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2023年11月の記事一覧

113 診断書が腑に落ちない

113 診断名が腑に落ちない 
 
 


2021/12月頭  

 

医療センターの診断書に、【自閉症】の文字を見てから、私は、自閉スペクトラム障害というよりも、【自閉症】というキーワードばかりネットで検索していました。 

 

私は、それまで、医師や専門家の診断は、間違いないものだと思っていました。

しかし、自分で調べた典型的な自閉症の子どもの症例は、息子の現状とは合致しない点がたくさんあったので、この診断結果は、受け入れ難く感じました。

 

診断名が腑に落ちない私は、他の専門機関に話を聞きにいきました。 
 

その専門機関では、 

「医者が本人と話していないのに、自閉症スペクトラム障害の診断を出すのはおかしい」 

と言われました。 

 

「もー、何がなんだか分からない!」 

 

どこの専門機関の、誰が言っている事が本当なの? 
 

 

発達に偏りのある子を専門に塾を開いている先生は、

「診断名が付く前も、付いた後も、その子である事に、何一つ変わりはなく、悲しむ事はありません。学校に特性を理解してもらい、特別な対応をして欲しい時に診断書を都合よく利用したらいいだけです」

と言いました。

 

 調べると、自閉症の特徴として、

・コミュニケーション能力が低い 

・人の気持ちを汲み取れない 

等がありましたが、

 


息子は、人の気持ちが汲み取れない、というよりも、むしろ、周囲に気を遣いすぎるところがありました。

周りの子どもたちのペースに合わせ過ぎ、心の内側に大きなストレスを抱えるようなところがありました。


例えば、・・・。

 

友達に誘われると、理由もなく断る事が出来ず、気が進まなくても無理をし、付き合うような事がよくありました。

楽しそうだと私が思っていたら、その後、疲れ果てて自室にこもってしまう、そんな事がよくあったのです。
  

 

 

上の姉は、いつも、 

「まだ人生のほんの一部!一流大学を出て立派に就職しても引きこもる人がいる! 長男君は、そういう意味では大丈夫な気しかしないよ」 

 

と励ましてくれていました。 

 

励ますと言うより、本当に、そう信じている事が伝わる言い方でした。 
 

 

それなのに、母親である私は、この先、いつまで引きこもるのだろう、4年で行けなかったら、5年も行けなくない?5年で行けなかったら、6年も行けないじゃん!6年で行けない子は、9割中学も行ってないじゃん!そうやって、ずっと行けずに、大人になっても引きこもるの? 

 

この子の人生は、たった8年で真っ暗なの?と考え、不登校をネガティブに捉え、1人で不安に駆られていました。 
 
  

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112 外の世界に怯えた日

112 外の世界に怯えた日

 
 
2021.11.29 
 
 
この日の事はよく覚えています。

いつも、ゲームばかりで引きこもっている長男を、主人がテニスに誘いました。 
 

 

長男の小学校区ではない、少し離れた地区のテニスコートのある公園に行きました。 

遊具があり、その奥に広いグランドがあり、その更に奥へ行くと、テニスコートがありました。 
 

 

長男は同年代の子に会う事を極端に恐れていました。 

 

行きは、他の子供たちが遊んでいる遊具やグランドを避けて、テニスコートへ向かいました。 

 

テニスコートは高い塀に囲われており、外から中の様子は見えません。 

 

長男は、あまり元気がないものの、周りの視線を感じないテニスコートで、伸び伸び遊んでいました。 

 

家族でテニスをし、帰路に付く際、私は下の子のお世話をしていたため、主人と長男が先にテニスコートを出ました。 

 

主人に長男の状態を話してはいるものの、普段の様子を見ていないため、同年代の子供達がいる空間を、どれ程長男が恐れているのかを、主人は理解していませんでした。 

 

主人と長男は私より100メートルほど前を歩いていました。

 

主人が先に歩き、長男が後を追っています。

 

主人は、沢山の子供のいるグランドの真ん中を通り、遊具の方へ向かっていました。 

後ろから見ても、長男の様子がおかしいことが分かりました。 

 

主人は気が付いていません。 
 

 

私は下2人を残し、長男の方へ駆け寄りました。 

 

声を掛けると、振り向いた長男の顔は、今にもこぼれ落ちそうな涙を目に溜め、あたふたし、体が震え、隠れる場所を必死に探しているようでした。 

 

私が、 

「大丈夫?」

と聞くと、 
 

 

我慢していた涙があふれ出しました。 

 

「帰りたい、帰りたい、帰りたい!帰りたい!!!」 

「車どこ!早く乗りたい!」 

「早くここから離れたい」 

「ねー、車どこ」 

「ねー!ねーー!!ねーーー!!!」 

 

周りに子供が沢山いるため、呟くような声で、それでも叫んでいるような雰囲気で、口をへの字にし、私の体で、自分自身の体を隠そうと小さくなっています。 
 
 
 
徒歩5分程の場所に車が停めてあり、駐車場へ行くには沢山の子供のいるグランド横を通る道しかありませんでした。 
 

 

私は、長男に、

「急いで車取って来るからね、待っていてね」 

と言うと、

 

 

長男は、

「嫌だ、嫌だ」 

「早く、早くしてよ」 

「なんで、なんで車遠くなの!」 

「ねー、何で、早くしてよ、早く車乗りたい、帰りたい、帰りたい」 

 

と、周りをキョロキョロと見渡し、隠れる場所を探しています。

 

私はグランドと長男の間に立ち、視界をさえぎりました。 

 

 

公園と道を挟んだ向こう側に自販機がありました。自販機の後ろに回れば公園からは長男の姿が見えないので、長男をそこで待たせ、私は急いで車を取りに行きました。

 

 

私は主人に、パニックになる前の感じだから、長男から離れないでほしいとお願いし、急いで車を取りに走りました。 
 

 

車に乗り込むと、長男は、ダッシュボードに入れていたゲーム機を乱暴に手に取り、狂ったようにゲームを始めました。 

 

そんなに近くて、画面が見えるの?と思う程、ゲーム機に顔を近づけ、

 

「おー、すげー」 

「わー、勝った」 

「おー、楽しい」 

と、不自然にずっと1人で叫んでいます。 

 

助手席に座り、前のめりでゲームの世界に入り込む長男の姿は、異様な雰囲気で包まれていました。 

 

運転しながら長男の顔を、ふと見ると、顔が涙でぐちゃぐちゃでした。 

 

声だけ聴いていると、笑っているのに、顔は涙でぐちゃぐちゃ。 

 

その涙を拭うこともせず、ひたすらゲームボタンを押し続けます。 
 
 

・・・ 
 
 
私が泣いてはいけない、私が泣いてはいけない、涙が出ないように、涙が出ないように、と思えば思うほど、喉の奥の辺りが熱くなり、痛くなり、自然と涙がこぼれ落ち、止めることが出来ませんでした。 
 

 

今でも、この出来事、あの時の長男の様子は、昨日の事のように、鮮明に覚えており、脳裏から離れません。 
 

 

この世に出て、まだ8年しか経っていない子供が、なぜここまで苦しむのか。 
 

 

私の、何が、この子をここまで追い詰めてしまったのだろう。

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111 次男の試し行為

111 次男の試し行為 
 
 
 2021.11  


克服ママに「過保護にすること!」と言われたことを頑張っていました。 

 

出来る限り長男の望みを叶えるよう、わがままを言われても指摘せず、可能な限り対応する。 

 

そんな私の変化を見ていた次男が、私に言いました。 
 
 

 

次男: 

「お母さんは、お兄ちゃんのことが好きなんでしょ」 

「お兄ちゃんのことだけが好きで、お兄ちゃんのことだけが大事なんでしょ」 

そんなことを何度も何度も繰り返し聞いてきます。 
 

 

私は次男と2人きりの時に、 

「世界で一番次男の事が好き!」 

「こんなかわいい子、どこにもいない!」 

「お兄ちゃん、今元気がないから、お兄ちゃんばかりに構って、我慢させちゃってごめんね」 
 
と言っていました。

 

 

寝かしつけの時間は、 

「妹の隣で寝なよ!」 

「お兄ちゃんの所(リビング)に行きなよ!」 

「僕の横になんて来ないでよ!」 

「早く!行きなよ!」

と、突き放してきます。 

 


 
私は、 

「今は次男との、とっても大事な時間だから、意地でもここからどかないぞ!」 

と言って、次男を抱きしめ、放しませんでした。 
 

 

次男は、歯を食いしばり 

「やめろ!やめろ!」 

と、目に涙を溜め、蹴ったり叩いたりしていました。 

 

 

この子の情緒は大丈夫だろうか? 
 
 
 
食事を作っても、 

「これは、嫌」 

「あれは、嫌」 

「作り直して!」 

「今すぐ違うの買ってきて!」 

そんな要求が、日に日にエスカレートしていきました。 
 

 

 

いろどりに野菜をお皿にのせるだけで、 

「嫌がらせかよ!ふざけるな!」 

と言って、野菜を投げつけてくる事もありました。 
 
 


長男の似た様な要求を、私は全て聞き入れているため、次男は試し行為をしているのだろう、と出来る限り対応するようにしていました。 

 

 

次男は不登校ではなく、健常だと思っていたので、 

「こんな事聞いていいの?」 

「人を思いやれない子にならないの?」 


という不安が脳裏をよぎり、不安になりました。
 

 

 

そしてついに、2歳の娘までが、

「いらない」

「違うのほしい」

と兄たちを真似るようになりました。

 

私は1日に何食もご飯を作り、何度も何度も作り直していました。 

 

 

 作っても食べてもらえず、要望通り作り直したものですら、一口食べて「もういらない」と残す・・・。

 

「もぅ、いい加減にしてくれ!」 

こんな事、本当に続けていて大丈夫なのだろうか? 

この子達は、どんな子に育つのだろうか?

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110 不登校中の息子の姿

不登校中の息子の姿 
 
 

 
完全不登校中の息子の様子は、以下のような感じでした。


 
 

【ゲーム、動画しかしない】 

ゲーム、動画を、起きている間、1秒も手から放しませんでした。

数秒顔を上げ、民放テレビに視線を向けた際に、涙が出るほど嬉しかった事を覚えています。 
 

 
 
【お風呂に入らない】 

「僕は家のお風呂を卒業します」の言葉と共に、家のお風呂には、5か月近寄りませんでした。 
 
 
 
【歯を磨かない】 

「虫歯になるよ」と何度か言いましたが、磨かないので、言うのを止めました。 
 
 
 
【病院に行けない】 

平日は、スタッフに、「今日はお休み?」と、聞かれるのが怖くて行けず、休日は、知人に合うのが怖くて行けませんでした。 

歯科矯正をしていましたが、一旦ストップしました。 
 

 

【髪を切らない】  

目が前髪で完全に隠れていました。 
 
 
 
【爪を切らない】 

爪は切らないけれど、噛んでいたのか、いつも短かったです。 
 
 
 
【服を着替えない】 

1週間以上替えないので、無理矢理着替えさせようとすると、パニックになり、それに私が疲れ、諦めました。 
 
 
 
【インターホンに怯える】 

インターホンが鳴るだけでパニックになり、震えて怯えました。不登校児の繊細さに配慮出来る人は少なく、玄関先で、 

「あれ、お兄ちゃん、見かけないね」 

「学校行ってないの?」 

と、聞いて来る人もいました。 

それが長男に聞こえてしまうと、その後しばらく、長男は自分の部屋から出られなくなりました。 
 
 
 
【外出できない】 

外出をとても嫌がり、付いて来ませんでした。付いて来ないけれど、1人で家で待つ事を嫌がりました。家族の行動が制限されました。 
 
 

 

【食事をしない(初期)】

1日1食しか食べず、やせ細っていた時は、カロリーを取らせようと、ハイカロリーな物を食べさせていました。 
 
 
 
【食事を食べ過ぎる(後期)】 

夜中の12時にインスタントラーメンを毎日食べたがる時期がありました。あまりに続くので、「体が心配」と伝えると、険悪な雰囲気になった為、言うのを止めました。 
 
 
 
【昼夜逆転】

朝方まで布団の中で動画を見て、夕方に起床していました。不登校中、布団に入り、「さぁ、寝よう」と目を閉じて寝た事は一度もありません。毎日、寝落ちするまでスマホを見ていました。私は、夜中にスマホを見ている時間が気になり、使用時間を確認した事があります。大体毎日、夜11時から朝の5時や6時まで、平均6~7時間、真っ暗闇の中、布団に潜り、目から10センチの距離で長時間、スマホを見続けていました。 
 
 
 
【動かない】 

ずっと、同じ位置でゲームをしていました。廃人の様に、無気力でした。 
 
 
 
【笑わない】 

顔を上げませんでした。 
 
 
 
【友人に会えない】 

全く会えない時期が長くありました。少し回復して、特定の子に会える様になっても、心に負荷が掛かると、すぐに会えなくなりました。 
 
 
 
【引きこもる】 

些細な事に深く傷付き、数日間部屋に引きこもる事がよくありました。 
 
 
 
【自信がなく、手を付けない】 

親族の集まりで、皆で簡単なゲームに挑戦していた際、長男だけ「僕は、きっと上手く出来ない」と言い、手を付けませんでした。 
 
 
 
【電気を消す】 

「部屋を明るくしないで!」とお願いされた時期がありました。 
 
 
 
【パニック症状】 

突然泣き叫ぶ、暴力を振るう等の症状がでました。
 
 
 
【声が小さくなる(出ない感じ)】 

心に負荷がかかると、一気に声が出なくなりました。本人は一生懸命声を出そうとしているのですが、とても小さく、聞き取れない程の声しか出ていませんでした。 
 
 
 
【イベントを嫌がる】 

誕生日等の節目のイベントがある度に、「僕は、ずっとずる休みしているんだ」と言って、自分を責め、いつも暗い顔をしていました。 
 
 
 
思い浮かぶ1年半の長男の状態は、こんな感じでした。 
 

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109 一瞬治った昼夜逆転の日

109 一瞬治った昼夜逆転の日 
 
 
 

2021.11月下旬 
 

 

昼夜逆転のサイクルがずれ込み、その日、長男は朝から起きていました。 

朝の時間帯に長男の姿を見るのは久しぶりで、嬉しい反面、私は、 

・朝の忙しい時間に長男に神経を使うのは疲れる 

・皆が出発してから起きてほしい 

・リビングでゲームを始める姿を見ると、次男が「ぼくも休みたい」と言い出すので困る

・あー、もう1時間長く寝ていてよ 

と思っていました。 
 
 

 

長男が朝起きていると、私の行動が制限されました。 

「どこにも行かないで、出かけないで、寂しい」 

「僕が寂しいのに、置いて行くんだね!」 

と、言ってきます。 
 

 

この日は特に荒れていました。 

・娘を虐める 

・私に暴言を吐く 

・ソファに座っていた次男をソファから蹴り落とし、泣かせる 
 
 

 

私は下の子を虐められると、怒りスイッチが入ります。 

 

 

長男に向かって、

「何で、そんな意地悪するの?」 

「もう・・・寝ててよ、用事ないんだから!」 

そんな言葉を掛けていた気がします。 

 

 

長男は、 

「うるせー、くそばばぁ」 

と言い、目を吊り上げ、不機嫌になっていました。 
 
 

 

 

本当に、もう、寝ててよ・・・ 

家族の平和な日常を、一瞬で壊さないでよ。

 

 

そんな気分でした。 
 
 

 

学校へ行けていない事への苛立ちなのか、劣等感なのか、理不尽な事を言って周りを傷付けます。 

 

天気の良い日で、娘と一緒に公園に行こうとしていたら、 

「絶対に行くな!」 

と、言われ、結局娘は家の中で過ごしました。 

 

 

長男が起きている間は自由に動けない。 

娘を家に閉じ込めておきたくない。 

幼稚園帰り、次男が公園で遊びたがっても家にいる長男が気になり、落ち着かない。 
 
 
 

私は常に、長男の存在に支配されている気分でした。 

長男がいるから、出かけられない。 

長男がいるから、早く帰らなくちゃ。 

長男がいるから、お昼を作らなくちゃ。 

長男が行かないから、家族でお出かけ出来ない。
 

 


この子が居なかったら、楽なのにな・・・ 

この子が居なければ、普通の子育てなのに・・・

何で、こんなに、この子は難しいの? 

何でうちだけ、こんなに大変なの? 

 

私はイライラしながらも、長男が不安定な時こそ、私の温かな対応が大切なのだろうと、分かってはいました。 

 

それでも、感情が先立ち、不安定な長男に上手く対応出来ませんでした。 
 
 

 

優しくしなければ、ストレスを与えない様にしなければ、頑張らなければきっとあの子は回復しない。

 

どれだけ頭で分かっていても、私はすぐに感情に負け、不快が態度に出てしまいました。

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108 発育歴

108 発育歴 
 
 
 

2013年冬、私が35歳になった3日後に長男は生まれました。 

いわゆる、高齢出産です。 
 

 

予定日の数日前に、私は背伸びをして天井の掃除をしてしまい、赤ちゃんがお腹でゆっくりしている時に、破水してしまいました。 
 

 

子宮の中で羊水が減っていく中、赤ちゃんが全然降りてこない為、許可されている、最大量の錠剤の促進剤を飲み、点滴をマックスで打ち、破水してから42時間後に、長男は自然分娩で生まれました。 
 

 

思い込みなのでしょうが、促進剤を最大限に使用する事は、赤ちゃんの脳機能に影響を与えるのではないのか?と私は感じています。 

 

母親もそうですが、きっと赤ちゃんも苦しんだはず。 

 

薬を大量に使用し、自然に逆らって生まれ、小さな体で苦しんだストレスは、その後の発育に影響しないのか?と疑問に思っています。 
 
 

・・・ 
 
 

出産後、少し黄疸は出ましたが、全て正常値でした。 

 

発語も、おむつが取れる時期も、問題はありませんでした。

 

次男が生まれる2歳3ヶ月まで、癇癪を起す事もなく、とても穏やかで、よく笑う、とても可愛い子でした。 

 

それでも、いつもなぜか、少し不安そうな目で物事を見ていた姿は、脳裏に焼き付いています。 

 

長男は泣かない子で、あまりに泣かないので、泣くと、ホッとした覚えがあります。 
 

 

 

診断名が出て、【自閉症】で調べると、自閉症児はくるくる回る、とありました。 

長男は7か月頃、お座りをして、その場でくるくるくるくると、回っていた事がありました。コンパスみたいだね、と話していました。 それ以外で「回る」という行動はありませんでした。
 
 
 
断乳は1歳半でした。

 

もうおっぱいは無しだよ、と【へのへのもへじ】をおっぱいに書いて見せると、その日から水筒でお茶を飲みながら寝る様になりました。一度もぐずったり、泣いたりしませんでした。 

 

何て楽な子なのだ・・・と思った記憶があります。 
 
 

 

育てていく中で、気になった点がいくつかありました。 

 

・新しい場所に行くと、中々部屋に入れない。 

・2歳になる前、友人宅へ行った際、土間に入るまでに1時間、土間から部屋に入るまでに2時間程掛かり、上がってからも、他の子供達の輪には入らず、遠目で様子を見ていた

・遊んでいた子供たちが移動すると、ゆっくり、おもちゃに近づき不安そうな目をしながら、そぉっと触りだす 

・2歳児検診の際、長男だけが、身体測定の部屋に入れず、怯え、泣き喚き、一歩も入れないので、保健師が測定を諦めた 

・5組位の親子で紙芝居の読み聞かせをした際、長男だけ部屋に入れず、ずっと廊下にいた

・私が読む番になると、「読んではダメ」と泣き喚き、私だけ読むのを諦めた、読んではダメと言った時、何かに怯えているかの様に不安そうだった 

・毎日通っていた児童館で、部屋に入る際、必ず不安そうな顔で様子を見る為、時間が掛かる 
 
 

そんなエピソードがいくつもありました。 

 

とにかく、新しい場所、知らない場所へ行くと、中へ入る事を異様に嫌がりました。 
 
 

幼稚園の就園前検診の際も、自分の順番になると、軽いパニックになり、お漏らしをしました。 

 

 

当時は気が付いていませんでしたが、長男は、何をするのか分からない際に、パニック状態になりやすく、泣きわめき、体全体で抵抗し、断固拒否していた様に感じます。 

 
 
他の子供が困難に感じていない部分に、困難を感じる場面はいくつもありました。 

・年少時の運動会の際、入場行進の列に入れず、担任が列に入れようとすると、パニックになり、「嫌だ!」と、最大限に手足をバタつかせ、抱っこも出来ない程にのけぞり、抵抗し、参加できなかった 
 

 

【運動会のかけっこ】 

年少→先生が長男を抱っこして走る 不安そうな目でずっと周りを見ている 

年中→先生と手を繋いで走る 

年長→運動会1ヵ月前までは、リレーの練習に参加できず、先生と手を繋いで走っていたが、最終的には「アンカーなら走る」と言い、走った(アンカーはこだわり?) 
 
 
【運動会遊戯】 

年少→先生が抱っこ 踊りはやらない 

年中→先生の膝の上 手だけ少し動かしていた 

年長→元気に、張り切って参加 
 

【お遊戯会】 

年少→とても不安そうに、舞台下から観客席を見ていた 舞台には上がらない 着替えに時間がかかる 

年中→舞台上には行くが、正面を向かず、後ろ向き 着替えに時間がかかる 

年長→友人に指示が出来るほど、張り切ってやっていた 一切問題なし 
 
 
 
色々気になる点はありましたが、私は物で釣ったり、叱りつける事に抵抗があった為、「あ、やりたくない子なのだな、私も小さい頃、人前で何かをする事が大嫌いだったな、私に似たんだな」くらいにしか思っていませんでした。 

 

この時点で発達障害などの知識が、少しでもあればよかったのかな?と思う事もあります。 
 
 
他にも、幼稚園の座席は自由でしたが、長男の席は無言の了解で決まっていたそうです。 

 

長男がその席にしか座らない為、周りの皆が譲る様になったと聞きました。座ったことのある席が安心する様でした。

 

給食は偏食が激しかった様です。 
 
 

次男が生まれた際、他の誰かが次男を抱っこする事を一切許しませんでした。 

やきもちだね、というレベルではありません、次男を抱く事は不可能でした。 
 
 

 

初めての子育ての為、こんなものなのかな、と思いながらも、何だか他の子よりも、スムーズにいかない事が多いなと、何となく気が付いてはいました。
 

 

大らかでいよう、大らかでいよう、やらないからと、あたふたする親になってはいけない。そう思う様にしながらも、行事がある度に、帰りにいつも、胃の辺りが重くなっていました。

 

何で、うちの子だけ違うのだろう・・・ 
 
 
 
 
 
医療センターの問診票に、上記のような、事細かな発育歴を6枚記入しました。

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107 出された診断名

107 出された診断名 
 
 
 

2021/12/3(金) 
 
 

 

初めて医療センターに行った11月1日から1か月が過ぎ、2度目の予約日です。

 

今日、私に与えられていた診察時間は10分。 
 

 

とても日当たりの良い、静まり返った診察室に入ると、前回と同じ、30代位の物静かな女性の担当医が、穏やかな口調で、

「お待たせしました」

と、微笑みかけてくれました。 
 

 

私が、長男は連れて来れる状態ではない、と伝えると、 

 

「いつか、待合室にでも連れて来られたら、連れてきて欲しい」 

「待つ姿からも、様子を診察できます」 

 

と、言われました。 
 
 
 

前回の発育歴確認の続きからでした。

今回も、今の状態は、ほぼ話せていません。 
 

 

担当医が、私が質問に答えている内容を、頷きながら聞き、パチパチとパソコンに文字を打ち込みます。 

 

話が一区切りすると、先生が何かをプリントアウトし私に、さっと手渡しました。 

 

そこに書かれていたのは、 

 

【診療計画書 診断名 状態 (疑いも含む) 自閉症スペクトラム障害】 

 

の文字でした。 
 

 

ん? 

何?

何の話? 

 

 

 

私はしばらくの間、担当医が、誰の話をしているのか、理解出来ていませんでした。
 
 

そこから、先生と何を話したのかは、覚えていません。ただ無感情で、 

 

「そうなんですね」 

 

とか、そんな一言位しか発さなかったと思います。 
 

 

担当医は、 

「本人の性格や、こだわり行為は変えられない、周りが接し方のこつを掴むと、本人も、周りも、スムーズに生活し易くなります」 

 

と、アドバイスをくれました。 
 

 

 

こつ・・・ 

・・・? 

こつって何だ・・・ 
 
 

 

30分ほど掛かる帰り道は、自分がどう帰って来たのか、あまり覚えていません。

 

ぼーーーーっとしながら車を運転していた様な記憶があります。 

 

負の感情はないけれど、ここ数か月間に目まぐるしく巻き起こっている、出来事。 自分とは一生関係ないと思っていた出来事が、どんどん私の人生に入り込んできて、その情報の処理をする事に、脳が上手く反応していない、そんな感覚でした。 
 
 
 
姉に話すと、 

「自閉スペクトラム障害・・・学校に自閉スペクトラム障害診断を貰っている子で、長男君と、そっくりな症状の子がいるよ、やりたいことしか基本やらない」 

と、言っていました。 
 

 

長男は今まで、やりたくない事も、卒なくこなしてきました。 

 

比較をした事はありませんが、むしろ、良く出来ている方だったと思います。 

 

その点が、何だか腑に落ちませんでした。 

 

本当に自閉症なら、場面に応じて、やる、やらないのコントロールができるのだろうか? 

 

私の見解は、発達に偏りのある子を指導している先生が指摘した、過剰適応が1番しっくりきていました。 
 

 

 

個性と言えば個性、でも、社会生活に支障が出たら障害と名前を付ける。

 

長男の場合は、不登校という形で、社会生活に支障が出ていると、判断された様でした。

 

発育歴に書いた、こだわりの強さ、そこで診断されているのだろうか? 
 

そのこだわりの強さも、ゲームを始めてからは、かなり軽減されていました。 

 

満たされ始めたら、様々な症状が、落ち着いてきている様に感じていました。 

 

 

「今は、こだわりの強さが薄まっている」 

「何だか納得いかないな」 

「そもそも担当医は、本人に数分しか会っていない・・・」 
 

 

 

ネットや、不登校関連本を見た限りでは、長男は典型的な不登校児の道を辿っており、自閉症診断は腑に落ちませんでした。 

 

それでも私は、この本を購入し、読んでみました。 
 


 


当時、私には、あまりにも発達障害の知識が無く、自閉症と自閉症スペクトラム障害の違いも、全く分かっていませんでした。 
 

 

2013年?に自閉症の診断名の定義が変わり、自閉症スペクトラム障害と診断される患者は、かなり広範囲になった、と、担当医に言われました。 

 

自閉症はもの凄く狭い範囲、黒の1点。 

スペクトラム症は、かなり広範囲、軽い子は、ほぼ健常児である、と説明を受けました。 

 

その説明を受けても、私の様に、自閉症について、全く知識のない親からすると、診断名に【自閉症】の文字があるだけで、医師から与えられるインパクトは、強烈でした。

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106 深夜の長男との時間

106 深夜の長男との時間 
 
 
 
私は毎日、通常通り下の子のお世話をし、寝かしつけてから、また起きて、長男の話相手をする。そんな生活に心身共に、くたくたになっていました。 

 

睡眠時間が短いのもそうですが、ただ起きている、というよりは、常に、何か重い課題を投げられて、答えの見つからない答えをずっと探している感覚でした。 

 

下を寝かしつけに行く際、必ず長男は、 

「お母さん、寂しい、起きて来てよ、後で来てよ、絶対ね、絶対来てよ」 

と、毎日言います。

 

不登校前の生活だと、子供が寝てからの数時間が、唯一の自分だけの時間でした。 

「あー、今日も1日終わったな」 

と、思った後に、昼間もずっと一緒に居る長男と一通り戯れる事に、私は幸せを感じる事はできませんでした。 

 

長男は昼間も、買い物に行く事すら嫌がる程、そばに居たがりました。 
 
 
寝かしつけの後起きて行くと、 

・深夜にまた料理をするのが面倒臭い 

・感情が邪魔し優しい雰囲気で話せない 

・上手く傾聴出来ない 

・絶え間なく続く、相手からの一歩的なゲームの話に盛り上がって話せない 

・そんな態度しか取れない自分自身を心の中で責める 

・自分の態度が良くない、と分かっていても、悪い癖を抜く事が出来ない 

・私が母親では、この子は立ち直らないだろう、と落ち込む 

 

 

周りに、どれ程頑張っている、頑張り過ぎている、と言われても、どうしても、そう思えませんでした。 

 

私が頑張れているなら、長男はもっと、良い方向に行っているはず。 

 

「あー、私はやっぱり、こんな状況でも頑張れない」 

と、気持ちが沈み、その影響で、また子供に優しくなれない 

まさに負のスパイラルでした。 
 

 

唯一、私の心が少し軽くなれたのは、いつでも姉達が、瞬時に話を聞いてくれていた事でした。 

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105 引っ越しを考える

105 引っ越しを考える 
 
 
 

当時長男は、こんな感じでした。

・インターホンが鳴ると怯える

・外出時に車に乗り込む際、人に見られない様、背中を丸め、急いで車に駆け込む 

・車内から、同年代の子を見つけると、社外から自分の姿が見えない様に体を隠す 

・学校付近を車で通過する際、顔が引き攣る

・知り合いに会うのを恐れ、近所を出歩くことができない 

・人に会うのを恐れ、庭に1秒も出られない 

 
 

長男が何に怯えているのか、私にはよく分かりませんでした。 

 

学校を休んでいるだけなのに、なぜ、そこまで、隠れ、怯えるのか? 
 
 

不登校関連の本には母親自身が、 

・人に会うのが嫌になる 

・外出できなくなる 

・近所のスーパーに買い物に行けなくなる 

等の記載がありましたが、私には分からない心理でした。 
 
 

学校に行かないのは、身を隠さなければならない程、いけない事なのか? 

 

そもそも、近所の人に何を言われても、大して気になりませんでした。 
 
 
私は、その部分に関しては、堂々としていようと、決めていました。 
 
 
子供会の行事、廃品回収等の学校のイベント、サッカーの大会なども、自分に仕事がある場合は必ず行くようにしていました。 

 

ある意味、意地でした。 

 

お母さんまで、顔を出さない、と思われる事が嫌だった気もします。 
 
 
 
あまりにも、家から出る事に怯える長男の姿を見て、当時、両親が考えていた事は以下です。 

・私の実家近くに家族で引っ越す 

・私の実家に、長男のみしばらく住む 

・主人の実家に、長男のみしばらく住む 

・私の行かせたい学校がある地域に引っ越す 

・このまましばらく、ここで様子を見る 
 
 

 

そして私は、こんな行動を起こしていました。 

・実家近くの賃貸物件を探しにいく 

・実家近くの娘の幼稚園を探す 

・実家近くのフリースクールにコンタクトを取る (この時、私は次男もフリースクールのが良いと決めつけていました) 

・実家近くの小学校に連絡し、新一年生(次男)の話を聞く 

・今の家を査定に出す 

・主人が上司に転勤移動を出すかもしれないと相談しておく 
 
 

その時は11月下旬で、次男の入学が4月です。 

 

コミュニケーション能力が低く、心配事の多い次男を転校させる事は、避けたかったため、引っ越すなら4月からにしよう!と決めていました。 

 

引っ越すべきか、このままここで、様子を見るべきか、どれ程考えても答えは出ません。 

 

 

たまに来てくれていた姉は長男の姿を見て、こんな事を言っていました。 

「毎回、友達来ると顔色を変え、奥の部屋に隠れる姿を見ると、まだまだだなって実感する」 

「隠れる時の顔つきが普通じゃない」 

「外に出る時に、人目を気にし、おどおどしているよね」 

「ただ、もう少し時間がたった時どうなるのか」 

「長男君の本心はどうなのか」 

「引っ越す事がストレスになるのか、ストレスフリーになるのか」 

「長男君は物を大切にするから、家を手放す事をどう思うか」 

「長男君の事だけ考えるなら、まだまだ分からない事があるから、4月はまだ早い気がする」 

「もう少し長い目で考えてみたら」 

 

 

不登校に対する、主人の価値観はこうでした。 

・大人でも、一度長期で休んだ場所に復帰するのは嫌 

・新しい場所が緊張したとしても、心機一転、リセットする方がよいのではないか? 

・不登校は黒歴史、俺なら、絶対知ってる人とその後関わりたくない 
 
 

 

主人は不登校に対して、マイナスイメージを持っている様でした。 

 

私は、それをあまり理解できず、また、主人とのズレを感じていました。 

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104 起立性調節障害

104 起立性調節障害

 

 

最近は、風邪の症状が無いのに、朝起きれず、よく吐くので、 ネットで調べると、【起立性調整障害】という、言葉を見つけました。

 

【以下、ネット引用】 

起立性調節障害はこんな病気 

 

起立性調節障害(OD:Orthostatic Dysregulation)は、思春期前後の小児に多くみられ、起立時にめまい、動悸、失神などが起きる自律神経の機能失調です。 

 
人の身体は、起立すると重力によって血液が下半身に貯留し、静脈を経て心臓へ戻る血液量が減少し血圧が低下するので、これを防ぐために自律神経系の一つである交感神経が興奮して下半身の血管を収縮させ、心臓へ戻る血液量を増やし、血圧を維持します。しかし、自律神経の機能が低下した結果、このメカニズムが働かず、血圧が低下し脳血流が減少するため多彩な症状が現れます。 
 
 

起立性調節障害の症状・診断 

 

起立性調節障害でみられる身体症状として、以下があげられます。 

 

1.立ちくらみ、あるいはめまいを起こしやすい 

2.立っていると気持ちが悪くなる。ひどくなると倒れる 

3.入浴時あるいは嫌なことを見聞きすると気持ちが悪くなる 

4.少し動くと動悸あるいは息切れがする 

5.朝なかなか起きられず午前中調子が悪い 

6.顔色が青白い 

7.食欲不振 

8.臍疝痛(せいさいせんつう)へその周囲の痛みをときどき訴える 

9.倦怠あるいは疲れやすい 

10.頭痛 

11.乗り物に酔いやすい 
 

 

これらの項目のうち3つ以上当てはまる、あるいは2つであっても症状が強いなどの場合、起立性調節障害を疑います。



 ・・・

 

長男は、いくつかの症状が、あてはまりました。

 

数か月前まで、元気に学校に行き、外で遊びまわっていたあの子に、一体、何が起こっているのだろう? 
 
 
 
 
調子の悪そうな我が子を見ていると、少しずつ生活リズムを直していきたい。

と、強く思いました。

 

しかし、無理矢理何かをする事はできません。 
 

 

 

様々な不登校関連本にも記載されていますが、不登校児は本当に指示が通りにくいです。 

 

大人が何かして、どうにかなるものではありませんでした。 

 

本人の意識が変わり、自分で変わりたい、と動き出すのを待つしかない。 

 

その心理は、本で読み、何となくですが、理解しているつもりでした。 

 

でも、どうやったら、息子の意識は変わるのだろう? 

 

いつまで、その日が来るのを待てばいいのだろう?

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