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不登校復活の道(ブログ)

130 幼い息子たちからの景色

130 幼い息子たちからの景色

 

 

私は、息子たちが、まだとても幼いころ、何度も何度も、酷い言葉や態度で、彼らから自信を奪い続けていたのだと思います。

 

娘を妊娠する前、3人目を妊娠することなど、絶対に嫌、なぜ、これ以上大変で、辛い思いを、自ら選んでするのか分からない、絶対に、嫌、と本気で思っていました。

 

3人産んでいるママと話をしていると、同じように、もう、産まない!と思っていたけれど、ある日、急にほしくなるよ、そう言われても、ないないないない、私は絶対にない、と思うほど、子育てはしんどいものでした。

 

少し子育てが落ちつきはじめ、辛い気持ちが薄まり、女の子がほしいね、となり、娘を授りました。

 

大変なら、手を抜けば良いのに、手を抜くことができませんでした。

 

本当に、できないのです。

 

手を抜く選択肢をもっていませんでした。

 

楽をしてはいけない。

 

手を抜く自分を許してはいけない。

 

子育ては大変で、辛い事なのだから。

 

そう、思っていました。

 

手を抜く自分を許せず、全力で向き合うことしかできない。その向き合い方が完全に間違っていて、子供を苦しめる、子供が苦しんでいる事に気付いておらず、子供から見えている景色を、見ようとしていませんでした。とにかく、大変、そんな気分で、子育てをしていた時期がありました。

 

もー、あんたなんて

いい加減にしなさい

意地悪だね

ほんとに、嫌い

可愛くない

と、悲しい言葉をかけてしまう。

 

話しかけられても、相手がこれ以上話しかけたくなくなるような態度で接する。

 

そんなことを、してしまう時がありました。

 

今振り返り、当時の息子たちの写真を見ると、こんな小さな子たちに、私は何をしていたんだと、客観的に見ることができますが、当時の私は、本当に、気持ちに余裕がありませんでした。

 

そして、2人の息子たちは、自信がなく、不安の強い子になっていったのだろうと、思っています。

 

今、娘と過ごしていて、娘に、「どうして、何でもお母さんに頼むの?」と聞くと、「お母さんが大好きだから、お世話してほしいの、お世話してもらうと、幸せなの」と言い、「どうして、いつも、お母さんの近くにいるの?」と聞くと、「何だか、幸せな気持ちになるから」と言います。

 

小さな頃の息子たちも、きっと、ただただ、私との、温かな時間を過ごすことで、幸せな気持ちになりたかっただけなのだろうな、私は、それを満たす事ができなかったのだろうな、満たされることのない乾いた感情は、時間と共に形を変え、困難な親子関係を生み出したのだろう、と思っています。

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129 疲れだす

129 疲れだす

 

冬休み明けから、私も長男も、元気がありませんでした。

 

年明け等の節目は、言い表しようのない気持ちになりました。 

 

別の不登校児を抱えるママと話しをすると、休み明けは、落ち込むママも多いみたい、と言っていました。 

 

同じ心境の人が多いのかな・・・ 

 

以前相談した克服ママが、「不登校中は【子供は生きていればいい】と思っていた」と話していた時、「凄いな、私は、子供の先の事が不安になってしまうな」と思いましたが、 異常な程に元気のない子供を、毎日、毎日、24時間見ていると、私の中の「どうしよう!この子はこの先、どうなってしまうのだろう」という気持ちも少しずつ変化し、克服ママの言っていた事が理解できるようになっていきました。 
 
 
主人に、学校の対応を話しても

「人に期待しても無駄」

「文句言っても意味がない」

と、私の目を見ずに言い、自分は何もしない、いつもの、丸投げだな、と感じました。

 

私自身は、だいぶ、今の状況に慣れてきていましたが、年が明け、学校の無反応と長男の様子と、主人の丸投げに精神的に疲れてきていました。 

 

長男の昼夜逆転の影響で、日に日に、下の子達の生活リズムが崩れる。 

 

長男との2人きりの時間をなるべく長く確保しようと、下の子を、叱って寝室に連れて行き、泣かせてしまう。

 

叱らなければ、永遠に寝室に来ず、ついつい、きつい口調になってしまう。 

 

次男が遅く寝れば、次の日に起きれず、朝起きるときに機嫌が悪く癇癪を起こす。

 

悪影響を与える長男にイライラし、あからさまに嫌味な態度で、

「次男は、明日、幼稚園があるのだから、いい加減、寝なさい!」と言ってしまう。 

 

私がイライラし感情をむき出しにしても、子供たちの負の感情が、私に跳ね返って来るだけで何も良い事がない。 

 

分かっていても、余計な事を言ってしまう罪悪感、変われない自分への自己嫌悪、こんなふうに接して子供はどう育つのかという不安感、24時間子育ての睡眠不足、精神的、肉体的な疲れ、全てに対するストレス、もう、私の中の全てがぐちゃぐちゃでした。 

 

解決してくれる相談所を探す気力さえ、無くなりつつありました。 
 
 
 ・・・

 
 
家族の心が元気ならそれでいい。 

 

ある日、下の子2人を連れて、公園へ行きました。次男が、

「お兄ちゃんがいなくて、つまらない」,

と言い、退屈そうにしていました。

 

家で、真っ暗な部屋の布団に入り、ゲームをしている長男の姿が目に浮かび、途中から涙が止まりませんでした。 

 
公園へ行く事ですら、我が家にとっては、とても幸せな、叶わない夢のようでした。 

 

心が元気で、幸せに生きていてくれたら、それでいい、本当にそれだけでいい、と思えるようになり始めていました。 
 
 

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128 相談することを諦めだす

128 相談することを諦めだす

 

 

2022年1月中旬 

 
 

冬休みが明けてから、1週間が経ちましたが、学校からは、何の連絡もありませんでした。

 

冬休みに入る前に、「個人のパソコンは学校保存でよいですか?」と連絡があり、その際にも長男の名前は一度も出ませんでした。 

 

長男の事を聞かれなかった、だからなんなんだ、という話なのですが、気にならないのだなと、何とも言えない気持ちがありました。 

 

どうにかしてほしい、助けてほしい、そんな気持ちではありません。 

 

知識のない私には、学校しか頼る場所がありませんでした。学校しか頼る場所のない私が、全く頼りにならない学校に対し、説明する言葉が見つからないような、絶望感のような、そんなことを感じていました。 
 
 
どこに相談に行っても、何も解決策がなく、ただただ、克服ママに言われた【過保護】を頑張っていました。

 

ネットで検索すると、長男の症状は小児鬱にとても症状が似ており、小児鬱は半数は再発し、発症年齢が低ければ、低いほど、大人になってからの再発も多いという文字を見ては、心が締め付けられ、息子の将来が不安になり、もう何も考えたくない、と思うのに、ずっとその事ばかり考えてしまう、そんな毎日でした。 
 
 
学校の、今の対応を見ていると、息子が回復しはじめたとしても、どのように手伝ってくれるのだろう?対応が頼りなさすぎる、そんなことばかり考えてしまいました。 

 

 

一体私はどうしたらいいのだろう・・・ 

 
 

以前、担任の先生に、長男が学校に戻る気になった際、少しでも学習に付いて行けるよう、本当に必須な学習部分だけを絞って、プリントを下さいと連絡しました。 

 

私が依頼してからは、ポストに、プリントが入っていますが、最低限どこをやれば良いのか、という指示は一切ありませんでした。メッセージの一つも、添えられていませんでした。 

 

担任の先生の仕事とは、こんなものなのだろうか? 

 

私が、期待し過ぎなのだろうか? 
 
 

・・・

 

どこに相談すればよいのか分からず、息子は相変わらず元気がなく、冬休み明けの学校の対応への不安やら不満やらで、何をどうしたら良いのか分かりませんでした。私自身が、先の見えない不安に押しつぶされそうでした。 

 

もう一度、市に相談したら、と助言をされましたが、相談をしても結局、市が学校に言うだけ、言う相手は教頭先生です。堂々巡りになるだけです。

 

それなら、別の相談所に行ってみたら、とも言われましたが、何度も何度も、行き渋り前の反抗から、今に至るまでの、話を長々とし、言われる事は、分かりません、大変ですね、早急に心療内科を受診してください。 

 

・・・ 

 

主人は一度も、相談所へは行かず、誰かに相談しよう、現状を良くしようと、調べているようには、私の目には映りませんでした。私の中で、自分だけが動いている感じがし、もう、くたくたで、これ以上誰かに、事細かに事情を話すパワーは残っていませんでした。

 

段々、無気力になり、本や、ネットで不登校を調べる事すら、もう疲れていました。

 

不登校専門の、知識が豊富で、信頼できそうな相談機関は安くて1時間7000円、高いと、10000を超えていました。不登校相談が1時間で終わるはずもなく、とても継続して相談できないな、という印象でした。

 

同じ境遇の人のコミュニティはどう? 

 

同じ立場の人の意見のが参考になりそうじゃない? 

 

とも言われましたが、本当に全てに疲れ、行動する気が、もう、起きませんでした。 
 

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127 9歳のお誕生日

126 9歳のお誕生日 
 
 

2021.1月末の休日 
 
 
長男のお誕生日に近い週末に、お誕生日会を計画していました。 

 

その前日、長男は20時に起きてきました。 

「もうすぐお誕生日だね!明日、誕生日会をしようね」 

と言うと、顔がこわばりました。 

 

お誕生日、嫌なのかな・・・ 

 

次の日のお昼、誕生日ケーキを見せると、ケーキでも、私でもないどこか1点を無表情で見つめ、 

「もうすぐ、4年生、僕は4年生もずっと休む」 

「お誕生日、9歳になるけど、僕は、学校には行けていない」 

と、機械のように単調に言いました。 

 

学校に行けていない僕が、9歳になってもいいのか?という雰囲気でした。 

 

誕生日が全然嬉しくない様子で、むしろ、苦しそうでした。 

 

外食をすることを長男が嫌がるので、夕方にお寿司を買いに行きました。 

 

前日20時から起きているので、もうすでに、長男は20時間起きていることになる、寝ちゃう前に買ってこなきゃ!と思い、主人に、

 

「急いで買ってくるからね、寝ちゃわないようにね!」

とお願いして出かけました。 

 

帰って来ると、長男の姿がありませんでした。主人に、

「寝ちゃった?」

と聞くと、

 

主人は

「知らない」

と答えました。 

 

寝室を覗くと、長男は布団に入り眠っていました。

 

前日、20時間起きていたから、明日の昼過ぎまでは起きないな・・・

 

娘もお昼寝をしていて、部屋がとても静かでした。 

 

主役の長男はおらず、静まり返った部屋で、豪華な食事とケーキが食卓に乗っていました。 

 

何とも言えない、虚しさがありました。 

 

悲しいな・・・ 

 

本当に、何だか、悲しいな。 

 

何に対して悲しかったのか、いまだに、よく分かりませんが、ただただ、悲しくて、虚しい気持ちになった事を覚えています。 

 

息子の誕生日をお祝いできませんでした。

 

誕生日、嫌そうだったな。

 

なんで、こんな事になっちゃったんだろう。

 

どうしたら、何をしたら、あの子は元気になるのだろう?

 

そんな感じです。 
 

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126 冷えたからだ

126 冷えたからだ
 
 

2021.1.15 

 

この日も、友人が来てくれました。

全然お風呂に入らず、着替えない長男が、自ら着替え、 

「お母さん、これでいいかな?」と聞きました。 

私は、自ら【着替えよう】と思えた気持ちが、ただただ嬉しかったです。

 

長男は、ママとも話し、楽しくゲームをし、帰りには友人とママを玄関まで送っていきました。 

 

お風呂に入らない長男の足先は、いつも冷えていたので、足湯器を購入し温めました。 

 

長男の足を触ると、氷のように冷たく、しもやけで、紫色になっていました。 

 

私は、 

「足冷たいねー」 

「しもやけ、痛くない?」 

「明日、銭湯行こっか」 

と聞きましたが、 

 

長男は、 

「・・・」 

無言でした。 

 

私は、 

「やめておこうかね」

と言い、行きたくないんだな、と察し、それ以上聞きませんでした。 

 

・・・

 

寝室に行く前に、長男が私に、 

「お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、僕のこと、すき?僕はお母さんのことが大好きなんだよ、お母さんは僕が好き?」 

と聞きました。 

 

私は、 

「勿論、だいすきだよ!大事な息子だよ!」 

と言うと、 

 

長男が、 

「ありがとう、ありがとう」 

と言いました。 

 

私は、 

「えー、何がー?」 

と聞くと、 
 
「色々、いつも、ありがとう、本当に、ありがとう」 

と言いました。

 

小さいながらに、色々考えているのだろうな・・・ 

 

少しずつ、元気になれますように! 
 

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125 返事をしない意味

125 返事をしない意味

 

 

冬休みが明ける前日、息子はまた、30時間休憩なしでゲームをしました。

 

あまりにも食べない長男を心配し、当時、私は日記に走り書きで、長男が1日に食べたものを書いていましたが、ほぼ毎日、1食しか食べていませんでした。 

 

冬休みが終わるその日、私は、長男に、 

「冬休み、終わるね」 

と声をかけました。 

 

長男は聞こえていないかのように、無反応でした。学校が始まったその日は、20時間ずっと寝ていました。 

 

長男は、私にも生活がある、という事を理解していないのか、理解していても、そこまで気が回らないのか、夜中の3時頃に私の肩を何度も叩いて、

「お母さん、暇だから、一緒にゲームしよ」

と起こされることがありました。

 

私は起きては行くけれど、結局ソファで寝落ちしてしまう。それでも長男は、

「横に人がいるだけで、寂しくないからいい」

と言い、何度も夜中に私を起しました。

 

 この時期はとにかく食べず、どんどん痩せていきました。

 

 

2021.1.11 
 

幼馴染の友人が来て、夕方2時間ほど遊んでいました。

 

小さい頃から親同士も仲が良く、この日は長男が、友人のママが家に上がっても大丈夫そうだったので、同じ空間に子供達、ママ達がいました。

 

長男のことを心配してくれているママは、よく、お出かけの際に声をかけてくれていました。私は長男の状況を見て、「まだ、無理なんだよー」と断っていました。

 

その日は、「今度、映画に行こうよ」と誘ってくれました。 

 

その場に長男も、友人も、親もいました。 

 

長男に、

「映画行きたい?」

と聞くと、無反応でした。 

 

しばらくして、また私は長男に、

「どうする?映画誘ってくれてるけど行きたい?」

と聞きました。

 

また無反応です。当時、私は、長男が無反応の時は「NO!」と言っていることに、気が付いていませんでした。「返事しない!」「聞いてない!」そんなふうに捉えていました。 

 

友人たちが帰ると、長男は私に、 

「お母さんは、分かっていない!」 

「お母さんは、僕に意地悪をした!」 

「僕をいじめた!」 

「僕のことは、ほっといてよ!」 

と怒っていました。 

 

あ、映画のことだな、と思い、 

「ごめんね、行きたくなかったよね、断ったよ、安心してね」 

と私が言うと、 

 

長男は、 

「ありがとう」 

と言いました。 

 

本人がいる前で断るのは失礼だから断れない、でも行けない、それなのに、何度も私が友人がいる前で聞くので、嫌だったそうです。 

 

この日の学びは、長男が返事をしなかったら「NO」。

 

優しい長男は、断られた側の気持ちを考え、断ることは悪いことだと捉えているようでした。

 

「NO」と言わない代わりに、無言。それで察してよ。そんな感じなのだと思います。

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124 冬休み前後の学校の対応

124 冬休み前後の学校の対応 
 
 
 
担任も、スクールカウンセラーも、教頭先生も、何も役にも立たないと気が付いた私は、何かヒントがないかと市役所の子育て相談をしている部署に相談に行きました。

 

初めは、若い女性が対応していましたが、内容を聞き、途中から、

「私ではよく分からないので、以前、校長先生をしていて、とても親身になってくれる方がいる」

と、60代前後の落ち着いた、優しそうな男性に交代しました。 

 


その男性に、今、我が家は、

・過保護にし、全て本人の望む様にしている

・親は一切コントロールを止めている

・昼夜逆転、ゲーム依存も一切注意はしていない

という話をしました。

 

その方は、「ご両親は、腹を括って対応しているのですね」と言い「学校からの力添えはありますか?」と聞きました。

 

私は、正直に、

・プリント類も一切持ってこない

・電話もかかってこない

・かかってきても、業務連絡のみで、息子の名前は一切出ず、状況も聞いてこない

・教頭先生には「出来る事はありません」と言われている

という話を、クレームとしてではなく、ただただ、事実として話しました。 

 

学校側の対応に対しては、初めから期待しておらず、諦めきっていたので、状況を話す事で、学校側の対応をどうにか変えてくれ!という考えは一切ありませんでした。 

 

その方は、話を穏やかに聞いてくれましたが、具体的な指導はなく「今の対応を続けて行きましょう」くらいの事しか言いませんでした。 

 

それでも、相談後、教頭先生に、連絡をしたようでした。 

 

教頭先生から私に電話がきました。教頭先生は、 

「申し訳ございませんでした、何かの手違いで、誤解を生んでしまったようで、今後はプリント類も渡し、出来る限りケアしていきますので」 

そんな事を、電話越しに、一方的に話続けられた記憶があります。

 

不快感しかありませんでした。 

 

誤解?手違い?ってなんのことだろう?

 

市の、偉い人から、今の学校側の対応は良くないと、何か指導を受けたのだと思います。 

 

なんなんだ、この人は、どこまで保身なのだろう? 

 

私は、クレームを言っていません。ただただ、起っている事実を、市の、きっと偉いであろう職員に伝えただけでした。

 

電話越しの教頭先生の話し方は、明らかに、低姿勢になっており、それが、私を苛立たせました。 

 

そんなに、怒られたくないの? 

 

そこだけなんだろうな。

 

彼女の頭の中に、長男を救いたいという気持ちは1ミリでもあるのだろうか?

 

「出来る事は何でもします」 「私に、何でも言って下さい」「今は何が出来ますか?」「何にお困りですか」と聞かれました。


私が、もし、また市に相談すれば、「学校側としては、何でも言って下さい」とお母さんに伝えてあります、「助ける気はあります」と保険をかけているのだろう、と私は捉えました。 

 

教頭先生に、初めて相談してから2か月以上過ぎていました。

 

とても苦しかった時期に、相談に行っても、時計ばかりを見て、他人事のように、「出来る事はない」と言い切っていたのに、なんなんだよ。 

 

今更、「どうしましょうか、何でも協力しますので」という言葉を、よく平気で言えるな。 

 

そんな感情しか生まれませんでした。 

 

そんな自分だけを守っている人に、今の状況を救えるわけはない、この人が良い道しるべを示してくれるはずかない、私はそう思いながらも、ただ、「ありがとうございます、助かります」とだけ言い、電話を切りました。 

 

なんなんだよ。

 

いっそ、無関心で通してくれた方が不快にならずに済んだはずです。 

 

担任は、相変わらずでした。以前のまま、特に何もせず、 冬休みに入る前にも、冬休みが明ける時にも、電話は来ませんでした。

 

冬休みが近づき、ポストに入っていた冬休み日誌には、メッセージすらありませんでした。 

 

ただ、冬休み日誌だけが、「ぽん」とポストに入っていました。 

 

息子は今、あの学校には存在していないのだな。

誰も、気に留めていないのだな。

 

もう、親しかいない。 

私には、知識がないけれど、教師にも知識がない。教師は、知識がないに上に愛もない。 

 

最悪な気分でした。 

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123 

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克服ママのアドバイスを聞き、過保護にすることを実践していましたが、いつも頭の片隅でこんなことを思っていました。 

・この子は、回復したとしても、自由にしか過ごせないのではないか

・自分のしたい事しかしないのではないか

・親のお願いなど、何も聞かなくなるのではないか

・自分勝手に過ごす生活に慣れ、普通の生活に戻れなくなるのではないか

・ゲームと上手に付き合える日が来るのだろうか
 
 

お正月、実家にいる間も昼夜逆転の長男は、夜中になると、

「お腹が空いた」

と、私を起しました。

 

実家のリビングで夜中に料理をするのは迷惑をかけてしまうため、長男と2人で夜中の2時過ぎにマクドナルドへ行き、ドライブしながら食べ終える、そんなことをしていました。

 

外は静まりかえっており、車に乗る瞬間の、車内の空気がとても冷たく、がらがらに空いている道を、小さな息子とドライブするのは、とても不思議な気持ちでした。 

 

何をするにも、どこへ行くにも、私は頭の中で、これから起こりそうなハプニングを想像していました。

 

ハプニングが起きてから考えればいいや!という思考にはなかなかなれず、いつも神経を使い、とても疲れていました。 

 

長男の気性は乱高下で、夜中にマクドナルドに連れて行けば「ありがとう!ありがとう!」と、必要以上に大喜びし、私が連れて行くのを、面倒な素振りをすると、不機嫌になり「もーいー、はいはいはいはい、もう食べたくない」と布団に潜り、一切話を聞かなくなる。

 

常に長男の言いなりになっていれば、機嫌がよく、少しでも否定的な態度をとると、関係が悪化する、そんな感じでした。 

 

「あー、今日この子は何時に寝て、明日は何時に起きるのかな?初詣に行きたいけど、一緒には行けないな、下の子だけ連れて行こうかな、帰宅前に長男が起きてしまうと、声をかけなかった事で、機嫌が悪くなるのかな」 

 

・・・

 

結局次の日は初詣には行かず、姉達と焼き肉に行きました。

 

店員さんがよく通る席は、長男が落ち着かず、人が通らない席がいいと、奥の席に座りました。

 

食事中に、何度も何度もトイレに行き、長時間トイレにこもり帰って来ず、食べ終わると、すぐに家に帰りたがりました。

 

人と接する事に、とても怯えているように見えました。

 

食べ放題のお店で、「残すと追加料金です」と言われ、ほんの少し、小指の第一関節位の焦げたお肉が鉄板に残っているだけで、過剰に心配し、「ダメだよ、ダメだよ、残してるよ」と言い泣きそうになる。 

 

「これ位大丈夫だって、心配しなくて大丈夫だよ」 

と私が言えば、お母さんは、なんて酷い人間なんだと猛攻撃。

 

あー、この子に禁止事項はダメだな。くそ真面目なのか、融通が利かないのか、子供なんてこんなもの、という範囲なのか、私にはよく分かりませんでした。

 

全ての事を、こんなふうに、真面目に捉え、約束事を守ろうとしていたら、そりゃ、疲れ果ててしまうよね。

 

一体誰に似たのだろうか。 

 

家でずっと引きこもっているのは心配だけれど、外出しても、出先でとても長男に神経を使う。下の子達まで閉じ込めておくわけにはいかない。でも、長男は行きたくないと言い、おいて行かれるのも嫌。

 

あぁ・・・子供たち全員の要望を叶えるなんて無理。

 

私は優先順位を付ける事が苦手で、全て、やらなければ、と思う性格なため、余計に苦しく、どうしよう、どうやって全ての要望を叶えよう、とあたふたする事が多かったです。 

 

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122 2022年のお正月 次男

122 2022年のお正月 次男 
 
 
 
当時、次男は多動性がとても激しくなっていました。  
 
・ずっと頭を振って走り回り、人にぶつかる  

・一秒も止まることなく体を大きく動かし続ける

・家の中でも壁から壁へぶつかり続ける

・笑わず、表情が乏しい  
 
 
 
とにかく動くのです。 
 
 
家中の物に当たり、物が倒れたり、壊れたりしていました。  
 
 
 
絶対に普通ではない、発達障害と呼ばれるような動きが沢山出ていました。  
 
 
主人と私は、 
「もう!止まってよ!」  
 
と、叱ってしまう事が何度もありました。 
 
 
次男は爪を全て噛み、10円禿ができ、祖父母とのコミュニケーションもあまりとれませんでした。 
 
 
実家の近くに住んでいる、姉には懐いていて、一緒にパン屋さんへ行ったり、楽しそうに過ごす事もありましたが、基本的には部屋の隅にいて、自信なさそうに周りを見ている子でした。 
 
 
私に異常に執着しており、私の作った物しか食べない、人が次男の食事のお皿に触ると癇癪を起こし、もう食べない、私が空間に居なければ、不安で探し回る、返事をするまで叫び続ける、そんな状況でした。  
 
 
長男にも次男にもとても手が掛かり、神経を使う、更に、2歳の娘は普通にまだ手がかかる。  
 
 
 
あー、疲れたな。  
 
 
 
どうして我が子たちは、こんなに手がかかるのだろうか?
 
 
 
そして、どれ程周りに、頑張っている、普通は精神持たないよ、と言われても、私の中に刻み込まれている、いつもの考えに辿り着く、  
 
 
 
「あー、私は頑張れない、子育てなんて向いてない、辛すぎる、上手に子供を育てられない、やっぱり、私は良いお母さんではないし、良いお母さんになんてなれない、もう、嫌だ!」  
 
 
 
それでも、逃げることはできない。やるしかない。私の居場所はここにしかない。 
 
 
いつか、こんな日があったね、と思える日がくるのだろうか・・・  

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121 2022年のお正月 長男

121 2022年のお正月  長男
 
 
 
年末年始は私の実家へ行きました。 
 
 
実家に行く事はできても、長男は、皆のいるリビングではなく、2階の部屋で、ずっとゲームをしていました。 

 

下の子は親族と出かけるのを楽しみにしていました。 

 

長男は、きっと本心は出かけたくないのに、無理をして、

「僕も行きたい」

「何で!行っちゃダメなの?」

と言い、連れて行った先で、様子がおかしくなり、帰宅せざるを得なくなる、もしくは、周りが物凄く気を遣う状態になる。 

 

そんな事の連続で、子供の全ての事に目が行き届いてしまう私は、いつも心が疲れていました。

 

幸い私の親族は、長男の全てを温かく受け入れており、出来る限り長男の希望に合わせようと、心底温かく、臨機応変に対応してくれていました。 

 

おいて行けば、僕だけおいていかれた、といじける。 

 

連れて行けば帰りたいとわがままをいう。 

 

必ず、私にだけ聞こえるように、ずっと文句を言うので、

 

「いっそ、待っていてよ、出先で周りを困らせないでよ」

と、毎回思っていました。 
 
 
我慢ができず、正直に気持ちを長男に伝えてしまうと、その後、最悪な事態が待っています。しばらく、落ち込み、体が動かなくなる、部屋から出ない、食事をしない、私の言った意見に対して100倍返しで攻撃してくる。そんな事ばかりが、繰り返されていました。
 
 
 
 
2021.12月31日 
 
 
年越しに実家から歩いてすぐの神社へいきました。

 

小さな神社で、近所の人が神社の真ん中に焚かれた火で温まっていました。

 

長男は、その火に当たりながら、 

「温かいね、綺麗だね、あ、僕少しブランコしたい」 

と言い、敷地内になるブランコをこいでいました。 

 

実家に来ている時は、知り合いに会うかもしれないという恐怖から開放されるのか、明らかに表情は明るかったのですが、それでも、昼夜逆転し、一日中寝っ転がりゲームをする生活習慣は変わりません。 
 

 

2022.1月1日 

 

祖父母が、子供達にお年玉をくれました。 

 

毎年長男はお年玉をもらうと、 

「誰からいくらもらった!」 

「こんなに沢山になった!」 

と言いながら、合計金額を計算したり、そのお金を使いたくて近くに買い物に行ったりするのですが、今年は貰っても中身を見る事はありませんでした。 

 

中身を見ないどころか、貰ってすぐ、お年玉袋を近くの机に置き、ずっと、そのままでした。 

 
 
そのお年玉袋は1年以上、開けられることはありませんでした。 
 
 
とにかく、全てに興味を失い、無気力でした。 
 
 


次の日にイルミネーションの綺麗な場所に連れて行きましたが、5分で帰りたがりました。 

きっと、すぐに帰りたがるだろうと想定しており、2台で来ていました。

 

「先にお母さんと帰ろうか?」 

と言うと、激しく抵抗しました。 

 

それでいて、 

「なにここ?楽しくない、意味あるの?」 
と、私だけに聞こえる声で言い続ける。 

 

下の子は、これがしたい、あれを食べたいとキラキラ光るライトの下で大はしゃぎで喜んでいるので、どちらに合わせればいいのか判断が出来ず、胃が痛くなり、

「あー、もう・・・私にどうしろって言うの!」 

と、どこへ行っても苦しい気持ちになる。 
 

何回同じシチュエーションになっても、何も悪くない下の子を我慢させる事、長男に振り回され、神経を使う苦しさに慣れる事はありませんでした。 

 

その日は、珍しく主人が一緒に来ていて、イルミネーションの綺麗な広場で芸をする、大道芸人を見て、

「なんか、一生懸命何かをする姿っていいね、不登校前はそんな事あまり考えなかったけど、学歴なんて、どうでもいいよね、自分の好きな事をして、社会と関わり、一生懸命生きる、幸せに生きていてくれたら、それで十分だよね」

と、目に涙を溜め、しんみり話していました。

 

一緒に来ていた姉は、

「一緒にアイス食べれたね!」

「よかった!よかった!嬉しい!」

「少し、外出出来たね!」

「うん、うん」

と言って、目に涙を溜めていました。

 

8歳の子供がイベント会場に行き、アイスを食べる。

そんな当たり前の事に涙が込み上げてしまう程に、長男は周りから見ても、元気がなく、無気力だったのだと思います。


 
 

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