不登校復活の道(ブログ)
220 できない事はできないと言って良いの?
220 できない事はできないと言って良いの?
2022年8月2日
ラインで相談依頼をして以来、先生が毎日子育てのヒントを私に伝授してくれていました。
「子育てにはコツがあります」
「ツボを気持ちよく抑えると、いろんな事が同時に好転していきます」
「生まれ持った、本来の良さを発揮してくれるようになります」
「 みんな、それぞれの良い特徴を持っています」
「大人のせいで、その良さを封印してしまうのです」
「今、子供は自信を失っているだけ」
「今までの子育てを謝って、お詫びして、いい子になってもらいましょう」
と教えてくれました。
・・・
その日も私は、長男と上手く接する事ができませんでした。23時に長男に、
「ご飯を食べたい」
と言われ、弟妹も遅い時間なのになかなか寝付かず、イライラしていた私は、長男にご飯をささっと作り、無言でその場を去りました。
無言で去っていく私に、長男が、
「おいしそう、ありがとう」
と言いました。
私は振り返らずに、無言で寝室へ戻りました。
「言う事聞いてるでしょ!」
「なんか文句あるの!」
そんな気持ちでご飯を作り、その感情を態度に出し、長男に食事を渡したような気がします。
・・・
長男がどん底にいる時には優しく対応できていたのに、今はできない。
と先生に相談すると、先生は、
「お母さんはね、疲れすぎ」
「『ごめんね』と謝って、『できないよー』と弱音吐いて良いのです」
「何でもやろうなんて、無理!」
「出来ることを、出来る範囲で」
そうアドバイスをくれました。
何か言われたら、全て答えなければいけない!
そう思っていました。
優しい気持ちで長男のお世話をできない自分自身にイライラしていた私は、
「え・・・やらなくていいんだ」
「頼まれたこと、全部やらなくていいんだ!」
と思いました。
・・・
他にも、
「育ち盛りの9歳の子が、23時から食事をする事も健康面で心配だ」
と言うと、
「人間は、そう簡単には故障しません」
「腹が減ったら食べるし、腹減ってなかったら、食べません」
と言い、私が、
「子供の要望に、どこまで答えて、どこから断って良いのか、落とし所が分からないんです」
と言うと、
「やりたくない時は、やらない!」
「これで良いんです」
「諦めが肝心」
「自分でやってもらって、自分で作ってくれたらその事を感謝し、『ありがとう』を伝えて下さい」
と先生は言っていました。
・・・
他にも、
「長男はすでに、ゲームは無制限ですが、7歳の次男も無制限で良いのか?」
の質問には、
「ゲーム楽しいんだね!よく集中できるね、凄いねー、と褒めておいて下さい」
と言いました、私は、
「えーーーーーー!」
「制限しなくていいんだ!」
「制限しなくても、この子達が将来おかしくならないなら、気持ちが楽だ!」
と思いました。
「夏休みでゲーム時間が無限にあるので、長男も次男も1日中、ゲームをしています」
「長男は今に始まった事ではありませんが、次男はまだ7歳の小学1年生です」
「1日15時間以上、毎日毎日ノンストップでゲームをしているのですが、制限しなくて大丈夫なのですか?」
と、私が聞いても、先生は迷うことなく、
「大丈夫!」
と返事をくれました。
この先生は、いつも、必ず言い切ります。
迷いを見せず、言い切る。
その指導方法が、私にはとても合っていました。
影響されやすい性格の私は、言い切ってもらう事で、自信をもって好き放題にさせる事ができたのです。
先生は私に、
「子供たちの事は、一切注意せず、当面褒め殺ししといてね!」
と言い、私は、注意しなくていいんだ!褒め殺しを頑張ろう!と思ったのでした。
219 光
219 光
7月31日に長文で相談ラインを送ってから、先生に相談に行く8月7日までの間に、先生は何度も子育て相談にのってくれました。
お母さんが寄り添いが出来ないでいるのは、
・精神的に疲れ切ってしまわれた
・力の抜き方が分からない
・あるいは、その両方、
かと思います。
私は、やるべき事はこれだけ、後は、こう考える、という具体的なアドバイスになります。
きちんとやって頂いたら、とても良い家庭環境に間違いなくなります。
困ったら、いつでもラインしてもらったらいいです。
と言い、先生はご自身が作成した、アドラー流子育て動画のサイトを教えてくれました。
先生が作成している子育て動画は、どんな親が子供と関係をうまく作れないか、などの説明を、堅苦しくなく、ユーモアを交えながら説明されていました。
動画の中の、子供に悪影響を与える親の特徴部分が、見事に私に当てはまりました。
【叱る事をしない!】
という動画の子育て法を参考にし、次男の問題行動をスルーし、できている事を褒めまくると、明らかに次男とスムーズにコミュニケーションがとれるようになりました。
次男の笑顔を見る事ができる日もありました。
気のせいかな?
と思いましたが、私はこの先生の指導方針はきっと間違いない。
と、直感的に思えたのです。
今まで、どこの相談所でも感じる事のなかった【光】のようなものが見えた気がしたのです。
・・・
相談料金を聞くと1回1000円と言われました。
「え!!!???」
通常不登校相談は1時間10000円を超えます。
「安すぎる・・・」
もう、ラインで既に、毎日何時間も無料で相談に乗ってもらっているし・・・
なんなんだ・・・
この先生は・・・
会う前から不思議な先生だな、という印象を抱いていました。
218 コミュニケーション能力の低い次男
218 コミュニケーション能力の低い次男
2022年夏休み
次男にどんなに優しく接していても、暴言をスルーし続けても、次男が私に反抗的に泣き叫ぶ事が頻繁にありました。
気に入らない事があり、癇癪のスイッチが入ると、次男は私を何度も何度も叩きました。
「思春期になったら家庭内暴力になるのではないか?」
と私は恐怖を感じていました。
・・・
次男はこの頃、主人と行くプールを楽しみにしていました。
楽しみにしていても、
「僕はどうせ泳げない」
という、マイナス思考のスタンスは変わりませんでした。
とにかく前向きな発言をしませんでした。
何に対しても、活発に何かに取り組むことをしませんでした。
・・・
長男の夏休み登校に付いて行く時も、必ず次男が一通り激しく文句を言いました。
「送迎に付いて行きたくない」
「でも家で一人では待てない」
と地団駄を踏んで怒っています。
長男が「今から学校へ行く」という事に緊張しているため、出発前に次男の要望に向き合う時間はありませんでした。
・・・
夏休み前からの次男の様子は、誰から見ても明らかに酷く不安定で、子供らしさは欠落していました。
そんな次男の様子から私は次男は夏休み明け、8割、9割の確率で不登校になるのだろう、と感じていました。
新学期に次男が少しでも緊張しない様に、
夏休み中、担任の先生と会う機会をつくろう!
と夏休み前から担任の先生と相談していました。
・・・
長男が学校へ行くと、校庭で1人で待っている次男に担任の先生が会いに来てくれました。
きっと、長男の担任の先生が次男の先生に、次男が来ている事を伝えてくれたのだと思います。
・・・
次男は夏休み前、学校にいる間、担任の先生にべったりでした。
放課も先生に寄って行き、一言二言会話をする様になってきたと聞いていました。
・・・
その日次男は、担任の先生が話しかけても無反応でした。
日陰でしゃがみ込み、石でずっと地面に字を書いていました。
先生は自転車に乗ってみたり、サッカーをしてみたり、次男と交流を図ろうと、色々試していましたが、次男は最後まで先生と一切関わりませんでした。
私はその姿を、長男が学習する4階の校舎から見ており、
「あ・・・次男は本当にコミュニケーション能力がないんだな・・・」
と思っていました。
217 親族との旅行
217 親族との旅行
2022年8月6日7日
私の母、姉2人、私、我が子達3人で旅行へ行きました。
不登校後何度も出先で長男に振り回されており、その経験から、私は旅行を予約する時も、前日も、
昼夜逆転の長男は行けるのだろうか?
「行く」というので予約はしたけれど、起きられるのだろうか?
移動中、遠いと怒り出さないだろうか?
人に合わせて行動する事で、疲れてパニックにならないだろうか?
長時間次男と同じ車で、文句を言わないだろうか?
そんな心配ばかりしていました。
上の姉は、
「心配なんてしなくていい」
「起きてもいない事を心配しなくていい」
「何か起こったら、その時にベストを考えて、できる対応を全力でしたらいい」
「何とかなる」
「長男君は心配されることが嫌なんじゃない?」
「母親に心配され過ぎる事が嫌なんじゃないかな?」
そう言いました。
分かってはいるのですが、私はどうしても心配してしまうのです。
・・・
旅先では、長男も次男も、仲良く過ごしているように見えました。
・・・
プールのあるホテルでみんなでプールに入りました。
長男と次男が仲良く遊んでいる姿を見て、とても嬉しかった覚えがあります。
夜中まで起きている長男が、朝食の時間に起きて来られるのか心配し、
「起きられるの?」
「早く寝てよ」
と言い過ぎて、
「分かってるって!」
と鬱陶しがられていました。
・・・
起こすのに苦労はしましたが、私の心配をよそに、長男は朝食の時間に間に合う時間に起き、皆と食事をする事ができました。
旅先でも私は、子供たちの心配ばかりしており、あまり、「楽しもう!」という気分にはなれませんでした。
長男がパニックにならないか。
寝不足で無理難題を言い出さないか。
そんな心配ばかりしていました。
長男の扱いが上手い私の母と、姉たちのお陰で、長男も次男も2日間ともプールに入り、沢山笑い、楽しく1泊2日を過ごし、帰路につきました。
・・・
私は家につくと、その足で、姉に紹介してもらった先生の相談所へ向かいました。
相談メールをその先生に送った日から、何度かラインのやり取りで子育て相談をし、この先生は今までの相談所とは全然違う!そんな事を感じていた私は、
今日から何かが変わるかもしれない。
きっと何かが変わるはず。
そんな期待を抱きながら、車を走らせていました。
216 デイキャンプにて
216 デイキャンプにて
2022年7月
長男が生まれて、赤ちゃんの頃からずっと仲良くしている3家族と、近場でデイキャンプをしました。
次男の無気力、無表情はどんどん悪化していました。
まず、ゲームをする時間が無くなる、という理由で、外出を嫌がりました。 私が、
「バーベキューだよー」
と誘っても、次男は、
「何で行かなきゃいけないんだ!」
「勝手に約束しやがって」
「行くな!」
「行きたくない!」
「ゲームが出来ない!」
そんな事ばかり言っています。
長男は長男で、
「うん、行くよ」
とは言うものの、顔は全く晴れず、相変わらずゲーム画面をずっと見ています。
娘だけは、ウキウキし、お出かけを楽しみにしていました。
・・・
集合場所に着きました。
長男次男は車から降りません。
他の子供たちは元気に走り回り、支度を手伝っています。私は、
「あーあ・・・」
「もー・・・・」
そんな気分でした。
・・・
デイキャンプの準備をしている間、長男がゲームをしており、走り回って遊んでいた子供たちがゲームをする長男の周りに寄って来て、みんなの遊びが止まりました。
私は、折角自然の多い場所に遊びに来ているのに、ゲームに釘付けになっている子供たちを見て、
長男のせいだな、申し訳ないな・・・
と思いました。
長男に、冷たい言い方で、
「ゲームやりたいなら、家にいたら良かったじゃん」
「何でくるの?」
と、小さな、白けた声で呟きました。
元々晴れていなかった長男の顔が、更に曇りました。
一緒に来ていたママは長男の事情をよく知っているので、
「いいのいいの、好きな事していたらいいんだって」
「来てくれてありがとうね」
と長男に言ってくれていました。
元気はないものの、長男は何となく、皆に紛れて遊んでいる時間もありました。
・・・
問題は次男でした。
私の横から全く離れません。
詰まらなそうに、ずっと私の横で、無表情で座っています。
誰とも関わりません。
何が気に入らないのか、
「ねー、何時に帰るの?」
と少し前に海へ行った時同様、帰る時間ばかりを聞いてきます。
「もう、帰りなよ」
「送って行ってあげるって」
と、私は言い、まとわりついてくる次男の腕を振り払いたい気持ちでいっぱいでした。
・・・
皆で食事を始めると、次男の様子がまたおかしくなりました。
次男は誰によそってもらったのか、お米の入ったお皿を持っていました。
それを不注意で落としました。
明らかに下に落としているのに、次男は全く反応しません。私が、
「落ちちゃったよ」
と言っても、反応がありませんでした。
感情の全くないロボットの様に座っているのです。
しばらくすると、次男は私に、
「ごはんがない」
と言いました。
私がご飯を紙のお皿によそおうとすると、
「あーーーー、やめて」
「お母さんが触った」
「お母さんが触った」
「食べれない!」
と言います。
私が、
「新しいお皿に入れるね」
と新しいお皿を用意しても、
「お皿触った」
「何するんだよ!」
「触ったから食べれない!」
と、訳の分からない事を言うのです。
あーーーー、始まった・・・
人の触ったものを全て拒否し、それでも「お腹が空いた」と言い続けるいつものやつだ。
・・・
長男は楽しく遊ぶ子供たちの中で、冴えない顔をしてゲームしているし、次男は訳の分からない事を言っているし。
なんなんだよ、うちの子達は。
・・・
長男の事をよく知っているママが、
「長男君、様子おかしいね」
「分かる分かる」
「目つきが違う」
と言い、
「気にしないでおこう!」
と私を励ましてくれていました。
もう一人のママは次男に、
「これ食べな!」
と次男の好きなおやつを渡してくれていました。
・・・
次男はこの日、誰とも関わらず、私以外の誰とも話さず、一度も笑いませんでした。
・・・
長男は家で「元気になった、回復してきた」と思い外に連れ出すと、大体こんな感じで、元気がなくなりました。
・・・
私はこの夏、何をしていても、今日は長男次男の情緒が安定しているのか、不安定なのか、2人の様子を観察し、神経をすり減らしながら過ごしていました。
215 先生への相談依頼文章
215 先生への相談依頼文章
私は、姉とのラインでの会話を終えるとすぐに、相談文章を作成しました。
・・・
初めまして。
姉から先生の話を聞いて、連絡させていただきました。
現在9歳(小4)の息子が8歳(小3)夏休み明けから行き渋り、10月12日から完全な不登校になりました。
色々な状態を経て、今は基本ゲーム、動画をしています。
以前よりは外に出る機会も増えましたが不登校前の活発さはありません。
行き渋り前は友人が多く、スポ少にも所属しており活発な子でした。
行き渋りが始まった頃は下の子(現在小1で当時年長の男子、現在年少で当時未就園児2歳の女子)が同じ部屋にいる事も困難な程、暴言や暴れる行為がありました。
不登校になる以前は、ゲーム機を一台もを持っていませんでした。
完全不登校になった後、11月1日からゲームを与えました。
ゲームを与えてからは昼夜逆転でゲーム、動画の日々です。
学校に行けなくなってから、初めの頃は誰にも会えず、庭に出る事もできませんでした。
インターホンが鳴ると、急いで玄関から一番遠い奥の部屋に行き、頭から布団をかぶり、震えながら怯え、体を隠しました。
その後、顔が引き攣り、弟妹に激しく暴言を吐き、暴れまわりました。
少しずつ落ちついて、3ヶ月程経つと短時間、別の学校の友人と、ゲームでなら遊べるようになりました。
それからまた数日経つと、同じ学校の幼馴染とだけは、会える様になりました。
行き渋りから8か月経過したゴールデンウイーク明けから、担任の先生に自宅玄関先で会える様になりました。
夏休みに入った7月26日、27日の2日間、誰も居ない教室に入ることができました。
今は睡眠不足だったり、少しでも脳にストレスがかかる出来事があると弟や母親への酷い暴言がはじまります。
機嫌の良い時は必要以上に料理を褒めてきたりします。
良い時と悪い時の波がとても激しいです。
様々な場面で不安が強い様子です。
児童精神科にかかりましたが【発育歴から自閉スペクトラム症の疑いあり】と言われています。
児童精神科の医師が本人に会ったのは一瞬です。
長男が拒否したため、医師と長男は一切話はしていません。
現在1年生の次男が、別の児童精神科で、ADHDと自閉スペクトラム症が合わさった感じと診断されています。
次男は、立ち歩き、新しい場所、人、環境で、体が固まるなどがあります。
遺伝的にも特性はあるのかな、と思っています。
不登校児を立ち直らせた経験のあるママから話を聞き【徹底して好きにさせる、頼まれたら助ける】を10か月前の2021年11月から実施し、少しは良い方向に向きました。
暴言暴力、暴れるなどはほぼなくなりましたが、変わらず引き篭り気味です。
私が4月くらいから、糸が切れた様に寄り添いが上手くできなくなりました。
4月の弟の入学式前日、本人が3時間かけて、
何が辛かったのか
どんな気持ちだったのか
学校に行かなくなった決定打はなんだったのか
泣き叫びながら私に話しました。
・女の子がとにかく口うるさい
・落書きを消される
・下が生まれてからとにかく寂しくて、その事を思い出すだけで吐きそう
・担任が嫌だった
・ゲームの話題についていけず、頭がダルくなった
等です。
その時に、学校に行きたいけれど、みんなに何か言われるのが嫌で行けない。 と訴えました。
「学校に行きたい」と言う言葉を聞いた時に、私の緊張の糸が切れてしまいました。
今は私が長男にあまり優しくできず、冷たくしてしまうことがあります。
優しくしなければ、と、頭で分かっていても、気持ちがついていかない感じです。
次男も、荒れていた時の兄の真似なのか、親が自分に同じ事をするのか試しているのか、最近反発、暴言が酷く私が参っています。
反抗的な子供たちへの対応方法が本当に分かりません。
3年生の夏休み前から、私が病むほどの反抗が続いています。
3年生の6月頃、一度家のお金を3000ほど内緒で持ち出し、内緒で大量に文房具を買っていました。
先生に子供への接し方、どこまで放任してよいのか。
次男はまだ小さいけれど、どの程度関与したら良いのか等、相談したく、連絡させていただきました。
長男はとにかく指示を嫌います。
「もー寝よー」
ですら嫌がります。
早い段階で子供達を救いたいです。
私自身も
・スクールカウンセラー
・児童相談所
・児童精神科
・発達障害研究所
・学校
・フリースクール
・色々な講習会
その他諸々で色々な話しを聞きました。
結局は、実際に不登校児を立ち直らせたママの話以外、何も役に立ちませんでした。
今はもう、どう対応したら良いのか分かりません。
突然のご連絡で申し訳ありません。
相談できるお日にちがありましたら、宜しくお願いします。
・・・
以上が、私が7月31日に姉から教えたもらった先生に送った相談の内容です。
21時21分にこの長文を先生に送り、9分後の21時30分、先生から、
「お力になりたいと思います」
と返信をいただきました。
214 ある先生との出会い
214 ある先生との出会い
2022年7月31日
長男の行き渋りが始まった当初から、私は毎日のように、長男の様子を姉2人に相談していました。
私がどこの相談所へ行っても解決策や対応方法を示してもらえず、県内で一番有名な児童精神科に行っても何も解決しない、と途方に暮れている事を姉たちは知っていました。
私はひたすら、克服ママの言う、
【過保護に、好きにさせる】
を実行していました。
長男は少しずつ笑顔が増えているように見える日もありましたが、やり方が合っている自信がありませんでした。
・・・
そんなある日、下の姉が、
「不登校とか、特別支援とかに詳しそうな、なんか面白い、凄い先生見つけたかも!」
と私に連絡をくれました。
姉がその先生に簡単に長男の話をすると、先生からは、
「お母さんが、子育てに疲れ果てたタイミングで、私のところにご案内して下さい」
「お母さんが、疲れ果ててから、にして下さいね」
「元気な内は、私の話なんか、誰も聞きません」
「あちこちに行って、ようやく、何となく親たち自身も、この辺りが落とし所だな、と納得ポイントができるんですよ」
「くたびれて、藁をもすがる状況であれば、いつでも力をお貸しします」
「私は、これまで見聞きされて来られたことを全て否定しますので、そういう事に、耐えられない親御さんが多いです」
「今は、もう、これで取り敢えず納得してるから、要らない知恵は入れないで!って拒絶反応が起きます」
「助けてあげたいのは山々なんですけど、本当に、へとへとに疲れ果ててからお越しください」
「思いっきり、悪くなってからお越しください」
と姉に連絡がきたそうです。
私は、姉に、
「えーーーーー」
「うちって、もう思いっきり悪くなってるのかなぁ?」
「まだなのかなぁ・・・」
「この先生に相談していいレベルなのかなぁ?」
「でも、相談したい!」
「連絡しちゃおうかな!」
と私が言うと、姉は別件でだいぶ厳しく指導されたらしく、そのラインを見せてくれました。姉が、
「先生はっきり言うから、色々言われるの覚悟していかないとダメだよ」
「ズバズバ言われるからね!」
「でも、愛があるよ!」
「愛があるのは確か!」
と言っていました。私は、
「大丈夫、何言われても平気」
「全否定されるの覚悟で相談してみる!」
「解決策教えてくれるなら、それでよし!」
姉が指導された時のラインを読ませてもらっていた私は、その先生の指導内容に【びびびっ】とくるものがあり、
「この先生、今まで相談した誰よりも的確な気がする」
「よく分からないけど!」
「うちの相談に乗ってくれるか分からないけど、連絡してみる!」
「長々といきなり詳細いれていいのかな?」
「相談があります、だけ連絡すればいいのかな?」
そんな事を悩んでいました。
私は気になった事をやらずにはいられない性格です。
結局、私は姉とのラインの直後、今までの経緯を細かく説明する文章を作り、全く迷わずに、相談希望である事をその先生にラインしました。
213 私が疲れ果てていく
213 私が疲れ果てていく
2022年7月27日
この日も長男は学校へ行きました。
担任の先生とオセロをして遊んだと言っていました。
担任の先生から沢山褒められたのか、帰宅すると長男は、
「先生が沢山褒めてくれた」
と言い、喜んでいました。
・・・
夜になり、私が下を寝かしつけ、一緒に寝落ちしていると、長男が私を起こしに来ました。
長男は、寝ている私に、
「今から勉強する」
と言いました。
毎日夜中まで起きていて、疲れていた私は、長男に対し不機嫌に、
「今何時?こっちの事も考えてよ」
と言ってしまい、結局長男はその日、学習できませんでした。
・・・
2022年7月28日
この日の夜、長男はとても酷く私に反発してきました。
何がきっかけだったのか、内容は覚えていません。
とにかく反発が酷かったのだと思います。
捲し立てて狂ったように私に反発してきたような記憶があります。
毎日毎日ずっと我慢をして、子供に優しく接していても相手からの要求はエスカレートする。
子供の状態は良くならない。
このままずっと子供と居たら頭がおかしくなる、と思った私は、その日、何かの糸がプツンと切れたように泣き叫び、主人に電話をし、帰ってきてもらいました。
主人は家には上がらず、私を車に乗せ、2時間ほど私の話をひたすら聞き続けました。
私が一通り、1人で3人に対応するのはもう限界である事を話すと、主人は、私の事を責めたりはせず、
「頑張っていると思うよ」
「子供達の人生もあるけど、お母さんの人生もあるからね」
「無理なら逃げたらいいと思う」
「自分を責める必要はないよ」
と言いました。
・・・
ご飯もプールも主人が一緒だと長男も次男も私に言うほどのわがままは言いません。
きっと主人はやり方が上手いんだ。
私が子供の扱いが下手なんだ。
そんな事を思い、どんどん自信がなくなっていきました。
・・・
私は常に、
長男に何か言われないかな?
言われないためにはどう行動したらいいかな?
これをしたら様子がおかしくならないかな?
寝てないな、大丈夫かな?
人が多いな、大丈夫かな?
無意識のうちに、そんなふうに心配ばかりして長男に接していたのかもしれません。
212 2022年、長男が4年生の夏休み
212 2022年、長男が4年生の夏休み
夏休みに長男が誰もいない校舎へ行くと言いました。
夏休み前の最後の家庭訪問の時に、担任の先生と約束をしたようでした。
次男、娘も夏休みで家にいるため、全員連れていく事になりました。
・・・
長男は夏休み期間中
7月26日
7月27日
8月3日
8月4日
8月18日
8月31日
の計6回、誰もいない校舎へ、1時間ほど行く事ができました。
家庭学習や担任の先生との関わりの中で、長男は夏休み日誌を全て終わらせることができました。
私には、長男が前向きに学習に取り組んでいるように見えました。
不安定な日があるものの、学校の敷地内に入ることが出来たことを嬉しそうにしていました。
7月28日
8月19日
8月30日
は先生と約束していましたが、直前になり、
「今日は行きたくない・・・」
と言い、行く事をやめました。
・・・
まず、7月26日
長男に、
「今日学校行く日だよー、どうしたいー」
と言うと、うろうろと落ち着かない雰囲気を醸し出しながらも、下を向いたまま、
「うん、行く」
と言いました。
出発時刻になっても、長男はなかなか支度をせず、ウロウロと落ち着かない様子でした。
私は内心、
「この子、行けるのかな」
「どうするのかな」
とドキドキしていました。
しばらくすると長男は車に乗り込みました。
学校へ着くまでの間、長男は下を向いてずっとゲーム画面を見ていました。
・・・
学校に着くと、先生が入り口で待っていてくれました。
長男はすぐに車から降りる事は出来ませんでしたが、自らダッシュボードにゲームをしまい、伸び切った前髪とマスクで顔を隠すかのように下を向き、先生の方へ向かいました。
私の方を何度も振り返り、
「お母さんも来て」
と言うので、妹を連れて校舎の中へ入りました。
次男は学校に付いて行くことを嫌がっていた為、
「行きたくない!車で待ってる!」
と怒っており、真夏の車内で待つことは不可能なため、
「車から降りて、日陰で待っていてね」
と言い、先生、長男、私、娘で教室に向かいました。
1時間ほどの学習を終え家に帰ると長男は安定しているように見えました。私が、
「明日も先生と約束してるんだっけ?」
と聞くと、
「うん・・・明日も行く」
と答えました。
担任の先生からは、
「今日は、まず教室に慣れる事から始めました」
「後半少し学習をしました」
「教えた部分の学習はすんなりと理解しています」
「理解力があるので復学しても学習面は取り戻せると思います」
と言われました。
211 2022年7月末、次男
211 2022年7月末、次男
次男は、夏休みの間、特に様子がおかしかったです。
お店にかき氷を食べに行っても10分ほど周りをキョロキョロと怯えるような目で見ていて、かき氷に手を付ける事もしませんでした。
溶けてきた頃に、私が、
「溶けてるよ」
「食べないの?」
と聞くと、体を小さくし、周りから見られない様にと隠れてかき氷を食べ始めました。
顔は完全に無表情です。
子供らしい無邪気さはゼロです。
その姿は、明らかに不自然で、この子に一体何が起こっているの?
と、とても不安な気持ちになりました。
・・・
次男の様子が心配になり、療育を受けさせた方が良いのかと、行政の相談所に電話をすると、
「次男さんの様子を聞いていると、他者と関わる事にストレスを感じているようですね」
「療育に通うこと自体がストレスになりそうな子ではありませんか?」
「家庭で今まで通りに過ごすことをお勧めします」
と言われました。
・・・
次男の、周りの人を拒否する態度はどんどんエスカレートしており、
姉が遊びに来て作ってくれた唐揚げにも手をつけませんでした。
「お腹が空いた」
と言うので作ってくれたのに、一口も食べません。
口元まで運び、
「これじゃない」
と言い、号泣し癇癪を起こしました。
その後、食卓に並ぶ食事に一切手を付けませんでした。
姉に対しても失礼だと思い、悲しい気持ちになりました。
・・・
最近は食事に対して拒否する事が多く、ほぼ食事を口にする事が出来ませんでした。
何が原因なのか、私には分かりません。
人が作った物は食べれず、買ってきたものなら喜んで食べる。
そんな感じでした。
以前は私が作った料理なら食べていましたが、最近は私の作った食事も拒否します。
作ったものに文句を言われ、食べない。
その文句の言い方も、
「嫌がらせかよ!」
「こんなもん食べれるか!」
「おい!」
「お前!」
「ふざけんな!」
「くそが!」
と癇癪を起こし号泣する。
作った物は食べないくせに、
「お腹が空いた!」
「何かないのか!」
と言い続ける。
毎食そんなやりとりがあるため、私は慣れてはいましたが、正直毎回、
【いい加減にしろよ!むかつくな!】
と思っており、へとへとでした。
・・・
こんなふうに周りに失礼な事をし続けている次男を見ていると、
私を試しているのだろうか?
わがまま放題言う事が当たり前と思ってしまったらどうしよう?
この子は何がこんなに気に入らないのだろう?
と不思議で仕方ありませんでした。
ただ、長男がいる時は次男はそんなわがままを言いませんでした。
・・・
とにかく、2022年の夏の次男の様子は今振り返っても異常な程におかしかったと思います。
210 長男がいない時の次男の様子
210 長男がいない時の次男の様子
次男は長男を省く両親、次男、娘で外出をすると、とても生き生きとしていました。
・・・
その日は家族でプールへ行く事になりました。
長男を誘いましたが、
「行かない」
と言うので、4人で出かけました。
長男のいないプールでは、次男はとても明るく笑っており、泳ぐことにも前向きで、一生懸命泳ぎの練習をしていました。
・・・
別の日、長男も一緒にプールに行くと、次男はチャレンジする事は一切やめ、ほとんど笑わずプールで詰まらなそうに過ごしていました。
「今日は泳がないの?」
と私が言うと、次男は、
「長男に何かを言われることが嫌」
「何か言われるくらいなら、何もしたくない」
そう言いました。
・・・
次男が何かをして、
「できた!」
と、喜んでいると、
「そんな事できて当然!」
「そんな事で喜んでいるのかよ!」
「誰でもできるわ!」
などと、喜ぶ事を馬鹿にされていました。
そんな事が続いた結果、次男は、長男がいる時には、何かに挑戦するという事を一切しなくなりました。
長男を留守番させて家族で出かける時は、私たち夫婦も、次男も娘もリラックスして過ごす事ができました。
209 不安定な時の長男の様子
209 不安定な時の長男の様子
2022年7月末
この頃、長男は情緒が安定している日、不安定な日で別人の様に様子が変わりました。
大変な子育てをする中、私は子供を【かわいい】と思う余裕がありませんでした。
姉たちにその事を話すと、
「不登校への対応、次男の支援級の事、子供が少しでも良くなるようにと一生懸命やっているのだから、可愛がっているよ!」
と言われました。
周りにそう言われても、自分が出来ていない事ばかりに目が行き、可愛い、可愛がっていると思う事ができせんでした。
【子供たちが可愛くて頑張っている】というよりも【このままでは困るから頑張っている】そんな感じでした。
・・・
【合う薬が見つかれば、本人も楽になり、穏やかになる】
そんな言葉を聞くと、長男に薬を飲ませるべきなのではないか?
と思う事もありました。
・・・
長男の情緒が不安定な時は、私が話せば、
「うるさい!黙れ!」
と言い、反応をしなければ、
「無視するな!」
「酷いよね!」
と食って掛かってくる。
もー、何したって文句言われるんじゃん!
たまに会いに来る担任の先生との学習約束を、私は管理していませんでした。
先生と約束した1日1ページの漢字を学習する事が嫌になると、
「勝手に約束しやがって」
と私に言います。私が、
「お母さん知らないし」
「自分が先生と約束したんじゃないの?」
と言うと、
「漢字をやるなんて言ってない」
と私に文句を言ってくる。
・・・
長男が次男の悪口を言い、注意をすると、
「うるせー毒親」
「性格悪いな!くそばばぁ!」
と言われ、売り言葉に買い言葉で、
「性格悪い親な事はお母さんが1番分かってるわ!」
「だからお前が生まれたんだ!」
と言ってしまい、言ってしまった自分に撃沈する。
「・・・」
「あーあ・・・」
「私、全然我慢できないな・・・」
「変われないな・・・」
「もう、無理」
関わっている相手が9歳児とは思えず、同じ土俵に上がり喧嘩をしてしまう。
【怪物みたいな子】を育てている、そう思ってしまう時があるのです。
・・・
あの子1人のせいで他の4人の家族が不健康になる。
もう長男に施設に入ってほしい。
長男を省いた4人で平和に暮らしたい。
楽になりたい。
そんな事を考えてしまう日がありました。
208 主人からの依頼
208 主人からの依頼
2022年7月23日
朝、次男を優しく起こしても暴言を吐かれる。
長男には、
「寝よー」
と優しく話しかけても、
「指図すんな」
「指図されるから寝たくなくなるんだ」
と言われる。
「皆んな寝よっー」
と明るく言うだけで、全く思いやりのない返事が返ってくる。
そんな毎日はもう、うんざりでした。
疲れ切った気持ちは顔に出て、きっと態度に出て、それを子供たちが敏感に感じ取り、負のスパイラルに陥っていたのだと思います。
・・・
主人の実家に帰ってから、主人が子供たちの状況に口出しする様になりました。
今まで子育てに何も口を挟まなかった主人が、長男の事を、
「昼夜逆転も治らない」
「本人は治す気もない」
「スマホ依存もある」
「このままじゃまずい」
「このまま好きにさせていてはいけない」
「もう、親はお手上げだから、入院させようか」
「次男への暴言が酷すぎる」
「回復が遅すぎる」
「とにかく外に出さないといけない」
「このまま好きにさせていたら、家庭内では許されても、社会に出た時に本人が困る」
「だめな事はだめ、と厳しくするべき」
そんな事を急に言い出しました。
私に対しては、
「どんなに手抜きでもよいから、とにかく明るく笑顔でいてほしい」
そう言われました。
【お母さんが元気なら家族は明るくなる】そんな呪縛のような事の書かれている参考資料を、何度も読んでいました。
笑顔でいてという主人の言葉は、きっと義理のお母さんから言われた言葉です。
子供たちがこうなったのは【私のせいだ】という意味なのかな、と私は感じました。
・・・
主人が実家に帰った際、余りに酷い状況の我が家の子供たちを見て、義理のお母さんに、何か言われたのではないかと思います。
義理の母は、息子たちを見て、びっくりしており、
「昼夜逆転は直さないと」
「発達障害だったとしても、情緒があまりにも不安定すぎないか」
と主人に言ったそうです。
・・・
私たち夫婦は長い時間をかけて、徐々に今の状況に慣れていった為、感覚が麻痺していました。
冷静に考えれば、9歳の子供に、普通の声掛けをする事ができない。
「ご飯食べよー」
「寝るよー」
そんな声掛けにすら、
「指図するな」
「俺が好きな様に動く」
そんなふうに返してくる。
やっぱり、長男は異常なんだ。
あの児童精神科が言っていた 、
「お兄ちゃん、客観的に見たら明らかに、異常ですよ」
それが正解なのかもしれない。
言われた時は、
「許せない!」
「いい子なのに!」
そんな気持ちになったのに、今の長男の態度を見ていると、医者から見たら、私が理解力が乏しく、物分かりの悪い親なのではないか?
そんな気持ちになりました。
・・・
主人の実家に行った際、娘は主人にべったりだったそうです。
お出かけに長男を誘うと、
「妹が行くなら行かない」
と言う。
主人と次男がハンバーグを食べに行く約束をしていると、長男は、
「ハンバーグは食べたくない、焼肉に行きたい、ハンバーグなら行かない」
そんなふうに、主人を困らせた、と言っていました。
次男は次男で、
「何で全部長男の言う事を聞くの?」
「僕は?」
「何で、いつも僕の意見は聞いてくれないの?」
と主人に訴えかけたそうです。
長男が入院を受け入れるはずがありませんでした。
両親も躾けるべきか、厳しくするべきか、今までのやり方で何も言わず長男のペースで生活させるべきなのか、もう分かりませんでした。
どーすりゃいいの?
まさに八方塞がりでした。
私はもう疲れており、笑顔でいられるわけない!
生活リズムをまず整えよう、昼夜逆転を直させるなんて、できるわけない!
そんな事言うなら、やってみてよ。
この子達と24時間、エンドレスに過ごしてみてよ!
やれるならやってよ!
そんな気分でした。
207 切り替えの難しい次男
207 切り替えの難しい次男
2022年7月
反抗的な態度な多い次男でしたが、落ち着くと寝室で寝る前に学習をしたがりました。
学校の宿題は提出しない日もありましたが、担任の先生に、
「とにかく、次男の心が安定する事を優先したいので、宿題が提出できなくても強い指導はしないで下さい」
とお願いしていました。
私は次男に宿題をやっていない事は指摘せず、次男のやりたがる学習を一緒にしていました。
次男は寝る前に動画止めてから、気持ちの整理がつくまで地団駄を踏み、暴言を吐きます。
塾の先生からいただいた助言を守り、反抗的な態度は指摘せず、躾けは諦め、無反応で対応する事を続けていました。
【目に見えて変わった!】
という事はありませんが、少しずつ、反抗が収まっているのかな、と感じる日もありました。
・・・
その時期次男は九九や漢字に興味がありました。
できる事を認め、楽しく学習を続けていると次男がご機嫌で眠りにつく日が増えていきました。
・・・
発達凸凹塾の先生には、
次男さんは頑張りたい気持ちのある子なので、切り替えの時にちょっとサポートすれば大丈夫です。
何にでも全力なので切り替えるのが苦手なんですよね。
大切な個性だなぁと思います。
と指導記録をもらいました。
・・・
私は何とか平和に動画を止め、次男を寝室に連れて行きたい!と願っていました。
次男が動画よりも、私との寝室での学習が楽しい!と思ってくれるよう、次男の好きなマインクラフトの中の漢字をメモして学習したり、九九表を作ったりしていました。
206 次男の支援級への転籍の相談
206 次男の支援級への転籍の相談
2022年7月14日
次男の支援級への転籍の相談をするために学校へ行きました。
次男の在籍する1年1組を通り、15メートルほど廊下を進むと支援クラスがあります。
支援クラスを見学するために、授業中で静まり返った廊下を私は歩いていました。
前方から黄色帽子を目深く被り、肩を顎のあたりまで上げて体を小さくしながら歩いている次男とすれ違いました。
あ!次男だ!立ち歩きしてる!と思い、私は、
「よー!」
と手を挙げて、小さく声をかけました。
次男は私をちらっと見て、少しハニカミ、どこかへ歩いて行きました。
支援員さんは付いておらず、1人でふらふらしていました。
・・・
支援クラスを見学後、クラスを受け持っている先生方と面談をしました。
私は支援クラスの先生に次男の情緒を理解してもらうため、なぜ次男が学校に恐怖心があるのか、今までの兄との関係性などの話をしました。
支援クラスに転籍する事に関して、担任の先生は、
「授業中、迷惑行為などは一切ありません」
「立ち歩きで授業を聞いていない事で、今後の学習が心配です」
「ゲームが好きならタブレット学習の方が楽しくできるので、支援クラスでタブレット学習をした方が次男が伸びるのではないか」
「集団が苦手なのであれば、人数の少ない支援クラスの方が心地良いのではないか」
「あくまでも本人の希望を優先させましょう」
と話していました。
私も担任の先生と同じ意見でした。
・・・
その時期まで、次男はクラスの誰とも話をしておらず、誰とも関わらず、立ち歩きをし、脱走をし、家ではデジタル漬けでした。
発達凸凹塾でのタブレット学習には、とても前向きに取り組んでいました。
そんな姿を見て、タブレット学習の方が次男は楽しいのだろうな、と私は感じていました。
・・・
支援クラスは、
「その子の個性に合わせて学習させる」
「皆に合わせる事も少ない」
と言っていました。
支援クラスに移っても1年1組の授業に半分くらいは参加する。
支援クラスが不必要になり、通常クラスに戻りたければいつでも戻れる。
そんな説明を受けました。
・・・
問題は本人の気持ちでした。
何度か次男に、
「自由に勉強できるよ」
「タブレット学習だから楽しいんじゃない?」
と、支援クラスを進めましたが、次男は必ず、
「絶対に嫌だ」
「どうして、僕は今のクラスにいちゃダメなの?」
「どうして、僕だけなの?」
「他の子は行かされないんだよね」
「何でなの?」
「絶対に行きたくない」
と泣き出しました。私は、
「次男が今のクラスがいいなら、今のクラスのままでいいんだよ」
と話を切り上げるようにしていました。
私は次男は慣れない環境が苦手なので、行った事のない支援クラスへ行く事が不安なのかな?と思っていました。
きっと慣れれば、支援クラスの方が快適になるのではないか?
何度か体験に行けば、支援クラスを希望するのではないか?
そんなふうに思っていました。
・・・
学校側は、
「夏休み明けから、1日1時間ずつ支援クラスを体験させてみます」
と言い、その日の話合いは終わりました。
205 長男の事
205 長男の事
2022年7月
長男は、不登校前、好奇心の強い子だったように思います。
不登校になってからの長男は、嫌な事には手をつけない。
分からないかもしれない事にも手をつけない。
そんなふうに、全てから逃げており、私はこの子はこの先どう生きていくのだろう?
どんな人生を送るのだろう?
そう不安に感じることがありました。
・・・
しばらくの間、前向きに先生に提出していた1日2枚のプリントも、最近は提出していませんでした。
学習の際、下の子のお世話もあり、私が長男の横にべったり付き添いきれない事も学習に気が向かない原因の1つだったのではないか、と思います。
・・・
「動画を見ないで寝るんだ!」
と頑張っていた時期もありましたが、10日ほどでギブアップし今は私が夜中3時ごろに目を覚ますと、横で寝ている長男の布団の枕元からスマホのライトが漏れていて、
「あー、まだ見てるんだな」
と毎日思っていました。
・・・
学習に関して、私が何かを教えようと口出しすると、
「誰にも、何にも教えてもらいたくない!」
と嫌がり、全て自分で回答したがる傾向がありました。
主人と学習するとスムーズな事もありましたが、基本的には主人は帰りが遅く、私と学習するため、やる気が出ないようでした。
・・・
この時期、私が娘を、
「かわいい、かわいい」
という事を長男はとても嫌がりました。
自分以外の弟妹が褒められることに過剰に反応するのです。
長男が弟妹の悪口を言い出すと、私は長男が目の前にいても、長男の言葉には全く反応せず、聞こえていないふりをし続けました。
視界に入れず、無視していたのです。
長男の訴えかけてくる、次男と娘の悪口をどうしても受け入れる事ができませんでした。
どうしても優しく対応ができず、そんな自分に腹が立つ、そんな日々でした。
口をひらけばマイナスの文句ばかり言う長男に不快感を感じ、
「分かったから、もう、黙っていてよ」
と言ってしまう事もありました。それでも長男はムキになって、
「ねー。お母さんもそう思うよね?」
「思わないの?」
「え、無視?」
としつこく聞いてきます。
同じ空間に次男も娘もいます。
下の子達の前で、長男の言う、次男と娘に対する悪口に共感する事はできませんでした。私は、
「長男はそう思うんだね、お母さんは思わない」
そう答えるのが精いっぱいでした。
・・・
この子は、私に何を求めているのだろう・・・
私がどんな反応をしたらこの子の心は満たされるのだろう・・・
周りを否定し、非難し、自分を正当化する。
この子はなぜそんな事ばかりするのだろう・・・
204 主人の実家での次男の様子
204 主人の実家での次男の様子
2022年7月8日
夏休み前になると、次男の様子がおかしい日が多かったです。
今までは、私の作ったもの以外食べない、などがありましたがこの日は、私が作ったものですら嫌がりました。
「お母さんが触ったから食べれない」
「お腹空いた」
と言います。私が、
「え・・・」
「何も触らないでご飯作る事なんて出来ないよ」
と言っても、
「ねー、お腹空いた」
と言い、私が、
「今作るね」
と言うと、
「触らないでよ!食べれない!」
と言う。
「・・・」
どうすりゃいいの?
そんなやり取りを何度もした覚えがあります。
次男はお腹が空いている。
でも私が作ったものは食べられない。
他の誰が作ったものも食べれられませんでした。
自分で作ることもしません。
毎日ではありませんが、特にとても暑い日などはしんどそうにしていて、訳の分からない事を言う日が多かったです。
・・・
そんな状態の中、私を省いた主人、長男、次男、娘の4人で主人の実家へ帰ることになりました。
主人の実家はとても遠く、新幹線で3時間ほどかかります。
確か、2泊3日か、3泊4日ほどの滞在でした。
次男は滞在中、リビングに入れず、リビング横の小さな部屋に置いてあるソファの後ろに隠れ、ずっとゲームをしていたようです。
次男は、主人の実家の祖父母とは話さず、笑いもせず、食事にも手を付けなかったと聞きました。
お腹が空き過ぎるとコンビニへ行きたがり、主人が連れて行ったようでした。
外食先では食べたそうですが、基本的にはずっとゲームをし、交流をしなかったようでした。
私は出発前に、義理の母に次男が偏食が酷く食事が大変な事、情緒が不安定であることを伝えていました。
滞在を終え、子供たちが家に帰ってくると、義理の母から、
「思っていた以上に大変そうね」
「日々の苦労を痛感しました」
「大丈夫ですか?」
と、私を気遣うメッセージが届きました。
長男もきっと、昼夜逆転だったはず、次男はあんな感じだし。
そりゃそう思うよね・・・
義理の母は長男の不登校の事を知っていますが、主人には長男よりも次男が凄く心配、と言っていたそうです。
長男の昼夜逆転に関しては、起こして規則正しく生活させた方が良いのでは?
と、助言してくれたようでした。
私は子供たちが不在のその数日間、一歩も外へ出ず、誰とも話さず、食事もとらず、お風呂にも入らず、ソファの上から全く動かずに過ごしました。
動かず、と言うよりは、動くことが出来ませんでした。
その時、
「あれ、私は日々の生活に疲れているのかな?」
と初めて感じました。
203 暴言は不安からくる攻撃なのか?
203 暴言は不安からくる攻撃なのか?
長男は、次男が生まれてしばらくしてから、
【自分の意見を通したい!】
【自分が絶対に優先!】
という思いがとても強い子になりました。
次男、娘と比較しても【自分の意見が絶対】で自分が我慢し、次男、娘の意見を優先させてくれた記憶はありません。
多くの事の決定権を長男が持ち、長男が「嫌!」と言えば、次男、妹、両親でさえも長男に従う、それが我が家のルールになっていたような気がします。
主人がどんな気持ちだったのかは分かりません。
私は長男が面倒な事を言い出さないかと常に神経を使っていました。
次男と娘に対しては感じた事のないようなストレスを長男に対してのみ感じていたのです。
長男に対し、
この子は面倒だ
わずらわしい
育てにくい
と、どこかで感じていたと思います。
学校に行かず、毎日家にいる長男が、一方的に、ご機嫌にゲームの話をし続ける事がよくありました。
こちらの相槌も気にせず、ひたすら話をし続けます。
毎日毎日繰り返されるその時間を苦痛に感じ、
【同じ空間にいる事がしんどい】
そんなふうによく感じていました。
・・・
長男は実家へ行って祖父母以外の人に会う、ゲーム友達以外の友人に会うなどのイレギュラーな事がなければ、とても落ち着いていて穏やかで優しい事が多かったです。
それでも何かのきっかけでストレスを感じると暴言が始まります。
先日は何か探し物をしており、物がなくなったことを私のせいにして責め立ててきました。
「お前みたいに性格悪い女なんてクズだ」
「よく人にそんなに性格悪くなれるな」
「どれだけ自分勝手なんだ」
とにかくこちらが傷つくことをガンガン言われ続けました。
私は言い返さず、ずっと黙っていました。すると長男は、
「無視かよ、このクソババァが!」
と泣きじゃくりながら暴言を吐き続けるのです。それでも、私が何かを言えば、
「黙れ!うるせえ!このやろう!」
と暴れだすので、私はただただ黙っていました。
私はどう対応するのが正解なのか全く分かりませんでした。
相談して、唯一ためになったのは、不登校克服ママの【過保護にする】という対応方法です。
私はきっとうまくできておらず、長男の不安定が続くのだろうと感じていました。
・・・
長男の事を児童精神科で相談すると、
「不安の強い子が周りを攻撃しやすいです」
「自分自身を守る防衛本能です」
「発達障害の子は不安が強い子がほとんどです」
「その場合、子供の不安な場面に寄り添って大丈夫だ!という体験を重ねる訓練をします」
「こちらの病院でもやっています、療育を受けますか?」
と聞かれました。
長男は病院にも絶対に行かないので、療育を受けさせることは不可能でした。
202 次男の問題行動
202 次男の問題行動
2022年7月
次男は相変わらず学校では誰とも話さず、立ち歩きをし、授業に参加しませんでした。
「学校では一言も声を出していない」
と担任の先生から聞きました。
・・・
長男のゲーム友達がほぼ毎日家に遊びに来ており、次男は朝、
「今日はくる?」
と長男の友人が来ることを凄く楽しみにしているのに、学校から帰ってくると長男たちが遊んでいるゲームの中には入れてもらえません。
いつも長男の友人が来ている時は、部屋の片隅でお山座りをし、1人無表情で隠れるように動画を見ていました。私が、
「次男も遊びたいんじゃないの?」
と次男に聞いても、
「入れてくれない」
と小さな声で言い、諦めている様子でした。
私は毎日見るその光景をやるせない気持ちで見ていました。
この頃を振り返ると、私は、長男が不安定にならない様に、と長男の気持ちばかりを優先し、次男を我慢させてしまう事が多かったように思います。
表面的には次男を我慢させてしまうのですが、次男が可哀そうになり、長男に対して不快感を抱くことがありました。
きっとその感情は私の顔や態度に出ていて、長男は敏感に感じ取っていたと思います。
・・・
2022年7月
懇談会がありました。
次男の担任の先生が、
「次男さん、一日中黄色帽子を目深く被り、何度声をかけても帽子を取りません」
「ランドセルも机の上に置きっぱなしで、体を隠しているような感じです」
「給食の時間には、ランドセルをどかそうね、と声をかけ、ロッカーにランドセルをしまってもらっています」
と教えてくれました。私が、
「入学後ずっとですか?」
と尋ねると、6月中旬からだと教えてくれました。私は、
「周りや先生に迷惑がかかっていないのであれば、彼なりの理由があるかもしれないので、そのままにしておいて下さい」
「強い指導や、無理やりどかしたりはしないで下さい」
と先生にお願いしました。
その他にも、
「裸足になっていることがあります」
「授業中に教卓の下、まぁ僕の足元ですね、そこで寝っ転がっている事もあります」
「廊下ではよく寝っ転がっています」
と言われました。
・・・
家に帰り、【帽子被ったまま】【廊下に寝っ転がる】などをネットで調べました。
「帽子をかぶったまま、ランドセルで体を隠す」という行動は、
自閉スペクトラム症の子によく見られる症状。本人なりに、外界からの刺激を絶つ行為。と書いてあります。
裸足、寝っ転がりは、何かに体を密着させる事で安心感を得る事が出来るための行為。
本人にとっては抱擁されている感覚になるため落ち着く行為。
この場合は愛着障がい(親子間の愛着形成が十分ではない子)の場合もある。
教卓の下など、狭い空間に潜り込むのは安心感を得るための安全確認行為。
と書いてあります。
「・・・」
私、そんなに愛情薄いのか・・・?
とても手をかけ、可愛がっているつもりなのに・・・
子供を育てる自信がどんどん無くなっていきました。
帽子をかぶり続けているのも、机の上にランドセルを置きっぱなしなのも、教卓の下で寝っ転がっているのも、うちの子だけです。
私は学校中のどの親よりも、愛情をかけていないのだろうか?
そんな気持ちになってしまうのです。
この頃から、私は、次男は支援級の方が良いのではないかな?と思うようになっていきました。
201 実家での出来事
201 実家での出来事
2022年7月3日
親族の集まりで、車で1時間半かかる実家へ行きました。
実家では何家族かが集まり、沢山の人数で食事をしました。
・・・
夜の9時ごろ帰る事になりました。
食事中から長男はとても不安定な様子でした。
食事を終え自宅へ帰るために車に乗る際、長男の機嫌は最悪な状態だったと思います。
完全に目が吊り上がり、誰にも心を開かない、そんな雰囲気を醸し出していました。
いつもは帰り際に、祖父母に抱き着くのですが、祖父母を視界に入れる事さえしませんでした。
ただ助手席に座り、不機嫌な雰囲気を醸し出し、下を向いてゲーム画面のみを見ていました。
昔から長男は助手席にしか座りません。
絶対にです。
我が家では無言の了解で長男が助手席に座ります。
その日、娘が眠いのか、
「私の隣がいい」
と泣き出しました。
運転は私です。
娘は私の横じゃないと嫌だと半分叫ぶように泣いていました。
長男が助手席から動く気配はありません。
私は長男に、
「娘ちゃん、眠いから寝ちゃうまでは後ろでもいい?」
と聞くと、長男は、
「は?弟の隣に座れるわけないだろ」
と、あいつの隣なんかに座れるかよ!と言わんばかりに私を睨みつけてきます。
弟はそのやり取りを後部座席から見て、無表情で固まっています。
長男に何度お願いしても、返答が変わることはありませんでした。
娘はまだ小さく、長男が絶対に助手席に座る、という我が家のルールを分かっていなかったと思います。
娘に後ろで座るようにお願いしても、
「いやーーーいやーーー」
と泣くだけでした。
長男と娘に、どちらかが席を譲るようどれほどお願いしても一向に解決しないため、私は娘を運転席と助手席の間に座らせることにしました。
すると今度は娘が、
「きつい!きつい!お腹痛い」
ベルトの締め付けがきついと泣き出しました。
あーーーーー
もーーーーー
皆わがままばっかり!そんな気分で、
私は結局、
「もー、娘を抱っこしたまま運転する!」
と言いました。
するとルールを破ることが嫌いな長男が、
「だめ!」
「絶対だめ!」
「抱っこで運転は絶対だめ!」
と叫びだしました。
どーすりゃいいんだよ!
という状況で、私は長男の叫びを無視して出発しました。
親族が我が家のやり取りを見ながら、見送るのをずっと待っていた事もあり、一刻も早く出発したい気持ちでした。
長男は車の中で娘に対して暴言を吐き始めました。
「妹ばっかり可愛がりやがって」
「女だからか」
「小さいからか」
「そんなもん関係ねーだろ」
「妹、わがまますぎる!」
「何で言う事を聞くんだ!」
長男はわんわんと泣きながら暴言を吐き続けます。
娘に対しての暴言は久々でした。
・・・
普段大らかで何も言わない姉から、帰宅後に、
「長男君、夜ご飯の時から、明らかにおかしかったよね」
「全然笑わない」
「ずっと目が吊り上がっていたね」
「心ここにあらずな感じで・・・」
「なるべく話しかけるのやめておいたんだよね・・・」
「なんか、別人みたいな雰囲気だった」
「やっぱり、長男くんは普通の状態ではないね・・・」
「とにかく、あんたに言い返してくるね」
「出発後、車で大丈夫だった?」
と聞かれるほど、長男は周りの親族から見ても、目に見えて様子が普通ではありませんでした。
長男は安定すると必要以上に優しい言葉で周りに気を使い、私の食事などを褒め、不安定になると周りを激しく否定し攻撃的になりました。
そんな激しい浮き沈みを繰り返していました。
とても浮き沈みが激しく、シンプルに【普通の状態】があまりありませんでした。
【極端に良い】か【極端に悪い】かしかないのです。
・・・
私は、思いつく全ての相談所に相談しつくしていました。
ここは行かなくていいかな?と行かなかった相談所はありません。
それらの相談所からは、参考になるようなアドバイスをして貰えたことは一度もありませんでした。
どこに何を相談したら良いのか、もう分かりませんでした。
・・・
長男が通っている児童精神科の診察時間はたった10分で、現状報告をするだけでした。
「今はこんな状態です」と言う私に、医者が、
「以前よりはよい方向に向かっていますね」
と言って終わり。
そんな感じでした。
他の児童精神科も最短で診察してもらえるのが4か月待ちです。
学校や行政の相談所へ行っても、
「お母さん、大変ですね、でもやりようがないです」
と言われるだけでした。
私は一体誰に相談したら的確な対応方法を教えてもらえるのだろう。
どんな対応をしたら子供たちが良い方向へ向くのだろう。
もう、1年近く考え続けていましたが何も分からないままでした。
・・・
昔は朝から晩まで公園にいて、どんな友達とも仲良く遊んでいたのに・・・。
今は慣れない友人に会うと、2時間くらいで様子がおかしくなる。
帰宅後には高い頻度でパニックになる。
そんな事を繰り返していました。
・・・
そもそも特定のゲーム友達以外には会いたがらず、外では遊びたがりませんでした。