不登校復活の道(ブログ)
125 返事をしない意味
125 返事をしない意味
冬休みが明ける前日、息子はまた、30時間休憩なしでゲームをしました。
あまりにも食べない長男を心配し、当時、私は日記に走り書きで、長男が1日に食べたものを書いていましたが、ほぼ毎日、1食しか食べていませんでした。
冬休みが終わるその日、私は、長男に、
「冬休み、終わるね」
と声をかけました。
長男は聞こえていないかのように、無反応でした。学校が始まったその日は、20時間ずっと寝ていました。
長男は、私にも生活がある、という事を理解していないのか、理解していても、そこまで気が回らないのか、夜中の3時頃に私の肩を何度も叩いて、
「お母さん、暇だから、一緒にゲームしよ」
と起こされることがありました。
私は起きては行くけれど、結局ソファで寝落ちしてしまう。それでも長男は、
「横に人がいるだけで、寂しくないからいい」
と言い、何度も夜中に私を起しました。
この時期はとにかく食べず、どんどん痩せていきました。
2021.1.11
幼馴染の友人が来て、夕方2時間ほど遊んでいました。
小さい頃から親同士も仲が良く、この日は長男が、友人のママが家に上がっても大丈夫そうだったので、同じ空間に子供達、ママ達がいました。
長男のことを心配してくれているママは、よく、お出かけの際に声をかけてくれていました。私は長男の状況を見て、「まだ、無理なんだよー」と断っていました。
その日は、「今度、映画に行こうよ」と誘ってくれました。
その場に長男も、友人も、親もいました。
長男に、
「映画行きたい?」
と聞くと、無反応でした。
しばらくして、また私は長男に、
「どうする?映画誘ってくれてるけど行きたい?」
と聞きました。
また無反応です。当時、私は、長男が無反応の時は「NO!」と言っていることに、気が付いていませんでした。「返事しない!」「聞いてない!」そんなふうに捉えていました。
友人たちが帰ると、長男は私に、
「お母さんは、分かっていない!」
「お母さんは、僕に意地悪をした!」
「僕をいじめた!」
「僕のことは、ほっといてよ!」
と怒っていました。
あ、映画のことだな、と思い、
「ごめんね、行きたくなかったよね、断ったよ、安心してね」
と私が言うと、
長男は、
「ありがとう」
と言いました。
本人がいる前で断るのは失礼だから断れない、でも行けない、それなのに、何度も私が友人がいる前で聞くので、嫌だったそうです。
この日の学びは、長男が返事をしなかったら「NO」。
優しい長男は、断られた側の気持ちを考え、断ることは悪いことだと捉えているようでした。
「NO」と言わない代わりに、無言。それで察してよ。そんな感じなのだと思います。
124 冬休み前後の学校の対応
124 冬休み前後の学校の対応
担任も、スクールカウンセラーも、教頭先生も、何も役にも立たないと気が付いた私は、何かヒントがないかと市役所の子育て相談をしている部署に相談に行きました。
初めは、若い女性が対応していましたが、内容を聞き、途中から、
「私ではよく分からないので、以前、校長先生をしていて、とても親身になってくれる方がいる」
と、60代前後の落ち着いた、優しそうな男性に交代しました。
その男性に、今、我が家は、
・過保護にし、全て本人の望む様にしている
・親は一切コントロールを止めている
・昼夜逆転、ゲーム依存も一切注意はしていない
という話をしました。
その方は、「ご両親は、腹を括って対応しているのですね」と言い「学校からの力添えはありますか?」と聞きました。
私は、正直に、
・プリント類も一切持ってこない
・電話もかかってこない
・かかってきても、業務連絡のみで、息子の名前は一切出ず、状況も聞いてこない
・教頭先生には「出来る事はありません」と言われている
という話を、クレームとしてではなく、ただただ、事実として話しました。
学校側の対応に対しては、初めから期待しておらず、諦めきっていたので、状況を話す事で、学校側の対応をどうにか変えてくれ!という考えは一切ありませんでした。
その方は、話を穏やかに聞いてくれましたが、具体的な指導はなく「今の対応を続けて行きましょう」くらいの事しか言いませんでした。
それでも、相談後、教頭先生に、連絡をしたようでした。
教頭先生から私に電話がきました。教頭先生は、
「申し訳ございませんでした、何かの手違いで、誤解を生んでしまったようで、今後はプリント類も渡し、出来る限りケアしていきますので」
そんな事を、電話越しに、一方的に話続けられた記憶があります。
不快感しかありませんでした。
誤解?手違い?ってなんのことだろう?
市の、偉い人から、今の学校側の対応は良くないと、何か指導を受けたのだと思います。
なんなんだ、この人は、どこまで保身なのだろう?
私は、クレームを言っていません。ただただ、起っている事実を、市の、きっと偉いであろう職員に伝えただけでした。
電話越しの教頭先生の話し方は、明らかに、低姿勢になっており、それが、私を苛立たせました。
そんなに、怒られたくないの?
そこだけなんだろうな。
彼女の頭の中に、長男を救いたいという気持ちは1ミリでもあるのだろうか?
「出来る事は何でもします」 「私に、何でも言って下さい」「今は何が出来ますか?」「何にお困りですか」と聞かれました。
私が、もし、また市に相談すれば、「学校側としては、何でも言って下さい」とお母さんに伝えてあります、「助ける気はあります」と保険をかけているのだろう、と私は捉えました。
教頭先生に、初めて相談してから2か月以上過ぎていました。
とても苦しかった時期に、相談に行っても、時計ばかりを見て、他人事のように、「出来る事はない」と言い切っていたのに、なんなんだよ。
今更、「どうしましょうか、何でも協力しますので」という言葉を、よく平気で言えるな。
そんな感情しか生まれませんでした。
そんな自分だけを守っている人に、今の状況を救えるわけはない、この人が良い道しるべを示してくれるはずかない、私はそう思いながらも、ただ、「ありがとうございます、助かります」とだけ言い、電話を切りました。
なんなんだよ。
いっそ、無関心で通してくれた方が不快にならずに済んだはずです。
担任は、相変わらずでした。以前のまま、特に何もせず、 冬休みに入る前にも、冬休みが明ける時にも、電話は来ませんでした。
冬休みが近づき、ポストに入っていた冬休み日誌には、メッセージすらありませんでした。
ただ、冬休み日誌だけが、「ぽん」とポストに入っていました。
息子は今、あの学校には存在していないのだな。
誰も、気に留めていないのだな。
もう、親しかいない。
私には、知識がないけれど、教師にも知識がない。教師は、知識がないに上に愛もない。
最悪な気分でした。
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克服ママのアドバイスを聞き、過保護にすることを実践していましたが、いつも頭の片隅でこんなことを思っていました。
・この子は、回復したとしても、自由にしか過ごせないのではないか
・自分のしたい事しかしないのではないか
・親のお願いなど、何も聞かなくなるのではないか
・自分勝手に過ごす生活に慣れ、普通の生活に戻れなくなるのではないか
・ゲームと上手に付き合える日が来るのだろうか
お正月、実家にいる間も昼夜逆転の長男は、夜中になると、
「お腹が空いた」
と、私を起しました。
実家のリビングで夜中に料理をするのは迷惑をかけてしまうため、長男と2人で夜中の2時過ぎにマクドナルドへ行き、ドライブしながら食べ終える、そんなことをしていました。
外は静まりかえっており、車に乗る瞬間の、車内の空気がとても冷たく、がらがらに空いている道を、小さな息子とドライブするのは、とても不思議な気持ちでした。
何をするにも、どこへ行くにも、私は頭の中で、これから起こりそうなハプニングを想像していました。
ハプニングが起きてから考えればいいや!という思考にはなかなかなれず、いつも神経を使い、とても疲れていました。
長男の気性は乱高下で、夜中にマクドナルドに連れて行けば「ありがとう!ありがとう!」と、必要以上に大喜びし、私が連れて行くのを、面倒な素振りをすると、不機嫌になり「もーいー、はいはいはいはい、もう食べたくない」と布団に潜り、一切話を聞かなくなる。
常に長男の言いなりになっていれば、機嫌がよく、少しでも否定的な態度をとると、関係が悪化する、そんな感じでした。
「あー、今日この子は何時に寝て、明日は何時に起きるのかな?初詣に行きたいけど、一緒には行けないな、下の子だけ連れて行こうかな、帰宅前に長男が起きてしまうと、声をかけなかった事で、機嫌が悪くなるのかな」
・・・
結局次の日は初詣には行かず、姉達と焼き肉に行きました。
店員さんがよく通る席は、長男が落ち着かず、人が通らない席がいいと、奥の席に座りました。
食事中に、何度も何度もトイレに行き、長時間トイレにこもり帰って来ず、食べ終わると、すぐに家に帰りたがりました。
人と接する事に、とても怯えているように見えました。
食べ放題のお店で、「残すと追加料金です」と言われ、ほんの少し、小指の第一関節位の焦げたお肉が鉄板に残っているだけで、過剰に心配し、「ダメだよ、ダメだよ、残してるよ」と言い泣きそうになる。
「これ位大丈夫だって、心配しなくて大丈夫だよ」
と私が言えば、お母さんは、なんて酷い人間なんだと猛攻撃。
あー、この子に禁止事項はダメだな。くそ真面目なのか、融通が利かないのか、子供なんてこんなもの、という範囲なのか、私にはよく分かりませんでした。
全ての事を、こんなふうに、真面目に捉え、約束事を守ろうとしていたら、そりゃ、疲れ果ててしまうよね。
一体誰に似たのだろうか。
家でずっと引きこもっているのは心配だけれど、外出しても、出先でとても長男に神経を使う。下の子達まで閉じ込めておくわけにはいかない。でも、長男は行きたくないと言い、おいて行かれるのも嫌。
あぁ・・・子供たち全員の要望を叶えるなんて無理。
私は優先順位を付ける事が苦手で、全て、やらなければ、と思う性格なため、余計に苦しく、どうしよう、どうやって全ての要望を叶えよう、とあたふたする事が多かったです。
122 2022年のお正月 次男
122 2022年のお正月 次男
当時、次男は多動性がとても激しくなっていました。
・ずっと頭を振って走り回り、人にぶつかる
・一秒も止まることなく体を大きく動かし続ける
・家の中でも壁から壁へぶつかり続ける
・笑わず、表情が乏しい
とにかく動くのです。
家中の物に当たり、物が倒れたり、壊れたりしていました。
絶対に普通ではない、発達障害と呼ばれるような動きが沢山出ていました。
主人と私は、
「もう!止まってよ!」
と、叱ってしまう事が何度もありました。
次男は爪を全て噛み、10円禿ができ、祖父母とのコミュニケーションもあまりとれませんでした。
実家の近くに住んでいる、姉には懐いていて、一緒にパン屋さんへ行ったり、楽しそうに過ごす事もありましたが、基本的には部屋の隅にいて、自信なさそうに周りを見ている子でした。
私に異常に執着しており、私の作った物しか食べない、人が次男の食事のお皿に触ると癇癪を起こし、もう食べない、私が空間に居なければ、不安で探し回る、返事をするまで叫び続ける、そんな状況でした。
長男にも次男にもとても手が掛かり、神経を使う、更に、2歳の娘は普通にまだ手がかかる。
あー、疲れたな。
どうして我が子たちは、こんなに手がかかるのだろうか?
そして、どれ程周りに、頑張っている、普通は精神持たないよ、と言われても、私の中に刻み込まれている、いつもの考えに辿り着く、
「あー、私は頑張れない、子育てなんて向いてない、辛すぎる、上手に子供を育てられない、やっぱり、私は良いお母さんではないし、良いお母さんになんてなれない、もう、嫌だ!」
それでも、逃げることはできない。やるしかない。私の居場所はここにしかない。
いつか、こんな日があったね、と思える日がくるのだろうか・・・
121 2022年のお正月 長男
121 2022年のお正月 長男
年末年始は私の実家へ行きました。
実家に行く事はできても、長男は、皆のいるリビングではなく、2階の部屋で、ずっとゲームをしていました。
下の子は親族と出かけるのを楽しみにしていました。
長男は、きっと本心は出かけたくないのに、無理をして、
「僕も行きたい」
「何で!行っちゃダメなの?」
と言い、連れて行った先で、様子がおかしくなり、帰宅せざるを得なくなる、もしくは、周りが物凄く気を遣う状態になる。
そんな事の連続で、子供の全ての事に目が行き届いてしまう私は、いつも心が疲れていました。
幸い私の親族は、長男の全てを温かく受け入れており、出来る限り長男の希望に合わせようと、心底温かく、臨機応変に対応してくれていました。
おいて行けば、僕だけおいていかれた、といじける。
連れて行けば帰りたいとわがままをいう。
必ず、私にだけ聞こえるように、ずっと文句を言うので、
「いっそ、待っていてよ、出先で周りを困らせないでよ」
と、毎回思っていました。
我慢ができず、正直に気持ちを長男に伝えてしまうと、その後、最悪な事態が待っています。しばらく、落ち込み、体が動かなくなる、部屋から出ない、食事をしない、私の言った意見に対して100倍返しで攻撃してくる。そんな事ばかりが、繰り返されていました。
2021.12月31日
年越しに実家から歩いてすぐの神社へいきました。
小さな神社で、近所の人が神社の真ん中に焚かれた火で温まっていました。
長男は、その火に当たりながら、
「温かいね、綺麗だね、あ、僕少しブランコしたい」
と言い、敷地内になるブランコをこいでいました。
実家に来ている時は、知り合いに会うかもしれないという恐怖から開放されるのか、明らかに表情は明るかったのですが、それでも、昼夜逆転し、一日中寝っ転がりゲームをする生活習慣は変わりません。
2022.1月1日
祖父母が、子供達にお年玉をくれました。
毎年長男はお年玉をもらうと、
「誰からいくらもらった!」
「こんなに沢山になった!」
と言いながら、合計金額を計算したり、そのお金を使いたくて近くに買い物に行ったりするのですが、今年は貰っても中身を見る事はありませんでした。
中身を見ないどころか、貰ってすぐ、お年玉袋を近くの机に置き、ずっと、そのままでした。
そのお年玉袋は1年以上、開けられることはありませんでした。
とにかく、全てに興味を失い、無気力でした。
次の日にイルミネーションの綺麗な場所に連れて行きましたが、5分で帰りたがりました。
きっと、すぐに帰りたがるだろうと想定しており、2台で来ていました。
「先にお母さんと帰ろうか?」
と言うと、激しく抵抗しました。
それでいて、
「なにここ?楽しくない、意味あるの?」
と、私だけに聞こえる声で言い続ける。
下の子は、これがしたい、あれを食べたいとキラキラ光るライトの下で大はしゃぎで喜んでいるので、どちらに合わせればいいのか判断が出来ず、胃が痛くなり、
「あー、もう・・・私にどうしろって言うの!」
と、どこへ行っても苦しい気持ちになる。
何回同じシチュエーションになっても、何も悪くない下の子を我慢させる事、長男に振り回され、神経を使う苦しさに慣れる事はありませんでした。
その日は、珍しく主人が一緒に来ていて、イルミネーションの綺麗な広場で芸をする、大道芸人を見て、
「なんか、一生懸命何かをする姿っていいね、不登校前はそんな事あまり考えなかったけど、学歴なんて、どうでもいいよね、自分の好きな事をして、社会と関わり、一生懸命生きる、幸せに生きていてくれたら、それで十分だよね」
と、目に涙を溜め、しんみり話していました。
一緒に来ていた姉は、
「一緒にアイス食べれたね!」
「よかった!よかった!嬉しい!」
「少し、外出出来たね!」
「うん、うん」
と言って、目に涙を溜めていました。
8歳の子供がイベント会場に行き、アイスを食べる。
そんな当たり前の事に涙が込み上げてしまう程に、長男は周りから見ても、元気がなく、無気力だったのだと思います。