2023年12月の記事一覧
122 2022年のお正月 次男
122 2022年のお正月 次男
当時、次男は多動性がとても激しくなっていました。
・ずっと頭を振って走り回り、人にぶつかる
・一秒も止まることなく体を大きく動かし続ける
・家の中でも壁から壁へぶつかり続ける
・笑わず、表情が乏しい
とにかく動くのです。
家中の物に当たり、物が倒れたり、壊れたりしていました。
絶対に普通ではない、発達障害と呼ばれるような動きが沢山出ていました。
主人と私は、
「もう!止まってよ!」
と、叱ってしまう事が何度もありました。
次男は爪を全て噛み、10円禿ができ、祖父母とのコミュニケーションもあまりとれませんでした。
実家の近くに住んでいる、姉には懐いていて、一緒にパン屋さんへ行ったり、楽しそうに過ごす事もありましたが、基本的には部屋の隅にいて、自信なさそうに周りを見ている子でした。
私に異常に執着しており、私の作った物しか食べない、人が次男の食事のお皿に触ると癇癪を起こし、もう食べない、私が空間に居なければ、不安で探し回る、返事をするまで叫び続ける、そんな状況でした。
長男にも次男にもとても手が掛かり、神経を使う、更に、2歳の娘は普通にまだ手がかかる。
あー、疲れたな。
どうして我が子たちは、こんなに手がかかるのだろうか?
そして、どれ程周りに、頑張っている、普通は精神持たないよ、と言われても、私の中に刻み込まれている、いつもの考えに辿り着く、
「あー、私は頑張れない、子育てなんて向いてない、辛すぎる、上手に子供を育てられない、やっぱり、私は良いお母さんではないし、良いお母さんになんてなれない、もう、嫌だ!」
それでも、逃げることはできない。やるしかない。私の居場所はここにしかない。
いつか、こんな日があったね、と思える日がくるのだろうか・・・
121 2022年のお正月 長男
121 2022年のお正月 長男
年末年始は私の実家へ行きました。
実家に行く事はできても、長男は、皆のいるリビングではなく、2階の部屋で、ずっとゲームをしていました。
下の子は親族と出かけるのを楽しみにしていました。
長男は、きっと本心は出かけたくないのに、無理をして、
「僕も行きたい」
「何で!行っちゃダメなの?」
と言い、連れて行った先で、様子がおかしくなり、帰宅せざるを得なくなる、もしくは、周りが物凄く気を遣う状態になる。
そんな事の連続で、子供の全ての事に目が行き届いてしまう私は、いつも心が疲れていました。
幸い私の親族は、長男の全てを温かく受け入れており、出来る限り長男の希望に合わせようと、心底温かく、臨機応変に対応してくれていました。
おいて行けば、僕だけおいていかれた、といじける。
連れて行けば帰りたいとわがままをいう。
必ず、私にだけ聞こえるように、ずっと文句を言うので、
「いっそ、待っていてよ、出先で周りを困らせないでよ」
と、毎回思っていました。
我慢ができず、正直に気持ちを長男に伝えてしまうと、その後、最悪な事態が待っています。しばらく、落ち込み、体が動かなくなる、部屋から出ない、食事をしない、私の言った意見に対して100倍返しで攻撃してくる。そんな事ばかりが、繰り返されていました。
2021.12月31日
年越しに実家から歩いてすぐの神社へいきました。
小さな神社で、近所の人が神社の真ん中に焚かれた火で温まっていました。
長男は、その火に当たりながら、
「温かいね、綺麗だね、あ、僕少しブランコしたい」
と言い、敷地内になるブランコをこいでいました。
実家に来ている時は、知り合いに会うかもしれないという恐怖から開放されるのか、明らかに表情は明るかったのですが、それでも、昼夜逆転し、一日中寝っ転がりゲームをする生活習慣は変わりません。
2022.1月1日
祖父母が、子供達にお年玉をくれました。
毎年長男はお年玉をもらうと、
「誰からいくらもらった!」
「こんなに沢山になった!」
と言いながら、合計金額を計算したり、そのお金を使いたくて近くに買い物に行ったりするのですが、今年は貰っても中身を見る事はありませんでした。
中身を見ないどころか、貰ってすぐ、お年玉袋を近くの机に置き、ずっと、そのままでした。
そのお年玉袋は1年以上、開けられることはありませんでした。
とにかく、全てに興味を失い、無気力でした。
次の日にイルミネーションの綺麗な場所に連れて行きましたが、5分で帰りたがりました。
きっと、すぐに帰りたがるだろうと想定しており、2台で来ていました。
「先にお母さんと帰ろうか?」
と言うと、激しく抵抗しました。
それでいて、
「なにここ?楽しくない、意味あるの?」
と、私だけに聞こえる声で言い続ける。
下の子は、これがしたい、あれを食べたいとキラキラ光るライトの下で大はしゃぎで喜んでいるので、どちらに合わせればいいのか判断が出来ず、胃が痛くなり、
「あー、もう・・・私にどうしろって言うの!」
と、どこへ行っても苦しい気持ちになる。
何回同じシチュエーションになっても、何も悪くない下の子を我慢させる事、長男に振り回され、神経を使う苦しさに慣れる事はありませんでした。
その日は、珍しく主人が一緒に来ていて、イルミネーションの綺麗な広場で芸をする、大道芸人を見て、
「なんか、一生懸命何かをする姿っていいね、不登校前はそんな事あまり考えなかったけど、学歴なんて、どうでもいいよね、自分の好きな事をして、社会と関わり、一生懸命生きる、幸せに生きていてくれたら、それで十分だよね」
と、目に涙を溜め、しんみり話していました。
一緒に来ていた姉は、
「一緒にアイス食べれたね!」
「よかった!よかった!嬉しい!」
「少し、外出出来たね!」
「うん、うん」
と言って、目に涙を溜めていました。
8歳の子供がイベント会場に行き、アイスを食べる。
そんな当たり前の事に涙が込み上げてしまう程に、長男は周りから見ても、元気がなく、無気力だったのだと思います。
120 2021年のクリスマス
120 2021年のクリスマス
2021.12月末
この頃は睡眠時間が激しく乱れていました。
16時に起きて、次の日のお昼、12時まで起きている(20時間起きている)、そこから4時間寝て、夕方から友人と遊ぶ。
友人と遊ぶ時間だけが楽しみなので、何とか起きるけれど、睡眠不足で、友人の前で落ち着かない態度になったり、無表情になったり、帰宅後に無理難題を言い困らせたりがあり、友人が不愉快にならないか、不愉快になり、もう来てくれなくならないか、と私がひやひやする。そんな事がよくありました。
明日、友達が来るから早く寝ておこう、と計画立てて、何かをする事が少しも出来ませんでした。
今、どうしたいか、それだけ。
無理して長時間起きていて、情緒が不安定になった時の矛先は、私への無理難題か、下の子達への攻撃でした。
2021年のクリスマス。
我が家は各自欲しい物を紙に書き、壁に貼ってサンタさんが来るのを待ちます。
下の子達はワクワクしながら、
「何にしよう」
とはしゃぐ中、長男はなかなか、書くことができませんでした。
何度も、
「欲しい物ないの?」
と聞いても、興味を示しませんでした。
クリスマスが近づくと、
「欲しい物がある、書きたい」
と、用紙に向かい、鉛筆を持ち、いざ書こうとすると、字が書けない。
本当に書けないようでした。
リビングの床に紙を置き、正座をして用紙に向かう、鉛筆を持つ、深くため息をついて、鉛筆を紙に近づける、離す、溜息をつく、また書こうとする、そんな事を繰り返していました。
字が分からない、とかではなく、体が、字を書くことを拒否している、書こうとしても、手が動かない、そんな感じで、結局【大乱闘スマッシュブラザーズ】の【す】だけ書き、
「お母さん、あとは書いておいて」
と、うつむいたまま言い、すぐに、ゲームを始めました。
やる気がない、やりたくないではなく、本当に出来ない!そんな雰囲気でした。
12月24日クリスマスイブ
例年は子供達が深い眠りについてから、枕元にプレゼントを置いていました。
今年は、長男が昼夜逆転しており、遅い時は朝7時でも寝ていませんでした。
どのタイミングでプレゼントを置こうかな、と悩みました。
予想は的中し、朝6時、長男は起きて、動画をみていました。
「あー、どうしよう!プレゼントはまだ置けていない、下の子が起きちゃう!」
「昨晩、楽しみに寝ていたし、どうしよー」
結局、プレゼントは枕元には置けず、部屋のすぐ近くの廊下に置いて、下の子が起きたタイミングで、さり気なく室内に入れました。
長男は前日、16時に起きており、彼にとっては朝6時は寝る時間であるのに、プレゼントの【大乱闘スマッシュブラザーズ】を始めると、そのまま食事もせず、ノンストップで20時までやり続けました。
結局、寝たのは22時ごろです。ほぼ30時間、8歳の子が、ぶっ続けでゲームをしたことになります。
集中力凄いな・・・ と、思う気持ちもありましたが、母親としては、
この子、大丈夫かな・・・
本当に、大丈夫なのかな・・・
ゲームにのめり込みすぎていないか?
ゲーム障害なのかな?
と、クリスマスなのに、もやもやした気分でした。
その頃の長男は、本当に、もう生理現象として、脳が寝ないと無理です、となるまで起き続け、限界で眠る。そんな生活でした。
周りは、ああしたらどう?こうしたらどう?体に悪いって説明したら?等、色々提案してくれましたが、本当に無理なのです。
助言をされると、
「私が一番それを望んでいる!そんなもん、出来るならやってるわ!」
そんなふうに思ってしまう事もありました。
不登校で生活が乱れている子は、本当にコントロールができません。
周りが生活習慣を立て直そうとし、昼夜逆転を正そうなんて、出来るはずがないのです。
119 母親が元気になれば、回復する、と言う呪縛
119 母親が元気になれば、回復する、と言う呪縛
不登校克服の本、ネット、相談所、色々な場面で、専門家が説く、
「まずは、母親が元気になる」
「リラックスをして、笑顔でいる」
「そうしたら、自動的に子供が回復します」
そんな言葉を何度も何度も目にしました。
「おいしい物でも食べて」
「好きな事をして」
「母親がまず、元気にならなくちゃ」
私は今でも、その意見には賛同できません。
不登校児を抱えたお母さんが、どうしたら、笑顔になれるのか?
そもそもが、母親が笑顔になれない、何らかの理由があり、それを感じ取り、子供は不登校になっているのではないか?
そんなふうに思っています。
我が子の場合はそれが大きかったと思います。
私は、
「お母さん、楽しんで、おいしい物でも食べて、息抜きして、リフレッシュして」
等を言われ続けましたが、私が本当に不登校を受け入れるまでに1年以上かかり、その1年の間に、私自身がリラックスをするなんて事は、とても無理でした。
リラックスはしようと思って出来る事ではありません。
何をしていても、頭や心の奥の部分が苦しく、リラックスなど出来るような心境ではありませんでした。
心が満たされ、心配材料がない時にしかリラックスは出来ないと思います。
美味しいものを、食べたいという気持ちにもなりませんでした。
何をしていても、楽しくないのです。
問題の程度にもよると思いますが、我が子は行き渋り始めから荒れ狂い、泣きわめき、手が付けられない程の状態でした。落ち着いてからも、昼夜逆転、ゲーム漬け、食事もとらず、お風呂も入らない。昼夜逆転しているので、私の子育ては、まさに24時間でした。
そんな状況の中、自分に目を向け、よし、自分をリラックスさせようなんて、私には到底無理でした。
どう、精神を保つのか、どう自分を癒すのか、そんな疑問が浮かぶ暇もなく、嫌でもやって来る苦しい毎日を、何とかこなしている、そんな日々でした。
私は、行き渋りから1年程は、息子の事で精いっぱいで、自分をリラックスさせようなんて、考えもしませんでした。
1年ほど経ち、問題は解決していなくても少しずつ、少しずつ、起っている出来事が現実である事を、心から受け入れられるようになり、頭や気持ちが整理されていくと、
「毎日毎日、何なんだよ!やってられないな、美味しい物でも食べに行こ!」
と、思える事もありましたが、外出先でも、
「あ、そろそろ起きたかな?お腹空いてるかな?寂しがってるかな?」と気になり、得体の知れないものに急かされ、みぞおち辺りに常に不快感がありました。
急いで帰っても、大体の場合、息子は寝ていて、予想はしていても、言い現わしようのない、悲しく、苦しい気持ちになる。そんな日々でした。
母親が元気になれば、不登校は解決されるという専門家の助言は、ほとんどのお母さんにとって、的外れなのではないかと思います。
なぜなら、子供が不登校でいる間は、その事から完全に解放されて、楽しい気持ちになることなど、できるわけがないからです。
子供に、何か少しでも回復の兆しが見えたり、元気な表情が見えると、それに安心して、母親が希望を持ち、少し元気になる、その母親の姿、雰囲気を感じ取り、子供がまた少し元気になる、またその子供の姿を母親が喜び、母親が少しずつ元気になっていく、そんなふうに、子供と母親がお互いを少しずつ、少しずつ、無意識に励まし合い、元気にし合っていくのだと思います。
「まずはお母さんが元気になって下さい」「少し子育てから離れて、気持ちをリフレッシュして下さい」と言われても、当時の私には、到底そんな事はできませんでした。
元気になれ、と言われて、元気になれるものではないと思います。
時を経て、時間をかけて、少しずつ、不幸に鈍感になる。
自分を少しは癒そうと、自分自身の幸せに目を向けようと心がけ、表面上は笑える日もある。
それでも悩みは何も消えておらず、私は依然、出口のないトンネルの中で、光はどこにあるのか、と探し続けるのです。
元気にならなくちゃ、と努力すれば元気になる、というものではないと思います。
子供への対応を変え、状況が好転していく中で、母親自身が、少しずつ元気になれる時を待つしかないと、私は思っています。
118 夜中に両親がゲームに付き合う
118 夜中に両親がゲームに付き合う
ゲームばかりしている長男は、毎日皆が寝静まってからリビングでゲームをしていました。
下の子を寝かしに行く際に、必ず、
「お母さん、戻ってきてよ、絶対だよ」
と言い、私は毎日起きて、長男とゲームをしていました。
もともと、私はゲームが好きではなく、やり方も分からないので、あからさまに、
「えー、お母さん分からないし・・・」
と言い、快く遊んであげる事は出来ませんでした。
どれ程頑張ろうと思っても、無理でした。
それでも、何とか、ゲーム機のボタンを無駄に押しまくり、毎日毎日夜中まで長男とゲームをしました。
正直、私にとってはかなりの苦痛な時間でした。
主人は毎日22時過ぎ、子供が寝てから帰宅します。
長男は主人が帰って来るのを心待ちにしており、主人が帰ると、
「お父さん、ゲームやろ!」
と言って【大乱闘スマッシュブラザーズ】に誘っていました。
主人も、毎日、
「おーいいよ!」
と言い、付き合っていました。
主人は私よりも演技が上手く、仕事でくたくたなはずなのに、嫌そうな素振りは見せずに、30分から1時間ほど、ゲームに付き合う事が多かったです。
長男は、2時過ぎまでゲームをし、その後寝室に来て暗闇の中、動画を見て寝落ちする。
そんな毎日でした。
8歳の、成長段階の子供です。
私は心を満たす事を優先し、何も言いませんでしたが、今の生活習慣が息子の、体、脳、目、情緒にどんな影響を及ぼすのか、この先の人生にどう影響するのか、とても心配でした。
私が、一言、
「目が疲れないようにね」
と、優しく声を掛けるだけで、長男は、
「酷いね、本当に酷い事言うよね」
と私を責め、泣き出します。
親として、心配する事すら、許してはくれませんでした。
あー、この子には、本当に何も言えない。
この子は、一体どうなってしまうのだろう・・・
そんな事ばかり考えていました。
いつか、元気になる日がくるなんて、想像する事は出来ませんでした。