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2023年12月の記事一覧

132 伸び伸び育てるという事

132 伸び伸び育てるという事 
 
 

2022/1/18 
 
姉達が来てくれました。次男は変わらず激しく部屋中でジャンプしていましたが、長男も次男も、とても安定していて元気でした。

 

「長男くん、なんか、表情明るいね!嬉しいね」と言ってくれていました。

 

何よりも、私自身が、言い表せないような安心感、誰かに、久々に人間として話しかけてもらったような、そんな感覚がありました。 

 
  
2022/1/22 休日の朝 
 
長男は、前日、夜の8時に起きたため、一晩明けた、次の日の朝にもまだ眠れず、起きていました。休日の朝で主人もおり、家族全員が久々にリビングに揃いました。

 

長男と娘が久々に顔を合わせ、たわいのない会話をしていました。主人は、それを見て、子供達に背中を向けて、涙を流していました。

 

口には全然出さないけれど、今の状態を心配してくれているのだな、と思いました。 

 

 

その時期、久々に話した長男と同じクラスのママが、息子さんも11月から完全不登校になったと言っていました。長男のように、荒れたり、昼夜逆転したり、指示が通らない、等はないと言っていました。

 

本人から「もう、行かない、行きたくない」と申し出があり、最後は、登校時間になると、布団にもぐり、出て来なくなったそうです。

 

そのママは、子供が幼い頃、毎日子供を片道50分かかる、森の幼稚園に通わせ、自然を体感させ、小学校に上がる際の説明会では「なんか、嫌だな、型にはめられるな」と呟いていたことを、私は覚えていました。 
 
 
息子さんが不登校になったと聞いた時、私は、 
 
・森の幼稚園等で子供を伸び伸びさせたい!と思う母親は理想の子供像が有り伸び伸びさせているつもりで、逆に子供を型にはめこんでいるのではないか? 
 
・自然が好きで、元気に遊び回る子供。それを伸び伸びだと思い込んでいて、そんな、親の中に無意識にある理想像が、子供を苦しめてはいないのか? 
 
・近い幼稚園ならどこでもいい、と言っているような、深く考えないお母さんの方が子供は気楽なのではないのか? 

 

私も、森の幼稚園に興味があったため、何となくそう感じました。 

 

結局、母親の中の「これがいい!」というこだわりが強く、自分の中に理想の子供の形がある。子供はそこから外れるたびに、無意識に「認めてもらえない、お母さんの理想の子供になれない、愛してもらえない」と、望まれた子供像になれない自分を責めてしまうのかもしれません。 

 

自然の中で伸び伸びさせる事は、教育熱心とは逆の発想なので、伸び伸びさせている、自由にさせている、と、母親は信じ込んでおり、周りも、親自身も子供を苦しめている事に気が付かない、そんな落とし穴があるような気がしました。 

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131 遠くに買い物に行く

131 遠くに買い物に行く 
 
 

近くの買い物には全く着いてこなくなった長男が「遠くの買い物なら行きたい」と言うので、車で1時間程掛かる商業施設に行きました。

 

同じ学年くらいの小学生がいると怯え、自分の姿を隠そうとするので、 

 

「大丈夫、大丈夫、知り合いの絶対に来ない場所に来ているから」 

「堂々としていればいい、元気になるためにお休みしている、それだけだから」 

「悪い事なんて、何一つしていないんだよ」

 

と言い、励ましましたが、下を向いている事が多かったです。 

 

お誕生日を迎え、不登校が始まった8歳から9歳になりましたが、外界に怯え、自分のしたい事も出来ない息子を見ていると、今しかない息子の子供時代、この子が本来の姿であれば出来ていた、貴重な人生経験を奪っているのではないか?と、焦りのような、苦しみのような感情が生まれた事を覚えています。 
 
 
克服ママに相談すると、 

息子さんは半年間、全く人に会えなかった、親族にすら会えず、家族以外は拒否していた。

 

外に出ないので日に焼けず、顔は白いを通り越して青かった。

 

心が回復してくると、段々と人に会えるようになるので、息子のペースで、ゆっくり見守ってあげて、と言われました。 

 

今のあの子を見ていると、親友と幼馴染以外の人に会える日がくるなんて、想像も出来ない、と思いました。 

 

そんな日がくるのかな・・・ 
 

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130 幼い息子たちからの景色

130 幼い息子たちからの景色

 

 

私は、息子たちが、まだとても幼いころ、何度も何度も、酷い言葉や態度で、彼らから自信を奪い続けていたのだと思います。

 

娘を妊娠する前、3人目を妊娠することなど、絶対に嫌、なぜ、これ以上大変で、辛い思いを、自ら選んでするのか分からない、絶対に、嫌、と本気で思っていました。

 

3人産んでいるママと話をしていると、同じように、もう、産まない!と思っていたけれど、ある日、急にほしくなるよ、そう言われても、ないないないない、私は絶対にない、と思うほど、子育てはしんどいものでした。

 

少し子育てが落ちつきはじめ、辛い気持ちが薄まり、女の子がほしいね、となり、娘を授りました。

 

大変なら、手を抜けば良いのに、手を抜くことができませんでした。

 

本当に、できないのです。

 

手を抜く選択肢をもっていませんでした。

 

楽をしてはいけない。

 

手を抜く自分を許してはいけない。

 

子育ては大変で、辛い事なのだから。

 

そう、思っていました。

 

手を抜く自分を許せず、全力で向き合うことしかできない。その向き合い方が完全に間違っていて、子供を苦しめる、子供が苦しんでいる事に気付いておらず、子供から見えている景色を、見ようとしていませんでした。とにかく、大変、そんな気分で、子育てをしていた時期がありました。

 

もー、あんたなんて

いい加減にしなさい

意地悪だね

ほんとに、嫌い

可愛くない

と、悲しい言葉をかけてしまう。

 

話しかけられても、相手がこれ以上話しかけたくなくなるような態度で接する。

 

そんなことを、してしまう時がありました。

 

今振り返り、当時の息子たちの写真を見ると、こんな小さな子たちに、私は何をしていたんだと、客観的に見ることができますが、当時の私は、本当に、気持ちに余裕がありませんでした。

 

そして、2人の息子たちは、自信がなく、不安の強い子になっていったのだろうと、思っています。

 

今、娘と過ごしていて、娘に、「どうして、何でもお母さんに頼むの?」と聞くと、「お母さんが大好きだから、お世話してほしいの、お世話してもらうと、幸せなの」と言い、「どうして、いつも、お母さんの近くにいるの?」と聞くと、「何だか、幸せな気持ちになるから」と言います。

 

小さな頃の息子たちも、きっと、ただただ、私との、温かな時間を過ごすことで、幸せな気持ちになりたかっただけなのだろうな、私は、それを満たす事ができなかったのだろうな、満たされることのない乾いた感情は、時間と共に形を変え、困難な親子関係を生み出したのだろう、と思っています。

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129 疲れだす

129 疲れだす

 

冬休み明けから、私も長男も、元気がありませんでした。

 

年明け等の節目は、言い表しようのない気持ちになりました。 

 

別の不登校児を抱えるママと話しをすると、休み明けは、落ち込むママも多いみたい、と言っていました。 

 

同じ心境の人が多いのかな・・・ 

 

以前相談した克服ママが、「不登校中は【子供は生きていればいい】と思っていた」と話していた時、「凄いな、私は、子供の先の事が不安になってしまうな」と思いましたが、 異常な程に元気のない子供を、毎日、毎日、24時間見ていると、私の中の「どうしよう!この子はこの先、どうなってしまうのだろう」という気持ちも少しずつ変化し、克服ママの言っていた事が理解できるようになっていきました。 
 
 
主人に、学校の対応を話しても

「人に期待しても無駄」

「文句言っても意味がない」

と、私の目を見ずに言い、自分は何もしない、いつもの、丸投げだな、と感じました。

 

私自身は、だいぶ、今の状況に慣れてきていましたが、年が明け、学校の無反応と長男の様子と、主人の丸投げに精神的に疲れてきていました。 

 

長男の昼夜逆転の影響で、日に日に、下の子達の生活リズムが崩れる。 

 

長男との2人きりの時間をなるべく長く確保しようと、下の子を、叱って寝室に連れて行き、泣かせてしまう。

 

叱らなければ、永遠に寝室に来ず、ついつい、きつい口調になってしまう。 

 

次男が遅く寝れば、次の日に起きれず、朝起きるときに機嫌が悪く癇癪を起こす。

 

悪影響を与える長男にイライラし、あからさまに嫌味な態度で、

「次男は、明日、幼稚園があるのだから、いい加減、寝なさい!」と言ってしまう。 

 

私がイライラし感情をむき出しにしても、子供たちの負の感情が、私に跳ね返って来るだけで何も良い事がない。 

 

分かっていても、余計な事を言ってしまう罪悪感、変われない自分への自己嫌悪、こんなふうに接して子供はどう育つのかという不安感、24時間子育ての睡眠不足、精神的、肉体的な疲れ、全てに対するストレス、もう、私の中の全てがぐちゃぐちゃでした。 

 

解決してくれる相談所を探す気力さえ、無くなりつつありました。 
 
 
 ・・・

 
 
家族の心が元気ならそれでいい。 

 

ある日、下の子2人を連れて、公園へ行きました。次男が、

「お兄ちゃんがいなくて、つまらない」,

と言い、退屈そうにしていました。

 

家で、真っ暗な部屋の布団に入り、ゲームをしている長男の姿が目に浮かび、途中から涙が止まりませんでした。 

 
公園へ行く事ですら、我が家にとっては、とても幸せな、叶わない夢のようでした。 

 

心が元気で、幸せに生きていてくれたら、それでいい、本当にそれだけでいい、と思えるようになり始めていました。 
 
 

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128 相談することを諦めだす

128 相談することを諦めだす

 

 

2022年1月中旬 

 
 

冬休みが明けてから、1週間が経ちましたが、学校からは、何の連絡もありませんでした。

 

冬休みに入る前に、「個人のパソコンは学校保存でよいですか?」と連絡があり、その際にも長男の名前は一度も出ませんでした。 

 

長男の事を聞かれなかった、だからなんなんだ、という話なのですが、気にならないのだなと、何とも言えない気持ちがありました。 

 

どうにかしてほしい、助けてほしい、そんな気持ちではありません。 

 

知識のない私には、学校しか頼る場所がありませんでした。学校しか頼る場所のない私が、全く頼りにならない学校に対し、説明する言葉が見つからないような、絶望感のような、そんなことを感じていました。 
 
 
どこに相談に行っても、何も解決策がなく、ただただ、克服ママに言われた【過保護】を頑張っていました。

 

ネットで検索すると、長男の症状は小児鬱にとても症状が似ており、小児鬱は半数は再発し、発症年齢が低ければ、低いほど、大人になってからの再発も多いという文字を見ては、心が締め付けられ、息子の将来が不安になり、もう何も考えたくない、と思うのに、ずっとその事ばかり考えてしまう、そんな毎日でした。 
 
 
学校の、今の対応を見ていると、息子が回復しはじめたとしても、どのように手伝ってくれるのだろう?対応が頼りなさすぎる、そんなことばかり考えてしまいました。 

 

 

一体私はどうしたらいいのだろう・・・ 

 
 

以前、担任の先生に、長男が学校に戻る気になった際、少しでも学習に付いて行けるよう、本当に必須な学習部分だけを絞って、プリントを下さいと連絡しました。 

 

私が依頼してからは、ポストに、プリントが入っていますが、最低限どこをやれば良いのか、という指示は一切ありませんでした。メッセージの一つも、添えられていませんでした。 

 

担任の先生の仕事とは、こんなものなのだろうか? 

 

私が、期待し過ぎなのだろうか? 
 
 

・・・

 

どこに相談すればよいのか分からず、息子は相変わらず元気がなく、冬休み明けの学校の対応への不安やら不満やらで、何をどうしたら良いのか分かりませんでした。私自身が、先の見えない不安に押しつぶされそうでした。 

 

もう一度、市に相談したら、と助言をされましたが、相談をしても結局、市が学校に言うだけ、言う相手は教頭先生です。堂々巡りになるだけです。

 

それなら、別の相談所に行ってみたら、とも言われましたが、何度も何度も、行き渋り前の反抗から、今に至るまでの、話を長々とし、言われる事は、分かりません、大変ですね、早急に心療内科を受診してください。 

 

・・・ 

 

主人は一度も、相談所へは行かず、誰かに相談しよう、現状を良くしようと、調べているようには、私の目には映りませんでした。私の中で、自分だけが動いている感じがし、もう、くたくたで、これ以上誰かに、事細かに事情を話すパワーは残っていませんでした。

 

段々、無気力になり、本や、ネットで不登校を調べる事すら、もう疲れていました。

 

不登校専門の、知識が豊富で、信頼できそうな相談機関は安くて1時間7000円、高いと、10000を超えていました。不登校相談が1時間で終わるはずもなく、とても継続して相談できないな、という印象でした。

 

同じ境遇の人のコミュニティはどう? 

 

同じ立場の人の意見のが参考になりそうじゃない? 

 

とも言われましたが、本当に全てに疲れ、行動する気が、もう、起きませんでした。 
 

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