2023年12月の記事一覧
127 9歳のお誕生日
126 9歳のお誕生日
2021.1月末の休日
長男のお誕生日に近い週末に、お誕生日会を計画していました。
その前日、長男は20時に起きてきました。
「もうすぐお誕生日だね!明日、誕生日会をしようね」
と言うと、顔がこわばりました。
お誕生日、嫌なのかな・・・
次の日のお昼、誕生日ケーキを見せると、ケーキでも、私でもないどこか1点を無表情で見つめ、
「もうすぐ、4年生、僕は4年生もずっと休む」
「お誕生日、9歳になるけど、僕は、学校には行けていない」
と、機械のように単調に言いました。
学校に行けていない僕が、9歳になってもいいのか?という雰囲気でした。
誕生日が全然嬉しくない様子で、むしろ、苦しそうでした。
外食をすることを長男が嫌がるので、夕方にお寿司を買いに行きました。
前日20時から起きているので、もうすでに、長男は20時間起きていることになる、寝ちゃう前に買ってこなきゃ!と思い、主人に、
「急いで買ってくるからね、寝ちゃわないようにね!」
とお願いして出かけました。
帰って来ると、長男の姿がありませんでした。主人に、
「寝ちゃった?」
と聞くと、
主人は
「知らない」
と答えました。
寝室を覗くと、長男は布団に入り眠っていました。
前日、20時間起きていたから、明日の昼過ぎまでは起きないな・・・
娘もお昼寝をしていて、部屋がとても静かでした。
主役の長男はおらず、静まり返った部屋で、豪華な食事とケーキが食卓に乗っていました。
何とも言えない、虚しさがありました。
悲しいな・・・
本当に、何だか、悲しいな。
何に対して悲しかったのか、いまだに、よく分かりませんが、ただただ、悲しくて、虚しい気持ちになった事を覚えています。
息子の誕生日をお祝いできませんでした。
誕生日、嫌そうだったな。
なんで、こんな事になっちゃったんだろう。
どうしたら、何をしたら、あの子は元気になるのだろう?
そんな感じです。
126 冷えたからだ
126 冷えたからだ
2021.1.15
この日も、友人が来てくれました。
全然お風呂に入らず、着替えない長男が、自ら着替え、
「お母さん、これでいいかな?」と聞きました。
私は、自ら【着替えよう】と思えた気持ちが、ただただ嬉しかったです。
長男は、ママとも話し、楽しくゲームをし、帰りには友人とママを玄関まで送っていきました。
お風呂に入らない長男の足先は、いつも冷えていたので、足湯器を購入し温めました。
長男の足を触ると、氷のように冷たく、しもやけで、紫色になっていました。
私は、
「足冷たいねー」
「しもやけ、痛くない?」
「明日、銭湯行こっか」
と聞きましたが、
長男は、
「・・・」
無言でした。
私は、
「やめておこうかね」
と言い、行きたくないんだな、と察し、それ以上聞きませんでした。
・・・
寝室に行く前に、長男が私に、
「お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、僕のこと、すき?僕はお母さんのことが大好きなんだよ、お母さんは僕が好き?」
と聞きました。
私は、
「勿論、だいすきだよ!大事な息子だよ!」
と言うと、
長男が、
「ありがとう、ありがとう」
と言いました。
私は、
「えー、何がー?」
と聞くと、
「色々、いつも、ありがとう、本当に、ありがとう」
と言いました。
小さいながらに、色々考えているのだろうな・・・
少しずつ、元気になれますように!
125 返事をしない意味
125 返事をしない意味
冬休みが明ける前日、息子はまた、30時間休憩なしでゲームをしました。
あまりにも食べない長男を心配し、当時、私は日記に走り書きで、長男が1日に食べたものを書いていましたが、ほぼ毎日、1食しか食べていませんでした。
冬休みが終わるその日、私は、長男に、
「冬休み、終わるね」
と声をかけました。
長男は聞こえていないかのように、無反応でした。学校が始まったその日は、20時間ずっと寝ていました。
長男は、私にも生活がある、という事を理解していないのか、理解していても、そこまで気が回らないのか、夜中の3時頃に私の肩を何度も叩いて、
「お母さん、暇だから、一緒にゲームしよ」
と起こされることがありました。
私は起きては行くけれど、結局ソファで寝落ちしてしまう。それでも長男は、
「横に人がいるだけで、寂しくないからいい」
と言い、何度も夜中に私を起しました。
この時期はとにかく食べず、どんどん痩せていきました。
2021.1.11
幼馴染の友人が来て、夕方2時間ほど遊んでいました。
小さい頃から親同士も仲が良く、この日は長男が、友人のママが家に上がっても大丈夫そうだったので、同じ空間に子供達、ママ達がいました。
長男のことを心配してくれているママは、よく、お出かけの際に声をかけてくれていました。私は長男の状況を見て、「まだ、無理なんだよー」と断っていました。
その日は、「今度、映画に行こうよ」と誘ってくれました。
その場に長男も、友人も、親もいました。
長男に、
「映画行きたい?」
と聞くと、無反応でした。
しばらくして、また私は長男に、
「どうする?映画誘ってくれてるけど行きたい?」
と聞きました。
また無反応です。当時、私は、長男が無反応の時は「NO!」と言っていることに、気が付いていませんでした。「返事しない!」「聞いてない!」そんなふうに捉えていました。
友人たちが帰ると、長男は私に、
「お母さんは、分かっていない!」
「お母さんは、僕に意地悪をした!」
「僕をいじめた!」
「僕のことは、ほっといてよ!」
と怒っていました。
あ、映画のことだな、と思い、
「ごめんね、行きたくなかったよね、断ったよ、安心してね」
と私が言うと、
長男は、
「ありがとう」
と言いました。
本人がいる前で断るのは失礼だから断れない、でも行けない、それなのに、何度も私が友人がいる前で聞くので、嫌だったそうです。
この日の学びは、長男が返事をしなかったら「NO」。
優しい長男は、断られた側の気持ちを考え、断ることは悪いことだと捉えているようでした。
「NO」と言わない代わりに、無言。それで察してよ。そんな感じなのだと思います。
124 冬休み前後の学校の対応
124 冬休み前後の学校の対応
担任も、スクールカウンセラーも、教頭先生も、何も役にも立たないと気が付いた私は、何かヒントがないかと市役所の子育て相談をしている部署に相談に行きました。
初めは、若い女性が対応していましたが、内容を聞き、途中から、
「私ではよく分からないので、以前、校長先生をしていて、とても親身になってくれる方がいる」
と、60代前後の落ち着いた、優しそうな男性に交代しました。
その男性に、今、我が家は、
・過保護にし、全て本人の望む様にしている
・親は一切コントロールを止めている
・昼夜逆転、ゲーム依存も一切注意はしていない
という話をしました。
その方は、「ご両親は、腹を括って対応しているのですね」と言い「学校からの力添えはありますか?」と聞きました。
私は、正直に、
・プリント類も一切持ってこない
・電話もかかってこない
・かかってきても、業務連絡のみで、息子の名前は一切出ず、状況も聞いてこない
・教頭先生には「出来る事はありません」と言われている
という話を、クレームとしてではなく、ただただ、事実として話しました。
学校側の対応に対しては、初めから期待しておらず、諦めきっていたので、状況を話す事で、学校側の対応をどうにか変えてくれ!という考えは一切ありませんでした。
その方は、話を穏やかに聞いてくれましたが、具体的な指導はなく「今の対応を続けて行きましょう」くらいの事しか言いませんでした。
それでも、相談後、教頭先生に、連絡をしたようでした。
教頭先生から私に電話がきました。教頭先生は、
「申し訳ございませんでした、何かの手違いで、誤解を生んでしまったようで、今後はプリント類も渡し、出来る限りケアしていきますので」
そんな事を、電話越しに、一方的に話続けられた記憶があります。
不快感しかありませんでした。
誤解?手違い?ってなんのことだろう?
市の、偉い人から、今の学校側の対応は良くないと、何か指導を受けたのだと思います。
なんなんだ、この人は、どこまで保身なのだろう?
私は、クレームを言っていません。ただただ、起っている事実を、市の、きっと偉いであろう職員に伝えただけでした。
電話越しの教頭先生の話し方は、明らかに、低姿勢になっており、それが、私を苛立たせました。
そんなに、怒られたくないの?
そこだけなんだろうな。
彼女の頭の中に、長男を救いたいという気持ちは1ミリでもあるのだろうか?
「出来る事は何でもします」 「私に、何でも言って下さい」「今は何が出来ますか?」「何にお困りですか」と聞かれました。
私が、もし、また市に相談すれば、「学校側としては、何でも言って下さい」とお母さんに伝えてあります、「助ける気はあります」と保険をかけているのだろう、と私は捉えました。
教頭先生に、初めて相談してから2か月以上過ぎていました。
とても苦しかった時期に、相談に行っても、時計ばかりを見て、他人事のように、「出来る事はない」と言い切っていたのに、なんなんだよ。
今更、「どうしましょうか、何でも協力しますので」という言葉を、よく平気で言えるな。
そんな感情しか生まれませんでした。
そんな自分だけを守っている人に、今の状況を救えるわけはない、この人が良い道しるべを示してくれるはずかない、私はそう思いながらも、ただ、「ありがとうございます、助かります」とだけ言い、電話を切りました。
なんなんだよ。
いっそ、無関心で通してくれた方が不快にならずに済んだはずです。
担任は、相変わらずでした。以前のまま、特に何もせず、 冬休みに入る前にも、冬休みが明ける時にも、電話は来ませんでした。
冬休みが近づき、ポストに入っていた冬休み日誌には、メッセージすらありませんでした。
ただ、冬休み日誌だけが、「ぽん」とポストに入っていました。
息子は今、あの学校には存在していないのだな。
誰も、気に留めていないのだな。
もう、親しかいない。
私には、知識がないけれど、教師にも知識がない。教師は、知識がないに上に愛もない。
最悪な気分でした。
123
123
克服ママのアドバイスを聞き、過保護にすることを実践していましたが、いつも頭の片隅でこんなことを思っていました。
・この子は、回復したとしても、自由にしか過ごせないのではないか
・自分のしたい事しかしないのではないか
・親のお願いなど、何も聞かなくなるのではないか
・自分勝手に過ごす生活に慣れ、普通の生活に戻れなくなるのではないか
・ゲームと上手に付き合える日が来るのだろうか
お正月、実家にいる間も昼夜逆転の長男は、夜中になると、
「お腹が空いた」
と、私を起しました。
実家のリビングで夜中に料理をするのは迷惑をかけてしまうため、長男と2人で夜中の2時過ぎにマクドナルドへ行き、ドライブしながら食べ終える、そんなことをしていました。
外は静まりかえっており、車に乗る瞬間の、車内の空気がとても冷たく、がらがらに空いている道を、小さな息子とドライブするのは、とても不思議な気持ちでした。
何をするにも、どこへ行くにも、私は頭の中で、これから起こりそうなハプニングを想像していました。
ハプニングが起きてから考えればいいや!という思考にはなかなかなれず、いつも神経を使い、とても疲れていました。
長男の気性は乱高下で、夜中にマクドナルドに連れて行けば「ありがとう!ありがとう!」と、必要以上に大喜びし、私が連れて行くのを、面倒な素振りをすると、不機嫌になり「もーいー、はいはいはいはい、もう食べたくない」と布団に潜り、一切話を聞かなくなる。
常に長男の言いなりになっていれば、機嫌がよく、少しでも否定的な態度をとると、関係が悪化する、そんな感じでした。
「あー、今日この子は何時に寝て、明日は何時に起きるのかな?初詣に行きたいけど、一緒には行けないな、下の子だけ連れて行こうかな、帰宅前に長男が起きてしまうと、声をかけなかった事で、機嫌が悪くなるのかな」
・・・
結局次の日は初詣には行かず、姉達と焼き肉に行きました。
店員さんがよく通る席は、長男が落ち着かず、人が通らない席がいいと、奥の席に座りました。
食事中に、何度も何度もトイレに行き、長時間トイレにこもり帰って来ず、食べ終わると、すぐに家に帰りたがりました。
人と接する事に、とても怯えているように見えました。
食べ放題のお店で、「残すと追加料金です」と言われ、ほんの少し、小指の第一関節位の焦げたお肉が鉄板に残っているだけで、過剰に心配し、「ダメだよ、ダメだよ、残してるよ」と言い泣きそうになる。
「これ位大丈夫だって、心配しなくて大丈夫だよ」
と私が言えば、お母さんは、なんて酷い人間なんだと猛攻撃。
あー、この子に禁止事項はダメだな。くそ真面目なのか、融通が利かないのか、子供なんてこんなもの、という範囲なのか、私にはよく分かりませんでした。
全ての事を、こんなふうに、真面目に捉え、約束事を守ろうとしていたら、そりゃ、疲れ果ててしまうよね。
一体誰に似たのだろうか。
家でずっと引きこもっているのは心配だけれど、外出しても、出先でとても長男に神経を使う。下の子達まで閉じ込めておくわけにはいかない。でも、長男は行きたくないと言い、おいて行かれるのも嫌。
あぁ・・・子供たち全員の要望を叶えるなんて無理。
私は優先順位を付ける事が苦手で、全て、やらなければ、と思う性格なため、余計に苦しく、どうしよう、どうやって全ての要望を叶えよう、とあたふたする事が多かったです。
122 2022年のお正月 次男
122 2022年のお正月 次男
当時、次男は多動性がとても激しくなっていました。
・ずっと頭を振って走り回り、人にぶつかる
・一秒も止まることなく体を大きく動かし続ける
・家の中でも壁から壁へぶつかり続ける
・笑わず、表情が乏しい
とにかく動くのです。
家中の物に当たり、物が倒れたり、壊れたりしていました。
絶対に普通ではない、発達障害と呼ばれるような動きが沢山出ていました。
主人と私は、
「もう!止まってよ!」
と、叱ってしまう事が何度もありました。
次男は爪を全て噛み、10円禿ができ、祖父母とのコミュニケーションもあまりとれませんでした。
実家の近くに住んでいる、姉には懐いていて、一緒にパン屋さんへ行ったり、楽しそうに過ごす事もありましたが、基本的には部屋の隅にいて、自信なさそうに周りを見ている子でした。
私に異常に執着しており、私の作った物しか食べない、人が次男の食事のお皿に触ると癇癪を起こし、もう食べない、私が空間に居なければ、不安で探し回る、返事をするまで叫び続ける、そんな状況でした。
長男にも次男にもとても手が掛かり、神経を使う、更に、2歳の娘は普通にまだ手がかかる。
あー、疲れたな。
どうして我が子たちは、こんなに手がかかるのだろうか?
そして、どれ程周りに、頑張っている、普通は精神持たないよ、と言われても、私の中に刻み込まれている、いつもの考えに辿り着く、
「あー、私は頑張れない、子育てなんて向いてない、辛すぎる、上手に子供を育てられない、やっぱり、私は良いお母さんではないし、良いお母さんになんてなれない、もう、嫌だ!」
それでも、逃げることはできない。やるしかない。私の居場所はここにしかない。
いつか、こんな日があったね、と思える日がくるのだろうか・・・
121 2022年のお正月 長男
121 2022年のお正月 長男
年末年始は私の実家へ行きました。
実家に行く事はできても、長男は、皆のいるリビングではなく、2階の部屋で、ずっとゲームをしていました。
下の子は親族と出かけるのを楽しみにしていました。
長男は、きっと本心は出かけたくないのに、無理をして、
「僕も行きたい」
「何で!行っちゃダメなの?」
と言い、連れて行った先で、様子がおかしくなり、帰宅せざるを得なくなる、もしくは、周りが物凄く気を遣う状態になる。
そんな事の連続で、子供の全ての事に目が行き届いてしまう私は、いつも心が疲れていました。
幸い私の親族は、長男の全てを温かく受け入れており、出来る限り長男の希望に合わせようと、心底温かく、臨機応変に対応してくれていました。
おいて行けば、僕だけおいていかれた、といじける。
連れて行けば帰りたいとわがままをいう。
必ず、私にだけ聞こえるように、ずっと文句を言うので、
「いっそ、待っていてよ、出先で周りを困らせないでよ」
と、毎回思っていました。
我慢ができず、正直に気持ちを長男に伝えてしまうと、その後、最悪な事態が待っています。しばらく、落ち込み、体が動かなくなる、部屋から出ない、食事をしない、私の言った意見に対して100倍返しで攻撃してくる。そんな事ばかりが、繰り返されていました。
2021.12月31日
年越しに実家から歩いてすぐの神社へいきました。
小さな神社で、近所の人が神社の真ん中に焚かれた火で温まっていました。
長男は、その火に当たりながら、
「温かいね、綺麗だね、あ、僕少しブランコしたい」
と言い、敷地内になるブランコをこいでいました。
実家に来ている時は、知り合いに会うかもしれないという恐怖から開放されるのか、明らかに表情は明るかったのですが、それでも、昼夜逆転し、一日中寝っ転がりゲームをする生活習慣は変わりません。
2022.1月1日
祖父母が、子供達にお年玉をくれました。
毎年長男はお年玉をもらうと、
「誰からいくらもらった!」
「こんなに沢山になった!」
と言いながら、合計金額を計算したり、そのお金を使いたくて近くに買い物に行ったりするのですが、今年は貰っても中身を見る事はありませんでした。
中身を見ないどころか、貰ってすぐ、お年玉袋を近くの机に置き、ずっと、そのままでした。
そのお年玉袋は1年以上、開けられることはありませんでした。
とにかく、全てに興味を失い、無気力でした。
次の日にイルミネーションの綺麗な場所に連れて行きましたが、5分で帰りたがりました。
きっと、すぐに帰りたがるだろうと想定しており、2台で来ていました。
「先にお母さんと帰ろうか?」
と言うと、激しく抵抗しました。
それでいて、
「なにここ?楽しくない、意味あるの?」
と、私だけに聞こえる声で言い続ける。
下の子は、これがしたい、あれを食べたいとキラキラ光るライトの下で大はしゃぎで喜んでいるので、どちらに合わせればいいのか判断が出来ず、胃が痛くなり、
「あー、もう・・・私にどうしろって言うの!」
と、どこへ行っても苦しい気持ちになる。
何回同じシチュエーションになっても、何も悪くない下の子を我慢させる事、長男に振り回され、神経を使う苦しさに慣れる事はありませんでした。
その日は、珍しく主人が一緒に来ていて、イルミネーションの綺麗な広場で芸をする、大道芸人を見て、
「なんか、一生懸命何かをする姿っていいね、不登校前はそんな事あまり考えなかったけど、学歴なんて、どうでもいいよね、自分の好きな事をして、社会と関わり、一生懸命生きる、幸せに生きていてくれたら、それで十分だよね」
と、目に涙を溜め、しんみり話していました。
一緒に来ていた姉は、
「一緒にアイス食べれたね!」
「よかった!よかった!嬉しい!」
「少し、外出出来たね!」
「うん、うん」
と言って、目に涙を溜めていました。
8歳の子供がイベント会場に行き、アイスを食べる。
そんな当たり前の事に涙が込み上げてしまう程に、長男は周りから見ても、元気がなく、無気力だったのだと思います。
120 2021年のクリスマス
120 2021年のクリスマス
2021.12月末
この頃は睡眠時間が激しく乱れていました。
16時に起きて、次の日のお昼、12時まで起きている(20時間起きている)、そこから4時間寝て、夕方から友人と遊ぶ。
友人と遊ぶ時間だけが楽しみなので、何とか起きるけれど、睡眠不足で、友人の前で落ち着かない態度になったり、無表情になったり、帰宅後に無理難題を言い困らせたりがあり、友人が不愉快にならないか、不愉快になり、もう来てくれなくならないか、と私がひやひやする。そんな事がよくありました。
明日、友達が来るから早く寝ておこう、と計画立てて、何かをする事が少しも出来ませんでした。
今、どうしたいか、それだけ。
無理して長時間起きていて、情緒が不安定になった時の矛先は、私への無理難題か、下の子達への攻撃でした。
2021年のクリスマス。
我が家は各自欲しい物を紙に書き、壁に貼ってサンタさんが来るのを待ちます。
下の子達はワクワクしながら、
「何にしよう」
とはしゃぐ中、長男はなかなか、書くことができませんでした。
何度も、
「欲しい物ないの?」
と聞いても、興味を示しませんでした。
クリスマスが近づくと、
「欲しい物がある、書きたい」
と、用紙に向かい、鉛筆を持ち、いざ書こうとすると、字が書けない。
本当に書けないようでした。
リビングの床に紙を置き、正座をして用紙に向かう、鉛筆を持つ、深くため息をついて、鉛筆を紙に近づける、離す、溜息をつく、また書こうとする、そんな事を繰り返していました。
字が分からない、とかではなく、体が、字を書くことを拒否している、書こうとしても、手が動かない、そんな感じで、結局【大乱闘スマッシュブラザーズ】の【す】だけ書き、
「お母さん、あとは書いておいて」
と、うつむいたまま言い、すぐに、ゲームを始めました。
やる気がない、やりたくないではなく、本当に出来ない!そんな雰囲気でした。
12月24日クリスマスイブ
例年は子供達が深い眠りについてから、枕元にプレゼントを置いていました。
今年は、長男が昼夜逆転しており、遅い時は朝7時でも寝ていませんでした。
どのタイミングでプレゼントを置こうかな、と悩みました。
予想は的中し、朝6時、長男は起きて、動画をみていました。
「あー、どうしよう!プレゼントはまだ置けていない、下の子が起きちゃう!」
「昨晩、楽しみに寝ていたし、どうしよー」
結局、プレゼントは枕元には置けず、部屋のすぐ近くの廊下に置いて、下の子が起きたタイミングで、さり気なく室内に入れました。
長男は前日、16時に起きており、彼にとっては朝6時は寝る時間であるのに、プレゼントの【大乱闘スマッシュブラザーズ】を始めると、そのまま食事もせず、ノンストップで20時までやり続けました。
結局、寝たのは22時ごろです。ほぼ30時間、8歳の子が、ぶっ続けでゲームをしたことになります。
集中力凄いな・・・ と、思う気持ちもありましたが、母親としては、
この子、大丈夫かな・・・
本当に、大丈夫なのかな・・・
ゲームにのめり込みすぎていないか?
ゲーム障害なのかな?
と、クリスマスなのに、もやもやした気分でした。
その頃の長男は、本当に、もう生理現象として、脳が寝ないと無理です、となるまで起き続け、限界で眠る。そんな生活でした。
周りは、ああしたらどう?こうしたらどう?体に悪いって説明したら?等、色々提案してくれましたが、本当に無理なのです。
助言をされると、
「私が一番それを望んでいる!そんなもん、出来るならやってるわ!」
そんなふうに思ってしまう事もありました。
不登校で生活が乱れている子は、本当にコントロールができません。
周りが生活習慣を立て直そうとし、昼夜逆転を正そうなんて、出来るはずがないのです。
119 母親が元気になれば、回復する、と言う呪縛
119 母親が元気になれば、回復する、と言う呪縛
不登校克服の本、ネット、相談所、色々な場面で、専門家が説く、
「まずは、母親が元気になる」
「リラックスをして、笑顔でいる」
「そうしたら、自動的に子供が回復します」
そんな言葉を何度も何度も目にしました。
「おいしい物でも食べて」
「好きな事をして」
「母親がまず、元気にならなくちゃ」
私は今でも、その意見には賛同できません。
不登校児を抱えたお母さんが、どうしたら、笑顔になれるのか?
そもそもが、母親が笑顔になれない、何らかの理由があり、それを感じ取り、子供は不登校になっているのではないか?
そんなふうに思っています。
我が子の場合はそれが大きかったと思います。
私は、
「お母さん、楽しんで、おいしい物でも食べて、息抜きして、リフレッシュして」
等を言われ続けましたが、私が本当に不登校を受け入れるまでに1年以上かかり、その1年の間に、私自身がリラックスをするなんて事は、とても無理でした。
リラックスはしようと思って出来る事ではありません。
何をしていても、頭や心の奥の部分が苦しく、リラックスなど出来るような心境ではありませんでした。
心が満たされ、心配材料がない時にしかリラックスは出来ないと思います。
美味しいものを、食べたいという気持ちにもなりませんでした。
何をしていても、楽しくないのです。
問題の程度にもよると思いますが、我が子は行き渋り始めから荒れ狂い、泣きわめき、手が付けられない程の状態でした。落ち着いてからも、昼夜逆転、ゲーム漬け、食事もとらず、お風呂も入らない。昼夜逆転しているので、私の子育ては、まさに24時間でした。
そんな状況の中、自分に目を向け、よし、自分をリラックスさせようなんて、私には到底無理でした。
どう、精神を保つのか、どう自分を癒すのか、そんな疑問が浮かぶ暇もなく、嫌でもやって来る苦しい毎日を、何とかこなしている、そんな日々でした。
私は、行き渋りから1年程は、息子の事で精いっぱいで、自分をリラックスさせようなんて、考えもしませんでした。
1年ほど経ち、問題は解決していなくても少しずつ、少しずつ、起っている出来事が現実である事を、心から受け入れられるようになり、頭や気持ちが整理されていくと、
「毎日毎日、何なんだよ!やってられないな、美味しい物でも食べに行こ!」
と、思える事もありましたが、外出先でも、
「あ、そろそろ起きたかな?お腹空いてるかな?寂しがってるかな?」と気になり、得体の知れないものに急かされ、みぞおち辺りに常に不快感がありました。
急いで帰っても、大体の場合、息子は寝ていて、予想はしていても、言い現わしようのない、悲しく、苦しい気持ちになる。そんな日々でした。
母親が元気になれば、不登校は解決されるという専門家の助言は、ほとんどのお母さんにとって、的外れなのではないかと思います。
なぜなら、子供が不登校でいる間は、その事から完全に解放されて、楽しい気持ちになることなど、できるわけがないからです。
子供に、何か少しでも回復の兆しが見えたり、元気な表情が見えると、それに安心して、母親が希望を持ち、少し元気になる、その母親の姿、雰囲気を感じ取り、子供がまた少し元気になる、またその子供の姿を母親が喜び、母親が少しずつ元気になっていく、そんなふうに、子供と母親がお互いを少しずつ、少しずつ、無意識に励まし合い、元気にし合っていくのだと思います。
「まずはお母さんが元気になって下さい」「少し子育てから離れて、気持ちをリフレッシュして下さい」と言われても、当時の私には、到底そんな事はできませんでした。
元気になれ、と言われて、元気になれるものではないと思います。
時を経て、時間をかけて、少しずつ、不幸に鈍感になる。
自分を少しは癒そうと、自分自身の幸せに目を向けようと心がけ、表面上は笑える日もある。
それでも悩みは何も消えておらず、私は依然、出口のないトンネルの中で、光はどこにあるのか、と探し続けるのです。
元気にならなくちゃ、と努力すれば元気になる、というものではないと思います。
子供への対応を変え、状況が好転していく中で、母親自身が、少しずつ元気になれる時を待つしかないと、私は思っています。
118 夜中に両親がゲームに付き合う
118 夜中に両親がゲームに付き合う
ゲームばかりしている長男は、毎日皆が寝静まってからリビングでゲームをしていました。
下の子を寝かしに行く際に、必ず、
「お母さん、戻ってきてよ、絶対だよ」
と言い、私は毎日起きて、長男とゲームをしていました。
もともと、私はゲームが好きではなく、やり方も分からないので、あからさまに、
「えー、お母さん分からないし・・・」
と言い、快く遊んであげる事は出来ませんでした。
どれ程頑張ろうと思っても、無理でした。
それでも、何とか、ゲーム機のボタンを無駄に押しまくり、毎日毎日夜中まで長男とゲームをしました。
正直、私にとってはかなりの苦痛な時間でした。
主人は毎日22時過ぎ、子供が寝てから帰宅します。
長男は主人が帰って来るのを心待ちにしており、主人が帰ると、
「お父さん、ゲームやろ!」
と言って【大乱闘スマッシュブラザーズ】に誘っていました。
主人も、毎日、
「おーいいよ!」
と言い、付き合っていました。
主人は私よりも演技が上手く、仕事でくたくたなはずなのに、嫌そうな素振りは見せずに、30分から1時間ほど、ゲームに付き合う事が多かったです。
長男は、2時過ぎまでゲームをし、その後寝室に来て暗闇の中、動画を見て寝落ちする。
そんな毎日でした。
8歳の、成長段階の子供です。
私は心を満たす事を優先し、何も言いませんでしたが、今の生活習慣が息子の、体、脳、目、情緒にどんな影響を及ぼすのか、この先の人生にどう影響するのか、とても心配でした。
私が、一言、
「目が疲れないようにね」
と、優しく声を掛けるだけで、長男は、
「酷いね、本当に酷い事言うよね」
と私を責め、泣き出します。
親として、心配する事すら、許してはくれませんでした。
あー、この子には、本当に何も言えない。
この子は、一体どうなってしまうのだろう・・・
そんな事ばかり考えていました。
いつか、元気になる日がくるなんて、想像する事は出来ませんでした。