました。 
 
 
長男が笑っていたのは最初の数十秒だったと思います。そこからは、崩れ落ちる様に泣き始めました。 
 
 

長男は、 

 

「友達と遊びたい」 

 

「僕には友達がいない」 

 

「学校に行きたい」 

 

「勉強したい」 

 

と話し始めました。 
 
  
 

不登校前まで、我が家はゲームを与えておらず、長男が、 

 

「ゲームの話についていけなかったのも辛かった」 

 

と泣くので、 
 

 

私は、 

 

「それ、本当にごめんね」 

 

と謝ると、 

 

「それはいいんだよ、お母さん」 

 

「お母さんがゲームをくれなかったから、僕は足が速くなったし、遊び上手になったし、それには本当に感謝しているんだ」 

 

「ありがとう」

 

「だからその事はいいんだ」 

 
と言いました。 
 
 
 
 
その先は、私はただただ長男の話を聞き続けました。長男はこんな不満を言っていました。 
 
 
「授業中つまらない時、僕の唯一の楽しみが落書きだった」 

 

「僕は、つまらない時間を乗り切るために、1週間かけて大好きなヨッシーを机に内緒で描いていたんだ、それだけが僕の楽しみだったんだ」 

 

「隣の席の女子に見つかって、「机に描いちゃだめだよ!」と消しゴムで消されたんだ」 

 

「僕は机を体で隠して「やめて、やめて」「消すなら自分で消すから」「お願い止めて!」と頼んでも、1人の子が僕の両腕を掴んで3人がかりで消してしまったんだ」 

 

「それを遠くから見ていた担任の先生が、消し終わった頃に近づいて来て、僕が泣いているのに消し続けた女子に向かって「どうもありがとう」って言ったんだ」 

 

「お母さん、先生はそんなに偉いの?先生は神様なの?全て言う事を聞かないといけないの?ねー、どうして?」

 

「とにかく担任の先生が嫌だったんだ」 

 

「教え方が下手くそで、全然頭に入ってこない」 

 

「頭がいい子ばかり褒めて優しくするんだ」 

 

「真剣に考えても、答えを5回間違えてしまった友達がいたんだ」 

 

「その子が担任の先生に「ふざけているの?」と怒られていたんだ」 

 

「頑張っても出来ないかもしれないよね?酷いよ」 

 

「そんなこと言うのは酷いよ、とても嫌な気分だったんだ」 

 

「あの先生は全ての事がそんなふうなんだ」 

 

「やる事を全て決めてくるんだ」 

 

「テストが終わった後に、落書きや折り紙がしたくても、読書しかダメと言う」 

 

「持っている本は、数日前に借りて、何度も何度も読み返した本でつまらない」 

 

「なぜ、折り紙を折っちゃいけないの?なぜ、落書きをしちゃいけないの?」

 

「静かにして、邪魔をしないために本を読んでいるんだよね?折り紙や、落書きでも邪魔にはならないよね?」 

 

「何でそんな事まで決められなければいけないの?何で皆同じ事をしなくてはいけないの?言っている事がおかしいよ!大嫌いだ!」 

 

「2年生の終わり頃から、女子が鬱陶しい事を言うようになったんだ」 

 

「僕はいつも分からない所を一生懸命教えてあげているのに、全然教えてくれなくなったんだ」 

 

「意地悪だよ、そんなのは」 

 

「放課は皆、パソコンしかしない」

 

「外で沢山鬼ごっこしたいのに」 

 

「皆ゲームの話をして、パソコンばっかりいじっているんだ、つまらないよ」 

 

「お母さん、人は見た目がそんなに大切なの?僕の友達にとても太っている女の子がいるよ」 

 

「その子はとても優しいよ」 

 

「僕は見た目が良い人より、人の気持ちをちゃんと考えて、人に優しくできる人の方がいい」  

 

「太っているとか、いないとか、関係ないよね?それなのに、何で皆見た目の事を言うの?酷いよ」 
 
 
  
・・・ 
  
 
「僕は小さな頃、お母さんともっと話したかったのに、もっと遊びたかったのに、もっと一緒に時間を過ごしたかったのに、家に次男がきて、全然構ってもらえなくて、寂しくて寂しくて、今思い出すだけで吐きそうなほど悲しかったんだ」 

 

涙を流し、たまにぐるぐるソファを回る足を止め、ソファに顔を伏せて嗚咽する。 
 
 
思う存分泣くと、またソファを回り、泣きながら、たまに苦笑いを浮かべながら、長男は話し続けました。 
 
 
「友達に会いたい、遊びたい、勉強したい」 
 
 

長男は、 

 

「友達に「何で学校に来ないんだ!」って聞かれたら「おめーに関係ねーだろー」って言えばいいかな?」 

 

と自問自答していました。 
 
 

4時間経ち全て話し終え、落ち着きを取り戻すと、長男は部屋を片付け始めました。私が、 

 

「明日掃除するから大丈夫だよ」 

 

と言うと、 
 

 

長男は、 

 

「僕が積み木を踏むと痛いからだよ、僕のために片付けているだけだよ」 

 

と言うので、一緒に部屋を片付けました。 

 

 

片付け終えると、 

 

「僕、折り紙折りたいな」 

 

と言うので、2人で折り紙を一緒に折りました。 
 
 
少しスッキリした顔で長男は折り紙を折っているよう見えました。
 
 
明日は次男の入学式です。 

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155 2022年3月末の長男の様子

155 2022年3月末の長男の様子 
 
 
長男が次男と仲良くしていました。ゲームのコースの作成の仕方をとても優しく教え、ゲームソフトも貸し借りしていました。 

 

この頃、長男は人に対してとても親切で優しい事が多かったです。 

「公園に行ってみようかな」と呟いている事もあり、動画を見る時間も以前に比べ減っていました。 
 

 

次男が私の問いかけに無反応にしていると、長男はふざけて笑いながら、 

 

 「次男ちゃん、お母さんが呼んでますぞ、返事なさい!」 

 

と次男に言う。 
 

 

 

次男が私にやたらと歯向かって文句を言っていると、 

 

「やめろ、お母さんに変な事言うな!」 

 

と注意する。 
 
 

 

娘に対する態度も柔らかくなっており、娘が長男がゲームをしているのを邪魔し、長男の頭の上に座っても、笑いながら、 

 

「やめてくださいよー!でも大丈夫だよ!」 

 

と言う。 
 

 

 

私が娘に、 

 

「お兄ちゃん、ゲーム見えないよー、どくんだよー」 

 

と声を掛けると、 
 

 

長男は、 

 

「お母さん、僕、嫌だけどね、でもいいんだよ」 

 

と娘を庇いました。 
  

 

 

娘が、お兄ちゃんに優しくされることに喜び、テンションが上がり、ふざけて長男の顔に唾を吐きました。私はさすがに怒るだろうと思いましたが、長男は、何も言わずに自分の腕でふき取っただけでした。 
 
  

ぐずり続ける娘に、私がイライラし始めると、長男が空気を察し、私の方を向き、「お母さん」と声をかけ、【ダメだよ】と言いたげに首を振る。 

 

 

そんな事がとても増えていました。 

 

・・・

 

とても安定している様に見えるのに、夜になると長男は理由を言わず涙を流している事がよくありました。 
 
 

 

ある日長男が、 

 

「まだ、コロナ終わってない?」 

 

と涙目で聞いてきました。

 

 

 私が、 

 

「心配なの?大丈夫?」 

 

と言うと、涙を拭きながら 

 

「泣いてないよ、オレンジジュースがすっぱいだけだよ」 

 

と下を向いて言いました。 
 

・・・

   

2022/3/31(木) 

 

当時私は、資格取得のため、通信制の学校のスクーリングに行く事がありました。学校のある日は朝の8時に出発し夕方5時に帰ります。

 

まったく行かなくてよい月もあれば、最大で6回ほど通う月もありました。

 

長男が昼夜逆転していれば、置いて行ってよいのですが、睡眠サイクルがずれ、朝に起きるリズムになっている時は、長男を置いて行こうとすると、

 

「お母さんがいないと寂しい・・・」

 

と言い、泣くことがありました。

 

 

 

次男が春休み、

 

「仲の良い友人とテーマパークに行きたい」

 

と言いました。

 

 

 

長男は、

 

「お母さん、家に居てよ、僕寂しい」

 

と言う。

 

 

そんな事が頻繁にありました。

 

 

次男も、気の許せる友人としか関りを持とうとせず、次男が友人と出かけたい気持ちは、私がとても大切にしたい事の1つでした。

 

でも、長男は「行かないで・・・」と言う。

 

大人は私しかおらず、同様の課題で困る事がよくありました。 
 

 

夜通し眠る事が出来ず、

 

「お母さん、僕、全く寝ていないのに、全然眠れない、寝たいのに、眠れないよー」

 

と泣き出す日もありました。

 

 
 

ある日、長男が突然、

 

「おかあさん大好き、お母さんありがとう、お母さん本当にありがとう、寂しい、僕寂しい・・・」

 

と何度も何度も同じセリフを言いながら、2時間止まることなく、涙が枯れるほどに号泣し続けました。 

 

 

この時期の長男は、人に対してとても優しく、きっかけがないのに、よく泣いていました。
 
 

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154 5か月ぶりの我が家のお風呂

154 5か月ぶりの我が家のお風呂 
 
 

2022年3月26日 
 
 
長男が家のお風呂に入らなくなり5か月が過ぎました。その間に銭湯に行けた回数は10回以内だったと思います。

 

 

その日は私が、

 

「あー、もう長男と一緒にお風呂に入れないのかー」

「大きくなっちゃうと一緒に入ってくれなそうだもんねー」

 

と言うと、

 

長男は

 

「まー、そうだねー」

 

と笑っていました。

 

 

私が、

 

「お母さんと入るのが嫌なら、お父さんと一番風呂に入るのはどう?」

 

と聞くと、

 

 

長男は、

 

「うん・・・いいよ」

 

と言い、主人とお風呂に入る事になりました。

 

 

長男が、

 

「お母さん、おんぶで連れて行ってよ、足が動かない」

 

と言うので、私は長男をおんぶし、リビングから主人の入っているお風呂場に連れて行きました。

 

 

長男は服を脱ぐ時から、入ってからもずっと、照れているのを隠すかのように絶え間なく、一方通行な話を笑いながら話し続けていました。

 

 

主人は長男に、

 

「大きくなったねー、わーがりがりに痩せちゃってるじゃん」

 

と笑いながら長男に話しかけていました。

 

 

主人の顔をふと見ると、涙ぐんでいるようでした。私も普通に2人に話しかけるよう気を付けていましたが、目頭がじわーっと熱くなった事を覚えています。

 

なぜ私が何か月も当たり前のようにお風呂に入らない長男に、この日「お風呂に入る?」と聞いたかは覚えていません。

 

確かその頃、私がお風呂に入っていると、不登校以来一切近づこうとしなかったお風呂場に頻繁に来て、私に話しかけてくるようになったからだと思います。 

 
 
 
2022年3月27日 

 

次の日は主人がお風呂に誘っても無反応でした。

 

そりゃそうだよね、一気に毎日入るようにはならないよね!と思っていたら、私が1人でお風呂に入っている時に、お風呂場をうろうろうろうろ歩き周り、私に何度も話しかけてきました。

 

 

私が、

 

「一緒にどうですかー」

 

と誘うと、

 

 

長男は笑いながら、

 

「入る訳ないだろ!」

「ま、シャワーならいいぞ!シャワーだけだぞ!」

 

と言い、

 

 

服を脱ぐと、

 

「まー、いいよ、入るか!」

 

と私と目を合わさず、お風呂に入ってきました。

 

 

長男は、

 

「うわー、何だよこれー滑るー滑るー」

 

と照れ隠しなのか、湯船の中で滑り続け、ふざけて笑っていました。

 

 

不登校前までは「もー、1人で入ってよ!」と思う事もありましたが、その日は「わー、長男とまたお風呂に入れる日が来たんだー」と嬉しくて、やせ細ってはいるものの、体が大きくなった長男と2人で入るお風呂は、何とも不思議な気分でした。

 

5か月も入らなかった我が家のお風呂に長男が入った事は、私にとってとても嬉しい出来事でした。

 

私には長男がどんどん元気になっているように見えました。

 

次男が小学1年生、長男が新4年生になるまで、後10日ほどです。 

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153 次男の入学までの2週間

153 次男の入学までの2週間 
 
 

2022年3月

小学校就学前の知能検査や検診時の振舞いで、学校側から「次男に気になる箇所はない」と言われていましたが、卒園式の様子や常日頃の人との関わり方を見て、この子は支援クラスの方がいいのかもしれないな、と思っていました。

 

長男の不登校がなければ、そんな事を考えたりはしなかったと思いますが、無理をさせたら学校生活が苦しくなるのではないか、長男のように次男も暴れ回る日が来るのではないか、と想像し私が勝手に怯えていました。 

 

 

卒園式に出席できなかった主人に、

 

「次男、あの子だけ園長先生の所まで歩けなくて、私がおんぶで卒業証書受け取ったよ」

 

と言うと、

 

 

主人は、

 

「そっか、次男よく頑張ったね」

 

と言っていました。 

 

 

卒園式の姿を見てから、私は入学式に次男がどんな行動をとるのかを心配するようになっていました。 

 

 

4月で4年生になる長男の、進級時の対応を相談に行く際に、次男の事も相談していました。

 

新しい場所、知らない人に慣れるまでに時間が人よりかなりかかる事、兄から聞き続けている学校へのマイナスイメージのせいで、ただでさえ不安の強い次男が【学校は怖い場所なのだ】と怯えている事を話していました。

 

塾の先生に、入学前に担任の先生に会って安心感を与えておく、せめて教室だけでも見ておくと安心する場合がある、とアドバイスをいただきました。

 

学校に、入学式前に担任の先生に一目でも会えますか?と相談しましたが、それは難しいとの事でした。

 

 

次男は毎日毎日私に、

 

「学校は怒られるの?」

「学年が上がる度に怖い先生になるの?」

「どうやって怒られるの?」

「1年生の先生は怒らないの?」

 

と繰り返し繰り返し聞いていました。

 

 

私は、

 

「学校は楽しい場所だよ、沢山色んな事を教えてくれるよ」

 

と伝えていました。

 

 

次男は学校へかなり恐怖のイメージを抱いていました。

 

学校側には、次男が学校に恐怖を抱いてしまった経緯を話し、できない事を厳しく指導する事は避けてほしい、学校に足が向くだけで、今は良しとしたい、枠にはめ込み、できない生徒を厳しく指導する先生を担任にする事だけは避けてほしいとお願いしていました。 
 

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152 次男の卒園式

152  次男の卒園式 
 
 
2022.3.24 
 

次男の卒園式でした。 

 

次男は長男の不登校以来、情緒が安定しておらず、極端に対人関係が苦手になっていました。

 

園長先生は、次男の卒園式の練習時の様子を「入退場は何とか皆と同じように参加できるものの、卒業証書を保護者が沢山いる中で、園長先生のいる檀上へ貰いに行き、お母さんに渡しに来るという一連の動作を、皆と同じように出来るかな・・・?どうかな・・・?本番にならないと分からないかも!でも、どんな形であれ大丈夫だから!」と言っていました。

 

私は「本人が貰いに行けない場合は私が付き添います」と園長先生と話をしていました。

 

卒園式が始まり園児が入場してきました。

 

次男は体が固まり会場に入る事が出来ません。

 

しばらく様子を見ましたが、一向に入る事が出来ないため、私は保護者席を離れ次男のそばへ行き、一緒に入場しました。

 

席に着くと、全員が園長先生の方を向いて座る中、次男は後ろを向き体を丸め、何かに怯えている犬のようでした。

 

顔だけを前に向け、体をがちがちに固め、とても怯えた死んだような目で園長先生の方を見たり、俯いてうずくまったりしています。 

 

付き添いの先生が1人励ましてくれていましたが、次男がしっかりと前を向く事はありませんでした。

 

卒業証書授与の際も、付き添いの先生は何とか歩かせようと声を掛けていましたが、首を90度にして下を向き、その場でペタンコ座りになり一向に動きませんでした。

 

私は園長先生に目配せをして、次男の所へ行きました。次男に「お母さんがおんぶしようか」と声をかけ、レッドカーペットの敷いてある園長先生までの10mほどの道を次男をおんぶして歩きました。

 

園長先生の前で次男を下ろし、彼自身で証書を受け取り、また私が次男をおんぶし直して席に戻りました。私が彼から受け取るはずの卒業証書は、次男がギューッと抱きしめており離しませんでした。

 

式が終わり退場の時、また次男は歩けません。地べたに正座をしていました。

 

仲良しのお友達が「おい!行くぞ!」と言いながら正座のままの次男を引っ張っていました。お友達が助けてくれていたので、私はもう次男の所へは行かず退場する姿を見守りました。

 

次男の卒業式は終了しました。 

 

式が終わると、退場の時に手を引っ張てくれていた友人と園庭を元気に走り回っていました。 

 

もうすぐ次男は小学校です。 

 

どうなるのかな・・・。 
 

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151 水族館

151 水族館 
 
 
ここ数日、長男の調子がとても良く笑顔の日が増えました。期待などしていない!そう口では言っていても、元気になると以前の元気な息子に戻ってくれるんじゃないか!そんな事が頭をよぎります。 

 

2人の姉達と「長男も調子が良さそうだし、どこかへ出かけようよ!」と計画をしていました。 

 

長男を連れて夜のイベントに行くか、長男は家で留守番していてもらおうか・・・ 

 

結局水族館に行く事になりました。 長男に聞くと「僕も行きたい!」と言います。 

 

その頃の長男は、夜中に起床し、限界まで起きていて昼過ぎに寝落ちする、そんなリズムでした。朝から水族館に行くのはどう考えても難しい。でも本人は「行く、行ける」と言い張ります。 

 

姉達に「タイミングが合えば連れて行くけど、多分長居は無理だと思う」と伝えていました。

 

長男が帰りたくなったら誰かが長男を連れて帰る、その準備をして出かける事になりました。

 

帰るなら私が連れて帰る事になるはず、でも次男は人に懐かず、私がいなければ楽しまない・・・物理的に不可能な課題にまたぶち当たり、それでもどうにかして全ての子供の要望が叶う様に、と考え続けてしまう。 
  
 
姉が「下2人は連れて行くよ!」と言ってくれましたが、何度確認しても長男は行きたがりました。 

 

私は「直前の様子で決めるね」 と姉に伝え、映画の時同様、約束事が出来ず、臨機応変に長男の様子を見て水族館へ行くかどうかを決める事になりました。 

 

水族館に行く数日前、長男はお昼の1時に寝ました。 

 

あー。今日は今寝たから水族館は難しいかな・・・ いっそ行かない、と言ってくれたら楽なのに、そんな事を考えてしまいます。 

 

行きたいと言うのに、その日めがけて睡眠時間の調整が出来ない。 

 

睡眠リズムがずれにずれまくり、水族館に行く数日前は、22時に起き昼過ぎに寝落ちしていました。 眠くなると行動がおかしくなるため、水族館へ行くよりゲームして待っていた方がいい気がするな・・・

 

【水族館当日】

 

予想は的中します。 

 

まず、駐車場から水族館迄の道が長い、遠いと文句を言い始めます。 

 

次は入場券売り場、人が多く、久々の人混みに長男の様子は、明らかにおかしくなりました。次男は私にべったりくっつき離れません。

 

その横で、長男はずっと文句を言っています。「つまらん、つまらん、なんだよここ、誰だよ作ったの、つまらん、何の意味があるんだ、こんなん見てどうするの?」そんな事ばかり耳元で言い続けられ、気分は最悪でした。

 

私にべったりくっついている次男は、水族館をとても楽しみにしていたのに、長男の否定的な発言を聞き続けていました。 

 

もうやめてよ、黙ってよ、だから家で待っていたらって言ったじゃん!そう言いたくなる気持ちを何とか抑え込みました。

 

姉達は娘と先を歩いており、娘は楽しそうでした。次男にあっちで一緒に見たら?と姉達の方へ行くよう勧めますが、無表情でしがみ付き私から離れません。

 

この日を楽しみにしていた次男に楽しんでほしい、でも長男が横でおかしくなっている。

 

どうしよう・・・

 

私は長男に「車2台で来ているから、帰ろうか?」と提案すると「は!帰りたいなら1人で帰れよ、僕はここにいる、僕は帰らない!」と怒っています。それなのにその後もずっと「つまらない、意味がない」を連発する。表情もとても暗く、何をしたらいいの?と、落ち着かない様子でした。

 

楽しんでいる姉達に嫌な思いをさせたくない、次男にも楽しんでほしい、でも長男の様子が明らかにおかしい、あー、来るんじゃなかった、あんなに家で元気だったのに、人混みはまだ無理だ。 


 
そんな地獄の様な時間を過ごし、結局お昼ご飯を食べ、しばらくして帰る事になりました。 

 

車に乗ると、長男の暴言が始まりました。車には下の姉、私、長男、次男が乗っていました。

 

確か、次男は大好きな従兄に会いに、下の姉の家に行きたい、私は疲れている長男の事を考え我が家に帰った方が良いのではないか?と長男に提案。それに対して、長男は訳の分からない事を言い、次男が固まるほどの暴言を吐いて傷つけました。

 

私が「疲れているから家に帰ろうか」と言うと、「勝手に決めるんじゃねーよ、何で疲れていると勝手に決めるんだよ!」と怒り出す、「どうしたいの?」と聞くと何も答えない。

 

次男は従兄に会う事をとてもを楽しみにしている。長男の状態を考え我が家に帰るのか、次男の希望を聞いて姉の家に行くのか。

 

長男は姉の家に行きたいと言う次男に暴言を吐き続けていました。私の怒りスイッチは長男が下の子を虐める事ですぐに入ります。 

 


「なに?」「だから、待ってたらよかったじゃん!」「何で、次男を虐めるの!」「家でゲームしてたらよかったじゃん!」そんな事を言ったような気がします。

 

行く数日前から、どうなるんだ、どうする事がベストなのか、とストレスを抱え、当日にこの結果。

 

私も号泣し、長男も怒りで号泣、次男は暴言を吐かれ固まりながらも、従兄に会いたいと泣いていました。

 

私はこれ以上長男と一緒にいたら、また余計な事を言ってしまう。同じ空間に長男がいることすら不快に感じました。

 

あー、なんなんだよ。

 

私は姉に運転を頼み「もう、無理」「電車で帰る」と車から降りました。 

 

しばらく知らない土地の、車から降りたその場所にしゃがみ込み、ぼーっとしていました。 

 

疲れるな・・・

 

あーあ、疲れるな・・・ 

 

涙が止まらず脳に酸素がいかない、脱力し何もしたくありませんでした。 
 
 
優しくしなくちゃ、きっとストレスを私で発散している。そう考えても考えても気持ちが追い付かず、感情的になってしまう。 姉はとても上手に子供達に対応しているように見えました。

 

私は上手く対応できない。私だから上手く対応できない。私が親ではあの子は回復しない。 

 

何もかも人のせいにしているあの子は、この先どうやって人生を生きていくのだろう。

 

回復していたように見えたけど、きっとまた逆戻りだな、外出なんてさせるんじゃなかった。

 

外出の度に私は神経がすり減り、へとへとでした。 
 

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150 2022.3月中旬の長男の様子

150 2022.3月中旬の長男の様子 
 
 
昼夜逆転は相変わらずでしたが、少しずつ明るくなってきているように見えました。 

 

次男が行き渋ると「おい、お前、幼稚園さぼるなよ!行けよ!」と笑いながら言い、次男に「お前が言うなよ!」と突っ込まれる。それくらい穏やかな感じに変化していました。 
 
 

2022.3.17 

ソフトクリームの美味しい農園があり、車を30分ほど走らせ長男と娘と出かけました。 

 

行き道、長男は娘にシートベルトをしてくれたり、とても優しく声掛けして仲良く目的地へ向かいました。

 

とてものどかな農園で、嬉しそうな顔をしてソフトクリームを食べる長男がとても印象的でした。

 

優しい表情で、嬉しそうに笑って、それなのに、ふとした表情がどことなく苦しそうで、複雑な笑顔を浮かべて食べているように見えました。

 

帰り道、突然長男は学校の話を始めました。

「とにかく担任の先生が嫌だった、あいつは担任になるべきじゃない」

「あの学校はくそ学校だ、とにかく、つまらないんだ」

「女子が嫌だった、命令させる事が死ぬほど嫌だった」

「俺はとにかく、好き勝手やりたいんだ!」

と、学校の文句をずっと話していました。 

 

私は、そんな否定的な話を聞く事にとても疲れましたが、

「嫌だったんだね 」

「そーなんだね」 

「嫌な場所なら行かなくていいよ」 

「いくらでも学校なんてあるから」

と伝えていました。 
  

 
 
2022.3.18 
 
この日は朝起きてすぐにゲームはせず、娘とブロックで遊んでいました。その後、家のテレビでドラえもんの映画を観ていました。娘とも優しく遊んでいました。 

 

2022.3.19 

コンビニに寄り、人目も気にせずゆっくり選んでいました。久々にコンビニに行ったはずです。

 

銭湯にも行き「足湯したい」「景色見たい」「ゲームセンターで遊びたい」と言い、銭湯の後の外食にも喜んで一緒に行きました。

 

ずっとお風呂に入らず、着替えもしていませんでしたが、その日は出かける前に「お母さん、この服で大丈夫かな?」と自ら着替え、私に話しかけてきました。 

 

私の目には、ここ数日びっくりするように安定した日が続いていました。 

 
 

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149 夢見る小学校(映画)

149 夢見る小学校(映画)

 

2022.3月中旬 
 
 
「夢見る小学校」というドキュメンタリー映画を観に行きました。

 

私は昔からこの映画に出てくるような教育方針が好きでした。

 

不登校を期に、自分の子供をこんな学校で学ばせたい、という想いが強くなり、映画を観に行きました。 

 

印象に残っているのは、 
 
・子供は勉強している時よりも、好きな事を集中して楽しんでいる時の方が断然脳が成長する、と言っていたこと 

・子供がおんぶされながら授業を受けていたこと

・児童精神科に薬を飲まされていた子が「入学条件として【薬を止める事】と学校側に言われて救われた」と話していたこと 

・子供が自由にチャレンジする事に責任は伴わない、責任は全て大人がとる、そうでなければ子供がチャレンジしなくなってしまう、と設立者が話していたこと

 

他にも数えきれないほど印象的な大切な事の詰まった映画でした。 

 

全ての子供がこんなふうに大人に接してもらい、こんなふうに学んでいたら、輝く子が増えるのではないかな、と思いました。

 

学費がとても高いけれど、この学校で育つ子達は自己肯定感がとても高く、自分軸を持っている。身に付く生きていく能力を考えると、 この学校を出る事で、その後の何十年という長い人生を豊かに生きられるから とても安い授業料に感じました。

 

https://www.dreaming-school.com/

 

 

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148 映画へ行く

148 映画へ行く 
 
 
2022.3.11 
 
 
昔から仲が良く、頻繁に遊んでいるお友達家族と映画に行く事になりました。前日に長男に行きたいか確認すると「行ってみる」と言いました。 

 

映画の時間は、昼夜逆転している長男に合わせ夕方にしてもらいました。私は、本当に行けるのか?その時間に起きられるのか?どうなるのだろう・・・と心配ばかりしていました。 

 

「明日は夕方から映画だから、少しは早く寝られるといいね」と声を掛けましたが、長男が寝たのは朝の8時でした。

 

あぁ・・・朝の8時に寝た長男は何時に起きるのだろう?睡眠が足りないと訳が分からない事を言い出し、大変になる事が多かったため、心配していました。

 

予定に向かって動くことが絶対に出来ないので、約束事は難しかったです。

 

私は友人に「行けるかは直前まで分からない、下の子は行きたいから、下の子達は必ず連れて行くね」と約束していました。 

 

お昼の3時に長男を起こしました。寝てから7時間しか経っていない、起きないだろうな、と思っていましたが、起きて映画にも行くと言います。 

 

私は、子供3人を車に乗せ、30分ほどかかる映画館へ行きました。商業施設の中にある映画館です。映画館に一番近い駐車場に車を停め、待ち合わせの場所に向かいました。 

 

一緒に行った子供達の中に年下の男の子が2人いて、2人共が長男の事をとても好きでした。どちらかが手を繋ごうと寄っていきました。 

 

長男はその手を振り払い、不安そうな顔で私に、「どうするの?待つの?何するの?」と聞きました。 

 

次男は自信なさげに周りの顔色を伺い、誰とも話せず、私にべったりくっついて、ひと時も離れません。 

 

我が家以外の子供達がとても健康的で子供らしく見え、どうしてうちだけこんなふうに育っているのだろう?なんでなのだろう?

 

映画中、私は長男の表情ばかり気になっていました。笑っている顔を見てほっとし、良かった、映画を観に来ることができた。とやっと安心して嬉しい気持ちになりました。 

 

映画の後、他の家族は食事に行きましたが、我が家は長男の様子がおかしく帰りたがり、すぐに帰りました。

 

その夜、1時半位まで私と長男とでゲームをしました。ゲームが終わり、長男は寝室に行き、いつも通り動画を見ていました。私は横で寝ていました。 

 

夜中に長男の泣き声で目が覚めました。

 

長男は3時ごろから30分近くしくしくしくしくと、ただただただただ、涙をポロポロと流して、とても悲しそうに泣きました。 

 

私は、気の利いた言葉を見つけられず、何も声をかけられずに、少しでも感情を吐き出せると良いなと願うように、手をつなぎ、長男が泣き止むまで、頭を撫でたり、背中をさすったりしていました。

 

泣いている途中、長男は嗚咽し、少しずつ落ち着きを取り戻し、ぐちゃぐちゃに濡れた顔のまま、力尽きたかのようにゆっくりと目を閉じ眠りにつきました。

 

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147 友人から拒否される経験

147 友人から拒否される経験 
 
 

課金キャラを貸してあげられず、親友に会えなくなり、10日ほど経ちました。

 

長男に再び遊ぶ元気が出てきて「親友と遊びたい!連絡してみて!」と言うので、親友に連絡しました。

 

親友のママが「うちの子、「今は遊びたくない」って!涙を流していたから、きっと、何か思う事があるのだと思う!」と言っていました。 

 

私は長男に「しばらく、遊びに来ないみたいだよ」と伝えると、「何で?」「何で?」「もう、キャラ貸せるよ」「もう、来てくれないの?」「貸せるよってママに伝えておいて」と言い親友との交流が、途絶えてしまうのではないかと、不安そうでした。

 

毎日毎日、何度も遊びに来るのかを聞くので、「来ないよ」と答えていました。

 

長男はゲーム中、使うアイテム、やり方、全てを長男ルールでやりたがる傾向がありました。長男の邪魔や気に入らない事は「ダメ」と言い、自分の思い通りに進めて行きます。

 

私はその姿が、気になっていました。 

 

次男は、長男のそんな性格に慣れきっており、我慢し、常に自分の感情を抑え込む事が、当たり前になっていました。 

 

今のように友達に接していたら、皆、離れてしまうのではないか?どこかで、自分ばかり優先していたらダメなのだと、気が付かなければ、皆離れてしまう。 

 

母親で、今の長男の心理状態を分かっていても、「え・・・」「わがままだな・・・」と思ってしまう。相手の子が、そのわがままを受け入れられるはずがない。 

 

しばらくの間、親友とも遊べず、長男はまた元気がなくなりました。

 

数日後、親友の弟が遊びに来て、親友も自然に遊びだし、関係は修復したようでした。

 

長男は、キャラを貸すことができ、自分がやりたいゲームがあっても、友人の希望を優先し、相手に合わせて遊ぶように、気遣っているように見えました。 
 

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146 学校の話をしてくる

146 学校の話をしてくる 
 
 
2022年3月 
 
 
 
3月に入ると、長男は、食事中に、毎回学校の話をしてくるようになりました。 話している内容は全て否定的で、 

・待つ時間が長い 

・給食がうまくない 

・給食で出たアイスもまずかった 

・学校はつまらない 

・歩いて行くのがそもそも疲れる 

・遠足が嫌、地べたに座ってお弁当を食べるのが嫌 

・決められた時間にお弁当を食べるのも嫌 

・家の空間が好き 

そんな事ばかり言っていました。 

 

時々、「僕って、まだ4年になっていないのかな?」と涙目で聞いてくる。そんな事が頻繁にありました。

 

私は、毎回、 

「そーか、そーか、嫌なんだね、今行っている学校以外にも沢山学校はあるから、見に行きたかったら、いつでも言ってね」

と言い、それ以上の事は何も言いませんでした。 

 

私はさり気なく、 

「四年はどうしたい?」 

と聞くと、涙目になり、無言でした。 

 

 

この子はまだ、学校には絶対に行けないな。

 

完全不登校になってから、5か月が過ぎようとしていました。 
 

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145 当時の主人との関係

145 当時の主人との関係 
 
 

行き渋りで長男が暴れ回っていた頃、数日間は主人は早く帰るようにしてくれていましたが、落ち着いて来ると、基本的には、下の子達が寝た後に帰って来ていました。

 

長男の不安定な精神状態への対応、次男の無気力、ゲーム漬け、暴言、反抗的な態度、2歳児の相手、全てにへとへとになっていましたが、私は基本主人に助けを求めたりはしていませんでした。

 

次男がまだ赤ちゃんで、長男も幼い頃、次男を叩きまくる長男にとても手がかかり、全員が満たされず3人共がソファで泣き崩れるように寝てしまう生活をしていました。

 

主人には長男の暴力が酷い、次男を抱けない、長男は異常だよ!そんな相談をしていました。

 

1度だけ、私自身がもう限界と感じ「助けて、もう無理」とメッセージを送ったことがありました。

 

その際に主人から返ってきたのは「長男は異常じゃない、正常、大丈夫」たったそれだけ、一文のメッセージでした。

 

帰宅してからも、特に、何も言われなかったような気がします。 
 
 

 

2022.2月末 

 

この頃、長男が酷く不安定になると、私も精神が不安定になり、日々のストレスの蓄積で、とても辛い時期がありました。

 

どうにもしんどくなった私は主人に、「とても、しんどい、助けてほしい」とメッセージを送りました。

 

主人からは、「木曜日は早めに帰ります」とだけ、メッセージが届きました。そのメッセージから伝わる雰囲気はとても冷たいものでした。

 

その後、主人から、その事に関して、何もコメントしてこないので、私は、

「毎日、ほぼ、24時間、怒らないように、でも愛情をしっかりかけるように、3人に接しているから、疲れるんだよね。疲れてしまうことで、子供たちに優しくできない時があるから、助けてほしい」

と言いました。

 

それでも、主人は何も言いません。 

 


私は分かってもらえない、受け止めてもらえない事が悲しくて、泣きながら、

「助けて欲しいって言っても、少しも話を聞かないんだね、気にもならないってことだよね?」

と聞きましたが、主人は何も答えず、何も言わず、会社へと出かけて行きました。

 

決まってそうです。相談をしたくても、会社に行くぎりぎりに起きて来て、話し出すと、いつもよりも早く出かける。

 

その主人の態度が余計に私をしんどくさせ、孤独にさせ、子供たちへのパフォーマンスが下がりました。

 

何も言わなければ、聞いてこないし、助けてくれない。何か言っても、私の心を救うような対応はしてくれない。 
 
 
最悪な気分のまま、私は家に取り残され、今から、問題児と向き合わなければならない。

 

お母さんが明るくしなくちゃいけないんだよね。それが回復の鍵なんだよね。私はどこから、元気をもらい、どうやって子供に元気を与えたら良いのだろう。 

 

期待するのはやめよう、諦めよう、そう思っても、どうしても、助けてよ!という思いは消えず、とても苦しい月日を過ごしていた気がします。

 

きっと、主人も同じように、何か私に不満を持ち、助けよう、と思えなかったのではないかと思います。

 

主人の態度を見ていると、子供たちも、無関心に放っておくと、本当に心を閉ざしてしまうだろうな、と思いました。

 

関心がないんだな、心配しないんだな、私だけの子供だっけ?そんな気持ちが大きくなり、不満になり、どんどん気持ちが離れていく、そうやって離れた気持ちが相手に伝わり、相手の気持ちもまた更に離れていく、距離はどんどん開いていきました。 

 

私はきっと、嘘でもいいから、一言、「大変だよね」「そうなんだ、大丈夫」て言ってもらえたら、頑張れたのではないかな、と思います。

 

一言で、救われることは、大いにある。

 

気持ちのこもった一言で、辛くても、頑張ろう、と思えたのではないかな、と今でも思います。  
 

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144 自分の物を奪われる事は不安?

144 自分の物を奪われる事は不安? 

 

長男は自分の物を触られる事を嫌がり、自分が常に優先されていなければ落ち着かない子でした。

 

私はそんな長男の事をわがままだ、と捉えて、私の思う正解の道へ正そうとしてきました。

 

不登校を期に発達障害を知り、この子には特性があるのだ、と考える様になりました。

 

それでも、長男の気持ちが落ち着いたら、この子のギスギスした、難しい性格は少しは治るかも、と期待したり、子供なんてこんなものなのかな、よく分からないな、と思ったり、私はいつも、正解のない答えを探し、未来を不安視し、ああでもない、こうでもない、と思考を巡らせていました。

 

とにかく、何もかも全て、よく分からない! 

 

私はこの子達に、何をしたら良いか、どうすべきなのか、そんな事ばかり考えていました。 

 

悩んでいた課金キャラは、主人が保有していたポイントで長男にプレゼントしたようでした。

 

主人も、課金はエスカレートしないのかが心配で、購入を迷い、お金を使うのではなく、「残っているポイント分は買ってもいいよ」としたそうです。

 

1つではなく、何個かダウンロードしたようでした。 

 

長男は購入したキャラを家族の誰にも使わせる事が出来ませんでした。弟には勿論、主人にも絶対に使わせません。

 

私は、その姿はとても長男らしいな、と思いました。「あー、この子らしい」減るものじゃないのに、【これは自分の物】と言うものに触れられる事を、幼い頃から異常に嫌がる子でした。

 

わがままとは、違う、独特な雰囲気で、長男の物は、長男の聖地?みたいな、絶対に触らない方がいい、面倒な事になる!みたいに考え、先に止めておく癖が、私には身についていました。 

 

担任の先生から誕生日カードをもらい、激しく不安定になり、全ての友人に会えなくなってから、もう、1ヵ月近く経っていました。何度か友人から誘われましたが、一度も「遊ぶ」とは言わず、顔が下を向き、無反応で「NO」を伝えてきました。 

 

2月の末、長男が「親友と遊びたいな」と言い、連絡すると、すぐに来てくれました。

 

そこでも、やはり、課金キャラを友人にも貸せません。

 

友人との間で嫌な空気が流れます。

 

それでも、長男はどうしても貸すことが出来ませんでした。

 

私は、せっかく、遊べたのに、また遊べなくなってしまうのではないか、そんな想いで、冷や冷やしていた覚えがあります。

 

子供達はそれでも、楽しそうに遊んでいるように私には映りました。

 

それなのに、長男は、また、この友人に、会えなくなりました。理由は分かりませんが、友人が遊びたがっているよ、と伝えると、笑おうと頑張っているのは伝わるのですが、明らかに顔が引き攣っており、返事をしなくなりました。 

 

 

再び遊べたこの日から、また、10日間、長男は親友に会えなくなりました。

 

一体私は、何を、どうしたらいいのだろう?
 

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143 課金させていいの?

143 課金させていいの? 
 
 

2022年2月中旬

 

長男は1つの事にはまると、同じ事をずっと続ける傾向がありました。子供はそんなものかもしれませんが、長男は特にその傾向が強いように感じます。

 

新しい事を始める事に不安が強く、出来ない姿を見られることを嫌がり、やり始めから上手く出来ない事への挑戦をためらいます。

 

失敗のリスクのない、自分が人より出来る事、経験のある事だけをやりたがる子でした。 

 

ゲームに関してもそうでした。新しいゲームカセットよりも、毎日同じゲームをし、極めていく、とことんやる、そんな所がありました。 

 

クリスマスに【大乱闘スマッシュブラザーズ】をもらってからは、そのゲームにはまっており、そればかり、長時間やっていました。

 

課金をして、キャラを増やすことができるゲームです。

 

私は元々ゲームは反対派な上に、ゲームに対しての知識が全くなく、課金をすることに、とても抵抗感がありました。

 

課金は何歳から?

いくらまで?

その答えを自分で導き出せないので、全て禁止にしておきたい、そんな考え方でした。 

 

新しいキャラが欲しくなった長男は、私にダメ元で、「課金したい」と言いました。 

 

どう返答するのが正解なのか分からない私は、「え、その年で課金してる子なんているの?」 

と、嫌そうな顔をして言ったような気がします。 

 

長男は、やっぱりね、という失望と、なんとかして望みを叶えたい、という不満が混じったような言い方で、

「ほらね、どうせ、お母さんはダメって言うと思った」と、喧嘩口調で言ってきます。 

 

「・・・」 

 

長男に、今、間違っているのは、あなただよね!というような言い方で、 

「はー、好きにさせてるよね、好き放題じゃん、いつ、何をダメって言ったの?どこの家がここまで許してくれると思うの?めちゃくちゃ自由じゃん、寝る時間も、ゲームの時間も、食べるものですら全部望み通りにしているよね!これ以上どうしろって言うの、これでも不満なら、他のお母さん探して来てよ!」 

 

自己嫌悪で気分は最悪、課金に対してどう返答をしたら良いのか分からず動揺。嫌な言い方で伝える事を止められない自分へ苛つき、その苛つきを、子供にぶつける。

 

言い終わった後の、家庭の空気感、自分の気分、きっと長男の気分も、最悪以外の何物でもありません。 

 

どうしよう・・・またやってしまった。

 

説得する能力がなく、嫌を全面に出して威圧し、相手に意見を言わせなくする。

 

【過保護にする、全て要望を叶える、そうしたら心が満たされ、子供が回復する、全ていう事を聞いて、どん底に落ちた子の方が立ち直りが早いよ】

 

不登校ママのアドバイスが頭をよぎります。

 

課金もそうなの?

3年生なのに?

1度課金したら、何度も何度も課金してと言い出さないの?

1度だけ、と分かっていれば良いけど、この先、どんどんエスカレートしていかないの? 

私はどうしたらいいの?

 

長男はきっと、望みが叶うまで言い続けるだろう。

 

言われた時に何と返事をするのか、答えを出しておかなければこの最悪なやり取りがまた繰り返されてしまう。

 

どうしよう・・・ 

 

どうする事が正解なのだろう?

 

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142 小学校入学前、次男の様子

142 小学校入学前、次男の様子

 

次男のゲーム依存が悪化していました。 

 

ゲーム以外の事に対し、無気力で、いつも退屈そうにしていました。ゲームをしていない時は、私に、 

「お母さん、何すればいいの?」 

「お母さん、暇、つまらない、退屈」 

「お母さん、ねー、暇だって」 

しつこく、私に訴えかけてきます。 

 

そんな次男に対し、私はイライラしていました。何をするのか、自分で考えられない子、自分で遊びを生み出せない子、そんな子になってほしくない、そんな思いが私を苛つかせました。 

 

・・・

 

次男は4月から小学校です。

 

兄弟間の不登校連鎖はかなり高い確率で起こる。特に、年齢が近い、同性、上の兄弟が不登校、の場合に下の子が行けなくなる確率は高い、と書いてありました。まさに、我が家のことでした。 

 

元々、次男の方が長男よりも、コミュニケーション能力が低く、人と上手く関われませんでした。

 

友人が話しかけても、固まり、言葉が出るまでに時間が掛かり、上手く反応できない事が多いため、周りから誤解されがちでした。

 

長男が不登校になる前に、主人が次男に対し「次男はいじめられそう」と言っていたこともありました。

 

小学校に行き渋らなければいいけどな・・・8割方、不登校になるのだろうな・・・私はそんなふうに心配していました。

 

調べていると、不登校もゲーム障害も発達障害の子が多いと書いてありました。 

 

我が子は2人共、発達障害なのだろうか? 

 

次男は集団が無理そうだから、様子を見て、少人数の公立に転校しよう、と入学前から考えていました。 

 

ゲーム障害は 

・ゲームしか楽しくなくなる 

・日常生活がおろそかになる 

・不登校になる 

と書いてありました。次男は、この頃、ご飯やお風呂に時間を取られるのも嫌そうで、お風呂などでゲームを中断すると、暴言を吐き、物に当たり、怒っていました。酷い癇癪を起こし、周りを威嚇するのです。 

 

長男も次男も、 まだ小さく、人格形成がされる時期に、今の生活スタイルはとても不安でした。この先、この子達はどう育っていくのだろう?と怖くて仕方ありませんでした。 

 

今の状況から抜け出すためにも、次男にはなんとか、療育を受けさせたい、そう思いました。

 

療育を受けるには、児童精神科で発達障害と診断され、市に届け出をする必要があります。

 

「1年生になる際に、学校側に特性を理解してもらい、特性に合わせた配慮をしてもらう。発達障害の診断書があった方が学校側が対応してくれる。病名を上手く利用し学校側に配慮をお願いすると、学校生活を送りやすくなるだろう」

そんなアドバイスをもらい、児童精神科を予約することにしました。

 

比較的評判が良いと言われた児童精神科に「今は2月頭ですが、最短で5月初めの予約です」と言われ、他に電話をすると「もう、手一杯で、新規の患者さんは受付けていない」と言われました。

 

それほど、沢山の子供が児童精神科を必要としているのだな、と感じました。 

 

次男は、まだ幼いので療育を受け入れてくれるかもしれないな。長男は絶対に拒否するだろうな。 

 

どうしたら、子供達を、健康的に育てられるのだろう?
 

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141 愛着障害?


141 愛着障害? 
 
 

長男、次男の症状をネットで検索していると、こんなワードが引っ掛かりました。 

 

【愛着障害】

愛着障害はその行動特徴が発達障害とよく似ている部分があり、 その違いが理解されず、適切な支援へとつながらない場合がよくある。

 

発達障害の専門家は沢山いるが、愛着障害の専門家は極めて少ない。

 

また、愛着障害の知識のない専門家も多数おり、子供に少しでも問題行動が見られると、全てを発達障害に当てはめ、片付けようとするため、専門家、養育者が適切な対応ができず、こどもの問題行動の改善に向かわない、むしろ悪化する。そんな事例が多発している。
 

 

【愛着障害】 

 

・・・ 

 

何だろう?

 

そのままの意味なのだろう、というのは分かりますが深い部分が分かりません。 

 

色々読んでいくと、愛着障害は、周りから見て、愛情をかけられているように見えても、親が愛情をかけているつもりでも、子供の心の要求に応えておらず、子供の心が十分に満たされていない。 

 

親が【この子の為に!】と疑う事なく与えている愛情が、逆に子供を苦しめ、子供は欲しいと切望している愛情をもらえていない。 

 

そこに誤差が生じ、その積み重なりで、愛着形成が上手くいかず、子供の心が満たされない。満たされない気持ちを何とか満たしてもらいたい、と子供は、周りの大人に問題行動を始める。そんな事が書いてありました。 

 

我が子達は、発達障害なのだろうか?愛着障害なのだろうか? 

 

・・・ 

 

いったい、どっちなの? 

 

愛着障害なら、子供たちの問題行動は、私の対応次第で、随分と変わる可能性があるのではないか? 

 

発達障害であれば、その子の特性を理解して環境を整えるように、と書いてありました。 

 

私は、何をしたらよいのだろうか? 

 

何をしたら、今の不健康な家族の形から、抜け出せるのだろうか? 

 

調べれば調べるほど、インターネットからの薄っぺらい知識が入れば入るほど、全てが自分の子供に該当しているように感じ、この子達は、この記事に書いてある、この障害なのだ、いや、こっちの障害なんじゃない?と私が勝手に子供達を障害児にあてはめ、混乱していきました。 

 

 

 

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140 負けず嫌い

140 負けず嫌い 
 
 

2022.2月頭 
 
 
誕生日カード事件から落ち込んでいた長男が、少し元気になり銭湯に行けました。

 

元旦から1ヵ月以上ぶりのお風呂です。 

 

家では元気になってきましたが、人気のある場所だと、目に涙を溜め、早く帰りたがる、弟に当たる、のは変わりませんでした。

 

温泉の遊び場で、長男が先に、おやつが落ちてくるゲームをやり、何も取れませんでした。その後、次男が同じゲームをし、成功しました。

 

すると、長男は、次男は後からゲームをしてずるい。後からの方が取りやすくてずるい。と言い泣いて次男に攻撃しました。とにかく酷く攻撃するのです。ただの兄弟喧嘩で済むような言い方ではありません。次男はただ、ゲームでおやつを取れただけ、嬉しい気分になれるはずの時に、必ず、悲しい気持ちにさせられ、喜ぶこともできず、表情が固まります。見ている私は毎回とても、苦しくなりました。 

 

長男は自分が出来ない事を、他人が出来る、そんな事に対して、異常に嫌がるところがありました。

 

次男に対しては特にそうです。許せないのです。

 

出来ないであろう事には、はじめから挑戦せず、「僕はやれば出来るけど、やっても意味がないから、やらない」と言う。

 

負けず嫌いな子なんだろうな、と思っていましたが、それだけで済ませていいのか?と思うくらい、自分が出来ない事を認められない子でした。 

 

負けたくない、かといって、勝つための努力はしない。努力はしないけれど、常に完璧に1番に出来る子でいたい、そんなところがありました。 

 

最近は以前に比べ少しずつ、ゲームで負けても、笑える時がありました。 

 

出来ない自分を受け入れる事は、気持ちが満たされれば治っていくのだろうか? 

 

完璧主義で、やるかやらないか、勝つか負けるか、学校に関しても、中途半端に行く事が出来ず、行くか行かないか。行かないなら完全不登校。そんな子なのだろうな、と思っていました。 

 

この子は、生き辛いだろうな・・・ 
 

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139 子供たちの様子

139 子供たちの様子 
 
 

2022.2月  

4月に小学生になる次男の事が心配でした。 

 

次男は、学校がどんな場所かを全く知りません。

 

親は楽しみになるよう声がけした方が良いのでしょうが、兄がすでに、学校が、いかに地獄か、を永遠と次男に話していました。

 

話すだけではなく、自分自身の精神が崩壊するほどに、嫌な場所なのだと、彼を見ていれば、次男は感じたはずです。 

 

長男は先日、学校からの、誕生日カードを見ただけで、部屋から出て来なくなりました。

 

それほど、【学校】に対して、敏感に反応を示していました。

 

大体、小学生が帰宅する時間に長男は起きてきます。

 

宿題をする弟に、どんな声をかけるのだろう?

 

絶対に何か言いそう・・・

 

「そんなの意味がない」

 

「地獄へ行って来たのか」

 

そんな否定的な声を掛け続けられたら、私は、両者が不快にならないように、上手に対応できるのだろうか? 

 

長男は、私が少しでも疲れた感じを出したり、眠そうにしたり、永遠に続くゲームの相手を、「休憩させて!」と断るだけで、敏感に反応し、「もーいい!」と部屋に引きこもりました。

 

この頃長男はやたらと、無意味に泣いていました。突然泣き出すのです。 

 

同じ頃、次男も難しい行動が多く、家中で動き続ける多動傾向もどんどん強くなっていきました。

 

指示が通らず、逆なでするような言い方で相手を威嚇する。

 

幼稚園後に公園に行っても、ずっと私にへばりつき、遊ばず、友人が誘ってくれても入れない。

 

おやつをくれても受け取れない、人が来ると走って逃げて木陰にうずくまっている。

 

とにかく、人と関わりませんでした。

 

2歳の娘も、ずっと「おかあさん、遊ぼ」「あれやって、これやって」と言う時期なので、相手をしながら過ごしていました。 

 

以前はストレスが溜まれば 

 


「あーーーー、もーーーー、うるさーーーーい!」

 

と感情を出してストレス発散していました。

 

今日読んだ本にも、まずは、お母さんが元気になりましょう、そうすると、自然と子供が回復します、と書いてあったな。

 

じゃあ、この子が回復しないのは私のせいってことだな。

 

その言葉はとても、プレッシャーで、どんどん私を追い込みました。 

 

精神をやられてる不登校児の長男と、不登校予備軍で人と関われなくなっている次男、ただでさえ手のかかる2歳児の娘、平日、全然帰って来ない主人。 

 

どこをどーやったら、私が明るく楽しく過ごせるのか、教えてよ! 

 

そんな気分でした。 

 

明るくして、感情を出さないようにして頑張っているつもりでも、私が少し息を抜けばすぐに荒れ出す。

 

心は疲弊していました。 

 

子供は回復しない。 

 

全然良くならない。 

 

今している事に何の意味があるのか分からない。 

 

何の光も見えない。 

 

例えば、こんな会話でも長男は反応を示し、私に攻撃してきます。 

 

ゲームで課金しキャラが2人増えました。私が、 

 

「良かったねー、増やしたの2つだけ?」 

 

と言うと、 

 

長男は、

 

「だけ?だけって何?酷いよね、だけってさ、ほんと酷いよね、お母さん酷い!!!」 

 

あ・・・そっち。

 

そうゆう捉え方なんだ。

 

全てを否定的に捉え、私に向けて怒りを爆発させる。 

 

「ごめんごめん、良かったね!楽しいといいね!」 

 

と言っても、しばらく機嫌は直らず、言葉の攻撃が続く、家庭の空気が悪くなる。 

 

そんな毎日でした。 

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138 次男の塾の体験

138 次男の塾の体験 

 
 

次男が、塾の体験に行きました。不登校や発達障害グレーゾーン等で、集団生活、学習に困難を抱える子の通う塾です。塾を知ったきっかけは、長男の不登校相談でした。塾の内容が、次男にも適しているように感じ、体験を申し込みました。

 

新しい場所に行く事が苦手な次男は、行く事をためらいました。

「どんな、場所?先生怖いの?何するの?怒られるの?」

マイナスな質問ばかりしていました。

 

私は、

「先生は凄く優しくて、パソコンとかで、次男の好きな事、得意な事を見つけてくれる場所だよ」

「きっと楽しいよ!帰りにケーキ買って帰ろう!」

と言い、体験に行かせました。 

 

 

その塾は、個人宅を塾用に借り、学習スペースとして改造している、一軒家です。

 

ほとんどの生徒が、人に会う事が苦手なため、基本的には、予約時間には先生と生徒しかいない、と言っていました。

 

インターホンを押し、先生が玄関まで迎えに来てくれました。次男は一歩も中へ入れません。

「行かなきゃダメ?」

と、私に聞いてきます。

 

先生が、

「絶対に無理しないで、嫌なら無理はしないでね、気持ちが向く時に来たらいいんだよ」

と言い、放置し過ぎず、話しかけ過ぎずな感じで、話しかけていました。

 

それでも、次男は「帰る」とも「入る」とも言わず、玄関前で立ちすくんでしました。私は、特に声を掛けず、先生に全て任せていました。

 

10分程すると、次男が、一歩一歩中に入り、またそこで固まる、そんな事を繰り返していました。先生は、

「気にしないで、彼のペースで、待ってあげてください」

と待ち続けてくれました。

 

学習部屋は2階なのですが、次男は1階、2階全ての部屋を見たがりました。先生が、

「皆同じ反応をします。ここが安全な場所か、何があるか、確かめると不安が少しずつ取れてくる子が多いので、見て安心するなら、全部みていいよ!」

と次男に言い、次男は全ての部屋を覗きに行きました。

 

階段を上る際は、私にしがみ付き、登って行きました。

 

本来は、母親は付き添わず、生徒と先生の2人なのですが、次男が付き添いを希望したため、先生が、

「お母さんもどうぞ」

と同じ室内に入る事になりました。

 

次男は学習部屋に入ると、押し入れも全て開け、その後、頭を抱え床にうずくまり10分程貝のように動かなくなりました。先生は、

「よくある事です」

と言い、また、待ち続けてくれました。 

 


私は、一般の子はスムーズに指示に従えるのだろうな、どうして、我が子達は全てがスムーズにいかないのだろう?何がいけないのだろう?そんな思いがありました。 

 

次男は、何一つ強制されない事で、少しずつ心を開き始め、そろり、そろり、と椅子に近づき、反対向きに座ったり、椅子の上に立つなどしながら、やっと先生と向き合いました。

 

インターホンを押してから、30分近く経っていたと思います。 

 

そこから、タブレットを使っての、先生と次男のやり取りが始まりました。 

 

学習が始まると、次男は特に私の方を気にかける事もなく、集中して、頑張っていました。 

 

授業後、先生は、次男の事を、

「個性を強く持っている子ですね」

と言い、

「児童精神科へ行くのなら、病名つけてもらい、それをうまく利用し、学校と付き合うと、学校側がスムーズに動いてくれる場合があります。次男君は能力は高いけれど、人、場所、新しい環境での適応が困難な感じだから環境さえ整えば、力をしっかり、発揮できると思います。大丈夫です」

と言いました。 

 

この塾は、発達に困難のある子達の、何が得意か苦手か、短期記憶を見たり、コミュニケーション能力を細かく見て、対応方法、学習方法を分析し、少しでも子供達が過ごしやすくなるように、合う学習方法を探すと言っていました。 

 

学習内容がアプリだったので、次男は、

「楽しい!通いたい!」

と言いました。塾の後、次男の顔は明らかにキラキラしていました。 

 

どんな人と、どんな時間を過ごすのか、とても大事なんだと痛感しました。 

 
 

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137 相談所で、助言が違う

137 相談場所で、助言が違う 
 
 

次男の相談を幼稚園の先生にしていると、長男の事をよく知っている園長先生が、市の教育課に親身に相談に乗ってくれる方がいる、と言い、紹介してくれました。

 

私はすぐに、連絡をし、相談に行きました。 

 

いつものように、長々と不登校の経緯を話し、今の私の心配は、 

・デジタル漬けの影響での脳、目、メンタルに与えるダメージ 

・太陽に当たらず、体を動かさない事への不健康さ 

・睡眠が不規則で体を駆使している事への心配 

・歯磨きをせず、お風呂に入らず不衛生である事の心配

等を相談しました。 

 

とても親身に聞いてくれていた、その相談員さんは、 

「今は脳が育つ大切な時期だから、どう、影響が出るのか、それが怖いね」 

と言っていました。 

 

なぜ、好き放題させるに至ったかを説明する際、克服ママの話をし、同じ方法で克服ママの息子さんが立ち直った話をすると、

 

「克服ママの息子さんは中学生、長男さんは8歳からなので、体も小さく、まさに、成長盛り、脳が急激に育つ時期に、ブルーライトを浴び続け、睡眠障害が出ている事はとても心配」 

と言っていました。中学生の不登校児と同じ対応が良いのか判断しかねていました。 

 

「それでも、やりようがないのだろうね、それは、話を聞いていて分かります」 

「心も心配だけど、自律神経の乱れや体も心配ですよね」 

と言って相談は終わりました。 

 

やりようがない。

 

そう、やりようがないのです。 

 

どうやったって、長男をコントロールする事は、不可能でした。 
  
 
 
2022年2月4日 
 
 
医療センターの予約日でした。脳への影響をとても心配していた私は、その事を相談すると、 担当医は、

「規制することで、親子関係が崩れる事の方が心配」 

「家庭内で、コミュニケーショが円滑に取れている事は、凄く良い」 

と言い、回復のきっかけとして、本人さえ望めば、入院も一つの手である、と薦められました。 
  
 
少人数の中で、社会生活に慣れ、規則正しくなり、食事もしっかりと摂れますよ、と提案してくれましたが、長男が入院するとは思えず、入院で回復するタイプにも見えませんでした。 
 
 
長男は、いつまで、画面に顔を近づけゲームをし、真っ暗闇の中でスマホを見続ける生活を続けるのだろう。

 

今、あの子、視力いくつあるのだろう?

 

もう、目悪いのだろうな。

 

目が悪いのは、眼鏡やコンタクトで何とかなるけれど、成長期のとても大事な時期に、脳への影響、メンタルの悪化は大丈夫なのだろうか・・・

 

それが気になって気になって仕方ありませんでした。

 

身体能力も伸びる年齢で、元々身体能力の高い長男が、それを生かす事もできなくなるのかな?と心配ばかりしていました。 
 

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136 外食先にて

136 外食先にて 
 
 
2022年2月頭 
 
 
バースデーカード事件以来、引きこもり、すっかり元気がなくなっていた長男が「お腹が空いた」というので、近くの中華料理屋さんに、娘と一緒に食べに行きました。

 

常は、外食を嫌がるのですが、その日は特には嫌とは言わず、出発時の様子もおかしくありませんでした。 

 

12時前に行ったので、店内は空いていて、1人、2人、カウンターで作業服の方が食事をしているくらいでした。

 

注文をし、食べ始めると、長男はほとんど食べないうちに、

「お腹痛い」

「これ以上食べられない」

と言い、帰りたがりました。

 

私だけならば、すぐに帰るのですが、2歳の娘が、横で、ゆっくり食事をしていました。

 

「お母さん、これ、食べたい」など、話しながら、マイペースで食事をしています。

 

娘は全然騒いでおらず、私と会話をしているくらいでしたが、長男は急に、

「妹の声、うるさい」

「黙らせて」

「下品」

「嫌い」

「黙らせろよ」

「ウザい」

「早く、帰りたい」

「迷惑」

「もう、帰ろうよ」

 

と涙目になり、お座敷の席で、正座しながらジャンプする様に、「帰る、帰る」と言って聞きません。

 

私は娘に、

「おうちに持って帰って食べようか」

「お兄ちゃん、もう帰りたいから、いい?」

と聞くと、

 

「嫌だーーー、ここで食べたいーーー、まだお腹空いてるーーー」

と泣きだしました。

 

その声を聞き、長男は周りを見渡し、怯え、泣きながら、妹に、

「静かにしてよ!」

「わがまますぎる」

「自己中」

「うるさい」

と言い続けます。

 

 
あー、また始まった、長男と出かけると、かなり高い確率で発生する、このシチュエーション。両方の言う事を聞く事は物理的に無理、長男はパニック寸前で説得するなんて、出来るはずがない、2歳児も状況を察する事など出来るはずもなく、のんびり、ご飯を食べている・・・ 

 

困ったな・・・ 

 

結局、長男に「車の中で、少しだけ待っていて」とお願いし、娘に急いで食べさせました。

 

長男はやっぱり、全然回復していない。

 

外界が怖くて仕方ない。

 

人がいると怯え、すぐに帰りたくなる。

 

それを再確認した事に心が沈みました。

 

外食すらゆっくりさせてあげられず、食事をしているだけで、酷い言葉で責められている娘に対し、申し訳ない気持ちが生まれました。

  

帰宅すると、娘は外食先よりも全然騒いでいるのに、長男はその声には全く反応せず、ゲームに集中していました。 

 

最近の長男は、柔らかな表情をする事はほとんどなく、いつも苦しそうな雰囲気でした。

 

無理に連れ出すのは止めよう。家にいた方が皆が平和だな。

 

メッセージカード以来、相変わらず友人に会う事が出来ず、弟とゲームをする事だけを楽しみにしているようでした。

 

弟まで、ゲーム漬けになり、悪影響な事は嫌でしたが、私に出来る事は、何もありませんでした。
 
行き渋りからすでに5か月が経過していました。

 

長男に回復の兆しはなく、次男の様子も明らかにおかしい。母親である私が、元気になる要素は、何一つありませんでした。

 

昔の、平和だった日々の事は、何も思い出せません。

 

いつか、我が家にも、普通の幸せは訪れるのだろうか? 

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135 担任の先生からのバースデーカード

135 担任の先生からのバーズデーカード 
 
 
 
懇談会で、私が担任の先生に「学校側が気にかけてくれているとは、感じません」と伝えたからか、その後、たまに、メッセージが入っている事がありました。 

 

長男の誕生日の日に、メッセージカードと手紙がポストに入っていました。 

 

確か、メッセージカードには、当時長男が好きだった妖怪ウォッチの絵が描いてあり、お誕生日おめでとう、と手書きで書いてありました。手紙の内容は覚えていません。

 

私は、その当時、安定している長男に、学校の話題を出しても良いのか。渡すべきか、渡さないべきか、を相当悩み、メッセージカードのみ、長男の携帯電話に挟んでおきました。 
 
 
その夜、長男は、もう起きているであろう時間になっても、一向に布団から出て来ず、やっとリビングに来たのは、夜の10時頃でした。

 

長男の様子は、誰から見ても分かる程おかしく、憔悴しきっている、というのか、目が据わっている、というのか、とにかく、負のオーラが出ていました。

 

その後、下の子達が寝静まり、私と2人になると、長男は、無理難題を言い始めました。

 

内容ははっきり覚えていませんが、とにかく訳の分からない事を言うのです。 

 

行き渋りで荒れていた頃の様子に、とても似ていて、感情のコントロールが出来ないようで、 

 

「あの女、死ね!」 

「2度と貰ってくるな」 

「あんなもの見たくねーんだよ!」 

「見てないし」 

「うざい!うざい!うざい!うざい!うざい!うざい!」 

「死ね、死ね、死ね、死ね」 

 

と言い、ソファーや壁を殴り、うぅーうぅーと歯を食いしばり、唸りながら泣き叫びました。 
  

 

「あいつが嫌なんだ!」 

「あいつが一番嫌なんだ!」 

「あの女が嫌いなんだ!」 

 

そんな事を叫び、手あたり次第そばにあるものを殴り続け、涙を流す。 

 

あー、渡さなければ良かった、 

 

あー、また失敗した。 

 

あー、なんで私、渡しちゃったのだろう。 

 

静まり返っている夜中に、永遠と続く、息子からの無理難題、荒れ狂い、泣き叫び続ける我が子の姿、 私も耐えきれず泣きだしてしまい、 

「ごめんって!」 

「もう、絶対に渡さないから!ごめんって言ってるじゃん!」 

と、言ってしまう。 

 

また、私は、寄り添いきれない。 

 

反省するのに、反省しきれず、同じことを繰り返す。 

 

最悪な気分でした。 

 

自己嫌悪と、メッセージカードを渡してしまった事への後悔と、この子はどうなるのだろうという不安と、色々な感情が入り乱れ、もう、頭の中がぐちゃぐちゃでした。 

 

その後、長男は唯一会えていた友人達にも会えなくなりました。 

 

親友にも、幼馴染にも会えず、部屋からも出てこない 

ご飯を食べない 

歯も全く磨かない 

お風呂は元旦から一度も入っていない 

銭湯に行くのも嫌がるようになった 

 
 
最近は、体も限界まで駆使しているのか、25時間起きている、次の日に永遠と寝て、その次の日はまた25時間起きている、そんな生活をしており、ゲームをしながら、ソファーで寝落ちする、そんな日が続いていました。 

 

なんだかもう・・・ 

 

見ていられない・・・ 

 

学校の話題が出ていない時は、あんなに元気に、回復しているように見えたのに、今の長男の姿からは、回復する姿は、想像できませんでした。

 

主人にその事を掻い摘んで話して、返ってきた言葉は

 

「担任の先生可哀想」

 

「・・・」

 

もう・・・

何・・・? 

 

もう!メッセージカードなんて、渡さなければよかった!!!! 
  

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134 懇談会

134 懇談会 
 
 
 
2022年1月 
 
 
先日懇談会があり、担任の先生とお話をしました。 

 

20代後半か30代前半であろう、大人しい感じの女性です。 

 

「長男さんどうですか?」そんな感じの会話でした。 

 

もう、何度も何度も言い飽きているような現状を、ざっくり話しました。私は担任に、 

「以前教頭先生に、必須の学習部分のプリントが欲しいと伝えてありますが、聞いていますか?」と聞くと、 

 

担任の先生は、 

「あ・・・必要部分だけですか?今手元にあるのは、全てのプリントで・・・」

と言い、困った様子でした。 

 

教頭先生が、私からの依頼を、担任に明確に指示していないんだな、という印象です。 

 

懇談会の際、私は思った事を伝えてみる事にしました。 

 

「今、長男の状況を見ていて、学校側が何も出来ない事は、理解しています」 

「親ですら、何をしたら良いのか、分かりません」 

「理解した上で、冬休み日誌などに、メモが一切付いていない事や、電話連絡が来ても、長男の名前が一切出ない事には、違和感を感じました」

「あぁ、長男の事は、何も気にかけてもらえないのだな、学校に行かない生徒を、先生たちは気にかけてはくれないのだな、という印象をもっています」

「責めているのではなく、ただ、そう思いました。長男も同じように感じているのではないかな?と私は勝手に思っています」

と伝えると、

 

担任の先生は、

「私の中で、長男くんは、クレヨンしんちゃんみたいなイメージで、明るくて、楽しくて、何も気にしなくて、面白くて、周りに常に人がいる、そんなイメージでした」

と言いました。 

 

そして、 

「学校側からは、フリースクールの事は助言するな、と言われていますが、こんな学校もあるみたいです」

とフリースクールの名前を教えてくれました。

 

そこは、以前私が訪ねて行った事のあるフリースクールでした。 
 

フリースクールの事は助言しないように、と言われている事には違和感を感じましたが、そこはあえて何も言わず、「ありがとうございました」と帰宅しました。 

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133 次男の行き渋り

133 次男の行き渋り 
 

 

2022年1月末 

その頃、次男の幼稚園から、頻繁に連絡がありました。 

・次男君の様子がおかしいです 

・全くお友達と関わりません 

・笑いません

・喋りません

・遊びません

と言われました。 

 

幼稚園への行き渋りも酷くなっていました。 

 

私は、次男も不登校になるのだろうな、行けるはずがないよな、と思っていました。 

 

次男が幼稚園に行きたくない、と言った時、 

「行きたくないなら、お休みしようね」 

と理解のある親のふりをして、休ませたから、癖になってしまったのかな?無理やりにでも行かせておくべきだったのかな?と自分のしてきた判断に、自信が持てませんでした。 

 

次男はお休みする時にいつも、 

「なんで、お兄ちゃんは行かなくてよくて、僕は行かなくちゃいけないの?」 

「ずるい、嫌だ、行かない」 

と言いました。 

 

それを言われると、私も何も言えず、お休みさせるしかありませんでした。 
 
 

あー、兄弟揃って難しい子達だな・・・ 

 

常に息子たちのことでキリキリ胃が痛く、みぞおちの不快感が消える事はありませんでした。

 

次男は後2か月もしたら、小学校です。 

この子も不登校になるのだろうか? 

私は今何をすべきなのだろうか? 

 

色々考え、幼稚園から、小学校に申し送りをしてもらう事にしました。 

私自身も入学前に、次男の今の家庭環境を学校に直接説明しに行く事にしました。 

 

取りあえず、今思いつく、親として出来る事は、全てやっておこう、そう思っていましたが、知識もなく、何をしたらよいのかは、全く分かりませんでした。 

 

何をしたら良いのか分からない、それがとても辛かったです。

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132 伸び伸び育てるという事

132 伸び伸び育てるという事 
 
 

2022/1/18 
 
姉達が来てくれました。次男は変わらず激しく部屋中でジャンプしていましたが、長男も次男も、とても安定していて元気でした。

 

「長男くん、なんか、表情明るいね!嬉しいね」と言ってくれていました。

 

何よりも、私自身が、言い表せないような安心感、誰かに、久々に人間として話しかけてもらったような、そんな感覚がありました。 

 
  
2022/1/22 休日の朝 
 
長男は、前日、夜の8時に起きたため、一晩明けた、次の日の朝にもまだ眠れず、起きていました。休日の朝で主人もおり、家族全員が久々にリビングに揃いました。

 

長男と娘が久々に顔を合わせ、たわいのない会話をしていました。主人は、それを見て、子供達に背中を向けて、涙を流していました。

 

口には全然出さないけれど、今の状態を心配してくれているのだな、と思いました。 

 

 

その時期、久々に話した長男と同じクラスのママが、息子さんも11月から完全不登校になったと言っていました。長男のように、荒れたり、昼夜逆転したり、指示が通らない、等はないと言っていました。

 

本人から「もう、行かない、行きたくない」と申し出があり、最後は、登校時間になると、布団にもぐり、出て来なくなったそうです。

 

そのママは、子供が幼い頃、毎日子供を片道50分かかる、森の幼稚園に通わせ、自然を体感させ、小学校に上がる際の説明会では「なんか、嫌だな、型にはめられるな」と呟いていたことを、私は覚えていました。 
 
 
息子さんが不登校になったと聞いた時、私は、 
 
・森の幼稚園等で子供を伸び伸びさせたい!と思う母親は理想の子供像が有り伸び伸びさせているつもりで、逆に子供を型にはめこんでいるのではないか? 
 
・自然が好きで、元気に遊び回る子供。それを伸び伸びだと思い込んでいて、そんな、親の中に無意識にある理想像が、子供を苦しめてはいないのか? 
 
・近い幼稚園ならどこでもいい、と言っているような、深く考えないお母さんの方が子供は気楽なのではないのか? 

 

私も、森の幼稚園に興味があったため、何となくそう感じました。 

 

結局、母親の中の「これがいい!」というこだわりが強く、自分の中に理想の子供の形がある。子供はそこから外れるたびに、無意識に「認めてもらえない、お母さんの理想の子供になれない、愛してもらえない」と、望まれた子供像になれない自分を責めてしまうのかもしれません。 

 

自然の中で伸び伸びさせる事は、教育熱心とは逆の発想なので、伸び伸びさせている、自由にさせている、と、母親は信じ込んでおり、周りも、親自身も子供を苦しめている事に気が付かない、そんな落とし穴があるような気がしました。 

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131 遠くに買い物に行く

131 遠くに買い物に行く 
 
 

近くの買い物には全く着いてこなくなった長男が「遠くの買い物なら行きたい」と言うので、車で1時間程掛かる商業施設に行きました。

 

同じ学年くらいの小学生がいると怯え、自分の姿を隠そうとするので、 

 

「大丈夫、大丈夫、知り合いの絶対に来ない場所に来ているから」 

「堂々としていればいい、元気になるためにお休みしている、それだけだから」 

「悪い事なんて、何一つしていないんだよ」

 

と言い、励ましましたが、下を向いている事が多かったです。 

 

お誕生日を迎え、不登校が始まった8歳から9歳になりましたが、外界に怯え、自分のしたい事も出来ない息子を見ていると、今しかない息子の子供時代、この子が本来の姿であれば出来ていた、貴重な人生経験を奪っているのではないか?と、焦りのような、苦しみのような感情が生まれた事を覚えています。 
 
 
克服ママに相談すると、 

息子さんは半年間、全く人に会えなかった、親族にすら会えず、家族以外は拒否していた。

 

外に出ないので日に焼けず、顔は白いを通り越して青かった。

 

心が回復してくると、段々と人に会えるようになるので、息子のペースで、ゆっくり見守ってあげて、と言われました。 

 

今のあの子を見ていると、親友と幼馴染以外の人に会える日がくるなんて、想像も出来ない、と思いました。 

 

そんな日がくるのかな・・・ 
 

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130 幼い息子たちからの景色

130 幼い息子たちからの景色

 

 

私は、息子たちが、まだとても幼いころ、何度も何度も、酷い言葉や態度で、彼らから自信を奪い続けていたのだと思います。

 

娘を妊娠する前、3人目を妊娠することなど、絶対に嫌、なぜ、これ以上大変で、辛い思いを、自ら選んでするのか分からない、絶対に、嫌、と本気で思っていました。

 

3人産んでいるママと話をしていると、同じように、もう、産まない!と思っていたけれど、ある日、急にほしくなるよ、そう言われても、ないないないない、私は絶対にない、と思うほど、子育てはしんどいものでした。

 

少し子育てが落ちつきはじめ、辛い気持ちが薄まり、女の子がほしいね、となり、娘を授りました。

 

大変なら、手を抜けば良いのに、手を抜くことができませんでした。

 

本当に、できないのです。

 

手を抜く選択肢をもっていませんでした。

 

楽をしてはいけない。

 

手を抜く自分を許してはいけない。

 

子育ては大変で、辛い事なのだから。

 

そう、思っていました。

 

手を抜く自分を許せず、全力で向き合うことしかできない。その向き合い方が完全に間違っていて、子供を苦しめる、子供が苦しんでいる事に気付いておらず、子供から見えている景色を、見ようとしていませんでした。とにかく、大変、そんな気分で、子育てをしていた時期がありました。

 

もー、あんたなんて

いい加減にしなさい

意地悪だね

ほんとに、嫌い

可愛くない

と、悲しい言葉をかけてしまう。

 

話しかけられても、相手がこれ以上話しかけたくなくなるような態度で接する。

 

そんなことを、してしまう時がありました。

 

今振り返り、当時の息子たちの写真を見ると、こんな小さな子たちに、私は何をしていたんだと、客観的に見ることができますが、当時の私は、本当に、気持ちに余裕がありませんでした。

 

そして、2人の息子たちは、自信がなく、不安の強い子になっていったのだろうと、思っています。

 

今、娘と過ごしていて、娘に、「どうして、何でもお母さんに頼むの?」と聞くと、「お母さんが大好きだから、お世話してほしいの、お世話してもらうと、幸せなの」と言い、「どうして、いつも、お母さんの近くにいるの?」と聞くと、「何だか、幸せな気持ちになるから」と言います。

 

小さな頃の息子たちも、きっと、ただただ、私との、温かな時間を過ごすことで、幸せな気持ちになりたかっただけなのだろうな、私は、それを満たす事ができなかったのだろうな、満たされることのない乾いた感情は、時間と共に形を変え、困難な親子関係を生み出したのだろう、と思っています。

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129 疲れだす

129 疲れだす

 

冬休み明けから、私も長男も、元気がありませんでした。

 

年明け等の節目は、言い表しようのない気持ちになりました。 

 

別の不登校児を抱えるママと話しをすると、休み明けは、落ち込むママも多いみたい、と言っていました。 

 

同じ心境の人が多いのかな・・・ 

 

以前相談した克服ママが、「不登校中は【子供は生きていればいい】と思っていた」と話していた時、「凄いな、私は、子供の先の事が不安になってしまうな」と思いましたが、 異常な程に元気のない子供を、毎日、毎日、24時間見ていると、私の中の「どうしよう!この子はこの先、どうなってしまうのだろう」という気持ちも少しずつ変化し、克服ママの言っていた事が理解できるようになっていきました。 
 
 
主人に、学校の対応を話しても

「人に期待しても無駄」

「文句言っても意味がない」

と、私の目を見ずに言い、自分は何もしない、いつもの、丸投げだな、と感じました。

 

私自身は、だいぶ、今の状況に慣れてきていましたが、年が明け、学校の無反応と長男の様子と、主人の丸投げに精神的に疲れてきていました。 

 

長男の昼夜逆転の影響で、日に日に、下の子達の生活リズムが崩れる。 

 

長男との2人きりの時間をなるべく長く確保しようと、下の子を、叱って寝室に連れて行き、泣かせてしまう。

 

叱らなければ、永遠に寝室に来ず、ついつい、きつい口調になってしまう。 

 

次男が遅く寝れば、次の日に起きれず、朝起きるときに機嫌が悪く癇癪を起こす。

 

悪影響を与える長男にイライラし、あからさまに嫌味な態度で、

「次男は、明日、幼稚園があるのだから、いい加減、寝なさい!」と言ってしまう。 

 

私がイライラし感情をむき出しにしても、子供たちの負の感情が、私に跳ね返って来るだけで何も良い事がない。 

 

分かっていても、余計な事を言ってしまう罪悪感、変われない自分への自己嫌悪、こんなふうに接して子供はどう育つのかという不安感、24時間子育ての睡眠不足、精神的、肉体的な疲れ、全てに対するストレス、もう、私の中の全てがぐちゃぐちゃでした。 

 

解決してくれる相談所を探す気力さえ、無くなりつつありました。 
 
 
 ・・・

 
 
家族の心が元気ならそれでいい。 

 

ある日、下の子2人を連れて、公園へ行きました。次男が、

「お兄ちゃんがいなくて、つまらない」,

と言い、退屈そうにしていました。

 

家で、真っ暗な部屋の布団に入り、ゲームをしている長男の姿が目に浮かび、途中から涙が止まりませんでした。 

 
公園へ行く事ですら、我が家にとっては、とても幸せな、叶わない夢のようでした。 

 

心が元気で、幸せに生きていてくれたら、それでいい、本当にそれだけでいい、と思えるようになり始めていました。 
 
 

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128 相談することを諦めだす

128 相談することを諦めだす

 

 

2022年1月中旬 

 
 

冬休みが明けてから、1週間が経ちましたが、学校からは、何の連絡もありませんでした。

 

冬休みに入る前に、「個人のパソコンは学校保存でよいですか?」と連絡があり、その際にも長男の名前は一度も出ませんでした。 

 

長男の事を聞かれなかった、だからなんなんだ、という話なのですが、気にならないのだなと、何とも言えない気持ちがありました。 

 

どうにかしてほしい、助けてほしい、そんな気持ちではありません。 

 

知識のない私には、学校しか頼る場所がありませんでした。学校しか頼る場所のない私が、全く頼りにならない学校に対し、説明する言葉が見つからないような、絶望感のような、そんなことを感じていました。 
 
 
どこに相談に行っても、何も解決策がなく、ただただ、克服ママに言われた【過保護】を頑張っていました。

 

ネットで検索すると、長男の症状は小児鬱にとても症状が似ており、小児鬱は半数は再発し、発症年齢が低ければ、低いほど、大人になってからの再発も多いという文字を見ては、心が締め付けられ、息子の将来が不安になり、もう何も考えたくない、と思うのに、ずっとその事ばかり考えてしまう、そんな毎日でした。 
 
 
学校の、今の対応を見ていると、息子が回復しはじめたとしても、どのように手伝ってくれるのだろう?対応が頼りなさすぎる、そんなことばかり考えてしまいました。 

 

 

一体私はどうしたらいいのだろう・・・ 

 
 

以前、担任の先生に、長男が学校に戻る気になった際、少しでも学習に付いて行けるよう、本当に必須な学習部分だけを絞って、プリントを下さいと連絡しました。 

 

私が依頼してからは、ポストに、プリントが入っていますが、最低限どこをやれば良いのか、という指示は一切ありませんでした。メッセージの一つも、添えられていませんでした。 

 

担任の先生の仕事とは、こんなものなのだろうか? 

 

私が、期待し過ぎなのだろうか? 
 
 

・・・

 

どこに相談すればよいのか分からず、息子は相変わらず元気がなく、冬休み明けの学校の対応への不安やら不満やらで、何をどうしたら良いのか分かりませんでした。私自身が、先の見えない不安に押しつぶされそうでした。 

 

もう一度、市に相談したら、と助言をされましたが、相談をしても結局、市が学校に言うだけ、言う相手は教頭先生です。堂々巡りになるだけです。

 

それなら、別の相談所に行ってみたら、とも言われましたが、何度も何度も、行き渋り前の反抗から、今に至るまでの、話を長々とし、言われる事は、分かりません、大変ですね、早急に心療内科を受診してください。 

 

・・・ 

 

主人は一度も、相談所へは行かず、誰かに相談しよう、現状を良くしようと、調べているようには、私の目には映りませんでした。私の中で、自分だけが動いている感じがし、もう、くたくたで、これ以上誰かに、事細かに事情を話すパワーは残っていませんでした。

 

段々、無気力になり、本や、ネットで不登校を調べる事すら、もう疲れていました。

 

不登校専門の、知識が豊富で、信頼できそうな相談機関は安くて1時間7000円、高いと、10000を超えていました。不登校相談が1時間で終わるはずもなく、とても継続して相談できないな、という印象でした。

 

同じ境遇の人のコミュニティはどう? 

 

同じ立場の人の意見のが参考になりそうじゃない? 

 

とも言われましたが、本当に全てに疲れ、行動する気が、もう、起きませんでした。 
 

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127 9歳のお誕生日

126 9歳のお誕生日 
 
 

2021.1月末の休日 
 
 
長男のお誕生日に近い週末に、お誕生日会を計画していました。 

 

その前日、長男は20時に起きてきました。 

「もうすぐお誕生日だね!明日、誕生日会をしようね」 

と言うと、顔がこわばりました。 

 

お誕生日、嫌なのかな・・・ 

 

次の日のお昼、誕生日ケーキを見せると、ケーキでも、私でもないどこか1点を無表情で見つめ、 

「もうすぐ、4年生、僕は4年生もずっと休む」 

「お誕生日、9歳になるけど、僕は、学校には行けていない」 

と、機械のように単調に言いました。 

 

学校に行けていない僕が、9歳になってもいいのか?という雰囲気でした。 

 

誕生日が全然嬉しくない様子で、むしろ、苦しそうでした。 

 

外食をすることを長男が嫌がるので、夕方にお寿司を買いに行きました。 

 

前日20時から起きているので、もうすでに、長男は20時間起きていることになる、寝ちゃう前に買ってこなきゃ!と思い、主人に、

 

「急いで買ってくるからね、寝ちゃわないようにね!」

とお願いして出かけました。 

 

帰って来ると、長男の姿がありませんでした。主人に、

「寝ちゃった?」

と聞くと、

 

主人は

「知らない」

と答えました。 

 

寝室を覗くと、長男は布団に入り眠っていました。

 

前日、20時間起きていたから、明日の昼過ぎまでは起きないな・・・

 

娘もお昼寝をしていて、部屋がとても静かでした。 

 

主役の長男はおらず、静まり返った部屋で、豪華な食事とケーキが食卓に乗っていました。 

 

何とも言えない、虚しさがありました。 

 

悲しいな・・・ 

 

本当に、何だか、悲しいな。 

 

何に対して悲しかったのか、いまだに、よく分かりませんが、ただただ、悲しくて、虚しい気持ちになった事を覚えています。 

 

息子の誕生日をお祝いできませんでした。

 

誕生日、嫌そうだったな。

 

なんで、こんな事になっちゃったんだろう。

 

どうしたら、何をしたら、あの子は元気になるのだろう?

 

そんな感じです。 
 

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126 冷えたからだ

126 冷えたからだ
 
 

2021.1.15 

 

この日も、友人が来てくれました。

全然お風呂に入らず、着替えない長男が、自ら着替え、 

「お母さん、これでいいかな?」と聞きました。 

私は、自ら【着替えよう】と思えた気持ちが、ただただ嬉しかったです。

 

長男は、ママとも話し、楽しくゲームをし、帰りには友人とママを玄関まで送っていきました。 

 

お風呂に入らない長男の足先は、いつも冷えていたので、足湯器を購入し温めました。 

 

長男の足を触ると、氷のように冷たく、しもやけで、紫色になっていました。 

 

私は、 

「足冷たいねー」 

「しもやけ、痛くない?」 

「明日、銭湯行こっか」 

と聞きましたが、 

 

長男は、 

「・・・」 

無言でした。 

 

私は、 

「やめておこうかね」

と言い、行きたくないんだな、と察し、それ以上聞きませんでした。 

 

・・・

 

寝室に行く前に、長男が私に、 

「お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、僕のこと、すき?僕はお母さんのことが大好きなんだよ、お母さんは僕が好き?」 

と聞きました。 

 

私は、 

「勿論、だいすきだよ!大事な息子だよ!」 

と言うと、 

 

長男が、 

「ありがとう、ありがとう」 

と言いました。 

 

私は、 

「えー、何がー?」 

と聞くと、 
 
「色々、いつも、ありがとう、本当に、ありがとう」 

と言いました。

 

小さいながらに、色々考えているのだろうな・・・ 

 

少しずつ、元気になれますように! 
 

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125 返事をしない意味

125 返事をしない意味

 

 

冬休みが明ける前日、息子はまた、30時間休憩なしでゲームをしました。

 

あまりにも食べない長男を心配し、当時、私は日記に走り書きで、長男が1日に食べたものを書いていましたが、ほぼ毎日、1食しか食べていませんでした。 

 

冬休みが終わるその日、私は、長男に、 

「冬休み、終わるね」 

と声をかけました。 

 

長男は聞こえていないかのように、無反応でした。学校が始まったその日は、20時間ずっと寝ていました。 

 

長男は、私にも生活がある、という事を理解していないのか、理解していても、そこまで気が回らないのか、夜中の3時頃に私の肩を何度も叩いて、

「お母さん、暇だから、一緒にゲームしよ」

と起こされることがありました。

 

私は起きては行くけれど、結局ソファで寝落ちしてしまう。それでも長男は、

「横に人がいるだけで、寂しくないからいい」

と言い、何度も夜中に私を起しました。

 

 この時期はとにかく食べず、どんどん痩せていきました。

 

 

2021.1.11 
 

幼馴染の友人が来て、夕方2時間ほど遊んでいました。

 

小さい頃から親同士も仲が良く、この日は長男が、友人のママが家に上がっても大丈夫そうだったので、同じ空間に子供達、ママ達がいました。

 

長男のことを心配してくれているママは、よく、お出かけの際に声をかけてくれていました。私は長男の状況を見て、「まだ、無理なんだよー」と断っていました。

 

その日は、「今度、映画に行こうよ」と誘ってくれました。 

 

その場に長男も、友人も、親もいました。 

 

長男に、

「映画行きたい?」

と聞くと、無反応でした。 

 

しばらくして、また私は長男に、

「どうする?映画誘ってくれてるけど行きたい?」

と聞きました。

 

また無反応です。当時、私は、長男が無反応の時は「NO!」と言っていることに、気が付いていませんでした。「返事しない!」「聞いてない!」そんなふうに捉えていました。 

 

友人たちが帰ると、長男は私に、 

「お母さんは、分かっていない!」 

「お母さんは、僕に意地悪をした!」 

「僕をいじめた!」 

「僕のことは、ほっといてよ!」 

と怒っていました。 

 

あ、映画のことだな、と思い、 

「ごめんね、行きたくなかったよね、断ったよ、安心してね」 

と私が言うと、 

 

長男は、 

「ありがとう」 

と言いました。 

 

本人がいる前で断るのは失礼だから断れない、でも行けない、それなのに、何度も私が友人がいる前で聞くので、嫌だったそうです。 

 

この日の学びは、長男が返事をしなかったら「NO」。

 

優しい長男は、断られた側の気持ちを考え、断ることは悪いことだと捉えているようでした。

 

「NO」と言わない代わりに、無言。それで察してよ。そんな感じなのだと思います。

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124 冬休み前後の学校の対応

124 冬休み前後の学校の対応 
 
 
 
担任も、スクールカウンセラーも、教頭先生も、何も役にも立たないと気が付いた私は、何かヒントがないかと市役所の子育て相談をしている部署に相談に行きました。

 

初めは、若い女性が対応していましたが、内容を聞き、途中から、

「私ではよく分からないので、以前、校長先生をしていて、とても親身になってくれる方がいる」

と、60代前後の落ち着いた、優しそうな男性に交代しました。 

 


その男性に、今、我が家は、

・過保護にし、全て本人の望む様にしている

・親は一切コントロールを止めている

・昼夜逆転、ゲーム依存も一切注意はしていない

という話をしました。

 

その方は、「ご両親は、腹を括って対応しているのですね」と言い「学校からの力添えはありますか?」と聞きました。

 

私は、正直に、

・プリント類も一切持ってこない

・電話もかかってこない

・かかってきても、業務連絡のみで、息子の名前は一切出ず、状況も聞いてこない

・教頭先生には「出来る事はありません」と言われている

という話を、クレームとしてではなく、ただただ、事実として話しました。 

 

学校側の対応に対しては、初めから期待しておらず、諦めきっていたので、状況を話す事で、学校側の対応をどうにか変えてくれ!という考えは一切ありませんでした。 

 

その方は、話を穏やかに聞いてくれましたが、具体的な指導はなく「今の対応を続けて行きましょう」くらいの事しか言いませんでした。 

 

それでも、相談後、教頭先生に、連絡をしたようでした。 

 

教頭先生から私に電話がきました。教頭先生は、 

「申し訳ございませんでした、何かの手違いで、誤解を生んでしまったようで、今後はプリント類も渡し、出来る限りケアしていきますので」 

そんな事を、電話越しに、一方的に話続けられた記憶があります。

 

不快感しかありませんでした。 

 

誤解?手違い?ってなんのことだろう?

 

市の、偉い人から、今の学校側の対応は良くないと、何か指導を受けたのだと思います。 

 

なんなんだ、この人は、どこまで保身なのだろう? 

 

私は、クレームを言っていません。ただただ、起っている事実を、市の、きっと偉いであろう職員に伝えただけでした。

 

電話越しの教頭先生の話し方は、明らかに、低姿勢になっており、それが、私を苛立たせました。 

 

そんなに、怒られたくないの? 

 

そこだけなんだろうな。

 

彼女の頭の中に、長男を救いたいという気持ちは1ミリでもあるのだろうか?

 

「出来る事は何でもします」 「私に、何でも言って下さい」「今は何が出来ますか?」「何にお困りですか」と聞かれました。


私が、もし、また市に相談すれば、「学校側としては、何でも言って下さい」とお母さんに伝えてあります、「助ける気はあります」と保険をかけているのだろう、と私は捉えました。 

 

教頭先生に、初めて相談してから2か月以上過ぎていました。

 

とても苦しかった時期に、相談に行っても、時計ばかりを見て、他人事のように、「出来る事はない」と言い切っていたのに、なんなんだよ。 

 

今更、「どうしましょうか、何でも協力しますので」という言葉を、よく平気で言えるな。 

 

そんな感情しか生まれませんでした。 

 

そんな自分だけを守っている人に、今の状況を救えるわけはない、この人が良い道しるべを示してくれるはずかない、私はそう思いながらも、ただ、「ありがとうございます、助かります」とだけ言い、電話を切りました。 

 

なんなんだよ。

 

いっそ、無関心で通してくれた方が不快にならずに済んだはずです。 

 

担任は、相変わらずでした。以前のまま、特に何もせず、 冬休みに入る前にも、冬休みが明ける時にも、電話は来ませんでした。

 

冬休みが近づき、ポストに入っていた冬休み日誌には、メッセージすらありませんでした。 

 

ただ、冬休み日誌だけが、「ぽん」とポストに入っていました。 

 

息子は今、あの学校には存在していないのだな。

誰も、気に留めていないのだな。

 

もう、親しかいない。 

私には、知識がないけれど、教師にも知識がない。教師は、知識がないに上に愛もない。 

 

最悪な気分でした。 

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123 

123

 

 

克服ママのアドバイスを聞き、過保護にすることを実践していましたが、いつも頭の片隅でこんなことを思っていました。 

・この子は、回復したとしても、自由にしか過ごせないのではないか

・自分のしたい事しかしないのではないか

・親のお願いなど、何も聞かなくなるのではないか

・自分勝手に過ごす生活に慣れ、普通の生活に戻れなくなるのではないか

・ゲームと上手に付き合える日が来るのだろうか
 
 

お正月、実家にいる間も昼夜逆転の長男は、夜中になると、

「お腹が空いた」

と、私を起しました。

 

実家のリビングで夜中に料理をするのは迷惑をかけてしまうため、長男と2人で夜中の2時過ぎにマクドナルドへ行き、ドライブしながら食べ終える、そんなことをしていました。

 

外は静まりかえっており、車に乗る瞬間の、車内の空気がとても冷たく、がらがらに空いている道を、小さな息子とドライブするのは、とても不思議な気持ちでした。 

 

何をするにも、どこへ行くにも、私は頭の中で、これから起こりそうなハプニングを想像していました。

 

ハプニングが起きてから考えればいいや!という思考にはなかなかなれず、いつも神経を使い、とても疲れていました。 

 

長男の気性は乱高下で、夜中にマクドナルドに連れて行けば「ありがとう!ありがとう!」と、必要以上に大喜びし、私が連れて行くのを、面倒な素振りをすると、不機嫌になり「もーいー、はいはいはいはい、もう食べたくない」と布団に潜り、一切話を聞かなくなる。

 

常に長男の言いなりになっていれば、機嫌がよく、少しでも否定的な態度をとると、関係が悪化する、そんな感じでした。 

 

「あー、今日この子は何時に寝て、明日は何時に起きるのかな?初詣に行きたいけど、一緒には行けないな、下の子だけ連れて行こうかな、帰宅前に長男が起きてしまうと、声をかけなかった事で、機嫌が悪くなるのかな」 

 

・・・

 

結局次の日は初詣には行かず、姉達と焼き肉に行きました。

 

店員さんがよく通る席は、長男が落ち着かず、人が通らない席がいいと、奥の席に座りました。

 

食事中に、何度も何度もトイレに行き、長時間トイレにこもり帰って来ず、食べ終わると、すぐに家に帰りたがりました。

 

人と接する事に、とても怯えているように見えました。

 

食べ放題のお店で、「残すと追加料金です」と言われ、ほんの少し、小指の第一関節位の焦げたお肉が鉄板に残っているだけで、過剰に心配し、「ダメだよ、ダメだよ、残してるよ」と言い泣きそうになる。 

 

「これ位大丈夫だって、心配しなくて大丈夫だよ」 

と私が言えば、お母さんは、なんて酷い人間なんだと猛攻撃。

 

あー、この子に禁止事項はダメだな。くそ真面目なのか、融通が利かないのか、子供なんてこんなもの、という範囲なのか、私にはよく分かりませんでした。

 

全ての事を、こんなふうに、真面目に捉え、約束事を守ろうとしていたら、そりゃ、疲れ果ててしまうよね。

 

一体誰に似たのだろうか。 

 

家でずっと引きこもっているのは心配だけれど、外出しても、出先でとても長男に神経を使う。下の子達まで閉じ込めておくわけにはいかない。でも、長男は行きたくないと言い、おいて行かれるのも嫌。

 

あぁ・・・子供たち全員の要望を叶えるなんて無理。

 

私は優先順位を付ける事が苦手で、全て、やらなければ、と思う性格なため、余計に苦しく、どうしよう、どうやって全ての要望を叶えよう、とあたふたする事が多かったです。 

 

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122 2022年のお正月 次男

122 2022年のお正月 次男 
 
 
 
当時、次男は多動性がとても激しくなっていました。  
 
・ずっと頭を振って走り回り、人にぶつかる  

・一秒も止まることなく体を大きく動かし続ける

・家の中でも壁から壁へぶつかり続ける

・笑わず、表情が乏しい  
 
 
 
とにかく動くのです。 
 
 
家中の物に当たり、物が倒れたり、壊れたりしていました。  
 
 
 
絶対に普通ではない、発達障害と呼ばれるような動きが沢山出ていました。  
 
 
主人と私は、 
「もう!止まってよ!」  
 
と、叱ってしまう事が何度もありました。 
 
 
次男は爪を全て噛み、10円禿ができ、祖父母とのコミュニケーションもあまりとれませんでした。 
 
 
実家の近くに住んでいる、姉には懐いていて、一緒にパン屋さんへ行ったり、楽しそうに過ごす事もありましたが、基本的には部屋の隅にいて、自信なさそうに周りを見ている子でした。 
 
 
私に異常に執着しており、私の作った物しか食べない、人が次男の食事のお皿に触ると癇癪を起こし、もう食べない、私が空間に居なければ、不安で探し回る、返事をするまで叫び続ける、そんな状況でした。  
 
 
長男にも次男にもとても手が掛かり、神経を使う、更に、2歳の娘は普通にまだ手がかかる。  
 
 
 
あー、疲れたな。  
 
 
 
どうして我が子たちは、こんなに手がかかるのだろうか?
 
 
 
そして、どれ程周りに、頑張っている、普通は精神持たないよ、と言われても、私の中に刻み込まれている、いつもの考えに辿り着く、  
 
 
 
「あー、私は頑張れない、子育てなんて向いてない、辛すぎる、上手に子供を育てられない、やっぱり、私は良いお母さんではないし、良いお母さんになんてなれない、もう、嫌だ!」  
 
 
 
それでも、逃げることはできない。やるしかない。私の居場所はここにしかない。 
 
 
いつか、こんな日があったね、と思える日がくるのだろうか・・・  

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121 2022年のお正月 長男

121 2022年のお正月  長男
 
 
 
年末年始は私の実家へ行きました。 
 
 
実家に行く事はできても、長男は、皆のいるリビングではなく、2階の部屋で、ずっとゲームをしていました。 

 

下の子は親族と出かけるのを楽しみにしていました。 

 

長男は、きっと本心は出かけたくないのに、無理をして、

「僕も行きたい」

「何で!行っちゃダメなの?」

と言い、連れて行った先で、様子がおかしくなり、帰宅せざるを得なくなる、もしくは、周りが物凄く気を遣う状態になる。 

 

そんな事の連続で、子供の全ての事に目が行き届いてしまう私は、いつも心が疲れていました。

 

幸い私の親族は、長男の全てを温かく受け入れており、出来る限り長男の希望に合わせようと、心底温かく、臨機応変に対応してくれていました。 

 

おいて行けば、僕だけおいていかれた、といじける。 

 

連れて行けば帰りたいとわがままをいう。 

 

必ず、私にだけ聞こえるように、ずっと文句を言うので、

 

「いっそ、待っていてよ、出先で周りを困らせないでよ」

と、毎回思っていました。 
 
 
我慢ができず、正直に気持ちを長男に伝えてしまうと、その後、最悪な事態が待っています。しばらく、落ち込み、体が動かなくなる、部屋から出ない、食事をしない、私の言った意見に対して100倍返しで攻撃してくる。そんな事ばかりが、繰り返されていました。
 
 
 
 
2021.12月31日 
 
 
年越しに実家から歩いてすぐの神社へいきました。

 

小さな神社で、近所の人が神社の真ん中に焚かれた火で温まっていました。

 

長男は、その火に当たりながら、 

「温かいね、綺麗だね、あ、僕少しブランコしたい」 

と言い、敷地内になるブランコをこいでいました。 

 

実家に来ている時は、知り合いに会うかもしれないという恐怖から開放されるのか、明らかに表情は明るかったのですが、それでも、昼夜逆転し、一日中寝っ転がりゲームをする生活習慣は変わりません。 
 

 

2022.1月1日 

 

祖父母が、子供達にお年玉をくれました。 

 

毎年長男はお年玉をもらうと、 

「誰からいくらもらった!」 

「こんなに沢山になった!」 

と言いながら、合計金額を計算したり、そのお金を使いたくて近くに買い物に行ったりするのですが、今年は貰っても中身を見る事はありませんでした。 

 

中身を見ないどころか、貰ってすぐ、お年玉袋を近くの机に置き、ずっと、そのままでした。 

 
 
そのお年玉袋は1年以上、開けられることはありませんでした。 
 
 
とにかく、全てに興味を失い、無気力でした。 
 
 


次の日にイルミネーションの綺麗な場所に連れて行きましたが、5分で帰りたがりました。 

きっと、すぐに帰りたがるだろうと想定しており、2台で来ていました。

 

「先にお母さんと帰ろうか?」 

と言うと、激しく抵抗しました。 

 

それでいて、 

「なにここ?楽しくない、意味あるの?」 
と、私だけに聞こえる声で言い続ける。 

 

下の子は、これがしたい、あれを食べたいとキラキラ光るライトの下で大はしゃぎで喜んでいるので、どちらに合わせればいいのか判断が出来ず、胃が痛くなり、

「あー、もう・・・私にどうしろって言うの!」 

と、どこへ行っても苦しい気持ちになる。 
 

何回同じシチュエーションになっても、何も悪くない下の子を我慢させる事、長男に振り回され、神経を使う苦しさに慣れる事はありませんでした。 

 

その日は、珍しく主人が一緒に来ていて、イルミネーションの綺麗な広場で芸をする、大道芸人を見て、

「なんか、一生懸命何かをする姿っていいね、不登校前はそんな事あまり考えなかったけど、学歴なんて、どうでもいいよね、自分の好きな事をして、社会と関わり、一生懸命生きる、幸せに生きていてくれたら、それで十分だよね」

と、目に涙を溜め、しんみり話していました。

 

一緒に来ていた姉は、

「一緒にアイス食べれたね!」

「よかった!よかった!嬉しい!」

「少し、外出出来たね!」

「うん、うん」

と言って、目に涙を溜めていました。

 

8歳の子供がイベント会場に行き、アイスを食べる。

そんな当たり前の事に涙が込み上げてしまう程に、長男は周りから見ても、元気がなく、無気力だったのだと思います。


 
 

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