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不登校復活の道(ブログ)

140 負けず嫌い

140 負けず嫌い 
 
 

2022.2月頭 
 
 
誕生日カード事件から落ち込んでいた長男が、少し元気になり銭湯に行けました。

 

元旦から1ヵ月以上ぶりのお風呂です。 

 

家では元気になってきましたが、人気のある場所だと、目に涙を溜め、早く帰りたがる、弟に当たる、のは変わりませんでした。

 

温泉の遊び場で、長男が先に、おやつが落ちてくるゲームをやり、何も取れませんでした。その後、次男が同じゲームをし、成功しました。

 

すると、長男は、次男は後からゲームをしてずるい。後からの方が取りやすくてずるい。と言い泣いて次男に攻撃しました。とにかく酷く攻撃するのです。ただの兄弟喧嘩で済むような言い方ではありません。次男はただ、ゲームでおやつを取れただけ、嬉しい気分になれるはずの時に、必ず、悲しい気持ちにさせられ、喜ぶこともできず、表情が固まります。見ている私は毎回とても、苦しくなりました。 

 

長男は自分が出来ない事を、他人が出来る、そんな事に対して、異常に嫌がるところがありました。

 

次男に対しては特にそうです。許せないのです。

 

出来ないであろう事には、はじめから挑戦せず、「僕はやれば出来るけど、やっても意味がないから、やらない」と言う。

 

負けず嫌いな子なんだろうな、と思っていましたが、それだけで済ませていいのか?と思うくらい、自分が出来ない事を認められない子でした。 

 

負けたくない、かといって、勝つための努力はしない。努力はしないけれど、常に完璧に1番に出来る子でいたい、そんなところがありました。 

 

最近は以前に比べ少しずつ、ゲームで負けても、笑える時がありました。 

 

出来ない自分を受け入れる事は、気持ちが満たされれば治っていくのだろうか? 

 

完璧主義で、やるかやらないか、勝つか負けるか、学校に関しても、中途半端に行く事が出来ず、行くか行かないか。行かないなら完全不登校。そんな子なのだろうな、と思っていました。 

 

この子は、生き辛いだろうな・・・ 
 

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139 子供たちの様子

139 子供たちの様子 
 
 

2022.2月  

4月に小学生になる次男の事が心配でした。 

 

次男は、学校がどんな場所かを全く知りません。

 

親は楽しみになるよう声がけした方が良いのでしょうが、兄がすでに、学校が、いかに地獄か、を永遠と次男に話していました。

 

話すだけではなく、自分自身の精神が崩壊するほどに、嫌な場所なのだと、彼を見ていれば、次男は感じたはずです。 

 

長男は先日、学校からの、誕生日カードを見ただけで、部屋から出て来なくなりました。

 

それほど、【学校】に対して、敏感に反応を示していました。

 

大体、小学生が帰宅する時間に長男は起きてきます。

 

宿題をする弟に、どんな声をかけるのだろう?

 

絶対に何か言いそう・・・

 

「そんなの意味がない」

 

「地獄へ行って来たのか」

 

そんな否定的な声を掛け続けられたら、私は、両者が不快にならないように、上手に対応できるのだろうか? 

 

長男は、私が少しでも疲れた感じを出したり、眠そうにしたり、永遠に続くゲームの相手を、「休憩させて!」と断るだけで、敏感に反応し、「もーいい!」と部屋に引きこもりました。

 

この頃長男はやたらと、無意味に泣いていました。突然泣き出すのです。 

 

同じ頃、次男も難しい行動が多く、家中で動き続ける多動傾向もどんどん強くなっていきました。

 

指示が通らず、逆なでするような言い方で相手を威嚇する。

 

幼稚園後に公園に行っても、ずっと私にへばりつき、遊ばず、友人が誘ってくれても入れない。

 

おやつをくれても受け取れない、人が来ると走って逃げて木陰にうずくまっている。

 

とにかく、人と関わりませんでした。

 

2歳の娘も、ずっと「おかあさん、遊ぼ」「あれやって、これやって」と言う時期なので、相手をしながら過ごしていました。 

 

以前はストレスが溜まれば 

 


「あーーーー、もーーーー、うるさーーーーい!」

 

と感情を出してストレス発散していました。

 

今日読んだ本にも、まずは、お母さんが元気になりましょう、そうすると、自然と子供が回復します、と書いてあったな。

 

じゃあ、この子が回復しないのは私のせいってことだな。

 

その言葉はとても、プレッシャーで、どんどん私を追い込みました。 

 

精神をやられてる不登校児の長男と、不登校予備軍で人と関われなくなっている次男、ただでさえ手のかかる2歳児の娘、平日、全然帰って来ない主人。 

 

どこをどーやったら、私が明るく楽しく過ごせるのか、教えてよ! 

 

そんな気分でした。 

 

明るくして、感情を出さないようにして頑張っているつもりでも、私が少し息を抜けばすぐに荒れ出す。

 

心は疲弊していました。 

 

子供は回復しない。 

 

全然良くならない。 

 

今している事に何の意味があるのか分からない。 

 

何の光も見えない。 

 

例えば、こんな会話でも長男は反応を示し、私に攻撃してきます。 

 

ゲームで課金しキャラが2人増えました。私が、 

 

「良かったねー、増やしたの2つだけ?」 

 

と言うと、 

 

長男は、

 

「だけ?だけって何?酷いよね、だけってさ、ほんと酷いよね、お母さん酷い!!!」 

 

あ・・・そっち。

 

そうゆう捉え方なんだ。

 

全てを否定的に捉え、私に向けて怒りを爆発させる。 

 

「ごめんごめん、良かったね!楽しいといいね!」 

 

と言っても、しばらく機嫌は直らず、言葉の攻撃が続く、家庭の空気が悪くなる。 

 

そんな毎日でした。 

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138 次男の塾の体験

138 次男の塾の体験 

 
 

次男が、塾の体験に行きました。不登校や発達障害グレーゾーン等で、集団生活、学習に困難を抱える子の通う塾です。塾を知ったきっかけは、長男の不登校相談でした。塾の内容が、次男にも適しているように感じ、体験を申し込みました。

 

新しい場所に行く事が苦手な次男は、行く事をためらいました。

「どんな、場所?先生怖いの?何するの?怒られるの?」

マイナスな質問ばかりしていました。

 

私は、

「先生は凄く優しくて、パソコンとかで、次男の好きな事、得意な事を見つけてくれる場所だよ」

「きっと楽しいよ!帰りにケーキ買って帰ろう!」

と言い、体験に行かせました。 

 

 

その塾は、個人宅を塾用に借り、学習スペースとして改造している、一軒家です。

 

ほとんどの生徒が、人に会う事が苦手なため、基本的には、予約時間には先生と生徒しかいない、と言っていました。

 

インターホンを押し、先生が玄関まで迎えに来てくれました。次男は一歩も中へ入れません。

「行かなきゃダメ?」

と、私に聞いてきます。

 

先生が、

「絶対に無理しないで、嫌なら無理はしないでね、気持ちが向く時に来たらいいんだよ」

と言い、放置し過ぎず、話しかけ過ぎずな感じで、話しかけていました。

 

それでも、次男は「帰る」とも「入る」とも言わず、玄関前で立ちすくんでしました。私は、特に声を掛けず、先生に全て任せていました。

 

10分程すると、次男が、一歩一歩中に入り、またそこで固まる、そんな事を繰り返していました。先生は、

「気にしないで、彼のペースで、待ってあげてください」

と待ち続けてくれました。

 

学習部屋は2階なのですが、次男は1階、2階全ての部屋を見たがりました。先生が、

「皆同じ反応をします。ここが安全な場所か、何があるか、確かめると不安が少しずつ取れてくる子が多いので、見て安心するなら、全部みていいよ!」

と次男に言い、次男は全ての部屋を覗きに行きました。

 

階段を上る際は、私にしがみ付き、登って行きました。

 

本来は、母親は付き添わず、生徒と先生の2人なのですが、次男が付き添いを希望したため、先生が、

「お母さんもどうぞ」

と同じ室内に入る事になりました。

 

次男は学習部屋に入ると、押し入れも全て開け、その後、頭を抱え床にうずくまり10分程貝のように動かなくなりました。先生は、

「よくある事です」

と言い、また、待ち続けてくれました。 

 


私は、一般の子はスムーズに指示に従えるのだろうな、どうして、我が子達は全てがスムーズにいかないのだろう?何がいけないのだろう?そんな思いがありました。 

 

次男は、何一つ強制されない事で、少しずつ心を開き始め、そろり、そろり、と椅子に近づき、反対向きに座ったり、椅子の上に立つなどしながら、やっと先生と向き合いました。

 

インターホンを押してから、30分近く経っていたと思います。 

 

そこから、タブレットを使っての、先生と次男のやり取りが始まりました。 

 

学習が始まると、次男は特に私の方を気にかける事もなく、集中して、頑張っていました。 

 

授業後、先生は、次男の事を、

「個性を強く持っている子ですね」

と言い、

「児童精神科へ行くのなら、病名つけてもらい、それをうまく利用し、学校と付き合うと、学校側がスムーズに動いてくれる場合があります。次男君は能力は高いけれど、人、場所、新しい環境での適応が困難な感じだから環境さえ整えば、力をしっかり、発揮できると思います。大丈夫です」

と言いました。 

 

この塾は、発達に困難のある子達の、何が得意か苦手か、短期記憶を見たり、コミュニケーション能力を細かく見て、対応方法、学習方法を分析し、少しでも子供達が過ごしやすくなるように、合う学習方法を探すと言っていました。 

 

学習内容がアプリだったので、次男は、

「楽しい!通いたい!」

と言いました。塾の後、次男の顔は明らかにキラキラしていました。 

 

どんな人と、どんな時間を過ごすのか、とても大事なんだと痛感しました。 

 
 

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137 相談所で、助言が違う

137 相談場所で、助言が違う 
 
 

次男の相談を幼稚園の先生にしていると、長男の事をよく知っている園長先生が、市の教育課に親身に相談に乗ってくれる方がいる、と言い、紹介してくれました。

 

私はすぐに、連絡をし、相談に行きました。 

 

いつものように、長々と不登校の経緯を話し、今の私の心配は、 

・デジタル漬けの影響での脳、目、メンタルに与えるダメージ 

・太陽に当たらず、体を動かさない事への不健康さ 

・睡眠が不規則で体を駆使している事への心配 

・歯磨きをせず、お風呂に入らず不衛生である事の心配

等を相談しました。 

 

とても親身に聞いてくれていた、その相談員さんは、 

「今は脳が育つ大切な時期だから、どう、影響が出るのか、それが怖いね」 

と言っていました。 

 

なぜ、好き放題させるに至ったかを説明する際、克服ママの話をし、同じ方法で克服ママの息子さんが立ち直った話をすると、

 

「克服ママの息子さんは中学生、長男さんは8歳からなので、体も小さく、まさに、成長盛り、脳が急激に育つ時期に、ブルーライトを浴び続け、睡眠障害が出ている事はとても心配」 

と言っていました。中学生の不登校児と同じ対応が良いのか判断しかねていました。 

 

「それでも、やりようがないのだろうね、それは、話を聞いていて分かります」 

「心も心配だけど、自律神経の乱れや体も心配ですよね」 

と言って相談は終わりました。 

 

やりようがない。

 

そう、やりようがないのです。 

 

どうやったって、長男をコントロールする事は、不可能でした。 
  
 
 
2022年2月4日 
 
 
医療センターの予約日でした。脳への影響をとても心配していた私は、その事を相談すると、 担当医は、

「規制することで、親子関係が崩れる事の方が心配」 

「家庭内で、コミュニケーショが円滑に取れている事は、凄く良い」 

と言い、回復のきっかけとして、本人さえ望めば、入院も一つの手である、と薦められました。 
  
 
少人数の中で、社会生活に慣れ、規則正しくなり、食事もしっかりと摂れますよ、と提案してくれましたが、長男が入院するとは思えず、入院で回復するタイプにも見えませんでした。 
 
 
長男は、いつまで、画面に顔を近づけゲームをし、真っ暗闇の中でスマホを見続ける生活を続けるのだろう。

 

今、あの子、視力いくつあるのだろう?

 

もう、目悪いのだろうな。

 

目が悪いのは、眼鏡やコンタクトで何とかなるけれど、成長期のとても大事な時期に、脳への影響、メンタルの悪化は大丈夫なのだろうか・・・

 

それが気になって気になって仕方ありませんでした。

 

身体能力も伸びる年齢で、元々身体能力の高い長男が、それを生かす事もできなくなるのかな?と心配ばかりしていました。 
 

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136 外食先にて

136 外食先にて 
 
 
2022年2月頭 
 
 
バースデーカード事件以来、引きこもり、すっかり元気がなくなっていた長男が「お腹が空いた」というので、近くの中華料理屋さんに、娘と一緒に食べに行きました。

 

常は、外食を嫌がるのですが、その日は特には嫌とは言わず、出発時の様子もおかしくありませんでした。 

 

12時前に行ったので、店内は空いていて、1人、2人、カウンターで作業服の方が食事をしているくらいでした。

 

注文をし、食べ始めると、長男はほとんど食べないうちに、

「お腹痛い」

「これ以上食べられない」

と言い、帰りたがりました。

 

私だけならば、すぐに帰るのですが、2歳の娘が、横で、ゆっくり食事をしていました。

 

「お母さん、これ、食べたい」など、話しながら、マイペースで食事をしています。

 

娘は全然騒いでおらず、私と会話をしているくらいでしたが、長男は急に、

「妹の声、うるさい」

「黙らせて」

「下品」

「嫌い」

「黙らせろよ」

「ウザい」

「早く、帰りたい」

「迷惑」

「もう、帰ろうよ」

 

と涙目になり、お座敷の席で、正座しながらジャンプする様に、「帰る、帰る」と言って聞きません。

 

私は娘に、

「おうちに持って帰って食べようか」

「お兄ちゃん、もう帰りたいから、いい?」

と聞くと、

 

「嫌だーーー、ここで食べたいーーー、まだお腹空いてるーーー」

と泣きだしました。

 

その声を聞き、長男は周りを見渡し、怯え、泣きながら、妹に、

「静かにしてよ!」

「わがまますぎる」

「自己中」

「うるさい」

と言い続けます。

 

 
あー、また始まった、長男と出かけると、かなり高い確率で発生する、このシチュエーション。両方の言う事を聞く事は物理的に無理、長男はパニック寸前で説得するなんて、出来るはずがない、2歳児も状況を察する事など出来るはずもなく、のんびり、ご飯を食べている・・・ 

 

困ったな・・・ 

 

結局、長男に「車の中で、少しだけ待っていて」とお願いし、娘に急いで食べさせました。

 

長男はやっぱり、全然回復していない。

 

外界が怖くて仕方ない。

 

人がいると怯え、すぐに帰りたくなる。

 

それを再確認した事に心が沈みました。

 

外食すらゆっくりさせてあげられず、食事をしているだけで、酷い言葉で責められている娘に対し、申し訳ない気持ちが生まれました。

  

帰宅すると、娘は外食先よりも全然騒いでいるのに、長男はその声には全く反応せず、ゲームに集中していました。 

 

最近の長男は、柔らかな表情をする事はほとんどなく、いつも苦しそうな雰囲気でした。

 

無理に連れ出すのは止めよう。家にいた方が皆が平和だな。

 

メッセージカード以来、相変わらず友人に会う事が出来ず、弟とゲームをする事だけを楽しみにしているようでした。

 

弟まで、ゲーム漬けになり、悪影響な事は嫌でしたが、私に出来る事は、何もありませんでした。
 
行き渋りからすでに5か月が経過していました。

 

長男に回復の兆しはなく、次男の様子も明らかにおかしい。母親である私が、元気になる要素は、何一つありませんでした。

 

昔の、平和だった日々の事は、何も思い出せません。

 

いつか、我が家にも、普通の幸せは訪れるのだろうか? 

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135 担任の先生からのバースデーカード

135 担任の先生からのバーズデーカード 
 
 
 
懇談会で、私が担任の先生に「学校側が気にかけてくれているとは、感じません」と伝えたからか、その後、たまに、メッセージが入っている事がありました。 

 

長男の誕生日の日に、メッセージカードと手紙がポストに入っていました。 

 

確か、メッセージカードには、当時長男が好きだった妖怪ウォッチの絵が描いてあり、お誕生日おめでとう、と手書きで書いてありました。手紙の内容は覚えていません。

 

私は、その当時、安定している長男に、学校の話題を出しても良いのか。渡すべきか、渡さないべきか、を相当悩み、メッセージカードのみ、長男の携帯電話に挟んでおきました。 
 
 
その夜、長男は、もう起きているであろう時間になっても、一向に布団から出て来ず、やっとリビングに来たのは、夜の10時頃でした。

 

長男の様子は、誰から見ても分かる程おかしく、憔悴しきっている、というのか、目が据わっている、というのか、とにかく、負のオーラが出ていました。

 

その後、下の子達が寝静まり、私と2人になると、長男は、無理難題を言い始めました。

 

内容ははっきり覚えていませんが、とにかく訳の分からない事を言うのです。 

 

行き渋りで荒れていた頃の様子に、とても似ていて、感情のコントロールが出来ないようで、 

 

「あの女、死ね!」 

「2度と貰ってくるな」 

「あんなもの見たくねーんだよ!」 

「見てないし」 

「うざい!うざい!うざい!うざい!うざい!うざい!」 

「死ね、死ね、死ね、死ね」 

 

と言い、ソファーや壁を殴り、うぅーうぅーと歯を食いしばり、唸りながら泣き叫びました。 
  

 

「あいつが嫌なんだ!」 

「あいつが一番嫌なんだ!」 

「あの女が嫌いなんだ!」 

 

そんな事を叫び、手あたり次第そばにあるものを殴り続け、涙を流す。 

 

あー、渡さなければ良かった、 

 

あー、また失敗した。 

 

あー、なんで私、渡しちゃったのだろう。 

 

静まり返っている夜中に、永遠と続く、息子からの無理難題、荒れ狂い、泣き叫び続ける我が子の姿、 私も耐えきれず泣きだしてしまい、 

「ごめんって!」 

「もう、絶対に渡さないから!ごめんって言ってるじゃん!」 

と、言ってしまう。 

 

また、私は、寄り添いきれない。 

 

反省するのに、反省しきれず、同じことを繰り返す。 

 

最悪な気分でした。 

 

自己嫌悪と、メッセージカードを渡してしまった事への後悔と、この子はどうなるのだろうという不安と、色々な感情が入り乱れ、もう、頭の中がぐちゃぐちゃでした。 

 

その後、長男は唯一会えていた友人達にも会えなくなりました。 

 

親友にも、幼馴染にも会えず、部屋からも出てこない 

ご飯を食べない 

歯も全く磨かない 

お風呂は元旦から一度も入っていない 

銭湯に行くのも嫌がるようになった 

 
 
最近は、体も限界まで駆使しているのか、25時間起きている、次の日に永遠と寝て、その次の日はまた25時間起きている、そんな生活をしており、ゲームをしながら、ソファーで寝落ちする、そんな日が続いていました。 

 

なんだかもう・・・ 

 

見ていられない・・・ 

 

学校の話題が出ていない時は、あんなに元気に、回復しているように見えたのに、今の長男の姿からは、回復する姿は、想像できませんでした。

 

主人にその事を掻い摘んで話して、返ってきた言葉は

 

「担任の先生可哀想」

 

「・・・」

 

もう・・・

何・・・? 

 

もう!メッセージカードなんて、渡さなければよかった!!!! 
  

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134 懇談会

134 懇談会 
 
 
 
2022年1月 
 
 
先日懇談会があり、担任の先生とお話をしました。 

 

20代後半か30代前半であろう、大人しい感じの女性です。 

 

「長男さんどうですか?」そんな感じの会話でした。 

 

もう、何度も何度も言い飽きているような現状を、ざっくり話しました。私は担任に、 

「以前教頭先生に、必須の学習部分のプリントが欲しいと伝えてありますが、聞いていますか?」と聞くと、 

 

担任の先生は、 

「あ・・・必要部分だけですか?今手元にあるのは、全てのプリントで・・・」

と言い、困った様子でした。 

 

教頭先生が、私からの依頼を、担任に明確に指示していないんだな、という印象です。 

 

懇談会の際、私は思った事を伝えてみる事にしました。 

 

「今、長男の状況を見ていて、学校側が何も出来ない事は、理解しています」 

「親ですら、何をしたら良いのか、分かりません」 

「理解した上で、冬休み日誌などに、メモが一切付いていない事や、電話連絡が来ても、長男の名前が一切出ない事には、違和感を感じました」

「あぁ、長男の事は、何も気にかけてもらえないのだな、学校に行かない生徒を、先生たちは気にかけてはくれないのだな、という印象をもっています」

「責めているのではなく、ただ、そう思いました。長男も同じように感じているのではないかな?と私は勝手に思っています」

と伝えると、

 

担任の先生は、

「私の中で、長男くんは、クレヨンしんちゃんみたいなイメージで、明るくて、楽しくて、何も気にしなくて、面白くて、周りに常に人がいる、そんなイメージでした」

と言いました。 

 

そして、 

「学校側からは、フリースクールの事は助言するな、と言われていますが、こんな学校もあるみたいです」

とフリースクールの名前を教えてくれました。

 

そこは、以前私が訪ねて行った事のあるフリースクールでした。 
 

フリースクールの事は助言しないように、と言われている事には違和感を感じましたが、そこはあえて何も言わず、「ありがとうございました」と帰宅しました。 

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133 次男の行き渋り

133 次男の行き渋り 
 

 

2022年1月末 

その頃、次男の幼稚園から、頻繁に連絡がありました。 

・次男君の様子がおかしいです 

・全くお友達と関わりません 

・笑いません

・喋りません

・遊びません

と言われました。 

 

幼稚園への行き渋りも酷くなっていました。 

 

私は、次男も不登校になるのだろうな、行けるはずがないよな、と思っていました。 

 

次男が幼稚園に行きたくない、と言った時、 

「行きたくないなら、お休みしようね」 

と理解のある親のふりをして、休ませたから、癖になってしまったのかな?無理やりにでも行かせておくべきだったのかな?と自分のしてきた判断に、自信が持てませんでした。 

 

次男はお休みする時にいつも、 

「なんで、お兄ちゃんは行かなくてよくて、僕は行かなくちゃいけないの?」 

「ずるい、嫌だ、行かない」 

と言いました。 

 

それを言われると、私も何も言えず、お休みさせるしかありませんでした。 
 
 

あー、兄弟揃って難しい子達だな・・・ 

 

常に息子たちのことでキリキリ胃が痛く、みぞおちの不快感が消える事はありませんでした。

 

次男は後2か月もしたら、小学校です。 

この子も不登校になるのだろうか? 

私は今何をすべきなのだろうか? 

 

色々考え、幼稚園から、小学校に申し送りをしてもらう事にしました。 

私自身も入学前に、次男の今の家庭環境を学校に直接説明しに行く事にしました。 

 

取りあえず、今思いつく、親として出来る事は、全てやっておこう、そう思っていましたが、知識もなく、何をしたらよいのかは、全く分かりませんでした。 

 

何をしたら良いのか分からない、それがとても辛かったです。

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132 伸び伸び育てるという事

132 伸び伸び育てるという事 
 
 

2022/1/18 
 
姉達が来てくれました。次男は変わらず激しく部屋中でジャンプしていましたが、長男も次男も、とても安定していて元気でした。

 

「長男くん、なんか、表情明るいね!嬉しいね」と言ってくれていました。

 

何よりも、私自身が、言い表せないような安心感、誰かに、久々に人間として話しかけてもらったような、そんな感覚がありました。 

 
  
2022/1/22 休日の朝 
 
長男は、前日、夜の8時に起きたため、一晩明けた、次の日の朝にもまだ眠れず、起きていました。休日の朝で主人もおり、家族全員が久々にリビングに揃いました。

 

長男と娘が久々に顔を合わせ、たわいのない会話をしていました。主人は、それを見て、子供達に背中を向けて、涙を流していました。

 

口には全然出さないけれど、今の状態を心配してくれているのだな、と思いました。 

 

 

その時期、久々に話した長男と同じクラスのママが、息子さんも11月から完全不登校になったと言っていました。長男のように、荒れたり、昼夜逆転したり、指示が通らない、等はないと言っていました。

 

本人から「もう、行かない、行きたくない」と申し出があり、最後は、登校時間になると、布団にもぐり、出て来なくなったそうです。

 

そのママは、子供が幼い頃、毎日子供を片道50分かかる、森の幼稚園に通わせ、自然を体感させ、小学校に上がる際の説明会では「なんか、嫌だな、型にはめられるな」と呟いていたことを、私は覚えていました。 
 
 
息子さんが不登校になったと聞いた時、私は、 
 
・森の幼稚園等で子供を伸び伸びさせたい!と思う母親は理想の子供像が有り伸び伸びさせているつもりで、逆に子供を型にはめこんでいるのではないか? 
 
・自然が好きで、元気に遊び回る子供。それを伸び伸びだと思い込んでいて、そんな、親の中に無意識にある理想像が、子供を苦しめてはいないのか? 
 
・近い幼稚園ならどこでもいい、と言っているような、深く考えないお母さんの方が子供は気楽なのではないのか? 

 

私も、森の幼稚園に興味があったため、何となくそう感じました。 

 

結局、母親の中の「これがいい!」というこだわりが強く、自分の中に理想の子供の形がある。子供はそこから外れるたびに、無意識に「認めてもらえない、お母さんの理想の子供になれない、愛してもらえない」と、望まれた子供像になれない自分を責めてしまうのかもしれません。 

 

自然の中で伸び伸びさせる事は、教育熱心とは逆の発想なので、伸び伸びさせている、自由にさせている、と、母親は信じ込んでおり、周りも、親自身も子供を苦しめている事に気が付かない、そんな落とし穴があるような気がしました。 

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131 遠くに買い物に行く

131 遠くに買い物に行く 
 
 

近くの買い物には全く着いてこなくなった長男が「遠くの買い物なら行きたい」と言うので、車で1時間程掛かる商業施設に行きました。

 

同じ学年くらいの小学生がいると怯え、自分の姿を隠そうとするので、 

 

「大丈夫、大丈夫、知り合いの絶対に来ない場所に来ているから」 

「堂々としていればいい、元気になるためにお休みしている、それだけだから」 

「悪い事なんて、何一つしていないんだよ」

 

と言い、励ましましたが、下を向いている事が多かったです。 

 

お誕生日を迎え、不登校が始まった8歳から9歳になりましたが、外界に怯え、自分のしたい事も出来ない息子を見ていると、今しかない息子の子供時代、この子が本来の姿であれば出来ていた、貴重な人生経験を奪っているのではないか?と、焦りのような、苦しみのような感情が生まれた事を覚えています。 
 
 
克服ママに相談すると、 

息子さんは半年間、全く人に会えなかった、親族にすら会えず、家族以外は拒否していた。

 

外に出ないので日に焼けず、顔は白いを通り越して青かった。

 

心が回復してくると、段々と人に会えるようになるので、息子のペースで、ゆっくり見守ってあげて、と言われました。 

 

今のあの子を見ていると、親友と幼馴染以外の人に会える日がくるなんて、想像も出来ない、と思いました。 

 

そんな日がくるのかな・・・ 
 

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130 幼い息子たちからの景色

130 幼い息子たちからの景色

 

 

私は、息子たちが、まだとても幼いころ、何度も何度も、酷い言葉や態度で、彼らから自信を奪い続けていたのだと思います。

 

娘を妊娠する前、3人目を妊娠することなど、絶対に嫌、なぜ、これ以上大変で、辛い思いを、自ら選んでするのか分からない、絶対に、嫌、と本気で思っていました。

 

3人産んでいるママと話をしていると、同じように、もう、産まない!と思っていたけれど、ある日、急にほしくなるよ、そう言われても、ないないないない、私は絶対にない、と思うほど、子育てはしんどいものでした。

 

少し子育てが落ちつきはじめ、辛い気持ちが薄まり、女の子がほしいね、となり、娘を授りました。

 

大変なら、手を抜けば良いのに、手を抜くことができませんでした。

 

本当に、できないのです。

 

手を抜く選択肢をもっていませんでした。

 

楽をしてはいけない。

 

手を抜く自分を許してはいけない。

 

子育ては大変で、辛い事なのだから。

 

そう、思っていました。

 

手を抜く自分を許せず、全力で向き合うことしかできない。その向き合い方が完全に間違っていて、子供を苦しめる、子供が苦しんでいる事に気付いておらず、子供から見えている景色を、見ようとしていませんでした。とにかく、大変、そんな気分で、子育てをしていた時期がありました。

 

もー、あんたなんて

いい加減にしなさい

意地悪だね

ほんとに、嫌い

可愛くない

と、悲しい言葉をかけてしまう。

 

話しかけられても、相手がこれ以上話しかけたくなくなるような態度で接する。

 

そんなことを、してしまう時がありました。

 

今振り返り、当時の息子たちの写真を見ると、こんな小さな子たちに、私は何をしていたんだと、客観的に見ることができますが、当時の私は、本当に、気持ちに余裕がありませんでした。

 

そして、2人の息子たちは、自信がなく、不安の強い子になっていったのだろうと、思っています。

 

今、娘と過ごしていて、娘に、「どうして、何でもお母さんに頼むの?」と聞くと、「お母さんが大好きだから、お世話してほしいの、お世話してもらうと、幸せなの」と言い、「どうして、いつも、お母さんの近くにいるの?」と聞くと、「何だか、幸せな気持ちになるから」と言います。

 

小さな頃の息子たちも、きっと、ただただ、私との、温かな時間を過ごすことで、幸せな気持ちになりたかっただけなのだろうな、私は、それを満たす事ができなかったのだろうな、満たされることのない乾いた感情は、時間と共に形を変え、困難な親子関係を生み出したのだろう、と思っています。

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129 疲れだす

129 疲れだす

 

冬休み明けから、私も長男も、元気がありませんでした。

 

年明け等の節目は、言い表しようのない気持ちになりました。 

 

別の不登校児を抱えるママと話しをすると、休み明けは、落ち込むママも多いみたい、と言っていました。 

 

同じ心境の人が多いのかな・・・ 

 

以前相談した克服ママが、「不登校中は【子供は生きていればいい】と思っていた」と話していた時、「凄いな、私は、子供の先の事が不安になってしまうな」と思いましたが、 異常な程に元気のない子供を、毎日、毎日、24時間見ていると、私の中の「どうしよう!この子はこの先、どうなってしまうのだろう」という気持ちも少しずつ変化し、克服ママの言っていた事が理解できるようになっていきました。 
 
 
主人に、学校の対応を話しても

「人に期待しても無駄」

「文句言っても意味がない」

と、私の目を見ずに言い、自分は何もしない、いつもの、丸投げだな、と感じました。

 

私自身は、だいぶ、今の状況に慣れてきていましたが、年が明け、学校の無反応と長男の様子と、主人の丸投げに精神的に疲れてきていました。 

 

長男の昼夜逆転の影響で、日に日に、下の子達の生活リズムが崩れる。 

 

長男との2人きりの時間をなるべく長く確保しようと、下の子を、叱って寝室に連れて行き、泣かせてしまう。

 

叱らなければ、永遠に寝室に来ず、ついつい、きつい口調になってしまう。 

 

次男が遅く寝れば、次の日に起きれず、朝起きるときに機嫌が悪く癇癪を起こす。

 

悪影響を与える長男にイライラし、あからさまに嫌味な態度で、

「次男は、明日、幼稚園があるのだから、いい加減、寝なさい!」と言ってしまう。 

 

私がイライラし感情をむき出しにしても、子供たちの負の感情が、私に跳ね返って来るだけで何も良い事がない。 

 

分かっていても、余計な事を言ってしまう罪悪感、変われない自分への自己嫌悪、こんなふうに接して子供はどう育つのかという不安感、24時間子育ての睡眠不足、精神的、肉体的な疲れ、全てに対するストレス、もう、私の中の全てがぐちゃぐちゃでした。 

 

解決してくれる相談所を探す気力さえ、無くなりつつありました。 
 
 
 ・・・

 
 
家族の心が元気ならそれでいい。 

 

ある日、下の子2人を連れて、公園へ行きました。次男が、

「お兄ちゃんがいなくて、つまらない」,

と言い、退屈そうにしていました。

 

家で、真っ暗な部屋の布団に入り、ゲームをしている長男の姿が目に浮かび、途中から涙が止まりませんでした。 

 
公園へ行く事ですら、我が家にとっては、とても幸せな、叶わない夢のようでした。 

 

心が元気で、幸せに生きていてくれたら、それでいい、本当にそれだけでいい、と思えるようになり始めていました。 
 
 

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128 相談することを諦めだす

128 相談することを諦めだす

 

 

2022年1月中旬 

 
 

冬休みが明けてから、1週間が経ちましたが、学校からは、何の連絡もありませんでした。

 

冬休みに入る前に、「個人のパソコンは学校保存でよいですか?」と連絡があり、その際にも長男の名前は一度も出ませんでした。 

 

長男の事を聞かれなかった、だからなんなんだ、という話なのですが、気にならないのだなと、何とも言えない気持ちがありました。 

 

どうにかしてほしい、助けてほしい、そんな気持ちではありません。 

 

知識のない私には、学校しか頼る場所がありませんでした。学校しか頼る場所のない私が、全く頼りにならない学校に対し、説明する言葉が見つからないような、絶望感のような、そんなことを感じていました。 
 
 
どこに相談に行っても、何も解決策がなく、ただただ、克服ママに言われた【過保護】を頑張っていました。

 

ネットで検索すると、長男の症状は小児鬱にとても症状が似ており、小児鬱は半数は再発し、発症年齢が低ければ、低いほど、大人になってからの再発も多いという文字を見ては、心が締め付けられ、息子の将来が不安になり、もう何も考えたくない、と思うのに、ずっとその事ばかり考えてしまう、そんな毎日でした。 
 
 
学校の、今の対応を見ていると、息子が回復しはじめたとしても、どのように手伝ってくれるのだろう?対応が頼りなさすぎる、そんなことばかり考えてしまいました。 

 

 

一体私はどうしたらいいのだろう・・・ 

 
 

以前、担任の先生に、長男が学校に戻る気になった際、少しでも学習に付いて行けるよう、本当に必須な学習部分だけを絞って、プリントを下さいと連絡しました。 

 

私が依頼してからは、ポストに、プリントが入っていますが、最低限どこをやれば良いのか、という指示は一切ありませんでした。メッセージの一つも、添えられていませんでした。 

 

担任の先生の仕事とは、こんなものなのだろうか? 

 

私が、期待し過ぎなのだろうか? 
 
 

・・・

 

どこに相談すればよいのか分からず、息子は相変わらず元気がなく、冬休み明けの学校の対応への不安やら不満やらで、何をどうしたら良いのか分かりませんでした。私自身が、先の見えない不安に押しつぶされそうでした。 

 

もう一度、市に相談したら、と助言をされましたが、相談をしても結局、市が学校に言うだけ、言う相手は教頭先生です。堂々巡りになるだけです。

 

それなら、別の相談所に行ってみたら、とも言われましたが、何度も何度も、行き渋り前の反抗から、今に至るまでの、話を長々とし、言われる事は、分かりません、大変ですね、早急に心療内科を受診してください。 

 

・・・ 

 

主人は一度も、相談所へは行かず、誰かに相談しよう、現状を良くしようと、調べているようには、私の目には映りませんでした。私の中で、自分だけが動いている感じがし、もう、くたくたで、これ以上誰かに、事細かに事情を話すパワーは残っていませんでした。

 

段々、無気力になり、本や、ネットで不登校を調べる事すら、もう疲れていました。

 

不登校専門の、知識が豊富で、信頼できそうな相談機関は安くて1時間7000円、高いと、10000を超えていました。不登校相談が1時間で終わるはずもなく、とても継続して相談できないな、という印象でした。

 

同じ境遇の人のコミュニティはどう? 

 

同じ立場の人の意見のが参考になりそうじゃない? 

 

とも言われましたが、本当に全てに疲れ、行動する気が、もう、起きませんでした。 
 

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127 9歳のお誕生日

126 9歳のお誕生日 
 
 

2021.1月末の休日 
 
 
長男のお誕生日に近い週末に、お誕生日会を計画していました。 

 

その前日、長男は20時に起きてきました。 

「もうすぐお誕生日だね!明日、誕生日会をしようね」 

と言うと、顔がこわばりました。 

 

お誕生日、嫌なのかな・・・ 

 

次の日のお昼、誕生日ケーキを見せると、ケーキでも、私でもないどこか1点を無表情で見つめ、 

「もうすぐ、4年生、僕は4年生もずっと休む」 

「お誕生日、9歳になるけど、僕は、学校には行けていない」 

と、機械のように単調に言いました。 

 

学校に行けていない僕が、9歳になってもいいのか?という雰囲気でした。 

 

誕生日が全然嬉しくない様子で、むしろ、苦しそうでした。 

 

外食をすることを長男が嫌がるので、夕方にお寿司を買いに行きました。 

 

前日20時から起きているので、もうすでに、長男は20時間起きていることになる、寝ちゃう前に買ってこなきゃ!と思い、主人に、

 

「急いで買ってくるからね、寝ちゃわないようにね!」

とお願いして出かけました。 

 

帰って来ると、長男の姿がありませんでした。主人に、

「寝ちゃった?」

と聞くと、

 

主人は

「知らない」

と答えました。 

 

寝室を覗くと、長男は布団に入り眠っていました。

 

前日、20時間起きていたから、明日の昼過ぎまでは起きないな・・・

 

娘もお昼寝をしていて、部屋がとても静かでした。 

 

主役の長男はおらず、静まり返った部屋で、豪華な食事とケーキが食卓に乗っていました。 

 

何とも言えない、虚しさがありました。 

 

悲しいな・・・ 

 

本当に、何だか、悲しいな。 

 

何に対して悲しかったのか、いまだに、よく分かりませんが、ただただ、悲しくて、虚しい気持ちになった事を覚えています。 

 

息子の誕生日をお祝いできませんでした。

 

誕生日、嫌そうだったな。

 

なんで、こんな事になっちゃったんだろう。

 

どうしたら、何をしたら、あの子は元気になるのだろう?

 

そんな感じです。 
 

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126 冷えたからだ

126 冷えたからだ
 
 

2021.1.15 

 

この日も、友人が来てくれました。

全然お風呂に入らず、着替えない長男が、自ら着替え、 

「お母さん、これでいいかな?」と聞きました。 

私は、自ら【着替えよう】と思えた気持ちが、ただただ嬉しかったです。

 

長男は、ママとも話し、楽しくゲームをし、帰りには友人とママを玄関まで送っていきました。 

 

お風呂に入らない長男の足先は、いつも冷えていたので、足湯器を購入し温めました。 

 

長男の足を触ると、氷のように冷たく、しもやけで、紫色になっていました。 

 

私は、 

「足冷たいねー」 

「しもやけ、痛くない?」 

「明日、銭湯行こっか」 

と聞きましたが、 

 

長男は、 

「・・・」 

無言でした。 

 

私は、 

「やめておこうかね」

と言い、行きたくないんだな、と察し、それ以上聞きませんでした。 

 

・・・

 

寝室に行く前に、長男が私に、 

「お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、僕のこと、すき?僕はお母さんのことが大好きなんだよ、お母さんは僕が好き?」 

と聞きました。 

 

私は、 

「勿論、だいすきだよ!大事な息子だよ!」 

と言うと、 

 

長男が、 

「ありがとう、ありがとう」 

と言いました。 

 

私は、 

「えー、何がー?」 

と聞くと、 
 
「色々、いつも、ありがとう、本当に、ありがとう」 

と言いました。

 

小さいながらに、色々考えているのだろうな・・・ 

 

少しずつ、元気になれますように! 
 

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125 返事をしない意味

125 返事をしない意味

 

 

冬休みが明ける前日、息子はまた、30時間休憩なしでゲームをしました。

 

あまりにも食べない長男を心配し、当時、私は日記に走り書きで、長男が1日に食べたものを書いていましたが、ほぼ毎日、1食しか食べていませんでした。 

 

冬休みが終わるその日、私は、長男に、 

「冬休み、終わるね」 

と声をかけました。 

 

長男は聞こえていないかのように、無反応でした。学校が始まったその日は、20時間ずっと寝ていました。 

 

長男は、私にも生活がある、という事を理解していないのか、理解していても、そこまで気が回らないのか、夜中の3時頃に私の肩を何度も叩いて、

「お母さん、暇だから、一緒にゲームしよ」

と起こされることがありました。

 

私は起きては行くけれど、結局ソファで寝落ちしてしまう。それでも長男は、

「横に人がいるだけで、寂しくないからいい」

と言い、何度も夜中に私を起しました。

 

 この時期はとにかく食べず、どんどん痩せていきました。

 

 

2021.1.11 
 

幼馴染の友人が来て、夕方2時間ほど遊んでいました。

 

小さい頃から親同士も仲が良く、この日は長男が、友人のママが家に上がっても大丈夫そうだったので、同じ空間に子供達、ママ達がいました。

 

長男のことを心配してくれているママは、よく、お出かけの際に声をかけてくれていました。私は長男の状況を見て、「まだ、無理なんだよー」と断っていました。

 

その日は、「今度、映画に行こうよ」と誘ってくれました。 

 

その場に長男も、友人も、親もいました。 

 

長男に、

「映画行きたい?」

と聞くと、無反応でした。 

 

しばらくして、また私は長男に、

「どうする?映画誘ってくれてるけど行きたい?」

と聞きました。

 

また無反応です。当時、私は、長男が無反応の時は「NO!」と言っていることに、気が付いていませんでした。「返事しない!」「聞いてない!」そんなふうに捉えていました。 

 

友人たちが帰ると、長男は私に、 

「お母さんは、分かっていない!」 

「お母さんは、僕に意地悪をした!」 

「僕をいじめた!」 

「僕のことは、ほっといてよ!」 

と怒っていました。 

 

あ、映画のことだな、と思い、 

「ごめんね、行きたくなかったよね、断ったよ、安心してね」 

と私が言うと、 

 

長男は、 

「ありがとう」 

と言いました。 

 

本人がいる前で断るのは失礼だから断れない、でも行けない、それなのに、何度も私が友人がいる前で聞くので、嫌だったそうです。 

 

この日の学びは、長男が返事をしなかったら「NO」。

 

優しい長男は、断られた側の気持ちを考え、断ることは悪いことだと捉えているようでした。

 

「NO」と言わない代わりに、無言。それで察してよ。そんな感じなのだと思います。

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124 冬休み前後の学校の対応

124 冬休み前後の学校の対応 
 
 
 
担任も、スクールカウンセラーも、教頭先生も、何も役にも立たないと気が付いた私は、何かヒントがないかと市役所の子育て相談をしている部署に相談に行きました。

 

初めは、若い女性が対応していましたが、内容を聞き、途中から、

「私ではよく分からないので、以前、校長先生をしていて、とても親身になってくれる方がいる」

と、60代前後の落ち着いた、優しそうな男性に交代しました。 

 


その男性に、今、我が家は、

・過保護にし、全て本人の望む様にしている

・親は一切コントロールを止めている

・昼夜逆転、ゲーム依存も一切注意はしていない

という話をしました。

 

その方は、「ご両親は、腹を括って対応しているのですね」と言い「学校からの力添えはありますか?」と聞きました。

 

私は、正直に、

・プリント類も一切持ってこない

・電話もかかってこない

・かかってきても、業務連絡のみで、息子の名前は一切出ず、状況も聞いてこない

・教頭先生には「出来る事はありません」と言われている

という話を、クレームとしてではなく、ただただ、事実として話しました。 

 

学校側の対応に対しては、初めから期待しておらず、諦めきっていたので、状況を話す事で、学校側の対応をどうにか変えてくれ!という考えは一切ありませんでした。 

 

その方は、話を穏やかに聞いてくれましたが、具体的な指導はなく「今の対応を続けて行きましょう」くらいの事しか言いませんでした。 

 

それでも、相談後、教頭先生に、連絡をしたようでした。 

 

教頭先生から私に電話がきました。教頭先生は、 

「申し訳ございませんでした、何かの手違いで、誤解を生んでしまったようで、今後はプリント類も渡し、出来る限りケアしていきますので」 

そんな事を、電話越しに、一方的に話続けられた記憶があります。

 

不快感しかありませんでした。 

 

誤解?手違い?ってなんのことだろう?

 

市の、偉い人から、今の学校側の対応は良くないと、何か指導を受けたのだと思います。 

 

なんなんだ、この人は、どこまで保身なのだろう? 

 

私は、クレームを言っていません。ただただ、起っている事実を、市の、きっと偉いであろう職員に伝えただけでした。

 

電話越しの教頭先生の話し方は、明らかに、低姿勢になっており、それが、私を苛立たせました。 

 

そんなに、怒られたくないの? 

 

そこだけなんだろうな。

 

彼女の頭の中に、長男を救いたいという気持ちは1ミリでもあるのだろうか?

 

「出来る事は何でもします」 「私に、何でも言って下さい」「今は何が出来ますか?」「何にお困りですか」と聞かれました。


私が、もし、また市に相談すれば、「学校側としては、何でも言って下さい」とお母さんに伝えてあります、「助ける気はあります」と保険をかけているのだろう、と私は捉えました。 

 

教頭先生に、初めて相談してから2か月以上過ぎていました。

 

とても苦しかった時期に、相談に行っても、時計ばかりを見て、他人事のように、「出来る事はない」と言い切っていたのに、なんなんだよ。 

 

今更、「どうしましょうか、何でも協力しますので」という言葉を、よく平気で言えるな。 

 

そんな感情しか生まれませんでした。 

 

そんな自分だけを守っている人に、今の状況を救えるわけはない、この人が良い道しるべを示してくれるはずかない、私はそう思いながらも、ただ、「ありがとうございます、助かります」とだけ言い、電話を切りました。 

 

なんなんだよ。

 

いっそ、無関心で通してくれた方が不快にならずに済んだはずです。 

 

担任は、相変わらずでした。以前のまま、特に何もせず、 冬休みに入る前にも、冬休みが明ける時にも、電話は来ませんでした。

 

冬休みが近づき、ポストに入っていた冬休み日誌には、メッセージすらありませんでした。 

 

ただ、冬休み日誌だけが、「ぽん」とポストに入っていました。 

 

息子は今、あの学校には存在していないのだな。

誰も、気に留めていないのだな。

 

もう、親しかいない。 

私には、知識がないけれど、教師にも知識がない。教師は、知識がないに上に愛もない。 

 

最悪な気分でした。 

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123 

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克服ママのアドバイスを聞き、過保護にすることを実践していましたが、いつも頭の片隅でこんなことを思っていました。 

・この子は、回復したとしても、自由にしか過ごせないのではないか

・自分のしたい事しかしないのではないか

・親のお願いなど、何も聞かなくなるのではないか

・自分勝手に過ごす生活に慣れ、普通の生活に戻れなくなるのではないか

・ゲームと上手に付き合える日が来るのだろうか
 
 

お正月、実家にいる間も昼夜逆転の長男は、夜中になると、

「お腹が空いた」

と、私を起しました。

 

実家のリビングで夜中に料理をするのは迷惑をかけてしまうため、長男と2人で夜中の2時過ぎにマクドナルドへ行き、ドライブしながら食べ終える、そんなことをしていました。

 

外は静まりかえっており、車に乗る瞬間の、車内の空気がとても冷たく、がらがらに空いている道を、小さな息子とドライブするのは、とても不思議な気持ちでした。 

 

何をするにも、どこへ行くにも、私は頭の中で、これから起こりそうなハプニングを想像していました。

 

ハプニングが起きてから考えればいいや!という思考にはなかなかなれず、いつも神経を使い、とても疲れていました。 

 

長男の気性は乱高下で、夜中にマクドナルドに連れて行けば「ありがとう!ありがとう!」と、必要以上に大喜びし、私が連れて行くのを、面倒な素振りをすると、不機嫌になり「もーいー、はいはいはいはい、もう食べたくない」と布団に潜り、一切話を聞かなくなる。

 

常に長男の言いなりになっていれば、機嫌がよく、少しでも否定的な態度をとると、関係が悪化する、そんな感じでした。 

 

「あー、今日この子は何時に寝て、明日は何時に起きるのかな?初詣に行きたいけど、一緒には行けないな、下の子だけ連れて行こうかな、帰宅前に長男が起きてしまうと、声をかけなかった事で、機嫌が悪くなるのかな」 

 

・・・

 

結局次の日は初詣には行かず、姉達と焼き肉に行きました。

 

店員さんがよく通る席は、長男が落ち着かず、人が通らない席がいいと、奥の席に座りました。

 

食事中に、何度も何度もトイレに行き、長時間トイレにこもり帰って来ず、食べ終わると、すぐに家に帰りたがりました。

 

人と接する事に、とても怯えているように見えました。

 

食べ放題のお店で、「残すと追加料金です」と言われ、ほんの少し、小指の第一関節位の焦げたお肉が鉄板に残っているだけで、過剰に心配し、「ダメだよ、ダメだよ、残してるよ」と言い泣きそうになる。 

 

「これ位大丈夫だって、心配しなくて大丈夫だよ」 

と私が言えば、お母さんは、なんて酷い人間なんだと猛攻撃。

 

あー、この子に禁止事項はダメだな。くそ真面目なのか、融通が利かないのか、子供なんてこんなもの、という範囲なのか、私にはよく分かりませんでした。

 

全ての事を、こんなふうに、真面目に捉え、約束事を守ろうとしていたら、そりゃ、疲れ果ててしまうよね。

 

一体誰に似たのだろうか。 

 

家でずっと引きこもっているのは心配だけれど、外出しても、出先でとても長男に神経を使う。下の子達まで閉じ込めておくわけにはいかない。でも、長男は行きたくないと言い、おいて行かれるのも嫌。

 

あぁ・・・子供たち全員の要望を叶えるなんて無理。

 

私は優先順位を付ける事が苦手で、全て、やらなければ、と思う性格なため、余計に苦しく、どうしよう、どうやって全ての要望を叶えよう、とあたふたする事が多かったです。 

 

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122 2022年のお正月 次男

122 2022年のお正月 次男 
 
 
 
当時、次男は多動性がとても激しくなっていました。  
 
・ずっと頭を振って走り回り、人にぶつかる  

・一秒も止まることなく体を大きく動かし続ける

・家の中でも壁から壁へぶつかり続ける

・笑わず、表情が乏しい  
 
 
 
とにかく動くのです。 
 
 
家中の物に当たり、物が倒れたり、壊れたりしていました。  
 
 
 
絶対に普通ではない、発達障害と呼ばれるような動きが沢山出ていました。  
 
 
主人と私は、 
「もう!止まってよ!」  
 
と、叱ってしまう事が何度もありました。 
 
 
次男は爪を全て噛み、10円禿ができ、祖父母とのコミュニケーションもあまりとれませんでした。 
 
 
実家の近くに住んでいる、姉には懐いていて、一緒にパン屋さんへ行ったり、楽しそうに過ごす事もありましたが、基本的には部屋の隅にいて、自信なさそうに周りを見ている子でした。 
 
 
私に異常に執着しており、私の作った物しか食べない、人が次男の食事のお皿に触ると癇癪を起こし、もう食べない、私が空間に居なければ、不安で探し回る、返事をするまで叫び続ける、そんな状況でした。  
 
 
長男にも次男にもとても手が掛かり、神経を使う、更に、2歳の娘は普通にまだ手がかかる。  
 
 
 
あー、疲れたな。  
 
 
 
どうして我が子たちは、こんなに手がかかるのだろうか?
 
 
 
そして、どれ程周りに、頑張っている、普通は精神持たないよ、と言われても、私の中に刻み込まれている、いつもの考えに辿り着く、  
 
 
 
「あー、私は頑張れない、子育てなんて向いてない、辛すぎる、上手に子供を育てられない、やっぱり、私は良いお母さんではないし、良いお母さんになんてなれない、もう、嫌だ!」  
 
 
 
それでも、逃げることはできない。やるしかない。私の居場所はここにしかない。 
 
 
いつか、こんな日があったね、と思える日がくるのだろうか・・・  

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121 2022年のお正月 長男

121 2022年のお正月  長男
 
 
 
年末年始は私の実家へ行きました。 
 
 
実家に行く事はできても、長男は、皆のいるリビングではなく、2階の部屋で、ずっとゲームをしていました。 

 

下の子は親族と出かけるのを楽しみにしていました。 

 

長男は、きっと本心は出かけたくないのに、無理をして、

「僕も行きたい」

「何で!行っちゃダメなの?」

と言い、連れて行った先で、様子がおかしくなり、帰宅せざるを得なくなる、もしくは、周りが物凄く気を遣う状態になる。 

 

そんな事の連続で、子供の全ての事に目が行き届いてしまう私は、いつも心が疲れていました。

 

幸い私の親族は、長男の全てを温かく受け入れており、出来る限り長男の希望に合わせようと、心底温かく、臨機応変に対応してくれていました。 

 

おいて行けば、僕だけおいていかれた、といじける。 

 

連れて行けば帰りたいとわがままをいう。 

 

必ず、私にだけ聞こえるように、ずっと文句を言うので、

 

「いっそ、待っていてよ、出先で周りを困らせないでよ」

と、毎回思っていました。 
 
 
我慢ができず、正直に気持ちを長男に伝えてしまうと、その後、最悪な事態が待っています。しばらく、落ち込み、体が動かなくなる、部屋から出ない、食事をしない、私の言った意見に対して100倍返しで攻撃してくる。そんな事ばかりが、繰り返されていました。
 
 
 
 
2021.12月31日 
 
 
年越しに実家から歩いてすぐの神社へいきました。

 

小さな神社で、近所の人が神社の真ん中に焚かれた火で温まっていました。

 

長男は、その火に当たりながら、 

「温かいね、綺麗だね、あ、僕少しブランコしたい」 

と言い、敷地内になるブランコをこいでいました。 

 

実家に来ている時は、知り合いに会うかもしれないという恐怖から開放されるのか、明らかに表情は明るかったのですが、それでも、昼夜逆転し、一日中寝っ転がりゲームをする生活習慣は変わりません。 
 

 

2022.1月1日 

 

祖父母が、子供達にお年玉をくれました。 

 

毎年長男はお年玉をもらうと、 

「誰からいくらもらった!」 

「こんなに沢山になった!」 

と言いながら、合計金額を計算したり、そのお金を使いたくて近くに買い物に行ったりするのですが、今年は貰っても中身を見る事はありませんでした。 

 

中身を見ないどころか、貰ってすぐ、お年玉袋を近くの机に置き、ずっと、そのままでした。 

 
 
そのお年玉袋は1年以上、開けられることはありませんでした。 
 
 
とにかく、全てに興味を失い、無気力でした。 
 
 


次の日にイルミネーションの綺麗な場所に連れて行きましたが、5分で帰りたがりました。 

きっと、すぐに帰りたがるだろうと想定しており、2台で来ていました。

 

「先にお母さんと帰ろうか?」 

と言うと、激しく抵抗しました。 

 

それでいて、 

「なにここ?楽しくない、意味あるの?」 
と、私だけに聞こえる声で言い続ける。 

 

下の子は、これがしたい、あれを食べたいとキラキラ光るライトの下で大はしゃぎで喜んでいるので、どちらに合わせればいいのか判断が出来ず、胃が痛くなり、

「あー、もう・・・私にどうしろって言うの!」 

と、どこへ行っても苦しい気持ちになる。 
 

何回同じシチュエーションになっても、何も悪くない下の子を我慢させる事、長男に振り回され、神経を使う苦しさに慣れる事はありませんでした。 

 

その日は、珍しく主人が一緒に来ていて、イルミネーションの綺麗な広場で芸をする、大道芸人を見て、

「なんか、一生懸命何かをする姿っていいね、不登校前はそんな事あまり考えなかったけど、学歴なんて、どうでもいいよね、自分の好きな事をして、社会と関わり、一生懸命生きる、幸せに生きていてくれたら、それで十分だよね」

と、目に涙を溜め、しんみり話していました。

 

一緒に来ていた姉は、

「一緒にアイス食べれたね!」

「よかった!よかった!嬉しい!」

「少し、外出出来たね!」

「うん、うん」

と言って、目に涙を溜めていました。

 

8歳の子供がイベント会場に行き、アイスを食べる。

そんな当たり前の事に涙が込み上げてしまう程に、長男は周りから見ても、元気がなく、無気力だったのだと思います。


 
 

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