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不登校復活の道(ブログ)

110 不登校中の息子の姿

不登校中の息子の姿 
 
 

 
完全不登校中の息子の様子は、以下のような感じでした。


 
 

【ゲーム、動画しかしない】 

ゲーム、動画を、起きている間、1秒も手から放しませんでした。

数秒顔を上げ、民放テレビに視線を向けた際に、涙が出るほど嬉しかった事を覚えています。 
 

 
 
【お風呂に入らない】 

「僕は家のお風呂を卒業します」の言葉と共に、家のお風呂には、5か月近寄りませんでした。 
 
 
 
【歯を磨かない】 

「虫歯になるよ」と何度か言いましたが、磨かないので、言うのを止めました。 
 
 
 
【病院に行けない】 

平日は、スタッフに、「今日はお休み?」と、聞かれるのが怖くて行けず、休日は、知人に合うのが怖くて行けませんでした。 

歯科矯正をしていましたが、一旦ストップしました。 
 

 

【髪を切らない】  

目が前髪で完全に隠れていました。 
 
 
 
【爪を切らない】 

爪は切らないけれど、噛んでいたのか、いつも短かったです。 
 
 
 
【服を着替えない】 

1週間以上替えないので、無理矢理着替えさせようとすると、パニックになり、それに私が疲れ、諦めました。 
 
 
 
【インターホンに怯える】 

インターホンが鳴るだけでパニックになり、震えて怯えました。不登校児の繊細さに配慮出来る人は少なく、玄関先で、 

「あれ、お兄ちゃん、見かけないね」 

「学校行ってないの?」 

と、聞いて来る人もいました。 

それが長男に聞こえてしまうと、その後しばらく、長男は自分の部屋から出られなくなりました。 
 
 
 
【外出できない】 

外出をとても嫌がり、付いて来ませんでした。付いて来ないけれど、1人で家で待つ事を嫌がりました。家族の行動が制限されました。 
 
 

 

【食事をしない(初期)】

1日1食しか食べず、やせ細っていた時は、カロリーを取らせようと、ハイカロリーな物を食べさせていました。 
 
 
 
【食事を食べ過ぎる(後期)】 

夜中の12時にインスタントラーメンを毎日食べたがる時期がありました。あまりに続くので、「体が心配」と伝えると、険悪な雰囲気になった為、言うのを止めました。 
 
 
 
【昼夜逆転】

朝方まで布団の中で動画を見て、夕方に起床していました。不登校中、布団に入り、「さぁ、寝よう」と目を閉じて寝た事は一度もありません。毎日、寝落ちするまでスマホを見ていました。私は、夜中にスマホを見ている時間が気になり、使用時間を確認した事があります。大体毎日、夜11時から朝の5時や6時まで、平均6~7時間、真っ暗闇の中、布団に潜り、目から10センチの距離で長時間、スマホを見続けていました。 
 
 
 
【動かない】 

ずっと、同じ位置でゲームをしていました。廃人の様に、無気力でした。 
 
 
 
【笑わない】 

顔を上げませんでした。 
 
 
 
【友人に会えない】 

全く会えない時期が長くありました。少し回復して、特定の子に会える様になっても、心に負荷が掛かると、すぐに会えなくなりました。 
 
 
 
【引きこもる】 

些細な事に深く傷付き、数日間部屋に引きこもる事がよくありました。 
 
 
 
【自信がなく、手を付けない】 

親族の集まりで、皆で簡単なゲームに挑戦していた際、長男だけ「僕は、きっと上手く出来ない」と言い、手を付けませんでした。 
 
 
 
【電気を消す】 

「部屋を明るくしないで!」とお願いされた時期がありました。 
 
 
 
【パニック症状】 

突然泣き叫ぶ、暴力を振るう等の症状がでました。
 
 
 
【声が小さくなる(出ない感じ)】 

心に負荷がかかると、一気に声が出なくなりました。本人は一生懸命声を出そうとしているのですが、とても小さく、聞き取れない程の声しか出ていませんでした。 
 
 
 
【イベントを嫌がる】 

誕生日等の節目のイベントがある度に、「僕は、ずっとずる休みしているんだ」と言って、自分を責め、いつも暗い顔をしていました。 
 
 
 
思い浮かぶ1年半の長男の状態は、こんな感じでした。 
 

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109 一瞬治った昼夜逆転の日

109 一瞬治った昼夜逆転の日 
 
 
 

2021.11月下旬 
 

 

昼夜逆転のサイクルがずれ込み、その日、長男は朝から起きていました。 

朝の時間帯に長男の姿を見るのは久しぶりで、嬉しい反面、私は、 

・朝の忙しい時間に長男に神経を使うのは疲れる 

・皆が出発してから起きてほしい 

・リビングでゲームを始める姿を見ると、次男が「ぼくも休みたい」と言い出すので困る

・あー、もう1時間長く寝ていてよ 

と思っていました。 
 
 

 

長男が朝起きていると、私の行動が制限されました。 

「どこにも行かないで、出かけないで、寂しい」 

「僕が寂しいのに、置いて行くんだね!」 

と、言ってきます。 
 

 

この日は特に荒れていました。 

・娘を虐める 

・私に暴言を吐く 

・ソファに座っていた次男をソファから蹴り落とし、泣かせる 
 
 

 

私は下の子を虐められると、怒りスイッチが入ります。 

 

 

長男に向かって、

「何で、そんな意地悪するの?」 

「もう・・・寝ててよ、用事ないんだから!」 

そんな言葉を掛けていた気がします。 

 

 

長男は、 

「うるせー、くそばばぁ」 

と言い、目を吊り上げ、不機嫌になっていました。 
 
 

 

 

本当に、もう、寝ててよ・・・ 

家族の平和な日常を、一瞬で壊さないでよ。

 

 

そんな気分でした。 
 
 

 

学校へ行けていない事への苛立ちなのか、劣等感なのか、理不尽な事を言って周りを傷付けます。 

 

天気の良い日で、娘と一緒に公園に行こうとしていたら、 

「絶対に行くな!」 

と、言われ、結局娘は家の中で過ごしました。 

 

 

長男が起きている間は自由に動けない。 

娘を家に閉じ込めておきたくない。 

幼稚園帰り、次男が公園で遊びたがっても家にいる長男が気になり、落ち着かない。 
 
 
 

私は常に、長男の存在に支配されている気分でした。 

長男がいるから、出かけられない。 

長男がいるから、早く帰らなくちゃ。 

長男がいるから、お昼を作らなくちゃ。 

長男が行かないから、家族でお出かけ出来ない。
 

 


この子が居なかったら、楽なのにな・・・ 

この子が居なければ、普通の子育てなのに・・・

何で、こんなに、この子は難しいの? 

何でうちだけ、こんなに大変なの? 

 

私はイライラしながらも、長男が不安定な時こそ、私の温かな対応が大切なのだろうと、分かってはいました。 

 

それでも、感情が先立ち、不安定な長男に上手く対応出来ませんでした。 
 
 

 

優しくしなければ、ストレスを与えない様にしなければ、頑張らなければきっとあの子は回復しない。

 

どれだけ頭で分かっていても、私はすぐに感情に負け、不快が態度に出てしまいました。

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108 発育歴

108 発育歴 
 
 
 

2013年冬、私が35歳になった3日後に長男は生まれました。 

いわゆる、高齢出産です。 
 

 

予定日の数日前に、私は背伸びをして天井の掃除をしてしまい、赤ちゃんがお腹でゆっくりしている時に、破水してしまいました。 
 

 

子宮の中で羊水が減っていく中、赤ちゃんが全然降りてこない為、許可されている、最大量の錠剤の促進剤を飲み、点滴をマックスで打ち、破水してから42時間後に、長男は自然分娩で生まれました。 
 

 

思い込みなのでしょうが、促進剤を最大限に使用する事は、赤ちゃんの脳機能に影響を与えるのではないのか?と私は感じています。 

 

母親もそうですが、きっと赤ちゃんも苦しんだはず。 

 

薬を大量に使用し、自然に逆らって生まれ、小さな体で苦しんだストレスは、その後の発育に影響しないのか?と疑問に思っています。 
 
 

・・・ 
 
 

出産後、少し黄疸は出ましたが、全て正常値でした。 

 

発語も、おむつが取れる時期も、問題はありませんでした。

 

次男が生まれる2歳3ヶ月まで、癇癪を起す事もなく、とても穏やかで、よく笑う、とても可愛い子でした。 

 

それでも、いつもなぜか、少し不安そうな目で物事を見ていた姿は、脳裏に焼き付いています。 

 

長男は泣かない子で、あまりに泣かないので、泣くと、ホッとした覚えがあります。 
 

 

 

診断名が出て、【自閉症】で調べると、自閉症児はくるくる回る、とありました。 

長男は7か月頃、お座りをして、その場でくるくるくるくると、回っていた事がありました。コンパスみたいだね、と話していました。 それ以外で「回る」という行動はありませんでした。
 
 
 
断乳は1歳半でした。

 

もうおっぱいは無しだよ、と【へのへのもへじ】をおっぱいに書いて見せると、その日から水筒でお茶を飲みながら寝る様になりました。一度もぐずったり、泣いたりしませんでした。 

 

何て楽な子なのだ・・・と思った記憶があります。 
 
 

 

育てていく中で、気になった点がいくつかありました。 

 

・新しい場所に行くと、中々部屋に入れない。 

・2歳になる前、友人宅へ行った際、土間に入るまでに1時間、土間から部屋に入るまでに2時間程掛かり、上がってからも、他の子供達の輪には入らず、遠目で様子を見ていた

・遊んでいた子供たちが移動すると、ゆっくり、おもちゃに近づき不安そうな目をしながら、そぉっと触りだす 

・2歳児検診の際、長男だけが、身体測定の部屋に入れず、怯え、泣き喚き、一歩も入れないので、保健師が測定を諦めた 

・5組位の親子で紙芝居の読み聞かせをした際、長男だけ部屋に入れず、ずっと廊下にいた

・私が読む番になると、「読んではダメ」と泣き喚き、私だけ読むのを諦めた、読んではダメと言った時、何かに怯えているかの様に不安そうだった 

・毎日通っていた児童館で、部屋に入る際、必ず不安そうな顔で様子を見る為、時間が掛かる 
 
 

そんなエピソードがいくつもありました。 

 

とにかく、新しい場所、知らない場所へ行くと、中へ入る事を異様に嫌がりました。 
 
 

幼稚園の就園前検診の際も、自分の順番になると、軽いパニックになり、お漏らしをしました。 

 

 

当時は気が付いていませんでしたが、長男は、何をするのか分からない際に、パニック状態になりやすく、泣きわめき、体全体で抵抗し、断固拒否していた様に感じます。 

 
 
他の子供が困難に感じていない部分に、困難を感じる場面はいくつもありました。 

・年少時の運動会の際、入場行進の列に入れず、担任が列に入れようとすると、パニックになり、「嫌だ!」と、最大限に手足をバタつかせ、抱っこも出来ない程にのけぞり、抵抗し、参加できなかった 
 

 

【運動会のかけっこ】 

年少→先生が長男を抱っこして走る 不安そうな目でずっと周りを見ている 

年中→先生と手を繋いで走る 

年長→運動会1ヵ月前までは、リレーの練習に参加できず、先生と手を繋いで走っていたが、最終的には「アンカーなら走る」と言い、走った(アンカーはこだわり?) 
 
 
【運動会遊戯】 

年少→先生が抱っこ 踊りはやらない 

年中→先生の膝の上 手だけ少し動かしていた 

年長→元気に、張り切って参加 
 

【お遊戯会】 

年少→とても不安そうに、舞台下から観客席を見ていた 舞台には上がらない 着替えに時間がかかる 

年中→舞台上には行くが、正面を向かず、後ろ向き 着替えに時間がかかる 

年長→友人に指示が出来るほど、張り切ってやっていた 一切問題なし 
 
 
 
色々気になる点はありましたが、私は物で釣ったり、叱りつける事に抵抗があった為、「あ、やりたくない子なのだな、私も小さい頃、人前で何かをする事が大嫌いだったな、私に似たんだな」くらいにしか思っていませんでした。 

 

この時点で発達障害などの知識が、少しでもあればよかったのかな?と思う事もあります。 
 
 
他にも、幼稚園の座席は自由でしたが、長男の席は無言の了解で決まっていたそうです。 

 

長男がその席にしか座らない為、周りの皆が譲る様になったと聞きました。座ったことのある席が安心する様でした。

 

給食は偏食が激しかった様です。 
 
 

次男が生まれた際、他の誰かが次男を抱っこする事を一切許しませんでした。 

やきもちだね、というレベルではありません、次男を抱く事は不可能でした。 
 
 

 

初めての子育ての為、こんなものなのかな、と思いながらも、何だか他の子よりも、スムーズにいかない事が多いなと、何となく気が付いてはいました。
 

 

大らかでいよう、大らかでいよう、やらないからと、あたふたする親になってはいけない。そう思う様にしながらも、行事がある度に、帰りにいつも、胃の辺りが重くなっていました。

 

何で、うちの子だけ違うのだろう・・・ 
 
 
 
 
 
医療センターの問診票に、上記のような、事細かな発育歴を6枚記入しました。

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107 出された診断名

107 出された診断名 
 
 
 

2021/12/3(金) 
 
 

 

初めて医療センターに行った11月1日から1か月が過ぎ、2度目の予約日です。

 

今日、私に与えられていた診察時間は10分。 
 

 

とても日当たりの良い、静まり返った診察室に入ると、前回と同じ、30代位の物静かな女性の担当医が、穏やかな口調で、

「お待たせしました」

と、微笑みかけてくれました。 
 

 

私が、長男は連れて来れる状態ではない、と伝えると、 

 

「いつか、待合室にでも連れて来られたら、連れてきて欲しい」 

「待つ姿からも、様子を診察できます」 

 

と、言われました。 
 
 
 

前回の発育歴確認の続きからでした。

今回も、今の状態は、ほぼ話せていません。 
 

 

担当医が、私が質問に答えている内容を、頷きながら聞き、パチパチとパソコンに文字を打ち込みます。 

 

話が一区切りすると、先生が何かをプリントアウトし私に、さっと手渡しました。 

 

そこに書かれていたのは、 

 

【診療計画書 診断名 状態 (疑いも含む) 自閉症スペクトラム障害】 

 

の文字でした。 
 

 

ん? 

何?

何の話? 

 

 

 

私はしばらくの間、担当医が、誰の話をしているのか、理解出来ていませんでした。
 
 

そこから、先生と何を話したのかは、覚えていません。ただ無感情で、 

 

「そうなんですね」 

 

とか、そんな一言位しか発さなかったと思います。 
 

 

担当医は、 

「本人の性格や、こだわり行為は変えられない、周りが接し方のこつを掴むと、本人も、周りも、スムーズに生活し易くなります」 

 

と、アドバイスをくれました。 
 

 

 

こつ・・・ 

・・・? 

こつって何だ・・・ 
 
 

 

30分ほど掛かる帰り道は、自分がどう帰って来たのか、あまり覚えていません。

 

ぼーーーーっとしながら車を運転していた様な記憶があります。 

 

負の感情はないけれど、ここ数か月間に目まぐるしく巻き起こっている、出来事。 自分とは一生関係ないと思っていた出来事が、どんどん私の人生に入り込んできて、その情報の処理をする事に、脳が上手く反応していない、そんな感覚でした。 
 
 
 
姉に話すと、 

「自閉スペクトラム障害・・・学校に自閉スペクトラム障害診断を貰っている子で、長男君と、そっくりな症状の子がいるよ、やりたいことしか基本やらない」 

と、言っていました。 
 

 

長男は今まで、やりたくない事も、卒なくこなしてきました。 

 

比較をした事はありませんが、むしろ、良く出来ている方だったと思います。 

 

その点が、何だか腑に落ちませんでした。 

 

本当に自閉症なら、場面に応じて、やる、やらないのコントロールができるのだろうか? 

 

私の見解は、発達に偏りのある子を指導している先生が指摘した、過剰適応が1番しっくりきていました。 
 

 

 

個性と言えば個性、でも、社会生活に支障が出たら障害と名前を付ける。

 

長男の場合は、不登校という形で、社会生活に支障が出ていると、判断された様でした。

 

発育歴に書いた、こだわりの強さ、そこで診断されているのだろうか? 
 

そのこだわりの強さも、ゲームを始めてからは、かなり軽減されていました。 

 

満たされ始めたら、様々な症状が、落ち着いてきている様に感じていました。 

 

 

「今は、こだわりの強さが薄まっている」 

「何だか納得いかないな」 

「そもそも担当医は、本人に数分しか会っていない・・・」 
 

 

 

ネットや、不登校関連本を見た限りでは、長男は典型的な不登校児の道を辿っており、自閉症診断は腑に落ちませんでした。 

 

それでも私は、この本を購入し、読んでみました。 
 


 


当時、私には、あまりにも発達障害の知識が無く、自閉症と自閉症スペクトラム障害の違いも、全く分かっていませんでした。 
 

 

2013年?に自閉症の診断名の定義が変わり、自閉症スペクトラム障害と診断される患者は、かなり広範囲になった、と、担当医に言われました。 

 

自閉症はもの凄く狭い範囲、黒の1点。 

スペクトラム症は、かなり広範囲、軽い子は、ほぼ健常児である、と説明を受けました。 

 

その説明を受けても、私の様に、自閉症について、全く知識のない親からすると、診断名に【自閉症】の文字があるだけで、医師から与えられるインパクトは、強烈でした。

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106 深夜の長男との時間

106 深夜の長男との時間 
 
 
 
私は毎日、通常通り下の子のお世話をし、寝かしつけてから、また起きて、長男の話相手をする。そんな生活に心身共に、くたくたになっていました。 

 

睡眠時間が短いのもそうですが、ただ起きている、というよりは、常に、何か重い課題を投げられて、答えの見つからない答えをずっと探している感覚でした。 

 

下を寝かしつけに行く際、必ず長男は、 

「お母さん、寂しい、起きて来てよ、後で来てよ、絶対ね、絶対来てよ」 

と、毎日言います。

 

不登校前の生活だと、子供が寝てからの数時間が、唯一の自分だけの時間でした。 

「あー、今日も1日終わったな」 

と、思った後に、昼間もずっと一緒に居る長男と一通り戯れる事に、私は幸せを感じる事はできませんでした。 

 

長男は昼間も、買い物に行く事すら嫌がる程、そばに居たがりました。 
 
 
寝かしつけの後起きて行くと、 

・深夜にまた料理をするのが面倒臭い 

・感情が邪魔し優しい雰囲気で話せない 

・上手く傾聴出来ない 

・絶え間なく続く、相手からの一歩的なゲームの話に盛り上がって話せない 

・そんな態度しか取れない自分自身を心の中で責める 

・自分の態度が良くない、と分かっていても、悪い癖を抜く事が出来ない 

・私が母親では、この子は立ち直らないだろう、と落ち込む 

 

 

周りに、どれ程頑張っている、頑張り過ぎている、と言われても、どうしても、そう思えませんでした。 

 

私が頑張れているなら、長男はもっと、良い方向に行っているはず。 

 

「あー、私はやっぱり、こんな状況でも頑張れない」 

と、気持ちが沈み、その影響で、また子供に優しくなれない 

まさに負のスパイラルでした。 
 

 

唯一、私の心が少し軽くなれたのは、いつでも姉達が、瞬時に話を聞いてくれていた事でした。 

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