不登校復活の道(ブログ)
100 ゲーム生活の中で
100 ゲーム生活の中で
2021.11月頭
行き渋りから2か月が過ぎ、完全不登校になって20日経ちました。
今の長男の生活スタイルは、起きている間中、ゲームか動画のみです。 食事もまともには摂りません。
「好き放題させよう」と決めてはいても、深夜12時過ぎてもゲームをしている息子に、心配のあまり「まだ、寝ないの?」と言ってしまったり、嫌な顔をしてしまう事がありました。
不登校克服ママの話を聞いていたものの、克服ママの息子さんは中1で、我が子は小学3年生でした。 身体が急激に成長するこの時期に、「本当にいいの?」「まだ、8歳だよ」「脳とか、目とか、大丈夫なの?」という気持ちが抜けきりませんでした。
もともとが、ゲームに対して異常なまでの抵抗感がある為、尚更心配でした。
長男はそんな私の気持ちを感じ取っているのか、家族が就寝した後にゲームをする時は、わざとらしく「あー、そういえば・・・」とか、「ちょっと、あっちの部屋(リビング)に忘れ物しちゃった」とか、私に聞こえる様に寝室から立ち去り、リビングでゲームをしていました。
背中に私の批判的な視線を感じとっていたのだと思います。
次男が就寝すると、「お母さん、僕もお母さんの横にいていい?横でゲームしていていい?」と言い、私の布団に入り、抱きついてゲームをする事もよくありました。
思えば、次男が生まれてから、特に娘が生まれてから、長男に触りながら寝る機会は、ほとんどなかったと思います。長男も触れてこなかったので、私は、この子は、あまり人に触りたくない、ドライな子なのだ、と思っていました。
11月1日にゲームが我が家に来てから、次男との争いもなく、平和な日々でした。
次男はこの頃、人目を気にし、常に自信がなさそうにしていましたが、長男から攻撃されない為、以前よりも、穏やかな表情の日が多かった様に思います。
長男は、カーテンを閉め切り、部屋を真っ暗にし、朝から10時間以上休憩なしで動画を見続ける。
「中学になったら、きっとみんな、こんな感じになるはず。」
「数年早く思春期がきたと思っておこう。」
と、何とか気持ちが落ち込まない様に、考え方を変える努力をしていました。
遊びに来てくれた姉が、帰り際に、
「長男君の繊細さ、真面目さ、優しさが伝わる出来事が沢山あったよ、本人が辛い時期なのに、ずっと私(姉)に気を配り、最後は、どうもありがとう、と、抱きついてきたよ」
「人といると気を遣いすぎ、疲れてしまうのかもしれないね」
と、言っていました。
こんな状況でも、私は、まだ、頭の片隅でフリースクールの事を考えていました。
「あの、オルタナティブスクール、募集が始まるな」
「本人が見学に行き、入学したいと希望しなければ入れないな」
「まだ、早いかな」
「いつか、元気に、回復する日がくるといいな・・・」
今の私に出来る事は、何なんだろう。と、毎日考えていました。
99 サッカー話題
サッカー話題
2021.11.6
長男が完全不登校になったその年、私は長男の所属するサッカーの学年委員をしていました。
練習試合や大会の時には会場に行き、お世話をする役です。
長男が不登校になり、サッカーに行かなくなっても私は希望して学年委員を続けていました。
理由は、空いた穴を誰かが埋めなければならない事への罪悪感と、自分自身が、与えられた、やるべき事から逃げる事が嫌だったからです。
11月6日に大会がありました。
会場に行くと、 子供達が、私を見つけ、近寄ってきます。
子供達:
「ねー、(長男の名前)は?」
私:
「あー、ごめんね、今日来てないのー」
子供達:
「えーーー!あいつ(長男)いなかったら勝てんやん!あいつは、最強だからな」
「なんだよー、いねーのかよー」と言い立ち去っていきました。
私は、なんとか笑いながら、
「ごめん、ごめんー」と対応しましたが、家で、暗闇の中、ゲームをしている長男の姿と、元気に笑いながらサッカーをしている子供達の姿を比較してしまい、言い表しようのない、苦しい気持ちになりました。
子供達の、その言葉を、長男に伝えるか、伝えないか、大会後に貰ったおやつを渡すか、渡さないか、とても悩みました。
子供たちの掛けてくれた言葉が、長男の励みになるのか、それとも、思い出してしまい、また情緒が乱れるのか。よく考えた上で、私は伝える事にしました。
長男の機嫌の良さそうな時に、さり気なく、
「みんなが(長男)いないと、勝てない!来ないのかよーって残念がってたよー」と言うと、顔が曇り、下を向き、次男と娘に暴力を振るいました。 特に妹には酷く当たりました。 渡した大会のおやつにも一切、手を付けませんでした。
やっぱり、言うんじゃなかった・・・。
行き渋りから完全不登校になり、些細な発言で長男の情緒が乱れる為、私は発言一つ一つに神経を使い、伝えていいのか、考えながら長男に話しかけていました。
また、失敗してしまった。
しばらくサッカーの話題も避けよう。
98 私に刻み込まれた理想の母親像
98 私に刻み込まれた理想の母親像
子供を産む前から、母には、「子供を産むと、母親は自分の時間は全てなくなり、何1つ思い通りにはならなくなる」と言われていました。
外食もしばらく出来なくなる。
行きたい所へも行けなくなる。
全て子供中心で、自分を犠牲にして生きていく。
そんな事を言われていました。
私の受け取り方が極端なのかもしれませんが、子供を産んでから、子供を置いて、自分だけがどこかへ行く、自分のしたい事をするなどという事は、してはいけないことなのだと思い込んでいました。
実際、シングルマザーで働いている姉が、会社の飲み会等で子供を親に預け、帰りが遅いと、母は、とても不快そうにしていました。「子供がお母さんに会いたがっているのに、一緒に寝たがっているのに、自分が楽しむことを優先するなんて」
そんな感じの事を言っていました。
たった、数時間の事なのに・・・
結婚前に、姉のたまの不在に対する、母のそんな反応を見ていた私には、ますます、母親は楽しんではいけないのだ、という価値観が頭の中で固定されていきました。
そもそもが、早く結婚すると遊び足りないから離婚する、うまくいかない。と、何度も何度も言われていた私は、結婚する事にも躊躇いがありました。早く結婚したら、離婚するんだ、遊びつくした後に結婚しなければいけないのだ、今結婚したいなんて言ったら、絶対に許してもらえない。結婚するという事は、やりたい事を全て諦めるという事なのだ。私は勝手に、結婚へのイメージを固めていきました。
母親たるもの、常に子供が幸せであるように、子供に合わせて、全力で自分の出来る事をする。そうでなければならない、そうでなければ認めてはもらえない、と思い込んでいました。
私は、手間暇を掛け、大変な思いをすればするほど、母親として、しっかりやっている事になる、と信じていました。
楽をしてはいけない。
とにかく、手を抜いてはいけない。
元々の頑張り過ぎてしまう性格もあり、息抜きの仕方が分かりませんでした。
私は長男を布おむつで育てました。
外出先でも、旅行先でも紙おむつを使った事はありません。
布おむつと決めたら「今日は旅行だから、紙おむつにしよう」という選択肢をもてないのです。
少し頑張れば出来る事を、自分が楽をする為にさぼる事を許せませんでした。背中に誰ともない誰かの視線を感じ、頑張らない自分を許せない。自分に負けた気がするのです。
食事も冷凍食品を買った事は一度もありませんでした。 コンビニの物を買って食べさせる、イオンなどの商業施設で食べさせる、そんな事も一切しませんでした。 手抜きをすることには、大きな罪悪感を抱いていました。
布おむつで、完全に手作りの料理。1日中外で遊ばせて帰って来る。本を読んだり、一緒に遊んだりは沢山しましたが、長男を膝に入れ、テレビを見ながらまったり過ごす。そんな大切な時間をあまり持てていなかったのではないかと思います。
当時は、母親とはそうゆうもの、と思い込んでいましたが、今振り返ると、私はかなり、ストイックな性格だったようです。
私の母も、子供の為に全力、そんな母親でした。
私の、そんな理想の母親像を追い求めている姿勢は、夫や子供たちに、どう映っていたのだろう・・・。
気が付いていませんでしたが、私はとにかく、自分の母親から見て良い母親である様に、頑張っていたように思います。
97 「良かった」と思える事
97「良かった」と思える事
長男の反抗的な態度が始まってから、心労続きですが、一つ「良かったな」と、思う事がありました。息子たちの異変が今だったことです。
長男は8歳、次男は6歳です。
きっと、まだ立て直せる。
大変な中、希望は捨てていませんでした。
私は、もともとバカ正直で、うまく受け流すことが、とても苦手です。
特に気を許した家族には、思っている事をすぐに口に出し、態度に出てしまいがちです。伝えずに、内に秘めておく事は、とても苦手でした。
長男に話しかけられ、笑って話さなきゃ、と思っていても、どうにも受け付けなくて態度に出てしまいました。
笑えない時は、態度に出さず、余計な事を言う前に、そっと離れよう。
そう、決めてはいるのです。
分かってはいても、毎日、24時間、精神の不安定な不登校児と過ごす事は、とても苦痛でした。
訳の分からない要求ばかりをしてくる事への、苛立ち。
この子は、どうなってしまうのか、という不安。
無気力に、ゲームばかりしている息子への失望感。
好き放題にさせる、という対応が、正解!と確信を持てない、自信の無さ。
上手くやれない自分への苛立ちが、一番大きかった様に感じます。
どの不登校克服本を読んでも、インターネットを調べても、「まずはお母さんが元気になる事です」と書いてあります。これには、共感できませんでした。
私は、専業主婦です。暴れ回り、異常行動ばかりする息子と、毎日、24時間関わっている母親が、元気がでるわけないのです。
当時の私は、「母親が元気になれば、回復する」という発想は、ただの理想論だな、と思っていたと思います。母親が元気を出す方法があるのであれば、教えてもらいたかったです。
あの子がどんなに異常な事をしても、私は動揺しないように、常に冷静でいよう。
感情的にならないようにしよう。
そんなふうに、いつも自分に言い聞かせていました。
毎日毎日、毎回毎回、何度も自分に言い聞かせ、毎回毎回、失敗する。
上手く出来ない自分に腹が立ち、冷静になり、また、何とか立て直さなくちゃ、と思い直す・・・。
こんな事が、日々、繰り返されていました。
旦那さんに、理解して欲しい!と、期待しない様にしよう。
ゲームばかりの長男の姿を見ても、悲しくなる気持ちを捨てよう!
そう、割り切ろうとしても、無理でした。
旦那さんにも、長男にも、「こうであって欲しい!」と、期待し、いつも私の気持ちを、分かってはもらえない、と感じていました。
こんな生活から、何をどうしたら抜け出せるのか、そんな思いが、頭から離れませんでした。
それでも、「お母さんが大好きだ!」と甘えてくる可愛い時期に、情緒が大きく崩れてくれた2人を、何とか立て直そうと、私に出来る事は、何でもしていこう!と言う気持ちは、強く持っていました。
96 完全不登校突入後のお風呂事情
96 完全不登校突入後のお風呂事情
完全不登校になり、しばらくすると、長男は、
「僕は、もう、家のお風呂は卒業します」
と、宣言し、我が家のお風呂場に、近づかなくなりました。
その後、5か月程、長男は家のお風呂に入りませんでした。
調子の良い時は、週に1回、銭湯へ行きました。
2週間に1回、の時もあれば、1か月間、1度も銭湯に行けない事もありました。
銭湯に行っても、待合室で待つことはできませんでした。
ゲームを片時も手放す事が出来ず、お風呂を出たその瞬間にも、ゲームが手元に無いと落ち着きません。
涙目になり、地団駄を踏み、パニック状態になります。
下2人は、がちゃがちゃしたい、ゲームしたい、アイス食べたい、と子供らしくはしゃいでいます。
夜はライトアップがとてもキレイで、遊び場もあり、娘はとても喜んで見ていました。
長男と下の子2人の望み、両方同時に叶える事は、物理的に不可能でした。
主人が長男と先に車に戻り、車内でゲームをさせて、待たせる時もあれば、下の子達に急いで遊んでもらう、もしくは、遊ぶのを我慢してもらい、急いで帰りました。
毎回毎回、いつ、長男がパニックになるか、私はびくびくして、心がとても疲れました。
下の子達の無邪気な要求を聞いてあげられない事に、心が痛んだ事を、よく覚えています。
待合室に同年代の子供がいると、長男は、必ず酷いパニック状態になりました。
眼に涙を溜め、同年代の子達から隠れ、連れてきた両親に攻撃します。
「何してるんだよ!」
「早く帰りたい!」
「何で来たんだ!」
どちらかの親が、すぐに車に連れていきました。
そんな時は、車中で待つこともできません。即座に出発し、その場を離れなければ大パニックになりました。
その度に、下の子達は急かされ、望みを聞いてもらえず、ただただ諦めて帰るしかありませんでした。
同じ様な事が、毎回毎回起こるので、最終的には2台の車で銭湯に行くようになりました。
長男はお風呂だけ入り、すぐ帰宅。
下2人は、ゆっくり遊んで帰る様になり、少し心が楽になりました。
冬になり、しもやけ体質の長男の足先は血流が滞り、紫色になり、とても冷たかったです。
私は持ち運び用の、体が芯まで温まる足湯を購入し、毎晩、長男の足を温めました。
ソファから動かない長男の足元に、足湯を運び、私が、片足ずつ持ち上げ、足をお湯に入れていく。長男はピクリとも動きません。
足湯をやっている間も、長男は下を向き、ずっとゲームをしていました。
長く伸びきった髪が、長男の顔を覆って表情が見えません。
ソファに座り、首を直角に曲げて、無心でゲーム画面だけを見ています。
ただただ、ただただ、ただただ、無心でゲームをしていました。
表情はありません。
ただただ、ただただ、ずっと、息子は、ゲーム画面だけを見続けていました。
30分ほど、足湯をして、ふくらはぎから下をマッサージしながら洗っていました。血流が戻った足に、靴下を履かせ、足元を温めました。
そうしなければ、ただ、ソファに座って、夜中までゲームをしている長男の足先は、すぐに冷え切ってしまうからです。
お風呂にも入らず、着替えも一切しませんでした。
歯磨きもせず、顔も洗わない。
とにかく、ゲーム以外は何もしなくなりました。
不思議だった事は、1か月お風呂に入らず、頭も洗っていないのに、長男の頭からは異臭がしませんでした。
私の思い込みかもしれませんが、当時の長男は、身体的生理機能が全く働いていなかったのではないかと思います。
長期間お風呂に入らないのに、異臭がしないのは、不思議な感じがしました。
95 ゲームが届いた日
95 ゲームが届いた日
11月1日にゲーム機が届きました。なぜか私は、意味もなく、
「サッカーの大会行く?行かない?」
と、聞いてしまいました。
その質問の後、長男は次男を、ぼこぼこに殴りました。
・・・
・・・
・・・
お昼の郵便で、ゲームが届きました。
11月1日
世間一般的には遅すぎるであろう、我が家のゲーム生活がスタートしました。
11月1日(初日) 12時から24時 12時間 休憩無し
11月2日 朝9時から25時 16時間 休憩無し
11月3日 朝11時から24時 13時間 休憩無し
11月4日 朝10時から25時 15時間 休憩無し
11月5日 朝9時から25時 16時間 休憩無し
・・・・・・
ゲームが来てから、長男は、まともに食事を摂らなくなりました。
ただただ、取り憑かれた様に、ゲーム画面だけを見ていました。
想像していたよりも、どっぷりゲームにはまり込む生活がスタートしたのです。
94 少しずつ固まっていく決意
94 少しずつ固まっていく決意
娘を実家に預け、昼間、長男と2人で居ると、とても落ち着いていました。
私と長男の2人だけ、この空間が、今の息子には、必要な気がしました。
注文したゲーム機が届くまでの間、スマホを渡し、自由に使わせていると、次男と仲良く話し、よく、笑っていました。
その姿を見て、何度も何度も、何度も何度も、覚悟を決めなければ!と思うのです。
「もう、開き直り、とことん、付き合おう」
「好きな様に、させよう!」
その方が、いい子になるはず!一生懸命、自分に言い聞かせていました。
それでも、やはり、どうなってしまうのかが怖くて、中々開き直れません。
4月から、娘は幼稚園です。
娘が、昼間幼稚園に行けば、上手く回るかもしれないな。
娘とも、一緒に住めるかもしれない!
しばらくの間、長男はゲームにどっぷりハマる、と思っておこう!
もう、どうとでもなれ!と思おう!
長男は、もともとマイペースで、自制する事が苦手な様でした。
年齢の問題ではなく、自制が極端に苦手な子だと思います。
ゲームも、好きなだけやらせた方が、効果がありそうでした。
長男に、年長の次男には、まだゲームが早い事を伝えると、
「次男が帰ってきたら、消す、か、お父さんの部屋に移動する」
と言ってくれました。
・・・
・・・
・・・
次男にも、基本的には注意せず、甘やかしていると、落ち着いており、
「明日も1番に幼稚園に行きたいな」
等の発言が、出る様になりました。
正直、まだ心に何か引っ掛かりはあるものの、2人共、自由にさせた方が、よさそうだな。
と、頭では、分かっていました。
93 理想の家庭像
93 理想の家庭像
子供を産む前、私には理想の家庭像がありました。
みんな仲が良く、自分の部屋には行かず、リビングに家族が自然に集まる家庭。
そんな理想がありました。
居心地の良い子供部屋を与える事にも、抵抗がありました。
実際、私自身が、そんな家庭で育ちました。
主人は真逆です。
皆、個々に部屋にいる。
家族でも、相手の事に立ち入らない。
そんな家庭で、主人は育ちました。
主人にとって、自分の部屋がない、と言うのは、
【死に値する】
と、言っていました。
それほどに、1人の時間、空間が必要な人です。
私たち夫婦は、育った環境も、もっている価値観も違い過ぎました。
私は、何かにつけて、自分の描く理想像を持ちすぎていました。
長男に関しては、
引きこもりは怖い。
それでも、一人部屋を作り、落ちつく空間を用意し、ゲーム類を並べる棚を作り、長男だけの場所を作ろうかな。
と、考えはじめていました。
理由は、幼い下の子達まで、ゲーム漬けになる事は、絶対に嫌だからです。
長男の部屋を作り、そこでゲームをしてくれたら、下2人への影響は少なくなる。
2歳の娘が、長男の物を触り、怒られることもなくなるはず。
リビングに長男がいないので、私のストレスも減るはず。
もう、好き放題やらせよう!と覚悟しつつありました。
92 強い嫉妬心
92 強い嫉妬心
2021.10.月下旬
長男が、夜中に枕を殴っていました。
私が、
「何してるの?」
と聞くと、
長男は、
「妹を殴ってた、あいつ思い出すと、むかつく、見るだけでイラつく」
・・・
妹が不在にも関わらず、ずっと妹の文句を言っていました。
嫉妬なの?
以前、幼馴染み3家族で、海外旅行に行きました。
帰宅後、私が、「またいきたいね!」と、言うと、
長男は、「嫌!お母さんが、ママ達と話していて、僕と話さないから、嫌」
と言いました。
その旅行で、私は長男と沢山遊んでいました。
長男も、友人たちと、毎日毎日、大はしゃぎで遊んでいました。
小さい頃は、弟を抱っこする事を許さず、可愛がられる妹を虐める。
幼少期、毎日外へ連れ出し遊んでいた事を、
「楽しかった?」
と聞くと、
「楽しかった」
「でも、お母さんは、弟といたよね」
「弟を抱っこしていて、僕とは遊ばなかった」
「僕は、お母さんと遊びたかった」
「だから、楽しかったけど、寂しかった」
「お母さんは、僕と遊ばないから、悲しい」
と言いました。
どうしたら、この子を満足させられるのだろうか?
91 藁にもすがる思い
91 藁にもすがる思い
一般的な相談所には行き尽くし、どこも、解決策を教えてくれないと気が付いた私は、
・家から1時間以上かかり、1時間7000円の占い
・中々予約の取れない1回5000円の姓名判断(印鑑屋)
・1時間10000円のオンライン不登校相談
手当たり次第、自分を安心させてくれる場所、を探し求めました。
占いでは、
・発達障害と健常児の境界線
・18歳の頃には落ち着く
・異常に負けず嫌い
・弟と同じ習い事で競争させない方がいい
・気が小さすぎる
・学校は嫌いじゃないけど、周りの目を気にしすぎ
・学校には行かないんじゃないかな、この子?
・気持ちを表現できないから、楽器などで感情表現させて
と言われ、
「やっぱり、発達障害なんだ!」
「やっぱり、病的に負けず嫌いなんだ!」
「やっぱり、感情表現が苦手なんだ!」
と、信じ込みました。
姓名判断では、
・一筋縄ではいかない子
・この、漢字が良くないんだよね、改名する?
・印鑑つくるとお守りになるよ
と言われ、印鑑を作るか検討し(結局作ってません)
1時間、10000円のオンライン相談では、 大学生のお兄さんとゲームをする事で、心が解けて、少しずつ回復するパターンもある、と言われ。
「1時間10000円か!回復するなら安いな!」
と、訳の分からない金銭感覚に陥り、 全ての事を真に受け、頭の中で、何が何だか分からなくなっていました。
今考えると、馬鹿らしいのですが、当時はまさに【藁にもすがる思い】 で、全ての事が、息子に当てはまる様に感じ、全ての事を試してみたいと思っていました。
それ程に、私は、正常の様で、正常ではなかったのだと思います。
そして、そんな私を止める人もいませんでした。
90 安心感の生まれ方
90 安心感の生まれ方
子供の気持ちに耳を傾けていると、可愛いな、と思えてきました。
次男が生まれてからの子育ては、ただただ大変でした。
楽しみながら子育てをしてはいませんでした。
「楽しませなきゃ!」と、思いながら子育てしていました。
私は子供が嫌いなのかな? と思う事もありました。
お義母さんは遠方に住んでいる為、年に一度しか会いません。
コロナ渦もあり、3年ほど会っていません。
優しく、芯の強さを持っているお義母さんは、
「不登校はどうでもいいよね、まず、親が元気になることよね」
と、私に言ってくれました。
真面目で、一生懸命な私の母は、私よりも心配そうでした。
「どうしたらいいんだろうね」
「困ったね」
「大変だね」
母は、孫の不登校のことも、その事で精神的に不安定になっている私の事も、すごく心配してくれていました。
上の姉はいつも、
「絶対大丈夫だよ。分かるもん!」
と、在宅ワークのパソコンに集中しながら、カラッとした感じで励ましてくれました。
「私、あんまり外さないよ」
「根拠はないけど、長男君は大丈夫だと思うよ」
大変な人生経験をしている姉が、重くなく、軽くもなく、
「大丈夫、大丈夫!」
と言ってくれると、私の情緒が安定しました。
その反応から、学びがありました。
「子供も同じ心理なのかな?」
「大丈夫だよ!」
と信じてくれる人といると、安心するのかな。
私は、子供に、安心を与えて育ててきただろうか?
気持ちを受け止め、包み込むように子育てしていただろうか?
私の不安、怒り、苛立ちを、子供達に伝染させてはいなかっただろうか?
・・・
圧倒的に後者でした。
89 医療センターの日
89 医療センターの日
2021.11.1
出発直前まで、どう長男を連れて行くか考えていました。
結局、寝ている長男を抱っこし、車に乗せ強行突破です。
朝早かった事もあり長男は車中、ずっと寝ていました。
到着し、寝ている間に手続きを済ませました。
呼ばれる5分前、
頭がボサボサで、寝ぼけた長男を、診察室前に連れて行きました。
長男:
「は?」
「なに?」
「どこ、ここ?」
「・・・」
診察の時間になると、畳の部屋に通されました。
主治医の精神科医、臨床心理士、学生の様な臨床心理士さんも2人いました。
日当たりが良く、ポカポカした部屋で問診が始まりました。
私が、予約時に記入した問診票は6枚。
事細かに幼少期の発育歴を書く欄がありました。
こんなこと、覚えていない!という質問がほとんどです。
それを、ペラペラめくりながら、主治医の先生が長男に話しかけました。
主治医:
「長男くん、はじめまして」
長男:
「・・・」
主人の腕を掴み「何これ?」
主人:
「ん?」
主治医:
「長男くんのこと、色々教えてもらおうと思うけどいいかな?」
長男:
「嫌だ」
「怠い」
「つまらない」更に強く、主人のうでをつねりました。
主人が、
「痛たたた・・・」
と身体をひねっていました。
長男は、
「ねー、なにこれ」
と言い、私を睨みつけ、部屋から出て行きました。
心理の先生が別室で心理検査をしようと長男を誘いました。
長男は、断固拒否し、
「病院内にいるのも嫌だ!」
と言い、主人と外へ出かけました。
私だけ、部屋に残りました。
長男が部屋にいた時間は数分です。
主治医 :
「本人、無理ですね・・・」
主治医の先生は、問診票にかかれた発育歴を一つ一つ確認し始めました。
今の状況を話そうとすると、主治医の先生は、こう言いました。
・問診票に沿ってこちら(主治医)が質問をします
・時間内に、全ての質問が終わらない可能性が高いです
・今の状況を聞く時間はありません
・次回は12月3日
・その日は問診票の質問の続きをします
・発育歴を分析します
・偏りのある性格を、どう組み込み、上手く付き合っていくか、の指導になります
ただただ、問診票に書いた内容を、主治医が確認し、その日は終了しました。
長男は、親への不信感を露わにしていました。
主人は、
「ここ意味あるの?」
と、私に聞いてきました。
「私が知りたいわ」
と言いたい気持ちを抑え、
「有名な病院だから、きっと解決策を教えてくれるはずだよ」
と言い、帰路につきました。
あれ程待ち望んだ医療センターも、結局意味がないの?
解決策どころか、今の状況も話せませんでした。
長男は、
「2度と行かない!」
「絶対行かない!」
と、断固拒否しました。
次は1か月後、、、
結局解決策は分からない。
もう、克服ママの方法を実践するしか選択肢がないじゃん!
88 キャンプ場にて
88 キャンプ場にて
2021.10.30.31は海辺のキャンプ場に行きました。
子供にペースを合わせると、出発予定の8時半から大幅に遅れ、昼過ぎになりました。
行き道、主人は長男にゲーム解禁を伝えました。
約束事は、特にしていません。
長男は大喜びでした。
次男は、「僕は?」と、複雑な顔をしていました。
長男は頭の中がゲームに支配されていました。
海の見える、そのキャンプ場で、ずっとゲームの話をしていました。
長男:
「お母さん!」
「お母さん!」
「これ知ってる?」
「これは?」
「売ってるんだって、知ってる?」
ゲームの話しかしません。
一呼吸もおかず、話しつづけます。
エンドレスです。
その日、ネット購入したのは、
・3DS本体
・DSのソフトは8個
購入後も、
「これ欲しい。」
「これも欲しい。」
と、ネット画面を見せてきました。
当時、長男が欲しがったゲーム機は、なぜか3DSでした。
良かれと思い、我慢させてきた反動なのだろうか?
自制できない病気なのだろうか?
次男は火で遊んだり、子供らしく楽しんでいました。
長男は、ケビンの押入に閉じこもり、ずっとスマホでDSのソフトを探していました。
主人も、
「取り憑かれてるみたい、なんか怖いね・・・」
と言い、顔が引き攣っていました。
「これも」
「これも」
と言い続ける長男の姿は、私を不安にさせました。
今までの頑張りは、何だったのだろう。
何の為に、頑張って我慢させてきたんだっけ?
しんどくても、暑くても、寒くても、毎日外へ連れて行った日々は無駄だったのかな?
長男の会話に相槌を打っていましたが、この先どれ程ゲームに没頭するのだろう、と言う不安と、永遠に続く同じ話にうんざりし、私は席を外し、1人で海を見にいきました。
肌寒い日で、暗闇の中で聞こえる波の音が心地よく、脳内のもやもやを消してくれるようでした。
繰り返し、繰り返し、ずっと、同じ話をしているな。
相手の気持ちは考えないのだろうか?
その日は、ログハウスの鍵を開けるのは僕のみ!
と決めているようでした。
鍵を、絶対に誰にも渡しません。
あー!いちいちめんどくさい!
帰りの車の中で長男はご機嫌でした。
「ゲーム買ったら、友達とゲームの話出来るなー。」
と嬉しそうでした。
それを聞き、私は後で主人に、
「やっぱり、ゲーム話題についていけなかったことが、大きい原因なんじゃない?」
と言いました。
主人は、
「最初から言っているけど、原因探したり、理由探す事に意味はない。根っこだと思うよ。」
と言っていました。
私は主人の言ったその意味を、あまり深く理解していませんでした。
87 得体の知れない不安感
87 得体の知れない不安感
2021.10月下旬
遠足の日以来、長男は、ずっと怠そうでした。
身体を引きずりながら歩いている事が増えました。
ことある毎に「遠足に行きたかった。」と言い、昨晩は夜中まで泣き続けました。
次の日、お昼近くに起床した長男に、
「次男と公園いくよ!」
と、誘いましたが行きませんでした。
「youtubeを見てみたい!」
と言うので、パソコンを渡し、次男と出かけました。
その日が長男にとって、初めてのyoutubeだったはずです。
18時過ぎ、帰宅すると、出発時と同じ体勢でパソコンを見ていました。
机に置いた食事には、手を付けていません。
うわぁ、6時間ずっと見ていたんだ・・・
当時の私にとって、6時間は信じられない程長い、デジタル時間でした。
克服ママとのラインを、繰り返し、繰り返し、読んでいました。
落とし込め!落とし込め!と熟読し、イメトレしていました。
少しずつ脳に馴染み、だいぶ覚悟ができてきました。
ゲームで満たせば、下の子に暴力を振るわないかもしれない!
そしたら、娘と暮らせる!
「学校に行かなくても、大丈夫なんだ!」
と、割り切ると、楽になりました。
楽になったり、急に不安感に襲われたり、その繰り返しでした。
自分が、何に囚われているのか、よく分かりません。
何に対して不安になっているのだろう?
なぜ、学校に行って欲しいのだろう?
そもそも、何の為に学校って行くんだっけ?
私は一体何を求めているのだろう?
この、得体の知れない不安感はどこから来るのだろう?
そんな疑問が頭の中に浮かび始めていました。
86 覚悟が出来ない
86 覚悟が出来ない
学校(居場所)探しは継続していました。
当時の私はこんな事を思っていました。
・電話応対が良かったオルタナティブスクールがいいな
・3ヶ月以内に募集があるかもしれないと言っていたな
・3ヶ月か・・・すぐだな、焦るな
・専門家の話を聞き公立はあの子には向かないと判断しよう
毎日ラインで相談する私に姉は:
・内容は良さそうだけど、通学が大変じゃない?
・不登校が始まって1ヵ月しか経っていないし、まだ様子見でよくないかな?
・少しずつ前進していることない?
・その件も医療センターで相談してみてはどう?
と助言してくれていました。
長男はゲームを買ってほしくて私を竹でずっと叩いていました。
そんな長男の姿を見て私はこう感じました。
・ゲームを与えるタイミングを逃してしまったな
・小さなうちから自由にゲームをさせておけばよかったのだろうか
・長男の目が怖いな
・叩かれていて、痛いな
先日相談した息子さんを不登校から克服させたママに相談しました。
ママが私に教えてくれたのは、次のような事でした。
・行き渋りが始まった頃、布団にくるまり、起きてこない息子を叩き起こし、「学校へ行け!」と、怒鳴りつけていた
・息子はどんなふうに育ち、どんな子になるのか震える程不安だった
・パパからは、まずは心を満たすため、ママは、本人の望みを全て叶える様、アドバイスがあった
・パパのアドバイス通り、どんな要望も快く聞き続けた
・アドバイス通り、要望を叶えれば、いずれ良い子になるのでは、と期待があった
・要望を聞き続けたら、エスカレートするだけではないのか、と不安もあった
・継続した結果、1年半後、中2の夏休みに本人から「学校へ行く」と、言い出した
・不登校開始から2年経過した、中3始業式から宣言通り復学した
・ゲーム依存症になってもいい、と割り切ろう
・わがままを聞き続けても、わがままにはならない
・子供は愛されている、大切にされている、何でも気持ちを聞いてくれる、決めつけられない、等を永遠にやっていると変わりだすよ、身をもって体感したよ!
克服パパは、育児について、次のような考えをもっていたそうです。
・本人の意思を尊重しよう
・気持ちをしっかり聞いてあげよう
・嫌がる事はやらせないようにしよう
・ママは本人の要望を全て受け入れる様に
・どんな無理難題でも絶対に聞こう
・聞く事で、親は自分の気持ちを大切に受け入れてくれていると感じるはず
・子供はどこまで親が許すのかを試している
・要望を聞く事はしばらくお金が半端なくかかる
・それでも、全て要望を聞く様に
・学校は行きたいなら行った方がいい
・行きたくないのなら行かなくて良い
・無理に行かせても余計に学校が嫌になるだけ
・心を壊し仕事まで出来ない大人になる方が困る
・本人が行きたくなるまで待とう
克服ママの話を聞いても、半分以上、消化できず、次のような心配が沸き起こってしまいました。
・永遠にこのまま?
・1、2年の間だけ。高校は行く。等未来が見えていたら平気
・本人も8歳、下の子達への影響が気になる
・長男に相談しながら約束は作りたい
・昼間ずっといるので、長時間ゲームと言われそう
不安な気持ちを話すとママはこう言いました。
・同じように思った時がある
・完璧に過保護にした子だけが満足し、納得し立ち直っている
・約束を守らせる事は意味がない
・自分で決めさせ、自分で動かす事が重要
私は実家近くに引っ越したい事を伝えました。
理由は以下です。
・不安定な3人の子供達としっかり向き合って育児する事が限界
・長男がインターホンが鳴ると激しく怯える
・長男が転校したいと何度も訴えている
・サポーターが居る事で私自身が安定する
・助けてもらえば子供達が健やかに育ちそう
それを聞いたママはこう助言してくれました。
・夫婦が離れるのは反対
・自分のせい!となり兼ねないよ
・お父さんが大好きなら尚更良くない
・ただし、ママ(私)のメンタルが限界なら優先順位を考えるべき
・踏ん張れるなら夫婦は一緒が良い
私はぼんやり、こんな事を思っていました。
長男は友達もゼロになるしな・・・
引っ越すなら4月から次男小学校入学のタイミングに合わせたいな
家を買っちゃった!しまった!
娘の幼稚園、次男の小学校、長男のフリースクール、実家近くを調べ始めました。
どれ程克服ママの話を聞いても私は完全自由にする覚悟がなかなか出来ませんでした。
85 身近な人たちの意見
85 身近な人たちの意見
主人に、克服ママから、過保護にすると良い、と言われた事を伝えました。
伝えた時の、主人の反応はこうでした。
・過保護にする事は大賛成
・注意しなくていいなら気持ちが楽
・躾が苦手な為、むしろ嬉しい
私は、こんな事を思っていました。
・下の子への影響を、考えながらルールを、本人に作らせなければ
・全て、本人に決めさなければ
・テレビやゲームを、何時間にするか本人と相談しよう
・長男以外の家族がテレビ見れる様にするにはどうしたら良いか本人に聞こう
・自己中心的な回答だとしても今は受け入れよう
・繰り返し繰り返し改善されるまで同じ質問をしていこう
・その都度考え、試行錯誤しよう
義理の母から主人に再度メッセージが届きました。
・学校は行かなくていい
・家族でゲームを楽しめばいい
・家庭を本人が生き生きする場所にする
・ありのままを受け入れる
・わがままを聞く
・信頼を取り戻す
・ほめる
・自分で考えさせる
・皆違って、それでいい
・本人希望なら祖父母宅でゆっくりする事も可
・相手を変えたければ自分が変わらなければ絶対に風向きは変わらない
・不登校の子ではなく、人間として接する
・1人の人として大切に温かく接する
・現状から決して逃げずに解決方法を2人で探す
・方向を決めたらブレずに進んで行けば必ず良い方向に向かうと思う
・頑張れ!
義理の母はいつもこんな感じでした。
とても温かく、とても優しい。
長男が学校に行かない事にも全く動揺しなかったそうです。
不登校後に出会ったどのカウンセラーよりも的を得ている気がしました。
実家の父も姉にこんな事を言っていた様です。
・とにかく、心身を壊さない様に
・不登校の件は、長男の好きにやらせたらいい
・開き直ればいい
・自信持って、好きな様にさせたらいい
・色んな人がいて当然
・辛い時はいつでも頼りなさい
・自分が壊れてしまうなら、逃げたっていい
私は環境に恵まれていました。
誰一人何故学校に行かせないのだ!
お前が甘いからだ!
わがままにさせるからだ!
等の否定をする人はいませんでした。
身近な親族全員が温かく、手助けする姿勢を見せてくれていました。
それだけで、心が軽くなりました
84 寮を薦められる
84 寮を薦められる
2021.10月下旬
姉から聞いた話です。
「臨床心理士さんの中3の娘さん行き渋り。塾は行かなくなって成績ガタ落ち。家で寝てばかりいるって。病むよ、妹さんの気持ち分かる、て言ってた」
それを聞いて私はこう思いました。
・相談に乗る側の臨床心理士さんが親でも不登校になるの?
・なんで?
・誰が解決策を知っているの?
長男は、眠い眠いと機嫌が悪く、小さい子の癇癪の様でした。
疲れ、ストレスで感情コントロールが出来なくなるのだろうか。
休日は皆んな休みだから気持ちが軽くなるようでした。
私は長男に対し、
・わがまますぎる
・無理難題の度が過ぎている
・イライラしてしまう
と、感じていました。
私が吹っ切って明るくしなければ!
先日公園で会った不登校の娘さんを抱えるママが相談先を紹介してくれました。
NPO法人の方です。
発達に偏りのある子供が伸び伸び過ごせる空間を作る活動をされていました。
旧自宅を開放しイベント等をしていました。
息子の状態を話ました。
あまり記憶にありませんが覚えている会話は以下です。
・とにかく抱きしめてあげて
・息子が発達に偏りがあり学校で虐めを受けていた
・息子は虐められている事に気が付いていなかった
・家ではいつも息子とぶつかっていた
・色々難しく関係が悪化の一途だった
・旦那は子供達が幼い頃に亡くなっている
・1人で子育てをしていたから、わーーーーっとなっていた
・息子の成績がとても良く、中学から全寮制を薦めた
・息子は気に入り、無事合格し寮生活
・以後一緒に暮らしていない
・娘からは逃げたね、と言われるが選択肢は無かった
・あのまま暮らしていたらお互い不幸だった
・あなたの息子さんも寮も考えてみたらどう?
と言っていました。
NPO法人の方の長男に対するアドバイス:
・抱きしめる
・下を殴ろうとしていても、下を庇うのではなくその子を抱きしめる
・ゲームは、、、依存症になる
・それが怖い、抜けれなくなる
・ゲームは薦めない
そんな話だったと思います。
急なアポイントだったので子供達は友人の家に急遽預けました。
NPOの方:
「工作が好きなら面白いブロックがある。息子さんと作ったら?」
と未完成のニキーチンの積み木を見せてくれました。
私はそれを購入し家に帰りました。
その日の夜息子は早速夢中になって積み木をどんどん完成させていきました。
長男:
「お母さん、出来たよ!」
「これも出来た!」
「すぐ出来るよ!簡単だよ」
「見てみて!」
次の日長男と一緒に無色だった積み木に色を塗り遊びました。
今回の相談で私はこう感じました。
・ゲームは依存になると言われた、どうしよう
・寮に入れ、子供と離れる事は私には出来ない
・あまり心の動く相談場所ではなかった
・やはり克服ママのやり方しかしっくりこない
・でも、完全自由にする覚悟も出来ない
寮を薦められたことに、主人はこう意見しました。
・寮に出したら楽だろうね
・それでも今の信頼関係のまま寮には行かせられない
・今寮に入れたら2度と長男との信頼関係は築けない
・厄介払いしてはいけない
・子供がそれを感じ取った場合修復は不可能
・元気で、本人が強く希望なら賛成
・今は違うと思う
・親との信頼関係をしっかり築く事が先
そうだよね、私も同じ意見でした。
83 学校でのゲーム話題
83 学校でのゲーム話題
2021.10月下旬
長男の学校探しは継続していました。
今は行かせたら悪化するのではないか?
時間が経ち、高学年になると行き辛くなるのではないか?
焦るな。
困ったな。
どうしよう。
長男はよくこんな事を呟いていました。
・自由な学校に行きたい
・宿題がない学校がいい
・女子がいたら、嫌だ
今はどこにも行きたく無さそうでした。
私は公立ではなくフリースクールや自由な学校が良いと思っていました。
行き渋りの時よりは荒れない。
基本穏やかでした。
学校を断絶したからだろうか?
家が平和でした。
学校に戻したくない、子供が荒れる生活はもうごめんだ!
私:
「みんな、学校でゲームの話とかするの?」
長男:
「ゲームの話しかしてないよ」
私:
「みんながゲームの話してる時、分からないよね?」
長男:
「うん、全然分からないよ」
私:
「辛くなかったの?」
長男:
「別に、全然、知らない事知れるから面白いよ」
「楽しく聞いてるけど、段々頭が怠くなって席を離れたりしていたよ」
私:
「そうなんだ、買ってって言えばよかったのに」
長男:
「言ったら買ってくれたの?」
私:
「あ・・・」
長男:
「ゲームの話は分からないから、僕折り紙頑張ってたんだよ」
「むちゃくちゃ難しいのを作っていたんだよ」
「でも、折り紙に興味を示すのなんてほんの一瞬なんだよ」
「すぐ、ゲームの話になるんだよね」
長男は一時期、毎日毎日、むつかしい折り紙を折っていました。
細かい作業が得意で丁寧に一生懸命折っていました。
友人に頼まれている様でした。
私は、今どきの、ゲームばかりしている子供ではない事を喜んでいたと思います。
娘を実家に預けてからの長男は安定していました。
全く反抗してきません。
娘が不在でも娘批判はずっとしていました。
「うざい、うるさい、ブス、デブ」
娘の事を皆が可愛がるから嫉妬しているのだろうか?
不思議と次男とは喧嘩しませんでした。
私との会話も成立しておりとても優しくいい子でした。
娘と一緒に暮らしたい。
それでも、長男を立て直すには今の環境が良いのではないか?
1対1の時間を大切にしなくては!
家では安定していましたが人に敵意がありました。
すれ違う人、同じ空間で遊んでいる人を否定ばかりしていました。
以前は優しい発言ばかりする子でした。
最近は友人に俺はあいつらのおもちゃじゃない。
近所の子が来てくれても面倒な奴が来た。
まるで別人のようでした。
学校を休む様になってから以前の様に泣き叫び荒れ狂う事はありませんでした。
私自身がしっくりきた相談相手は不登校克服ママだけです。
他の相談機関はきれい事ばかりです。
現実的ではありません。
お母さん大丈夫ですか?
それは大変ですね。
・・・
・・・
大変なのは私なのだろうか?
子供を救おうと言う熱量がないのです。
加速させない様に。
子供をどう制そうか。
どう子供を上手くコントロールしようか。
親が楽になる方法を考える。
そんな感じでした。
不登校克服ママのやり方をするしかない。
腹を括ろう。
分かっている。
それしかないはず。
82 ゲームを与えるのか問題
82 ゲームを与えるのか問題
何だか私はすごい子を産んでしまったのだろうか?
長男はゲームの事しか頭に無い。
泣いてゲームを買え!ゲームを買えしか言いません。
ゲーム依存に陥る事を恐れている私は快諾出来ずにいました。
「しね!」
「殺す」
「次男死ね!」
「殺す」
そんな言葉を永遠に言い続けています。
我慢が全然できない!
昨日はとても穏やかだったのに!
望みが叶わなければすぐに暴れ出す。
取り憑かれた様に
お母さん
お母さん
お母さん
お母さん
お母さん
お母さん
お母さん
ずっと言っています。
もう・・・参る・・・
長男が、また、荒れ始めました
「馬鹿どもが」
「あほ死ね」
「死ね死ね」
物に当たり、ずっと暴れています。
精神病患者の様だな・・・と、唖然としていました。
以前相談した不登校ママに相談しました。
ママは長男の状況を聞いて、再度、アドバイスをくれました。
・ゲーム買った方がいい!
・依存の心配より満たす事に集中したほうがいい
・信頼関係をまず作る
・一時期依存するけど大丈夫
・好き放題やらせた方が立ち直り早いよ
・昼夜逆転にも意味がある
・不登校児は昼間、みんなが活動している時間帯に罪悪感で辛い
・みんな休んでいる夜は、罪悪感が無くなる
・心軽くなるんだよ!
・親がルールや躾を譲れない、夫婦喧嘩する、そんな家の子が立ち直ってない
・とにかく過保護に
・バットで液晶テレビを割る程荒れた時期があった
・裸で近所を走り回っていた!
・脱ぎ捨てる服を拾いながら追いかけてたよ
・全ては恐怖の賭け
・でも、今のままでは子供は今のままでしかないよ!
・不安でも、ゲーム買った方がいい!
・まず満たす
・何をして満たすか、は、子供が決める
・全てはそこから!
・依存したら依存したまで
・仕方ないんだよ!
・不登校だった息子はゲーム無なんてありえない!って言ってるよ
真剣に考えてくれるママの話を聞いても恐怖で覚悟が出来ません。
でも克服ママの言う通りにした方がいいんじゃないか?
ゲームをしなければ長男は永遠にコミュニティの会話に入れない 。
時間決めてやるならいいけど。
8歳の子に無制限にしてもいいの?
そんな事ばかりを考えていました。
考えても考えても答えが出ずどうにかなりそうでした。
どこかでこんな記事を目にしました。
ゲーム障害の患者数。
はっきりと分かっていませんが、厚生労働省の調査では「ネット依存」が疑われる人は成人で推定約421万人、中高生で約93万人(2017年)ネット依存の約90%はゲーム障害です。
ゲーム依存になると、親では絶対に治せません。
なるべく早く専門外来に相談しましょう。
医療センターに行く時に相談してみようかな。
克服ママが他にもアドバイスをくれていました。
・カウンセラーは理想論しか言わない
・どこに相談しても意味がない
・きれいごと、ではない
・最後は親しかいない
・実際の不登校児を毎日世話した人にしか分からない事がある
・全て本人に決めさせる
・守れないかもだけどそれでも責めずに
・その都度その都度どうしたらいいか本人に相談する
・どっぷりハマって恐怖な時期あるけどそこを抜ける
・中途半端にやると長引く
・好きにやれば心が満たされていく
・何もしていないと罪悪感、劣等感で脳が疲れる
・エネルギーが減ってしまう。ゲームで楽しければストレスが無くなり満たされる
・心が疲れない
・不登校の子は心が空っぽ、空っぽで全部投げ出した状態だよ!
・心を満タンにするしかないんだよ!
・満タンにして初めて外に目が行く!
・毎回恐怖の賭けだけど やるしかないよ!
話の内容は凄く理解しています。
それでも。私の不安は消えません。
抜け出せるの?飽きるの?
最長1日3時間を守らせたいな。
親が決めたら意味がないって言っていたな。
姉はあまりゲームに賛成ではありませんでした。
「息子の友達、ゲームで引き籠り、親に暴力の子沢山いるよ!」
え・・・
怖いな・・・
賭けか・・・
どうしよう・・・
まさかの展開だな・・・
えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
どうしようーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
81 次男を満たしてみる
81 次男を満たしてみる
次男まで本格的に幼稚園に行かないと言い出しました。
幼稚園では毎日楽しく過ごしてるのに行きません。
長男がその頃夜寝ず次男の就寝時間も遅くなっていました。
悪循環すぎる。
次男を起しても意地でも起きません。
起きないという決心をして布団にしがみ付いています。
布団から出てこないのです。
無理やりは引きずり出せませんでした。
頑固だな。
起こそうとすると、次男は、
「うるせーーーー!」
と、睨みつけてきます。
やっと起きた!
次は、朝食の文句を叫んでいます。
食卓に用意した朝食を見て次男は、
「ベーコンエッグのベーコン少ない!」(激怒)
「黄色い部分いらない!」 (机をバンバン叩いている)
「米!」
「やっぱパン!」
「やっぱ米!」
起こす事から始まり、ひたすら感じの悪い次男にイライラしていました。
イライラする感情を抑え込み、次男に
「わかったー。」
「ベーコン沢山で新しいの作るね。」
「黄色い所、お母さん食べたい!ちょうだい!」
「教えてくれて、ありがとう。」
次男はキョトンとしていました。
拍子抜けしている様でした。
次男:
「・・・」
「新しいのはいらない!これでいい!」(怒るのが少し緩まる)
私:
「パンとお米両方置いておくから好きな方食べてね。」
次男:
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「今日、僕、1番で、幼稚園、行こうかな・・・」(普通)
と自分で服を着替え、支度を始めました。
不登校克服ママに言われた満たす。
【言う事を聞く】を次男に実践してみました。
あー、この方が楽。
でもこれでいいのかな?
楽だけどわがままにならないの?
大丈夫かな?