不登校復活の道(ブログ)
250 次男の担任の先生にお願いしていた事
250 次男の担任の先生にお願いしていた事
私がM先生からの指導を受け、【勇気づけの子育て法】を実践するようになってから、3週間ほど経ちました。
この3週間で、家庭内で明るい表情が増えてきた次男ですが、夏休みの出校日前日になると腹痛、足の痛みを訴え、
「明日の学校が緊張して寝れない」
「行きたくない」
「面倒くさい」
と言い出しました。
そんな次男の姿を見いると、夏休み明けから次男も不登校なのかな・・・と不安に感じました。
そんな次男の姿をみて、やっぱりこの子は特別支援学級で集団から離れて学んだ方が良いのだ、と私は勝手に決めつけていたように感じます。
学校側からは、
「特別支援学級と言っても、学校にいる全ての時間をそこで過ごすわけではありません」
「主要教科だけ個別で学び、給食、学活などはクラスで学びます」
「今のまま立ち歩きが酷いと、学習遅れが出ないか心配です」
「あくまでも、本人主体で考えていきましょう」
と、言われていました。
・・・
次男の担任の先生は、次男に厳しい注意をしないようにしてくれていましたが、
「次男さんが僕に構ってほしいような雰囲気を感じるのですが、他の子供たちの事もあり、業務が忙しいので次男さんにあまり構えないのが現状です」
と言っていました。
私はそれを理解しており、不満もありませんでした。
・・・
夏休み明けは、担任の先生に発達凸凹塾の先生からもらうレポートを渡し特性を理解してもらうよう再度お願いしました。
「次男の問題行動は何か【目的】がある、もしくは構われたくてやっているのでスルーしてほしい」
「立ち歩きの多い次男が着席したら、『座っているね』だけで良いので『頑張っている事を見てもらえている!』と本人が気付くような声掛けをしてほしい」
先生に、座って授業を受ける事ができた時は、その時間割表に〇印を付けていただけないかとお願いしました。
座って授業を受けるという些細なことでも、その時間割表を私と次男で見直して、頑張った事を振り返ったら、次男の励みになるかもしれないと思ったからです。
とお願いし、私が〇付けノートを作成し先生に渡しました。
・・・
次男は常に、
「自分は何も上手くできない」
「どうせ僕なんて」
と言い、何事にもチャレンジせず自己肯定感の低い子でした。
そんな次男をただただ自由にさせて、注意をやめていても、自己肯定感が下がらずとも上がらない。
【勇気づけの子育て法】を知った私はそう感じるようになりました。
M先生の指導を受けた後、私がM先生に出会う前の1年間に頑張ってきたことは、自己肯定感が下がらないだけの子育て法だった事に気が付きました。
1年間自己肯定感を下げない子育てをしてきた我が家に今必要なのは、自己肯定感を上げていく接し方、M先生の教えてくれた【勇気づけの子育て法】なのだ!と思うようになったのです。
〇付け表は1月からつけてもらいました。
夏休み明け時点での記録はありませんが、添付写真の1月時よりもかなり悪い状態でした。
〇付けの仕方・・・担任の先生には、
全て座れた(はなまる)
20分座れた◎(にじゅうまる)
10分座れた〇(まる)
で記入をお願いしていました。
表を見ると、身体測定と一度国語で花まるが付いた以外は10分座れた時に付く〇マークがほとんどでした。
10分も座る事ができず△マーク(ほぼ授業参加していない)も多いです。
1年生の時の次男は、それほどに授業に参加する事の出来ない子でした。
249 変わっていく子供たちと私の気持ち
249 変わっていく子供たちと私の気持ち
2022年夏休み終盤
次男・・・
夏休み中、次男はずっとゲームばかりをしており、私はそんな次男をとても心配していました。
M先生に教えてもらい、子供への接し方を変えていくと子供たちに大きな変化が現れました。
寝る前に私が娘と折り紙をしていると、以前は見向きもしなかった次男が自然に参加して色々作ってくれました。
「お母さん、ハサミいる?僕のどうぞ」
と優しく相手を思いやる姿が見れました。
少し前まで無表情でゲームしかしなかった子なので、ゲーム以外に気持ちが向いているだけでとても嬉しかったです。
・・・
別の日、20時30分に寝室へ行くアラームが鳴り私が寝室へ行く支度を始めると、次男は突然怒り出し、
「この部屋に誰も居なくなったら怖い!行くな!」
と、私に向かって叫び地団駄を踏んで泣き出しました。
私が、
「お母さんと一緒に寝る部屋に行ってくれるの?」
「嬉しいなー」
「ありがとねー」
「キリが付くまで待っているから大丈夫だよ」
と言うと、
アラームが鳴り終わる前に次男は、
「お母さん、あと1分でキリがつくからね」
「そしたらゲーム終わるからね」
と伝えてくれました。
・・・
長男にも次男にも以前、
「お母さんは僕の言う事を聞いてくれない」
「僕の話を聞いてくれない人の話を何で聞かなきゃいけないの?不公平だ!」
と、言われていました。
・・・
長男には、
「お兄ちゃん、次男が呼んでるぅ」
「お母さんにはこのゲームどうやるか分からない」
「助けてもらえたらありがたい!」
と抱きつきながらお願いすると、長男は表情が緩み、次男のゲームをのぞき込み、
「どこだ、それか、貸してみろ!」
と、毎回断らずに次男を助けてくれるようになりました。
・・・
長男は、相変わらず些細なきっかけで次男に対し「馬鹿」「アホ」と傷付ける事もあるけれど、今まで私が思っていた「わがままな子、難しい子」という印象から、「優しい子、親切な子、繊細に相手を思いやれる子」という印象に変わっていきました。
大人が子供に接する声掛けを変えるだけで、目まぐるしく穏やかになっていく子供たちを見て、私は今まで子供たちの何を見てきたのだろう?
育てにくい子達、なんでうちの子達は、と思っていたけれど、私が難しい子を作り出していたのではないか?
私が丁寧に子供たちに接したら、この子達はどんな姿になるのだろう?と思うようになりました。
・・・
次男の情緒が不安定になったのは、明らかに長男の不登校後からでした。
次男の特別支援学級に関しても、私が次男を通常クラスではできない子!と枠にはめているのではないか?
私は、この子はできないんです!こうゆう子なんです!と先生たちに固定観念を植え付けていないのか?
私が次男の可能性を奪っているのではないか?
と思うようになっていきました。
248
248
私はM先生の子育て方法に出会うまで、克服ママに言われた通りに子供たちをただただ好きにさせていました。
子供たちに対して気になる事があっても、何も言わずに放置するように頑張っていました。
私は当時、うるさい事を言わなければ、子供の心が疲れず、傷付いた心の傷が癒え本来の元気な姿にいつか自然と戻ると考えていたのだと思います。
先生に【勇気づけの子育て法】を学んでからは、長男と次男の家族への貢献に目を向け、子供たちの不適切な行動にも注意をしないようにしていました。
・・・
長男が不登校になり、荒れ狂う日々から長男の気持ちが少しずつ落ち着きだした頃、長男は私に、
「僕、いつもお母さんに話しかける時、どう話したら言い返されないか、どう話したら『あなたはそう思うんだね』って聞いてもらえるか、いつも考えて考えて話しかけていたんだ」
「でもどんなに考えて考えて話しかけても、『だって』とか『でも』とか絶対にすんなり聞いてくれなかった」
「あー、お母さんには考えて話しても無駄なんだって思ったことがある」
「お母さん、今は聞いてくれるようになったよね」
「聞いてもらえない時、僕凄く嫌だった」
と言われたことがありました。
・・・
私は聞き上手な方ではありませんでした。
不登校後からは、子供が話しかけてきた時は、内容に関わらず相槌をうち、傾聴する事を心がけていました。
・・・
子供たちの情緒に波はあるけれど、次男の変化は劇的でした。
例えば・・・
今までお風呂に入る時に地団駄を踏んで、
「さっさとしろ!時間が無駄になる!ゲームが出来なくなる!早く出る!」
と基本的に不機嫌で暴言ばかり吐かれていました。
私はそんな次男に、
「そんなに文句があるなら一人で入りなよ」
「ゲームばっかりしてるから、何にもしたくなくなるんだわ!」
と次男を攻めるような言い方をしていました。
M先生のアドバイス後、私は次男にどれほどお風呂で待たされても、
「わーい、来てくれたー嬉しいー」
と不機嫌にお風呂場に来る次男に言うようにすると、次男は指をイイね!としながら笑って、
「来てやったぜぃ」
と冗談を言う日もありました。
・・・
次男は、夏休みに入った頃とは別人の様に明るい日が増えました。
私は子供たちに、とにかく、【ありがとう】を言い続けました。
「片付けてくれてありがとう」
「助かった」
「ご飯自分でよそったんだね!お母さん嬉しい!助かる!」
私は元々の寄り添い下手な性格もあり、いちいち感謝の気持ちを伝えるのは疲れる時がありました。
疲れる時もあるけれど、子供との関係は目に見えて良くなっていきました。
【ありがとう】を言い続けていると、言う事が癖になっていきました。
・・・
M先生の言う通り、子供を自分の思い通りにしよう!という気持ちを捨てると、子供と衝突する日が減っていくような気がしました。
寄り添う子育てを知らない頃は、子供の言いなりになってはいけないと、頑張って意見を聞かないようにしていました。
子供と衝突しない日常は、私も、子供たちもお互いに心が健康で楽でした。
247 プールにて
247 プールにて
2022年8月夏休み後半、家族でプールへ行きました。
家から10分ほどの距離にある市営の小さなプールで、夕方6時ごろに行くといつもガラガラで貸し切りでした。
人に会う事を嫌がる長男に、プールに人が全然いない事を話すと長男は、
「それなら、僕もついて行こうかな!」
とプールに一緒に行くと言い出しました。
・・・
長男は昔からプールが大好きで、入る時にきらっきらな笑顔になるので、主人はいつも、
「長男がプールに入る瞬間の、本当に嬉しそうな顔が大好き」
と言っていました。
・・・
長男は不登校以来、誘ってもプールに全然行きたがりませんでした。
私は、長男がプールに行きたいな!と思ってくれた事が凄く嬉しかった事を覚えています。
・・・
夕方はいつも空いているのですが、その日は4時ごろに行く事になりました。
プールに着くと夏休みで、同じくらいの年齢の子達が沢山おり普段は行われていないプール教室が開催されていました。
家を出る時は、プールを楽しみにしていて、着いてからもしばらくは楽しそうに泳いでいた長男ですが、人が増えるにつれて落ち着きがなくなり、無表情になり、様子がおかしくなりました。
着いたばかりで次男と娘は楽しく遊んでいました。
長男はそのままプールにいる事は難しく、私と長男だけ先に帰りました。
私にいてほしい、と言う下の子達を置いて帰るのは心苦しかったです。
・・・
プールの帰り道、私は長男に、
「夏休み明け学校どうしたい?」
と聞くと、
「少しずつ行きたいなーとは思ってるけど・・・」
「あくまでも・・・予定・・・」
「行くかは決めてない・・・」
「給食のデザートのじゃんけんはしない」
と下を向きながら、元気なく私に言いました。
・・・
それでも、長男は基本的に家庭内ではとても元気でした。
・・・
その日の私の日記には、
今から1年焦らずにいこう
ひたすらありがとう、助かったを伝えよう
大好き、素晴らしいを伝えよう
スキンシップを沢山していこう
と書いてありました。
246 新たな子育て法
246 新たな子育て法
私は長男が不登校になってから、先生の【勇気づけの子育て法】をプラスするまで、克服ママに教えてもらった【過保護にする】ことを徹底していました。
私は、
【過保護にする】=言われた要望に全て答える=言いなりになる、と勘違いしていたように思います。
その子が「今こうしたい!」という気持ちに寄り添う事ができていませんでした。
息子の、愛情に飢え、乾ききっている心を満たそうとはしておらず、
「全部言う事聞いてるじゃん!」
「でも、動き出さないじゃん!」
「全然良くならないじゃん!」
という気持ちがいつもどこかにありました。
・・・
克服ママに、
「欲しがる物も全て買い与えて大丈夫なの?」
「怖いんだけど・・・」
と聞くと、
「大丈夫、気持ちが満たされれば節度が出てくるよ」
「全て言う事を聞いていて、エスカレートしないのか、わがままな子にならないのかと心配になると思う」
「私も、そうだったよ。でも徹底して要望に応えてあげた方が良いと思うよ」
「子供の気持ちが満たされてくると、親が応える事が難しい要望は、子供に『どうしたらいいかな?』と相談できるようになっていくからね」
「そんな、子供の気持ちを大切にする接し方を継続していくうちに、『お母さんは、僕の気持ちを分かってくれてる!』『大切にされてる』と思い、少しずつこちらの都合も考えてくれるようになるよ」
と、アドバイスをもらいました。
私は1年弱それを実践し、長男の荒れた心が落ち着く所までは持っていけたと思っていました。
・・・
するとM先生は【勇気づけの子育て法】を教えてくれました。
先生は、全てを投げ出している不登校児の親は、
①子供のありのままの姿に対して、敬意の気持ちを持ち、生きていてくれてありがとう、と言う気持ちで接しましょう。
②子供の良い面や、家族への小さな貢献に着目し、心からありがとう、という感謝の気持ちを素直に伝えていきましょう。
③上から目線で褒めたり、叱ったりするのはやめて、楽しい時間を共に過ごすようにしましょう。
①~③を続けていると、必ず子供の言動や態度に、劇的な変化が現れます。
上から目線の躾けは、当面お休みにして、ただただ、子供を慈しみ、愛して、心も体も、抱きしめてあげて下さい。
ただし、自分でやれる事は、代わりにやってあげることのないようにして下さい。
その子の折角の家族への貢献のチャンスを奪う事につながるからです。
もしも、子供が自分でやれる事であっても、お願いしてきた場合は、やれる範囲で親切にしてあげて下さい。
何が何でも、全ての要望を受け入れなければならない、と考えるとストレスが溜まります。
できる範囲で、大いに親切にしてあげて下さい。
ありがとうは、一日何回でも言ってあげて下さい。
この勇気づけの子育てを最低でも、1か月は続けて下さい。
子供が変わります。
なので、子育てが楽しくなりますよ。
張り切っていきましょう。
と教えてもらいました。
・・・
私は、今までの子供のダメな事ばかりに目を向け、叱ったり、絶望したりして過ごしてきました。
私はそれをやめてしまい、この【勇気づけの子育て】を、とことんやってみようと心に決めました。
・・・
例えば・・・
昼夜逆転している長男と、家族が一緒に食卓を囲めたら、
「お兄ちゃんが起きていてくれて家族で食事ができて嬉しい、ありがとう」
「食器を運んでくれてお母さん助かったよ、ありがとう」
「妹のお世話をしてくれて嬉しかったよ、ありがとう」
「弟にゲームを教えてくれて、お母さんも弟も嬉しいよ、ありがとう」
「お兄ちゃんは、教え方が上手だね、凄い子だね」
「人に話しかける時の声掛けが本当に優しい子だよね、お母さん嬉しい!」
「友達にとても親切にゲームを教えているね、優しい子だね!お母さん嬉しい!優しい子に育ってくれてありがとうね」
長男が私の言い方が気に入らず、文句を言ってきたら、
「お兄ちゃんは嫌な気分になったんだね、お母さん気が付いていなかったから教えてもらえて本当に嬉しい」
「直していくからこれからも教えてね、教えてくれてありがとうね」
「お兄ちゃんが教えてくれるお陰で、素敵なお母さんになれるかも!」
「ゲームしたいのに、お母さんに買ってほしいと言えず、友達の話についていけない事をずっと我慢していたんだよね、辛かったよね、ごめんね」
「弟が生まれて、お母さんを取られたみたいで寂しかったよね、お兄ちゃんのお陰で弟のお世話ができたよ」
「よく今まで我慢してくれたね、ありがとうね」
私はそんなふうに、小さな【ありがとう】を見つけては、子供たちに言い続けました。
245 不登校の原因は何?
245 不登校の原因は何?
長男が不登校になって以来、私は長男の不登校の一番の原因は何だろうと、ずっと考えていました。
行き渋り始めた頃、息子は、
「女子がいなければ行ける」
「音楽の授業がない日なら行ける」
「給食を食べなくていいなら行ける」
と、色々な理由を言っていました。
私は長男の発する言葉を言葉の通りに受け取り、
「音楽の授業は教室にいていいよ」
「給食はお弁当にする?」
「女の子は・・・どうしようね・・・」
と、長男の学校生活での不満を排除し、気持ちが学校へ向く方法を担任の先生と模索していました。
・・・
発達障害だから、感覚が過敏だから、平均的な子より難しい子だから、小学校に入学してから今までずっと我慢してきたんだ!この子は我慢の限界に達したんだ、よく2年半も我慢した!
そんなふうに思っていました。
・・・
発達凸凹塾では、
「繊細な子なので学校は苦しいですよ」
「本人が行きたがっても、週に1回にして下さい」
と、言われていました。
児童精神科の先生には、
「自閉症児は不安が強く一般的な子供よりも環境に適応するまでに時間がかかり、とても疲れやすいです」
「発達障害を治す事は出来ないので、周りがその子が疲れない環境を整え、配慮する以外に方法はありませんよ」
と、言われていました。
私はそれらの助言を聞き、長男のように、
【自分はこうしたい!】
【自分のペースで進めたい】
【完璧にやりたい】
という性格の子に、学校生活はとても辛いのだろう。
あんな場所に行かせていたら可哀そうだ!
この子には自分のペースで自分の好きな事をして過ごせるフリースクールが合っているのだ!
自由な環境ならば喜んで通うはず!
環境が合わないのだ!
そう決めつけていました。
・・・
そんな事を思いながら、私はM先生に、不登校の原因は何なのだろう?と相談しました。先生は、
不登校は、原因を追究してそれを取り除けば解決する訳ではありません。
不登校になった原因ではなく、子供が不登校でいる目的を探るのです。
不登校の目的は無気力を装う事で親を失望させたり、親の言う事は聞かないぞ!という意思を示すためにやっていると考えるのです。
育てられる過程で、自分の価値を否定されたり、価値がないと思われた、という思いが子供にはあるのです。
この子は厄介だ、育てにくい、イライラする、という親の心の声を感じ取った子供は、心を閉ざします。
と教えてくれました。
学校が合わない、やり方が合わない、発達障害、繊細な子、そんな原因ばかり考えていた私は、【原因】ではなく、【目的がある】と言われ、今までとは全く違う角度から、不登校児を見るようになったのです。
244 なぜ、ゲームばかりの生活が不安なのか
244 なぜ、ゲームばかりの生活が不安なのか
私は、長男がゲームばかりしている事が気になり、先生に、この子はゲームばかりしていますが、大丈夫なのでしょうか?と相談しました。
すると先生は、
「お母さんは、どうしてゲームばかりでいいのだろうか?と考えるのですか?」
と私に質問しました。
私は、
ゲームをしている息子にむかついているのではありませんでした。
ゲームしかしない息子の将来はどうなってしまうのだろう?
この子はいつかゲームを止め、学校へ行く日がくるのだろうか?
ゲームをしていたら楽で楽しい、そんな日々に満足し、頑張る事をしなくなるのではないか? と不安でした。
子供がどんな気持ちでいるのかよりも、このままゲームしかしない人生だったらどうしよう、と自分が不安に感じる事で苦しんでいたのです。
もしも、神様が、ゲームしかしない日々は1年間です、2年間ですと言い、
「将来この子は必ず自立するのですよ、今だけですよ、大丈夫ですよ」
と明るい未来を約束していれば、私はゲームしかしない息子を見ていても、何も思わなかったと思います。
今は、ゲームでエネルギーを溜めているのだ、思う存分やったらいい!そんな気持ちになったと思います。
私はゲーム自体が嫌なのではありませんでした。
このままこの子はここから抜け出さないのではないか、と不安でした。
・・・
オンラインゲームは、ゲームに全く興味のない私には知らない世界でした。
メディアが騒ぐ、子供がオンラインゲーム中毒になる、抜けられなくなる、そんなマイナスな情報ばかりに目が行き、怖い事!と思い込んでいました。
オンラインゲームが何なのか調べる事もせず、ただただ漠然と自分の中にある恐怖のイメージで、子供にオンラインゲームをさせたくありませんでした。
この子はオンラインゲームを始めたら、絶対にのめり込むに決まっている。
そんな事になったら大変。
絶対にやらせたくない!
不安要素のある事は取り入れたくない!排除!排除!そんな感じでした。
起こってもいない私にとっての最悪な事態を想像し、不安になるのです。
私はただただ、見えない未来が不安だったのです。
243 次男の特別支援学級
243 次男の特別支援学級
次男は学力、知的障害などの問題はありませんが、立ち歩き、プールなどの授業不参加、集団不適合、スムーズに指示が通らない、などがあり、学校側と夏休み明けから、週1で特別支援学級を試す事になっていました。
・・・
私は、次男を特別支援学級に移すかどうか、とても悩んでいました。
次男は、一対一で学習すると、すんなり理解し、環境に慣れてくると、色々な事がちゃんとできる子でした。
集団が苦手なのだから、個別の特別支援学級に行った方が伸びるのではないか、と学校側も言っているし・・・
どうしよう・・・
・・・
姉から紹介してもらった先生からは、
特別支援学級で学習するのか、普通級で学習するのか、決めるのは本人です。
親が悩む必要などありません
本人の希望に従って下さい。
今の子育て法をしていたら、問題行動は必ずなくなりますよ。
たくさん可愛がれば、学校生活への適応も、見違えるほど良くなります。
全ては家庭環境次第なのです。
児童精神科の自閉症診断は誤診ですから。
子供に必要なのは、愛情だけです。
親が心から楽しみながら、子供と沢山遊んでください。
そんな関りの中で、色々な事が楽しい!と思える感性が生まれていきます。
と言われました。
・・・
学校の先生方は、次男はまだ幼いので、自分で決めるのは無理だろう、親の判断に従います、という意見でしたが、姉の紹介してくれた先生は、当たり前のように「子供が選べばいい」と言ってくれました。
基本的に、学校側は、こうすると良いですよ!という提案ではなく、親が望むのであれば、意向に従いますよ、という受け身の姿勢でした。
担任の先生に、通級に通わせたいです、とお願いしたのも、特別支援学級の方が次男に合っているのではないか、と相談したのも私からでした。
・・・
夏休み明け、次男は、結局特別支援学級の体験には行きませんでした。
先生方が何度か声をかけて下さったようですが、本人が断固拒否したようです。
担任の先生や、通級の先生が、何度も何度も特別支援学級の体験学習に誘うと、次男は、最終的に泣き出してしまった、と聞き、私は、これ以上は誘わない方が良いのかな、と思いました。
特別支援学級の先生と、担任の先生と、私との話合いの結果、特別支援学級の体験はなくなりました。
242 声掛け
242 声掛け
長男の不登校前まで、私は子供に注意ばかりしていました。
姉に紹介してもらった先生から指導を受け、少しずつ意識を変え、良い面に着目するようになってから、子供にかけていた言葉の一例です。
・・・
ゲームしかしない長男と次男にかけていた言葉
「思う存分、納得いくまでゲームできるといいね」
「集中力凄いね」
「楽しい?何やってるの?」
と子供のしている事に興味を示す。
・・・
ゲームが得意な長男には、
「お母さん、ゲームが苦手だから弟に教えてもらえると、嬉しい」
「お兄ちゃん、上手いもんね!」
「助かる!」
と頼る。
・・・
ゲームのクリア方法で、助けを求められても、面倒くさそうに反応したり、相手にしていなかったり、お母さんに聞かないでよ、と嫌そうにあしらっていた事に、
「お母さんに聞いてくれるの?」
「ありがとう!」
「うれしー!」
と快く助ける。
・・・
次男が、映画を観に行って、すぐに、不機嫌になり、
「帰りたい!帰りたい!」
と言っても、
「映画きてくれて嬉しかった!」
「一緒に出かけられて楽しかった!」
「ありがとう」
と言い続ける。
・・・
キャンプ中、ずっと室内でゲームばかりしていても、
「家族でキャンプに行けて嬉しかった、ありがとうね」
と言い続ける。
・・・
長男、次男が暴言を吐いていたり、下の子をいじめても、
「今までされてきて嫌だったんだね」
「よく我慢してくれたね」
「凄い子だね」
と言い続ける。
・・・
子供たちが、
「お母さんの言葉が嬉しい!大切にされている!」
と感じるられるように接する。
・・・
こんな当たり前の事を、私は、今まで全然できていませんでした。
私自身もそんなふうにされた経験がありません。
親の愛が、子供に伝わらない、などど考えた事はありませんでした。
親は子供が欲しくて生んだのだから、大切に決まっている。
大切だ、大好きだ、なんて、伝える必要はない。
大切じゃなければ、子供の面倒なんて見ていない。
私は、無意識にそう思っていたのだと思います。
しかし子供は、親に本当に愛されているのかが常に不安なのだと思います。
・・・
ある時、滅多に叱った事のない娘に、ほんの少しだけ注意をしました。
確か、おにぎりを「いらない」と遠くへ投げた、とかそんな些細な理由だったと思います。私は、
「食べ物を投げちゃいけないよ」
と教えるために注意したのですが、言い方がきつかったのだと思います。
その時、泣いた娘が、
「お母さんは、〇〇ちゃんが嫌いだから、怒ったんだ」
「〇〇ちゃんの事が嫌いなんだ」
と泣き出しました。
その時に、私は、
「ずっと怒られてきた長男次男は、私が2人の事を嫌いだと、思っているかもしれない」
と思ったのです。
親は、大切だから、の気持ちで叱っていても、子供はそう受け止めていないのかもしれません、
子供が、心底安心するまで、心温まる言葉を伝え続ける事が大切なのだと思いました。
私は家族と話すときに、言葉選びや話し方の配慮が足らず、相手を傷付けているのだと思います。
・・・
次男の暴言をスルーし続け、親切にしていると、次男は暴言を吐いた後に、上目使いに私を見て苦笑いし、
「お母さん大好きー」
と言い、抱き着いてくるようになりました。
私が子供たちに対する、接し方、発言を変えると、子供たちも言動が変わっていったのです。
・・・
少し前まで、暴言ばかりで、無表情だった次男がどんどん明るくなり、私に手紙をくれました。
ごはんつくってくれて、ありがと
と書いてありました。
↓
241 妖怪ウォッチ
241 妖怪ウオッチ
次男が3DSで妖怪ウォッチをやっていると、クリアの仕方が分からず、私に携帯で調べるようにお願いしてきます。
長男の機嫌が良い時は良いのですが、機嫌が悪いと、私に聞かなくても何でも出来てしまう長男は次男に、
「お前はバカ」
「調べないと何もできない」
「俺は調べずにできた」
「お前なんかやる価値なし」
「そんな事も自力で、できないのか」
と言い続け、ゲームを楽しんでいる次男の顔が一気に曇りました。
以前の私なら、長男に、
「あんた、本当に性格悪いよね、年齢が違うんだから仕方ないじゃん!」
「何で、そんな意地悪を言うの!」
と言ってしまいそうですが、私は、次男の表情が気になりながらも、
「長男、調べずにクリアできて凄いよね!」
と言うように、頑張っていました。
それでも、長男は次男に対し、酷い言葉を一向に止めないときがありました。
・・・
機嫌が良い時は良いのです。
機嫌が良い時は、次男にクリアの仕方を教えてあげていました。
そもそも次男が3DSを買う事を長男はとても嫌がっていました。
「マネするな!」
と言うのです。
次男が3DSを持ち始めた頃は、次男に対して、傷付く言葉を言う事が多かったです。
次男は隠れるように、ゲームをしていました。
私は、内心は「もう黙ってよ!」と言いたい気持ちが強くありましたが、その感情は、なんとか我慢しました。
悪い言動を全てスルーし、長男に、
「長男すごいよね!調べなくても、難なくクリアできるもんね」
と、声をかけるように心がけました。
そんな事を続けていると、長男が少しずつ、次男にクリアの方法を教えてくれる日が増えていったのです。
・・・
2022年8月30日
長男が夕方からよるの9時まで、体動かしたい、外で遊びたい、と外を走り回って外で遊んでいました。
「あー、俺、体力無くないかもー」
と言い、家でずっと、ジャンプをしていました。
長男の本来の姿が、少しずつ戻ってきているような気がして、嬉しかったです。
長男に頼まれ、夜中にゲーム中の妖怪の出現場所を必死に探してると、長男が、
「探してくれて、ありがとう」
「身体動かしたら腹ペコ、ご飯ありがとう」
と、にこにこ話しかけてきてくれました。
こんな会話、今まであったっけ・・・?
なんだか心が温まりました。