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不登校復活の道(ブログ)

120 2021年のクリスマス

120 2021年のクリスマス

 

 

2021.12月末 
 
 
この頃は睡眠時間が激しく乱れていました。

 

16時に起きて、次の日のお昼、12時まで起きている(20時間起きている)、そこから4時間寝て、夕方から友人と遊ぶ。

 

友人と遊ぶ時間だけが楽しみなので、何とか起きるけれど、睡眠不足で、友人の前で落ち着かない態度になったり、無表情になったり、帰宅後に無理難題を言い困らせたりがあり、友人が不愉快にならないか、不愉快になり、もう来てくれなくならないか、と私がひやひやする。そんな事がよくありました。

 

明日、友達が来るから早く寝ておこう、と計画立てて、何かをする事が少しも出来ませんでした。 

 

今、どうしたいか、それだけ。

 

無理して長時間起きていて、情緒が不安定になった時の矛先は、私への無理難題か、下の子達への攻撃でした。 

 
 

 

2021年のクリスマス。 

 

我が家は各自欲しい物を紙に書き、壁に貼ってサンタさんが来るのを待ちます。 

 

下の子達はワクワクしながら、 

「何にしよう」 

とはしゃぐ中、長男はなかなか、書くことができませんでした。 

 

何度も、

「欲しい物ないの?」 

と聞いても、興味を示しませんでした。 

 

クリスマスが近づくと、 

「欲しい物がある、書きたい」 

と、用紙に向かい、鉛筆を持ち、いざ書こうとすると、字が書けない。 

 

本当に書けないようでした。 

 

リビングの床に紙を置き、正座をして用紙に向かう、鉛筆を持つ、深くため息をついて、鉛筆を紙に近づける、離す、溜息をつく、また書こうとする、そんな事を繰り返していました。

 

字が分からない、とかではなく、体が、字を書くことを拒否している、書こうとしても、手が動かない、そんな感じで、結局【大乱闘スマッシュブラザーズ】の【す】だけ書き、

 

「お母さん、あとは書いておいて」 

と、うつむいたまま言い、すぐに、ゲームを始めました。 

 

やる気がない、やりたくないではなく、本当に出来ない!そんな雰囲気でした。 

 
 

 

12月24日クリスマスイブ 

 

例年は子供達が深い眠りについてから、枕元にプレゼントを置いていました。 

 

今年は、長男が昼夜逆転しており、遅い時は朝7時でも寝ていませんでした。 

 

どのタイミングでプレゼントを置こうかな、と悩みました。 

 

予想は的中し、朝6時、長男は起きて、動画をみていました。 

 

「あー、どうしよう!プレゼントはまだ置けていない、下の子が起きちゃう!」 

「昨晩、楽しみに寝ていたし、どうしよー」 

 

結局、プレゼントは枕元には置けず、部屋のすぐ近くの廊下に置いて、下の子が起きたタイミングで、さり気なく室内に入れました。 

 

長男は前日、16時に起きており、彼にとっては朝6時は寝る時間であるのに、プレゼントの【大乱闘スマッシュブラザーズ】を始めると、そのまま食事もせず、ノンストップで20時までやり続けました。 
結局、寝たのは22時ごろです。ほぼ30時間、8歳の子が、ぶっ続けでゲームをしたことになります。 

 

集中力凄いな・・・ と、思う気持ちもありましたが、母親としては、

この子、大丈夫かな・・・ 

本当に、大丈夫なのかな・・・ 

ゲームにのめり込みすぎていないか? 

ゲーム障害なのかな? 

と、クリスマスなのに、もやもやした気分でした。 

 

その頃の長男は、本当に、もう生理現象として、脳が寝ないと無理です、となるまで起き続け、限界で眠る。そんな生活でした。 

 

周りは、ああしたらどう?こうしたらどう?体に悪いって説明したら?等、色々提案してくれましたが、本当に無理なのです。 

 

助言をされると、 

「私が一番それを望んでいる!そんなもん、出来るならやってるわ!」 

そんなふうに思ってしまう事もありました。 

 

不登校で生活が乱れている子は、本当にコントロールができません。 

 

周りが生活習慣を立て直そうとし、昼夜逆転を正そうなんて、出来るはずがないのです。 
 

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119 母親が元気になれば、回復する、と言う呪縛

119 母親が元気になれば、回復する、と言う呪縛 
 
 
 

不登校克服の本、ネット、相談所、色々な場面で、専門家が説く、

「まずは、母親が元気になる」 

「リラックスをして、笑顔でいる」 

「そうしたら、自動的に子供が回復します」

 

そんな言葉を何度も何度も目にしました。 

 

「おいしい物でも食べて」 

「好きな事をして」 

「母親がまず、元気にならなくちゃ」 

 

 
私は今でも、その意見には賛同できません。 

 

不登校児を抱えたお母さんが、どうしたら、笑顔になれるのか? 

 

そもそもが、母親が笑顔になれない、何らかの理由があり、それを感じ取り、子供は不登校になっているのではないか? 

 

そんなふうに思っています。 

 

我が子の場合はそれが大きかったと思います。 
 

 

 

私は、

「お母さん、楽しんで、おいしい物でも食べて、息抜きして、リフレッシュして」

等を言われ続けましたが、私が本当に不登校を受け入れるまでに1年以上かかり、その1年の間に、私自身がリラックスをするなんて事は、とても無理でした。 

 

リラックスはしようと思って出来る事ではありません。 

 

何をしていても、頭や心の奥の部分が苦しく、リラックスなど出来るような心境ではありませんでした。 

 

心が満たされ、心配材料がない時にしかリラックスは出来ないと思います。 

 

美味しいものを、食べたいという気持ちにもなりませんでした。

 

何をしていても、楽しくないのです。 

 

 

問題の程度にもよると思いますが、我が子は行き渋り始めから荒れ狂い、泣きわめき、手が付けられない程の状態でした。落ち着いてからも、昼夜逆転、ゲーム漬け、食事もとらず、お風呂も入らない。昼夜逆転しているので、私の子育ては、まさに24時間でした。 

 

そんな状況の中、自分に目を向け、よし、自分をリラックスさせようなんて、私には到底無理でした。 

 

どう、精神を保つのか、どう自分を癒すのか、そんな疑問が浮かぶ暇もなく、嫌でもやって来る苦しい毎日を、何とかこなしている、そんな日々でした。 

 

私は、行き渋りから1年程は、息子の事で精いっぱいで、自分をリラックスさせようなんて、考えもしませんでした。 

 

1年ほど経ち、問題は解決していなくても少しずつ、少しずつ、起っている出来事が現実である事を、心から受け入れられるようになり、頭や気持ちが整理されていくと、 

「毎日毎日、何なんだよ!やってられないな、美味しい物でも食べに行こ!」 

 

と、思える事もありましたが、外出先でも、

「あ、そろそろ起きたかな?お腹空いてるかな?寂しがってるかな?」と気になり、得体の知れないものに急かされ、みぞおち辺りに常に不快感がありました。 

 

急いで帰っても、大体の場合、息子は寝ていて、予想はしていても、言い現わしようのない、悲しく、苦しい気持ちになる。そんな日々でした。 
 
 


母親が元気になれば、不登校は解決されるという専門家の助言は、ほとんどのお母さんにとって、的外れなのではないかと思います。

 

なぜなら、子供が不登校でいる間は、その事から完全に解放されて、楽しい気持ちになることなど、できるわけがないからです。

  

子供に、何か少しでも回復の兆しが見えたり、元気な表情が見えると、それに安心して、母親が希望を持ち、少し元気になる、その母親の姿、雰囲気を感じ取り、子供がまた少し元気になる、またその子供の姿を母親が喜び、母親が少しずつ元気になっていく、そんなふうに、子供と母親がお互いを少しずつ、少しずつ、無意識に励まし合い、元気にし合っていくのだと思います。 

 

「まずはお母さんが元気になって下さい」「少し子育てから離れて、気持ちをリフレッシュして下さい」と言われても、当時の私には、到底そんな事はできませんでした。

 

元気になれ、と言われて、元気になれるものではないと思います。 

 

 

時を経て、時間をかけて、少しずつ、不幸に鈍感になる。 

 

自分を少しは癒そうと、自分自身の幸せに目を向けようと心がけ、表面上は笑える日もある。

 

それでも悩みは何も消えておらず、私は依然、出口のないトンネルの中で、光はどこにあるのか、と探し続けるのです。

 

 
元気にならなくちゃ、と努力すれば元気になる、というものではないと思います。

 

 

子供への対応を変え、状況が好転していく中で、母親自身が、少しずつ元気になれる時を待つしかないと、私は思っています。 

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118 夜中に両親がゲームに付き合う

118 夜中に両親がゲームに付き合う 
 
 
 

ゲームばかりしている長男は、毎日皆が寝静まってからリビングでゲームをしていました。

 

下の子を寝かしに行く際に、必ず、 

「お母さん、戻ってきてよ、絶対だよ」 

と言い、私は毎日起きて、長男とゲームをしていました。 

 

もともと、私はゲームが好きではなく、やり方も分からないので、あからさまに、 

「えー、お母さん分からないし・・・」 

と言い、快く遊んであげる事は出来ませんでした。 

 

どれ程頑張ろうと思っても、無理でした。

 

それでも、何とか、ゲーム機のボタンを無駄に押しまくり、毎日毎日夜中まで長男とゲームをしました。 

 

正直、私にとってはかなりの苦痛な時間でした。 
 

 

主人は毎日22時過ぎ、子供が寝てから帰宅します。 

 

長男は主人が帰って来るのを心待ちにしており、主人が帰ると、 

「お父さん、ゲームやろ!」 

と言って【大乱闘スマッシュブラザーズ】に誘っていました。 

 

主人も、毎日、 

「おーいいよ!」 

と言い、付き合っていました。 

 

主人は私よりも演技が上手く、仕事でくたくたなはずなのに、嫌そうな素振りは見せずに、30分から1時間ほど、ゲームに付き合う事が多かったです。 
 
 
長男は、2時過ぎまでゲームをし、その後寝室に来て暗闇の中、動画を見て寝落ちする。 

 

そんな毎日でした。 

 

8歳の、成長段階の子供です。

 

私は心を満たす事を優先し、何も言いませんでしたが、今の生活習慣が息子の、体、脳、目、情緒にどんな影響を及ぼすのか、この先の人生にどう影響するのか、とても心配でした。

 

 

私が、一言、 

「目が疲れないようにね」 

と、優しく声を掛けるだけで、長男は、 

「酷いね、本当に酷い事言うよね」 

と私を責め、泣き出します。 

 

 

親として、心配する事すら、許してはくれませんでした。 

 

あー、この子には、本当に何も言えない。 

 

この子は、一体どうなってしまうのだろう・・・ 

 

そんな事ばかり考えていました。 

 

いつか、元気になる日がくるなんて、想像する事は出来ませんでした。 
 
 
 
 
 

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117同じ学校の幼馴染に会う

117 同じ学校の幼馴染に会う 
 
 

12月下旬 

 
 
別学区の友人と遊ぶようになり、楽しみができると、長男は日に日に回復しているように見えました。会う勇気がなく、会えていない同じ学校の幼馴染に「会ってみようかな・・・」と言うようになりました。 
 

 

何度も迷い、

「会う」 

「やっぱり、無理」 

「んー、会いたい」 

「・・・でもな・・・」 

「遊びたいけど、同じ学校だからな・・・」 

「どうして休んでいるのって言われるかな?」 

と、いつもぶつぶつ呟いていました。 
 
 

 

何日も何日も悩み、ある日、

「僕、遊んでみる」 

と言い、遊ぶ事になりました。 
 

 

親友が、16時頃来る予定だったので15時半に起こしましたが、体が動かず、なかなか布団から出る事ができません。

 

10分程経ち、少しずつ少しずつ体を動かし、布団から出た時には、親友は既にリビングにいました。 

 

長男は親友のいるリビングに入る事が出来ず、寝室からリビングに繋がる廊下を行ったり来たりウロウロしていました。 

 

 

私が、

「もう、友達来てるよー」

と声を掛けると、 

 

長男は、

「お母さん、僕、分かってるよ、心の準備してるの、少し待って」 

と言い、しばらくウロウロと落ち着きなく歩いていました。 
 

 

長男は自分のタイミングで、何とかリビングに入り、すぐにソファに置いてある布団で全身を覆い、隠れてしまいました。 
 

 

親友はそんな事はおかまいなしに、長男に向かって、

「このゲーム、やり方分からない」 

「ちょっと!潜ってないで早く教えて!」 

「あれ、Wi-Fiのパスワード教えてよ(笑)」 

と言いながら、話しかけてくれていました。 

 

 

前回の友人の時と同様、少しずつ少しずつ話し始め、ゲームを始めると2人は盛り上がって遊び始めました。 

 

親友が帰宅すると、長男はテンションが上がり、私と、次男とすごろくで遊び始めました。嬉しい感情を抑えきれない様子で大はしゃぎでした。

 

夜、長男は少し表情を変え、私に、 

「あー、僕、めちゃくちゃ学校休んでるなー」 

「学校で、毎日折り紙折ってたなー」 

「なんだか、折り紙折りたくなってきたなー」 

と言い、 

「けど!まだ学校は休む!」 

と言いました。 
 

 

それから、しばらくの間、2人で折り紙を折りました。 
 

 

私は、 

「大丈夫、頑張り過ぎていたから、疲れたよね、心が元気になるまで、しっかり休んだらいいよ」 
と、言いました。 
 
不登校が始まった頃のような険しい表情になる事が少なくなり、少しずつ、少しずつ、心が満たされてきている気がしていました。 

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116 久々に友人に会う

116 久々に友人に会う 
 
 

12月になると、息子は完全昼夜逆転になっており、朝6時頃まで動画を見て寝落ちし、夕方5時ごろ起きてくる生活でした。

 

 

友人には誰にも会う事が出来ず、いつも、

「僕はぼっちだ、誰もいない、独りぼっちなんだ」 

と言っていました。 

 

 

「サッカーをやりたい、友人に会いたい」 

と、言うものの、 

 

「知っている子には絶対に会いたくない、遠出もしたくない」 

と、相変わらず引きこもりでした。 

 

行き渋りが始まった不安定な頃に遊べていた、別学区の親友にも、2か月以上会う事が出来ませんでした。 

 

何度も誘われていたので、それを伝えると、顔が曇り自室にしばらく、こもりました。 

 

12月中旬、息子がその友人と遊びたい、と言い出しました。

 

連絡を取り、すぐに遊ぶ事になりました。

 

友人が家に着くまで、長男は緊張した様子で家中をウロウロし、落ち着きなく歩き回っていました。

 

始めは緊張していたものの、ゲームを始めるとすぐに打ち解け、以前の様に仲良く遊び始めました。 

 

その日から、ほぼ毎日、その友人と遊び、息子はその時間だけが、 

「生きていて、楽しいと感じられる時間」 

と、言うようになりました。 

 

 

次男は一緒に遊びたくても、

「遊びたいけど、どうせ、入れてくれない」 

「僕は、一緒に遊んではいけないんだ」 

と言って、部屋の角にお山座りをして、楽しそうに遊ぶ兄たちを見ながら、無表情で、1人でゲームをしていました。

次男は、全ての事に極端に自信がなく、人とのコミュニケーションがうまく取れませんでした。 
 
 

 

長男は、昼夜逆転している為、友人が来る16時頃は、まだ寝ている事が多かったのですが、「友達が来るよ」と声を掛けると、すっと起きてきました。 

 

友人が帰る時は、ウロウロ玄関を歩き回り、下を向き、今にも消えてしまいそうな小さな、自信なさげな声で、

「また、遊びたいな」

と、伝えていました。

 

息子なりに精いっぱい頑張り、緊張して話している事が伝わってくる話し方でした。

 

 

友人が帰った後は、誰の目から見ても分かる程、表情が柔らかくなり、元気になり、家族にも優しく接するようになりました。

 

心が満たされれば、人は優しくなるのだ。という事を毎日、目の当たりにしていました。

 

別学区の親友には会えるようになりましたが、同じ学区の幼馴染の親友に、会う事はできませんでした。

 

何度も何度も誘われていましたが、

「遊びたいけれど、同じ学校だから、会いたくない」

と言い、断っていました。 

 

 

学校に行っていなくても、部活へ行けたり、友人に会えたりする子がいると聞いていました。息子の不登校の症状は、年齢の割には、なかなか酷い状態なのではないか?と思うようになりました。

 

どうしてこんなに人に会う事に憶病になるのだろう?

 

私には、息子の気持ちは理解できませんでした。

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115 実家近くの物件を見に行く

115 実家近くの物件をみに見に行く 
 
 

2021/12月頭 

 
 
息子が、

「引っ越したい」 

「ここは嫌!」 

と、何度も何度も訴えるので、実家近くの物件を探しました。

 

実家に近く、部屋数もあり、これなら、何とか住めるだろう、という物件があったので長男も連れて、家族で見に行きました。

 

行き道に雨が降っていて、到着する時には雨が止み、今から見に行く物件の上に虹が2本かかっていました。

 

今まで見たこともないような、くっきり、はっきりとした虹でとても綺麗でした。

 

 

主人が、 

「何この虹、もう引っ越せって言われてるね、決めちゃうか」 

と言いました。 
 

 

私の気持ちは、

・もう1人で全て回していくのは精神が限界 

・楽になりたい 

・長男も次男もフリースクールがいい 

・遠方のフリースクールの送迎を考えたら、娘もいるので実家近くしか物理的に無理 

・引っ越せば息子が外へ出られる 

と思っていました。 

 

 

姓名判断をしているハンコ屋さんにも、家の方角が良くないと言われたし、家の査定も出したし、

「もう、引っ越そう!」

と、私の中で決心が固まっていました。 
 

 

長男は寝ぐせがつき、表情が見えない程に伸びた髪で、ガリガリに痩せ、ズボンがずり落ちてしまうのを、何度も直しながら、その物件の中へ入っていきました。 

 

 

主人が不動産会社の人と話をしていました。 

 

長男は玄関から入ってすぐの部屋に行き、私に向かって、 

「なにここ?」 

と言いました。 
 

 

私は、 

「ん?」 

「引っ越したいと言ってたよね?ここに引っ越そうかと思っているよ」 

「どう?」 

と聞くと、

 

 

長男は、 

「嫌だ、ここは嫌」 

「引っ越すのはいいけど、ここには住まない、住みたくない、絶対に嫌」 

「もう、車に戻る、連れて行って」 

と言いました。 
 

 

私は、主人に長男の言葉を伝え、車に戻りました。 

 

主人は、 

「全て、長男の言う事を聞く。そうすると決めたのだから、彼がダメと言うならダメなんだよ。仕方ない、シンプルにいこう。何も深く考えなくていい、彼の言う事を聞く、そうすると決めたんだよね?また引っ越したい、と言い出したら、その時考えよう。」

 

そう言って、それ以降その物件の話はしませんでした。 

 

 

引っ越して、少しは楽になる、と思っていた私は、

「あ、やっぱり今の生活から抜け出せないんだな」 

「結局、このままなんだ、私1人で手のかかる3人をどう面倒見ていこうか」 

と、少し落ち込んでいました。 

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114 情緒が安定してきた?

114 情緒が安定してきた? 
  
 

2021/12月中旬 
 
 

この頃、行き渋り以降ずっと無気力で感じの悪かった息子の態度に、変化がありました。 
 

 

・自らズボンを履き替えた 

【自ら、ずぼんを履き替える】そんな当たり前の事が私にはビッグニュースになる程、当時の息子は無気力でした。 

 

 

・娘を寝かしつけている時に、「お腹空いた、ご飯作って」と言いましたが、寝つくまで、待ってくれました。

以前は少しの時間も待てませんでした。 

 

 

・事ある毎に、「ありがとう」を、沢山言う

やたらと、私に「ありがとう」と言うようになりました。 
 
 
 
・弟を思いやる

「弟に、マリオカートどのコースがいい?」と聞き、弟と一緒にスイッチ(ゲーム)が出来る日がありました。以前は絶対に一緒にゲームはせず、弟だけにはスイッチを触らせませんでした。 

 

 

・前髪を切る

長く伸び切った髪の、前髪だけ切らせてくれました。 

 

 

・顔の表情が穏やかになってきた

以前は全く笑いませんでしたが、少し顔を上げて、笑う日が出てきました。 
 

 

 

完全不登校になり2か月、ゲーム以外の事をしなくなってから40日ほど経ちました。ゲームは毎日、平均16時間やっていました。
 
 
克服ママの言った、【過保護にする】をして、数か月、息子は良い方に向かっていました。 

 

やはり、このやり方がいいのだろう、と私は思っていました。 
 
 

 

 主人は、今のやり方に疑問を持っており、

「今の子育ては、モンスターを育てているみたいに感じる。この先、子供たちがどう成長するのかが怖い。次男までもが無制限でゲームをしていて、他の事では全く遊ばなくなっている。俺の目からは、無気力で、怠け者に見える。長男も今は動画やらゲームやらで頭がいっぱい。ゲームが出来ないから外出しない!という子になっているよね。子供らしさのかけらもないよね、2人とも」 
 
と、疲れた感じで言っていました。 
 
  

 

私の中にも同じ不安があるので、気持ちは痛いほど分かります。

 

でも、じゃあ、どうしたら良いの?

 

今の対応が良くないなら、どんな対応にしたらいいの?

 

息子達を取り締まり、親の言う事を聞かせるの? 

 

今のこの子達が、親の言う事を聞くと思う?

 

今のやり方に不満があるのなら、他のやり方を調べて提案してほしい。 

 

口には出しませんでしたが、そんな気分でした。 

 

 

知り合いの方が、私にこんな事を言っていました。

「長男君は、今は、ゲームをしていたいんだよ」

「今は!だよ、今は!」 

「今までの、外遊びをした時間を平均したら、数年ゲームしかしなくても、一般的な子供の外遊び時間の平均値になるんじゃない?それくらい、よく遊んでいたと思うよ!大丈夫、心配いらない」 

「あの時期に培われた、身体能力や感受性は、絶対残ってるから!成長の土台になっているから」 

「今、この時期は、ゲームをやりたい、ゲームしかしたくない!」 

「そんな感じなんじゃない?私は、そう思うよ」 

 

以前から信頼を寄せていたそのママは、私をそう、励ましてくれました。 

 

表面的な分かった様なアドバイスを貰うと、不快になり、聞く気になれませんでしたが、このママの励ましは、すっと自分の心に染みわたり、安心することができました。 

 

 

やはり、今の「過保護にする、好きにさせる」の子育て法は間違っていないはず! 

続けて行こう!と思いました。

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113 診断書が腑に落ちない

113 診断名が腑に落ちない 
 
 


2021/12月頭  

 

医療センターの診断書に、【自閉症】の文字を見てから、私は、自閉スペクトラム障害というよりも、【自閉症】というキーワードばかりネットで検索していました。 

 

私は、それまで、医師や専門家の診断は、間違いないものだと思っていました。

しかし、自分で調べた典型的な自閉症の子どもの症例は、息子の現状とは合致しない点がたくさんあったので、この診断結果は、受け入れ難く感じました。

 

診断名が腑に落ちない私は、他の専門機関に話を聞きにいきました。 
 

その専門機関では、 

「医者が本人と話していないのに、自閉症スペクトラム障害の診断を出すのはおかしい」 

と言われました。 

 

「もー、何がなんだか分からない!」 

 

どこの専門機関の、誰が言っている事が本当なの? 
 

 

発達に偏りのある子を専門に塾を開いている先生は、

「診断名が付く前も、付いた後も、その子である事に、何一つ変わりはなく、悲しむ事はありません。学校に特性を理解してもらい、特別な対応をして欲しい時に診断書を都合よく利用したらいいだけです」

と言いました。

 

 調べると、自閉症の特徴として、

・コミュニケーション能力が低い 

・人の気持ちを汲み取れない 

等がありましたが、

 


息子は、人の気持ちが汲み取れない、というよりも、むしろ、周囲に気を遣いすぎるところがありました。

周りの子どもたちのペースに合わせ過ぎ、心の内側に大きなストレスを抱えるようなところがありました。


例えば、・・・。

 

友達に誘われると、理由もなく断る事が出来ず、気が進まなくても無理をし、付き合うような事がよくありました。

楽しそうだと私が思っていたら、その後、疲れ果てて自室にこもってしまう、そんな事がよくあったのです。
  

 

 

上の姉は、いつも、 

「まだ人生のほんの一部!一流大学を出て立派に就職しても引きこもる人がいる! 長男君は、そういう意味では大丈夫な気しかしないよ」 

 

と励ましてくれていました。 

 

励ますと言うより、本当に、そう信じている事が伝わる言い方でした。 
 

 

それなのに、母親である私は、この先、いつまで引きこもるのだろう、4年で行けなかったら、5年も行けなくない?5年で行けなかったら、6年も行けないじゃん!6年で行けない子は、9割中学も行ってないじゃん!そうやって、ずっと行けずに、大人になっても引きこもるの? 

 

この子の人生は、たった8年で真っ暗なの?と考え、不登校をネガティブに捉え、1人で不安に駆られていました。 
 
  

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112 外の世界に怯えた日

112 外の世界に怯えた日

 
 
2021.11.29 
 
 
この日の事はよく覚えています。

いつも、ゲームばかりで引きこもっている長男を、主人がテニスに誘いました。 
 

 

長男の小学校区ではない、少し離れた地区のテニスコートのある公園に行きました。 

遊具があり、その奥に広いグランドがあり、その更に奥へ行くと、テニスコートがありました。 
 

 

長男は同年代の子に会う事を極端に恐れていました。 

 

行きは、他の子供たちが遊んでいる遊具やグランドを避けて、テニスコートへ向かいました。 

 

テニスコートは高い塀に囲われており、外から中の様子は見えません。 

 

長男は、あまり元気がないものの、周りの視線を感じないテニスコートで、伸び伸び遊んでいました。 

 

家族でテニスをし、帰路に付く際、私は下の子のお世話をしていたため、主人と長男が先にテニスコートを出ました。 

 

主人に長男の状態を話してはいるものの、普段の様子を見ていないため、同年代の子供達がいる空間を、どれ程長男が恐れているのかを、主人は理解していませんでした。 

 

主人と長男は私より100メートルほど前を歩いていました。

 

主人が先に歩き、長男が後を追っています。

 

主人は、沢山の子供のいるグランドの真ん中を通り、遊具の方へ向かっていました。 

後ろから見ても、長男の様子がおかしいことが分かりました。 

 

主人は気が付いていません。 
 

 

私は下2人を残し、長男の方へ駆け寄りました。 

 

声を掛けると、振り向いた長男の顔は、今にもこぼれ落ちそうな涙を目に溜め、あたふたし、体が震え、隠れる場所を必死に探しているようでした。 

 

私が、 

「大丈夫?」

と聞くと、 
 

 

我慢していた涙があふれ出しました。 

 

「帰りたい、帰りたい、帰りたい!帰りたい!!!」 

「車どこ!早く乗りたい!」 

「早くここから離れたい」 

「ねー、車どこ」 

「ねー!ねーー!!ねーーー!!!」 

 

周りに子供が沢山いるため、呟くような声で、それでも叫んでいるような雰囲気で、口をへの字にし、私の体で、自分自身の体を隠そうと小さくなっています。 
 
 
 
徒歩5分程の場所に車が停めてあり、駐車場へ行くには沢山の子供のいるグランド横を通る道しかありませんでした。 
 

 

私は、長男に、

「急いで車取って来るからね、待っていてね」 

と言うと、

 

 

長男は、

「嫌だ、嫌だ」 

「早く、早くしてよ」 

「なんで、なんで車遠くなの!」 

「ねー、何で、早くしてよ、早く車乗りたい、帰りたい、帰りたい」 

 

と、周りをキョロキョロと見渡し、隠れる場所を探しています。

 

私はグランドと長男の間に立ち、視界をさえぎりました。 

 

 

公園と道を挟んだ向こう側に自販機がありました。自販機の後ろに回れば公園からは長男の姿が見えないので、長男をそこで待たせ、私は急いで車を取りに行きました。

 

 

私は主人に、パニックになる前の感じだから、長男から離れないでほしいとお願いし、急いで車を取りに走りました。 
 

 

車に乗り込むと、長男は、ダッシュボードに入れていたゲーム機を乱暴に手に取り、狂ったようにゲームを始めました。 

 

そんなに近くて、画面が見えるの?と思う程、ゲーム機に顔を近づけ、

 

「おー、すげー」 

「わー、勝った」 

「おー、楽しい」 

と、不自然にずっと1人で叫んでいます。 

 

助手席に座り、前のめりでゲームの世界に入り込む長男の姿は、異様な雰囲気で包まれていました。 

 

運転しながら長男の顔を、ふと見ると、顔が涙でぐちゃぐちゃでした。 

 

声だけ聴いていると、笑っているのに、顔は涙でぐちゃぐちゃ。 

 

その涙を拭うこともせず、ひたすらゲームボタンを押し続けます。 
 
 

・・・ 
 
 
私が泣いてはいけない、私が泣いてはいけない、涙が出ないように、涙が出ないように、と思えば思うほど、喉の奥の辺りが熱くなり、痛くなり、自然と涙がこぼれ落ち、止めることが出来ませんでした。 
 

 

今でも、この出来事、あの時の長男の様子は、昨日の事のように、鮮明に覚えており、脳裏から離れません。 
 

 

この世に出て、まだ8年しか経っていない子供が、なぜここまで苦しむのか。 
 

 

私の、何が、この子をここまで追い詰めてしまったのだろう。

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111 次男の試し行為

111 次男の試し行為 
 
 
 2021.11  


克服ママに「過保護にすること!」と言われたことを頑張っていました。 

 

出来る限り長男の望みを叶えるよう、わがままを言われても指摘せず、可能な限り対応する。 

 

そんな私の変化を見ていた次男が、私に言いました。 
 
 

 

次男: 

「お母さんは、お兄ちゃんのことが好きなんでしょ」 

「お兄ちゃんのことだけが好きで、お兄ちゃんのことだけが大事なんでしょ」 

そんなことを何度も何度も繰り返し聞いてきます。 
 

 

私は次男と2人きりの時に、 

「世界で一番次男の事が好き!」 

「こんなかわいい子、どこにもいない!」 

「お兄ちゃん、今元気がないから、お兄ちゃんばかりに構って、我慢させちゃってごめんね」 
 
と言っていました。

 

 

寝かしつけの時間は、 

「妹の隣で寝なよ!」 

「お兄ちゃんの所(リビング)に行きなよ!」 

「僕の横になんて来ないでよ!」 

「早く!行きなよ!」

と、突き放してきます。 

 


 
私は、 

「今は次男との、とっても大事な時間だから、意地でもここからどかないぞ!」 

と言って、次男を抱きしめ、放しませんでした。 
 

 

次男は、歯を食いしばり 

「やめろ!やめろ!」 

と、目に涙を溜め、蹴ったり叩いたりしていました。 

 

 

この子の情緒は大丈夫だろうか? 
 
 
 
食事を作っても、 

「これは、嫌」 

「あれは、嫌」 

「作り直して!」 

「今すぐ違うの買ってきて!」 

そんな要求が、日に日にエスカレートしていきました。 
 

 

 

いろどりに野菜をお皿にのせるだけで、 

「嫌がらせかよ!ふざけるな!」 

と言って、野菜を投げつけてくる事もありました。 
 
 


長男の似た様な要求を、私は全て聞き入れているため、次男は試し行為をしているのだろう、と出来る限り対応するようにしていました。 

 

 

次男は不登校ではなく、健常だと思っていたので、 

「こんな事聞いていいの?」 

「人を思いやれない子にならないの?」 


という不安が脳裏をよぎり、不安になりました。
 

 

 

そしてついに、2歳の娘までが、

「いらない」

「違うのほしい」

と兄たちを真似るようになりました。

 

私は1日に何食もご飯を作り、何度も何度も作り直していました。 

 

 

 作っても食べてもらえず、要望通り作り直したものですら、一口食べて「もういらない」と残す・・・。

 

「もぅ、いい加減にしてくれ!」 

こんな事、本当に続けていて大丈夫なのだろうか? 

この子達は、どんな子に育つのだろうか?

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110 不登校中の息子の姿

不登校中の息子の姿 
 
 

 
完全不登校中の息子の様子は、以下のような感じでした。


 
 

【ゲーム、動画しかしない】 

ゲーム、動画を、起きている間、1秒も手から放しませんでした。

数秒顔を上げ、民放テレビに視線を向けた際に、涙が出るほど嬉しかった事を覚えています。 
 

 
 
【お風呂に入らない】 

「僕は家のお風呂を卒業します」の言葉と共に、家のお風呂には、5か月近寄りませんでした。 
 
 
 
【歯を磨かない】 

「虫歯になるよ」と何度か言いましたが、磨かないので、言うのを止めました。 
 
 
 
【病院に行けない】 

平日は、スタッフに、「今日はお休み?」と、聞かれるのが怖くて行けず、休日は、知人に合うのが怖くて行けませんでした。 

歯科矯正をしていましたが、一旦ストップしました。 
 

 

【髪を切らない】  

目が前髪で完全に隠れていました。 
 
 
 
【爪を切らない】 

爪は切らないけれど、噛んでいたのか、いつも短かったです。 
 
 
 
【服を着替えない】 

1週間以上替えないので、無理矢理着替えさせようとすると、パニックになり、それに私が疲れ、諦めました。 
 
 
 
【インターホンに怯える】 

インターホンが鳴るだけでパニックになり、震えて怯えました。不登校児の繊細さに配慮出来る人は少なく、玄関先で、 

「あれ、お兄ちゃん、見かけないね」 

「学校行ってないの?」 

と、聞いて来る人もいました。 

それが長男に聞こえてしまうと、その後しばらく、長男は自分の部屋から出られなくなりました。 
 
 
 
【外出できない】 

外出をとても嫌がり、付いて来ませんでした。付いて来ないけれど、1人で家で待つ事を嫌がりました。家族の行動が制限されました。 
 
 

 

【食事をしない(初期)】

1日1食しか食べず、やせ細っていた時は、カロリーを取らせようと、ハイカロリーな物を食べさせていました。 
 
 
 
【食事を食べ過ぎる(後期)】 

夜中の12時にインスタントラーメンを毎日食べたがる時期がありました。あまりに続くので、「体が心配」と伝えると、険悪な雰囲気になった為、言うのを止めました。 
 
 
 
【昼夜逆転】

朝方まで布団の中で動画を見て、夕方に起床していました。不登校中、布団に入り、「さぁ、寝よう」と目を閉じて寝た事は一度もありません。毎日、寝落ちするまでスマホを見ていました。私は、夜中にスマホを見ている時間が気になり、使用時間を確認した事があります。大体毎日、夜11時から朝の5時や6時まで、平均6~7時間、真っ暗闇の中、布団に潜り、目から10センチの距離で長時間、スマホを見続けていました。 
 
 
 
【動かない】 

ずっと、同じ位置でゲームをしていました。廃人の様に、無気力でした。 
 
 
 
【笑わない】 

顔を上げませんでした。 
 
 
 
【友人に会えない】 

全く会えない時期が長くありました。少し回復して、特定の子に会える様になっても、心に負荷が掛かると、すぐに会えなくなりました。 
 
 
 
【引きこもる】 

些細な事に深く傷付き、数日間部屋に引きこもる事がよくありました。 
 
 
 
【自信がなく、手を付けない】 

親族の集まりで、皆で簡単なゲームに挑戦していた際、長男だけ「僕は、きっと上手く出来ない」と言い、手を付けませんでした。 
 
 
 
【電気を消す】 

「部屋を明るくしないで!」とお願いされた時期がありました。 
 
 
 
【パニック症状】 

突然泣き叫ぶ、暴力を振るう等の症状がでました。
 
 
 
【声が小さくなる(出ない感じ)】 

心に負荷がかかると、一気に声が出なくなりました。本人は一生懸命声を出そうとしているのですが、とても小さく、聞き取れない程の声しか出ていませんでした。 
 
 
 
【イベントを嫌がる】 

誕生日等の節目のイベントがある度に、「僕は、ずっとずる休みしているんだ」と言って、自分を責め、いつも暗い顔をしていました。 
 
 
 
思い浮かぶ1年半の長男の状態は、こんな感じでした。 
 

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109 一瞬治った昼夜逆転の日

109 一瞬治った昼夜逆転の日 
 
 
 

2021.11月下旬 
 

 

昼夜逆転のサイクルがずれ込み、その日、長男は朝から起きていました。 

朝の時間帯に長男の姿を見るのは久しぶりで、嬉しい反面、私は、 

・朝の忙しい時間に長男に神経を使うのは疲れる 

・皆が出発してから起きてほしい 

・リビングでゲームを始める姿を見ると、次男が「ぼくも休みたい」と言い出すので困る

・あー、もう1時間長く寝ていてよ 

と思っていました。 
 
 

 

長男が朝起きていると、私の行動が制限されました。 

「どこにも行かないで、出かけないで、寂しい」 

「僕が寂しいのに、置いて行くんだね!」 

と、言ってきます。 
 

 

この日は特に荒れていました。 

・娘を虐める 

・私に暴言を吐く 

・ソファに座っていた次男をソファから蹴り落とし、泣かせる 
 
 

 

私は下の子を虐められると、怒りスイッチが入ります。 

 

 

長男に向かって、

「何で、そんな意地悪するの?」 

「もう・・・寝ててよ、用事ないんだから!」 

そんな言葉を掛けていた気がします。 

 

 

長男は、 

「うるせー、くそばばぁ」 

と言い、目を吊り上げ、不機嫌になっていました。 
 
 

 

 

本当に、もう、寝ててよ・・・ 

家族の平和な日常を、一瞬で壊さないでよ。

 

 

そんな気分でした。 
 
 

 

学校へ行けていない事への苛立ちなのか、劣等感なのか、理不尽な事を言って周りを傷付けます。 

 

天気の良い日で、娘と一緒に公園に行こうとしていたら、 

「絶対に行くな!」 

と、言われ、結局娘は家の中で過ごしました。 

 

 

長男が起きている間は自由に動けない。 

娘を家に閉じ込めておきたくない。 

幼稚園帰り、次男が公園で遊びたがっても家にいる長男が気になり、落ち着かない。 
 
 
 

私は常に、長男の存在に支配されている気分でした。 

長男がいるから、出かけられない。 

長男がいるから、早く帰らなくちゃ。 

長男がいるから、お昼を作らなくちゃ。 

長男が行かないから、家族でお出かけ出来ない。
 

 


この子が居なかったら、楽なのにな・・・ 

この子が居なければ、普通の子育てなのに・・・

何で、こんなに、この子は難しいの? 

何でうちだけ、こんなに大変なの? 

 

私はイライラしながらも、長男が不安定な時こそ、私の温かな対応が大切なのだろうと、分かってはいました。 

 

それでも、感情が先立ち、不安定な長男に上手く対応出来ませんでした。 
 
 

 

優しくしなければ、ストレスを与えない様にしなければ、頑張らなければきっとあの子は回復しない。

 

どれだけ頭で分かっていても、私はすぐに感情に負け、不快が態度に出てしまいました。

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108 発育歴

108 発育歴 
 
 
 

2013年冬、私が35歳になった3日後に長男は生まれました。 

いわゆる、高齢出産です。 
 

 

予定日の数日前に、私は背伸びをして天井の掃除をしてしまい、赤ちゃんがお腹でゆっくりしている時に、破水してしまいました。 
 

 

子宮の中で羊水が減っていく中、赤ちゃんが全然降りてこない為、許可されている、最大量の錠剤の促進剤を飲み、点滴をマックスで打ち、破水してから42時間後に、長男は自然分娩で生まれました。 
 

 

思い込みなのでしょうが、促進剤を最大限に使用する事は、赤ちゃんの脳機能に影響を与えるのではないのか?と私は感じています。 

 

母親もそうですが、きっと赤ちゃんも苦しんだはず。 

 

薬を大量に使用し、自然に逆らって生まれ、小さな体で苦しんだストレスは、その後の発育に影響しないのか?と疑問に思っています。 
 
 

・・・ 
 
 

出産後、少し黄疸は出ましたが、全て正常値でした。 

 

発語も、おむつが取れる時期も、問題はありませんでした。

 

次男が生まれる2歳3ヶ月まで、癇癪を起す事もなく、とても穏やかで、よく笑う、とても可愛い子でした。 

 

それでも、いつもなぜか、少し不安そうな目で物事を見ていた姿は、脳裏に焼き付いています。 

 

長男は泣かない子で、あまりに泣かないので、泣くと、ホッとした覚えがあります。 
 

 

 

診断名が出て、【自閉症】で調べると、自閉症児はくるくる回る、とありました。 

長男は7か月頃、お座りをして、その場でくるくるくるくると、回っていた事がありました。コンパスみたいだね、と話していました。 それ以外で「回る」という行動はありませんでした。
 
 
 
断乳は1歳半でした。

 

もうおっぱいは無しだよ、と【へのへのもへじ】をおっぱいに書いて見せると、その日から水筒でお茶を飲みながら寝る様になりました。一度もぐずったり、泣いたりしませんでした。 

 

何て楽な子なのだ・・・と思った記憶があります。 
 
 

 

育てていく中で、気になった点がいくつかありました。 

 

・新しい場所に行くと、中々部屋に入れない。 

・2歳になる前、友人宅へ行った際、土間に入るまでに1時間、土間から部屋に入るまでに2時間程掛かり、上がってからも、他の子供達の輪には入らず、遠目で様子を見ていた

・遊んでいた子供たちが移動すると、ゆっくり、おもちゃに近づき不安そうな目をしながら、そぉっと触りだす 

・2歳児検診の際、長男だけが、身体測定の部屋に入れず、怯え、泣き喚き、一歩も入れないので、保健師が測定を諦めた 

・5組位の親子で紙芝居の読み聞かせをした際、長男だけ部屋に入れず、ずっと廊下にいた

・私が読む番になると、「読んではダメ」と泣き喚き、私だけ読むのを諦めた、読んではダメと言った時、何かに怯えているかの様に不安そうだった 

・毎日通っていた児童館で、部屋に入る際、必ず不安そうな顔で様子を見る為、時間が掛かる 
 
 

そんなエピソードがいくつもありました。 

 

とにかく、新しい場所、知らない場所へ行くと、中へ入る事を異様に嫌がりました。 
 
 

幼稚園の就園前検診の際も、自分の順番になると、軽いパニックになり、お漏らしをしました。 

 

 

当時は気が付いていませんでしたが、長男は、何をするのか分からない際に、パニック状態になりやすく、泣きわめき、体全体で抵抗し、断固拒否していた様に感じます。 

 
 
他の子供が困難に感じていない部分に、困難を感じる場面はいくつもありました。 

・年少時の運動会の際、入場行進の列に入れず、担任が列に入れようとすると、パニックになり、「嫌だ!」と、最大限に手足をバタつかせ、抱っこも出来ない程にのけぞり、抵抗し、参加できなかった 
 

 

【運動会のかけっこ】 

年少→先生が長男を抱っこして走る 不安そうな目でずっと周りを見ている 

年中→先生と手を繋いで走る 

年長→運動会1ヵ月前までは、リレーの練習に参加できず、先生と手を繋いで走っていたが、最終的には「アンカーなら走る」と言い、走った(アンカーはこだわり?) 
 
 
【運動会遊戯】 

年少→先生が抱っこ 踊りはやらない 

年中→先生の膝の上 手だけ少し動かしていた 

年長→元気に、張り切って参加 
 

【お遊戯会】 

年少→とても不安そうに、舞台下から観客席を見ていた 舞台には上がらない 着替えに時間がかかる 

年中→舞台上には行くが、正面を向かず、後ろ向き 着替えに時間がかかる 

年長→友人に指示が出来るほど、張り切ってやっていた 一切問題なし 
 
 
 
色々気になる点はありましたが、私は物で釣ったり、叱りつける事に抵抗があった為、「あ、やりたくない子なのだな、私も小さい頃、人前で何かをする事が大嫌いだったな、私に似たんだな」くらいにしか思っていませんでした。 

 

この時点で発達障害などの知識が、少しでもあればよかったのかな?と思う事もあります。 
 
 
他にも、幼稚園の座席は自由でしたが、長男の席は無言の了解で決まっていたそうです。 

 

長男がその席にしか座らない為、周りの皆が譲る様になったと聞きました。座ったことのある席が安心する様でした。

 

給食は偏食が激しかった様です。 
 
 

次男が生まれた際、他の誰かが次男を抱っこする事を一切許しませんでした。 

やきもちだね、というレベルではありません、次男を抱く事は不可能でした。 
 
 

 

初めての子育ての為、こんなものなのかな、と思いながらも、何だか他の子よりも、スムーズにいかない事が多いなと、何となく気が付いてはいました。
 

 

大らかでいよう、大らかでいよう、やらないからと、あたふたする親になってはいけない。そう思う様にしながらも、行事がある度に、帰りにいつも、胃の辺りが重くなっていました。

 

何で、うちの子だけ違うのだろう・・・ 
 
 
 
 
 
医療センターの問診票に、上記のような、事細かな発育歴を6枚記入しました。

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107 出された診断名

107 出された診断名 
 
 
 

2021/12/3(金) 
 
 

 

初めて医療センターに行った11月1日から1か月が過ぎ、2度目の予約日です。

 

今日、私に与えられていた診察時間は10分。 
 

 

とても日当たりの良い、静まり返った診察室に入ると、前回と同じ、30代位の物静かな女性の担当医が、穏やかな口調で、

「お待たせしました」

と、微笑みかけてくれました。 
 

 

私が、長男は連れて来れる状態ではない、と伝えると、 

 

「いつか、待合室にでも連れて来られたら、連れてきて欲しい」 

「待つ姿からも、様子を診察できます」 

 

と、言われました。 
 
 
 

前回の発育歴確認の続きからでした。

今回も、今の状態は、ほぼ話せていません。 
 

 

担当医が、私が質問に答えている内容を、頷きながら聞き、パチパチとパソコンに文字を打ち込みます。 

 

話が一区切りすると、先生が何かをプリントアウトし私に、さっと手渡しました。 

 

そこに書かれていたのは、 

 

【診療計画書 診断名 状態 (疑いも含む) 自閉症スペクトラム障害】 

 

の文字でした。 
 

 

ん? 

何?

何の話? 

 

 

 

私はしばらくの間、担当医が、誰の話をしているのか、理解出来ていませんでした。
 
 

そこから、先生と何を話したのかは、覚えていません。ただ無感情で、 

 

「そうなんですね」 

 

とか、そんな一言位しか発さなかったと思います。 
 

 

担当医は、 

「本人の性格や、こだわり行為は変えられない、周りが接し方のこつを掴むと、本人も、周りも、スムーズに生活し易くなります」 

 

と、アドバイスをくれました。 
 

 

 

こつ・・・ 

・・・? 

こつって何だ・・・ 
 
 

 

30分ほど掛かる帰り道は、自分がどう帰って来たのか、あまり覚えていません。

 

ぼーーーーっとしながら車を運転していた様な記憶があります。 

 

負の感情はないけれど、ここ数か月間に目まぐるしく巻き起こっている、出来事。 自分とは一生関係ないと思っていた出来事が、どんどん私の人生に入り込んできて、その情報の処理をする事に、脳が上手く反応していない、そんな感覚でした。 
 
 
 
姉に話すと、 

「自閉スペクトラム障害・・・学校に自閉スペクトラム障害診断を貰っている子で、長男君と、そっくりな症状の子がいるよ、やりたいことしか基本やらない」 

と、言っていました。 
 

 

長男は今まで、やりたくない事も、卒なくこなしてきました。 

 

比較をした事はありませんが、むしろ、良く出来ている方だったと思います。 

 

その点が、何だか腑に落ちませんでした。 

 

本当に自閉症なら、場面に応じて、やる、やらないのコントロールができるのだろうか? 

 

私の見解は、発達に偏りのある子を指導している先生が指摘した、過剰適応が1番しっくりきていました。 
 

 

 

個性と言えば個性、でも、社会生活に支障が出たら障害と名前を付ける。

 

長男の場合は、不登校という形で、社会生活に支障が出ていると、判断された様でした。

 

発育歴に書いた、こだわりの強さ、そこで診断されているのだろうか? 
 

そのこだわりの強さも、ゲームを始めてからは、かなり軽減されていました。 

 

満たされ始めたら、様々な症状が、落ち着いてきている様に感じていました。 

 

 

「今は、こだわりの強さが薄まっている」 

「何だか納得いかないな」 

「そもそも担当医は、本人に数分しか会っていない・・・」 
 

 

 

ネットや、不登校関連本を見た限りでは、長男は典型的な不登校児の道を辿っており、自閉症診断は腑に落ちませんでした。 

 

それでも私は、この本を購入し、読んでみました。 
 


 


当時、私には、あまりにも発達障害の知識が無く、自閉症と自閉症スペクトラム障害の違いも、全く分かっていませんでした。 
 

 

2013年?に自閉症の診断名の定義が変わり、自閉症スペクトラム障害と診断される患者は、かなり広範囲になった、と、担当医に言われました。 

 

自閉症はもの凄く狭い範囲、黒の1点。 

スペクトラム症は、かなり広範囲、軽い子は、ほぼ健常児である、と説明を受けました。 

 

その説明を受けても、私の様に、自閉症について、全く知識のない親からすると、診断名に【自閉症】の文字があるだけで、医師から与えられるインパクトは、強烈でした。

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106 深夜の長男との時間

106 深夜の長男との時間 
 
 
 
私は毎日、通常通り下の子のお世話をし、寝かしつけてから、また起きて、長男の話相手をする。そんな生活に心身共に、くたくたになっていました。 

 

睡眠時間が短いのもそうですが、ただ起きている、というよりは、常に、何か重い課題を投げられて、答えの見つからない答えをずっと探している感覚でした。 

 

下を寝かしつけに行く際、必ず長男は、 

「お母さん、寂しい、起きて来てよ、後で来てよ、絶対ね、絶対来てよ」 

と、毎日言います。

 

不登校前の生活だと、子供が寝てからの数時間が、唯一の自分だけの時間でした。 

「あー、今日も1日終わったな」 

と、思った後に、昼間もずっと一緒に居る長男と一通り戯れる事に、私は幸せを感じる事はできませんでした。 

 

長男は昼間も、買い物に行く事すら嫌がる程、そばに居たがりました。 
 
 
寝かしつけの後起きて行くと、 

・深夜にまた料理をするのが面倒臭い 

・感情が邪魔し優しい雰囲気で話せない 

・上手く傾聴出来ない 

・絶え間なく続く、相手からの一歩的なゲームの話に盛り上がって話せない 

・そんな態度しか取れない自分自身を心の中で責める 

・自分の態度が良くない、と分かっていても、悪い癖を抜く事が出来ない 

・私が母親では、この子は立ち直らないだろう、と落ち込む 

 

 

周りに、どれ程頑張っている、頑張り過ぎている、と言われても、どうしても、そう思えませんでした。 

 

私が頑張れているなら、長男はもっと、良い方向に行っているはず。 

 

「あー、私はやっぱり、こんな状況でも頑張れない」 

と、気持ちが沈み、その影響で、また子供に優しくなれない 

まさに負のスパイラルでした。 
 

 

唯一、私の心が少し軽くなれたのは、いつでも姉達が、瞬時に話を聞いてくれていた事でした。 

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105 引っ越しを考える

105 引っ越しを考える 
 
 
 

当時長男は、こんな感じでした。

・インターホンが鳴ると怯える

・外出時に車に乗り込む際、人に見られない様、背中を丸め、急いで車に駆け込む 

・車内から、同年代の子を見つけると、社外から自分の姿が見えない様に体を隠す 

・学校付近を車で通過する際、顔が引き攣る

・知り合いに会うのを恐れ、近所を出歩くことができない 

・人に会うのを恐れ、庭に1秒も出られない 

 
 

長男が何に怯えているのか、私にはよく分かりませんでした。 

 

学校を休んでいるだけなのに、なぜ、そこまで、隠れ、怯えるのか? 
 
 

不登校関連の本には母親自身が、 

・人に会うのが嫌になる 

・外出できなくなる 

・近所のスーパーに買い物に行けなくなる 

等の記載がありましたが、私には分からない心理でした。 
 
 

学校に行かないのは、身を隠さなければならない程、いけない事なのか? 

 

そもそも、近所の人に何を言われても、大して気になりませんでした。 
 
 
私は、その部分に関しては、堂々としていようと、決めていました。 
 
 
子供会の行事、廃品回収等の学校のイベント、サッカーの大会なども、自分に仕事がある場合は必ず行くようにしていました。 

 

ある意味、意地でした。 

 

お母さんまで、顔を出さない、と思われる事が嫌だった気もします。 
 
 
 
あまりにも、家から出る事に怯える長男の姿を見て、当時、両親が考えていた事は以下です。 

・私の実家近くに家族で引っ越す 

・私の実家に、長男のみしばらく住む 

・主人の実家に、長男のみしばらく住む 

・私の行かせたい学校がある地域に引っ越す 

・このまましばらく、ここで様子を見る 
 
 

 

そして私は、こんな行動を起こしていました。 

・実家近くの賃貸物件を探しにいく 

・実家近くの娘の幼稚園を探す 

・実家近くのフリースクールにコンタクトを取る (この時、私は次男もフリースクールのが良いと決めつけていました) 

・実家近くの小学校に連絡し、新一年生(次男)の話を聞く 

・今の家を査定に出す 

・主人が上司に転勤移動を出すかもしれないと相談しておく 
 
 

その時は11月下旬で、次男の入学が4月です。 

 

コミュニケーション能力が低く、心配事の多い次男を転校させる事は、避けたかったため、引っ越すなら4月からにしよう!と決めていました。 

 

引っ越すべきか、このままここで、様子を見るべきか、どれ程考えても答えは出ません。 

 

 

たまに来てくれていた姉は長男の姿を見て、こんな事を言っていました。 

「毎回、友達来ると顔色を変え、奥の部屋に隠れる姿を見ると、まだまだだなって実感する」 

「隠れる時の顔つきが普通じゃない」 

「外に出る時に、人目を気にし、おどおどしているよね」 

「ただ、もう少し時間がたった時どうなるのか」 

「長男君の本心はどうなのか」 

「引っ越す事がストレスになるのか、ストレスフリーになるのか」 

「長男君は物を大切にするから、家を手放す事をどう思うか」 

「長男君の事だけ考えるなら、まだまだ分からない事があるから、4月はまだ早い気がする」 

「もう少し長い目で考えてみたら」 

 

 

不登校に対する、主人の価値観はこうでした。 

・大人でも、一度長期で休んだ場所に復帰するのは嫌 

・新しい場所が緊張したとしても、心機一転、リセットする方がよいのではないか? 

・不登校は黒歴史、俺なら、絶対知ってる人とその後関わりたくない 
 
 

 

主人は不登校に対して、マイナスイメージを持っている様でした。 

 

私は、それをあまり理解できず、また、主人とのズレを感じていました。 

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104 起立性調節障害

104 起立性調節障害

 

 

最近は、風邪の症状が無いのに、朝起きれず、よく吐くので、 ネットで調べると、【起立性調整障害】という、言葉を見つけました。

 

【以下、ネット引用】 

起立性調節障害はこんな病気 

 

起立性調節障害(OD:Orthostatic Dysregulation)は、思春期前後の小児に多くみられ、起立時にめまい、動悸、失神などが起きる自律神経の機能失調です。 

 
人の身体は、起立すると重力によって血液が下半身に貯留し、静脈を経て心臓へ戻る血液量が減少し血圧が低下するので、これを防ぐために自律神経系の一つである交感神経が興奮して下半身の血管を収縮させ、心臓へ戻る血液量を増やし、血圧を維持します。しかし、自律神経の機能が低下した結果、このメカニズムが働かず、血圧が低下し脳血流が減少するため多彩な症状が現れます。 
 
 

起立性調節障害の症状・診断 

 

起立性調節障害でみられる身体症状として、以下があげられます。 

 

1.立ちくらみ、あるいはめまいを起こしやすい 

2.立っていると気持ちが悪くなる。ひどくなると倒れる 

3.入浴時あるいは嫌なことを見聞きすると気持ちが悪くなる 

4.少し動くと動悸あるいは息切れがする 

5.朝なかなか起きられず午前中調子が悪い 

6.顔色が青白い 

7.食欲不振 

8.臍疝痛(せいさいせんつう)へその周囲の痛みをときどき訴える 

9.倦怠あるいは疲れやすい 

10.頭痛 

11.乗り物に酔いやすい 
 

 

これらの項目のうち3つ以上当てはまる、あるいは2つであっても症状が強いなどの場合、起立性調節障害を疑います。



 ・・・

 

長男は、いくつかの症状が、あてはまりました。

 

数か月前まで、元気に学校に行き、外で遊びまわっていたあの子に、一体、何が起こっているのだろう? 
 
 
 
 
調子の悪そうな我が子を見ていると、少しずつ生活リズムを直していきたい。

と、強く思いました。

 

しかし、無理矢理何かをする事はできません。 
 

 

 

様々な不登校関連本にも記載されていますが、不登校児は本当に指示が通りにくいです。 

 

大人が何かして、どうにかなるものではありませんでした。 

 

本人の意識が変わり、自分で変わりたい、と動き出すのを待つしかない。 

 

その心理は、本で読み、何となくですが、理解しているつもりでした。 

 

でも、どうやったら、息子の意識は変わるのだろう? 

 

いつまで、その日が来るのを待てばいいのだろう?

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103 伝わらない気持ち

103 伝わらない気持ち

 

 

 

2021/11月中旬 

主人が帰宅し、 

「毎日、子供達がゲームをしている姿は、胸が締め付けられる、苦しい、本来望んでいる姿じゃない」と言いました。 
 

 
 
私は、

「え、ゲームに対して、そんな事思うの?」

という気持ちと、

「これで、スマホしか見ていない主人の背中に対し、私が思う、あの不快な感情を、少しは理解してもらえるかも!」

という、期待の気持ちが同時に浮かびました。 
  

 

 

今まで我が家にはゲーム類が一切無く、テレビも見続ける事はしていませんでした。

 

いつも子供達は、工夫して遊んでいました。 

 

家中の、色々な物を引っ張り出し遊ぶので、リビングは常に散らかっていました。

 

私は、それを、ストレスに感じる事はありませんでした。

 

 

 

ゲーム漬けで、散らからない家より、創意工夫をして遊び、部屋が散らかる事を、むしろ、喜んでいました。 

 

 

 

主人が、今までの子育て環境と比較して、デジタル漬けになっている環境に、まだ、慣れていないのかもしれません。 
   
  

 

長男が何か言いたげに、やたらと笑って、 

「お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、明日学校休む」 

と言ってきました。 
 
 
 
ん? 
もう、1ヵ月休んでるよね?、と思いましたが 、
  
 

「はいはい、ゆっくり、お休みしてね」 
と伝えました。 
 
 
 
この頃、長男は、少しでも外出すると、くたくたに疲れてしまいました。 
 
 

 

風邪の症状はないのに、連日食後に吐き、元気がないので、 

・食事を1日1食しか摂らない 

・昼夜逆転している 

・ゲーム画面を暗闇で長時間見ている 

・太陽の光を浴びていない 

 

等で、体に不調が出ているのではないかと、お母さんは心配しているよ、と伝えると、 
 

 

 

長男は、 

「お母さんは、僕の事を怒ってる!」 

と言い、泣き出しました。 
 

 

完全な昼夜逆転になっており、吐いたり、怠さも訴えていました。

 

太陽の光は全く浴びていません。

 

「少しずつ、戻して行けるといいね」

 

と、私なりに、優しい口調で伝えたつもりでしたが、長男は素直に受け取りませんでした。 
 

 

今のあの子には、何も伝わらないのかな・・・ 

 

そっとしておくしかないのかな・・・ 

 

心配している気持ちは、伝わらないな・・・

 
 

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102 次男がゲームを始めた日

次男がゲームを始めた日 
 
 
 
2021.11.中旬 
 


 
次男がいつも、ゲームを欲しそうに見ていたので、DSをもう1つ購入しました。 

長男は、その事を知ると、泣き叫び怒り狂いました。理由は、 

・僕だけのゲームじゃなくなった 

・僕だけが持っている物じゃなくなった 

・真似をされるのが嫌 

・弟が自分と同じ事をしている事が嫌 

です。 

 

 
 
私は、長男はスイッチも買ってもらったが、次男は持っていない、となだめると、 

・スイッチを使って次男と一緒にゲームをした事がある(1度だけ) 

・だから、僕だけのゲーム機ではない(一度、人が触っている為) 

と言います。 

 

 

長男は、

「次男のDSを、今すぐ捨ててこい」 

「絶対に、同じカセットを買うな」 

と、叫び散らし、購入した私を責め立てます。 
 

 

 

ゲーム機を心待ちにしていた次男は、怯えた顔でそれを握り閉め、無表情でフリーズしていました。 
 

 

私は、2人でゲームを楽しんだら?と諭しましたが、長男の怒りは凄まじいものでした。 
 

 

ゲームソフトも、次男は同じものを欲しがります。

私は長男の反応に怯え、次男に他の物を薦めますが、次男は、長男のやっているゲームがしたいのです。 
 
 

 

長男が、あまりに次男を傷付ける事に納得がいかない私は、長男を叱りつけました。 
  
 

・自分だけが楽しければよいのか? 

・羨ましそうにしている次男を見て、楽しいのか? 

・なぜ、次男がゲームをしてはいけないのか? 

・なぜ、それを長男が決めるのか? 

・なぜ、いつも自分、自分で他人を思いやらないのか? 

そんな事を長男に聞いたと思います。 
 

 

長男は、 

「がみがみがみがみうるせー」 

と、ただただ目に涙を溜め、怒り狂っていました。 
 
 

 

なんなのだろう、この子は。 

昔から、何でもかんでも、自分だけ、自分だけ。 

いつもそうでした。 

本当に、【長男らしい】発想。 

もう、うんざりでした。 

 

 

次男もゲームがしたい、減る訳でもない、楽しく2人でゲームをしたらいいのに、次男が自分と同じものを持っている事を許せない。 

 

 

なんの心理なのだろう? 

 
 

絶対発達障害だ。 

脳機能が正常に働いていない、としか思えない。 

通常ならば、何もなく過ぎていく事に、いちいち、大きく躓いて、家中が神経をすり減らしていました。 
 
 

 

もしかしたら、自分ができない事を、万が一、次男が出来てしまったら、と、不安なのだろうか? 

次男はただ、ゲームを楽しむだけで、酷く暴言を吐かれ、ゲームをするにも長男の目を気にし、こそこそと小さくなり、怯えながらゲームをする様になりました。 
 

 

私からすると、ずっと長男にペースを合わせ、家族は我慢し、希望を聞いている感覚が強かった為、耐えがたい気持ちでした。 
  

 

この子の独占欲は異常だな。 

昔から思っていた事です。

とても不愉快な気分でした。 
 

 

独占欲は、特性なのだろうか? 

小さい頃、欲求が十分満たされなかった為の反動なのだろうか? 

あの子は、それ程までに、欲求不満だったのだろうか? 

どこで育て方を間違えたのだろうか?


 
 

弟に対して、優位に立っていたいだけ? 

羨ましがられる存在でいたいの? 
 

 

もし、幼少期の育て方が影響しているのなら、私の子育ては大失敗だ。 

私に対する酷い事は我慢できます。

矛先が次男や娘に向かうと、どうしても感情的になり、長男にきつく当たってしまいました。 
 

 

過保護にしなければ、優しくしなければ、頭では分かっているのです。 

物を与える事、言う事を聞く事は、少しずつ出来る様になってきました。 

でも、無理難題を言う事の多い長男への、心の寄り添いがなかなかうまくいきませんでした。

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101 新たな葛藤

101 新たな葛藤 
 
 
11月13日 

しばらく誰にも会いたがらなかった長男ですが、幼馴染で同じ学校の友達と、友人宅でゲームをする事になりました。

マイクラをしたようです。 
 

 
 
帰宅顔、長男は「スイッチが欲しい」と言いました。 

言われたら購入しよう、と決めていましたが、言われたのが夜の9時過ぎでした。 

 

「明日買おうね」の言葉が通じません。 

 

泣きじゃくり、 

「欲しい、欲しい、欲しい、欲しい」 

「やっぱり、ダメなんだ、買ってくれないんだ」 

と泣き喚きます。 
 

 

 

丁度、主人が帰宅し、

「空いている店を探しに行こう!」

と言って、長男を連れだしてくれました。 

 

 

私は、

「あー、また始まった。本当にこちらの都合を聞けない、わがままな子だな、めんどくさいな」と思った記憶があります。 
 

 

 

結局、何件か探し回り、スイッチを見つけ、購入して帰ってきました。 

 

 

 

明日からは、スイッチにはまり、ますますゲーム漬けになるのだろうな・・・

 
 
 

11月14日 

みんな意地悪だ。

こんな場所に住んでいたくない。

転校したい、引っ越したい、と何度も、繰り返し言いました。 
 
 


 

11月16日 

スクールカウンセラーと教頭先生と話合いがありました。 

内容が薄すぎて、何1つ覚えていません。 
 
 

 

 
11月17日 

別の幼馴染と、近所の同級生が別々で訪ねて来てくれましたが、顔が引き攣り、会う事は出来ませんでした。 

 

 

 

その夜、長男は、わざとらしく、ケラケラと笑いながら、 
 
 
長男: 
「僕、何日、学校休んでるぅ?」 
 
 
私: 
「1ヵ月だよーーー」 
 
 
長男: 
「まだ、そんだけー?」 
 
 
私: 
「うん、ゆっくり休んでねー」 
と会話しました。 
 
 
 
お休みしている事を、気にしている様でした。 
 
 
 
この時期、長男は口の中に酷い口内炎ができ、痛がり、ほとんど食事をしませんでした。 
 
 
 

11月19日 

いつもは、起きるとすぐにリビングに来ます。その日は、夕方4時頃起きていたようですが、7時頃までリビングには来ず、暗闇の中で動画を見ていました。 体調不調の様子はありませんでしたが、食事後、何度も何度もトイレに駆け込み、吐いていました。 
 
 

その日の夜、娘を寝かしつけていると、長男が、 

「お母さん、オムライス作って」 

と、言いました。 
 
 

 

私が、 

「あと、数分で、娘が寝るから、少し待ってね」 

と言うと、 
 
 
 
長男: 

「いや、待てない、今すぐ、今すぐ作って、待たない、今すぐ!」 
 
 
私: 

「え、、、娘ちゃん、泣いちゃう、、、」 
 
 
長男: 

「関係ない、今すぐ作って、お腹空いた、今作って」 

と、執拗に言い続けます。 
 
 

仕方なく、娘を我慢させ、オムライスを作りに行くと、ほぼ寝かけていた娘が 、

「おかあさん、おかあさん」と、大泣きし始めました。 
 
 
もう、、、 
 
 
私は、怒りの感情を抑え、オムライスを急いで作り、長男に渡しました。 

その後、娘を寝かしつけ、リビングに戻ると、冷え切ったオムライスは、一口も手を付けられていませんでした。 
 

 

なんなんだよ・・・ 
 
 

と、思いましたが、何も言いませんでした。 
 

 

 

11月20日 

銭湯に行きましたが、ずっと「怠い、怠い」と言い、帰りたがりました。 

その日も、食後に吐きました。 
 
 

11月21日 

体調不良は、一切ありませんでしたが、この日も、食後に吐きました。 

 
 

 

学校に行かなくなり、落ち着き始めていた長男ですが、彼の不安定さが心身にでているように感じました。彼の中に、何か別の葛藤が生まれ始めている様でした。

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