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162 新しい教頭先生

162 新しい教頭先生 
 
 
 
教頭先生が変わりました。 

 

子供が何も問題なく学校へ通っている時、教頭先生の存在を意識したことはありませんでしたが、我が家は今、長男、次男ともに問題を抱えており学校に相談に行く機会が何度かありました。 

 

新しい教頭先生は、長期に渡り特別支援クラスを担当していた方で、長男の不登校に対して、 

 

「学校は勉強しにくる所じゃない、遊びでいいんだよ、と長男君に伝えて下さい」 

 

と言いながら、こちら側の気持ちを尊重し、対応を真剣に考えてくれているように見えました。 

 

教頭先生は、 

 

「学校なんて、来なくてもいいと思う、多様化だし」 

 

「でも、長男さんが来たい気持ちが少しでもあるのなら、学校がやれる事は全てやります、何でも言って下さい」 

 

「クールダウンで1人になりたいなら、1人になれる部屋を用意します」 

 

「音楽の授業に出たくないなら、出なくていいです」 

 

「宿題もやらなくていい」 

 

「まずは、学校に来るだけでいいと思います」 

 

「学校の事より、どんな子か知りたいな、会いたいな、何が好きなんだろ話してみたいな」 

 

と私に話しかけてくれました。 

 

「学校側はできる事は何もありません」と断言していた前年度の教頭先生とは比べ物にならない、そんな印象を受けました。

 

長男がとても嫌がっていた3年生の時の担任の先生は他校へ移動になったと聞き、 長男に、 

 

「3年の時の担任の先生、もう学校変わったみたいだね」 

 

と伝えると、長男は、 

 

「あの先生にもう会わなくていいんだ」 

 

「また、1つ学校に行ってもいい理由が増えたな、僕、行こうかな」 

 

と言いました。 

 

・・・

 

私はなぜか、長男が学校行きたいと言い出しても「嬉しい」という気持ちが湧きませんでした。 

 

理由は、多分・・・

 

私はもともと極端な性格で【嫌】という感情が芽生えると、そこから急降下で、その全てが嫌になる。

 

その全てに対し、嫌が止まらなくなり、受け付けなくなる。

 

そんな性格は極端な思考を生みました。

 

当時私は、その感情を学校に持っていました。

 

フリースクールの【自由にさせると子供に自主性が生まれ、伸びる】という思考や、きのくに子供の村学園の【全て自分たちで決める】という教育方針を知る度に、公立小学校への不信感が生まれていきました。

 

全て決められた事で、みんな同じ事をする公立に通えば、型にはめられ、個性や感性が失われてしまう。

 

子供の個性を潰されてしまう、心が病んでしまう、と極端に思い込んでおり、私の気持ちが公立小学校を拒否し、恐怖症みたいになっていたように思います。