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2023年10月の記事一覧

25 大好きなサッカー

25 大好きなサッカー 

 

長男は一つの事にはまると異常なまでの集中力を発揮し、とことんやり続けます。コロナで休校の時は、サッカーにはまり朝起きてから寝る時間まで、家の庭でリフティングをしているほど、サッカーが大好きな子でした。 
 
 
2021年10日2日(土) 

 

そんなサッカーが大好きな長男が、不登校気味になってからサッカーにも行かないと言い出しました。 

 

練習の集合時間は13時なのですがその時間になっても一向に動かずテレビを見ていたので、私は時間に支度をしていない長男にイライラし主人に出発を促すように頼みました。
 

主人が「時間だよ」と長男に言っても、 長男は返事をせず、ぼーっとご飯を食べながらテレビを観ていました。 

 

主人は何も言わずに黙ってその姿を見守っていました。 

 

私は長男の態度にイライラし、

 

この子はなんてマイペースなのだろう。マイペースを超えて自分勝手すぎないか? 

 

あー、イライラするな・・・なんで集合時間が気にならないのだろう・・・

 

でも最近、何かと理由をつけて、全ての事を嫌がるようになったな、とやたらと怠いと訴え気分の起伏が激しい長男の事を私はとても心配していました。
 

・・・

 

13時10分を過ぎると、 長男が自分自身に気合を入れる感じで「よし!行くか!」と立ち上がりスパイクを履き始めました。すると今度は「スパイクがきつい」と不快そうに座り込みました。 

 

私はスニーカーで練習に参加しても良い事を伝えましたが、長男は「スニーカーなら行かない」と部屋に戻ってきました。 

 

私は、お休み連絡をしてないんだからスニーカーで行ってよ!と何度か言いましたが、長男は、「スパイクがハマらない」の1点張りで動こうとはしませんでした。 

 

私はこの時、長男はサッカーに行きたい気分じゃないからずる休みしようとしているのだなと思い、長男に、

 

「だからスニーカーでいいって!!!」 

 

と強く言いました。そんな私に対して長男は、

 

「暑いし!行かない!」 

 

と言うので、私は、

 

「サッカーはコーチも含めやる気がある子が行く所!暑いから、行きたくないからって休む位ならもう辞めなさい!」 

 

と叱りつけると、長男は、

 

「あーーーーー始まった始まったうるせーーー!!!」 

 

と部屋にこもってしまいました。

 

私は厳しくしなければ、甘やかしてはいけないと思っていて、長男に世間一般的な正論を押し付けていました。 

 

・・・

 

結局長男はサッカーをお休みし、主人と新しいスパイクを買いに出かけました。 そのスパイクはその後一度も履かれる事はありませんでした。 
 

買い物へ行く途中長男が主人に、
 

面白くない話、長い話は全て無視し、耳に入らない様にしている。先生にもそうする様になり、何を言われたのか、何をするのか分からない。

 

何かをあげるから、あれをやって!と言われる事が凄く嫌で今後一切、誰の指示にも従うつもりは無い。

 

と言ったそうです。 

 

・・・

 

2021年10月3日(日) 

 
この日も長男は、テニスの体験に行きたいからサッカーは休みたいと言い、サッカーを欠席しました。 
 

主人は、新しいスパイクを買ったし、昨日も休んだし、テニスの体験はいつでも行けるからサッカーにいったら?と説得していましたが長男は、 テニスの体験に【今日】絶対に行きたいから、サッカーは来週行く、と言い結局欠席しました。

 

・・・

 

午後から、家族で買い物へ行いくと、 道中の30分間長男は、 

 

学校を辞めたい、給食がまずいしつまらないし全部嫌。 

 

僕はもう、学校を爆破したいと思っているんだ、あんな場所に何の意味があるのか分からない。

 

とにかく女子が嫌だし、音楽の授業も嫌! 

 

と言い続けました。

 

・・・

 

帰宅後に、長男は、「買い物で購入してきた消しゴムがない!!!」 「今すぐ買ってきて」と泣き出しました。 

 

私が、往復1時間以上もかかる場所だから、無理だよと説明しても、

 

「嫌だ!今すぐ買ってきて!」 

 

「買ってきて!買ってきて!買ってきて!今すぐ買って来いよ!」 
 

と、とにかくしつこく要求してきました。 
 

買いに行けば早いのですが、こんな理不尽な要求を聞いてしまったらわがままにならないのか、そこが不安で私は長男の要望を聞くことが出来ませんでした。 

 

・・・

 

その日、夕食にグラタンを出すと長男は、

 

「こんなものは食べたくない、気分じゃないからいらない」

 

と言い、 私は、今日だけだよと約束してもらい、 別の物を長男に作りました。 

 

。 

まだ8歳の子供の、こんなわがままを聞いていていいのだろうか、長男のわがままを聞かなければ長男は絶対に諦めず、引き下がらないので聞くしかないのだけれど、それでいいのだろうか、何が正解なのか私には分かりませんでした。 

 

 

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24 彼の望む自由

24 彼の望む自由 

 

2021.9月末

 

この日、 夜9時になると長男が突然ソファの周りをぐるぐるぐるぐる回り、一方的に話し始めました。 

 

・自由になりたい 

 

・体育は着替えたくない

 

・体育の内容は全て自分で選びたい 

 

・靴の履き替えもしたくない 

 

・自分が学びたい時に学びたい事を学びたい 

 

・何で皆同じ事をしないといけないのか分からない 

 

・先生はそんなに偉いとは思えない 

 

・学校行かないで鳥になりたい 

 

そんな内容を30分以上、絶え間なく私に話し続けました。 

 

・・・

 

その話をすると、誰かが、こんなアドバイスをくれました。

 

・学校、会社、どこかに属している限りは自由に出来ない

 

・中学は自由な校風の所に通わせた方が良いのでは

 

・ルールばかりで退屈だけど、学校を卒業しなければ働けないし、お金が無いと自由に出来ない

 

・未来に向けて、今は我慢するべき時 

 

・皆同じ気持ちだけど、やらないわけにはいかないから頑張っている

 

・今は嫌だけど頑張ろう! 

 

・お父さんが家族のために働けているのも、学校を頑張ったから

 

そんなことを、何度も言い聞かせて教え込むしかない、と言われました。

 

ダメな事はダメ!と注意をしたかったのですが、注意をすると、負のスパイラルに入りました。 
 

別の日、 リビングで、部屋の明かりを真っ暗にしてテレビを見ていましました。 

 

その日は明かりをつけてはダメ、と言うので、私は夕食を作れませんでした。それなのに、寝る時は電気を消してはダメと言うので、全員が眠れません。
 

この頃は、就寝時以外は「電気を付けないで」と、言う事が増えていて家中真っ暗な事が多かったです。 
 

私から見た長男は、 

 
プライドが高く負けず嫌いで自由人 

 

こだわりが強く極度なマイペースなのに真面目

 

些細な変化に気が付き、同調圧力が苦手でいつも不安そう 

 

そんなイメージを持っていました。

 

 


学校で疲れ果て、家では私と喧嘩をし、次男をいじめる長男の事を、私は【面倒な子】と思っていたのです。

 

この日寝る前に長男が、迷路を書く用の新しいノートをランドセルに入れていて、明日は学校に行く気なのだな・・・と胸を撫で下ろしていました。 

 

長男は当時、ずっと自由になりたいと言っていました。

 

 

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23 心療内科と言う選択肢

23 心療内科と言う選択肢

 

不登校気味の長男が、家庭内では情緒がとても不安定である事を学校に話すと、学校側に心療内科を薦められました。

 

学校の先生は、心療内科医はプロなので、原因を引き出してくれるのではないか?と言っていました。
 

私は、今の状態の長男を心療内科に連れて行けば、「僕を信用していない!僕は病気じゃない!」という気持ちから親への不信感で、より心を閉ざしてしまうのではないかと心配していました。 

 

主任の先生は、私に、

 

「本人にだらけ癖がつくので、学校を休ませても課題を与え、絶対にストレスフリーにさせないように」

 

と言い、

 

「家にいるのが楽になり益々行かなくなるのは怖いですから!」 

 

と言われました。 

 

・・・

 

2021.9月末

 

長男が私に、

 

「1時間目の音楽はお休やすみして、その後学校へ行くのはどう?」

 

と提案をしてきました。私は長男に、

 

「音楽嫌なんだね、でも他の子も嫌でも頑張っているんじゃないの?」 

 

と長男の提案には乗りませんでした。

 

・・・

 

その日、担任の先生から電話があり、長男が3年生になってから初めて手を挙げて質問したと聞き、波はあるけれど、 少しずつ良い方向に向いてきているのかな? と私は安心したのです。

 

そんな嬉しい報告を聞いていたのに、長男は、

 

「クソつまらんかった」

 

と不貞腐れながら帰宅しました。

 

・・・

 

夜は長男の機嫌が悪く、長時間次男にテレビを譲りませんでした。

 

次男は、

 

「僕もテレビ見たい!長男見過ぎ!ずるい!」 

 

と怒っていましたが、 長男はわざと2時間の番組を選択し、

 

「は、は、は、これ終わったらどうぞ!って言ってますよね!」 

 

「ねぇねぇ聞こえませんか?聞こえないか!バカだから」 

 

とまた次男に暴言を吐いたのです。

 

そんな長男のわがままな振る舞いに対し私は、

 

今は耐えるしかないのか、 叱る人がいないとエスカレートしてしまわないか、反抗期なのか、 私が可愛がって育てた子は、【こうゆう子】なのだろうか? 


と、とても悲しい気持ちになりました。 

 

気持ちの浮き沈みの激しい長男は、常に「怠い、怠い」と、言っていたので、私はこの子は鬱なのかな・・・と心配になる事もありました。

 

ネットで調べた情報に照らし合わせ、もしかしたらこの子は発達障害かもしれない!と思った事もあり、むしろ発達障害であってほしい!発達障害と診断された方が今までの子育ての困難さの説明がつく!

 

この子は育てるのが難し過ぎる、と思っていたのです。

 
 

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22 我が家のゲーム事情

22 我が家のゲーム事情

 

2021年8月の夏休み、この時までデジタル系のおもちゃが一つもなかった我が家は【VRシューティング】というデジタル系のおもちゃを購入することになりました。

 

購入を楽しみにしていて、ご機嫌な長男に私は私は長男をダイニングテーブルに座らせ、

 

「私はあなたを信用していないから、貴方が時間を守れるとは思わないから、約束事を紙に書きなさい」 


と私が一方的に決めた約束事を紙に書かせました。確か内容は、

 

・1日30分 

・宿題してから 

・少しでも守れなかったら没収 

・金土は1時間 

 

ゲームを買うのが気にいらない、と言わんばかりに、私はとても不機嫌そうな顔でその約束事を長男に書かせ、長男も不服そうな顔で、書かなければ買ってもらえない・・・と不貞腐れて記入していました。 

 

お互いに気分は最悪でした。

 

購入したゲーム機 
↓ 


私自身が幼少期、テレビを厳しく制限された経験があり、デジタルな物はとても悪いもの!と思い込み、長男が小さな頃から子供にテレビをほとんど見せていませんでした。

 

テレビは極力見せず、外に連れて行き、時期には桜を見せる。

 

電車を見に行き、絵本を読み、外でお弁当を食べる、五感に刺激のある事を、感性が豊かな子なる様にと子育てを頑張っていました。

 

未就園児時代はテレビに頼らず、休憩する暇無く、子供と関わっていて、私もガラ携を使用し、ネットも見ない生活でしたが、その事に不満を抱いたことはありませんでした。

 

・・・

 

未就園児の時、長男は戦隊ものがとても好きだったので、本人の手作りで剣やヒーローグッズを作っていました。 

何度も、何度も、長男が作り直し、ボロボロになった剣は今も捨てられずに残っています↓

 

 
私は子供が欲しがるものを何でも買い与える事に抵抗感がありました。 

 

・恵まれすぎて何でも手に入り、物を大切にしない子にならないように

 

・与えられ過ぎず、我慢が出来る子になりますように

 

と思っていて、言う事を聞き過ぎてはいけないとわざと望みを叶え過ぎないようにしていました。

 

・・・

 

その考え方の子育ては、必然的に「ダメ!」と言う機会を沢山生みました。 

 

小さな子供は基本、親に要求ばかりしていますが何かが欲しいと言われても、 何かをやってみたいと言われても、これを買ってと言われても、テレビ見たいと言われても、ダメと言い、心の中では買うつもりでいるおもちゃも、快諾はせず 一旦は「ダメ」と言わなければ、と思っていました。 

 

要求を何でも聞くとわがままになると思い、ああしたい、こうしたい、と言う子供の要求をすんなり聞き入れませんでした。

 

私は、一生懸命、いい子に育ちますように、と愛を持って、子供の要求を聞かない様頑張っていました。 
 

その子育て法は【我慢できる子】を育てるより【親にお願いする事を諦める子】を育ててしまいました。

長男にとってはゲームもその一つだったのではないかと思います。 

 

3年生の夏休み、8歳で完全不登校になるまで長男はゲームを持っておらず、YOUTUBEも見た事がなかったと思います。

 

長男は一度も私にゲームを欲しいと言った事はありませんでした。 

 

私は理想の子供像を持っていて、自然児でワイルドな子に育って欲しいと願い、毎日外で遊ばせていました。

 

長男も外が大好きで、ゲームに興味があるはずがないと思い込んでいたし、【そうゆう子】であって欲しい、と願っていました。

 

ママたちの間では、ゲームの開始時期を迷っているという話がよくでていましたが、私は長男がどうしてもゲームが欲しい!と言うまでは、買い与えないでおこうと決めていました。 

 

ゲームが無法地帯の友人宅に長男が遊びに行きたがると、私は、

 

「ゲームを始めるきっかけになると困るから」 

 

と、行かせませんでした。

 

私は勝手に、小さい頃にゲームを始めると【ゲーム脳】になり、ゲーム依存症になると思っていたのです。

長男はゲームが欲しいと私に強くは言いませんでしたが、少し欲しがった時があり、その時私は長男に、 

 

「あなたは遊びの天才なんだから、ゲームを買う事でそれが無くなったらお母さんは悲しいから」と言い、購入を許可しませんでした。

 

主人は自分も主人の父親も電子機器依存気味なので、長男が主人と同じ脳の仕組みな場合、ゲームしかしなくなるかもしれない、とゲームを与える事に否定的でした。 

 

ゲーム時間を作り、ルールを定めると、どちらが何秒長くゲームをした!などと言い争いが始まり、兄弟げんかが激しくなりました。

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21 担任の先生

21 担任の先生

 

2021年9月中旬 

 

突然長男が、床にべたっと座り、上を向き、涙を拭わず、幼い子の様にわんわんわんわん泣きだしました。

 

「女子が嫌!授業が暇で落書しているのにずっと注意してくる」 

 

「僕は退屈な授業を、落書きする事でなんとが耐えているのに」 

 

「音楽が嫌!部屋が暑い!音がうるさい」 

 

「ミニ先生が嫌!教えてほしい子だけ手を挙げた子だけ教えてもらうのに、何で僕に教えてくるんだ!」

 

「僕が『教えなくていい』と言うと『じゃー、もう2度と教えてあげない』と意地悪を言われる」

 

「僕は教えてなんて一度も頼んでいないし手も挙げていない!」 

 

嫌。嫌。嫌。全部嫌!!! 
 

そう言ってしばらくの間長男は泣き続けました。

 

担任の先生は若い女性で、私に、

 

・愛情不足が悪い方に出る子がいるので構ってあげてほしい、今日、長男の頭をいい子いい子したら、少し落ち着きましたよ。

 

・学校では、友人と仲良く遊んでいて、全く不登校児に見えません

 

・隣の子が嫌な様ですが、女の子に話し掛けられても上手に交わしていましたよ

 

・席替えは2週間後に予定しています

 

・迷路が好きなので、授業に迷路を取り入れました

 

・クラス全員で鬼ごっこをした時は、楽しんでいましたよ

 

・学校に来たら、フォローしますが、来なければ、出来る事は何もありません

 

・朝お迎えに行く、一緒に通学団で行く、等はお母さんの方でお願いします 

 

・お母さんも、長男君も、ゆっくり休んだらどうですか? 

 

・算数の回答をわざと間違えたので、注意しました

 

・テストは85点位で、学習困難は無さそうです

 

・私では分からないので、主任に相談します

 

と言われました。
 
 

担任の先生は、その後完全不登校になった長男に数か月間、一度もプリントも持って来ず、電話をかけてくる事もなく我が家は学校とは音信不通でした。 

 

1ヵ月ぶりに電話が掛かってきた!と電話をとると、長男の名前は一度も出さずに「もうすぐ懇談会がありますがご都合の悪い日はございますか?」 

 

とだけ聞かれました。 

 

・・・

 

我が家は不登校経験がなく、学校側に何も期待していなかったし、連絡が来たところで何も変わらない事は分かっていたので、特に不信感や不満を学校側に抱いてはいませんでしたが、完全不登校の場合、担任の先生と連絡を取り合う事を後に知りました。 

 

先生は私に、経験不足で、どうしたらよいか分からない、といつも言っていました。

 

私は全く連絡をして来ないその先生が、自分が担任している、急に学校に来なくなった生徒の事が気にならない事が不思議で、学校は来ている子に学問を教えるだけの場所なんだな、と思った事は、覚えています。 
 

 

私は誰に相談すべきか、私自信はどうするべきなのか、いつも悩んでいました。

 

長男は休んでも、ご機嫌な時がありました。

 

お買い物の手伝いをしてくれたり、妹が泣いていると泣き止まし、服を着替えさせてくれました。私が、

 

「ありがとう!」

 

と、長男を抱きしめると、「大好き」と、手を広げて抱きついてくれました。
  

ご機嫌で話していても、学校の話題になると完全無視し、無反応になる事が多かったです。

 

不登校は最初が肝心とどこかの資料に書いてあり、担任の先生が頼りないなら、教頭先生に話すとか、スクールカウンセラーに相談してみたら?と姉が助言してくれました。 

 

長男にばかり気をとられていると、次男が日に日に笑わなくなっていきました。

 

幼稚園送迎後、近くの公園から様子を見ていると、 皆が元気よく運動会のリレー練習をしている中、テラスで無表情でぽつんと座っていました。

 

次男も指示が通らず、指が折れそうな程、強く私の指を曲げたり、手あたり次第殴ったり、暴力的な事が多かったです。

 

兄にいじめられている次男は、兄を見ると、

 

「あいつ、死ね!死んでほしい!」

 

と泣き出す事がありました。

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20 完全不登校までの42日間の事⑧

 20 完全不登校までの42日間の事⑧

 

2021年9月28日

 

私が、長男に明日の学校の準備が終わっているのか尋ねると、長男は「行かない」とは言わず、ただ顔が曇りました。

 

2021年9月29日(水) 


1度も「行かない」とは言わずに学校へ向かいました。 
 

毎日学校での様子や家での様子を電話で担任の先生とやり取りしている事を知っている長男は、

 

「先生に余計な事言っていないだろうな!」  

 

と私に言ってから出発しました。

 

長男が私にそう聞いてきたその日は、学校が主任先生と担任の先生と長男との3人で話合いをすると言っていて、私は長男にその事を伝えておらず、長男が帰ってきてから怒るだろうな・・・嫌だな、と思っていました。 

 

・・・

 

担任の先生は長男に、どうして来たくないのか、何が嫌なのか、と何度も問いただしていたようです。

 

長男はそれを凄く嫌がっていて、主任先生が色々聞いてきてうざい、友達と遊びたいのに放課が潰れるから嫌だ、何で僕だけ呼ばれるんだ、と文句を言っていました。

 

あの子はいったい周りの大人にどうしてほしいのかな?と考えない日はありませんでした。 

 

姉たちはいつも長男を優しくていい子と言ってくれていて、反抗の事を話すと、なんだか信じられない、いつもの長男君からは反抗する姿は想像できない、と不思議そうでした。

 

そんな意見を聞くと私は、私が長男を【難しい子】と決めつけ、追い込んでいるだけなのかな? 日頃、子育てを、「面倒だな」と思っているのが、態度に出ているのかな? と自分の子どもに対する良くない振る舞いを反省するようになりました。

 

長男は毎日休む、と言う訳ではなく、休んだ次の日は学校へ行く事が多かったです。 

 

次男の無表情、無気力は相変わらずでしたが、お休みする!と言う日は減ってきました。 

 

・・・

 

不登校気味の長男の学校での様子を知らせようと毎日学校から連絡が来るのですが、学校から電話が来るのは決まって授業後で下校後に電話がかかってくると子供たちが家におり、長男は電話が鳴ると過敏に反応するのでとても困りました。

 

電話がくると長男は、

 

「誰から?、どこから?、何の話?、学校?、何?」

 

「余計な事言わないで!」 

 

と私を質問攻めにしました。 

 

私は長男に気付かれぬよう携帯をポケットに入れ、マナーモードにし、電話が鳴ると、急いで家を出て離れた場所で話をするようにしていました。 

 

遠くの方から2歳の娘と6歳の次男が「おかあさーーーん」と何度も私を呼ぶ声が聞こえ、早く家に戻らなきゃな、でも先生の話も聞きたいし・・・と、話に集中できず、1人であたふたソワソワしていました。

 
・・・

 

長男と話をした後主任の先生は、話し合いの際長男は全然心を開かず、とても難しいケースな気がしました。

 

ほとんどの子どもは話合うとポロッと本音を言うけれど長男は頑なに何も言わず、全くヒントを得られなかったので長期化し、全く来なくなるパターンかもしれません。

 

信頼できる相談者がいない、もしくはいても長男君の性格上言えないのかもしれませんね。

 

根っこに何か大きな原因を抱え込んでいそうなのと、周囲が見えすぎてストレスを感じている様子です。

長男君は大人びていて、全く言いくるめる事は出来ず、大人と話しているような感覚になりました。 

 

「長男さんの肩を触ろうとしたら びく!!! としていました。お母さん何か心あたりはありませんか?」 

 

と言われました。私は、

 

夏休みに酷い反抗が何日も続き、取っ組み合いの喧嘩になり、その際私が手が出してしまった事を話しました。 

 

主任先生の話では、長男は話合い中、ずっと俯き、涙を流し、ただただ頑なに黙っていたそうです。 
 

最後に主任先生は、家庭の方針として、休ませたいのか、学校へ通わせたいのかと聞いていました。 

 

私は、

 

「その答えはよく分かりませんでしたが、通ってくれたら嬉しいです」

 

と答えました。主任先生は、

 

「家庭で叱らないのであれば、僕が悪者になり叱り役をするので、ご希望なら言ってください」

 

と言い電話を切りました。

 

・・・

 

長男は帰ってくると、 
 

「先生になんか言っただろ!めちゃくちゃ面倒な事になった!」 

 

「今度言ったら許さんからな!今度いったら2度と学校いかん!」 

 

「俺は全員大嫌い!!!」 
  

と言い、物凄く怒っていました。 

 

皆長男を心配してくれているんだと思うよ、と言う私の意見にも、それがウザいんだ!と反発していて、周りの大人が何をしても、今の状況は悪い方向にしか向かいませんでした。

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19 完全不登校までの42日間の事⑦

19 完全不登校までの42日間の事⑦

 

2021年9月27日(月) 

 

以前誰かに、不登校気味の子は休み明けに学校へ行きたくなくなる子が多いみたいだよ、と聞いていた通りに長男も、休み明けに学校を休みたがりました。 

 

前日の日曜日に絶対に休む!と宣言していたので今日はいくのかな?どうかな?と私は不安になっていました。

 

朝起こすと、一緒に散歩に行くと言うので、学校の話題は出さずに長男と15分ほど家の周りを散歩しました。

 
そして、長男は、当たり前の様に支度をし学校へ向かいました。 家から3mほど進むと、長男は、

 

「のどが痛くて学校へはいけない」

 

「嫌だ、今日は行かない」

 

と言い、戻ってきました。 

 

毎日繰り返される行き渋りの中、「今日はどうやって行かせよう!」 ばかりで、私の中に「休ませよう!」という考えは、ありませんでした。 

 

体調が悪くても、休ませてしまう事が恐怖なのです。 

 

体調不良だという長男の訴えを、いつもの行き渋りだと思っていた私は、喉が痛いと言っても休ませませんでした。そして、だましだまし、集合場所へ一緒に向かいました。

 

集合場所まで行くと長男は目に涙を溜め、不安そうに肩を落としてこちらに向かって手を振ってくれました。

 

長男は何度も、何度も、何度も、何度も、振り返り、その後下を向き、諦めたようにとぼとぼと学校への道を歩いて行きました。 

 

そんな長男の姿を見て、私は、なんだか、凄く様子が気になるな・・・ 

 

あの子は今、正常ではないなと思い、お腹の中に、鉛がある様な不快感と得体のしれない不安感で押しつぶされそうでした。

 

今までは、さぼり、だと思っていたけれど、長男にはどうしても学校に行きたくない理由があるのではないか・・・ 

 

と思うようになりました。 それでも私は、まだ「もう、休もう!」と言う事ができませんでした。

 

その日の夜、 

 

長男は、

 

「何が何でも明日は休む!」 

 

と宣言し宿題もせずに眠りました。 

 

姉が学校関係で働いており、長男の行き渋りに何のアクションも起こさない学校に対して、

 

「うちの学校の先生は、何が何でも原因を突き止めるよ、毎朝家まで迎えに行く先生もいるみたいだよ」

 

「長男君の学校、何もしてくれないんだよね?対応が悪すぎない?」 

 

 と不思議がっていました。

 

私は担任の先生に、学校の外では何も出来ません、隣の子が嫌なら次の席替えは2週間後ですと言われていて、それ以上学校に何か頼めることはないのだろうな、と学校の対応を諦めていました。

 

長男は学校を休む理由をつまらないから、としか言わず、私はそんな長男にどんな対応をしたら良いのか分かりませんでした。 

 

2021年9月28日 
 

朝は元気で起きてすぐに2人でお散歩に行きましたが、長男は、

 

「今日は、絶対いかんっ!!!」 
 

 と言い、学校を休みました。

 

学校をお休みすると、長男は元気になり、明るく私と話しをしていて、反抗もしませんでした。 

 

その頃長男は学校に対して、 

 

・とにかくつまらない 

 

・放課、皆がパソコンをしていて外で遊ぶ子がいなくてつまらない

 

・トイレに落書きをした子がいて、犯人が見つかるまでは手を挙げて、皆でトイレに行かなくてはいけないので好きな時にトイレにも行けない 

 

・全然自由がない 

 

・授業がつまらな過ぎてノートに落書きをしているのに、 女子が注意そしてきてウザい

 

・音楽の教室が暑くて嫌すぎる! 

 

口から出てくる言葉は、つまらない、つまらない、つまらない、つまらない、つまらない!そればっかりでした。 

 

私はそんな長男を見て、

 

・やりたくない事を本当にやらないんだな、この子は、集団生活に耐性がなさすぎるな 

 

・自由な海外なら合っているかもしれないな 

 

・今の環境が長男には合わないんだろうな

 
と、環境を変えれば、今の生活から抜け出せる、環境が悪い!と思っていました。 

 

・・・

 

ある日、長男が私に赤白帽子を持ってきて、

 

「ゴムをつけないと10月16日の運動会に出られない」 

 

と言いました。私はそれを聞いたときに、この子はずっと学校に行かない!と決めている訳ではないんだな、と安心した記憶があります。

 

・・・

 

数日後、学校から連絡があり、

 

「明日は担任、主任、長男、3人で話をするので、何とか送り出してください」

 

と言われました。 

 

 

 

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18 完全不登校までの42日間の事⑥

 18 完全不登校までの42日間の事⑥

 

2021.9月中旬

 

長男は変わらず不登校気味で私は変わらず原因は何なんだろう?と考えてばかりいました。

 

成長期のホルモンバランスの乱れなのか、元の性格なのか・・・ 

 

今までもこだわりが強くて扱い辛い子だとは思っていたけれど不登校になるとは想像もしていませんでした。
 

この時期には私は子供たちにすぐに怒ってしまう事を反省していて、怒鳴らないようにはしていましたが、怒りを吐き出さない事で、ストレスが溜まり、どこまで子どもの要望を聞いて良いのかも分かりませんでした。

 

・・・

 

長男は昔から、座る場所、車の座席、自分の物、順番などにこだわる傾向があり、親が何かと気を遣う子でしたが、この時期には家族に対してめちゃくちゃな要望を言うようになっていきました。

 

私は常に長男を【面倒臭い子】と、思っていて、何かをスムーズに進めたければ長男の言う事を聞いておくことにしていました。 
 

・・・・

 

長男の次男いじめは日に日に酷くなり、ついに長男は次男の使用するコンセントの位置を家の中で一番使い辛い場所に指定しました。次男はそれを守らなければ殴られ、蹴られ、暴言を吐かれていました。 

 

私が長男の暴言を注意すれば、すぐに長男の怒りの感情に火が付き、

 

「こんなバカどうでもいい!」 

 

「くず」

 

「生ごみ」

 

「バカ」

 

「死ね」

 

と暴言を吐き、次男を殴り倒しました。 
 

そんな事の繰り返しで、私は、やっぱり黙っておけばよかったな、と毎回後悔していました。

 

私は、長男にいじめられている次男の心理がとても心配で、可哀そうに思っていました。

 

いつもいじめられている次男も、死んだ様な目をして長男の事を、 

 

「あいつ本当に死んでほしい」

 

とよく言っていました。 

 

・・・

 
長男の困らせ行動はどんどんエスカレートしていき、リビングのテレビの音を耳が痛くなる程の爆音にし、私がご近所の迷惑になるからと音量を下げる事をお願いすると、より一層音量を上げました。 

 

もう部屋には居られない程の爆音で、あーあ、余計な事を言わなければよかったなと後悔するのです。

 

あんなにも可愛がって育てていたのに、長男はまだ8歳なのに、何が原因でこんなことになってしまったのだろう。
 

・・・

 

数日後、機嫌の良い長男と2人で買い物に行った時、長男に酷い怒り方をした事を謝り、大切に思っている事、大好きな事を伝えましたが長男は、 

 

「いや・・・気つかわないで、お母さん」

 

とぼそっと呟いただけでした。 

 

・・・

 

その日長男は23時頃、何故か玄関の下駄箱の上で寝ていました。 
 

主人とは、今はあの子の全てを受け入れ、否定せず、厳しくせず、一旦話を聞こう。 

 

わがまま行動がエスカレートしない様に良くない事はちゃんと注意していこう。

 

取り敢えず夫婦は協力していこうね。と話していました。 
 

 

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17 完全不登校までの42日間の事⑤

 17 完全不登校までの42日間の事⑤

 

長男は、2021年9月13日~17日は通常通りに学校へは行きましたが習い事のそろばんやサッカーには行かなくなりました。 

 

学校には行くものの、元気はなく起きている間中、学校の文句ばかりを言っていました。 

 

次男も長男の影響を受けてなのか元気がなく、幼稚園をお休みしたので私は次男を公園に連れて行きました。 

 

・・・

 

9月18.19.20(休日)

 

この日、長男と次男が些細なきっかけで激しく喧嘩をしましたが、長男が両親に大きな反発をする事はなく、家族で公園に行き、友人と遊び、庭でサッカーをし元気に過ごしていました。 

 

とても元気そうに見えましたが、夜になり明日は学校だから寝ようね、と言っても長男は寝ようとはしませんでした。

 

2021年9月21日

 

次の日、朝起こすと長男は、

 

「眠い、疲れた、今日は休む」

 

と言い、私が長男に昨晩早く寝ないから朝起きられないのだよ、と指摘をすると長男は、

 

「そんなの関係ない!今日は行かない!」

 

と言い、通学団の集合時間10分前になってもリビングに持ち込んだ布団にくるまり動こうとしませんでした。

 

出発時刻の5分前、私は大きな人形を着替えさせるかのように長男を着替えさせていると、通学団の団長さんが迎えに来てくれました。 私は長男に、

 

「もう時間だよ、団長さんが来てくれているよ」

 

と伝えても、長男は、 

 

「え?今ご飯食べてるじゃん」

 

と言い、集合時間に間に合わせようとする私の頭がおかしい、とでも言わんばかりの言い方で、急ぐ素振りも見せず、マイペースにテレビを見ながら朝食を食べ続けました。 

 

私は時間通りに集まっている通学団の子たちに迷惑をかけている事、家まで呼びに来させてしまった事、そして何よりも長男が人を思いやれない事がとても嫌でした。 

 

その日は結局長男は15分遅れで学校へ行き私は教室まで付いて行きました。 

 

どんな顔をして帰ってくるのかな、と心配していましたが長男は近所の友達と楽しそうに帰ってきたので、私はほっと一安心していました。

 

次男は何とか幼稚園には行き、帰りは公園で遊びましたが、腹痛、吐き気があり元気がありませんでした。 

 

・・・

 

2021年9月22日 

 

長男は出発10分前まで魂が抜けたかのように「ぼーーーー」っとしていましたが、特に何も言わずに学校へ行きました。

 

帰宅後、我が家から60キロほど離れた祖父母の家に遊びに行く予定でしたが、次男の体調不良が気になり、今回は見合わせる事にしました。すると祖父母宅に行くのを楽しみにしていた長男が次男に向かって、

 

「うぜー、死ね、バカ、役立たず」

 

「お前なんか消えろ」

 

「お前1人で待っていろ」 

 

と感情を一切込めずにただ淡々と次男に向かって呟きました。 

 

その言葉を聞いていた次男はただ無表情で固まっていました。 

 

長男がしつこく祖父母宅へ行きたがり、次男の体調も回復したので結局祖父母宅へ向かう事になり長男はとても喜んでいました。そんな長男の姿を見て私は、

 

この子は自分の願いさえ叶えばご機嫌なのだな・・・と喜ぶ姿がとても不快でした。

 

・・・

 

2021年9月25日(休日) 

 

長男と次男とのチャンネル争いで長男が次男の顔面を、繰り返し繰り返し、繰り返し繰り返し、蹴っていました。 

私がいくら止めても長男は次男の顔面を蹴り続け、次男は泣き叫んでいました。 

 

その日のお昼ご飯の時はご機嫌でしたが、下2人に対しては、不快な言葉を言い続けていました。 もう無意識に口から言葉が出ているかのように淡々と、

 

「バカ、死ね、うざい、気持ち悪い、あっちに行け、生きている意味がない、わがままなやつ」

 

聞いているこちらの頭がおかしくなりそうな言葉ばかりを並べて言い続けていました。

 

私がもし、やめるよう注意をすると、より一層次男に暴言を言い出すので、何も言わずに黙っていました。

 

その日の夕食時、全員が食卓についても長男はなかなか食卓にきませんでした。私が、

 

「なくなっちゃうよ!」 

 

と言うと少ししてから食卓につき、 

 

「無くなる食べ物なんてないじゃないか!嘘つき!ご飯なんていらん!」 

 

と文句を言い、夕食の雰囲気はいっきにどんよりしました。 

 

・・・

 

夜は険しい顔で、私に、

 

「宿題の用意をしろ!」

 

と命令し次男の些細な行動に文句をつけ次男を蹴り始めました。私は、

 

「あなたはどうしてそんなふうなの?」

 

と長男に聞いても、こちらを馬鹿にするかのように、

 

「さー、どうしてでしょうねぇぇぇぇぇ」

 

と話にならない返事しか返ってきませんでした。

 

・・・・・ 
 

2021.9.26(休日) 

 

寝る前になると長男が

 

「今日何曜日?」 

 

と私に話しかけてきました。私が日曜日と答えると、長男は、

 

「じゃー明日休む!」 

 

と言い、私は行った方が良いと思うよ、と諭しましたが、長男は絶対に行かないと言っていました。

 

しばらくし私がお風呂に入るようお願いをすると、長男が、
 

 「お風呂入れって言うなら学校行かない。」 

 

と言い出したので、私はお風呂に入らなくても良いから学校に行くといいよ、と伝えましたが、長男は、

 

「僕朝から喉痛い、体調不良なのに行けって言うのか!明日は休む!」

 

と言い、22時になるといつも通りに寝室で大きな声を出して漫画を読み始めました。

 

そしてこの日23時を過ぎると長男は皆の寝ている寝室でボール遊びを始めました。

 

長男が寝室の電気を消してくれないので23時過ぎても下の子供たちが眠れておらず、次男と娘を寝かしつけなくてはいけないのに・・・ 何この地獄、 もう本当に勘弁してよ!と私は心の中で思っていました。 

 

長男はしばらくの間、異常なテンションで一人でボール遊びをしながら騒いでいましたが、両親はもう、何も言いませんでした。 

 

・・・ 

 

私は姉に、長男がまた明日も休むと言っている事、 行く行かないは自分で決めると思っている事、 次男も幼稚園に行かないと言う日が多く、毎朝とても大変であることを話していました。

 

姉は、もしかしたら長男君負けず嫌いだからテストが嫌とかない?苦手な教科あるの? 学校は行きたくなかったら行かなくていい場所と思っていたら困るよね、と心配してくれていました。

 

長男は休み明けの月曜日に学校に行きたがらない事が多く、私は勝手に土日が楽で楽しいから、休み明けの学校に行きたくないんだろうな」

 

と思っていました。 

 

姉は、休み癖は良くないよね、このまま中学生とかになったら困るから今のうちにちゃんと教えておこうよ、 でもコロナ後、楽しいイベントが減って不登校児増えているみたいだよ!

 

と教えてくれました。 

 

私は、原因が分からないな・・・ 

 

接し方も分からないな・・・ 

 

次男と娘の生活リズムが崩れ、次男と娘に全然時間がさけず、私は誰か的確なアドバイスをしてくれる人はいないのかな・・・と思っていました。

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16 完全不登校までの42日間の事④

16 完全不登校までの42日間の事④

 

行き渋りが始まり、長男が家族に対して無理難題や暴言を言い、暴力を振るうようになると、家庭が張りつめた空気になり、1日1日を過ごす事がとても大変になっていきました。

 

私は心の中で、子育てがこれほど大変なら、子供なんて産むんじゃなかった!と思ってしまうほど、この時期、心がすり減る出来事が日に何度も起こりました。

 

・・・

 

2021年9月中旬 

行き渋りが始まってから毎朝、私は長男は今日は学校へ行くのか、行かないのか、と不安になりました。

 

学校に行く場合でも、朝家を出るその瞬間まで私に無理難題を言い続けるので、私は神経をすり減らして過ごしていました。

 
 
その日の朝は長男が、

 

「お母さん、僕、力が出ないからリビングまで引きずって!」 

 

と言い、私が長男の体を引きずってリビングまで連れて行きました。 
 

長男の重い体を引っ張って、やっとの思いでリビングに着くと、長男は走ってまた寝室に戻っていきました。 

 

私はもう一度寝室へ行き、再び長男の腕を引っ張り、引きずってリビングへ連れ戻す、それを何度も何度も繰り返し、長男がやっと寝室に逃げ帰らなくなった、と思ったら次はリビングで学校の文句を言い始めました。

 

・・・

 

暫くすると長男は、ソファで寝ながら朝食を食べ始めました。 

 

私が座って食事をするよう促すと、長男はそれなら食べない、と言い食事をやめてしまいました。 

 

こんな時、私はどう長男に声掛けしたら良いのだろう? 

 

いいよいいよ、食べてくれるなら寝ながらでも何でもいいんだよ。

 

いいよいいよ、学校行ってくれるなら何してたっていいんだよ。 

 

そんな甘やかしの言葉をかけて良いのだろうか?

 

私はどんな声掛けが正解なのかな・・・と頭の中で毎朝何パターンも考えるのですが、結局、何が正解なのかを見つけ出せないまま毎日を過ごしていました。

 

私はソファで食事をする行為自体をやめさせたい訳ではなく、それをよしとする事で、この子は行儀の悪い、非常識な子になってしまわないのかな?

 

なんでもいいよ!と全て許す事で、わがままな子になるのではないか? と心配していました。

 

学校に行かせる事に集中して、躾ける事をやめ、長男の思い通りに生活させることは果たして正解なのだろうか?

 

私はそんな事ばかりを考えていました。 

 

・・・

 

私の気持ちも乱降下し、 

 

まぁ、行かないでいいか、思う存分休めばいいや!と思おうと思える日もあれば、漠然とした不安に押しつぶされそうになり、学校に行けなくなった原因は私の育て方なのかな?と原因を知りたくて仕方なくなる時もありました。

 

それでも私は「どうぞ!好きなだけ休んでね!」と覚悟を持って言う事が出来ず、学校に行きたがらない長男を毎朝頑張って起こしていました。

 

私の中で休ませよう!という選択肢はなく、この子はどうやったら学校にいくようになるのだろう、ばかり考えていました。

 

あー、不登校なんて気のせいだったな、と私の不安を取り除いてほしかったです。

 

・・・

 

その望みが叶う事はなく、長男の物事の捉え方は日に日に捻くれていきました。 

 

長男の親友が長男と遊びたいみたいだよ、と伝えても、 

 

「俺はあいつらのおもちゃじゃない」

 

と言ったり、 学校の先生は、生徒の為に色々言いたくない事も言ってくれているんじゃないのかな?と伝えても、 

 

「仕事なんだから、お金貰いたいだけでしょ」 

 

と捨て台詞を吐いたり、

 

 次男が買ってもらったおもちゃを父親に見せたくてワクワクしていても、

 

「お前自慢したいだけでしょ、嫌なやつだね」

 

と捻くれた捉え方をする事が多くなっていきました。 

 

・・・ 
 

私としては、難しい長男を特別構いし、愛情を沢山掛け、いつも次男を我慢させている感覚でいましたが、長男は、

 

「お母さんは弟と妹と話す時と、僕と話す時の態度が全然違う」

 

「僕にだけ優しくない!」 

 

と、不満をよく言っていました。

 

・・・

 

この時期長男は、朝私が声を掛けると、「行くわけねーだろーが」と私を睨みつけ、何とか行く支度が出来たとしても、出発時刻になると腹痛でトイレに籠るようになりました。

 

私が学校へ行かせることを諦め、学校に休む連絡をすると長男が元気になるので、私は長男のお休みを、「こんなのずる休みじゃん!」と感じてしまいました。 

 

長男が学校へ行かないという不安もあるし、元気な子供と1日中一緒にいるのが疲れる、という苦痛もありました。 

 

この時期の長男は喜怒哀楽が異常に激しく、些細な事でも注意をすると、途端に人格が変わり暴力的になりました。

 

・・・

 

どんどんと悪化する長男の様子を見ていると、私は、この子はこの先どう育ち、どんな大人になるのかな、ととても不安な気持ちになりました。
 
 
同じ時期、次男の情緒もどんどんと不安定になっていきました。 
 

私を手あたり次第殴り、僕も幼稚園には行かない!お兄ちゃんだけお休みしてずるい!と大泣きしたり、些細なきっかけで暴れまわる様になっていったのです。

 

元々器用に感情表現をする子ではありませんでしたが、以前にも増して、周りとの交流が消極的になっていきました。 

 

次男は私と2人きりになると、子供らしく優しく明るい子でしたが、だんだんと子供らしさを失い、無気力で暴力的になっていったのです。

 

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