2024年6月の記事一覧
315 長男が不登校のなった時に感じた事
315 長男が不登校になった時に感じた事
私は、全然教育熱心ではなく、子供に「勉強しなさい」と言った事も、思った事も、一度もありませんでした。
子供が遊びたい、と遊んでいれば制限する事もなく、好きなように遊ばせ、服を泥だらけにしても、破って来てもむしろ褒め、自由に伸び伸びと、愛情を掛けて育てているつもりでした。
長男が不登校になった時に、それなのに、なぜ?という思いが正直ありました。
M先生にその事を話していると、先生は、
「お母さんは、子供が失敗したときに、失敗をなじっていませんでしたか?」
「うまくやっていないことに、きつい言葉を投げかけてはいませんでしたか?」
「弟をいじめる長男に、どんな言葉をかけていましたか?」
「子供の心がくじけてしまうような、そんな酷い言葉を掛けていたのではありませんか?」
と言われ、私には思い当たる節がいくつもありました。
私は今あなたに怒っているよ、苛立っているよ、子供が「お母さんが怒らないようにやめよう!」と思うような無言の圧力を、子供たちにかけていたように思います。M先生は、
「たとえ、子供が上手くできない事があっても、できない事は、悪い事ではなく、むしろ失敗する事は、学びになり、素敵なことだよと伝えていましたか?」
「子供には『お母さんも、失敗ばっかりだけど、みんなが許してくれるから、頑張れるんだよ』と失敗を恐れない心を作れるような、声掛けをしましょう」
「失敗がいつでも歓迎されるという事を、子供が骨身に染みて分かるまで、伝え続けて下さい」
と言っていました。
・・・
私は、あー面倒くさいな、と思う事があると、上手くやれない子供に、イライラしながら失敗をなじっていたように思います。
些細な事の積み重ねだったとは思いますが、長男はそんな普段の声掛けから、自分が何かをできない事は許されない、と思い、失敗する事を恐れ、不安が強くなっていったのかもしれないな、と思いました。
314 習字教室
314 習字教室
2022年10月はじめ
次男は、いつも、
「僕はばかだから、何をしたって上手くできないから」
「できなくて、馬鹿にされるのが嫌だから」
と何事にもチャレンジしたがりませんでした。
・・・
始めは行く事を躊躇っていた発達凸凹塾に通うようになると、その先生が次男のペース、特性に合わせ、強要をせず、出来ていることだけを見つけ続け、「素晴らしい、素晴らしい」と褒めてくれるので、次男は少しずつ人と関わる事が楽しみになり、私に、
「他の習い事もしてみたい」
「僕、色々やってみたい」
と前向きな発言をするようになりました。
「僕、字が上手くなりたいから習字に行ってみたい」
と次男が言うので、私は知人が通っている、のんびりしている、という習字教室の体験予約をしました。
その頃次男は、まだ、学校でも他の友人とは会話をする事もなく、孤立していたので、私は、習字の先生に、
次男は慣れるまでに時間がかかる子なので、初めからビシバシと指導をしないでほしい、信頼関係が築けると、指示が通りやすくなるので、ゆっくり関わってほしい
と伝えていました。
私は、次男が少しずつ、人と関わる事に慣れてくるといいな、という思いでした。字が上手くなってほしいとか、そんな気持ちはありませんでした。
次男の様子を説明し、その先生自体もお孫さんが自閉症児で発達障害児さんの扱いには慣れている、と聞いていたのですが、先生は初めから次男に、
「姿勢が悪いよ」
「そっちから書き始めてはだめ」
「枠から字をはみ出さないで」
「頭を上げで」
「返事は?」
と座って字を書き始めた次男に、一つも褒めず、出来ていない事を指摘していました。
私は、とても嫌な予感を抱きながら、横に黙って座っていたのですが、次男は、うつむき、字を書く姿勢のまま、頭を上げませんでした。
動かないな、と思って横で様子を見ていると、次男の指先が震えだし、強く指導された時の姿勢のままで、涙をぽとぽと流し始めました。
次男の目から出た涙が、硬筆の用紙に落ちても、次男は完全にフリーズしていて、その姿勢から、少しも動くことができませんでした。
私は、内心、
「だから、最初は指導はせずに、信頼関係を作ってほしいと、あれほど頼んだのにな・・・」
と思っていましたが、一般的な子は、初めから強く指導されても問題なく通えるのだろうな、と思い、次男の背中をさすりながら、
「どうしたい?もう帰ろうか?」
と言うと、次男は、魔法が溶けたかのように、ガチガチに固まっていた体の力が抜け、ひーひーと声を出して泣き出し、腕で涙を何度も何度も拭いていました。
先生は優しく、
「ごめんね、ごめんね」
と言っていましたが、次男は先生の話を聞くことはなく、その日は帰宅しました。
車に乗ると次男は、
「怖い、怖い、嫌だ、やりたくない」
と泣きながら言ったので、その習い事をするのは止めました。
・・・
少しの事で怯えてしまう次男の弱さは理解していますが、信頼関係が出来れば、指示が通るようになるのにな、初めに特性のある子です、とお願いしたのにな、上手くやってくれないな、理解がないな、というのが私の感想でした。
やっぱり発達障害塾の先生はプロだな、上手いな、と改めて思いました。
指導者が、その子その子の個性に合わせ、指導方法を変える事が出来たら、困難のある子も、今よりもきっと、その子の個性が伸びていくのではないかな?と私は思っています。
313 心の土台
313 心の土台
何となく、私は子育ての本質を理解し始めてはいましたが、一体、どう子供に接したらよいのか、親切と甘やかしの区別もなかなかつかず、迷う事が多かったです。M先生は、
子供が良い子になるように、と見返りを求める子育てではなく、お母さんは、いつでも自然体で、のんびりしていて下さい。
子供たちは誰しもが、良いものをたくさん持って生まれてきています。
持って生まれた良さを、自由に発揮できるように、周りの大人が環境を整えてあげましょう。
その子に合う環境を整えれば、自然に、何もかもが輝き出すのです。
大人が、子供にあれこれ指図し、右向け、左向けと細かく操っても、まともな子供は育ちません。
子供が迷ったときに、あなたは絶対に大丈夫、うまくいってるよ!何も心配ないよ!
と、言ってあげるだけで子供は十分心が強くなります。
お母さんは毎日次男君と共に登校していますが、
「面倒臭い、何でうちの子だけ」
などとは思わずに、次男君との今だけの、貴重な時間を大切にして下さい。
次男君にとって、お母さんと通った小学校への道は、どんな意味があるのか。
お母さんにそんなふうに関わってもらえた次男君は、どんな父親になるのか、楽しみだと思いませんか?
この先何年も、そんな日常の、お母さんとの触れ合いを心の土台にして、子供たちは生きていけると思いますよ。
親との、信頼関係のある温かな触れ合い経験がある子と、ない子では、心の安定に、大きな差がでます。
幼少期に満足する愛情を掛けられていない子供は、大人になっても情緒が熟さないので、ずっと気持ちが乾いたまま、幸せを感じていない事が多いです。
未成熟の親は、寄り添い方を知らず、子供に上手く寄り添う事ができません。
子育てには、親の心の成熟度がとても大切です。
人は、物事の捉え方を変えて、良い事に目を向けるようになれば、いつでも、すぐに幸せになれるのです。
これまで生きづらいと感じていた風景も環境も、自分の価値観が変わるだけで輝いて見える。
うまく子育てをやっている家庭は、意識せずに、とても自然に子育てをしています。
そんな家庭で育った子どもは、みんなマイペースでのんびり、自然体で好きな事を集中してやれています。
お母さんは、良い子になるように、厳しくしなければ、躾けなければ、などと考えたりはせず、子供の良い所だけを見る、と物事の捉え方を変えて、お母さん自身が幸せな人生を生きましょう。
私はM先生に、沢山の事を教えてもらっていますが、なぜかこの時教えてもらった、
次男君にとって、お母さんと通った小学校への道は、どんな意味があるのか。
お母さんにそんなふうに関わってもらえた次男君は、どんな父親になるのか、楽しみだと思いませんか?
という教えが、どんな時でも心に深く染み渡り、思い出すたびに、あ、もう一度頑張ってみよう、と思う事ができました。
312 子供自身の大切な価値観
312 子供自身の大切な価値観
子供に物事の決断をさせる、自由に選ばせる、という子育て方法は、いざ親になってみると、難しい場合があります。
なぜなら、親として、子供に失敗させたくない、という思いがある場合があるからです。
躾に関しても、親は、躾けなければならない、躾をしたら常識的な良い子になる。
しっかり躾けをしない事は、親として非常識なのだ、と思っていました。
ふと疑問に思うのは、親自身も世界観がとても狭い中で、自分の知っている狭い世界に子供をとどまらせることは、果たして正解なのか?
親が、自分もこう育ったのだから!と信じ込んでいる子育て法は、果たして本当に良い子育て法なのか?
それを見極めるのは現在の子供の姿なのではないのでしょうか。
子供が親切で、前向きで良い子で子供らしい子であれば、きっとその方法は良い方法だし、子供が反抗的だったり、自信がなく、チャレンジ精神に乏しいのであれば、今の子育て方法を一度見直してみると良いのかな?と思うようになりました。
「私だって子供時代はこうだった!」
「私だって我慢してきたのだから!」
と、我慢の強制をし、過度な躾けをする事は、子供を委縮させ、本来その子が持っている力を出すチャンスを奪ってしまうのではないか、その子の本当の、本来の姿を引き出すには、親の持っている価値観を押し付けるなんて絶対にしてはいけない事なのだ、と今は思います。
私の中にその気持ちが生まれると、子供に声を掛ける事にためらいが出るようになっていきました。
私のこの言葉が、子供の価値観にどう影響を及ぼすのか、そんな事を考えるようになったのです。
私の言葉で、子供たちが本来持っている、その子オリジナルの価値観を変えたくない、そんな気持ちです。
子供のことを、非難したり、否定したりはせず、気持ちに寄り添う事ができたら、子供は安心して何がしたいかを選ぶことができ、親に喜ばれる事ではなく、子供が本当にやりたい事を見つけられるのではないか。
好きにさせる、自由にさせておく、というのは、甘やかしの過保護と言う訳でも、ほったらかしの放任育児でもなく、子供が、親や指導者に、その大人たちの先入観や価値観を刻み込まれるのではなく、自分で体験し、経験し、自分で答えを見つけていく手伝いを、周りの大人が温かい気持ちで、こっそりと支えていく、そんな事なのかな?と思っています。
特に幼い子供たちの身近な見本は親です。
子供たちの中にある、当たり前の大人の姿が良いものになるように、親が良い見本を見せていく必要があるのだと思います。
それでも、自分自身に染み付いた、良くない習慣から抜け出す事はとても難しく、感情、体調にも左右され、私はなかなか良い親にはなる事ができないのです。
311 運動会
311 運動会
2022年10月15日
この日は小学校の運動会でした。
長男は欠席をし続けていますが、次男は、
「僕は運動会に行かないよ」
と宣言していたので、次男は、行くのかな?行かないのかな?と当日まで、私には分かりませんでしたが、次男は自分で行くと決め、学校へ向かいました。
開会式、次男の姿を探すと、帽子を目深くかぶり、みんながマスクを取っている中、自分の顔を隠すかのようにマスクをしたまま、次男は開会式に参加していました。
・・・
担任の先生から、
「次男さんは踊りの発表には参加したくない、と言っています、付き添える教員がいないので、お母さんが付き添っていてください」
と頼まれていて、本来、保護者の入れない生徒たちの待機場所で、次男のクラスの発表の間、私は次男と待つことになりました。
次男は、ふらふらふらふらと歩き回ったり、ブランコに乗りながら自分のクラスの発表を見て、
「僕、できないんじゃないよ、やりたくないだけ」
と言っていました。私は、
「そんなんだね」
と返事をしたと思います。
・・・
この学校は2年生はリレーではなく、徒競走をするのですが、私は次男が参加するかどうかは分かりませんでした。
次男は運動神経も良く、足も速いのですが、
「僕は遅いから、負けるから」
とネガティブな事ばかり言っていました。
それでも、運動会が近づくと、家の前の道で一生懸命走る練習をしていた事を私は知っていました。
本当は走りたい気持ちがあるのだろうな、と私は思っていました。
徒競走が始まり、次男の番になると、相変わらずマスクをつけたままの次男が列に並んでいました。
いつもはかかとを踏んでいる靴を、走る直前に、自分のタイミングで履きなおし、彼なりに頑張って走ろうとしている事が、遠方からでも伝わってきました。
次男の番になり、「よーい、どん!」と先生が言うと、次男は、皆より少しだけ遅れてスタートし、それでも一生懸命ゴールまで全力で走りぬきました。
子供がただ、徒競走で走っただけの事なのですが、私はとても嬉しくて、溢れ出す涙を止める事ができませんでした。
ふと振り返ると、別の場所で見ていた主人も目を真っ赤にして泣いていました。
「子供が、ただ徒競走で走っただけなのにね」
「でも、なんか、毎日の姿見てるから、嬉しいね」
「次男、靴も履きなおして、頑張ってたね」
「感動しちゃった」
と話をしたことを覚えています。
その後、先生の話を聞く際にも、皆が椅子に座る中、次男は先生にべったりくっついていましたが、閉会式にも加配の先生なしで参加していました。
運動会の途中、もう、暑いし、お母さんと帰る、と言っていましたが、本当には帰らず、先生と一緒に教室に戻っていきました。
・・・
次男は、先日まで運動会に参加しないと言っていたのに参加したし、普段は体操服に着替えないのに着替えていたし、いつも靴のかかとを踏んでいるのに、かかとを踏まずに靴を履いていたし、全て自分で頑張ろう、と決めて運動会に参加したのだろうなと、とても感慨深く、強制せずに寄り添ってくれた先生にも感謝の気持ちでいっぱいでした。
・・・
長男の学年リレーの時には、長男の友達が何人も何人も、
「長男元気ー?」
「いつ学校くるーーー?」
と私に手を振ってくれました。
私は、この中に長男の姿を見たかったなーという思いはありましたが、小さな頃から知っている子供たちが、成長し、力いっぱい走っている姿は、ただただ、とても感動的でした。
・・・
「行かない、参加しない」
と言い続けていた次男に、
「何を言っているの?頑張りなさい、やりなさい」
と一言も言わなくて、良かったな、と心底思えた運動会でした。