ブログ

不登校復活の道(ブログ)

165 次男の朝の支度

165 次男の朝の支度 
 
 

「学校に行かない」と声には出さないけれど、明らかに学校に行くと様子がおかしくなる次男を朝起こすことはとても苦痛でした。 

 

朝7時に次男を起こすと、目を開け、まず一言目に「うるせー!」とか「だまれ!」とか酷い言葉を言われていたような気がします。 

 

その言葉を聞こえないふりをして、次男をおんぶして寝室からリビングへ連れていきます。 

 

この頃次男は、用意しておいた朝食には基本的に手を付けず、 

 

「こんなもん食べられない」 

 

「何か他のものがいい」 

 

「これを作って、あれを作って」 

 

と言いたい放題でした。 

 

私はそんなわがままを聞くことにとても抵抗がありましたが、朝喧嘩をする事が嫌で、何も言わずに言うことを聞いていました。 

 

食事をする時も、椅子の上に膝を立て、片肘をついて、見るからに不機嫌そうに食事をしています。

 

私が一言でも

 

「行儀悪いよ、足はおろしてよ」

 

と言うと

 

「じゃー、もう食べない」

 

と言ったり

 

「うるさい!」

 

と言って涙を流し机を手で叩き癇癪が始まります。 

 

食事が終わると、次男はソファに寝転びます。 

 

集合時間の10分前になっても、5分前になっても一向に準備はしません。 

 

「間に合わないよー」

 

「着替えよー」

 

と言っても無反応です。 

 

私が、

 

「通学団で行かずに、お母さんと2人で行くの?」

 

と聞くと、

 

「何でだ!通学団で行くに決まってるだろ!」

 

と泣き出す。

 

 
それでも一向に着替えようとしないので、私は大きな赤ちゃんを着替えさすかのように寝間着を全て脱がせ、服を着替えさせていました。

 

着替えさせられている間、次男はずっとテレビをボーっと見ています。

 

次男は幼稚園時代も特定の素材のシャツや締め付けのある服が苦手でした。

 

私が少しでも締め付け感のある服を選んで着替えさせると、

 

「嫌だ!嫌だ!気持ち悪い、無理、違うのがいい」

 

と暴れました。

 

私はなるべく締め付けのない緩い服を選び着替えさせていました。

 

一番困ったのは靴下です。

 

一年生になってから、次男は幼稚園時代には履けていた靴下の感触をとても嫌がるようになり、市販で売っている一般的な小学生向けの靴下を履かせると、

 

「気持ち悪い、気持ち悪い、何これ、きつい、嫌だ、うわーーーーー」

 

とのたうち回って泣くようになりました。

 

次男はソファに仰向けで寝っ転がりながら、靴下を履かせている私の顔を蹴るかのように、力いっぱい足をバタつかせて泣き出します。

 

特に足先の縫い目部分が嫌なようで、【ここ】が気持ち悪いと言いながら自分の足の指先をグーでパンチし続けることもありました。

 

幼稚園時代は何も言わずに履けていたのに、何で・・・

 

靴下以外にも服や靴など、身に着ける全ての物の素材、質感、着心地、履き心地に過剰に反応し、少しでも不快感があると激しく泣き、とても嫌がるようになりました。

 

私は縫い目がなく、締め付け感の少ない靴下をネットで探し、それを履かせると次男は、

 

「これなら履ける」

 

とその靴下だけは暴れずに履くようになりました。

 

やっと着替えが終わりました。

 

「学校へ行くよ」

 

とソファで寝転んでいる次男の腕を引っ張って起き上がらせ、手を引いて玄関に連れていきます。

 

玄関でただただ人形のように突っ立っている次男に、私がランドセルを背負わせ、帽子をかぶせ、足を持ち上げ靴を履かせ、無表情の次男と家を出て集合場所へ向かうのです。 

 


 

0

164 体育の授業(次男)

164 体育の授業(次男)

 

 

担任の先生から、

 

「体育の時間、遊具説明をしていても話を聞かず、説明を待たずに好きに遊んでいます」

 

「列に並んだりはせず、自由でふらふらしています」

 

と言われました。

 

・・・

 

一番初めの体育の授業の時に、担任の先生から、

 

「体育の授業に参加しようとしていましたが、下のズボンしか着替えなかったので見学させました」

 

と連絡をもらいました。

 

私はどうすべきか少し考え、

 

「先生のおっしゃる事はごもっともです」

 

「ただ次男は【着替えないなら体育はやらせない】【体育をやりたいなら着替えなさい】で指導しても頑なにやらなくなるだけだと思います」

 

「着替えないうちの子が良くない事は重々承知していますが、幼稚園でも上履きを履く習慣を受け入れるまでにとても時間がかかり、受け入れてからは当たり前に履くようになりました」

 

「環境になれるまでは、体操服に着替えなくても、体育の授業をうけさせてもらえませんか?」

 

と伝えると、担任の先生は、

 

「汗をかいて風邪を引く可能性がありますし、衛生的ではありません」

 

と言いました、私は、

 

「風邪を引いても、汚くても、責任は全て我が家がとります」

 

と伝えると、担任の先生は、

 

「僕だけでは判断できませんので、上と相談します」

 

と言い、着替えなかった場合に、体育の授業を受ける事ができるかどうかは保留となりました。

 

先生に色々お願いする事は、過保護のようで、うるさい親に思われそうで、とても嫌でした。

 

 

0

163 4月前半、次男の下校時の様子

163  4月前半、次男の下校時の様子

 

 

次男は集団生活が困難な様子でした。

 

例えば下校時・・・

 

次男が、「授業後迎えに来てほしい」と言うので、私は毎日迎えに行きました。

 

次男は必ず、通学団が並んでいる集団の中にはおらず、下駄箱付近の日陰に1人でいました。

 

黄色い帽子を、前が見えないほどに目深くかぶり、ぺちゃんこ座りをしています。

 

遠くから見ても表情が一切ない事が分かります。

 

次男は自分のランドセルを背負っておらず、支援員さんがランドセルを持っていました。

 

周りでは元気いっぱいの新一年生たちが楽しそうに話しています。

 

・・・

 

通学団が出発すると、次男は列の最終尾につき、自分のペースで歩いてついていきます。

 

前の子と距離が離れ、副団長さんが声をかけてくれますが、声をかけられればかけられるほど、次男はランドセルの背負い紐をギューッと握り締め、小石を蹴りながら、頑なに自分の歩くペースを崩しませんでした。

 

私はその事については何も言わず、次男に、

 

「ねー、どうして下駄箱の所に座っているの?何でランドセルを背負ってないの?」

 

と聞くと、次男は、

 

「だって、太陽が眩しい、ランドセルは重たい」

 

と、前を向いたまま単調に答えました。

 

・・・

 

通学団の子たちが右側を歩いているのに、一人だけわざと左側を歩く、細い道で車も通るため私が、

 

「車来るから危ないよ、車の人にも迷惑だよ、団長さん困ってるよ」

 

「こっち歩こ、ねー、こっちを歩くんだよ!」

 

と強く言っても、体を固め動かないこともありました。

 

・・・

 

皆がスムーズにできる事が出来ない。

 

入学してから、全ての行動がそんなふうに困難でした。

 

 

 

0

162 新しい教頭先生

162 新しい教頭先生 
 
 
 
教頭先生が変わりました。 

 

子供が何も問題なく学校へ通っている時、教頭先生の存在を意識したことはありませんでしたが、我が家は今、長男、次男ともに問題を抱えており学校に相談に行く機会が何度かありました。 

 

新しい教頭先生は、長期に渡り特別支援クラスを担当していた方で、長男の不登校に対して、 

 

「学校は勉強しにくる所じゃない、遊びでいいんだよ、と長男君に伝えて下さい」 

 

と言いながら、こちら側の気持ちを尊重し、対応を真剣に考えてくれているように見えました。 

 

教頭先生は、 

 

「学校なんて、来なくてもいいと思う、多様化だし」 

 

「でも、長男さんが来たい気持ちが少しでもあるのなら、学校がやれる事は全てやります、何でも言って下さい」 

 

「クールダウンで1人になりたいなら、1人になれる部屋を用意します」 

 

「音楽の授業に出たくないなら、出なくていいです」 

 

「宿題もやらなくていい」 

 

「まずは、学校に来るだけでいいと思います」 

 

「学校の事より、どんな子か知りたいな、会いたいな、何が好きなんだろ話してみたいな」 

 

と私に話しかけてくれました。 

 

「学校側はできる事は何もありません」と断言していた前年度の教頭先生とは比べ物にならない、そんな印象を受けました。

 

長男がとても嫌がっていた3年生の時の担任の先生は他校へ移動になったと聞き、 長男に、 

 

「3年の時の担任の先生、もう学校変わったみたいだね」 

 

と伝えると、長男は、 

 

「あの先生にもう会わなくていいんだ」 

 

「また、1つ学校に行ってもいい理由が増えたな、僕、行こうかな」 

 

と言いました。 

 

・・・

 

私はなぜか、長男が学校行きたいと言い出しても「嬉しい」という気持ちが湧きませんでした。 

 

理由は、多分・・・

 

私はもともと極端な性格で【嫌】という感情が芽生えると、そこから急降下で、その全てが嫌になる。

 

その全てに対し、嫌が止まらなくなり、受け付けなくなる。

 

そんな性格は極端な思考を生みました。

 

当時私は、その感情を学校に持っていました。

 

フリースクールの【自由にさせると子供に自主性が生まれ、伸びる】という思考や、きのくに子供の村学園の【全て自分たちで決める】という教育方針を知る度に、公立小学校への不信感が生まれていきました。

 

全て決められた事で、みんな同じ事をする公立に通えば、型にはめられ、個性や感性が失われてしまう。

 

子供の個性を潰されてしまう、心が病んでしまう、と極端に思い込んでおり、私の気持ちが公立小学校を拒否し、恐怖症みたいになっていたように思います。

 

0

161 会えなかった友人に会う

会えなかった友人に会う 
 
 
 
2022年4月頭 
 
 
不登校になってから、病院にも行けていませんでしたが、長男は歯科矯正の歯医者にも自ら行きたいと言い出しました。 

 

歯科医の先生は不登校が理由で矯正治療に通えていない事を知っており、「どうしたい?続けたい?一旦休憩しても大丈夫だよ」と長男に聞いたそうです。

 

長男は「もう、通えます」と答えたと言っていました。 
 
 
 
・・・ 
 
 
スポ少も、3年生のクラスも同じ幼稚園時代の友人がいます。 

 

不登校になってから、断っても断っても、何度も何度も「遊ぼう!」と誘いに来てくれていましたが、長男は絶対に会う事ができませんでした。

 

ある日、突然長男がその友人と遊びたいと言い出しました。

 

ママと私は友人なので、ママに連絡を取ると、すぐに遊びに来てくれました。 

 

 

友人は、リビングのテレビでゲームをしている長男に向かい、 

 

「よー!お前半年くらい会ってないのに、全然変わってねーなー」 

 

「お、お前もついにゲーム始めたか!俺強いぞ!」 
 

と言いながら家に入って来ました。 

 

「お前、毎日何してんの?学校来いよー」 

 

「俺んちだったら、学校休むと父さんにぶん殴られるよ!」 

 

と、言っていましたが、長男は苦笑いをしながら友人の言葉を交わしているようでした。 

 

その子と遊んだのは数時間だったと思います。 

 

友人がゲームではなく「外で遊びたい」「かくれんぼしよ」と誘っていましたが、長男はあまり乗り気ではなく、少し体を動かすと、すぐにソファに座りゲームをしていました。 

 

私の目には、長男はあまり元気がないものの、ガンガン話しかけ、ちょっかいを出してくる友人と楽しそうに遊んでいるように見えました。

 

友人が帰宅すると「楽しかったよ」と言うものの雰囲気は全然楽しそうではなく、元気がなく、部屋にこもり、しばらく出てきませんでした。 
 

0