2023年12月の記事一覧
137 相談所で、助言が違う
137 相談場所で、助言が違う
次男の相談を幼稚園の先生にしていると、長男の事をよく知っている園長先生が、市の教育課に親身に相談に乗ってくれる方がいる、と言い、紹介してくれました。
私はすぐに、連絡をし、相談に行きました。
いつものように、長々と不登校の経緯を話し、今の私の心配は、
・デジタル漬けの影響での脳、目、メンタルに与えるダメージ
・太陽に当たらず、体を動かさない事への不健康さ
・睡眠が不規則で体を駆使している事への心配
・歯磨きをせず、お風呂に入らず不衛生である事の心配
等を相談しました。
とても親身に聞いてくれていた、その相談員さんは、
「今は脳が育つ大切な時期だから、どう、影響が出るのか、それが怖いね」
と言っていました。
なぜ、好き放題させるに至ったかを説明する際、克服ママの話をし、同じ方法で克服ママの息子さんが立ち直った話をすると、
「克服ママの息子さんは中学生、長男さんは8歳からなので、体も小さく、まさに、成長盛り、脳が急激に育つ時期に、ブルーライトを浴び続け、睡眠障害が出ている事はとても心配」
と言っていました。中学生の不登校児と同じ対応が良いのか判断しかねていました。
「それでも、やりようがないのだろうね、それは、話を聞いていて分かります」
「心も心配だけど、自律神経の乱れや体も心配ですよね」
と言って相談は終わりました。
やりようがない。
そう、やりようがないのです。
どうやったって、長男をコントロールする事は、不可能でした。
2022年2月4日
医療センターの予約日でした。脳への影響をとても心配していた私は、その事を相談すると、 担当医は、
「規制することで、親子関係が崩れる事の方が心配」
「家庭内で、コミュニケーショが円滑に取れている事は、凄く良い」
と言い、回復のきっかけとして、本人さえ望めば、入院も一つの手である、と薦められました。
少人数の中で、社会生活に慣れ、規則正しくなり、食事もしっかりと摂れますよ、と提案してくれましたが、長男が入院するとは思えず、入院で回復するタイプにも見えませんでした。
長男は、いつまで、画面に顔を近づけゲームをし、真っ暗闇の中でスマホを見続ける生活を続けるのだろう。
今、あの子、視力いくつあるのだろう?
もう、目悪いのだろうな。
目が悪いのは、眼鏡やコンタクトで何とかなるけれど、成長期のとても大事な時期に、脳への影響、メンタルの悪化は大丈夫なのだろうか・・・
それが気になって気になって仕方ありませんでした。
身体能力も伸びる年齢で、元々身体能力の高い長男が、それを生かす事もできなくなるのかな?と心配ばかりしていました。
136 外食先にて
136 外食先にて
2022年2月頭
バースデーカード事件以来、引きこもり、すっかり元気がなくなっていた長男が「お腹が空いた」というので、近くの中華料理屋さんに、娘と一緒に食べに行きました。
常は、外食を嫌がるのですが、その日は特には嫌とは言わず、出発時の様子もおかしくありませんでした。
12時前に行ったので、店内は空いていて、1人、2人、カウンターで作業服の方が食事をしているくらいでした。
注文をし、食べ始めると、長男はほとんど食べないうちに、
「お腹痛い」
「これ以上食べられない」
と言い、帰りたがりました。
私だけならば、すぐに帰るのですが、2歳の娘が、横で、ゆっくり食事をしていました。
「お母さん、これ、食べたい」など、話しながら、マイペースで食事をしています。
娘は全然騒いでおらず、私と会話をしているくらいでしたが、長男は急に、
「妹の声、うるさい」
「黙らせて」
「下品」
「嫌い」
「黙らせろよ」
「ウザい」
「早く、帰りたい」
「迷惑」
「もう、帰ろうよ」
と涙目になり、お座敷の席で、正座しながらジャンプする様に、「帰る、帰る」と言って聞きません。
私は娘に、
「おうちに持って帰って食べようか」
「お兄ちゃん、もう帰りたいから、いい?」
と聞くと、
「嫌だーーー、ここで食べたいーーー、まだお腹空いてるーーー」
と泣きだしました。
その声を聞き、長男は周りを見渡し、怯え、泣きながら、妹に、
「静かにしてよ!」
「わがまますぎる」
「自己中」
「うるさい」
と言い続けます。
あー、また始まった、長男と出かけると、かなり高い確率で発生する、このシチュエーション。両方の言う事を聞く事は物理的に無理、長男はパニック寸前で説得するなんて、出来るはずがない、2歳児も状況を察する事など出来るはずもなく、のんびり、ご飯を食べている・・・
困ったな・・・
結局、長男に「車の中で、少しだけ待っていて」とお願いし、娘に急いで食べさせました。
長男はやっぱり、全然回復していない。
外界が怖くて仕方ない。
人がいると怯え、すぐに帰りたくなる。
それを再確認した事に心が沈みました。
外食すらゆっくりさせてあげられず、食事をしているだけで、酷い言葉で責められている娘に対し、申し訳ない気持ちが生まれました。
帰宅すると、娘は外食先よりも全然騒いでいるのに、長男はその声には全く反応せず、ゲームに集中していました。
最近の長男は、柔らかな表情をする事はほとんどなく、いつも苦しそうな雰囲気でした。
無理に連れ出すのは止めよう。家にいた方が皆が平和だな。
メッセージカード以来、相変わらず友人に会う事が出来ず、弟とゲームをする事だけを楽しみにしているようでした。
弟まで、ゲーム漬けになり、悪影響な事は嫌でしたが、私に出来る事は、何もありませんでした。
行き渋りからすでに5か月が経過していました。
長男に回復の兆しはなく、次男の様子も明らかにおかしい。母親である私が、元気になる要素は、何一つありませんでした。
昔の、平和だった日々の事は、何も思い出せません。
いつか、我が家にも、普通の幸せは訪れるのだろうか?
135 担任の先生からのバースデーカード
135 担任の先生からのバーズデーカード
懇談会で、私が担任の先生に「学校側が気にかけてくれているとは、感じません」と伝えたからか、その後、たまに、メッセージが入っている事がありました。
長男の誕生日の日に、メッセージカードと手紙がポストに入っていました。
確か、メッセージカードには、当時長男が好きだった妖怪ウォッチの絵が描いてあり、お誕生日おめでとう、と手書きで書いてありました。手紙の内容は覚えていません。
私は、その当時、安定している長男に、学校の話題を出しても良いのか。渡すべきか、渡さないべきか、を相当悩み、メッセージカードのみ、長男の携帯電話に挟んでおきました。
その夜、長男は、もう起きているであろう時間になっても、一向に布団から出て来ず、やっとリビングに来たのは、夜の10時頃でした。
長男の様子は、誰から見ても分かる程おかしく、憔悴しきっている、というのか、目が据わっている、というのか、とにかく、負のオーラが出ていました。
その後、下の子達が寝静まり、私と2人になると、長男は、無理難題を言い始めました。
内容ははっきり覚えていませんが、とにかく訳の分からない事を言うのです。
行き渋りで荒れていた頃の様子に、とても似ていて、感情のコントロールが出来ないようで、
「あの女、死ね!」
「2度と貰ってくるな」
「あんなもの見たくねーんだよ!」
「見てないし」
「うざい!うざい!うざい!うざい!うざい!うざい!」
「死ね、死ね、死ね、死ね」
と言い、ソファーや壁を殴り、うぅーうぅーと歯を食いしばり、唸りながら泣き叫びました。
「あいつが嫌なんだ!」
「あいつが一番嫌なんだ!」
「あの女が嫌いなんだ!」
そんな事を叫び、手あたり次第そばにあるものを殴り続け、涙を流す。
あー、渡さなければ良かった、
あー、また失敗した。
あー、なんで私、渡しちゃったのだろう。
静まり返っている夜中に、永遠と続く、息子からの無理難題、荒れ狂い、泣き叫び続ける我が子の姿、 私も耐えきれず泣きだしてしまい、
「ごめんって!」
「もう、絶対に渡さないから!ごめんって言ってるじゃん!」
と、言ってしまう。
また、私は、寄り添いきれない。
反省するのに、反省しきれず、同じことを繰り返す。
最悪な気分でした。
自己嫌悪と、メッセージカードを渡してしまった事への後悔と、この子はどうなるのだろうという不安と、色々な感情が入り乱れ、もう、頭の中がぐちゃぐちゃでした。
その後、長男は唯一会えていた友人達にも会えなくなりました。
親友にも、幼馴染にも会えず、部屋からも出てこない
ご飯を食べない
歯も全く磨かない
お風呂は元旦から一度も入っていない
銭湯に行くのも嫌がるようになった
最近は、体も限界まで駆使しているのか、25時間起きている、次の日に永遠と寝て、その次の日はまた25時間起きている、そんな生活をしており、ゲームをしながら、ソファーで寝落ちする、そんな日が続いていました。
なんだかもう・・・
見ていられない・・・
学校の話題が出ていない時は、あんなに元気に、回復しているように見えたのに、今の長男の姿からは、回復する姿は、想像できませんでした。
主人にその事を掻い摘んで話して、返ってきた言葉は
「担任の先生可哀想」
「・・・」
もう・・・
何・・・?
もう!メッセージカードなんて、渡さなければよかった!!!!
134 懇談会
134 懇談会
2022年1月
先日懇談会があり、担任の先生とお話をしました。
20代後半か30代前半であろう、大人しい感じの女性です。
「長男さんどうですか?」そんな感じの会話でした。
もう、何度も何度も言い飽きているような現状を、ざっくり話しました。私は担任に、
「以前教頭先生に、必須の学習部分のプリントが欲しいと伝えてありますが、聞いていますか?」と聞くと、
担任の先生は、
「あ・・・必要部分だけですか?今手元にあるのは、全てのプリントで・・・」
と言い、困った様子でした。
教頭先生が、私からの依頼を、担任に明確に指示していないんだな、という印象です。
懇談会の際、私は思った事を伝えてみる事にしました。
「今、長男の状況を見ていて、学校側が何も出来ない事は、理解しています」
「親ですら、何をしたら良いのか、分かりません」
「理解した上で、冬休み日誌などに、メモが一切付いていない事や、電話連絡が来ても、長男の名前が一切出ない事には、違和感を感じました」
「あぁ、長男の事は、何も気にかけてもらえないのだな、学校に行かない生徒を、先生たちは気にかけてはくれないのだな、という印象をもっています」
「責めているのではなく、ただ、そう思いました。長男も同じように感じているのではないかな?と私は勝手に思っています」
と伝えると、
担任の先生は、
「私の中で、長男くんは、クレヨンしんちゃんみたいなイメージで、明るくて、楽しくて、何も気にしなくて、面白くて、周りに常に人がいる、そんなイメージでした」
と言いました。
そして、
「学校側からは、フリースクールの事は助言するな、と言われていますが、こんな学校もあるみたいです」
とフリースクールの名前を教えてくれました。
そこは、以前私が訪ねて行った事のあるフリースクールでした。
フリースクールの事は助言しないように、と言われている事には違和感を感じましたが、そこはあえて何も言わず、「ありがとうございました」と帰宅しました。
133 次男の行き渋り
133 次男の行き渋り
2022年1月末
その頃、次男の幼稚園から、頻繁に連絡がありました。
・次男君の様子がおかしいです
・全くお友達と関わりません
・笑いません
・喋りません
・遊びません
と言われました。
幼稚園への行き渋りも酷くなっていました。
私は、次男も不登校になるのだろうな、行けるはずがないよな、と思っていました。
次男が幼稚園に行きたくない、と言った時、
「行きたくないなら、お休みしようね」
と理解のある親のふりをして、休ませたから、癖になってしまったのかな?無理やりにでも行かせておくべきだったのかな?と自分のしてきた判断に、自信が持てませんでした。
次男はお休みする時にいつも、
「なんで、お兄ちゃんは行かなくてよくて、僕は行かなくちゃいけないの?」
「ずるい、嫌だ、行かない」
と言いました。
それを言われると、私も何も言えず、お休みさせるしかありませんでした。
あー、兄弟揃って難しい子達だな・・・
常に息子たちのことでキリキリ胃が痛く、みぞおちの不快感が消える事はありませんでした。
次男は後2か月もしたら、小学校です。
この子も不登校になるのだろうか?
私は今何をすべきなのだろうか?
色々考え、幼稚園から、小学校に申し送りをしてもらう事にしました。
私自身も入学前に、次男の今の家庭環境を学校に直接説明しに行く事にしました。
取りあえず、今思いつく、親として出来る事は、全てやっておこう、そう思っていましたが、知識もなく、何をしたらよいのかは、全く分かりませんでした。
何をしたら良いのか分からない、それがとても辛かったです。
132 伸び伸び育てるという事
132 伸び伸び育てるという事
2022/1/18
姉達が来てくれました。次男は変わらず激しく部屋中でジャンプしていましたが、長男も次男も、とても安定していて元気でした。
「長男くん、なんか、表情明るいね!嬉しいね」と言ってくれていました。
何よりも、私自身が、言い表せないような安心感、誰かに、久々に人間として話しかけてもらったような、そんな感覚がありました。
2022/1/22 休日の朝
長男は、前日、夜の8時に起きたため、一晩明けた、次の日の朝にもまだ眠れず、起きていました。休日の朝で主人もおり、家族全員が久々にリビングに揃いました。
長男と娘が久々に顔を合わせ、たわいのない会話をしていました。主人は、それを見て、子供達に背中を向けて、涙を流していました。
口には全然出さないけれど、今の状態を心配してくれているのだな、と思いました。
その時期、久々に話した長男と同じクラスのママが、息子さんも11月から完全不登校になったと言っていました。長男のように、荒れたり、昼夜逆転したり、指示が通らない、等はないと言っていました。
本人から「もう、行かない、行きたくない」と申し出があり、最後は、登校時間になると、布団にもぐり、出て来なくなったそうです。
そのママは、子供が幼い頃、毎日子供を片道50分かかる、森の幼稚園に通わせ、自然を体感させ、小学校に上がる際の説明会では「なんか、嫌だな、型にはめられるな」と呟いていたことを、私は覚えていました。
息子さんが不登校になったと聞いた時、私は、
・森の幼稚園等で子供を伸び伸びさせたい!と思う母親は理想の子供像が有り伸び伸びさせているつもりで、逆に子供を型にはめこんでいるのではないか?
・自然が好きで、元気に遊び回る子供。それを伸び伸びだと思い込んでいて、そんな、親の中に無意識にある理想像が、子供を苦しめてはいないのか?
・近い幼稚園ならどこでもいい、と言っているような、深く考えないお母さんの方が子供は気楽なのではないのか?
私も、森の幼稚園に興味があったため、何となくそう感じました。
結局、母親の中の「これがいい!」というこだわりが強く、自分の中に理想の子供の形がある。子供はそこから外れるたびに、無意識に「認めてもらえない、お母さんの理想の子供になれない、愛してもらえない」と、望まれた子供像になれない自分を責めてしまうのかもしれません。
自然の中で伸び伸びさせる事は、教育熱心とは逆の発想なので、伸び伸びさせている、自由にさせている、と、母親は信じ込んでおり、周りも、親自身も子供を苦しめている事に気が付かない、そんな落とし穴があるような気がしました。
131 遠くに買い物に行く
131 遠くに買い物に行く
近くの買い物には全く着いてこなくなった長男が「遠くの買い物なら行きたい」と言うので、車で1時間程掛かる商業施設に行きました。
同じ学年くらいの小学生がいると怯え、自分の姿を隠そうとするので、
「大丈夫、大丈夫、知り合いの絶対に来ない場所に来ているから」
「堂々としていればいい、元気になるためにお休みしている、それだけだから」
「悪い事なんて、何一つしていないんだよ」
と言い、励ましましたが、下を向いている事が多かったです。
お誕生日を迎え、不登校が始まった8歳から9歳になりましたが、外界に怯え、自分のしたい事も出来ない息子を見ていると、今しかない息子の子供時代、この子が本来の姿であれば出来ていた、貴重な人生経験を奪っているのではないか?と、焦りのような、苦しみのような感情が生まれた事を覚えています。
克服ママに相談すると、
息子さんは半年間、全く人に会えなかった、親族にすら会えず、家族以外は拒否していた。
外に出ないので日に焼けず、顔は白いを通り越して青かった。
心が回復してくると、段々と人に会えるようになるので、息子のペースで、ゆっくり見守ってあげて、と言われました。
今のあの子を見ていると、親友と幼馴染以外の人に会える日がくるなんて、想像も出来ない、と思いました。
そんな日がくるのかな・・・
130 幼い息子たちからの景色
130 幼い息子たちからの景色
私は、息子たちが、まだとても幼いころ、何度も何度も、酷い言葉や態度で、彼らから自信を奪い続けていたのだと思います。
娘を妊娠する前、3人目を妊娠することなど、絶対に嫌、なぜ、これ以上大変で、辛い思いを、自ら選んでするのか分からない、絶対に、嫌、と本気で思っていました。
3人産んでいるママと話をしていると、同じように、もう、産まない!と思っていたけれど、ある日、急にほしくなるよ、そう言われても、ないないないない、私は絶対にない、と思うほど、子育てはしんどいものでした。
少し子育てが落ちつきはじめ、辛い気持ちが薄まり、女の子がほしいね、となり、娘を授りました。
大変なら、手を抜けば良いのに、手を抜くことができませんでした。
本当に、できないのです。
手を抜く選択肢をもっていませんでした。
楽をしてはいけない。
手を抜く自分を許してはいけない。
子育ては大変で、辛い事なのだから。
そう、思っていました。
手を抜く自分を許せず、全力で向き合うことしかできない。その向き合い方が完全に間違っていて、子供を苦しめる、子供が苦しんでいる事に気付いておらず、子供から見えている景色を、見ようとしていませんでした。とにかく、大変、そんな気分で、子育てをしていた時期がありました。
もー、あんたなんて
いい加減にしなさい
意地悪だね
ほんとに、嫌い
可愛くない
と、悲しい言葉をかけてしまう。
話しかけられても、相手がこれ以上話しかけたくなくなるような態度で接する。
そんなことを、してしまう時がありました。
今振り返り、当時の息子たちの写真を見ると、こんな小さな子たちに、私は何をしていたんだと、客観的に見ることができますが、当時の私は、本当に、気持ちに余裕がありませんでした。
そして、2人の息子たちは、自信がなく、不安の強い子になっていったのだろうと、思っています。
今、娘と過ごしていて、娘に、「どうして、何でもお母さんに頼むの?」と聞くと、「お母さんが大好きだから、お世話してほしいの、お世話してもらうと、幸せなの」と言い、「どうして、いつも、お母さんの近くにいるの?」と聞くと、「何だか、幸せな気持ちになるから」と言います。
小さな頃の息子たちも、きっと、ただただ、私との、温かな時間を過ごすことで、幸せな気持ちになりたかっただけなのだろうな、私は、それを満たす事ができなかったのだろうな、満たされることのない乾いた感情は、時間と共に形を変え、困難な親子関係を生み出したのだろう、と思っています。
129 疲れだす
129 疲れだす
冬休み明けから、私も長男も、元気がありませんでした。
年明け等の節目は、言い表しようのない気持ちになりました。
別の不登校児を抱えるママと話しをすると、休み明けは、落ち込むママも多いみたい、と言っていました。
同じ心境の人が多いのかな・・・
以前相談した克服ママが、「不登校中は【子供は生きていればいい】と思っていた」と話していた時、「凄いな、私は、子供の先の事が不安になってしまうな」と思いましたが、 異常な程に元気のない子供を、毎日、毎日、24時間見ていると、私の中の「どうしよう!この子はこの先、どうなってしまうのだろう」という気持ちも少しずつ変化し、克服ママの言っていた事が理解できるようになっていきました。
主人に、学校の対応を話しても
「人に期待しても無駄」
「文句言っても意味がない」
と、私の目を見ずに言い、自分は何もしない、いつもの、丸投げだな、と感じました。
私自身は、だいぶ、今の状況に慣れてきていましたが、年が明け、学校の無反応と長男の様子と、主人の丸投げに精神的に疲れてきていました。
長男の昼夜逆転の影響で、日に日に、下の子達の生活リズムが崩れる。
長男との2人きりの時間をなるべく長く確保しようと、下の子を、叱って寝室に連れて行き、泣かせてしまう。
叱らなければ、永遠に寝室に来ず、ついつい、きつい口調になってしまう。
次男が遅く寝れば、次の日に起きれず、朝起きるときに機嫌が悪く癇癪を起こす。
悪影響を与える長男にイライラし、あからさまに嫌味な態度で、
「次男は、明日、幼稚園があるのだから、いい加減、寝なさい!」と言ってしまう。
私がイライラし感情をむき出しにしても、子供たちの負の感情が、私に跳ね返って来るだけで何も良い事がない。
分かっていても、余計な事を言ってしまう罪悪感、変われない自分への自己嫌悪、こんなふうに接して子供はどう育つのかという不安感、24時間子育ての睡眠不足、精神的、肉体的な疲れ、全てに対するストレス、もう、私の中の全てがぐちゃぐちゃでした。
解決してくれる相談所を探す気力さえ、無くなりつつありました。
・・・
家族の心が元気ならそれでいい。
ある日、下の子2人を連れて、公園へ行きました。次男が、
「お兄ちゃんがいなくて、つまらない」,
と言い、退屈そうにしていました。
家で、真っ暗な部屋の布団に入り、ゲームをしている長男の姿が目に浮かび、途中から涙が止まりませんでした。
公園へ行く事ですら、我が家にとっては、とても幸せな、叶わない夢のようでした。
心が元気で、幸せに生きていてくれたら、それでいい、本当にそれだけでいい、と思えるようになり始めていました。
128 相談することを諦めだす
128 相談することを諦めだす
2022年1月中旬
冬休みが明けてから、1週間が経ちましたが、学校からは、何の連絡もありませんでした。
冬休みに入る前に、「個人のパソコンは学校保存でよいですか?」と連絡があり、その際にも長男の名前は一度も出ませんでした。
長男の事を聞かれなかった、だからなんなんだ、という話なのですが、気にならないのだなと、何とも言えない気持ちがありました。
どうにかしてほしい、助けてほしい、そんな気持ちではありません。
知識のない私には、学校しか頼る場所がありませんでした。学校しか頼る場所のない私が、全く頼りにならない学校に対し、説明する言葉が見つからないような、絶望感のような、そんなことを感じていました。
どこに相談に行っても、何も解決策がなく、ただただ、克服ママに言われた【過保護】を頑張っていました。
ネットで検索すると、長男の症状は小児鬱にとても症状が似ており、小児鬱は半数は再発し、発症年齢が低ければ、低いほど、大人になってからの再発も多いという文字を見ては、心が締め付けられ、息子の将来が不安になり、もう何も考えたくない、と思うのに、ずっとその事ばかり考えてしまう、そんな毎日でした。
学校の、今の対応を見ていると、息子が回復しはじめたとしても、どのように手伝ってくれるのだろう?対応が頼りなさすぎる、そんなことばかり考えてしまいました。
一体私はどうしたらいいのだろう・・・
以前、担任の先生に、長男が学校に戻る気になった際、少しでも学習に付いて行けるよう、本当に必須な学習部分だけを絞って、プリントを下さいと連絡しました。
私が依頼してからは、ポストに、プリントが入っていますが、最低限どこをやれば良いのか、という指示は一切ありませんでした。メッセージの一つも、添えられていませんでした。
担任の先生の仕事とは、こんなものなのだろうか?
私が、期待し過ぎなのだろうか?
・・・
どこに相談すればよいのか分からず、息子は相変わらず元気がなく、冬休み明けの学校の対応への不安やら不満やらで、何をどうしたら良いのか分かりませんでした。私自身が、先の見えない不安に押しつぶされそうでした。
もう一度、市に相談したら、と助言をされましたが、相談をしても結局、市が学校に言うだけ、言う相手は教頭先生です。堂々巡りになるだけです。
それなら、別の相談所に行ってみたら、とも言われましたが、何度も何度も、行き渋り前の反抗から、今に至るまでの、話を長々とし、言われる事は、分かりません、大変ですね、早急に心療内科を受診してください。
・・・
主人は一度も、相談所へは行かず、誰かに相談しよう、現状を良くしようと、調べているようには、私の目には映りませんでした。私の中で、自分だけが動いている感じがし、もう、くたくたで、これ以上誰かに、事細かに事情を話すパワーは残っていませんでした。
段々、無気力になり、本や、ネットで不登校を調べる事すら、もう疲れていました。
不登校専門の、知識が豊富で、信頼できそうな相談機関は安くて1時間7000円、高いと、10000を超えていました。不登校相談が1時間で終わるはずもなく、とても継続して相談できないな、という印象でした。
同じ境遇の人のコミュニティはどう?
同じ立場の人の意見のが参考になりそうじゃない?
とも言われましたが、本当に全てに疲れ、行動する気が、もう、起きませんでした。