不登校復活の道(ブログ)
120 2021年のクリスマス
120 2021年のクリスマス
2021.12月末
この頃は睡眠時間が激しく乱れていました。
16時に起きて、次の日のお昼、12時まで起きている(20時間起きている)、そこから4時間寝て、夕方から友人と遊ぶ。
友人と遊ぶ時間だけが楽しみなので、何とか起きるけれど、睡眠不足で、友人の前で落ち着かない態度になったり、無表情になったり、帰宅後に無理難題を言い困らせたりがあり、友人が不愉快にならないか、不愉快になり、もう来てくれなくならないか、と私がひやひやする。そんな事がよくありました。
明日、友達が来るから早く寝ておこう、と計画立てて、何かをする事が少しも出来ませんでした。
今、どうしたいか、それだけ。
無理して長時間起きていて、情緒が不安定になった時の矛先は、私への無理難題か、下の子達への攻撃でした。
2021年のクリスマス。
我が家は各自欲しい物を紙に書き、壁に貼ってサンタさんが来るのを待ちます。
下の子達はワクワクしながら、
「何にしよう」
とはしゃぐ中、長男はなかなか、書くことができませんでした。
何度も、
「欲しい物ないの?」
と聞いても、興味を示しませんでした。
クリスマスが近づくと、
「欲しい物がある、書きたい」
と、用紙に向かい、鉛筆を持ち、いざ書こうとすると、字が書けない。
本当に書けないようでした。
リビングの床に紙を置き、正座をして用紙に向かう、鉛筆を持つ、深くため息をついて、鉛筆を紙に近づける、離す、溜息をつく、また書こうとする、そんな事を繰り返していました。
字が分からない、とかではなく、体が、字を書くことを拒否している、書こうとしても、手が動かない、そんな感じで、結局【大乱闘スマッシュブラザーズ】の【す】だけ書き、
「お母さん、あとは書いておいて」
と、うつむいたまま言い、すぐに、ゲームを始めました。
やる気がない、やりたくないではなく、本当に出来ない!そんな雰囲気でした。
12月24日クリスマスイブ
例年は子供達が深い眠りについてから、枕元にプレゼントを置いていました。
今年は、長男が昼夜逆転しており、遅い時は朝7時でも寝ていませんでした。
どのタイミングでプレゼントを置こうかな、と悩みました。
予想は的中し、朝6時、長男は起きて、動画をみていました。
「あー、どうしよう!プレゼントはまだ置けていない、下の子が起きちゃう!」
「昨晩、楽しみに寝ていたし、どうしよー」
結局、プレゼントは枕元には置けず、部屋のすぐ近くの廊下に置いて、下の子が起きたタイミングで、さり気なく室内に入れました。
長男は前日、16時に起きており、彼にとっては朝6時は寝る時間であるのに、プレゼントの【大乱闘スマッシュブラザーズ】を始めると、そのまま食事もせず、ノンストップで20時までやり続けました。
結局、寝たのは22時ごろです。ほぼ30時間、8歳の子が、ぶっ続けでゲームをしたことになります。
集中力凄いな・・・ と、思う気持ちもありましたが、母親としては、
この子、大丈夫かな・・・
本当に、大丈夫なのかな・・・
ゲームにのめり込みすぎていないか?
ゲーム障害なのかな?
と、クリスマスなのに、もやもやした気分でした。
その頃の長男は、本当に、もう生理現象として、脳が寝ないと無理です、となるまで起き続け、限界で眠る。そんな生活でした。
周りは、ああしたらどう?こうしたらどう?体に悪いって説明したら?等、色々提案してくれましたが、本当に無理なのです。
助言をされると、
「私が一番それを望んでいる!そんなもん、出来るならやってるわ!」
そんなふうに思ってしまう事もありました。
不登校で生活が乱れている子は、本当にコントロールができません。
周りが生活習慣を立て直そうとし、昼夜逆転を正そうなんて、出来るはずがないのです。
119 母親が元気になれば、回復する、と言う呪縛
119 母親が元気になれば、回復する、と言う呪縛
不登校克服の本、ネット、相談所、色々な場面で、専門家が説く、
「まずは、母親が元気になる」
「リラックスをして、笑顔でいる」
「そうしたら、自動的に子供が回復します」
そんな言葉を何度も何度も目にしました。
「おいしい物でも食べて」
「好きな事をして」
「母親がまず、元気にならなくちゃ」
私は今でも、その意見には賛同できません。
不登校児を抱えたお母さんが、どうしたら、笑顔になれるのか?
そもそもが、母親が笑顔になれない、何らかの理由があり、それを感じ取り、子供は不登校になっているのではないか?
そんなふうに思っています。
我が子の場合はそれが大きかったと思います。
私は、
「お母さん、楽しんで、おいしい物でも食べて、息抜きして、リフレッシュして」
等を言われ続けましたが、私が本当に不登校を受け入れるまでに1年以上かかり、その1年の間に、私自身がリラックスをするなんて事は、とても無理でした。
リラックスはしようと思って出来る事ではありません。
何をしていても、頭や心の奥の部分が苦しく、リラックスなど出来るような心境ではありませんでした。
心が満たされ、心配材料がない時にしかリラックスは出来ないと思います。
美味しいものを、食べたいという気持ちにもなりませんでした。
何をしていても、楽しくないのです。
問題の程度にもよると思いますが、我が子は行き渋り始めから荒れ狂い、泣きわめき、手が付けられない程の状態でした。落ち着いてからも、昼夜逆転、ゲーム漬け、食事もとらず、お風呂も入らない。昼夜逆転しているので、私の子育ては、まさに24時間でした。
そんな状況の中、自分に目を向け、よし、自分をリラックスさせようなんて、私には到底無理でした。
どう、精神を保つのか、どう自分を癒すのか、そんな疑問が浮かぶ暇もなく、嫌でもやって来る苦しい毎日を、何とかこなしている、そんな日々でした。
私は、行き渋りから1年程は、息子の事で精いっぱいで、自分をリラックスさせようなんて、考えもしませんでした。
1年ほど経ち、問題は解決していなくても少しずつ、少しずつ、起っている出来事が現実である事を、心から受け入れられるようになり、頭や気持ちが整理されていくと、
「毎日毎日、何なんだよ!やってられないな、美味しい物でも食べに行こ!」
と、思える事もありましたが、外出先でも、
「あ、そろそろ起きたかな?お腹空いてるかな?寂しがってるかな?」と気になり、得体の知れないものに急かされ、みぞおち辺りに常に不快感がありました。
急いで帰っても、大体の場合、息子は寝ていて、予想はしていても、言い現わしようのない、悲しく、苦しい気持ちになる。そんな日々でした。
母親が元気になれば、不登校は解決されるという専門家の助言は、ほとんどのお母さんにとって、的外れなのではないかと思います。
なぜなら、子供が不登校でいる間は、その事から完全に解放されて、楽しい気持ちになることなど、できるわけがないからです。
子供に、何か少しでも回復の兆しが見えたり、元気な表情が見えると、それに安心して、母親が希望を持ち、少し元気になる、その母親の姿、雰囲気を感じ取り、子供がまた少し元気になる、またその子供の姿を母親が喜び、母親が少しずつ元気になっていく、そんなふうに、子供と母親がお互いを少しずつ、少しずつ、無意識に励まし合い、元気にし合っていくのだと思います。
「まずはお母さんが元気になって下さい」「少し子育てから離れて、気持ちをリフレッシュして下さい」と言われても、当時の私には、到底そんな事はできませんでした。
元気になれ、と言われて、元気になれるものではないと思います。
時を経て、時間をかけて、少しずつ、不幸に鈍感になる。
自分を少しは癒そうと、自分自身の幸せに目を向けようと心がけ、表面上は笑える日もある。
それでも悩みは何も消えておらず、私は依然、出口のないトンネルの中で、光はどこにあるのか、と探し続けるのです。
元気にならなくちゃ、と努力すれば元気になる、というものではないと思います。
子供への対応を変え、状況が好転していく中で、母親自身が、少しずつ元気になれる時を待つしかないと、私は思っています。
118 夜中に両親がゲームに付き合う
118 夜中に両親がゲームに付き合う
ゲームばかりしている長男は、毎日皆が寝静まってからリビングでゲームをしていました。
下の子を寝かしに行く際に、必ず、
「お母さん、戻ってきてよ、絶対だよ」
と言い、私は毎日起きて、長男とゲームをしていました。
もともと、私はゲームが好きではなく、やり方も分からないので、あからさまに、
「えー、お母さん分からないし・・・」
と言い、快く遊んであげる事は出来ませんでした。
どれ程頑張ろうと思っても、無理でした。
それでも、何とか、ゲーム機のボタンを無駄に押しまくり、毎日毎日夜中まで長男とゲームをしました。
正直、私にとってはかなりの苦痛な時間でした。
主人は毎日22時過ぎ、子供が寝てから帰宅します。
長男は主人が帰って来るのを心待ちにしており、主人が帰ると、
「お父さん、ゲームやろ!」
と言って【大乱闘スマッシュブラザーズ】に誘っていました。
主人も、毎日、
「おーいいよ!」
と言い、付き合っていました。
主人は私よりも演技が上手く、仕事でくたくたなはずなのに、嫌そうな素振りは見せずに、30分から1時間ほど、ゲームに付き合う事が多かったです。
長男は、2時過ぎまでゲームをし、その後寝室に来て暗闇の中、動画を見て寝落ちする。
そんな毎日でした。
8歳の、成長段階の子供です。
私は心を満たす事を優先し、何も言いませんでしたが、今の生活習慣が息子の、体、脳、目、情緒にどんな影響を及ぼすのか、この先の人生にどう影響するのか、とても心配でした。
私が、一言、
「目が疲れないようにね」
と、優しく声を掛けるだけで、長男は、
「酷いね、本当に酷い事言うよね」
と私を責め、泣き出します。
親として、心配する事すら、許してはくれませんでした。
あー、この子には、本当に何も言えない。
この子は、一体どうなってしまうのだろう・・・
そんな事ばかり考えていました。
いつか、元気になる日がくるなんて、想像する事は出来ませんでした。
117同じ学校の幼馴染に会う
117 同じ学校の幼馴染に会う
12月下旬
別学区の友人と遊ぶようになり、楽しみができると、長男は日に日に回復しているように見えました。会う勇気がなく、会えていない同じ学校の幼馴染に「会ってみようかな・・・」と言うようになりました。
何度も迷い、
「会う」
「やっぱり、無理」
「んー、会いたい」
「・・・でもな・・・」
「遊びたいけど、同じ学校だからな・・・」
「どうして休んでいるのって言われるかな?」
と、いつもぶつぶつ呟いていました。
何日も何日も悩み、ある日、
「僕、遊んでみる」
と言い、遊ぶ事になりました。
親友が、16時頃来る予定だったので15時半に起こしましたが、体が動かず、なかなか布団から出る事ができません。
10分程経ち、少しずつ少しずつ体を動かし、布団から出た時には、親友は既にリビングにいました。
長男は親友のいるリビングに入る事が出来ず、寝室からリビングに繋がる廊下を行ったり来たりウロウロしていました。
私が、
「もう、友達来てるよー」
と声を掛けると、
長男は、
「お母さん、僕、分かってるよ、心の準備してるの、少し待って」
と言い、しばらくウロウロと落ち着きなく歩いていました。
長男は自分のタイミングで、何とかリビングに入り、すぐにソファに置いてある布団で全身を覆い、隠れてしまいました。
親友はそんな事はおかまいなしに、長男に向かって、
「このゲーム、やり方分からない」
「ちょっと!潜ってないで早く教えて!」
「あれ、Wi-Fiのパスワード教えてよ(笑)」
と言いながら、話しかけてくれていました。
前回の友人の時と同様、少しずつ少しずつ話し始め、ゲームを始めると2人は盛り上がって遊び始めました。
親友が帰宅すると、長男はテンションが上がり、私と、次男とすごろくで遊び始めました。嬉しい感情を抑えきれない様子で大はしゃぎでした。
夜、長男は少し表情を変え、私に、
「あー、僕、めちゃくちゃ学校休んでるなー」
「学校で、毎日折り紙折ってたなー」
「なんだか、折り紙折りたくなってきたなー」
と言い、
「けど!まだ学校は休む!」
と言いました。
それから、しばらくの間、2人で折り紙を折りました。
私は、
「大丈夫、頑張り過ぎていたから、疲れたよね、心が元気になるまで、しっかり休んだらいいよ」
と、言いました。
不登校が始まった頃のような険しい表情になる事が少なくなり、少しずつ、少しずつ、心が満たされてきている気がしていました。
116 久々に友人に会う
116 久々に友人に会う
12月になると、息子は完全昼夜逆転になっており、朝6時頃まで動画を見て寝落ちし、夕方5時ごろ起きてくる生活でした。
友人には誰にも会う事が出来ず、いつも、
「僕はぼっちだ、誰もいない、独りぼっちなんだ」
と言っていました。
「サッカーをやりたい、友人に会いたい」
と、言うものの、
「知っている子には絶対に会いたくない、遠出もしたくない」
と、相変わらず引きこもりでした。
行き渋りが始まった不安定な頃に遊べていた、別学区の親友にも、2か月以上会う事が出来ませんでした。
何度も誘われていたので、それを伝えると、顔が曇り自室にしばらく、こもりました。
12月中旬、息子がその友人と遊びたい、と言い出しました。
連絡を取り、すぐに遊ぶ事になりました。
友人が家に着くまで、長男は緊張した様子で家中をウロウロし、落ち着きなく歩き回っていました。
始めは緊張していたものの、ゲームを始めるとすぐに打ち解け、以前の様に仲良く遊び始めました。
その日から、ほぼ毎日、その友人と遊び、息子はその時間だけが、
「生きていて、楽しいと感じられる時間」
と、言うようになりました。
次男は一緒に遊びたくても、
「遊びたいけど、どうせ、入れてくれない」
「僕は、一緒に遊んではいけないんだ」
と言って、部屋の角にお山座りをして、楽しそうに遊ぶ兄たちを見ながら、無表情で、1人でゲームをしていました。
次男は、全ての事に極端に自信がなく、人とのコミュニケーションがうまく取れませんでした。
長男は、昼夜逆転している為、友人が来る16時頃は、まだ寝ている事が多かったのですが、「友達が来るよ」と声を掛けると、すっと起きてきました。
友人が帰る時は、ウロウロ玄関を歩き回り、下を向き、今にも消えてしまいそうな小さな、自信なさげな声で、
「また、遊びたいな」
と、伝えていました。
息子なりに精いっぱい頑張り、緊張して話している事が伝わってくる話し方でした。
友人が帰った後は、誰の目から見ても分かる程、表情が柔らかくなり、元気になり、家族にも優しく接するようになりました。
心が満たされれば、人は優しくなるのだ。という事を毎日、目の当たりにしていました。
別学区の親友には会えるようになりましたが、同じ学区の幼馴染の親友に、会う事はできませんでした。
何度も何度も誘われていましたが、
「遊びたいけれど、同じ学校だから、会いたくない」
と言い、断っていました。
学校に行っていなくても、部活へ行けたり、友人に会えたりする子がいると聞いていました。息子の不登校の症状は、年齢の割には、なかなか酷い状態なのではないか?と思うようになりました。
どうしてこんなに人に会う事に憶病になるのだろう?
私には、息子の気持ちは理解できませんでした。
115 実家近くの物件を見に行く
115 実家近くの物件をみに見に行く
2021/12月頭
息子が、
「引っ越したい」
「ここは嫌!」
と、何度も何度も訴えるので、実家近くの物件を探しました。
実家に近く、部屋数もあり、これなら、何とか住めるだろう、という物件があったので長男も連れて、家族で見に行きました。
行き道に雨が降っていて、到着する時には雨が止み、今から見に行く物件の上に虹が2本かかっていました。
今まで見たこともないような、くっきり、はっきりとした虹でとても綺麗でした。
主人が、
「何この虹、もう引っ越せって言われてるね、決めちゃうか」
と言いました。
私の気持ちは、
・もう1人で全て回していくのは精神が限界
・楽になりたい
・長男も次男もフリースクールがいい
・遠方のフリースクールの送迎を考えたら、娘もいるので実家近くしか物理的に無理
・引っ越せば息子が外へ出られる
と思っていました。
姓名判断をしているハンコ屋さんにも、家の方角が良くないと言われたし、家の査定も出したし、
「もう、引っ越そう!」
と、私の中で決心が固まっていました。
長男は寝ぐせがつき、表情が見えない程に伸びた髪で、ガリガリに痩せ、ズボンがずり落ちてしまうのを、何度も直しながら、その物件の中へ入っていきました。
主人が不動産会社の人と話をしていました。
長男は玄関から入ってすぐの部屋に行き、私に向かって、
「なにここ?」
と言いました。
私は、
「ん?」
「引っ越したいと言ってたよね?ここに引っ越そうかと思っているよ」
「どう?」
と聞くと、
長男は、
「嫌だ、ここは嫌」
「引っ越すのはいいけど、ここには住まない、住みたくない、絶対に嫌」
「もう、車に戻る、連れて行って」
と言いました。
私は、主人に長男の言葉を伝え、車に戻りました。
主人は、
「全て、長男の言う事を聞く。そうすると決めたのだから、彼がダメと言うならダメなんだよ。仕方ない、シンプルにいこう。何も深く考えなくていい、彼の言う事を聞く、そうすると決めたんだよね?また引っ越したい、と言い出したら、その時考えよう。」
そう言って、それ以降その物件の話はしませんでした。
引っ越して、少しは楽になる、と思っていた私は、
「あ、やっぱり今の生活から抜け出せないんだな」
「結局、このままなんだ、私1人で手のかかる3人をどう面倒見ていこうか」
と、少し落ち込んでいました。
114 情緒が安定してきた?
114 情緒が安定してきた?
2021/12月中旬
この頃、行き渋り以降ずっと無気力で感じの悪かった息子の態度に、変化がありました。
・自らズボンを履き替えた
【自ら、ずぼんを履き替える】そんな当たり前の事が私にはビッグニュースになる程、当時の息子は無気力でした。
・娘を寝かしつけている時に、「お腹空いた、ご飯作って」と言いましたが、寝つくまで、待ってくれました。
以前は少しの時間も待てませんでした。
・事ある毎に、「ありがとう」を、沢山言う
やたらと、私に「ありがとう」と言うようになりました。
・弟を思いやる
「弟に、マリオカートどのコースがいい?」と聞き、弟と一緒にスイッチ(ゲーム)が出来る日がありました。以前は絶対に一緒にゲームはせず、弟だけにはスイッチを触らせませんでした。
・前髪を切る
長く伸び切った髪の、前髪だけ切らせてくれました。
・顔の表情が穏やかになってきた
以前は全く笑いませんでしたが、少し顔を上げて、笑う日が出てきました。
完全不登校になり2か月、ゲーム以外の事をしなくなってから40日ほど経ちました。ゲームは毎日、平均16時間やっていました。
克服ママの言った、【過保護にする】をして、数か月、息子は良い方に向かっていました。
やはり、このやり方がいいのだろう、と私は思っていました。
主人は、今のやり方に疑問を持っており、
「今の子育ては、モンスターを育てているみたいに感じる。この先、子供たちがどう成長するのかが怖い。次男までもが無制限でゲームをしていて、他の事では全く遊ばなくなっている。俺の目からは、無気力で、怠け者に見える。長男も今は動画やらゲームやらで頭がいっぱい。ゲームが出来ないから外出しない!という子になっているよね。子供らしさのかけらもないよね、2人とも」
と、疲れた感じで言っていました。
私の中にも同じ不安があるので、気持ちは痛いほど分かります。
でも、じゃあ、どうしたら良いの?
今の対応が良くないなら、どんな対応にしたらいいの?
息子達を取り締まり、親の言う事を聞かせるの?
今のこの子達が、親の言う事を聞くと思う?
今のやり方に不満があるのなら、他のやり方を調べて提案してほしい。
口には出しませんでしたが、そんな気分でした。
知り合いの方が、私にこんな事を言っていました。
「長男君は、今は、ゲームをしていたいんだよ」
「今は!だよ、今は!」
「今までの、外遊びをした時間を平均したら、数年ゲームしかしなくても、一般的な子供の外遊び時間の平均値になるんじゃない?それくらい、よく遊んでいたと思うよ!大丈夫、心配いらない」
「あの時期に培われた、身体能力や感受性は、絶対残ってるから!成長の土台になっているから」
「今、この時期は、ゲームをやりたい、ゲームしかしたくない!」
「そんな感じなんじゃない?私は、そう思うよ」
以前から信頼を寄せていたそのママは、私をそう、励ましてくれました。
表面的な分かった様なアドバイスを貰うと、不快になり、聞く気になれませんでしたが、このママの励ましは、すっと自分の心に染みわたり、安心することができました。
やはり、今の「過保護にする、好きにさせる」の子育て法は間違っていないはず!
続けて行こう!と思いました。
113 診断書が腑に落ちない
113 診断名が腑に落ちない
2021/12月頭
医療センターの診断書に、【自閉症】の文字を見てから、私は、自閉スペクトラム障害というよりも、【自閉症】というキーワードばかりネットで検索していました。
私は、それまで、医師や専門家の診断は、間違いないものだと思っていました。
しかし、自分で調べた典型的な自閉症の子どもの症例は、息子の現状とは合致しない点がたくさんあったので、この診断結果は、受け入れ難く感じました。
診断名が腑に落ちない私は、他の専門機関に話を聞きにいきました。
その専門機関では、
「医者が本人と話していないのに、自閉症スペクトラム障害の診断を出すのはおかしい」
と言われました。
「もー、何がなんだか分からない!」
どこの専門機関の、誰が言っている事が本当なの?
発達に偏りのある子を専門に塾を開いている先生は、
「診断名が付く前も、付いた後も、その子である事に、何一つ変わりはなく、悲しむ事はありません。学校に特性を理解してもらい、特別な対応をして欲しい時に診断書を都合よく利用したらいいだけです」
と言いました。
調べると、自閉症の特徴として、
・コミュニケーション能力が低い
・人の気持ちを汲み取れない
等がありましたが、
息子は、人の気持ちが汲み取れない、というよりも、むしろ、周囲に気を遣いすぎるところがありました。
周りの子どもたちのペースに合わせ過ぎ、心の内側に大きなストレスを抱えるようなところがありました。
例えば、・・・。
友達に誘われると、理由もなく断る事が出来ず、気が進まなくても無理をし、付き合うような事がよくありました。
楽しそうだと私が思っていたら、その後、疲れ果てて自室にこもってしまう、そんな事がよくあったのです。
上の姉は、いつも、
「まだ人生のほんの一部!一流大学を出て立派に就職しても引きこもる人がいる! 長男君は、そういう意味では大丈夫な気しかしないよ」
と励ましてくれていました。
励ますと言うより、本当に、そう信じている事が伝わる言い方でした。
それなのに、母親である私は、この先、いつまで引きこもるのだろう、4年で行けなかったら、5年も行けなくない?5年で行けなかったら、6年も行けないじゃん!6年で行けない子は、9割中学も行ってないじゃん!そうやって、ずっと行けずに、大人になっても引きこもるの?
この子の人生は、たった8年で真っ暗なの?と考え、不登校をネガティブに捉え、1人で不安に駆られていました。
112 外の世界に怯えた日
112 外の世界に怯えた日
2021.11.29
この日の事はよく覚えています。
いつも、ゲームばかりで引きこもっている長男を、主人がテニスに誘いました。
長男の小学校区ではない、少し離れた地区のテニスコートのある公園に行きました。
遊具があり、その奥に広いグランドがあり、その更に奥へ行くと、テニスコートがありました。
長男は同年代の子に会う事を極端に恐れていました。
行きは、他の子供たちが遊んでいる遊具やグランドを避けて、テニスコートへ向かいました。
テニスコートは高い塀に囲われており、外から中の様子は見えません。
長男は、あまり元気がないものの、周りの視線を感じないテニスコートで、伸び伸び遊んでいました。
家族でテニスをし、帰路に付く際、私は下の子のお世話をしていたため、主人と長男が先にテニスコートを出ました。
主人に長男の状態を話してはいるものの、普段の様子を見ていないため、同年代の子供達がいる空間を、どれ程長男が恐れているのかを、主人は理解していませんでした。
主人と長男は私より100メートルほど前を歩いていました。
主人が先に歩き、長男が後を追っています。
主人は、沢山の子供のいるグランドの真ん中を通り、遊具の方へ向かっていました。
後ろから見ても、長男の様子がおかしいことが分かりました。
主人は気が付いていません。
私は下2人を残し、長男の方へ駆け寄りました。
声を掛けると、振り向いた長男の顔は、今にもこぼれ落ちそうな涙を目に溜め、あたふたし、体が震え、隠れる場所を必死に探しているようでした。
私が、
「大丈夫?」
と聞くと、
我慢していた涙があふれ出しました。
「帰りたい、帰りたい、帰りたい!帰りたい!!!」
「車どこ!早く乗りたい!」
「早くここから離れたい」
「ねー、車どこ」
「ねー!ねーー!!ねーーー!!!」
周りに子供が沢山いるため、呟くような声で、それでも叫んでいるような雰囲気で、口をへの字にし、私の体で、自分自身の体を隠そうと小さくなっています。
徒歩5分程の場所に車が停めてあり、駐車場へ行くには沢山の子供のいるグランド横を通る道しかありませんでした。
私は、長男に、
「急いで車取って来るからね、待っていてね」
と言うと、
長男は、
「嫌だ、嫌だ」
「早く、早くしてよ」
「なんで、なんで車遠くなの!」
「ねー、何で、早くしてよ、早く車乗りたい、帰りたい、帰りたい」
と、周りをキョロキョロと見渡し、隠れる場所を探しています。
私はグランドと長男の間に立ち、視界をさえぎりました。
公園と道を挟んだ向こう側に自販機がありました。自販機の後ろに回れば公園からは長男の姿が見えないので、長男をそこで待たせ、私は急いで車を取りに行きました。
私は主人に、パニックになる前の感じだから、長男から離れないでほしいとお願いし、急いで車を取りに走りました。
車に乗り込むと、長男は、ダッシュボードに入れていたゲーム機を乱暴に手に取り、狂ったようにゲームを始めました。
そんなに近くて、画面が見えるの?と思う程、ゲーム機に顔を近づけ、
「おー、すげー」
「わー、勝った」
「おー、楽しい」
と、不自然にずっと1人で叫んでいます。
助手席に座り、前のめりでゲームの世界に入り込む長男の姿は、異様な雰囲気で包まれていました。
運転しながら長男の顔を、ふと見ると、顔が涙でぐちゃぐちゃでした。
声だけ聴いていると、笑っているのに、顔は涙でぐちゃぐちゃ。
その涙を拭うこともせず、ひたすらゲームボタンを押し続けます。
・・・
私が泣いてはいけない、私が泣いてはいけない、涙が出ないように、涙が出ないように、と思えば思うほど、喉の奥の辺りが熱くなり、痛くなり、自然と涙がこぼれ落ち、止めることが出来ませんでした。
今でも、この出来事、あの時の長男の様子は、昨日の事のように、鮮明に覚えており、脳裏から離れません。
この世に出て、まだ8年しか経っていない子供が、なぜここまで苦しむのか。
私の、何が、この子をここまで追い詰めてしまったのだろう。
111 次男の試し行為
111 次男の試し行為
2021.11
克服ママに「過保護にすること!」と言われたことを頑張っていました。
出来る限り長男の望みを叶えるよう、わがままを言われても指摘せず、可能な限り対応する。
そんな私の変化を見ていた次男が、私に言いました。
次男:
「お母さんは、お兄ちゃんのことが好きなんでしょ」
「お兄ちゃんのことだけが好きで、お兄ちゃんのことだけが大事なんでしょ」
そんなことを何度も何度も繰り返し聞いてきます。
私は次男と2人きりの時に、
「世界で一番次男の事が好き!」
「こんなかわいい子、どこにもいない!」
「お兄ちゃん、今元気がないから、お兄ちゃんばかりに構って、我慢させちゃってごめんね」
と言っていました。
寝かしつけの時間は、
「妹の隣で寝なよ!」
「お兄ちゃんの所(リビング)に行きなよ!」
「僕の横になんて来ないでよ!」
「早く!行きなよ!」
と、突き放してきます。
私は、
「今は次男との、とっても大事な時間だから、意地でもここからどかないぞ!」
と言って、次男を抱きしめ、放しませんでした。
次男は、歯を食いしばり
「やめろ!やめろ!」
と、目に涙を溜め、蹴ったり叩いたりしていました。
この子の情緒は大丈夫だろうか?
食事を作っても、
「これは、嫌」
「あれは、嫌」
「作り直して!」
「今すぐ違うの買ってきて!」
そんな要求が、日に日にエスカレートしていきました。
いろどりに野菜をお皿にのせるだけで、
「嫌がらせかよ!ふざけるな!」
と言って、野菜を投げつけてくる事もありました。
長男の似た様な要求を、私は全て聞き入れているため、次男は試し行為をしているのだろう、と出来る限り対応するようにしていました。
次男は不登校ではなく、健常だと思っていたので、
「こんな事聞いていいの?」
「人を思いやれない子にならないの?」
という不安が脳裏をよぎり、不安になりました。
そしてついに、2歳の娘までが、
「いらない」
「違うのほしい」
と兄たちを真似るようになりました。
私は1日に何食もご飯を作り、何度も何度も作り直していました。
作っても食べてもらえず、要望通り作り直したものですら、一口食べて「もういらない」と残す・・・。
「もぅ、いい加減にしてくれ!」
こんな事、本当に続けていて大丈夫なのだろうか?
この子達は、どんな子に育つのだろうか?