2024年6月の記事一覧
320 次男を癒す事
320 次男を癒す事
2022年10月
この時期、娘と公園に行く時に、遊びたい盛りであろう7歳の次男を誘っても、一緒に来ることはありませんでした。
「何で公園にいくの?」
「公園に行く事に、なんか意味あるの?」
そう言い、ゲームの画面だけを見ているだけでした。返事が返ってこればまだましで、基本的には無反応で無視されていました。
・・・
夏休みから引き続き、次男は本当に、ご飯も食べず、「お風呂入ろう!」と声をかけても一向に来ず、ただただ取りつかれたかのように家にいる間中、ゲームをしていました。
我が家でのその風景はもう、当たり前になっていましたが、私は、定期的に、その姿を見る事が強烈に耐え難くなる時がありました。
主人も、次男の状態があまりにも酷いので、
「次男、廃人化してるよね、このまま注意しないのは、本当に適切なのか?」
と不安を口にするようになっていました。
次男の状態を知っているM先生には、
「次男君は、今は親に試し行為をしている、と捉えて下さい」
「親は子供に、何度も、何度も、一万回試されます」
「親は本当に、僕の気持ちに寄り添う覚悟をしているのか、どんな姿の自分に対しても、変わらず愛を注いでくれるのか、本当に大切にしてもらえるのか、そんな事を何度も何度も、心の傷付いた、愛されている実感がない子供は試すのです」
「親は、根負けせず、そんな時こそ、愛を注ぎ続けて下さい」
と粘り強く、私に言っていました。
私の目には、次男は、私を試していると言うよりも、ただただゲームが楽しいから、ゲームに支配され、それ以外の事が何もできなくなっているように映っていました。
私はM先生に、その事を伝えると、先生は、
「お母さんは、次男君の、悪い面だけに捉われているから、【ゲームしかしない】という発想になるのですよ」
「何度も言っていますが、とにかく、次男くんの良い面を見つけ、その子の良い面だけを見て下さい」
「次男君の今までの、7年間の発育環境をしっかり振り返って下さい」
「お兄ちゃんからの精神的、肉体的攻撃により、次男君は、相当、今まで精神的に辛さを味わってきているはずです」
「お兄ちゃんに邪魔され、おっぱいも好きなだけ飲めず、抱っこもしてもらえなかったけど、次男君なりに幸福感が薄いまま、踏ん張って生きてきたのではないでしょうか?」
「幼いのに、お兄ちゃんに、執拗なまでにいじめられても、耐え忍んできたなんて、とてもけなげで、ふびんだとは思いませんか?」
「生まれ出てから今までの、最も親からの愛が必要で、幸せである時期に、本来ならばしなくても良い我慢を、嫌というほどしているのですよ」
「耐性のある大人でも耐えられないような状況だったのではありませんか?それをお母さんは、次男君が満足するまで、フォローしていましたか?」
「本来ならば、次男君は、もっとグダグダになっていても、文句言えないと思います」
「今、次男君は、今までの辛い状態から逃避し、セーフティゾーンに逃げ込んでいると見て良いと思います」
「ゲーム以外の事をしていると、不安になってしまう状態なのではありませんか?」
「親が、子供が満足するほどの愛情や安心感を与え、次男君が、ここも、あそこも、実は安心で、自分の居場所は、至る所にあるのだ、と心から納得できるよう、お母さんは今、頑張って下さい」
「そうしたらそのうち、本来の子供らしい姿を必ず取り戻します」
「不登校前に、お母さんが、長男君と喧嘩を繰り返す姿を見せていた事も、幼い子供にとっては極めて大きな負担なのです」
「次男君の発育環境が、何年もかけて、じわりじわりと、次男君から子供らしい活力を奪い取ってしまったのです」
「こちらが間違った子育て法に気が付き、子育て法を変え、上手くやり始めたのに、何でこの子は、すぐに良い子にならないんだ?、というのは、むしろ、むしがよすぎませんか?」
「大人でもそんなに簡単に思考や行動を切り替える事はできません」
「人はみんな、さまざまな環境に自分を適応させて、今現在の姿になっているのです」
「次男君には、今、とにかく癒しが必要なのです」
「生まれてから7歳になるまで、ずっと兄に酷い暴言や暴力を受けていた事、それに対して心を癒してもらうような、適切なフォローもしてもらえなかった事、そんな日々の苦しみを数日では癒す事はできません」
と言われました。
私は至る所に相談に行っていましたが、M先生のような目線で指導を受けた事はありません。
ほとんどの相談所は「困りましたね、秩序が保たれるよう約束事を決めましょう」と、それが出来ずに困っている、という事を理解してもらえませんでした。
親は、目に見える【不登校】という形で問題行動を起こしている長男ばかりに気が向いていたけれど、次男も、ずっと幸福感の少ない幼少期を過ごしてきたんだな、傷だらけなんだな、申し訳ないな、という気持ちで胸が締め付けられたのです。
子供の今の状態だけを見て、おかしい、わがままだ、異常だ、と嘆くのではなく、なぜ、この子は今こうなのか?今の姿になるに至った過程は何なのか?と親はしっかりと自分の今までの行いに目を向ける必要がある、と、私は感じました。
319 奴隷化?
319 奴隷化?
2022年10月
この時期、私は、ただただ子供たちの要望に応え、奴隷化していれば揉める事はなく、子供との関係性が崩れない、と感じていました。
私が少しでも何かを言えば、子供は不機嫌になる。
要望を叶えなければ、関係が悪くなる。
子供たちの言う事さえ聞いていれば、揉め事が起きない。
そう、思い込んでいたのです。
その事をM先生に話すと、先生は、
「奴隷はだめですよ、あくまで、仲間、対等な関係を築くのです」
「上から目線はやめて、対等な関係です」
「親であっても、嫌な事は嫌と伝えたら良いです」
「どうしようもなく嫌な時は、お母さんは嫌だよ、もし、あなたが、同じことをされたらどんな気持ち?」
「お母さんは今、嫌な気持ちだよ」
「なぜなら、こうだからだよ」
「あなたは、こうすると良いよ」
そんな関わり方で子供たちと接するように、と助言してもらいました。
・・・
その当時、私は、子供の要望を叶える、心を満たす、に集中し過ぎていて、過剰に子供の言う事を聞いていたように思います。
今振り返ると、私はまだこの時、本当の意味での【勇気づけの子育て】【子供の心を満たす事】を全然理解していませんでした。
何でも言う事を聞き、あなたたちの思い通りにしていたら、心が満たされるんでしょ、と冷めた感じで思い、これだけ言う事を聞いているのに、何が不満なんだよ、と、結局は子供に不満を抱いていたように思います。
今この子たちに何をしたら、どんな声掛けをしたら、心が温まるのだろう、この子は今、どうしてほしいんだろう、なんて思考はなかったのかもしれません。
私が本当にするべきだった事は、子供たちが、
お母さんは、僕の気持ちを大切に尊重してくれる、僕の願いが叶う事で、僕の心が満たされるように、僕の気持ちが温まる様に、と頑張ってくれている【僕は大切にされているんだ!】と、心底感じるような接し方なのだと思います。
それを私は何でも言う事を聞いて、言いなりになる、と勘違いしていました。
例えば・・・
子供:
「お腹すいた、焼きうどん!」
私:
「はい」
子供:
「水」
私:
「はい」
私:
「お風呂はいろー」
子供:
「無視」
私:
「ご飯できたよー、置いておくねー」
子供:
「無視」
次男が自分で寝ると決めた時間になって
「時間だよー」
と私が声を掛けても、基本的には無視で、返事が返ってきたとしても「うるせー」と無感情に言われるだけでした。
M先生は、それでも、子供を諦めるような事は一切言わず、粘り強く私に、
「今、お母さんがやられていることは、本当に酷い仕打ちだと思います」
「それでも、諦めずに、子供を信じて頑張りましょう」
「子供には、こうしてくれるとお母さんは嬉しいな、と伝え、無視されたら、潔く引き下がる」
「地道に、ただただ、それを温かい気持ちで続けて下さい」
「奴隷になるのでも、親だからと言って、上から目線になるのでもなく、対等に、丁寧に子供と関わり続けて下さい」
と言われていました。
・・・
私が子供の心を満たす事に過度に集中し、奴隷のように言う事を聞いていた時、一時的に子供たちの状態が良くなっても、私の深層心理にある子供たちへの不満や不安に子供が気が付くと、結局また、親子間の感情の糸が複雑に絡み合い、すぐに良い関係は崩れてしまいました。
結局私は、自分自身の、コントロールできない感情に支配され、なかなかうまく子供の心を温める子育てができませんでした。
結局は、子供の気持ちを温めよう、理解しよう、という気持ちよりも、私の大変さを分かってよ、理解してよ、こんなにやってるじゃん!という気持ちの方が強かったのかもしれません。
318 子は親の鏡
318 子は親の鏡
2022年10月17日
私は頑張っていた【勇気づけの子育て】をどうしても頑張れない日がありました。
私が【勇気づけの子育て】を頑張れず、とげとげしくなれば、子供の状態は親の状態を鏡で反射して映すかのように好ましくない方へ向きました。
私は、子供が好ましくない状態になると、私には【勇気づけの子育て】を続ける事は、無理なのかなぁ・・・と落ち込み、良い子育て法を継続する自信をなくしてしまうのです。
私の自信のなさ、元気のなさは、家族を負の連鎖に巻き込みます。
【お母さんが元気で笑顔でいれば、家庭は明るい、全てうまくいく】そんな言葉を何度も何度も見かけるたびに、私は「ふざけんな!」何で母親ばかりが、と、うんざりするようなマイナスな気持ちと、私さえ頑張れば子供たちを立て直せるの?それならば、私が頑張らなくちゃ、と、前向きに頑張ろうという2つの複雑な気持ちが混ざり合っていました。
私は、特にM先生に【勇気づけの子育て】を教えてもらってからは、子供たちをコントロールしたり、指図したりする事を一切やめ、子供との苦手なスキンシップを意識して頑張り、子供たちと向き合い、できた事を認める事を、毎日必死でやっていました。
・・・
その当時、9歳と6歳の息子たちは、基本的に、起きた瞬間から寝るまでゲームをしてました。
長男はそんな生活をもう、1年していました。
次男は学校へ行ってはいるものの、それ以外の時間は、ご飯も食べず、ゲームをしている事もよくありました。
それでも、私は、
きっと今はこの姿だけれど、【勇気づけの子育て】をしていれば、変わっていくはず、
という前向きな期待と、
このままだったら、この子たちはどうなってしまうのか・・・
というマイナス感情で、私自身の気持ちが浮き沈みしていました。
・・・
この日、ゲームをしていた次男が、ゲームに集中しすぎてか、おしっこを漏らしてしまいました。
リビングで寝転びながらゲームをしていたのですが、ジャージャーとおしっこを漏らし、次男の寝転んでいるそのエリアはおしっこの水溜りが出来ていました。
私は、内心、え・・・ありえない・・・と思ったのですが、まだ、6歳だし、そうゆうこともあるな、と気持ちを切り替えようとしましたが、その後の次男の態度が私を苛立たせました。
次男は、私に声を掛ける事も、水浸しになった場所を気に留める事もせず、おしっこで濡れた足のまま歩き回り、無表情でズボンを履き替え、何もなかったかのように、ゲームを再開したのです。
現場はおしっこの水溜り、次男が歩いた場所はおしっこで作られた水の足跡になっているのです。
この子は、今、何も感じていないのかな?と私はただ、とても不思議な気持ちでした。
・・・
同じ日、長男は、友人とオンライン対戦をしたくて、友人が一生懸命ビデオ通話で、オンラインの接続方法を長男に説明してくれていましました。
その友人は長男の為に頑張って説明してくれているのに、長男は、
「僕はやり方分からないから」
と言い、主人に全て丸投げし、友達がビデオ通話で話している間中、自分とは無関係、と言わんばかりに、ずっとスマホを見ていました。
ああ・・・、この子は、友達と一緒に考えよう、とも、自分で試してみよう、ともしないんだな。
と思い、私は、長男次男の態度に心底うんざりした事を覚えています。
何でうちの子たちはこんなにも相手を思いやる行動が出来ないのだろう、と強く感じてしまい、日々頑張っている【勇気づけの子育て】を頑張る気力がなくなってしまいました。
言葉に出して、子供に注意をしたり、文句を言ったりしなくても、私のそんな子供への不満の気持ちは、私の態度から、子供たちに伝わっていたのだと思います。
私の気持ちが落ちて、子供たちへの不満が、私の態度から醸し出されると、私が言葉を発さなくとも、子供たちと私との間に、負のループが始まるのです。
そうやって、いつも、私の心の状態を、鏡の様に子供たちが反射して見せてくるのです。
317 良い傾向
317 良い傾向
2022年10月
長男にも次男にも注意をせず、暴言を吐いても、まずは聴く事を心がけ、次男が、学校に遅刻したり、時間に遅れそうな時でも、とにかく話を聴くことを優先するようにしていました。
子供のペースに合わせ【待つ】事が大前提なので、効率重視で、せっかちな私には、なかなか難しい時もありましたが、【ちゃんとする】という感覚を捨てると、割と楽に出来るようになっていきました。
そんなふうに子供たちに接していると、長男からも次男からも優しい言葉が出る事が増えていきました。
長男は、ゲームで知りたい事があり、主人に聞きたかった様子でしたが、
「お父さんのお休みの日でいいよっ、おやすみー」
と言い、夜中に親を叩き起こしてでも自分の要求を伝えていた子が、相手を思いやる発言をする様になりました。
こだわりが強く、自分の持ち物を誰かに触られる事を極端に嫌がる子でしたが、先日は、私に一番お気に入りのゲームのコントローラーを貸してくれて、自分はやりにくいコントローラーでゲームをしてくれていました。
私が【こだわり行動だ】【面倒臭い】と思っていた長男の振る舞いは、【こだわり】と言うよりも、何事も、いい加減にやらない、一生懸命な子なのではないか、と思うようになりました。
次男は主人に対しても、あまりニコニコと話す事はありませんでしたが、その日、主人が帰宅すると、
「お父さん、お帰り!お仕事お疲れ様。働いてきてくれてありがとう」
と言っていました。
今までとは、声のトーンが全然違うのです。
朝も、朝食を残すと、
「お母ちゃん、残してすみません!」
と面白おかしく、ふざけながら私に言い、笑っていました。
子供たちが明らかに良い方向に向かい出している、という確信が私にはありました。
316 声掛け
316 声掛け
私は思った事を口に出してしまう事が多く、いつも余計な一言を言ってしまうので、それをやめたい、と思っていました。
それでも、なかなかやめることはできず、ついつい余計な一言を言ってしまうのです。
子供に発するその余計な一言は、大体決定打になるような、良くない言葉で、子供が傷つき、不快になっている事が多いな、と感じていました。
M先生は、
「子供に、何かをお願いしたり伝えたりするときに、お母さんは複数回同じことを子供に言っていませんか?」
「どうしても、何回も言ってしまいそうなときは、まず、一回、心の中で言い、それから声に出して言う、そうしたら、子供はお母さんの言葉を一回聞くだけで済みます」
とアドバイスしてくれました。
試してはみましたが、せっかちな私は、子供がすぐに返事をしないと、同じことを何回も聞いてしまったりする癖がなかなか抜けませんでした。
そして子供は、私の言葉に、
「分かってるって!もううるさい!」
「今、考えてるって!」
と言う事が多かったです。
親のペースに子供を引き込んでも、親子間で良い関係は生まれません。
かといって、子供のペースに合わせているとなかなか事が進みません。
それでもなるべく、子供と過ごす時は、せっかちにならず、ゆっくり、ゆったり子供のペースで【待つ】子育てをしてあげると良いのだろうな、と思っています。