不登校復活の道(ブログ)
30 激しくなる暴言
30 激しくなる暴言
2021月10月7日
この日長男は朝「夢の中でウザイ女殺した」と淡々と言いながら起きてきました。
しばらくの間、うざい、うざい、殺す、殺す、と、ずっと呟いていました。
私は「そっか・・・」以外の言葉は出ず、 黙っていると、長男が「だるい、お腹痛い」とうずくまっていました。
長男の暴言は日に日に激しくなり、私にはとても正常な精神状態には見えませんでした。
長男の口に出す言葉は常に、
「殺したい、うざい」
「学校やめたい、くそつまらん」
そればかりで、私はこの子は精神病なのではないか・・・と思うようになりました。
目がうつろに据わっており、いつか、本当に、何かしてしまうのではないかと学校に行かないのとは別の心配をするようになりました。
精神病院を調べると、小児を診ている心療内科はとても少なく、早くても4か月後の1月末の受診です、と言われました。
心配した私は「もう、休んでいいよ」と言うと長男は「今日は行く」と言ったのですが出発時間が近づくと「やっぱり今はいけない」と言いました。
私は学校への連絡があるので、行くか休むかだけ教えてほしいと伝えると、少し考えるね、と言っていました。
次男を幼稚園に連れて行く支度をしている間中、長男は次男と娘の前で悲観的な言葉を繰り返し呟き続けていました。
学校に、長男が遅刻か欠席か決め兼ねている、と連絡していると、長男は私が誰かと電話で話をしている事に過剰に反応し、
「携帯で何しているの?」
「どこに?何話しているの?」
「何を話しているのか内容を教えて」
としつこく聞いてきました。
長男は私が少しの間部屋からいなくなるだけで探し回り、ストーカーのようについて回りました。
・・・
もう自分ではどうしていいのか分からない私は、担任の先生にスクールカウンセラーの予約を頼みましたが、混雑しているようで、6週間後なら予約が取れる、と言われました。
担任は対応にとても困っていると相談しても「様子を見ましょう」 としか言わず、私ではどうしたら良いのか分からず、誰に相談したらいいのだろう・・・と相談先を探していました。
・・・
朝、次男の方が出発が遅い為、長男がいると次男は幼稚園を休みたがりました。
長男の不登校、暴言は悪化していましたが、私が以前よりも否定せずに話を聞くからか、私に気持ちを伝えてくれる事も多くなり、長男の話をじっくり聞きたい気持ちがありましたが、この時期は次男の無気力、私への執着も酷く、次男も娘もずっと私に張り付いているので物理的に長男の話をゆっくり聞いてあげる事はとても難しかったです。
私は平日に1人で子育てする事に限界をかんじていましたが、解決策も見つけられず、どうしたらいいのだろう? と途方に暮れていました。
29 不登校までのカウントダウン②ミシン
29 完全不登校までのカウントダウン②
2021年10月頭
この時期、朝娘を置いて長男の学校へ付き添う事が増え、娘の事が心配だった私は、遠方に住む姉と母に手伝いに来てもらう事にしました。
2人が来てくれたその日の朝長男は、こちらの話は一切聞かず「休む!」 と言い寝室へ逃げていきました。
長男はお休みが決まると、ご機嫌で折り紙をして遊び、答えを丸写しですが宿題も頑張ってやっていました。
退屈そうにしていた長男が突然「ミシンやりたい!」と言うので、私がやり方を教えると長男は楽し気に色々な袋を作り始めました。
長男がミシンに夢中になっている時に、次男が幼稚園から帰って来ました。
長男がミシンで袋を作っているのを見て次男もミシンをやりたがりました。
次男がやりたがったその時は長男が別の事をしていたので、次男に使い方を教えていると長男は、次男に向かって、
「下手くそ、バーカ、やめろ、そんな簡単な事も出来んのか!」
「お前は本当にバカだな」
と次男を否定し続けました。
次男はそれに無反応で、私も次男に教えながら長男の暴言を、なんとかスルーしていました。
すると相手にされない長男は次男の椅子の後ろに座り、一生懸命ミシンを使っている次男を椅子ごと一定のリズムで蹴り始めました。
「とん、とん、とん、とん、とん、とん、とん、とん」
次男の体が前後に揺れ、上手にミシンが出来ません。
見かねた私が、「やめてあげて」 とお願いしても長男は一向にやめずに蹴り続けました。
私はだんだん苛立ちが増し「ねー、一生懸命作っているよね、危ないって、やめてあげて!」
ときつく言うと長男はより一層強く椅子を蹴りました。
それでも次男は何も言いませんでした。
次男の頭が振り子のように同じテンポで前後していて、まるで蹴られている事に気が付いていないかのような振舞いで、長男には歯向かわずに固まりながら、ミシンをやり続けていました。
その姿は私の胸を締め付け急に次男を虐める長男の事が、憎くて、憎くて、たまらなくなりました。
別の部屋に姉と母がおり、毎日1人で感情を抑え、張り詰めていた緊張感がパーンと切れてしまったのかもしれません。
私は「もーーーーー嫌!!!!」 と言って家を出て、庭に停めてあった車に乗り号泣していました。
追いかけてきた母親は、
「分かるよ、分かるよ、よく今まで1人でやっていたね、どうやって毎日過ごしていたの?」
「下の子、可哀そうなの分かるよ」
「憎たらしいと思うよね」
「どうしたら良いんだろうね」
「下の子が、おかしくなってしまうよね」
と私を慰めていました。
私はその言葉にも、なぜかとても苛ついていました。
姉は長男に、次男虐めちゃだめだよ、と諭しているようでした。
多分ですが、母親が私に言った言葉を長男は聞いており、長男はしばらく部屋に籠り出てきませんでした。
食事の時間に何度か呼びましたが食べに来ませんでしたが、皆が食べ終わる頃長男はリビングに来て 「お腹すいた」 「何で呼ばないの?」 と文句を言っていました。
何度か呼んだ事を伝えましたが、 長男は、聞こえない、言われていないと不機嫌そうにしていました。
夕食に唐揚げを用意すると、
「気分じゃない、いらない、食べたくない」
といいました。最近は、毎回用意した夕食とは別の物を作らされていました。
・・・
夜は「明日休むー」と言い捨てて眠りにつきました。
28 完全不登校までのカウントダウン①
28 完全不登校までのカウントダウン①
2021年10月頭
この日、長男は私が学校まで付いて行くなら学校へ行く、と言うので、私は長男と一緒に学校へ行く事にしました。登校時間、いつもは寝ている2歳の娘が起きてきて「お母さん、抱っこ」と言って泣いた為、私は娘をベビーカーに乗せて連れて行く事にしました。娘をベビーカーに乗せていると、長男が、
「妹は連れて行ってはだめ!」
「妹が付いて来るなら学校へは行かない!」
と言い出しました。私が付いて行けば学校へ行く、と言っている長男をなんとか学校へ連れて行きたいのですが、娘も「抱っこ」「抱っこ」と泣いていて、物理的に2人共の要望を聞くことはできませんでした。
私は何とか娘を泣き止ませ、娘の好きなテレビを見せ、危険そうなものを片付けて学校へ向かいました。
学校へ着くと2年時の担任と現在の担任の先生が立っていました。
2年時の担任の先生が私に気が付き、
「長男君どうですか?」
と声を掛けてくれました、私は行き渋りがとても酷い事を説明すると、隣にいた現在の担任の先生に、長男が学校に来たくない理由に何か心当たりはないのか?と聞いていました。
現在の担任の先生は、
「いや、、、分かりません」
とだけ、首をかしげながら答えていました。
2年時の担任の先生は、長男はとても優しいので、学校生活で嫌な事があっても我慢し過ぎているのではないか?と引き続き担任の先生に聞き続けてくれていましたが、今の担任の先生は、
「いや、、、ちょっと分からないです、学校では普通です」
としか言いません。2年時の担任の先生は、疲れた様子の私を見て、
「お母さん、大丈夫ですか?」
と声を掛けてくれました。私は、休ませるべきか、どうしたら良いか分からなくて悩んでいる事を話すと、今の担任の先生は、ボーっとした感じで、
「もう、お母さんも長男さんもゆっくり休んだらどうですか?しっかりお休みしては?」
と私に提案してきました、それを聞いていた2年時の担任の先生は、
「ちょっと待って、親になれば分かると思うけれど、それは凄く覚悟のいる事だから!」
と私の気持ちを代弁するかのように横で話を聞いていた担任の先生に言ってくれました。
今の担任の先生には、再三にわたり長男の様子を報告していましたが興味はなさそうで、2年時の担任の先生の方が本気で長男の事を心配してくれているな、と私は感じました。
話の中で、2年時の担任の先生が、長男が2年生の終わりにも元気のない時期があった事を教えてくれました。
長男は、椅子からずり落ち、床に座ってしまう事が何度もあり、興味のない話を聞くことがとても苦痛そうだったそうです。
・・・
毎朝朝の支度の時は長男に付きっきりで、下2人のお世話が進みませんでした。
自分に手を掛けてもらえない事が不満なのか次男もどんどん無気力になり、支度に手こずるようになっていきました。
長男は私と2人で過ごす時間に次男や妹の邪魔が入る事を激しく嫌がりました。
私を独り占めしたいのかな、と感じる事もありましたが、平日1人で子育てをしている私には長男のその望みを叶えることはとても困難でした。
私はこの時期にも、不登校の原因は何なのだろう・・・と考え続けていて、
長男はいじめられるタイプには見えず、むしろ友人が多く、いじめではないと私は思っており、発達障害かな、適応障害かな、もしかして鬱なのかな・・・ただ単に学校が嫌いなのかな、女の子が嫌なのかな、と必死に原因を探していました。
もう以前の様に怠けてお休みしている、という思考は無くなっていました。
・・・
長男は運動神経が抜群、手先も器用で勉強のつまずきもなく、友人も多く明るく活発な子でした。
不登校になる前までは、何も心配していなかったのに、あの子に一体何が起こっているのだろうと考えない日はありませんでした。
27 完全不登校までの42日間の事 10
27 完全不登校までの42日間の事 10
2021年10月6日(水)
この日の朝は、長男がベビーカーに乗りたいと言うので、長男をベビーカーにのせ散歩に行きました。
帰ったから朝食を出すと、 「おいしいね!」と、元気に朝食を食べていました。
元気そうに見えましたが出発時刻になるとトイレに何度も駆け込んでいました。少し遅れて集合場所に行くと誰もいなかったようで長男は家に帰ってきて、再び腹痛でトイレに駆け込みました。
それでも長男は休むとは言わず、私も休む?とは聞かず、長男は私と手を繋ぎ学校へと出発しました。
学校までの道、長男は何度も何度も深呼吸し、私が話しかけると怯えた顔で、
「お母さん、声出さないで、黙って歩いて!」
私が話す事を嫌がりました。
学校まで残り50m辺りで長男は肩を上下に上げ、肩呼吸を始め、学校まで残り30mの距離でうずくまってしまいました。
何とか学校へ行かせたい私も、さすがに心配になり、お腹痛いの?大丈夫?お休みする?と聞きましたが長男は、大丈夫と言って正門へ向かいました。
正門まで行くと、長男は「じゃあね」 と言い、何度も振り返り、手を振って、視線を落としたまま校舎へ向かいました。
学校に行ってほしい気持ちはあるけれど、とても辛そうで行かせて良かったのかな?と胸を締め付けられました。
・・・
その日、担任の先生が体調不良で帰宅しまらしく、担任の先生に何度も「僕も帰る」 お願いしたようですが聞いてもらえなかったと言っていました。
長男は6時間授業を受け、 「くそ詰まらなかった!担任帰ってずるい!」 と怒りながら帰って来て次男をいじめ始めました。
弟に届いた郵便物が気に入らない長男は、「こんなバカに使わせなくていい」とその郵便物を取り上げました。
私はそれが次男のものであると伝えましたが、長男は 「次男はバカだから、これがあっても意味がない!」 といい次男に渡しません。次男は悲しくて泣いていました。
私が何度長男に次男に返すように言っても長男が返さないので、私は、それを長男にあげて、次男に新しいものを買おう事にしました。
すると今度は長男が、次男に買うのはずるいから、僕に買ってよ!と言い出しました。
毎日続く長男のわがまま行動にはもううんざりで、私は、
「え?これが欲しいんでしょ?あげるよ!」
と言っても、長男は私が次男に何かを買う事自体が許せないようでした。
そして郵便物を次男に投げつけ次男を殴り始めました。 次男はより一層大きな声で泣き叫んでいました。次男が泣くと長男は、
「お前はバカなの?」
「そんなんで痛いの?」
「病気だな」
「死ね!」
「さっさと死ね!」
「うろつくな」
「お前はとにかく死ね」
「どっか行け」
「見ているだけで気持ち悪い」
「お前なんて生きてる意味がない!」
「目障りだ!」
と傷付く言葉を浴びせ続け、ソフトボールを力一杯顔面に投げつけました。
次男は毎日毎日「バカ・死ね」と長男に言われ続けていました。
どれほど止めても諭しても長男の暴言暴力は一向に収まらず、私は次男と娘がこれ以上酷い言葉を聞かないよう長男から離しました。
10分ほど頭を冷やし、私は気持ちを入れ替え、
「何か辛いの?大丈夫?アイスでも買いに行く?」
と誘い買い物へ行くと、機嫌が直り一緒にアイスを買いに行きました。
・・・
その夜、皆が寝静まっても長男は起きていて、突然泣きながら私に話し始めました。
「女子がうざい!」
「うざい女子がいなかったら学校は楽しいのに!」
「鬼ごっこで僕ばかり追い掛けられて嫌だった」
「嫌だと言ったのに!やめてくれない」
「掃除も皆で一列に並んで一言も話してはいけない!嫌だ!」
そして、
「死ね」
「うざい」
「殺す」
と言い包丁の絵を描き始めました。
・・・
その話の途中、長男は私に向かって、
「お前に仕返しをしているんだよ」
と笑いながら言いました。
私はその言葉に妙に納得し、あー、なるほどね、と思ったのです。
26 完全不登校までの42日間の事⑨
26 完全不登校までの42日間の事⑨
2021年10月頭
その日の長男は「だるい・・・行きたくない・・・」 と言いながらも、小石を蹴りながらとぼとぼ集合場所へ出発しました。
・・・
学校から長男が帰宅をすると長男が、娘にむかって、
「デブ、ブス、死ね、わがままなやつだな!」
「声がうるさい、黙れ!」
と暴言を吐いていました。
・・・
しばらくすると長男は私の近くに来て、ガッツポーズをしながら、
「学校で仲良しな子と同じ班になったーーー!神が下りてきたーーー!」
と喜んでいて、前よりも学校が楽しくなるかもしれないね、と言った私に「うん!」と嬉しそうに答えていました。
私は長男が苦手と言っていた女の子と席が離れ「これで行き渋りが減るかもしれない」とホッとしました。
・・・
夏休み明けから習い事に行きたがらず、しばらくお休みしていたそろばん教室にこの日長男が「行きたい」と、言い出しました。
そろばん教室に着くと、結局恥ずかしくて教室内には入れず、先生を見て走って逃げ帰ってしまいました。
2021年10月4日(月)
長男が生き渋っているという状況を知った実家の母と姉が様子を見に来てくれました。
その時長男は、火曜日木曜日は休む、学校を辞めたい辞めたい学校辞めたい、女子がウザいから違う学校行きたい、宿題のない学校に行きたい 、ウザいウザい学校嫌だ 、嫌だ嫌だ学校爆破!!! うわーーーーーーー!!!と言って大号泣で暴れ回っていて、母と姉は驚いていて「どうなっちゃってるの・・・」と唖然としていました。
我が家に来る前に、状況を詳しく説明してはいましたが長男長男の姿は想像していたより酷く、思っていた以上だったそうです。
・・・
長男が姉たちの前で、ウキウキしている様で「明日も学校行かなーーーい♡」 「お休みーーー♡」とはしゃいでいたので、姉が 「家の中では楽しそうだね、罪悪感無くない?でも学校の事は気にしている感じだよね」と長男の様子を心配していました。
私には長男が学校の事を気にしているとは思っておらず、どうせこの子は、思い通りになればご機嫌なんだよ、と長男の事を呆れた感じで見ていました。
私にとって長男は、性格が難しく何を考えてるのか分からないのでとても苦手でした。本来は学校に行っていて家にいないはずの長男が家にいる事も嫌で、休むなら大人しく黙っているか、平和に過ごして欲しい!休んで喧嘩売って来るから、本当に嫌!と私は思っていました。
主人は、甘い環境にし過ぎるのは良くない、と言っていて、長男の暴れる様子を見た姉は、どう接したら良いのか、分からないね・・・と困惑していました。
長男はこの時期には「休みたい」ではなく「学校を辞めたい」と毎日言っていました。
・・・
長男は、私が長男の言う事を聞かなければ、聞くまで足に纏わりつき、要求し続けました。 昔から言い出したら聞かない部分はありましたが、足元にしが付き、何時間でも同じことを要求し続ける長男を私は異常だな、と感じていました。
宿題をする時間になると、長男は私に「宿題を持って来い!」 「開け!」 「書け!」と命令していました。
私が家事や下の子のお世話で数秒間、長男の横から離れる事も許しませんでした。 離れようとすると足にしがみ付き、どこへも行かせてもらえません。
それを振りほどき、次男や娘のお世話をすると彼らの耳元で、
お前らを見てると吐き気がする、きもい、臭い、汚い、でぶ、ぶす、ばか、しね
と単調に呪文のように言い続け、聞いているこちら側は最悪な気分になりました。
ある程度は我慢するのですが、そんな時間が長く続き私が長男を注意すると矛先は私に変わります。
家庭内に幸せな雰囲気はなく、何も悪い事をしていない下の子たちが暴言を吐かれ続けていて、長男の不登校も心配ですが、下の子供達の情緒もとても心配でした。
25 大好きなサッカー
25 大好きなサッカー
長男は一つの事にはまると異常なまでの集中力を発揮し、とことんやり続けます。コロナで休校の時は、サッカーにはまり朝起きてから寝る時間まで、家の庭でリフティングをしているほど、サッカーが大好きな子でした。
2021年10日2日(土)
そんなサッカーが大好きな長男が、不登校気味になってからサッカーにも行かないと言い出しました。
練習の集合時間は13時なのですがその時間になっても一向に動かずテレビを見ていたので、私は時間に支度をしていない長男にイライラし主人に出発を促すように頼みました。
主人が「時間だよ」と長男に言っても、 長男は返事をせず、ぼーっとご飯を食べながらテレビを観ていました。
主人は何も言わずに黙ってその姿を見守っていました。
私は長男の態度にイライラし、
この子はなんてマイペースなのだろう。マイペースを超えて自分勝手すぎないか?
あー、イライラするな・・・なんで集合時間が気にならないのだろう・・・
でも最近、何かと理由をつけて、全ての事を嫌がるようになったな、とやたらと怠いと訴え気分の起伏が激しい長男の事を私はとても心配していました。
・・・
13時10分を過ぎると、 長男が自分自身に気合を入れる感じで「よし!行くか!」と立ち上がりスパイクを履き始めました。すると今度は「スパイクがきつい」と不快そうに座り込みました。
私はスニーカーで練習に参加しても良い事を伝えましたが、長男は「スニーカーなら行かない」と部屋に戻ってきました。
私は、お休み連絡をしてないんだからスニーカーで行ってよ!と何度か言いましたが、長男は、「スパイクがハマらない」の1点張りで動こうとはしませんでした。
私はこの時、長男はサッカーに行きたい気分じゃないからずる休みしようとしているのだなと思い、長男に、
「だからスニーカーでいいって!!!」
と強く言いました。そんな私に対して長男は、
「暑いし!行かない!」
と言うので、私は、
「サッカーはコーチも含めやる気がある子が行く所!暑いから、行きたくないからって休む位ならもう辞めなさい!」
と叱りつけると、長男は、
「あーーーーー始まった始まったうるせーーー!!!」
と部屋にこもってしまいました。
私は厳しくしなければ、甘やかしてはいけないと思っていて、長男に世間一般的な正論を押し付けていました。
・・・
結局長男はサッカーをお休みし、主人と新しいスパイクを買いに出かけました。 そのスパイクはその後一度も履かれる事はありませんでした。
買い物へ行く途中長男が主人に、
面白くない話、長い話は全て無視し、耳に入らない様にしている。先生にもそうする様になり、何を言われたのか、何をするのか分からない。
何かをあげるから、あれをやって!と言われる事が凄く嫌で今後一切、誰の指示にも従うつもりは無い。
と言ったそうです。
・・・
2021年10月3日(日)
この日も長男は、テニスの体験に行きたいからサッカーは休みたいと言い、サッカーを欠席しました。
主人は、新しいスパイクを買ったし、昨日も休んだし、テニスの体験はいつでも行けるからサッカーにいったら?と説得していましたが長男は、 テニスの体験に【今日】絶対に行きたいから、サッカーは来週行く、と言い結局欠席しました。
・・・
午後から、家族で買い物へ行いくと、 道中の30分間長男は、
学校を辞めたい、給食がまずいしつまらないし全部嫌。
僕はもう、学校を爆破したいと思っているんだ、あんな場所に何の意味があるのか分からない。
とにかく女子が嫌だし、音楽の授業も嫌!
と言い続けました。
・・・
帰宅後に、長男は、「買い物で購入してきた消しゴムがない!!!」 「今すぐ買ってきて」と泣き出しました。
私が、往復1時間以上もかかる場所だから、無理だよと説明しても、
「嫌だ!今すぐ買ってきて!」
「買ってきて!買ってきて!買ってきて!今すぐ買って来いよ!」
と、とにかくしつこく要求してきました。
買いに行けば早いのですが、こんな理不尽な要求を聞いてしまったらわがままにならないのか、そこが不安で私は長男の要望を聞くことが出来ませんでした。
・・・
その日、夕食にグラタンを出すと長男は、
「こんなものは食べたくない、気分じゃないからいらない」
と言い、 私は、今日だけだよと約束してもらい、 別の物を長男に作りました。
。
まだ8歳の子供の、こんなわがままを聞いていていいのだろうか、長男のわがままを聞かなければ長男は絶対に諦めず、引き下がらないので聞くしかないのだけれど、それでいいのだろうか、何が正解なのか私には分かりませんでした。
24 彼の望む自由
24 彼の望む自由
2021.9月末
この日、 夜9時になると長男が突然ソファの周りをぐるぐるぐるぐる回り、一方的に話し始めました。
・自由になりたい
・体育は着替えたくない
・体育の内容は全て自分で選びたい
・靴の履き替えもしたくない
・自分が学びたい時に学びたい事を学びたい
・何で皆同じ事をしないといけないのか分からない
・先生はそんなに偉いとは思えない
・学校行かないで鳥になりたい
そんな内容を30分以上、絶え間なく私に話し続けました。
・・・
その話をすると、誰かが、こんなアドバイスをくれました。
・学校、会社、どこかに属している限りは自由に出来ない
・中学は自由な校風の所に通わせた方が良いのでは
・ルールばかりで退屈だけど、学校を卒業しなければ働けないし、お金が無いと自由に出来ない
・未来に向けて、今は我慢するべき時
・皆同じ気持ちだけど、やらないわけにはいかないから頑張っている
・今は嫌だけど頑張ろう!
・お父さんが家族のために働けているのも、学校を頑張ったから
そんなことを、何度も言い聞かせて教え込むしかない、と言われました。
ダメな事はダメ!と注意をしたかったのですが、注意をすると、負のスパイラルに入りました。
別の日、 リビングで、部屋の明かりを真っ暗にしてテレビを見ていましました。
その日は明かりをつけてはダメ、と言うので、私は夕食を作れませんでした。それなのに、寝る時は電気を消してはダメと言うので、全員が眠れません。
この頃は、就寝時以外は「電気を付けないで」と、言う事が増えていて家中真っ暗な事が多かったです。
私から見た長男は、
プライドが高く負けず嫌いで自由人
こだわりが強く極度なマイペースなのに真面目
些細な変化に気が付き、同調圧力が苦手でいつも不安そう
そんなイメージを持っていました。
学校で疲れ果て、家では私と喧嘩をし、次男をいじめる長男の事を、私は【面倒な子】と思っていたのです。
この日寝る前に長男が、迷路を書く用の新しいノートをランドセルに入れていて、明日は学校に行く気なのだな・・・と胸を撫で下ろしていました。
長男は当時、ずっと自由になりたいと言っていました。
23 心療内科と言う選択肢
23 心療内科と言う選択肢
不登校気味の長男が、家庭内では情緒がとても不安定である事を学校に話すと、学校側に心療内科を薦められました。
学校の先生は、心療内科医はプロなので、原因を引き出してくれるのではないか?と言っていました。
私は、今の状態の長男を心療内科に連れて行けば、「僕を信用していない!僕は病気じゃない!」という気持ちから親への不信感で、より心を閉ざしてしまうのではないかと心配していました。
主任の先生は、私に、
「本人にだらけ癖がつくので、学校を休ませても課題を与え、絶対にストレスフリーにさせないように」
と言い、
「家にいるのが楽になり益々行かなくなるのは怖いですから!」
と言われました。
・・・
2021.9月末
長男が私に、
「1時間目の音楽はお休やすみして、その後学校へ行くのはどう?」
と提案をしてきました。私は長男に、
「音楽嫌なんだね、でも他の子も嫌でも頑張っているんじゃないの?」
と長男の提案には乗りませんでした。
・・・
その日、担任の先生から電話があり、長男が3年生になってから初めて手を挙げて質問したと聞き、波はあるけれど、 少しずつ良い方向に向いてきているのかな? と私は安心したのです。
そんな嬉しい報告を聞いていたのに、長男は、
「クソつまらんかった」
と不貞腐れながら帰宅しました。
・・・
夜は長男の機嫌が悪く、長時間次男にテレビを譲りませんでした。
次男は、
「僕もテレビ見たい!長男見過ぎ!ずるい!」
と怒っていましたが、 長男はわざと2時間の番組を選択し、
「は、は、は、これ終わったらどうぞ!って言ってますよね!」
「ねぇねぇ聞こえませんか?聞こえないか!バカだから」
とまた次男に暴言を吐いたのです。
そんな長男のわがままな振る舞いに対し私は、
今は耐えるしかないのか、 叱る人がいないとエスカレートしてしまわないか、反抗期なのか、 私が可愛がって育てた子は、【こうゆう子】なのだろうか?
と、とても悲しい気持ちになりました。
気持ちの浮き沈みの激しい長男は、常に「怠い、怠い」と、言っていたので、私はこの子は鬱なのかな・・・と心配になる事もありました。
ネットで調べた情報に照らし合わせ、もしかしたらこの子は発達障害かもしれない!と思った事もあり、むしろ発達障害であってほしい!発達障害と診断された方が今までの子育ての困難さの説明がつく!
この子は育てるのが難し過ぎる、と思っていたのです。
22 我が家のゲーム事情
22 我が家のゲーム事情
2021年8月の夏休み、この時までデジタル系のおもちゃが一つもなかった我が家は【VRシューティング】というデジタル系のおもちゃを購入することになりました。
購入を楽しみにしていて、ご機嫌な長男に私は私は長男をダイニングテーブルに座らせ、
「私はあなたを信用していないから、貴方が時間を守れるとは思わないから、約束事を紙に書きなさい」
と私が一方的に決めた約束事を紙に書かせました。確か内容は、
・1日30分
・宿題してから
・少しでも守れなかったら没収
・金土は1時間
ゲームを買うのが気にいらない、と言わんばかりに、私はとても不機嫌そうな顔でその約束事を長男に書かせ、長男も不服そうな顔で、書かなければ買ってもらえない・・・と不貞腐れて記入していました。
お互いに気分は最悪でした。
購入したゲーム機
↓
私自身が幼少期、テレビを厳しく制限された経験があり、デジタルな物はとても悪いもの!と思い込み、長男が小さな頃から子供にテレビをほとんど見せていませんでした。
テレビは極力見せず、外に連れて行き、時期には桜を見せる。
電車を見に行き、絵本を読み、外でお弁当を食べる、五感に刺激のある事を、感性が豊かな子なる様にと子育てを頑張っていました。
未就園児時代はテレビに頼らず、休憩する暇無く、子供と関わっていて、私もガラ携を使用し、ネットも見ない生活でしたが、その事に不満を抱いたことはありませんでした。
・・・
未就園児の時、長男は戦隊ものがとても好きだったので、本人の手作りで剣やヒーローグッズを作っていました。
何度も、何度も、長男が作り直し、ボロボロになった剣は今も捨てられずに残っています↓
私は子供が欲しがるものを何でも買い与える事に抵抗感がありました。
・恵まれすぎて何でも手に入り、物を大切にしない子にならないように
・与えられ過ぎず、我慢が出来る子になりますように
と思っていて、言う事を聞き過ぎてはいけないとわざと望みを叶え過ぎないようにしていました。
・・・
その考え方の子育ては、必然的に「ダメ!」と言う機会を沢山生みました。
小さな子供は基本、親に要求ばかりしていますが何かが欲しいと言われても、 何かをやってみたいと言われても、これを買ってと言われても、テレビ見たいと言われても、ダメと言い、心の中では買うつもりでいるおもちゃも、快諾はせず 一旦は「ダメ」と言わなければ、と思っていました。
要求を何でも聞くとわがままになると思い、ああしたい、こうしたい、と言う子供の要求をすんなり聞き入れませんでした。
私は、一生懸命、いい子に育ちますように、と愛を持って、子供の要求を聞かない様頑張っていました。
その子育て法は【我慢できる子】を育てるより【親にお願いする事を諦める子】を育ててしまいました。
長男にとってはゲームもその一つだったのではないかと思います。
3年生の夏休み、8歳で完全不登校になるまで長男はゲームを持っておらず、YOUTUBEも見た事がなかったと思います。
長男は一度も私にゲームを欲しいと言った事はありませんでした。
私は理想の子供像を持っていて、自然児でワイルドな子に育って欲しいと願い、毎日外で遊ばせていました。
長男も外が大好きで、ゲームに興味があるはずがないと思い込んでいたし、【そうゆう子】であって欲しい、と願っていました。
ママたちの間では、ゲームの開始時期を迷っているという話がよくでていましたが、私は長男がどうしてもゲームが欲しい!と言うまでは、買い与えないでおこうと決めていました。
ゲームが無法地帯の友人宅に長男が遊びに行きたがると、私は、
「ゲームを始めるきっかけになると困るから」
と、行かせませんでした。
私は勝手に、小さい頃にゲームを始めると【ゲーム脳】になり、ゲーム依存症になると思っていたのです。
長男はゲームが欲しいと私に強くは言いませんでしたが、少し欲しがった時があり、その時私は長男に、
「あなたは遊びの天才なんだから、ゲームを買う事でそれが無くなったらお母さんは悲しいから」と言い、購入を許可しませんでした。
主人は自分も主人の父親も電子機器依存気味なので、長男が主人と同じ脳の仕組みな場合、ゲームしかしなくなるかもしれない、とゲームを与える事に否定的でした。
ゲーム時間を作り、ルールを定めると、どちらが何秒長くゲームをした!などと言い争いが始まり、兄弟げんかが激しくなりました。
21 担任の先生
21 担任の先生
2021年9月中旬
突然長男が、床にべたっと座り、上を向き、涙を拭わず、幼い子の様にわんわんわんわん泣きだしました。
「女子が嫌!授業が暇で落書しているのにずっと注意してくる」
「僕は退屈な授業を、落書きする事でなんとが耐えているのに」
「音楽が嫌!部屋が暑い!音がうるさい」
「ミニ先生が嫌!教えてほしい子だけ手を挙げた子だけ教えてもらうのに、何で僕に教えてくるんだ!」
「僕が『教えなくていい』と言うと『じゃー、もう2度と教えてあげない』と意地悪を言われる」
「僕は教えてなんて一度も頼んでいないし手も挙げていない!」
嫌。嫌。嫌。全部嫌!!!
そう言ってしばらくの間長男は泣き続けました。
担任の先生は若い女性で、私に、
・愛情不足が悪い方に出る子がいるので構ってあげてほしい、今日、長男の頭をいい子いい子したら、少し落ち着きましたよ。
・学校では、友人と仲良く遊んでいて、全く不登校児に見えません
・隣の子が嫌な様ですが、女の子に話し掛けられても上手に交わしていましたよ
・席替えは2週間後に予定しています
・迷路が好きなので、授業に迷路を取り入れました
・クラス全員で鬼ごっこをした時は、楽しんでいましたよ
・学校に来たら、フォローしますが、来なければ、出来る事は何もありません
・朝お迎えに行く、一緒に通学団で行く、等はお母さんの方でお願いします
・お母さんも、長男君も、ゆっくり休んだらどうですか?
・算数の回答をわざと間違えたので、注意しました
・テストは85点位で、学習困難は無さそうです
・私では分からないので、主任に相談します
と言われました。
担任の先生は、その後完全不登校になった長男に数か月間、一度もプリントも持って来ず、電話をかけてくる事もなく我が家は学校とは音信不通でした。
1ヵ月ぶりに電話が掛かってきた!と電話をとると、長男の名前は一度も出さずに「もうすぐ懇談会がありますがご都合の悪い日はございますか?」
とだけ聞かれました。
・・・
我が家は不登校経験がなく、学校側に何も期待していなかったし、連絡が来たところで何も変わらない事は分かっていたので、特に不信感や不満を学校側に抱いてはいませんでしたが、完全不登校の場合、担任の先生と連絡を取り合う事を後に知りました。
先生は私に、経験不足で、どうしたらよいか分からない、といつも言っていました。
私は全く連絡をして来ないその先生が、自分が担任している、急に学校に来なくなった生徒の事が気にならない事が不思議で、学校は来ている子に学問を教えるだけの場所なんだな、と思った事は、覚えています。
私は誰に相談すべきか、私自信はどうするべきなのか、いつも悩んでいました。
長男は休んでも、ご機嫌な時がありました。
お買い物の手伝いをしてくれたり、妹が泣いていると泣き止まし、服を着替えさせてくれました。私が、
「ありがとう!」
と、長男を抱きしめると、「大好き」と、手を広げて抱きついてくれました。
ご機嫌で話していても、学校の話題になると完全無視し、無反応になる事が多かったです。
不登校は最初が肝心とどこかの資料に書いてあり、担任の先生が頼りないなら、教頭先生に話すとか、スクールカウンセラーに相談してみたら?と姉が助言してくれました。
長男にばかり気をとられていると、次男が日に日に笑わなくなっていきました。
幼稚園送迎後、近くの公園から様子を見ていると、 皆が元気よく運動会のリレー練習をしている中、テラスで無表情でぽつんと座っていました。
次男も指示が通らず、指が折れそうな程、強く私の指を曲げたり、手あたり次第殴ったり、暴力的な事が多かったです。
兄にいじめられている次男は、兄を見ると、
「あいつ、死ね!死んでほしい!」
と泣き出す事がありました。