2023年11月の記事一覧
113 診断書が腑に落ちない
113 診断名が腑に落ちない
2021/12月頭
医療センターの診断書に、【自閉症】の文字を見てから、私は、自閉スペクトラム障害というよりも、【自閉症】というキーワードばかりネットで検索していました。
私は、それまで、医師や専門家の診断は、間違いないものだと思っていました。
しかし、自分で調べた典型的な自閉症の子どもの症例は、息子の現状とは合致しない点がたくさんあったので、この診断結果は、受け入れ難く感じました。
診断名が腑に落ちない私は、他の専門機関に話を聞きにいきました。
その専門機関では、
「医者が本人と話していないのに、自閉症スペクトラム障害の診断を出すのはおかしい」
と言われました。
「もー、何がなんだか分からない!」
どこの専門機関の、誰が言っている事が本当なの?
発達に偏りのある子を専門に塾を開いている先生は、
「診断名が付く前も、付いた後も、その子である事に、何一つ変わりはなく、悲しむ事はありません。学校に特性を理解してもらい、特別な対応をして欲しい時に診断書を都合よく利用したらいいだけです」
と言いました。
調べると、自閉症の特徴として、
・コミュニケーション能力が低い
・人の気持ちを汲み取れない
等がありましたが、
息子は、人の気持ちが汲み取れない、というよりも、むしろ、周囲に気を遣いすぎるところがありました。
周りの子どもたちのペースに合わせ過ぎ、心の内側に大きなストレスを抱えるようなところがありました。
例えば、・・・。
友達に誘われると、理由もなく断る事が出来ず、気が進まなくても無理をし、付き合うような事がよくありました。
楽しそうだと私が思っていたら、その後、疲れ果てて自室にこもってしまう、そんな事がよくあったのです。
上の姉は、いつも、
「まだ人生のほんの一部!一流大学を出て立派に就職しても引きこもる人がいる! 長男君は、そういう意味では大丈夫な気しかしないよ」
と励ましてくれていました。
励ますと言うより、本当に、そう信じている事が伝わる言い方でした。
それなのに、母親である私は、この先、いつまで引きこもるのだろう、4年で行けなかったら、5年も行けなくない?5年で行けなかったら、6年も行けないじゃん!6年で行けない子は、9割中学も行ってないじゃん!そうやって、ずっと行けずに、大人になっても引きこもるの?
この子の人生は、たった8年で真っ暗なの?と考え、不登校をネガティブに捉え、1人で不安に駆られていました。
112 外の世界に怯えた日
112 外の世界に怯えた日
2021.11.29
この日の事はよく覚えています。
いつも、ゲームばかりで引きこもっている長男を、主人がテニスに誘いました。
長男の小学校区ではない、少し離れた地区のテニスコートのある公園に行きました。
遊具があり、その奥に広いグランドがあり、その更に奥へ行くと、テニスコートがありました。
長男は同年代の子に会う事を極端に恐れていました。
行きは、他の子供たちが遊んでいる遊具やグランドを避けて、テニスコートへ向かいました。
テニスコートは高い塀に囲われており、外から中の様子は見えません。
長男は、あまり元気がないものの、周りの視線を感じないテニスコートで、伸び伸び遊んでいました。
家族でテニスをし、帰路に付く際、私は下の子のお世話をしていたため、主人と長男が先にテニスコートを出ました。
主人に長男の状態を話してはいるものの、普段の様子を見ていないため、同年代の子供達がいる空間を、どれ程長男が恐れているのかを、主人は理解していませんでした。
主人と長男は私より100メートルほど前を歩いていました。
主人が先に歩き、長男が後を追っています。
主人は、沢山の子供のいるグランドの真ん中を通り、遊具の方へ向かっていました。
後ろから見ても、長男の様子がおかしいことが分かりました。
主人は気が付いていません。
私は下2人を残し、長男の方へ駆け寄りました。
声を掛けると、振り向いた長男の顔は、今にもこぼれ落ちそうな涙を目に溜め、あたふたし、体が震え、隠れる場所を必死に探しているようでした。
私が、
「大丈夫?」
と聞くと、
我慢していた涙があふれ出しました。
「帰りたい、帰りたい、帰りたい!帰りたい!!!」
「車どこ!早く乗りたい!」
「早くここから離れたい」
「ねー、車どこ」
「ねー!ねーー!!ねーーー!!!」
周りに子供が沢山いるため、呟くような声で、それでも叫んでいるような雰囲気で、口をへの字にし、私の体で、自分自身の体を隠そうと小さくなっています。
徒歩5分程の場所に車が停めてあり、駐車場へ行くには沢山の子供のいるグランド横を通る道しかありませんでした。
私は、長男に、
「急いで車取って来るからね、待っていてね」
と言うと、
長男は、
「嫌だ、嫌だ」
「早く、早くしてよ」
「なんで、なんで車遠くなの!」
「ねー、何で、早くしてよ、早く車乗りたい、帰りたい、帰りたい」
と、周りをキョロキョロと見渡し、隠れる場所を探しています。
私はグランドと長男の間に立ち、視界をさえぎりました。
公園と道を挟んだ向こう側に自販機がありました。自販機の後ろに回れば公園からは長男の姿が見えないので、長男をそこで待たせ、私は急いで車を取りに行きました。
私は主人に、パニックになる前の感じだから、長男から離れないでほしいとお願いし、急いで車を取りに走りました。
車に乗り込むと、長男は、ダッシュボードに入れていたゲーム機を乱暴に手に取り、狂ったようにゲームを始めました。
そんなに近くて、画面が見えるの?と思う程、ゲーム機に顔を近づけ、
「おー、すげー」
「わー、勝った」
「おー、楽しい」
と、不自然にずっと1人で叫んでいます。
助手席に座り、前のめりでゲームの世界に入り込む長男の姿は、異様な雰囲気で包まれていました。
運転しながら長男の顔を、ふと見ると、顔が涙でぐちゃぐちゃでした。
声だけ聴いていると、笑っているのに、顔は涙でぐちゃぐちゃ。
その涙を拭うこともせず、ひたすらゲームボタンを押し続けます。
・・・
私が泣いてはいけない、私が泣いてはいけない、涙が出ないように、涙が出ないように、と思えば思うほど、喉の奥の辺りが熱くなり、痛くなり、自然と涙がこぼれ落ち、止めることが出来ませんでした。
今でも、この出来事、あの時の長男の様子は、昨日の事のように、鮮明に覚えており、脳裏から離れません。
この世に出て、まだ8年しか経っていない子供が、なぜここまで苦しむのか。
私の、何が、この子をここまで追い詰めてしまったのだろう。
111 次男の試し行為
111 次男の試し行為
2021.11
克服ママに「過保護にすること!」と言われたことを頑張っていました。
出来る限り長男の望みを叶えるよう、わがままを言われても指摘せず、可能な限り対応する。
そんな私の変化を見ていた次男が、私に言いました。
次男:
「お母さんは、お兄ちゃんのことが好きなんでしょ」
「お兄ちゃんのことだけが好きで、お兄ちゃんのことだけが大事なんでしょ」
そんなことを何度も何度も繰り返し聞いてきます。
私は次男と2人きりの時に、
「世界で一番次男の事が好き!」
「こんなかわいい子、どこにもいない!」
「お兄ちゃん、今元気がないから、お兄ちゃんばかりに構って、我慢させちゃってごめんね」
と言っていました。
寝かしつけの時間は、
「妹の隣で寝なよ!」
「お兄ちゃんの所(リビング)に行きなよ!」
「僕の横になんて来ないでよ!」
「早く!行きなよ!」
と、突き放してきます。
私は、
「今は次男との、とっても大事な時間だから、意地でもここからどかないぞ!」
と言って、次男を抱きしめ、放しませんでした。
次男は、歯を食いしばり
「やめろ!やめろ!」
と、目に涙を溜め、蹴ったり叩いたりしていました。
この子の情緒は大丈夫だろうか?
食事を作っても、
「これは、嫌」
「あれは、嫌」
「作り直して!」
「今すぐ違うの買ってきて!」
そんな要求が、日に日にエスカレートしていきました。
いろどりに野菜をお皿にのせるだけで、
「嫌がらせかよ!ふざけるな!」
と言って、野菜を投げつけてくる事もありました。
長男の似た様な要求を、私は全て聞き入れているため、次男は試し行為をしているのだろう、と出来る限り対応するようにしていました。
次男は不登校ではなく、健常だと思っていたので、
「こんな事聞いていいの?」
「人を思いやれない子にならないの?」
という不安が脳裏をよぎり、不安になりました。
そしてついに、2歳の娘までが、
「いらない」
「違うのほしい」
と兄たちを真似るようになりました。
私は1日に何食もご飯を作り、何度も何度も作り直していました。
作っても食べてもらえず、要望通り作り直したものですら、一口食べて「もういらない」と残す・・・。
「もぅ、いい加減にしてくれ!」
こんな事、本当に続けていて大丈夫なのだろうか?
この子達は、どんな子に育つのだろうか?
110 不登校中の息子の姿
不登校中の息子の姿
完全不登校中の息子の様子は、以下のような感じでした。
【ゲーム、動画しかしない】
ゲーム、動画を、起きている間、1秒も手から放しませんでした。
数秒顔を上げ、民放テレビに視線を向けた際に、涙が出るほど嬉しかった事を覚えています。
【お風呂に入らない】
「僕は家のお風呂を卒業します」の言葉と共に、家のお風呂には、5か月近寄りませんでした。
【歯を磨かない】
「虫歯になるよ」と何度か言いましたが、磨かないので、言うのを止めました。
【病院に行けない】
平日は、スタッフに、「今日はお休み?」と、聞かれるのが怖くて行けず、休日は、知人に合うのが怖くて行けませんでした。
歯科矯正をしていましたが、一旦ストップしました。
【髪を切らない】
目が前髪で完全に隠れていました。
【爪を切らない】
爪は切らないけれど、噛んでいたのか、いつも短かったです。
【服を着替えない】
1週間以上替えないので、無理矢理着替えさせようとすると、パニックになり、それに私が疲れ、諦めました。
【インターホンに怯える】
インターホンが鳴るだけでパニックになり、震えて怯えました。不登校児の繊細さに配慮出来る人は少なく、玄関先で、
「あれ、お兄ちゃん、見かけないね」
「学校行ってないの?」
と、聞いて来る人もいました。
それが長男に聞こえてしまうと、その後しばらく、長男は自分の部屋から出られなくなりました。
【外出できない】
外出をとても嫌がり、付いて来ませんでした。付いて来ないけれど、1人で家で待つ事を嫌がりました。家族の行動が制限されました。
【食事をしない(初期)】
1日1食しか食べず、やせ細っていた時は、カロリーを取らせようと、ハイカロリーな物を食べさせていました。
【食事を食べ過ぎる(後期)】
夜中の12時にインスタントラーメンを毎日食べたがる時期がありました。あまりに続くので、「体が心配」と伝えると、険悪な雰囲気になった為、言うのを止めました。
【昼夜逆転】
朝方まで布団の中で動画を見て、夕方に起床していました。不登校中、布団に入り、「さぁ、寝よう」と目を閉じて寝た事は一度もありません。毎日、寝落ちするまでスマホを見ていました。私は、夜中にスマホを見ている時間が気になり、使用時間を確認した事があります。大体毎日、夜11時から朝の5時や6時まで、平均6~7時間、真っ暗闇の中、布団に潜り、目から10センチの距離で長時間、スマホを見続けていました。
【動かない】
ずっと、同じ位置でゲームをしていました。廃人の様に、無気力でした。
【笑わない】
顔を上げませんでした。
【友人に会えない】
全く会えない時期が長くありました。少し回復して、特定の子に会える様になっても、心に負荷が掛かると、すぐに会えなくなりました。
【引きこもる】
些細な事に深く傷付き、数日間部屋に引きこもる事がよくありました。
【自信がなく、手を付けない】
親族の集まりで、皆で簡単なゲームに挑戦していた際、長男だけ「僕は、きっと上手く出来ない」と言い、手を付けませんでした。
【電気を消す】
「部屋を明るくしないで!」とお願いされた時期がありました。
【パニック症状】
突然泣き叫ぶ、暴力を振るう等の症状がでました。
【声が小さくなる(出ない感じ)】
心に負荷がかかると、一気に声が出なくなりました。本人は一生懸命声を出そうとしているのですが、とても小さく、聞き取れない程の声しか出ていませんでした。
【イベントを嫌がる】
誕生日等の節目のイベントがある度に、「僕は、ずっとずる休みしているんだ」と言って、自分を責め、いつも暗い顔をしていました。
思い浮かぶ1年半の長男の状態は、こんな感じでした。
109 一瞬治った昼夜逆転の日
109 一瞬治った昼夜逆転の日
2021.11月下旬
昼夜逆転のサイクルがずれ込み、その日、長男は朝から起きていました。
朝の時間帯に長男の姿を見るのは久しぶりで、嬉しい反面、私は、
・朝の忙しい時間に長男に神経を使うのは疲れる
・皆が出発してから起きてほしい
・リビングでゲームを始める姿を見ると、次男が「ぼくも休みたい」と言い出すので困る
・あー、もう1時間長く寝ていてよ
と思っていました。
長男が朝起きていると、私の行動が制限されました。
「どこにも行かないで、出かけないで、寂しい」
「僕が寂しいのに、置いて行くんだね!」
と、言ってきます。
この日は特に荒れていました。
・娘を虐める
・私に暴言を吐く
・ソファに座っていた次男をソファから蹴り落とし、泣かせる
私は下の子を虐められると、怒りスイッチが入ります。
長男に向かって、
「何で、そんな意地悪するの?」
「もう・・・寝ててよ、用事ないんだから!」
そんな言葉を掛けていた気がします。
長男は、
「うるせー、くそばばぁ」
と言い、目を吊り上げ、不機嫌になっていました。
本当に、もう、寝ててよ・・・
家族の平和な日常を、一瞬で壊さないでよ。
そんな気分でした。
学校へ行けていない事への苛立ちなのか、劣等感なのか、理不尽な事を言って周りを傷付けます。
天気の良い日で、娘と一緒に公園に行こうとしていたら、
「絶対に行くな!」
と、言われ、結局娘は家の中で過ごしました。
長男が起きている間は自由に動けない。
娘を家に閉じ込めておきたくない。
幼稚園帰り、次男が公園で遊びたがっても家にいる長男が気になり、落ち着かない。
私は常に、長男の存在に支配されている気分でした。
長男がいるから、出かけられない。
長男がいるから、早く帰らなくちゃ。
長男がいるから、お昼を作らなくちゃ。
長男が行かないから、家族でお出かけ出来ない。
この子が居なかったら、楽なのにな・・・
この子が居なければ、普通の子育てなのに・・・
何で、こんなに、この子は難しいの?
何でうちだけ、こんなに大変なの?
私はイライラしながらも、長男が不安定な時こそ、私の温かな対応が大切なのだろうと、分かってはいました。
それでも、感情が先立ち、不安定な長男に上手く対応出来ませんでした。
優しくしなければ、ストレスを与えない様にしなければ、頑張らなければきっとあの子は回復しない。
どれだけ頭で分かっていても、私はすぐに感情に負け、不快が態度に出てしまいました。
108 発育歴
108 発育歴
2013年冬、私が35歳になった3日後に長男は生まれました。
いわゆる、高齢出産です。
予定日の数日前に、私は背伸びをして天井の掃除をしてしまい、赤ちゃんがお腹でゆっくりしている時に、破水してしまいました。
子宮の中で羊水が減っていく中、赤ちゃんが全然降りてこない為、許可されている、最大量の錠剤の促進剤を飲み、点滴をマックスで打ち、破水してから42時間後に、長男は自然分娩で生まれました。
思い込みなのでしょうが、促進剤を最大限に使用する事は、赤ちゃんの脳機能に影響を与えるのではないのか?と私は感じています。
母親もそうですが、きっと赤ちゃんも苦しんだはず。
薬を大量に使用し、自然に逆らって生まれ、小さな体で苦しんだストレスは、その後の発育に影響しないのか?と疑問に思っています。
・・・
出産後、少し黄疸は出ましたが、全て正常値でした。
発語も、おむつが取れる時期も、問題はありませんでした。
次男が生まれる2歳3ヶ月まで、癇癪を起す事もなく、とても穏やかで、よく笑う、とても可愛い子でした。
それでも、いつもなぜか、少し不安そうな目で物事を見ていた姿は、脳裏に焼き付いています。
長男は泣かない子で、あまりに泣かないので、泣くと、ホッとした覚えがあります。
診断名が出て、【自閉症】で調べると、自閉症児はくるくる回る、とありました。
長男は7か月頃、お座りをして、その場でくるくるくるくると、回っていた事がありました。コンパスみたいだね、と話していました。 それ以外で「回る」という行動はありませんでした。
断乳は1歳半でした。
もうおっぱいは無しだよ、と【へのへのもへじ】をおっぱいに書いて見せると、その日から水筒でお茶を飲みながら寝る様になりました。一度もぐずったり、泣いたりしませんでした。
何て楽な子なのだ・・・と思った記憶があります。
育てていく中で、気になった点がいくつかありました。
・新しい場所に行くと、中々部屋に入れない。
・2歳になる前、友人宅へ行った際、土間に入るまでに1時間、土間から部屋に入るまでに2時間程掛かり、上がってからも、他の子供達の輪には入らず、遠目で様子を見ていた
・遊んでいた子供たちが移動すると、ゆっくり、おもちゃに近づき不安そうな目をしながら、そぉっと触りだす
・2歳児検診の際、長男だけが、身体測定の部屋に入れず、怯え、泣き喚き、一歩も入れないので、保健師が測定を諦めた
・5組位の親子で紙芝居の読み聞かせをした際、長男だけ部屋に入れず、ずっと廊下にいた
・私が読む番になると、「読んではダメ」と泣き喚き、私だけ読むのを諦めた、読んではダメと言った時、何かに怯えているかの様に不安そうだった
・毎日通っていた児童館で、部屋に入る際、必ず不安そうな顔で様子を見る為、時間が掛かる
そんなエピソードがいくつもありました。
とにかく、新しい場所、知らない場所へ行くと、中へ入る事を異様に嫌がりました。
幼稚園の就園前検診の際も、自分の順番になると、軽いパニックになり、お漏らしをしました。
当時は気が付いていませんでしたが、長男は、何をするのか分からない際に、パニック状態になりやすく、泣きわめき、体全体で抵抗し、断固拒否していた様に感じます。
他の子供が困難に感じていない部分に、困難を感じる場面はいくつもありました。
・年少時の運動会の際、入場行進の列に入れず、担任が列に入れようとすると、パニックになり、「嫌だ!」と、最大限に手足をバタつかせ、抱っこも出来ない程にのけぞり、抵抗し、参加できなかった
【運動会のかけっこ】
年少→先生が長男を抱っこして走る 不安そうな目でずっと周りを見ている
年中→先生と手を繋いで走る
年長→運動会1ヵ月前までは、リレーの練習に参加できず、先生と手を繋いで走っていたが、最終的には「アンカーなら走る」と言い、走った(アンカーはこだわり?)
【運動会遊戯】
年少→先生が抱っこ 踊りはやらない
年中→先生の膝の上 手だけ少し動かしていた
年長→元気に、張り切って参加
【お遊戯会】
年少→とても不安そうに、舞台下から観客席を見ていた 舞台には上がらない 着替えに時間がかかる
年中→舞台上には行くが、正面を向かず、後ろ向き 着替えに時間がかかる
年長→友人に指示が出来るほど、張り切ってやっていた 一切問題なし
色々気になる点はありましたが、私は物で釣ったり、叱りつける事に抵抗があった為、「あ、やりたくない子なのだな、私も小さい頃、人前で何かをする事が大嫌いだったな、私に似たんだな」くらいにしか思っていませんでした。
この時点で発達障害などの知識が、少しでもあればよかったのかな?と思う事もあります。
他にも、幼稚園の座席は自由でしたが、長男の席は無言の了解で決まっていたそうです。
長男がその席にしか座らない為、周りの皆が譲る様になったと聞きました。座ったことのある席が安心する様でした。
給食は偏食が激しかった様です。
次男が生まれた際、他の誰かが次男を抱っこする事を一切許しませんでした。
やきもちだね、というレベルではありません、次男を抱く事は不可能でした。
初めての子育ての為、こんなものなのかな、と思いながらも、何だか他の子よりも、スムーズにいかない事が多いなと、何となく気が付いてはいました。
大らかでいよう、大らかでいよう、やらないからと、あたふたする親になってはいけない。そう思う様にしながらも、行事がある度に、帰りにいつも、胃の辺りが重くなっていました。
何で、うちの子だけ違うのだろう・・・
医療センターの問診票に、上記のような、事細かな発育歴を6枚記入しました。
107 出された診断名
107 出された診断名
2021/12/3(金)
初めて医療センターに行った11月1日から1か月が過ぎ、2度目の予約日です。
今日、私に与えられていた診察時間は10分。
とても日当たりの良い、静まり返った診察室に入ると、前回と同じ、30代位の物静かな女性の担当医が、穏やかな口調で、
「お待たせしました」
と、微笑みかけてくれました。
私が、長男は連れて来れる状態ではない、と伝えると、
「いつか、待合室にでも連れて来られたら、連れてきて欲しい」
「待つ姿からも、様子を診察できます」
と、言われました。
前回の発育歴確認の続きからでした。
今回も、今の状態は、ほぼ話せていません。
担当医が、私が質問に答えている内容を、頷きながら聞き、パチパチとパソコンに文字を打ち込みます。
話が一区切りすると、先生が何かをプリントアウトし私に、さっと手渡しました。
そこに書かれていたのは、
【診療計画書 診断名 状態 (疑いも含む) 自閉症スペクトラム障害】
の文字でした。
ん?
何?
何の話?
私はしばらくの間、担当医が、誰の話をしているのか、理解出来ていませんでした。
そこから、先生と何を話したのかは、覚えていません。ただ無感情で、
「そうなんですね」
とか、そんな一言位しか発さなかったと思います。
担当医は、
「本人の性格や、こだわり行為は変えられない、周りが接し方のこつを掴むと、本人も、周りも、スムーズに生活し易くなります」
と、アドバイスをくれました。
こつ・・・
・・・?
こつって何だ・・・
30分ほど掛かる帰り道は、自分がどう帰って来たのか、あまり覚えていません。
ぼーーーーっとしながら車を運転していた様な記憶があります。
負の感情はないけれど、ここ数か月間に目まぐるしく巻き起こっている、出来事。 自分とは一生関係ないと思っていた出来事が、どんどん私の人生に入り込んできて、その情報の処理をする事に、脳が上手く反応していない、そんな感覚でした。
姉に話すと、
「自閉スペクトラム障害・・・学校に自閉スペクトラム障害診断を貰っている子で、長男君と、そっくりな症状の子がいるよ、やりたいことしか基本やらない」
と、言っていました。
長男は今まで、やりたくない事も、卒なくこなしてきました。
比較をした事はありませんが、むしろ、良く出来ている方だったと思います。
その点が、何だか腑に落ちませんでした。
本当に自閉症なら、場面に応じて、やる、やらないのコントロールができるのだろうか?
私の見解は、発達に偏りのある子を指導している先生が指摘した、過剰適応が1番しっくりきていました。
個性と言えば個性、でも、社会生活に支障が出たら障害と名前を付ける。
長男の場合は、不登校という形で、社会生活に支障が出ていると、判断された様でした。
発育歴に書いた、こだわりの強さ、そこで診断されているのだろうか?
そのこだわりの強さも、ゲームを始めてからは、かなり軽減されていました。
満たされ始めたら、様々な症状が、落ち着いてきている様に感じていました。
「今は、こだわりの強さが薄まっている」
「何だか納得いかないな」
「そもそも担当医は、本人に数分しか会っていない・・・」
ネットや、不登校関連本を見た限りでは、長男は典型的な不登校児の道を辿っており、自閉症診断は腑に落ちませんでした。
それでも私は、この本を購入し、読んでみました。
当時、私には、あまりにも発達障害の知識が無く、自閉症と自閉症スペクトラム障害の違いも、全く分かっていませんでした。
2013年?に自閉症の診断名の定義が変わり、自閉症スペクトラム障害と診断される患者は、かなり広範囲になった、と、担当医に言われました。
自閉症はもの凄く狭い範囲、黒の1点。
スペクトラム症は、かなり広範囲、軽い子は、ほぼ健常児である、と説明を受けました。
その説明を受けても、私の様に、自閉症について、全く知識のない親からすると、診断名に【自閉症】の文字があるだけで、医師から与えられるインパクトは、強烈でした。
106 深夜の長男との時間
106 深夜の長男との時間
私は毎日、通常通り下の子のお世話をし、寝かしつけてから、また起きて、長男の話相手をする。そんな生活に心身共に、くたくたになっていました。
睡眠時間が短いのもそうですが、ただ起きている、というよりは、常に、何か重い課題を投げられて、答えの見つからない答えをずっと探している感覚でした。
下を寝かしつけに行く際、必ず長男は、
「お母さん、寂しい、起きて来てよ、後で来てよ、絶対ね、絶対来てよ」
と、毎日言います。
不登校前の生活だと、子供が寝てからの数時間が、唯一の自分だけの時間でした。
「あー、今日も1日終わったな」
と、思った後に、昼間もずっと一緒に居る長男と一通り戯れる事に、私は幸せを感じる事はできませんでした。
長男は昼間も、買い物に行く事すら嫌がる程、そばに居たがりました。
寝かしつけの後起きて行くと、
・深夜にまた料理をするのが面倒臭い
・感情が邪魔し優しい雰囲気で話せない
・上手く傾聴出来ない
・絶え間なく続く、相手からの一歩的なゲームの話に盛り上がって話せない
・そんな態度しか取れない自分自身を心の中で責める
・自分の態度が良くない、と分かっていても、悪い癖を抜く事が出来ない
・私が母親では、この子は立ち直らないだろう、と落ち込む
周りに、どれ程頑張っている、頑張り過ぎている、と言われても、どうしても、そう思えませんでした。
私が頑張れているなら、長男はもっと、良い方向に行っているはず。
「あー、私はやっぱり、こんな状況でも頑張れない」
と、気持ちが沈み、その影響で、また子供に優しくなれない
まさに負のスパイラルでした。
唯一、私の心が少し軽くなれたのは、いつでも姉達が、瞬時に話を聞いてくれていた事でした。
105 引っ越しを考える
105 引っ越しを考える
当時長男は、こんな感じでした。
・インターホンが鳴ると怯える
・外出時に車に乗り込む際、人に見られない様、背中を丸め、急いで車に駆け込む
・車内から、同年代の子を見つけると、社外から自分の姿が見えない様に体を隠す
・学校付近を車で通過する際、顔が引き攣る
・知り合いに会うのを恐れ、近所を出歩くことができない
・人に会うのを恐れ、庭に1秒も出られない
長男が何に怯えているのか、私にはよく分かりませんでした。
学校を休んでいるだけなのに、なぜ、そこまで、隠れ、怯えるのか?
不登校関連の本には母親自身が、
・人に会うのが嫌になる
・外出できなくなる
・近所のスーパーに買い物に行けなくなる
等の記載がありましたが、私には分からない心理でした。
学校に行かないのは、身を隠さなければならない程、いけない事なのか?
そもそも、近所の人に何を言われても、大して気になりませんでした。
私は、その部分に関しては、堂々としていようと、決めていました。
子供会の行事、廃品回収等の学校のイベント、サッカーの大会なども、自分に仕事がある場合は必ず行くようにしていました。
ある意味、意地でした。
お母さんまで、顔を出さない、と思われる事が嫌だった気もします。
あまりにも、家から出る事に怯える長男の姿を見て、当時、両親が考えていた事は以下です。
・私の実家近くに家族で引っ越す
・私の実家に、長男のみしばらく住む
・主人の実家に、長男のみしばらく住む
・私の行かせたい学校がある地域に引っ越す
・このまましばらく、ここで様子を見る
そして私は、こんな行動を起こしていました。
・実家近くの賃貸物件を探しにいく
・実家近くの娘の幼稚園を探す
・実家近くのフリースクールにコンタクトを取る (この時、私は次男もフリースクールのが良いと決めつけていました)
・実家近くの小学校に連絡し、新一年生(次男)の話を聞く
・今の家を査定に出す
・主人が上司に転勤移動を出すかもしれないと相談しておく
その時は11月下旬で、次男の入学が4月です。
コミュニケーション能力が低く、心配事の多い次男を転校させる事は、避けたかったため、引っ越すなら4月からにしよう!と決めていました。
引っ越すべきか、このままここで、様子を見るべきか、どれ程考えても答えは出ません。
たまに来てくれていた姉は長男の姿を見て、こんな事を言っていました。
「毎回、友達来ると顔色を変え、奥の部屋に隠れる姿を見ると、まだまだだなって実感する」
「隠れる時の顔つきが普通じゃない」
「外に出る時に、人目を気にし、おどおどしているよね」
「ただ、もう少し時間がたった時どうなるのか」
「長男君の本心はどうなのか」
「引っ越す事がストレスになるのか、ストレスフリーになるのか」
「長男君は物を大切にするから、家を手放す事をどう思うか」
「長男君の事だけ考えるなら、まだまだ分からない事があるから、4月はまだ早い気がする」
「もう少し長い目で考えてみたら」
不登校に対する、主人の価値観はこうでした。
・大人でも、一度長期で休んだ場所に復帰するのは嫌
・新しい場所が緊張したとしても、心機一転、リセットする方がよいのではないか?
・不登校は黒歴史、俺なら、絶対知ってる人とその後関わりたくない
主人は不登校に対して、マイナスイメージを持っている様でした。
私は、それをあまり理解できず、また、主人とのズレを感じていました。
104 起立性調節障害
104 起立性調節障害
最近は、風邪の症状が無いのに、朝起きれず、よく吐くので、 ネットで調べると、【起立性調整障害】という、言葉を見つけました。
【以下、ネット引用】
起立性調節障害はこんな病気
起立性調節障害(OD:Orthostatic Dysregulation)は、思春期前後の小児に多くみられ、起立時にめまい、動悸、失神などが起きる自律神経の機能失調です。
人の身体は、起立すると重力によって血液が下半身に貯留し、静脈を経て心臓へ戻る血液量が減少し血圧が低下するので、これを防ぐために自律神経系の一つである交感神経が興奮して下半身の血管を収縮させ、心臓へ戻る血液量を増やし、血圧を維持します。しかし、自律神経の機能が低下した結果、このメカニズムが働かず、血圧が低下し脳血流が減少するため多彩な症状が現れます。
起立性調節障害の症状・診断
起立性調節障害でみられる身体症状として、以下があげられます。
1.立ちくらみ、あるいはめまいを起こしやすい
2.立っていると気持ちが悪くなる。ひどくなると倒れる
3.入浴時あるいは嫌なことを見聞きすると気持ちが悪くなる
4.少し動くと動悸あるいは息切れがする
5.朝なかなか起きられず午前中調子が悪い
6.顔色が青白い
7.食欲不振
8.臍疝痛(せいさいせんつう)へその周囲の痛みをときどき訴える
9.倦怠あるいは疲れやすい
10.頭痛
11.乗り物に酔いやすい
これらの項目のうち3つ以上当てはまる、あるいは2つであっても症状が強いなどの場合、起立性調節障害を疑います。
・・・
長男は、いくつかの症状が、あてはまりました。
数か月前まで、元気に学校に行き、外で遊びまわっていたあの子に、一体、何が起こっているのだろう?
調子の悪そうな我が子を見ていると、少しずつ生活リズムを直していきたい。
と、強く思いました。
しかし、無理矢理何かをする事はできません。
様々な不登校関連本にも記載されていますが、不登校児は本当に指示が通りにくいです。
大人が何かして、どうにかなるものではありませんでした。
本人の意識が変わり、自分で変わりたい、と動き出すのを待つしかない。
その心理は、本で読み、何となくですが、理解しているつもりでした。
でも、どうやったら、息子の意識は変わるのだろう?
いつまで、その日が来るのを待てばいいのだろう?
103 伝わらない気持ち
103 伝わらない気持ち
2021/11月中旬
主人が帰宅し、
「毎日、子供達がゲームをしている姿は、胸が締め付けられる、苦しい、本来望んでいる姿じゃない」と言いました。
私は、
「え、ゲームに対して、そんな事思うの?」
という気持ちと、
「これで、スマホしか見ていない主人の背中に対し、私が思う、あの不快な感情を、少しは理解してもらえるかも!」
という、期待の気持ちが同時に浮かびました。
今まで我が家にはゲーム類が一切無く、テレビも見続ける事はしていませんでした。
いつも子供達は、工夫して遊んでいました。
家中の、色々な物を引っ張り出し遊ぶので、リビングは常に散らかっていました。
私は、それを、ストレスに感じる事はありませんでした。
ゲーム漬けで、散らからない家より、創意工夫をして遊び、部屋が散らかる事を、むしろ、喜んでいました。
主人が、今までの子育て環境と比較して、デジタル漬けになっている環境に、まだ、慣れていないのかもしれません。
長男が何か言いたげに、やたらと笑って、
「お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、明日学校休む」
と言ってきました。
ん?
もう、1ヵ月休んでるよね?、と思いましたが 、
「はいはい、ゆっくり、お休みしてね」
と伝えました。
この頃、長男は、少しでも外出すると、くたくたに疲れてしまいました。
風邪の症状はないのに、連日食後に吐き、元気がないので、
・食事を1日1食しか摂らない
・昼夜逆転している
・ゲーム画面を暗闇で長時間見ている
・太陽の光を浴びていない
等で、体に不調が出ているのではないかと、お母さんは心配しているよ、と伝えると、
長男は、
「お母さんは、僕の事を怒ってる!」
と言い、泣き出しました。
完全な昼夜逆転になっており、吐いたり、怠さも訴えていました。
太陽の光は全く浴びていません。
「少しずつ、戻して行けるといいね」
と、私なりに、優しい口調で伝えたつもりでしたが、長男は素直に受け取りませんでした。
今のあの子には、何も伝わらないのかな・・・
そっとしておくしかないのかな・・・
心配している気持ちは、伝わらないな・・・
102 次男がゲームを始めた日
次男がゲームを始めた日
2021.11.中旬
次男がいつも、ゲームを欲しそうに見ていたので、DSをもう1つ購入しました。
長男は、その事を知ると、泣き叫び怒り狂いました。理由は、
・僕だけのゲームじゃなくなった
・僕だけが持っている物じゃなくなった
・真似をされるのが嫌
・弟が自分と同じ事をしている事が嫌
です。
私は、長男はスイッチも買ってもらったが、次男は持っていない、となだめると、
・スイッチを使って次男と一緒にゲームをした事がある(1度だけ)
・だから、僕だけのゲーム機ではない(一度、人が触っている為)
と言います。
長男は、
「次男のDSを、今すぐ捨ててこい」
「絶対に、同じカセットを買うな」
と、叫び散らし、購入した私を責め立てます。
ゲーム機を心待ちにしていた次男は、怯えた顔でそれを握り閉め、無表情でフリーズしていました。
私は、2人でゲームを楽しんだら?と諭しましたが、長男の怒りは凄まじいものでした。
ゲームソフトも、次男は同じものを欲しがります。
私は長男の反応に怯え、次男に他の物を薦めますが、次男は、長男のやっているゲームがしたいのです。
長男が、あまりに次男を傷付ける事に納得がいかない私は、長男を叱りつけました。
・自分だけが楽しければよいのか?
・羨ましそうにしている次男を見て、楽しいのか?
・なぜ、次男がゲームをしてはいけないのか?
・なぜ、それを長男が決めるのか?
・なぜ、いつも自分、自分で他人を思いやらないのか?
そんな事を長男に聞いたと思います。
長男は、
「がみがみがみがみうるせー」
と、ただただ目に涙を溜め、怒り狂っていました。
なんなのだろう、この子は。
昔から、何でもかんでも、自分だけ、自分だけ。
いつもそうでした。
本当に、【長男らしい】発想。
もう、うんざりでした。
次男もゲームがしたい、減る訳でもない、楽しく2人でゲームをしたらいいのに、次男が自分と同じものを持っている事を許せない。
なんの心理なのだろう?
絶対発達障害だ。
脳機能が正常に働いていない、としか思えない。
通常ならば、何もなく過ぎていく事に、いちいち、大きく躓いて、家中が神経をすり減らしていました。
もしかしたら、自分ができない事を、万が一、次男が出来てしまったら、と、不安なのだろうか?
次男はただ、ゲームを楽しむだけで、酷く暴言を吐かれ、ゲームをするにも長男の目を気にし、こそこそと小さくなり、怯えながらゲームをする様になりました。
私からすると、ずっと長男にペースを合わせ、家族は我慢し、希望を聞いている感覚が強かった為、耐えがたい気持ちでした。
この子の独占欲は異常だな。
昔から思っていた事です。
とても不愉快な気分でした。
独占欲は、特性なのだろうか?
小さい頃、欲求が十分満たされなかった為の反動なのだろうか?
あの子は、それ程までに、欲求不満だったのだろうか?
どこで育て方を間違えたのだろうか?
弟に対して、優位に立っていたいだけ?
羨ましがられる存在でいたいの?
もし、幼少期の育て方が影響しているのなら、私の子育ては大失敗だ。
私に対する酷い事は我慢できます。
矛先が次男や娘に向かうと、どうしても感情的になり、長男にきつく当たってしまいました。
過保護にしなければ、優しくしなければ、頭では分かっているのです。
物を与える事、言う事を聞く事は、少しずつ出来る様になってきました。
でも、無理難題を言う事の多い長男への、心の寄り添いがなかなかうまくいきませんでした。
101 新たな葛藤
101 新たな葛藤
11月13日
しばらく誰にも会いたがらなかった長男ですが、幼馴染で同じ学校の友達と、友人宅でゲームをする事になりました。
マイクラをしたようです。
帰宅顔、長男は「スイッチが欲しい」と言いました。
言われたら購入しよう、と決めていましたが、言われたのが夜の9時過ぎでした。
「明日買おうね」の言葉が通じません。
泣きじゃくり、
「欲しい、欲しい、欲しい、欲しい」
「やっぱり、ダメなんだ、買ってくれないんだ」
と泣き喚きます。
丁度、主人が帰宅し、
「空いている店を探しに行こう!」
と言って、長男を連れだしてくれました。
私は、
「あー、また始まった。本当にこちらの都合を聞けない、わがままな子だな、めんどくさいな」と思った記憶があります。
結局、何件か探し回り、スイッチを見つけ、購入して帰ってきました。
明日からは、スイッチにはまり、ますますゲーム漬けになるのだろうな・・・
11月14日
みんな意地悪だ。
こんな場所に住んでいたくない。
転校したい、引っ越したい、と何度も、繰り返し言いました。
11月16日
スクールカウンセラーと教頭先生と話合いがありました。
内容が薄すぎて、何1つ覚えていません。
11月17日
別の幼馴染と、近所の同級生が別々で訪ねて来てくれましたが、顔が引き攣り、会う事は出来ませんでした。
その夜、長男は、わざとらしく、ケラケラと笑いながら、
長男:
「僕、何日、学校休んでるぅ?」
私:
「1ヵ月だよーーー」
長男:
「まだ、そんだけー?」
私:
「うん、ゆっくり休んでねー」
と会話しました。
お休みしている事を、気にしている様でした。
この時期、長男は口の中に酷い口内炎ができ、痛がり、ほとんど食事をしませんでした。
11月19日
いつもは、起きるとすぐにリビングに来ます。その日は、夕方4時頃起きていたようですが、7時頃までリビングには来ず、暗闇の中で動画を見ていました。 体調不調の様子はありませんでしたが、食事後、何度も何度もトイレに駆け込み、吐いていました。
その日の夜、娘を寝かしつけていると、長男が、
「お母さん、オムライス作って」
と、言いました。
私が、
「あと、数分で、娘が寝るから、少し待ってね」
と言うと、
長男:
「いや、待てない、今すぐ、今すぐ作って、待たない、今すぐ!」
私:
「え、、、娘ちゃん、泣いちゃう、、、」
長男:
「関係ない、今すぐ作って、お腹空いた、今作って」
と、執拗に言い続けます。
仕方なく、娘を我慢させ、オムライスを作りに行くと、ほぼ寝かけていた娘が 、
「おかあさん、おかあさん」と、大泣きし始めました。
もう、、、
私は、怒りの感情を抑え、オムライスを急いで作り、長男に渡しました。
その後、娘を寝かしつけ、リビングに戻ると、冷え切ったオムライスは、一口も手を付けられていませんでした。
なんなんだよ・・・
と、思いましたが、何も言いませんでした。
11月20日
銭湯に行きましたが、ずっと「怠い、怠い」と言い、帰りたがりました。
その日も、食後に吐きました。
11月21日
体調不良は、一切ありませんでしたが、この日も、食後に吐きました。
学校に行かなくなり、落ち着き始めていた長男ですが、彼の不安定さが心身にでているように感じました。彼の中に、何か別の葛藤が生まれ始めている様でした。
100 ゲーム生活の中で
100 ゲーム生活の中で
2021.11月頭
行き渋りから2か月が過ぎ、完全不登校になって20日経ちました。
今の長男の生活スタイルは、起きている間中、ゲームか動画のみです。 食事もまともには摂りません。
「好き放題させよう」と決めてはいても、深夜12時過ぎてもゲームをしている息子に、心配のあまり「まだ、寝ないの?」と言ってしまったり、嫌な顔をしてしまう事がありました。
不登校克服ママの話を聞いていたものの、克服ママの息子さんは中1で、我が子は小学3年生でした。 身体が急激に成長するこの時期に、「本当にいいの?」「まだ、8歳だよ」「脳とか、目とか、大丈夫なの?」という気持ちが抜けきりませんでした。
もともとが、ゲームに対して異常なまでの抵抗感がある為、尚更心配でした。
長男はそんな私の気持ちを感じ取っているのか、家族が就寝した後にゲームをする時は、わざとらしく「あー、そういえば・・・」とか、「ちょっと、あっちの部屋(リビング)に忘れ物しちゃった」とか、私に聞こえる様に寝室から立ち去り、リビングでゲームをしていました。
背中に私の批判的な視線を感じとっていたのだと思います。
次男が就寝すると、「お母さん、僕もお母さんの横にいていい?横でゲームしていていい?」と言い、私の布団に入り、抱きついてゲームをする事もよくありました。
思えば、次男が生まれてから、特に娘が生まれてから、長男に触りながら寝る機会は、ほとんどなかったと思います。長男も触れてこなかったので、私は、この子は、あまり人に触りたくない、ドライな子なのだ、と思っていました。
11月1日にゲームが我が家に来てから、次男との争いもなく、平和な日々でした。
次男はこの頃、人目を気にし、常に自信がなさそうにしていましたが、長男から攻撃されない為、以前よりも、穏やかな表情の日が多かった様に思います。
長男は、カーテンを閉め切り、部屋を真っ暗にし、朝から10時間以上休憩なしで動画を見続ける。
「中学になったら、きっとみんな、こんな感じになるはず。」
「数年早く思春期がきたと思っておこう。」
と、何とか気持ちが落ち込まない様に、考え方を変える努力をしていました。
遊びに来てくれた姉が、帰り際に、
「長男君の繊細さ、真面目さ、優しさが伝わる出来事が沢山あったよ、本人が辛い時期なのに、ずっと私(姉)に気を配り、最後は、どうもありがとう、と、抱きついてきたよ」
「人といると気を遣いすぎ、疲れてしまうのかもしれないね」
と、言っていました。
こんな状況でも、私は、まだ、頭の片隅でフリースクールの事を考えていました。
「あの、オルタナティブスクール、募集が始まるな」
「本人が見学に行き、入学したいと希望しなければ入れないな」
「まだ、早いかな」
「いつか、元気に、回復する日がくるといいな・・・」
今の私に出来る事は、何なんだろう。と、毎日考えていました。
99 サッカー話題
サッカー話題
2021.11.6
長男が完全不登校になったその年、私は長男の所属するサッカーの学年委員をしていました。
練習試合や大会の時には会場に行き、お世話をする役です。
長男が不登校になり、サッカーに行かなくなっても私は希望して学年委員を続けていました。
理由は、空いた穴を誰かが埋めなければならない事への罪悪感と、自分自身が、与えられた、やるべき事から逃げる事が嫌だったからです。
11月6日に大会がありました。
会場に行くと、 子供達が、私を見つけ、近寄ってきます。
子供達:
「ねー、(長男の名前)は?」
私:
「あー、ごめんね、今日来てないのー」
子供達:
「えーーー!あいつ(長男)いなかったら勝てんやん!あいつは、最強だからな」
「なんだよー、いねーのかよー」と言い立ち去っていきました。
私は、なんとか笑いながら、
「ごめん、ごめんー」と対応しましたが、家で、暗闇の中、ゲームをしている長男の姿と、元気に笑いながらサッカーをしている子供達の姿を比較してしまい、言い表しようのない、苦しい気持ちになりました。
子供達の、その言葉を、長男に伝えるか、伝えないか、大会後に貰ったおやつを渡すか、渡さないか、とても悩みました。
子供たちの掛けてくれた言葉が、長男の励みになるのか、それとも、思い出してしまい、また情緒が乱れるのか。よく考えた上で、私は伝える事にしました。
長男の機嫌の良さそうな時に、さり気なく、
「みんなが(長男)いないと、勝てない!来ないのかよーって残念がってたよー」と言うと、顔が曇り、下を向き、次男と娘に暴力を振るいました。 特に妹には酷く当たりました。 渡した大会のおやつにも一切、手を付けませんでした。
やっぱり、言うんじゃなかった・・・。
行き渋りから完全不登校になり、些細な発言で長男の情緒が乱れる為、私は発言一つ一つに神経を使い、伝えていいのか、考えながら長男に話しかけていました。
また、失敗してしまった。
しばらくサッカーの話題も避けよう。
98 私に刻み込まれた理想の母親像
98 私に刻み込まれた理想の母親像
子供を産む前から、母には、「子供を産むと、母親は自分の時間は全てなくなり、何1つ思い通りにはならなくなる」と言われていました。
外食もしばらく出来なくなる。
行きたい所へも行けなくなる。
全て子供中心で、自分を犠牲にして生きていく。
そんな事を言われていました。
私の受け取り方が極端なのかもしれませんが、子供を産んでから、子供を置いて、自分だけがどこかへ行く、自分のしたい事をするなどという事は、してはいけないことなのだと思い込んでいました。
実際、シングルマザーで働いている姉が、会社の飲み会等で子供を親に預け、帰りが遅いと、母は、とても不快そうにしていました。「子供がお母さんに会いたがっているのに、一緒に寝たがっているのに、自分が楽しむことを優先するなんて」
そんな感じの事を言っていました。
たった、数時間の事なのに・・・
結婚前に、姉のたまの不在に対する、母のそんな反応を見ていた私には、ますます、母親は楽しんではいけないのだ、という価値観が頭の中で固定されていきました。
そもそもが、早く結婚すると遊び足りないから離婚する、うまくいかない。と、何度も何度も言われていた私は、結婚する事にも躊躇いがありました。早く結婚したら、離婚するんだ、遊びつくした後に結婚しなければいけないのだ、今結婚したいなんて言ったら、絶対に許してもらえない。結婚するという事は、やりたい事を全て諦めるという事なのだ。私は勝手に、結婚へのイメージを固めていきました。
母親たるもの、常に子供が幸せであるように、子供に合わせて、全力で自分の出来る事をする。そうでなければならない、そうでなければ認めてはもらえない、と思い込んでいました。
私は、手間暇を掛け、大変な思いをすればするほど、母親として、しっかりやっている事になる、と信じていました。
楽をしてはいけない。
とにかく、手を抜いてはいけない。
元々の頑張り過ぎてしまう性格もあり、息抜きの仕方が分かりませんでした。
私は長男を布おむつで育てました。
外出先でも、旅行先でも紙おむつを使った事はありません。
布おむつと決めたら「今日は旅行だから、紙おむつにしよう」という選択肢をもてないのです。
少し頑張れば出来る事を、自分が楽をする為にさぼる事を許せませんでした。背中に誰ともない誰かの視線を感じ、頑張らない自分を許せない。自分に負けた気がするのです。
食事も冷凍食品を買った事は一度もありませんでした。 コンビニの物を買って食べさせる、イオンなどの商業施設で食べさせる、そんな事も一切しませんでした。 手抜きをすることには、大きな罪悪感を抱いていました。
布おむつで、完全に手作りの料理。1日中外で遊ばせて帰って来る。本を読んだり、一緒に遊んだりは沢山しましたが、長男を膝に入れ、テレビを見ながらまったり過ごす。そんな大切な時間をあまり持てていなかったのではないかと思います。
当時は、母親とはそうゆうもの、と思い込んでいましたが、今振り返ると、私はかなり、ストイックな性格だったようです。
私の母も、子供の為に全力、そんな母親でした。
私の、そんな理想の母親像を追い求めている姿勢は、夫や子供たちに、どう映っていたのだろう・・・。
気が付いていませんでしたが、私はとにかく、自分の母親から見て良い母親である様に、頑張っていたように思います。
97 「良かった」と思える事
97「良かった」と思える事
長男の反抗的な態度が始まってから、心労続きですが、一つ「良かったな」と、思う事がありました。息子たちの異変が今だったことです。
長男は8歳、次男は6歳です。
きっと、まだ立て直せる。
大変な中、希望は捨てていませんでした。
私は、もともとバカ正直で、うまく受け流すことが、とても苦手です。
特に気を許した家族には、思っている事をすぐに口に出し、態度に出てしまいがちです。伝えずに、内に秘めておく事は、とても苦手でした。
長男に話しかけられ、笑って話さなきゃ、と思っていても、どうにも受け付けなくて態度に出てしまいました。
笑えない時は、態度に出さず、余計な事を言う前に、そっと離れよう。
そう、決めてはいるのです。
分かってはいても、毎日、24時間、精神の不安定な不登校児と過ごす事は、とても苦痛でした。
訳の分からない要求ばかりをしてくる事への、苛立ち。
この子は、どうなってしまうのか、という不安。
無気力に、ゲームばかりしている息子への失望感。
好き放題にさせる、という対応が、正解!と確信を持てない、自信の無さ。
上手くやれない自分への苛立ちが、一番大きかった様に感じます。
どの不登校克服本を読んでも、インターネットを調べても、「まずはお母さんが元気になる事です」と書いてあります。これには、共感できませんでした。
私は、専業主婦です。暴れ回り、異常行動ばかりする息子と、毎日、24時間関わっている母親が、元気がでるわけないのです。
当時の私は、「母親が元気になれば、回復する」という発想は、ただの理想論だな、と思っていたと思います。母親が元気を出す方法があるのであれば、教えてもらいたかったです。
あの子がどんなに異常な事をしても、私は動揺しないように、常に冷静でいよう。
感情的にならないようにしよう。
そんなふうに、いつも自分に言い聞かせていました。
毎日毎日、毎回毎回、何度も自分に言い聞かせ、毎回毎回、失敗する。
上手く出来ない自分に腹が立ち、冷静になり、また、何とか立て直さなくちゃ、と思い直す・・・。
こんな事が、日々、繰り返されていました。
旦那さんに、理解して欲しい!と、期待しない様にしよう。
ゲームばかりの長男の姿を見ても、悲しくなる気持ちを捨てよう!
そう、割り切ろうとしても、無理でした。
旦那さんにも、長男にも、「こうであって欲しい!」と、期待し、いつも私の気持ちを、分かってはもらえない、と感じていました。
こんな生活から、何をどうしたら抜け出せるのか、そんな思いが、頭から離れませんでした。
それでも、「お母さんが大好きだ!」と甘えてくる可愛い時期に、情緒が大きく崩れてくれた2人を、何とか立て直そうと、私に出来る事は、何でもしていこう!と言う気持ちは、強く持っていました。
96 完全不登校突入後のお風呂事情
96 完全不登校突入後のお風呂事情
完全不登校になり、しばらくすると、長男は、
「僕は、もう、家のお風呂は卒業します」
と、宣言し、我が家のお風呂場に、近づかなくなりました。
その後、5か月程、長男は家のお風呂に入りませんでした。
調子の良い時は、週に1回、銭湯へ行きました。
2週間に1回、の時もあれば、1か月間、1度も銭湯に行けない事もありました。
銭湯に行っても、待合室で待つことはできませんでした。
ゲームを片時も手放す事が出来ず、お風呂を出たその瞬間にも、ゲームが手元に無いと落ち着きません。
涙目になり、地団駄を踏み、パニック状態になります。
下2人は、がちゃがちゃしたい、ゲームしたい、アイス食べたい、と子供らしくはしゃいでいます。
夜はライトアップがとてもキレイで、遊び場もあり、娘はとても喜んで見ていました。
長男と下の子2人の望み、両方同時に叶える事は、物理的に不可能でした。
主人が長男と先に車に戻り、車内でゲームをさせて、待たせる時もあれば、下の子達に急いで遊んでもらう、もしくは、遊ぶのを我慢してもらい、急いで帰りました。
毎回毎回、いつ、長男がパニックになるか、私はびくびくして、心がとても疲れました。
下の子達の無邪気な要求を聞いてあげられない事に、心が痛んだ事を、よく覚えています。
待合室に同年代の子供がいると、長男は、必ず酷いパニック状態になりました。
眼に涙を溜め、同年代の子達から隠れ、連れてきた両親に攻撃します。
「何してるんだよ!」
「早く帰りたい!」
「何で来たんだ!」
どちらかの親が、すぐに車に連れていきました。
そんな時は、車中で待つこともできません。即座に出発し、その場を離れなければ大パニックになりました。
その度に、下の子達は急かされ、望みを聞いてもらえず、ただただ諦めて帰るしかありませんでした。
同じ様な事が、毎回毎回起こるので、最終的には2台の車で銭湯に行くようになりました。
長男はお風呂だけ入り、すぐ帰宅。
下2人は、ゆっくり遊んで帰る様になり、少し心が楽になりました。
冬になり、しもやけ体質の長男の足先は血流が滞り、紫色になり、とても冷たかったです。
私は持ち運び用の、体が芯まで温まる足湯を購入し、毎晩、長男の足を温めました。
ソファから動かない長男の足元に、足湯を運び、私が、片足ずつ持ち上げ、足をお湯に入れていく。長男はピクリとも動きません。
足湯をやっている間も、長男は下を向き、ずっとゲームをしていました。
長く伸びきった髪が、長男の顔を覆って表情が見えません。
ソファに座り、首を直角に曲げて、無心でゲーム画面だけを見ています。
ただただ、ただただ、ただただ、無心でゲームをしていました。
表情はありません。
ただただ、ただただ、ずっと、息子は、ゲーム画面だけを見続けていました。
30分ほど、足湯をして、ふくらはぎから下をマッサージしながら洗っていました。血流が戻った足に、靴下を履かせ、足元を温めました。
そうしなければ、ただ、ソファに座って、夜中までゲームをしている長男の足先は、すぐに冷え切ってしまうからです。
お風呂にも入らず、着替えも一切しませんでした。
歯磨きもせず、顔も洗わない。
とにかく、ゲーム以外は何もしなくなりました。
不思議だった事は、1か月お風呂に入らず、頭も洗っていないのに、長男の頭からは異臭がしませんでした。
私の思い込みかもしれませんが、当時の長男は、身体的生理機能が全く働いていなかったのではないかと思います。
長期間お風呂に入らないのに、異臭がしないのは、不思議な感じがしました。
95 ゲームが届いた日
95 ゲームが届いた日
11月1日にゲーム機が届きました。なぜか私は、意味もなく、
「サッカーの大会行く?行かない?」
と、聞いてしまいました。
その質問の後、長男は次男を、ぼこぼこに殴りました。
・・・
・・・
・・・
お昼の郵便で、ゲームが届きました。
11月1日
世間一般的には遅すぎるであろう、我が家のゲーム生活がスタートしました。
11月1日(初日) 12時から24時 12時間 休憩無し
11月2日 朝9時から25時 16時間 休憩無し
11月3日 朝11時から24時 13時間 休憩無し
11月4日 朝10時から25時 15時間 休憩無し
11月5日 朝9時から25時 16時間 休憩無し
・・・・・・
ゲームが来てから、長男は、まともに食事を摂らなくなりました。
ただただ、取り憑かれた様に、ゲーム画面だけを見ていました。
想像していたよりも、どっぷりゲームにはまり込む生活がスタートしたのです。
94 少しずつ固まっていく決意
94 少しずつ固まっていく決意
娘を実家に預け、昼間、長男と2人で居ると、とても落ち着いていました。
私と長男の2人だけ、この空間が、今の息子には、必要な気がしました。
注文したゲーム機が届くまでの間、スマホを渡し、自由に使わせていると、次男と仲良く話し、よく、笑っていました。
その姿を見て、何度も何度も、何度も何度も、覚悟を決めなければ!と思うのです。
「もう、開き直り、とことん、付き合おう」
「好きな様に、させよう!」
その方が、いい子になるはず!一生懸命、自分に言い聞かせていました。
それでも、やはり、どうなってしまうのかが怖くて、中々開き直れません。
4月から、娘は幼稚園です。
娘が、昼間幼稚園に行けば、上手く回るかもしれないな。
娘とも、一緒に住めるかもしれない!
しばらくの間、長男はゲームにどっぷりハマる、と思っておこう!
もう、どうとでもなれ!と思おう!
長男は、もともとマイペースで、自制する事が苦手な様でした。
年齢の問題ではなく、自制が極端に苦手な子だと思います。
ゲームも、好きなだけやらせた方が、効果がありそうでした。
長男に、年長の次男には、まだゲームが早い事を伝えると、
「次男が帰ってきたら、消す、か、お父さんの部屋に移動する」
と言ってくれました。
・・・
・・・
・・・
次男にも、基本的には注意せず、甘やかしていると、落ち着いており、
「明日も1番に幼稚園に行きたいな」
等の発言が、出る様になりました。
正直、まだ心に何か引っ掛かりはあるものの、2人共、自由にさせた方が、よさそうだな。
と、頭では、分かっていました。