不登校復活の道(ブログ)
20 完全不登校までの42日間の事⑧
20 完全不登校までの42日間の事⑧
2021年9月28日
私が、長男に明日の学校の準備が終わっているのか尋ねると、長男は「行かない」とは言わず、ただ顔が曇りました。
2021年9月29日(水)
1度も「行かない」とは言わずに学校へ向かいました。
毎日学校での様子や家での様子を電話で担任の先生とやり取りしている事を知っている長男は、
「先生に余計な事言っていないだろうな!」
と私に言ってから出発しました。
長男が私にそう聞いてきたその日は、学校が主任先生と担任の先生と長男との3人で話合いをすると言っていて、私は長男にその事を伝えておらず、長男が帰ってきてから怒るだろうな・・・嫌だな、と思っていました。
・・・
担任の先生は長男に、どうして来たくないのか、何が嫌なのか、と何度も問いただしていたようです。
長男はそれを凄く嫌がっていて、主任先生が色々聞いてきてうざい、友達と遊びたいのに放課が潰れるから嫌だ、何で僕だけ呼ばれるんだ、と文句を言っていました。
あの子はいったい周りの大人にどうしてほしいのかな?と考えない日はありませんでした。
姉たちはいつも長男を優しくていい子と言ってくれていて、反抗の事を話すと、なんだか信じられない、いつもの長男君からは反抗する姿は想像できない、と不思議そうでした。
そんな意見を聞くと私は、私が長男を【難しい子】と決めつけ、追い込んでいるだけなのかな? 日頃、子育てを、「面倒だな」と思っているのが、態度に出ているのかな? と自分の子どもに対する良くない振る舞いを反省するようになりました。
長男は毎日休む、と言う訳ではなく、休んだ次の日は学校へ行く事が多かったです。
次男の無表情、無気力は相変わらずでしたが、お休みする!と言う日は減ってきました。
・・・
不登校気味の長男の学校での様子を知らせようと毎日学校から連絡が来るのですが、学校から電話が来るのは決まって授業後で下校後に電話がかかってくると子供たちが家におり、長男は電話が鳴ると過敏に反応するのでとても困りました。
電話がくると長男は、
「誰から?、どこから?、何の話?、学校?、何?」
「余計な事言わないで!」
と私を質問攻めにしました。
私は長男に気付かれぬよう携帯をポケットに入れ、マナーモードにし、電話が鳴ると、急いで家を出て離れた場所で話をするようにしていました。
遠くの方から2歳の娘と6歳の次男が「おかあさーーーん」と何度も私を呼ぶ声が聞こえ、早く家に戻らなきゃな、でも先生の話も聞きたいし・・・と、話に集中できず、1人であたふたソワソワしていました。
・・・
長男と話をした後主任の先生は、話し合いの際長男は全然心を開かず、とても難しいケースな気がしました。
ほとんどの子どもは話合うとポロッと本音を言うけれど長男は頑なに何も言わず、全くヒントを得られなかったので長期化し、全く来なくなるパターンかもしれません。
信頼できる相談者がいない、もしくはいても長男君の性格上言えないのかもしれませんね。
根っこに何か大きな原因を抱え込んでいそうなのと、周囲が見えすぎてストレスを感じている様子です。
長男君は大人びていて、全く言いくるめる事は出来ず、大人と話しているような感覚になりました。
「長男さんの肩を触ろうとしたら びく!!! としていました。お母さん何か心あたりはありませんか?」
と言われました。私は、
夏休みに酷い反抗が何日も続き、取っ組み合いの喧嘩になり、その際私が手が出してしまった事を話しました。
主任先生の話では、長男は話合い中、ずっと俯き、涙を流し、ただただ頑なに黙っていたそうです。
最後に主任先生は、家庭の方針として、休ませたいのか、学校へ通わせたいのかと聞いていました。
私は、
「その答えはよく分かりませんでしたが、通ってくれたら嬉しいです」
と答えました。主任先生は、
「家庭で叱らないのであれば、僕が悪者になり叱り役をするので、ご希望なら言ってください」
と言い電話を切りました。
・・・
長男は帰ってくると、
「先生になんか言っただろ!めちゃくちゃ面倒な事になった!」
「今度言ったら許さんからな!今度いったら2度と学校いかん!」
「俺は全員大嫌い!!!」
と言い、物凄く怒っていました。
皆長男を心配してくれているんだと思うよ、と言う私の意見にも、それがウザいんだ!と反発していて、周りの大人が何をしても、今の状況は悪い方向にしか向かいませんでした。
19 完全不登校までの42日間の事⑦
19 完全不登校までの42日間の事⑦
2021年9月27日(月)
以前誰かに、不登校気味の子は休み明けに学校へ行きたくなくなる子が多いみたいだよ、と聞いていた通りに長男も、休み明けに学校を休みたがりました。
前日の日曜日に絶対に休む!と宣言していたので今日はいくのかな?どうかな?と私は不安になっていました。
朝起こすと、一緒に散歩に行くと言うので、学校の話題は出さずに長男と15分ほど家の周りを散歩しました。
そして、長男は、当たり前の様に支度をし学校へ向かいました。 家から3mほど進むと、長男は、
「のどが痛くて学校へはいけない」
「嫌だ、今日は行かない」
と言い、戻ってきました。
毎日繰り返される行き渋りの中、「今日はどうやって行かせよう!」 ばかりで、私の中に「休ませよう!」という考えは、ありませんでした。
体調が悪くても、休ませてしまう事が恐怖なのです。
体調不良だという長男の訴えを、いつもの行き渋りだと思っていた私は、喉が痛いと言っても休ませませんでした。そして、だましだまし、集合場所へ一緒に向かいました。
集合場所まで行くと長男は目に涙を溜め、不安そうに肩を落としてこちらに向かって手を振ってくれました。
長男は何度も、何度も、何度も、何度も、振り返り、その後下を向き、諦めたようにとぼとぼと学校への道を歩いて行きました。
そんな長男の姿を見て、私は、なんだか、凄く様子が気になるな・・・
あの子は今、正常ではないなと思い、お腹の中に、鉛がある様な不快感と得体のしれない不安感で押しつぶされそうでした。
今までは、さぼり、だと思っていたけれど、長男にはどうしても学校に行きたくない理由があるのではないか・・・
と思うようになりました。 それでも私は、まだ「もう、休もう!」と言う事ができませんでした。
その日の夜、
長男は、
「何が何でも明日は休む!」
と宣言し宿題もせずに眠りました。
姉が学校関係で働いており、長男の行き渋りに何のアクションも起こさない学校に対して、
「うちの学校の先生は、何が何でも原因を突き止めるよ、毎朝家まで迎えに行く先生もいるみたいだよ」
「長男君の学校、何もしてくれないんだよね?対応が悪すぎない?」
と不思議がっていました。
私は担任の先生に、学校の外では何も出来ません、隣の子が嫌なら次の席替えは2週間後ですと言われていて、それ以上学校に何か頼めることはないのだろうな、と学校の対応を諦めていました。
長男は学校を休む理由をつまらないから、としか言わず、私はそんな長男にどんな対応をしたら良いのか分かりませんでした。
2021年9月28日
朝は元気で起きてすぐに2人でお散歩に行きましたが、長男は、
「今日は、絶対いかんっ!!!」
と言い、学校を休みました。
学校をお休みすると、長男は元気になり、明るく私と話しをしていて、反抗もしませんでした。
その頃長男は学校に対して、
・とにかくつまらない
・放課、皆がパソコンをしていて外で遊ぶ子がいなくてつまらない
・トイレに落書きをした子がいて、犯人が見つかるまでは手を挙げて、皆でトイレに行かなくてはいけないので好きな時にトイレにも行けない
・全然自由がない
・授業がつまらな過ぎてノートに落書きをしているのに、 女子が注意そしてきてウザい
・音楽の教室が暑くて嫌すぎる!
口から出てくる言葉は、つまらない、つまらない、つまらない、つまらない、つまらない!そればっかりでした。
私はそんな長男を見て、
・やりたくない事を本当にやらないんだな、この子は、集団生活に耐性がなさすぎるな
・自由な海外なら合っているかもしれないな
・今の環境が長男には合わないんだろうな
と、環境を変えれば、今の生活から抜け出せる、環境が悪い!と思っていました。
・・・
ある日、長男が私に赤白帽子を持ってきて、
「ゴムをつけないと10月16日の運動会に出られない」
と言いました。私はそれを聞いたときに、この子はずっと学校に行かない!と決めている訳ではないんだな、と安心した記憶があります。
・・・
数日後、学校から連絡があり、
「明日は担任、主任、長男、3人で話をするので、何とか送り出してください」
と言われました。
18 完全不登校までの42日間の事⑥
18 完全不登校までの42日間の事⑥
2021.9月中旬
長男は変わらず不登校気味で私は変わらず原因は何なんだろう?と考えてばかりいました。
成長期のホルモンバランスの乱れなのか、元の性格なのか・・・
今までもこだわりが強くて扱い辛い子だとは思っていたけれど不登校になるとは想像もしていませんでした。
この時期には私は子供たちにすぐに怒ってしまう事を反省していて、怒鳴らないようにはしていましたが、怒りを吐き出さない事で、ストレスが溜まり、どこまで子どもの要望を聞いて良いのかも分かりませんでした。
・・・
長男は昔から、座る場所、車の座席、自分の物、順番などにこだわる傾向があり、親が何かと気を遣う子でしたが、この時期には家族に対してめちゃくちゃな要望を言うようになっていきました。
私は常に長男を【面倒臭い子】と、思っていて、何かをスムーズに進めたければ長男の言う事を聞いておくことにしていました。
・・・・
長男の次男いじめは日に日に酷くなり、ついに長男は次男の使用するコンセントの位置を家の中で一番使い辛い場所に指定しました。次男はそれを守らなければ殴られ、蹴られ、暴言を吐かれていました。
私が長男の暴言を注意すれば、すぐに長男の怒りの感情に火が付き、
「こんなバカどうでもいい!」
「くず」
「生ごみ」
「バカ」
「死ね」
と暴言を吐き、次男を殴り倒しました。
そんな事の繰り返しで、私は、やっぱり黙っておけばよかったな、と毎回後悔していました。
私は、長男にいじめられている次男の心理がとても心配で、可哀そうに思っていました。
いつもいじめられている次男も、死んだ様な目をして長男の事を、
「あいつ本当に死んでほしい」
とよく言っていました。
・・・
長男の困らせ行動はどんどんエスカレートしていき、リビングのテレビの音を耳が痛くなる程の爆音にし、私がご近所の迷惑になるからと音量を下げる事をお願いすると、より一層音量を上げました。
もう部屋には居られない程の爆音で、あーあ、余計な事を言わなければよかったなと後悔するのです。
あんなにも可愛がって育てていたのに、長男はまだ8歳なのに、何が原因でこんなことになってしまったのだろう。
・・・
数日後、機嫌の良い長男と2人で買い物に行った時、長男に酷い怒り方をした事を謝り、大切に思っている事、大好きな事を伝えましたが長男は、
「いや・・・気つかわないで、お母さん」
とぼそっと呟いただけでした。
・・・
その日長男は23時頃、何故か玄関の下駄箱の上で寝ていました。
主人とは、今はあの子の全てを受け入れ、否定せず、厳しくせず、一旦話を聞こう。
わがまま行動がエスカレートしない様に良くない事はちゃんと注意していこう。
取り敢えず夫婦は協力していこうね。と話していました。
17 完全不登校までの42日間の事⑤
17 完全不登校までの42日間の事⑤
長男は、2021年9月13日~17日は通常通りに学校へは行きましたが習い事のそろばんやサッカーには行かなくなりました。
学校には行くものの、元気はなく起きている間中、学校の文句ばかりを言っていました。
次男も長男の影響を受けてなのか元気がなく、幼稚園をお休みしたので私は次男を公園に連れて行きました。
・・・
9月18.19.20(休日)
この日、長男と次男が些細なきっかけで激しく喧嘩をしましたが、長男が両親に大きな反発をする事はなく、家族で公園に行き、友人と遊び、庭でサッカーをし元気に過ごしていました。
とても元気そうに見えましたが、夜になり明日は学校だから寝ようね、と言っても長男は寝ようとはしませんでした。
2021年9月21日
次の日、朝起こすと長男は、
「眠い、疲れた、今日は休む」
と言い、私が長男に昨晩早く寝ないから朝起きられないのだよ、と指摘をすると長男は、
「そんなの関係ない!今日は行かない!」
と言い、通学団の集合時間10分前になってもリビングに持ち込んだ布団にくるまり動こうとしませんでした。
出発時刻の5分前、私は大きな人形を着替えさせるかのように長男を着替えさせていると、通学団の団長さんが迎えに来てくれました。 私は長男に、
「もう時間だよ、団長さんが来てくれているよ」
と伝えても、長男は、
「え?今ご飯食べてるじゃん」
と言い、集合時間に間に合わせようとする私の頭がおかしい、とでも言わんばかりの言い方で、急ぐ素振りも見せず、マイペースにテレビを見ながら朝食を食べ続けました。
私は時間通りに集まっている通学団の子たちに迷惑をかけている事、家まで呼びに来させてしまった事、そして何よりも長男が人を思いやれない事がとても嫌でした。
その日は結局長男は15分遅れで学校へ行き私は教室まで付いて行きました。
どんな顔をして帰ってくるのかな、と心配していましたが長男は近所の友達と楽しそうに帰ってきたので、私はほっと一安心していました。
次男は何とか幼稚園には行き、帰りは公園で遊びましたが、腹痛、吐き気があり元気がありませんでした。
・・・
2021年9月22日
長男は出発10分前まで魂が抜けたかのように「ぼーーーー」っとしていましたが、特に何も言わずに学校へ行きました。
帰宅後、我が家から60キロほど離れた祖父母の家に遊びに行く予定でしたが、次男の体調不良が気になり、今回は見合わせる事にしました。すると祖父母宅に行くのを楽しみにしていた長男が次男に向かって、
「うぜー、死ね、バカ、役立たず」
「お前なんか消えろ」
「お前1人で待っていろ」
と感情を一切込めずにただ淡々と次男に向かって呟きました。
その言葉を聞いていた次男はただ無表情で固まっていました。
長男がしつこく祖父母宅へ行きたがり、次男の体調も回復したので結局祖父母宅へ向かう事になり長男はとても喜んでいました。そんな長男の姿を見て私は、
この子は自分の願いさえ叶えばご機嫌なのだな・・・と喜ぶ姿がとても不快でした。
・・・
2021年9月25日(休日)
長男と次男とのチャンネル争いで長男が次男の顔面を、繰り返し繰り返し、繰り返し繰り返し、蹴っていました。
私がいくら止めても長男は次男の顔面を蹴り続け、次男は泣き叫んでいました。
その日のお昼ご飯の時はご機嫌でしたが、下2人に対しては、不快な言葉を言い続けていました。 もう無意識に口から言葉が出ているかのように淡々と、
「バカ、死ね、うざい、気持ち悪い、あっちに行け、生きている意味がない、わがままなやつ」
聞いているこちらの頭がおかしくなりそうな言葉ばかりを並べて言い続けていました。
私がもし、やめるよう注意をすると、より一層次男に暴言を言い出すので、何も言わずに黙っていました。
その日の夕食時、全員が食卓についても長男はなかなか食卓にきませんでした。私が、
「なくなっちゃうよ!」
と言うと少ししてから食卓につき、
「無くなる食べ物なんてないじゃないか!嘘つき!ご飯なんていらん!」
と文句を言い、夕食の雰囲気はいっきにどんよりしました。
・・・
夜は険しい顔で、私に、
「宿題の用意をしろ!」
と命令し次男の些細な行動に文句をつけ次男を蹴り始めました。私は、
「あなたはどうしてそんなふうなの?」
と長男に聞いても、こちらを馬鹿にするかのように、
「さー、どうしてでしょうねぇぇぇぇぇ」
と話にならない返事しか返ってきませんでした。
・・・・・
2021.9.26(休日)
寝る前になると長男が
「今日何曜日?」
と私に話しかけてきました。私が日曜日と答えると、長男は、
「じゃー明日休む!」
と言い、私は行った方が良いと思うよ、と諭しましたが、長男は絶対に行かないと言っていました。
しばらくし私がお風呂に入るようお願いをすると、長男が、
「お風呂入れって言うなら学校行かない。」
と言い出したので、私はお風呂に入らなくても良いから学校に行くといいよ、と伝えましたが、長男は、
「僕朝から喉痛い、体調不良なのに行けって言うのか!明日は休む!」
と言い、22時になるといつも通りに寝室で大きな声を出して漫画を読み始めました。
そしてこの日23時を過ぎると長男は皆の寝ている寝室でボール遊びを始めました。
長男が寝室の電気を消してくれないので23時過ぎても下の子供たちが眠れておらず、次男と娘を寝かしつけなくてはいけないのに・・・ 何この地獄、 もう本当に勘弁してよ!と私は心の中で思っていました。
長男はしばらくの間、異常なテンションで一人でボール遊びをしながら騒いでいましたが、両親はもう、何も言いませんでした。
・・・
私は姉に、長男がまた明日も休むと言っている事、 行く行かないは自分で決めると思っている事、 次男も幼稚園に行かないと言う日が多く、毎朝とても大変であることを話していました。
姉は、もしかしたら長男君負けず嫌いだからテストが嫌とかない?苦手な教科あるの? 学校は行きたくなかったら行かなくていい場所と思っていたら困るよね、と心配してくれていました。
長男は休み明けの月曜日に学校に行きたがらない事が多く、私は勝手に土日が楽で楽しいから、休み明けの学校に行きたくないんだろうな」
と思っていました。
姉は、休み癖は良くないよね、このまま中学生とかになったら困るから今のうちにちゃんと教えておこうよ、 でもコロナ後、楽しいイベントが減って不登校児増えているみたいだよ!
と教えてくれました。
私は、原因が分からないな・・・
接し方も分からないな・・・
次男と娘の生活リズムが崩れ、次男と娘に全然時間がさけず、私は誰か的確なアドバイスをしてくれる人はいないのかな・・・と思っていました。
16 完全不登校までの42日間の事④
16 完全不登校までの42日間の事④
行き渋りが始まり、長男が家族に対して無理難題や暴言を言い、暴力を振るうようになると、家庭が張りつめた空気になり、1日1日を過ごす事がとても大変になっていきました。
私は心の中で、子育てがこれほど大変なら、子供なんて産むんじゃなかった!と思ってしまうほど、この時期、心がすり減る出来事が日に何度も起こりました。
・・・
2021年9月中旬
行き渋りが始まってから毎朝、私は長男は今日は学校へ行くのか、行かないのか、と不安になりました。
学校に行く場合でも、朝家を出るその瞬間まで私に無理難題を言い続けるので、私は神経をすり減らして過ごしていました。
その日の朝は長男が、
「お母さん、僕、力が出ないからリビングまで引きずって!」
と言い、私が長男の体を引きずってリビングまで連れて行きました。
長男の重い体を引っ張って、やっとの思いでリビングに着くと、長男は走ってまた寝室に戻っていきました。
私はもう一度寝室へ行き、再び長男の腕を引っ張り、引きずってリビングへ連れ戻す、それを何度も何度も繰り返し、長男がやっと寝室に逃げ帰らなくなった、と思ったら次はリビングで学校の文句を言い始めました。
・・・
暫くすると長男は、ソファで寝ながら朝食を食べ始めました。
私が座って食事をするよう促すと、長男はそれなら食べない、と言い食事をやめてしまいました。
こんな時、私はどう長男に声掛けしたら良いのだろう?
いいよいいよ、食べてくれるなら寝ながらでも何でもいいんだよ。
いいよいいよ、学校行ってくれるなら何してたっていいんだよ。
そんな甘やかしの言葉をかけて良いのだろうか?
私はどんな声掛けが正解なのかな・・・と頭の中で毎朝何パターンも考えるのですが、結局、何が正解なのかを見つけ出せないまま毎日を過ごしていました。
私はソファで食事をする行為自体をやめさせたい訳ではなく、それをよしとする事で、この子は行儀の悪い、非常識な子になってしまわないのかな?
なんでもいいよ!と全て許す事で、わがままな子になるのではないか? と心配していました。
学校に行かせる事に集中して、躾ける事をやめ、長男の思い通りに生活させることは果たして正解なのだろうか?
私はそんな事ばかりを考えていました。
・・・
私の気持ちも乱降下し、
まぁ、行かないでいいか、思う存分休めばいいや!と思おうと思える日もあれば、漠然とした不安に押しつぶされそうになり、学校に行けなくなった原因は私の育て方なのかな?と原因を知りたくて仕方なくなる時もありました。
それでも私は「どうぞ!好きなだけ休んでね!」と覚悟を持って言う事が出来ず、学校に行きたがらない長男を毎朝頑張って起こしていました。
私の中で休ませよう!という選択肢はなく、この子はどうやったら学校にいくようになるのだろう、ばかり考えていました。
あー、不登校なんて気のせいだったな、と私の不安を取り除いてほしかったです。
・・・
その望みが叶う事はなく、長男の物事の捉え方は日に日に捻くれていきました。
長男の親友が長男と遊びたいみたいだよ、と伝えても、
「俺はあいつらのおもちゃじゃない」
と言ったり、 学校の先生は、生徒の為に色々言いたくない事も言ってくれているんじゃないのかな?と伝えても、
「仕事なんだから、お金貰いたいだけでしょ」
と捨て台詞を吐いたり、
次男が買ってもらったおもちゃを父親に見せたくてワクワクしていても、
「お前自慢したいだけでしょ、嫌なやつだね」
と捻くれた捉え方をする事が多くなっていきました。
・・・
私としては、難しい長男を特別構いし、愛情を沢山掛け、いつも次男を我慢させている感覚でいましたが、長男は、
「お母さんは弟と妹と話す時と、僕と話す時の態度が全然違う」
「僕にだけ優しくない!」
と、不満をよく言っていました。
・・・
この時期長男は、朝私が声を掛けると、「行くわけねーだろーが」と私を睨みつけ、何とか行く支度が出来たとしても、出発時刻になると腹痛でトイレに籠るようになりました。
私が学校へ行かせることを諦め、学校に休む連絡をすると長男が元気になるので、私は長男のお休みを、「こんなのずる休みじゃん!」と感じてしまいました。
長男が学校へ行かないという不安もあるし、元気な子供と1日中一緒にいるのが疲れる、という苦痛もありました。
この時期の長男は喜怒哀楽が異常に激しく、些細な事でも注意をすると、途端に人格が変わり暴力的になりました。
・・・
どんどんと悪化する長男の様子を見ていると、私は、この子はこの先どう育ち、どんな大人になるのかな、ととても不安な気持ちになりました。
同じ時期、次男の情緒もどんどんと不安定になっていきました。
私を手あたり次第殴り、僕も幼稚園には行かない!お兄ちゃんだけお休みしてずるい!と大泣きしたり、些細なきっかけで暴れまわる様になっていったのです。
元々器用に感情表現をする子ではありませんでしたが、以前にも増して、周りとの交流が消極的になっていきました。
次男は私と2人きりになると、子供らしく優しく明るい子でしたが、だんだんと子供らしさを失い、無気力で暴力的になっていったのです。
15 完全不登校までの42日間の事③
15 完全不登校までの42日間の事③
2021.9.12(休日)
この日は、家族で動物園へ行く事にしました。
長男は、歩くのが疲れると言い、動物園内を歩かずに、娘用のベビーカーにずっと乗っていました。
娘も長時間は歩かず、抱っこ抱っこと言うので、長男にベビーカーを貸してほしいと何度かお願いしましたが、なかなか貸してくれず、次男までベビーカーに乗りたいと言い出し、入り口から一向に中に入る事が出来ませんでした。
家族でいるとベビーカーに乗って自分で歩かない長男は、私と2人になると歩き、「お母さん、荷物持つよ」と言って私を助けてくれました。
・・・
別の日の夜、長男の事を気にかけている主人が長男と2人きりで話をしようと外食に誘いました。それを見ていた、いつもは母親にべったりな次男が、
「僕も行きたい!絶対行きたい!」
「なんで長男だけなんだ!なんで僕は行ってはダメなんだ!」
と駄々をこね始め、私が「お母さんと次男の好きな物食べに行こうよ」 と言っても、
「嫌だ!僕はお父さんと行きたい!何で僕は行ってはダメなのか教えて!」
と長男と出かける主人の車を裸足で追いかけていきました。
主人は私に「次男を上手く、説得してね」と言い出かけていきました。
そんな、長男ばかりを優先する、という事が頻繁に起こり、次男の情緒はどんどんと不安定になっていきました。
主人と長男は楽しそうな雰囲気で帰宅し、仲良くお風呂に入り、「さー、寝よう!」 となった10時頃、明日は学校なのに、長男が再びテレビを見始めました。
主人は長男に、「寝るよ!」と声をかけていましたが、長男はその言葉を無視しテレビに1点集中していました。
何度か主人が「寝るよ!」と声をかけていましたが、長男は、 言う事は聞きませんというオーラを出していました。
そんなやり取りを何度かしていると、長男が突然、「うるせーな、だまれ、鬱陶しい!!!!」
と主人に怒鳴りました。主人は、そんな長男を見て、
「食事に行った時と同じ子だと思えない・・・この子はどうなってるんだ・・・」
と悲しそうに呟いていました。
私は、私にとっては日常的な長男のその行動に、
あー、始まった、始まった。
なんて育てにくいの!
なんて扱いにくいの!
なんてわがままなの!
なんて面倒な子なの!
思っていました。
12時を過ぎると、主人が怒りだし、長男が見ていたテレビのカードを抜きどこかへ隠しました。
長男がどんな態度に出たかは覚えていませんが、私は、
・毎朝〈はながっぱ〉見るよ!と起こしているのに、明日朝テレビがつかなかったら絶対怒ってくる!
・番組が1秒でも始まった後に起こすと絶対怒る・・・
・テレビが観れなかったから学校に行かないって言い出す・・・
・えー、どうしよう、カード返してよ・・・
と、1人であたふたしていました。
・・・
この時期、夫婦仲は良くなかったので、主人に余計な事を言うと喧嘩になるな、主人に頼みごとをするのは嫌だな、と思っていて、私は主人に朝までにテレビのカードを返してよ、とは言えませんでした。
14 完全不登校までの42日間の事②
14 完全不登校までの42日間の事②
2021年9月10日
この日の朝、
出発前、長男がソファで寝転んで朝食を食べていたので私は、
「机に座って食べてね」
と声を掛けると、長男は、
「それなら食べない」
と言い、朝食を食ませんでした。
長男は通学団の集合時刻の10分前に、私にも聞えそうな深いため息を「ふー、、、」っとつき、呼吸を整え、長男の周りを黒い雲が覆っているような雰囲気を漂わせ、集合場所に向かうために家を出ました。
とにかく学校へ行ってほしいと思っていた私は、そんな長男の様子を気にかけながらも「あ、何とか行ったな」と、一安心していました。
今日は行けたな・・・と安心していると、家を出る時間が遅かったからか、集合場所には誰もおらず、長男は家に帰ってきてしまいました。
私は長男に、付いて行くから、一緒に行こうかと提案し、長男は私と一緒に学校へ向かう事になりました。出発前に長男はお腹に手を当てて、前かがみになり、
「お腹痛いからトイレに行ってくる」
としばらくの間トイレにこもってしまいました。
当時娘はまだ2歳で、長男が学校へ向かう時間はまだ眠っていました。
「長男の学校に付いていかなくちゃ!」
という気持ちと、
「まだ小さい娘が起きてしまったらどうしよう!1人で大丈夫かな、、、」
と冷や冷やする思いで私は長男の学校まで付いて行っていました。
この頃の長男は学校から帰ると様子がおかしくなり、毎日毎日、
・クラスの女子がウザい
・今日は描いている落書きを勝手に消された
・コロナなんだし、ソーシャルディスタンスだよ!と言って離れようとしても『関係無い!』と言って近寄ってくるのが嫌だ!
・僕は自分のペースで教科書を閉じたいのに、授業が終わる瞬間に勝手に教科書を閉じてくる
・頑張って作った練り消しを勝手にゴミ箱に捨てられた
・前の人の座高が高くて、僕は全然黒板が見えない
・今日は体操服を見つけられなくて、体育に参加できなかった
・・・
と学校の文句ばかりを取り上げて言っていました。
長男はその日学校から帰って来ると、
・あんな場所に行くのは馬鹿みたい
・くそつまらん
・学校に行っても意味がない
・僕はもうに行きたくない
と険しい表情をして、私を見ずに呟いていました。
私は長男の異変に気付き始めていたので、否定的な発言を注意はせずに、
「嫌だったんだ、疲れただろうね」
と言い聞き流す事にしていました。
・・・
行き渋り当初、主人は、
「そんなに心配しなくていいんじゃない」
「夏休み明けだし時期の事なんじゃないの?」
と言っていましたが、日々悪化していく長男の様子を見て、
「なんなん?これ、長男どうしたの?」
と混乱し始めていました。
・・・
私は学校の先生から面倒臭い親、厄介な親、と思われる事が嫌で、学校に個人的なお願いごとをする事に抵抗がありましたが、勇気を出し担任の先生に電話をし、
長男が横の席の女の子のお節介を酷く嫌がっている事を伝え、先生からその子にあまり強くお節介しないよう、やんわりと指導してもらえないか?と、お願いをしました。
お願いはしましたが、状況が変わる事はなく、長男の【女】に対しての嫌悪感は日に日に激しくなっていきました。長男は毎日のように、
・女がまじでうざい
・この世に女なんていなくなればいいんだ
・クラスに女が居なければ僕は学校に行けるのに
・女がいるせいで学校の全部がつまらなくなる
・女は全員この世から消えろ
・女は皆わがまますぎる
・女が視界に入るのも僕は嫌なんだ
・音楽の先生(女性)が大嫌い
と、とにかく女の人が嫌だ!と言い続けました。
テレビで、くれよんしんちゃんのみさえが画面に映るだけで、
「この女はわがまますぎる、こんな女は死ねばいい」
と言い、女性でなくても、ドラえもんの、のび太君を見て、
「こいつバカ過ぎる、鬱陶しい、嫌い、ウザい」
と、目に映る全てを否定し始めました。
・・・
長男が学校を休む日が続き、長男の異変に気が付いてからは、私は長男の要望にできる限り応えていこう!叱らないようにしよう!と努力しているつもりでした。
学校に行かない長男を見て私は、
・何でもいいから学校には行ってほしいな、学校に行っていればきっと何とかなる
・もし長男が明日も学校へ行かないと言いだしたらどうしよう・・・
・あの子に何をしたら、今の生活の何を取り除いたら、あの子は普通に学校に行ってくれるのだろう
・今学校に行かなくなって、このままずっと学校に行かなくなったらどうしよう
・女の子を嫌だっているから、中学は男子校のがいいかな?
・機嫌の悪い長男を明日の朝起こすの嫌だな、、、
と思っていました。
長男が生き渋る様になってから、私はこの先この子はどうなってしまうのだろう?と漠然とした不安を常に感じていたように思います。
13 次男の異変
13 次男の異変
2021.8月後半
長男の情緒が乱れることで、我が家は家庭内不和になっており、その影響からか次男がこの時期から、無意味に叫んだり、突然物を投げつけたりするようになっていました。
幼稚園の帰り道、私が、
「今日は幼稚園どうだった?」
と、聞くと、次男はとても無気力で、とげとげしい雰囲気で、
「全然つまらない、だから僕は1日中座っていただけ」
と、答える日が増えていきました。
私は次男が毎日長男に酷い事を言われ、殴られている現状を幼稚園の先生に伝え、次男の様子を気にかけてもらうようお願いしていました。
次男はもともと、人と積極的に関わる事が得意ではなく、 長期連休明けに幼稚園に行くと、仲の良い友人といつものように遊べるようになるまでに、1か月程掛かるような子どもでした。
そんな次男はいつもいつも長男の顔色を伺い、
「ぼくが、これをやってもいいのかな?長男に何か言われないかな?」
と怯え、何をする時も、長男に何か傷付く言葉を言われないか、と考えながら行動しているようでした。
次男は長男がいなければ、何にも怯えず伸び伸びとすごしているのですが、楽しく遊んでいる空間に長男が加わると、次男の顔つきは一気に変わり「長男に何かを言われるのは嫌だから」と次男は無気力を装うようになりました。
ある日次男が早起きをして漫画を読んでいると、長男が起きてきて、力ずくで次男の読んでいる漫画を奪い取りました。
漫画を奪われ次男は大泣きしていましたが、長男は一向に漫画を貸そうとはしませんでした。
そんな、次男の心が不健康になるような出来事が毎日毎日続いており、2人の漫画争いに疲れていた私は、次男に長男と同じ漫画を買い与える事にしました。すると長男が、
「次男にだけ買うなんてずるい!」
と文句を言い始めました、私が、次男も読みたいのに長男が漫画を貸さないから買うしかないんだよ、と説得しても、
「ずるい!ずるい!僕にも買ってよ!!」
と長男は言い続けました。私はそんな長男の事を、またいつものわがままだな、と不快に思っていました。
結局私は長男を説得する気力もなく、とにかく喧嘩をしないでくれ!黙っていてくれ!と言う気持ちで、同じ漫画の同じ巻を10冊づつ、2人に買い与えました。
2人共が漫画を手に入れ、平和になるかとほっとしていると、今度は寝かしつけの時に読んでほしいと言われるようになりました。
私が長男に読めば、次男が僕にも読んでと言います。
長男に読んだ後に次男に読めば、長男が僕にももう一回読んでと言う。
本当に読んでほしいというよりは、自分の方がお母さんに沢山本を読んでもらった状態で眠りにつきたい、という兄弟間のくだらない争いをしているように私には見えました。
私が次男に漫画を読んでいると、長男はわざと不自然な程に大きな声で笑い、邪魔をし、自分の存在をアピールしているように見えました。私は内心、
「あー、毎日毎日面倒臭い!何回も読むのは疲れるから、2人同時に聞いてよ!」
と思っていましたが、その提案をしても長男は、次男と一緒に本を見たくないという理由で受け入れてはくれませんでした。
それなら、寝る前に2人に2話ずつ読む!と約束を決めると、長男は、
「次男の方が1話のページ数が長かったから、僕だけにもう1話読んで」
と言い、それを聞いた次男が兄に読むなら僕にももう一回読んでほしいと言うのです。
お互いが自分の主張が通った状態で争いを終了したいため、その喧嘩に折り合いが付く事はありませんでした。
毎日、毎日、毎日、毎日、繰り返される解決しようのないこの無意味な争い。
私は本当にうんざりしており、優しい言葉を掛ける心の余裕はありませんでした。
・・・
そんな日々の中、次男の様子がだんだんとおかしくなっていきました。
ある日、買い物から帰ると、普段温厚な主人が次男にきつく叱って(怒って)いました。
主人が次男をあまりにも叱りつけた為、長男が、
「お父さんやりすぎだよ!」
と叫ぶと主人は振り返り長男に向かって、
「お前が言うなよ!!!!!」
と、怒りをぶつけていました。主人の珍しいその態度に、私が、
「怒りすぎだって!」
と口をはさむと、主人は、私の方を見て、お前だっていつも怒っているくせに!と言いたげに私を見て、
「お前が言うな!」
「お前だけは言うな!」
と言い返してきました。
もう家庭内がぐちゃぐちゃで、誰も誰の事も思いやれておらず、仲間であるはずの家族全員が敵同士のようでした。
主人は、子育てに疲れ果て常に機嫌が悪い私に嫌気が差していただろうし、私も、仕事ばかりで現状を理解していない主人に苛立っていたのです。
・・・
家庭内不和が酷くなりだしたその頃から、次男は心身ともに不調になりました。
次男の頭には10円禿ができ、爪が全てなくなる程、爪を噛み、顔には覇気がなく無気力になっていきました。
今まで優しくしていた妹にも、不必要に意地悪をし、わざと妹を泣かせるようになりました。
家中のどこかで、誰かが争い合っている、そんな悲しい家族になっていったのです。
12 主人と長男
12 主人と長男
2021年6月~
この当時、仕事が忙しい主人は、子供が寝てから帰って来る事がほとんどでした。
主人は温厚で大らかな性格ですが、他人の世界に入り込んで来ない雰囲気の人でした。
その当時の主人は、夫婦間で話し合う、助け合うなどをせず、お互いに依存をせずに問題を自己解決しよう、と考えているようでした。
例えば・・・私の父親が海外に住んでいた時期があり、私は幼い子供たちと父を訪ねて1か月ほど海外に滞在した事がありました。
帰国後、その時の写真を主人に見せても、主人はその写真に興味を示さず、
「目の前に子供がいるから、別に写真は見なくてもいい」
と言ったりする事がありました。
私の主人に対して、共感力に乏しく、ドライな人と思っていました。
・・・
そんな主人に気を遣い、上手く頼みごとの出来ない私と、自分のペースを崩される事を嫌い、子供たちの事を聞いてこない主人。
私は主人に対して「助けてよ」「手伝ってよ」と言う気持ちを持ちながら、それを口に出すことが出来ず、嫌味の様に自分だけで家事、育児を抱え込む様になりました。
主人に当て付けて、「あなたは役にたたないよね!」と言わんばかりに忙しそうに動きまわり、全ての家事育児を自分1人でこなし、勝手にそれに苛立っていました。
平日は主人の仕事が忙しい事を理解していて、それ程イライラしないのですが、主人がお休みの土日になり、主人が家にいると「助けてくれるかも!」と期待してしまい、私の期待を裏切り、助けてくれない主人に不満を抱いている事が多かったです。
私はそんな不快感を態度に出しており、土日の家庭内の雰囲気は、張り詰めた空気な事が多かったと思います。
・・・
長男はお父さんが大好きな子どもで、主人も長男をとても可愛がってくれていました。
行き渋りが始まり、長男の情緒が激しく乱れ始めると、長男は父親に対しても暴言を吐くようになり、仲の良かった2人の関係も崩れ始めました。
主人は、長男に注意する際、次男を叩く長男に対して、
「そんな事もう止めようね」
「はいはい~ちゃん(長男)もうやめようね」
「どうしたの?」
と冷静に諭すように言う事もあれば、わがままな長男の態度に主人の気持ちも限界になってしまい、大人な対応が出来ずに、
「おい!いい加減にしろよ!」
と叱りつけてしまう事もありました。
時に主人は、私と長男が言い合いになっていても、見て見ぬふりな事もありました。
・・・
長男が次男をいじめて次男が泣き、主人が長男に謝るように諭しても、長男は、
「ざまーみろ!!!」
と言ったり、目にいっぱい涙をためて、それでも主人に負けないようにと、
「はいはいはいはい、すみませんねぇ!これでいい?」
「はい、謝りました!これでいいんでしょ!」
と吹っ掛けてくる事もありました。
主人に叱られたことが悔しくて、何とかして主人が不快になるような言葉を言いたい長男は、主人の方言を馬鹿にし、
「は?は?は?は?何ですか?なんですか?」
「何言っとるか分らんし、日本語話せよ!」
「この、くそじじい!」
と主人に向かっていきました。
長男は、昔から自分が否定され、注意される事に過度に反応し、話が通じず、注意をすれば暴れ出す子、と私は思っていました。
・・・
長男と他の家族との関係が悪化していたある日の夜中、寝室で寝ていると、突然リビングから、
「うぁぁぁぁぁぁーーーーーーー!」
「うぁあああああーーーーーーー」
「ひぇーーーーん」
と泣き叫ぶ声ような声が聞こえてきて、私と主人は飛び起きました。
リビングへ行くと、長男が1人暗闇の中で、声を振り絞り、唸るような、悲しくて、苦しくて、壊れそうな、そんなふうに泣いていました。
両親は驚き、
「どうしたの?」
と長男の背中をさすりましたが、長男はだただ肩を震わせ、唸るように泣いているだけでした。
記憶は曖昧なのですがしばらくすると、長男が私に、
「お母さんが次男の横で寝ていたから」
と言いました。
長男は、
「寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、うゎーーーーーーーーー」
と、泣き崩れてしまいました。
そんな子供の訴えにも、全てがうんざりで疲れ果てていた私は、溜息をつき、長男に、
「次は何?」
「じゃー横で寝ればいいじゃん」
と、素っ気なく言ったような気がします。
その当時は、自分の中で目覚めている間の全ての時間を、子供達に使っているという感覚があり、私はそれにとても疲れていました。
長男が泣いていたのは夜中でしたが、主人が長男を散歩に連れ出してくれました。
散歩に出かけた2人は、出かけてから2時間ほど経った明け方の2時頃になると明るい表情で帰ってきました。
私は長男と主人が何を話してきたのかを聞こうとはしませんでしたが、帰ってきた主人は、少しため息をつきながら、私に、
「明日のサッカーは休ませてあげてね、朝は起こさずゆっくり寝かせてあげて」
「長男とは色々話はしたけど、まあ、、、」
「俺から見ても・・・貴方は長男の事を嫌っているように見えるよ」
と、私に言いました。
私は何も言い返さずに黙って主人の話を聞いていました。
・・・
主人の言葉の通り、その時期、私が長男を嫌いだったのか?
今、どれ程考えても思い出すことができません。
嫌いだった、という事も、心底愛していた、という事も本当に思い出せないのです。
そんな私の気持ちは、幼い長男にどう映っていたのだろう?と今は思います。
11 閉ざされた空間での出来事
11 閉ざされた空間での出来事
次男の幼児期、次男はよく長男に殴られていました。
そんな2人の姿を見て、周りは、
「男兄弟の喧嘩、激しいよね~」
「ハラ子ちゃん家は特別激しいよね~」
と、よく言っていました。
下の子が生まれると赤ちゃん返りをする、上の子がやきもちで下の子をいじめる、と聞いていても、長男の次男に対する暴力行為は一般的な赤ちゃん返りのレベルではない、何かがおかしいと私はうっすら感じていました。
次男は小さな頃から長男に叩かれるため、いつもいつも顔が傷だらけで体に青あざが出来ている事もありました。
赤ちゃん返りで上の子が下の子を叩くと言っても、それ程皆殴られるのか?
という疑問が私の中には常にあり、いや、いや、おかしい! 絶対におかしい!ここまで弟妹を拒否している子を見た事がない!
私はそう思っていても、何をどうすれば良いのか解決策を見つけ出すことが出来ずにいました。
私を育てた親に状況を話し、解決策を聞いても、神経質に考えなくていい、男の子なんてそんなもの、と言っており、長男の暴力行為を気にする私がおかしいのかな・・・気にし過ぎなのかな?と思う事もありました。
誰に相談しても、男のは子激しい、そんなものと言われ親身に相談にのってくれる人はいませんでした。
・・・
公園で子供を遊ばせていると、ママ友の誰かが、
「昨日兄弟で殴り合いの喧嘩をした」
と、言っていて、あー、やっぱり我が子だけが異常な訳ではないんだな・・・とホッとした事を覚えています。
家庭内の閉ざされた空間の中、我が家の子供たちがどれ程酷い状態なのかは誰にも理解される事はありませんでした。
育てている私自身も、我が家が特別に酷いのか、激しいけれど正常な範囲内なのか、分かってはいませんでした。
・・・
仕事が忙しく、昼間、子育てをしていない主人も、その大変さを理解してはいませんでした。
私は長男が毎日楽しい時間を過ごせますように!と、毎日お弁当を作り2人の子供を連れて、児童館や公園へ出かけるように心がけていたので、昼間は平和に過ごせるのですが、夜はどうする事もできませんでした。
・・・
長男が特に反抗的になりだした2021.6月頃から、長男の次男に対する拒否反応は、より一層激しくなっていき、長男が次男に馬乗りで殴る事が常習化していったのです。
それは、毎日、毎日、毎日、毎日、繰り返されました。
次男は、顔を涙でぐちゃぐちゃにしながら、
「ぎゃーーーーーーーーーーーーーー」
と言って泣き叫んでいて、私が、長男に、
「やめなさい!」
「もーーー!」
「やめなさいって!!!!」
と、止めに入るのですが長男は、握り締めた拳により一層力を込めて、
「うるせーーーー!!!」
と言いながら、次男を殴り続けていました。
私は、ぎゃーぎゃー泣き叫んでいる次男をかばいながら長男に、
「もう!離れなさい!」
「もーーーーー!!!!どうしたの!!!!!」
と長男を止めようとしても、長男は、
「次男が嫌い!気持ち悪い!」
と次男が傷付く言葉を言い続けました。私はなぜそんな事を言うのかと長男に何度も尋ねましたが、長男は、
「気持ち悪いから、嫌いだから、バカだから!」
と理由にならない理由を言い、次男を傷付け続けました。
・・・
年齢が上がってくると、やられっぱなしの次男にも意志が出てきて、長男の言いなりにはならず、やり返すようになっていきました。
2人ともまだ小さいとはいえ、体も段々大きくなり、力も少しずつ強くなり、長男と次男の喧嘩は日々激しさを増していきました。
・・・
私はいつも長男の暴力行為に対し、長男の事を強く責めました。
「何であなたはそんなに暴力的なの?」
「何であなたはそんな事ばかりするの?」
「何で?」
「何で?」
「何で?」
「何で?」
その答えはいつも、
「次男が嫌いだから」
それだけでした。
・・・
長男の次男への暴力を止めさせるために、私は色々な作戦に出ました。
ある時は、暴力を振るおうとする長男に聞こえるように、次男と娘に、
「あっちの部屋行こ、お兄ちゃん頭おかしいから!この部屋にいるとお兄ちゃんに叩かれるから、あっちの部屋に行こ!」
と、長男の心に、
「あなたは悪い子!」
と刻みつけるような、長男が傷付く言葉をあえて選び、長男1人を部屋に取り残す。
またある時は、長男が次男を叩いたように私が長男を叩いて、
「ほらね!叩かれたら痛いでしょ!次男を叩くのをやめなさい!」
「もーーーー何であなたはそんなふうなの!」
「何でなの!」
「何があったの?」
と取っ組み合いの喧嘩をする。
また別の時には、毎日繰り返される暴力行為に私が疲れ果て、号泣しながら長男に、
「もう、お願いだからやめてよ、お願いだからやめて、、、」
と、泣き落とそうとする。
・・・
その時々の、自分の気分で方法を変えて長男に次男を殴る事をやめるように訴えかけました。
どれほど長男に訴えかけても、どれもその場しのぎにしかならず、長男の暴力行為が根本から治る事はありませんでした。
息子2人が馬乗りになって、叫び合いながら殴り合いをしている中、状況を何も理解していない2歳の娘は、キョトンとして私に、
「おかあたん(お母さん)これ読んで」
と本を持ってくる。
そんな娘の横で息子たちは、
「お母さん、お母さん、お母さん、お母さん!!!!」
「こっちが悪い!あっちが悪い!」
「あっちが!・・・こっちが!」
と、私に訴えかけ、長男か次男のどちらが悪いのかをジャッジしろと言ってきます。
母親が長男か次男のどちらの見方をするのか、どちらを庇うのか、それを知りたい!そんな感じでした。
記憶があまり残っていませんが、私は殴られ続ける次男を私の身体で守っていた様な気がします。
長男が全力で次男に向けた拳が私に当たり、身体的な痛みと、精神的苦痛が重なり、絶望感のような、とても悲しくて、とても苦しくて、とても痛かった事をなんとなく覚えています。
次男も、手足をばたつかせ、力の限り長男にやり返していて、私は2人共が殴られないように!と2人の間に入り、私が長男にも次男にも殴られている状態でした。
・・・
6歳の次男は口の中がキレて血まみれになっている事もあり、 2歳の娘にそんな激しい喧嘩を毎日のように見せるのはとても辛かったです。
2人をとめる事が出来ず、私が居なければ殴り合いの喧嘩をやめるのではないか?と思い、娘を抱いて車に逃げた事もありました。
車に逃げ込むと、次男が私を探して声の限り叫ぶので、ご近所にその叫び声が聞こえていて、次の日に「昨日、大丈夫だった?」と声をかけられた事もありました。
それほど激しい喧嘩を長男と次男はいつもしていました。
・・・
長男がお出かけを嫌がり、次男と娘と3人でお出かけをすると何だかとても平和な気分になりました。 私は心の中で、
「えーーー!!!なにこれ?」
「これが通常の子育てなの?」
「楽過ぎない?」
「長男が一緒にいないと、子育てってこんなに楽なの?」
と思ってしまうのです。
・・・
私はいつも、周りの、仲の良さそうな家族を見ると、
「何でうちだけ?」
「何で私だけ、、、」
と思い、とても苦しい気持ちになっていました。