2024年6月の記事一覧
320 次男を癒す事
320 次男を癒す事
2022年10月
この時期、娘と公園に行く時に、遊びたい盛りであろう7歳の次男を誘っても、一緒に来ることはありませんでした。
「何で公園にいくの?」
「公園に行く事に、なんか意味あるの?」
そう言い、ゲームの画面だけを見ているだけでした。返事が返ってこればまだましで、基本的には無反応で無視されていました。
・・・
夏休みから引き続き、次男は本当に、ご飯も食べず、「お風呂入ろう!」と声をかけても一向に来ず、ただただ取りつかれたかのように家にいる間中、ゲームをしていました。
我が家でのその風景はもう、当たり前になっていましたが、私は、定期的に、その姿を見る事が強烈に耐え難くなる時がありました。
主人も、次男の状態があまりにも酷いので、
「次男、廃人化してるよね、このまま注意しないのは、本当に適切なのか?」
と不安を口にするようになっていました。
次男の状態を知っているM先生には、
「次男君は、今は親に試し行為をしている、と捉えて下さい」
「親は子供に、何度も、何度も、一万回試されます」
「親は本当に、僕の気持ちに寄り添う覚悟をしているのか、どんな姿の自分に対しても、変わらず愛を注いでくれるのか、本当に大切にしてもらえるのか、そんな事を何度も何度も、心の傷付いた、愛されている実感がない子供は試すのです」
「親は、根負けせず、そんな時こそ、愛を注ぎ続けて下さい」
と粘り強く、私に言っていました。
私の目には、次男は、私を試していると言うよりも、ただただゲームが楽しいから、ゲームに支配され、それ以外の事が何もできなくなっているように映っていました。
私はM先生に、その事を伝えると、先生は、
「お母さんは、次男君の、悪い面だけに捉われているから、【ゲームしかしない】という発想になるのですよ」
「何度も言っていますが、とにかく、次男くんの良い面を見つけ、その子の良い面だけを見て下さい」
「次男君の今までの、7年間の発育環境をしっかり振り返って下さい」
「お兄ちゃんからの精神的、肉体的攻撃により、次男君は、相当、今まで精神的に辛さを味わってきているはずです」
「お兄ちゃんに邪魔され、おっぱいも好きなだけ飲めず、抱っこもしてもらえなかったけど、次男君なりに幸福感が薄いまま、踏ん張って生きてきたのではないでしょうか?」
「幼いのに、お兄ちゃんに、執拗なまでにいじめられても、耐え忍んできたなんて、とてもけなげで、ふびんだとは思いませんか?」
「生まれ出てから今までの、最も親からの愛が必要で、幸せである時期に、本来ならばしなくても良い我慢を、嫌というほどしているのですよ」
「耐性のある大人でも耐えられないような状況だったのではありませんか?それをお母さんは、次男君が満足するまで、フォローしていましたか?」
「本来ならば、次男君は、もっとグダグダになっていても、文句言えないと思います」
「今、次男君は、今までの辛い状態から逃避し、セーフティゾーンに逃げ込んでいると見て良いと思います」
「ゲーム以外の事をしていると、不安になってしまう状態なのではありませんか?」
「親が、子供が満足するほどの愛情や安心感を与え、次男君が、ここも、あそこも、実は安心で、自分の居場所は、至る所にあるのだ、と心から納得できるよう、お母さんは今、頑張って下さい」
「そうしたらそのうち、本来の子供らしい姿を必ず取り戻します」
「不登校前に、お母さんが、長男君と喧嘩を繰り返す姿を見せていた事も、幼い子供にとっては極めて大きな負担なのです」
「次男君の発育環境が、何年もかけて、じわりじわりと、次男君から子供らしい活力を奪い取ってしまったのです」
「こちらが間違った子育て法に気が付き、子育て法を変え、上手くやり始めたのに、何でこの子は、すぐに良い子にならないんだ?、というのは、むしろ、むしがよすぎませんか?」
「大人でもそんなに簡単に思考や行動を切り替える事はできません」
「人はみんな、さまざまな環境に自分を適応させて、今現在の姿になっているのです」
「次男君には、今、とにかく癒しが必要なのです」
「生まれてから7歳になるまで、ずっと兄に酷い暴言や暴力を受けていた事、それに対して心を癒してもらうような、適切なフォローもしてもらえなかった事、そんな日々の苦しみを数日では癒す事はできません」
と言われました。
私は至る所に相談に行っていましたが、M先生のような目線で指導を受けた事はありません。
ほとんどの相談所は「困りましたね、秩序が保たれるよう約束事を決めましょう」と、それが出来ずに困っている、という事を理解してもらえませんでした。
親は、目に見える【不登校】という形で問題行動を起こしている長男ばかりに気が向いていたけれど、次男も、ずっと幸福感の少ない幼少期を過ごしてきたんだな、傷だらけなんだな、申し訳ないな、という気持ちで胸が締め付けられたのです。
子供の今の状態だけを見て、おかしい、わがままだ、異常だ、と嘆くのではなく、なぜ、この子は今こうなのか?今の姿になるに至った過程は何なのか?と親はしっかりと自分の今までの行いに目を向ける必要がある、と、私は感じました。
319 奴隷化?
319 奴隷化?
2022年10月
この時期、私は、ただただ子供たちの要望に応え、奴隷化していれば揉める事はなく、子供との関係性が崩れない、と感じていました。
私が少しでも何かを言えば、子供は不機嫌になる。
要望を叶えなければ、関係が悪くなる。
子供たちの言う事さえ聞いていれば、揉め事が起きない。
そう、思い込んでいたのです。
その事をM先生に話すと、先生は、
「奴隷はだめですよ、あくまで、仲間、対等な関係を築くのです」
「上から目線はやめて、対等な関係です」
「親であっても、嫌な事は嫌と伝えたら良いです」
「どうしようもなく嫌な時は、お母さんは嫌だよ、もし、あなたが、同じことをされたらどんな気持ち?」
「お母さんは今、嫌な気持ちだよ」
「なぜなら、こうだからだよ」
「あなたは、こうすると良いよ」
そんな関わり方で子供たちと接するように、と助言してもらいました。
・・・
その当時、私は、子供の要望を叶える、心を満たす、に集中し過ぎていて、過剰に子供の言う事を聞いていたように思います。
今振り返ると、私はまだこの時、本当の意味での【勇気づけの子育て】【子供の心を満たす事】を全然理解していませんでした。
何でも言う事を聞き、あなたたちの思い通りにしていたら、心が満たされるんでしょ、と冷めた感じで思い、これだけ言う事を聞いているのに、何が不満なんだよ、と、結局は子供に不満を抱いていたように思います。
今この子たちに何をしたら、どんな声掛けをしたら、心が温まるのだろう、この子は今、どうしてほしいんだろう、なんて思考はなかったのかもしれません。
私が本当にするべきだった事は、子供たちが、
お母さんは、僕の気持ちを大切に尊重してくれる、僕の願いが叶う事で、僕の心が満たされるように、僕の気持ちが温まる様に、と頑張ってくれている【僕は大切にされているんだ!】と、心底感じるような接し方なのだと思います。
それを私は何でも言う事を聞いて、言いなりになる、と勘違いしていました。
例えば・・・
子供:
「お腹すいた、焼きうどん!」
私:
「はい」
子供:
「水」
私:
「はい」
私:
「お風呂はいろー」
子供:
「無視」
私:
「ご飯できたよー、置いておくねー」
子供:
「無視」
次男が自分で寝ると決めた時間になって
「時間だよー」
と私が声を掛けても、基本的には無視で、返事が返ってきたとしても「うるせー」と無感情に言われるだけでした。
M先生は、それでも、子供を諦めるような事は一切言わず、粘り強く私に、
「今、お母さんがやられていることは、本当に酷い仕打ちだと思います」
「それでも、諦めずに、子供を信じて頑張りましょう」
「子供には、こうしてくれるとお母さんは嬉しいな、と伝え、無視されたら、潔く引き下がる」
「地道に、ただただ、それを温かい気持ちで続けて下さい」
「奴隷になるのでも、親だからと言って、上から目線になるのでもなく、対等に、丁寧に子供と関わり続けて下さい」
と言われていました。
・・・
私が子供の心を満たす事に過度に集中し、奴隷のように言う事を聞いていた時、一時的に子供たちの状態が良くなっても、私の深層心理にある子供たちへの不満や不安に子供が気が付くと、結局また、親子間の感情の糸が複雑に絡み合い、すぐに良い関係は崩れてしまいました。
結局私は、自分自身の、コントロールできない感情に支配され、なかなかうまく子供の心を温める子育てができませんでした。
結局は、子供の気持ちを温めよう、理解しよう、という気持ちよりも、私の大変さを分かってよ、理解してよ、こんなにやってるじゃん!という気持ちの方が強かったのかもしれません。
318 子は親の鏡
318 子は親の鏡
2022年10月17日
私は頑張っていた【勇気づけの子育て】をどうしても頑張れない日がありました。
私が【勇気づけの子育て】を頑張れず、とげとげしくなれば、子供の状態は親の状態を鏡で反射して映すかのように好ましくない方へ向きました。
私は、子供が好ましくない状態になると、私には【勇気づけの子育て】を続ける事は、無理なのかなぁ・・・と落ち込み、良い子育て法を継続する自信をなくしてしまうのです。
私の自信のなさ、元気のなさは、家族を負の連鎖に巻き込みます。
【お母さんが元気で笑顔でいれば、家庭は明るい、全てうまくいく】そんな言葉を何度も何度も見かけるたびに、私は「ふざけんな!」何で母親ばかりが、と、うんざりするようなマイナスな気持ちと、私さえ頑張れば子供たちを立て直せるの?それならば、私が頑張らなくちゃ、と、前向きに頑張ろうという2つの複雑な気持ちが混ざり合っていました。
私は、特にM先生に【勇気づけの子育て】を教えてもらってからは、子供たちをコントロールしたり、指図したりする事を一切やめ、子供との苦手なスキンシップを意識して頑張り、子供たちと向き合い、できた事を認める事を、毎日必死でやっていました。
・・・
その当時、9歳と6歳の息子たちは、基本的に、起きた瞬間から寝るまでゲームをしてました。
長男はそんな生活をもう、1年していました。
次男は学校へ行ってはいるものの、それ以外の時間は、ご飯も食べず、ゲームをしている事もよくありました。
それでも、私は、
きっと今はこの姿だけれど、【勇気づけの子育て】をしていれば、変わっていくはず、
という前向きな期待と、
このままだったら、この子たちはどうなってしまうのか・・・
というマイナス感情で、私自身の気持ちが浮き沈みしていました。
・・・
この日、ゲームをしていた次男が、ゲームに集中しすぎてか、おしっこを漏らしてしまいました。
リビングで寝転びながらゲームをしていたのですが、ジャージャーとおしっこを漏らし、次男の寝転んでいるそのエリアはおしっこの水溜りが出来ていました。
私は、内心、え・・・ありえない・・・と思ったのですが、まだ、6歳だし、そうゆうこともあるな、と気持ちを切り替えようとしましたが、その後の次男の態度が私を苛立たせました。
次男は、私に声を掛ける事も、水浸しになった場所を気に留める事もせず、おしっこで濡れた足のまま歩き回り、無表情でズボンを履き替え、何もなかったかのように、ゲームを再開したのです。
現場はおしっこの水溜り、次男が歩いた場所はおしっこで作られた水の足跡になっているのです。
この子は、今、何も感じていないのかな?と私はただ、とても不思議な気持ちでした。
・・・
同じ日、長男は、友人とオンライン対戦をしたくて、友人が一生懸命ビデオ通話で、オンラインの接続方法を長男に説明してくれていましました。
その友人は長男の為に頑張って説明してくれているのに、長男は、
「僕はやり方分からないから」
と言い、主人に全て丸投げし、友達がビデオ通話で話している間中、自分とは無関係、と言わんばかりに、ずっとスマホを見ていました。
ああ・・・、この子は、友達と一緒に考えよう、とも、自分で試してみよう、ともしないんだな。
と思い、私は、長男次男の態度に心底うんざりした事を覚えています。
何でうちの子たちはこんなにも相手を思いやる行動が出来ないのだろう、と強く感じてしまい、日々頑張っている【勇気づけの子育て】を頑張る気力がなくなってしまいました。
言葉に出して、子供に注意をしたり、文句を言ったりしなくても、私のそんな子供への不満の気持ちは、私の態度から、子供たちに伝わっていたのだと思います。
私の気持ちが落ちて、子供たちへの不満が、私の態度から醸し出されると、私が言葉を発さなくとも、子供たちと私との間に、負のループが始まるのです。
そうやって、いつも、私の心の状態を、鏡の様に子供たちが反射して見せてくるのです。
317 良い傾向
317 良い傾向
2022年10月
長男にも次男にも注意をせず、暴言を吐いても、まずは聴く事を心がけ、次男が、学校に遅刻したり、時間に遅れそうな時でも、とにかく話を聴くことを優先するようにしていました。
子供のペースに合わせ【待つ】事が大前提なので、効率重視で、せっかちな私には、なかなか難しい時もありましたが、【ちゃんとする】という感覚を捨てると、割と楽に出来るようになっていきました。
そんなふうに子供たちに接していると、長男からも次男からも優しい言葉が出る事が増えていきました。
長男は、ゲームで知りたい事があり、主人に聞きたかった様子でしたが、
「お父さんのお休みの日でいいよっ、おやすみー」
と言い、夜中に親を叩き起こしてでも自分の要求を伝えていた子が、相手を思いやる発言をする様になりました。
こだわりが強く、自分の持ち物を誰かに触られる事を極端に嫌がる子でしたが、先日は、私に一番お気に入りのゲームのコントローラーを貸してくれて、自分はやりにくいコントローラーでゲームをしてくれていました。
私が【こだわり行動だ】【面倒臭い】と思っていた長男の振る舞いは、【こだわり】と言うよりも、何事も、いい加減にやらない、一生懸命な子なのではないか、と思うようになりました。
次男は主人に対しても、あまりニコニコと話す事はありませんでしたが、その日、主人が帰宅すると、
「お父さん、お帰り!お仕事お疲れ様。働いてきてくれてありがとう」
と言っていました。
今までとは、声のトーンが全然違うのです。
朝も、朝食を残すと、
「お母ちゃん、残してすみません!」
と面白おかしく、ふざけながら私に言い、笑っていました。
子供たちが明らかに良い方向に向かい出している、という確信が私にはありました。
316 声掛け
316 声掛け
私は思った事を口に出してしまう事が多く、いつも余計な一言を言ってしまうので、それをやめたい、と思っていました。
それでも、なかなかやめることはできず、ついつい余計な一言を言ってしまうのです。
子供に発するその余計な一言は、大体決定打になるような、良くない言葉で、子供が傷つき、不快になっている事が多いな、と感じていました。
M先生は、
「子供に、何かをお願いしたり伝えたりするときに、お母さんは複数回同じことを子供に言っていませんか?」
「どうしても、何回も言ってしまいそうなときは、まず、一回、心の中で言い、それから声に出して言う、そうしたら、子供はお母さんの言葉を一回聞くだけで済みます」
とアドバイスしてくれました。
試してはみましたが、せっかちな私は、子供がすぐに返事をしないと、同じことを何回も聞いてしまったりする癖がなかなか抜けませんでした。
そして子供は、私の言葉に、
「分かってるって!もううるさい!」
「今、考えてるって!」
と言う事が多かったです。
親のペースに子供を引き込んでも、親子間で良い関係は生まれません。
かといって、子供のペースに合わせているとなかなか事が進みません。
それでもなるべく、子供と過ごす時は、せっかちにならず、ゆっくり、ゆったり子供のペースで【待つ】子育てをしてあげると良いのだろうな、と思っています。
315 長男が不登校のなった時に感じた事
315 長男が不登校になった時に感じた事
私は、全然教育熱心ではなく、子供に「勉強しなさい」と言った事も、思った事も、一度もありませんでした。
子供が遊びたい、と遊んでいれば制限する事もなく、好きなように遊ばせ、服を泥だらけにしても、破って来てもむしろ褒め、自由に伸び伸びと、愛情を掛けて育てているつもりでした。
長男が不登校になった時に、それなのに、なぜ?という思いが正直ありました。
M先生にその事を話していると、先生は、
「お母さんは、子供が失敗したときに、失敗をなじっていませんでしたか?」
「うまくやっていないことに、きつい言葉を投げかけてはいませんでしたか?」
「弟をいじめる長男に、どんな言葉をかけていましたか?」
「子供の心がくじけてしまうような、そんな酷い言葉を掛けていたのではありませんか?」
と言われ、私には思い当たる節がいくつもありました。
私は今あなたに怒っているよ、苛立っているよ、子供が「お母さんが怒らないようにやめよう!」と思うような無言の圧力を、子供たちにかけていたように思います。M先生は、
「たとえ、子供が上手くできない事があっても、できない事は、悪い事ではなく、むしろ失敗する事は、学びになり、素敵なことだよと伝えていましたか?」
「子供には『お母さんも、失敗ばっかりだけど、みんなが許してくれるから、頑張れるんだよ』と失敗を恐れない心を作れるような、声掛けをしましょう」
「失敗がいつでも歓迎されるという事を、子供が骨身に染みて分かるまで、伝え続けて下さい」
と言っていました。
・・・
私は、あー面倒くさいな、と思う事があると、上手くやれない子供に、イライラしながら失敗をなじっていたように思います。
些細な事の積み重ねだったとは思いますが、長男はそんな普段の声掛けから、自分が何かをできない事は許されない、と思い、失敗する事を恐れ、不安が強くなっていったのかもしれないな、と思いました。
314 習字教室
314 習字教室
2022年10月はじめ
次男は、いつも、
「僕はばかだから、何をしたって上手くできないから」
「できなくて、馬鹿にされるのが嫌だから」
と何事にもチャレンジしたがりませんでした。
・・・
始めは行く事を躊躇っていた発達凸凹塾に通うようになると、その先生が次男のペース、特性に合わせ、強要をせず、出来ていることだけを見つけ続け、「素晴らしい、素晴らしい」と褒めてくれるので、次男は少しずつ人と関わる事が楽しみになり、私に、
「他の習い事もしてみたい」
「僕、色々やってみたい」
と前向きな発言をするようになりました。
「僕、字が上手くなりたいから習字に行ってみたい」
と次男が言うので、私は知人が通っている、のんびりしている、という習字教室の体験予約をしました。
その頃次男は、まだ、学校でも他の友人とは会話をする事もなく、孤立していたので、私は、習字の先生に、
次男は慣れるまでに時間がかかる子なので、初めからビシバシと指導をしないでほしい、信頼関係が築けると、指示が通りやすくなるので、ゆっくり関わってほしい
と伝えていました。
私は、次男が少しずつ、人と関わる事に慣れてくるといいな、という思いでした。字が上手くなってほしいとか、そんな気持ちはありませんでした。
次男の様子を説明し、その先生自体もお孫さんが自閉症児で発達障害児さんの扱いには慣れている、と聞いていたのですが、先生は初めから次男に、
「姿勢が悪いよ」
「そっちから書き始めてはだめ」
「枠から字をはみ出さないで」
「頭を上げで」
「返事は?」
と座って字を書き始めた次男に、一つも褒めず、出来ていない事を指摘していました。
私は、とても嫌な予感を抱きながら、横に黙って座っていたのですが、次男は、うつむき、字を書く姿勢のまま、頭を上げませんでした。
動かないな、と思って横で様子を見ていると、次男の指先が震えだし、強く指導された時の姿勢のままで、涙をぽとぽと流し始めました。
次男の目から出た涙が、硬筆の用紙に落ちても、次男は完全にフリーズしていて、その姿勢から、少しも動くことができませんでした。
私は、内心、
「だから、最初は指導はせずに、信頼関係を作ってほしいと、あれほど頼んだのにな・・・」
と思っていましたが、一般的な子は、初めから強く指導されても問題なく通えるのだろうな、と思い、次男の背中をさすりながら、
「どうしたい?もう帰ろうか?」
と言うと、次男は、魔法が溶けたかのように、ガチガチに固まっていた体の力が抜け、ひーひーと声を出して泣き出し、腕で涙を何度も何度も拭いていました。
先生は優しく、
「ごめんね、ごめんね」
と言っていましたが、次男は先生の話を聞くことはなく、その日は帰宅しました。
車に乗ると次男は、
「怖い、怖い、嫌だ、やりたくない」
と泣きながら言ったので、その習い事をするのは止めました。
・・・
少しの事で怯えてしまう次男の弱さは理解していますが、信頼関係が出来れば、指示が通るようになるのにな、初めに特性のある子です、とお願いしたのにな、上手くやってくれないな、理解がないな、というのが私の感想でした。
やっぱり発達障害塾の先生はプロだな、上手いな、と改めて思いました。
指導者が、その子その子の個性に合わせ、指導方法を変える事が出来たら、困難のある子も、今よりもきっと、その子の個性が伸びていくのではないかな?と私は思っています。
313 心の土台
313 心の土台
何となく、私は子育ての本質を理解し始めてはいましたが、一体、どう子供に接したらよいのか、親切と甘やかしの区別もなかなかつかず、迷う事が多かったです。M先生は、
子供が良い子になるように、と見返りを求める子育てではなく、お母さんは、いつでも自然体で、のんびりしていて下さい。
子供たちは誰しもが、良いものをたくさん持って生まれてきています。
持って生まれた良さを、自由に発揮できるように、周りの大人が環境を整えてあげましょう。
その子に合う環境を整えれば、自然に、何もかもが輝き出すのです。
大人が、子供にあれこれ指図し、右向け、左向けと細かく操っても、まともな子供は育ちません。
子供が迷ったときに、あなたは絶対に大丈夫、うまくいってるよ!何も心配ないよ!
と、言ってあげるだけで子供は十分心が強くなります。
お母さんは毎日次男君と共に登校していますが、
「面倒臭い、何でうちの子だけ」
などとは思わずに、次男君との今だけの、貴重な時間を大切にして下さい。
次男君にとって、お母さんと通った小学校への道は、どんな意味があるのか。
お母さんにそんなふうに関わってもらえた次男君は、どんな父親になるのか、楽しみだと思いませんか?
この先何年も、そんな日常の、お母さんとの触れ合いを心の土台にして、子供たちは生きていけると思いますよ。
親との、信頼関係のある温かな触れ合い経験がある子と、ない子では、心の安定に、大きな差がでます。
幼少期に満足する愛情を掛けられていない子供は、大人になっても情緒が熟さないので、ずっと気持ちが乾いたまま、幸せを感じていない事が多いです。
未成熟の親は、寄り添い方を知らず、子供に上手く寄り添う事ができません。
子育てには、親の心の成熟度がとても大切です。
人は、物事の捉え方を変えて、良い事に目を向けるようになれば、いつでも、すぐに幸せになれるのです。
これまで生きづらいと感じていた風景も環境も、自分の価値観が変わるだけで輝いて見える。
うまく子育てをやっている家庭は、意識せずに、とても自然に子育てをしています。
そんな家庭で育った子どもは、みんなマイペースでのんびり、自然体で好きな事を集中してやれています。
お母さんは、良い子になるように、厳しくしなければ、躾けなければ、などと考えたりはせず、子供の良い所だけを見る、と物事の捉え方を変えて、お母さん自身が幸せな人生を生きましょう。
私はM先生に、沢山の事を教えてもらっていますが、なぜかこの時教えてもらった、
次男君にとって、お母さんと通った小学校への道は、どんな意味があるのか。
お母さんにそんなふうに関わってもらえた次男君は、どんな父親になるのか、楽しみだと思いませんか?
という教えが、どんな時でも心に深く染み渡り、思い出すたびに、あ、もう一度頑張ってみよう、と思う事ができました。
312 子供自身の大切な価値観
312 子供自身の大切な価値観
子供に物事の決断をさせる、自由に選ばせる、という子育て方法は、いざ親になってみると、難しい場合があります。
なぜなら、親として、子供に失敗させたくない、という思いがある場合があるからです。
躾に関しても、親は、躾けなければならない、躾をしたら常識的な良い子になる。
しっかり躾けをしない事は、親として非常識なのだ、と思っていました。
ふと疑問に思うのは、親自身も世界観がとても狭い中で、自分の知っている狭い世界に子供をとどまらせることは、果たして正解なのか?
親が、自分もこう育ったのだから!と信じ込んでいる子育て法は、果たして本当に良い子育て法なのか?
それを見極めるのは現在の子供の姿なのではないのでしょうか。
子供が親切で、前向きで良い子で子供らしい子であれば、きっとその方法は良い方法だし、子供が反抗的だったり、自信がなく、チャレンジ精神に乏しいのであれば、今の子育て方法を一度見直してみると良いのかな?と思うようになりました。
「私だって子供時代はこうだった!」
「私だって我慢してきたのだから!」
と、我慢の強制をし、過度な躾けをする事は、子供を委縮させ、本来その子が持っている力を出すチャンスを奪ってしまうのではないか、その子の本当の、本来の姿を引き出すには、親の持っている価値観を押し付けるなんて絶対にしてはいけない事なのだ、と今は思います。
私の中にその気持ちが生まれると、子供に声を掛ける事にためらいが出るようになっていきました。
私のこの言葉が、子供の価値観にどう影響を及ぼすのか、そんな事を考えるようになったのです。
私の言葉で、子供たちが本来持っている、その子オリジナルの価値観を変えたくない、そんな気持ちです。
子供のことを、非難したり、否定したりはせず、気持ちに寄り添う事ができたら、子供は安心して何がしたいかを選ぶことができ、親に喜ばれる事ではなく、子供が本当にやりたい事を見つけられるのではないか。
好きにさせる、自由にさせておく、というのは、甘やかしの過保護と言う訳でも、ほったらかしの放任育児でもなく、子供が、親や指導者に、その大人たちの先入観や価値観を刻み込まれるのではなく、自分で体験し、経験し、自分で答えを見つけていく手伝いを、周りの大人が温かい気持ちで、こっそりと支えていく、そんな事なのかな?と思っています。
特に幼い子供たちの身近な見本は親です。
子供たちの中にある、当たり前の大人の姿が良いものになるように、親が良い見本を見せていく必要があるのだと思います。
それでも、自分自身に染み付いた、良くない習慣から抜け出す事はとても難しく、感情、体調にも左右され、私はなかなか良い親にはなる事ができないのです。
311 運動会
311 運動会
2022年10月15日
この日は小学校の運動会でした。
長男は欠席をし続けていますが、次男は、
「僕は運動会に行かないよ」
と宣言していたので、次男は、行くのかな?行かないのかな?と当日まで、私には分かりませんでしたが、次男は自分で行くと決め、学校へ向かいました。
開会式、次男の姿を探すと、帽子を目深くかぶり、みんながマスクを取っている中、自分の顔を隠すかのようにマスクをしたまま、次男は開会式に参加していました。
・・・
担任の先生から、
「次男さんは踊りの発表には参加したくない、と言っています、付き添える教員がいないので、お母さんが付き添っていてください」
と頼まれていて、本来、保護者の入れない生徒たちの待機場所で、次男のクラスの発表の間、私は次男と待つことになりました。
次男は、ふらふらふらふらと歩き回ったり、ブランコに乗りながら自分のクラスの発表を見て、
「僕、できないんじゃないよ、やりたくないだけ」
と言っていました。私は、
「そんなんだね」
と返事をしたと思います。
・・・
この学校は2年生はリレーではなく、徒競走をするのですが、私は次男が参加するかどうかは分かりませんでした。
次男は運動神経も良く、足も速いのですが、
「僕は遅いから、負けるから」
とネガティブな事ばかり言っていました。
それでも、運動会が近づくと、家の前の道で一生懸命走る練習をしていた事を私は知っていました。
本当は走りたい気持ちがあるのだろうな、と私は思っていました。
徒競走が始まり、次男の番になると、相変わらずマスクをつけたままの次男が列に並んでいました。
いつもはかかとを踏んでいる靴を、走る直前に、自分のタイミングで履きなおし、彼なりに頑張って走ろうとしている事が、遠方からでも伝わってきました。
次男の番になり、「よーい、どん!」と先生が言うと、次男は、皆より少しだけ遅れてスタートし、それでも一生懸命ゴールまで全力で走りぬきました。
子供がただ、徒競走で走っただけの事なのですが、私はとても嬉しくて、溢れ出す涙を止める事ができませんでした。
ふと振り返ると、別の場所で見ていた主人も目を真っ赤にして泣いていました。
「子供が、ただ徒競走で走っただけなのにね」
「でも、なんか、毎日の姿見てるから、嬉しいね」
「次男、靴も履きなおして、頑張ってたね」
「感動しちゃった」
と話をしたことを覚えています。
その後、先生の話を聞く際にも、皆が椅子に座る中、次男は先生にべったりくっついていましたが、閉会式にも加配の先生なしで参加していました。
運動会の途中、もう、暑いし、お母さんと帰る、と言っていましたが、本当には帰らず、先生と一緒に教室に戻っていきました。
・・・
次男は、先日まで運動会に参加しないと言っていたのに参加したし、普段は体操服に着替えないのに着替えていたし、いつも靴のかかとを踏んでいるのに、かかとを踏まずに靴を履いていたし、全て自分で頑張ろう、と決めて運動会に参加したのだろうなと、とても感慨深く、強制せずに寄り添ってくれた先生にも感謝の気持ちでいっぱいでした。
・・・
長男の学年リレーの時には、長男の友達が何人も何人も、
「長男元気ー?」
「いつ学校くるーーー?」
と私に手を振ってくれました。
私は、この中に長男の姿を見たかったなーという思いはありましたが、小さな頃から知っている子供たちが、成長し、力いっぱい走っている姿は、ただただ、とても感動的でした。
・・・
「行かない、参加しない」
と言い続けていた次男に、
「何を言っているの?頑張りなさい、やりなさい」
と一言も言わなくて、良かったな、と心底思えた運動会でした。
310 失敗
310 失敗
2022年10月はじめ
ここ数週間、私なりに【勇気づけの子育て】を頑張っていました。
次男からの挑発には乗らず、暴言だろうと暴力だろうと何食わぬ顔で受け止め、次男が頑張っている事や、些細な良い行いを見逃さないように声がけをしていました。
学校も、集合時間に間に合わなければ、気分よく遅刻させ、給食後に帰りたがれば一つ返事で迎えに行き、親子で楽しく過ごしていました。
そんなふうに過ごしていると、次男はどんどん暴言が減り、良い表情が増えていきました。
それでも、私が少しでも気を抜くと、今のお母さんは嫌だ、怖かったと言い、泣き出して甘えることもありました。
担任の先生からも、
「立ち歩きや教卓下をゴロゴロしたり、先生にべったりなのは相変わらずだけれど、目を見張るほど、良い方に変化しています」
「給食を手伝う、掃除をしっかりする、そんな日が増え、会話も増えてきました」
「友人とはまだ関わらないけれど、とても良い感じに成長しているように思います」
と連絡をもらっていました。
・・・
そんな落ち着き始めた日々の中、この日は、朝からの暴言、無理難題が酷く、私はそれにもスルーし、私なりに優しく接していましたが、次男が、
「通学団で行きたい、でもゲームのセーブが出来ていない、もう間に合わない、でも通学団で行きたい」
と泣き、ギリギリ間に合いそうな時刻に走って玄関に行くと、
「この服は嫌だ!」
と激しく泣き始めました。
外では通学団の団長さんが雨の中待ってくれていました。
他の子を雨の中待たせてしまっている事も、私をイライラさせました。
私は、次男は学校に行きたくない気持ちを素直に言えないのかな?と決めつけ、
「学校行きたくないなら、休んでいいんだよ」
と言うと、次男は泣き出し、
「勝手に決めるな!クソが!早く連れてけ!」
と訳の分からない事ばかりを叫び、そんな次男に私はイライラし、次男の気持ちを優しく受け止める事が出来なくなってしまいました。
次男はそのまま、1時間ほど、無言で泣きながら玄関に座っていました。
私も何も言わず、次男から離れていると、次男が、「学校へ行く」と言うので遅刻して、一緒に登校しました。
・・・
【勇気づけの子育て】のやり方は分かっているのに、自分の感情が邪魔して上手くできない、どうしても、感情的になってしまう、そんな事をM先生に相談すると、先生は、
子供はゆっくり成長し、まだ、自分の気持ちがコントロール出来ません。
少しずつ上手くなるのです。
お母さんは、今何かをできていない子供の姿に、焦る意味も、怒る意味もありません。
子供にとって大切な事は、自分を認めてくれる、自分を信じてくれるという親の眼差しです。
学校に行こうが、行くまいが、そのこと自体はどうでも良い事なのですよ。
子供が学校へ行くか、行かないか、その事に親が無関心で、どうでもよい事、と言っているのではありません。
親は、子供が、自分で決めて、行こう!と前向きに挑戦してしようとしている姿を認め、温かい眼差しと共に、エールを送り続けて下さい。
そんな視線が子供の勇気になります。
子供の心が強くなるのですよ。
お母さんは、今日、上手く、次男に優しくできなかった、と悔やんでいますが、人間は、死ぬまで、ずっと成長し続けるのです。
成長の条件は失敗することです。
失敗は、成功の一部で、失敗が無ければ成長など絶対にありません。
今日のお母さんのしくじりを、悪いこと、と捉えたりはせずに、失敗したから、さらにパワーアップできるな、次は頑張ろう!と捉え、どんどん成長してくださいね。
と、上手くやれない私を励ましてくれました。
私は、今日の失敗を、繰り返しませんように、どんな気持ちでいたら、どんな決意をしたら、同じ失敗をしないかな、と考え始めました。
その時は、よし、頑張ろう!と思えても、感情に負けてしまう事が多かったです。
309 ちゃんとする事
309 ちゃんとする事
私の子育てを苦しめていた事は【ちゃんとする】事だと思います。
ちゃんと学校に行く
ちゃんと集合時間に間に合わせる
ちゃんと宿題をする
ちゃんと挨拶をする
ちゃんと爪を切っている
ちゃんと時間になったら寝る
ちゃんと自分で何でもできる
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子供が周りの大人から見て、ちゃんとしている親に育てられた、ちゃんとした子、と思われるように、と私は無意識のうちに、自分がしっかり母親をしている、と評価されるために頑張っていたのではないか、と今は思います。
周りからの評価を気にする事をやめ、私の中に当たり前にあった、自分が【ちゃんとする事】子供を【ちゃんとさせる事】を手放すと、子育ては一気に楽になりました。
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子供に、ちゃんとする事を迫るというのは、見方を変えると、周りのペースに合わせて自分を殺せと強要している事かも知れません。
そんなふうに思うと、私はずいぶん、子供の自主性を無視して、自尊心を損わせてしまっていたのでは、と考えるようになりました。
厳しく接する必要はなく、もっと子供に寄り添う姿勢が自分にあったら良かったのに、と思うようになりました。
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不登校以来、私の中に、疑問が生まれています。
周りの大多数が良い、としている事が果たして本当に良い事なのか、実は、みんな同調圧力の、間違った良い事をしていて、周りがみんなしているから、とそれを【良い】と信じ込み、子供に押し付けていないのか?
子供が納得する、明確な理由も説明できず、こうゆうものだから、やるべきことだから、みんなやっているのだからと思い込んではいないのか?
子供の本当の気持ちはしっかり聞いてもらえているのか?
果たして、先生を手こずらせない、ちゃんとした子が本当の良い子なのか?
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以前の私ならば、
「みんなできるのに、何でうちの子は出来ないのだろう」
「やりたくないからやらないなんて事は許されるの?」
と、思ってしまいそうな、次男の運動会不参加宣言も、
みんながみんな同じように、やらなければいけないのか?
きっとそんな事はないはず。
心の準備が整っていない子は、自分のペースで、いずれ参加できる日がくると、周りの大人が信じて、プレッシャーを掛けることなく待ってあげてほしい。
殻を破る準備が出来ていない子供の心を、教員に理解してほしい。
子供のペースに寄り添ってほしい、そんな事を強く思うようになっていきました。
308 信じる事
308 信じる事
2022年10月
落ち着いている事も多くなってきた次男ですが、穏やかに遊んでいてもゲームを始めると、お風呂、食事、宿題でゲームを中断すると、暴言気味になったり、癇癪のように泣きじゃくる事が多かったです。
M先生からは、とげとげしい言葉遣いは子供の心の悲鳴ですよ、と言われてはいましたが、毎日の事なので、疲れるな、というのが本音でした。
子供たちの学校では、10月中旬に運動会があるのですが、次男は、
「僕は、運動会はやらないよ、行かないよ、休む」
と無表情で、当たり前かのように宣言していました。
入学当初からの、学校や家での次男の様子、長男の不登校の経験から、私の中に、なぜこの子は他の子のように出来ないのだろう?みんなのように、ちゃんとやってほしい、頑張ってほしいという思いはありませんでした。
学校に行っているだけで、良し。
と思っていたので、運動会をやらない、という次男の宣言に動揺する事はありませんでした。
学校に行く事もそうですが、出来る限り様々な事を次男本人がどうしたいのか、本人に決めてもらう事にしていました。
自分で決めた事には文句を言わないだろう、と私は思っていました。M先生はそんな私の次男への接し方を、
「子供の主体性が高まり、自分への責任感とドライブ感が持てる」
「お母さんが子供を尊重している事も子供に伝わりとても良い関り方ですよ」
「お母さんはまだ、子供が学校に行きたくない事を気にしていますが、義務教育の9年間、引きこもりの子でも、自分を発揮できる場を見つけて、凄い活動をしている子はたくさんいます」
「お母さんは、子供にとって一番大事な、子供を信じることをキチンとやって下さい」
「お母さんからの誠意は必ず子供たちに伝わります」
「信じる事だけは、キチンとやって下さいね」
と言っていました。
今思うと、私は次男を信じ、次男を尊重し丁寧に関わるように心掛けていた、というよりも、学校嫌いで、毎日クソつまらない、と言い、行き渋り、遅刻欠席の多い次男に対し、兄のように心をこわし、大暴れされたくない、そうなる前に嫌がる事を無理やり頑張らせるのはやめよう、という思いが強かったと思います。
この子は大丈夫!この子を信じよう!
という心の余裕はありませんでした。
307
307
2022年10月
長男は、家族が寝静まると、毎晩リビングでゲームをしていました。
下の子たちを寝かしに行く時、私がどんなに眠くても、長男は毎晩、
「お母さん起きてくる?起きてきて!」
と言いました。
なるべく付き合うようにはしていたのですが、どうしても眠たい時があり、
「今日しっかり寝て、明日からまた夜中遊んでーごめんー」
と言うと、以前だと不機嫌になる事も多かった長男が、
「いいよいいよ、眠いよね」
と相手を気遣う言葉が出るようになっていました。
この頃になると、長男はとても穏やかで優しい事が多く、優しい長男の姿を見ると、この子の本来の姿はこれなのだろうな、今までは気持ちに余裕がなく、自分の本来の優しい姿を出す事が出来ず、その姿を見た私からは、わがままだ、面倒な子だ、と言われ続け、辛かっただろうな、申し訳ないな、と私は思うようになりました。
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次男の学校嫌いと無気力な感じは相変わらずですが、次男は最近【ありがとう】と私の目を真っすぐ見ながら伝えてくれる事が増えました。
寝る前に私に沢山話をしてくれるようになり、
「幼稚園の時は遠足が大好きだったけど、僕、学校の遠足は行きたくないんだ」
と、気持ちを伝えてくれる日が多くなっていきました。
私は子供たちの、マイナスな発言や話にも、
「そうなんだね、そう思うんだね」
とただただ聞き、内容を否定をしたり、子供を納得させるような話し方は絶対にしない、と心に決めて話を聞くようにしていました。
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【勇気づけの子育て】で子供の悪い部分に目を向けず、相手を尊重する事、良い部分に目を向ける事だけに集中し続けると、子供たちと、とても良い関係が築けるようになっていったのです。
M先生からは、
「信頼関係はすぐに崩れてしまいます」
「お母さんは、誠実に、ひたむきに、一生、今の接し方で子供たちと関わって下さい」
「相手を心から信頼し続けて下さい」
と言われていました。
私は内心、思った事を言葉を選ばず子供たちに伝えてしまうような、デリカシーのない私に、そんなことできるのかな、と自信がありませんでしたが、がみがみ口うるさく、上から叱りつけ、子供との関係が良くなかった以前よりも、【勇気づけの子育て】を試すようになってからの方が、毎日気分が良く、子育ても楽になってきたように感じていました。
306 外の空気を吸い始める
306 外の空気を吸い始める
2022年10月8日
この日は、年少になった娘の運動会でした。
相変わらず、昼夜逆転の長男でしたが、この日は朝起きていて、娘の運動会に誘うと、
「うん、見に行きたい!」
と言いついてきました。
朝9時に、沢山の人がいる娘の運動会に長男が行くと言ったのです。
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娘の幼稚園の運動場には、長男の同級生も沢山いて、長男は数人に会ったのですが平気で話をしていました。
この1年、長男が同級生と関わる事が出来る日が来るなんて、想像する事も出来ないほどの日々を過ごしていたので、私はとても驚いていました。
午後からは近所の子供たちが沢山いる公園で遊ぶと言い、走り回って元気に遊んでいました。
【勇気づけの子育て】をはじめてから、長男はみるみる元気になっているように見えました。
それと同時に、長男は食事も摂れるようになっていき、がりがりに瘦せていた体から、少しずつ体型が元の姿に戻っていきました。
訳のわからないような無理難題を言う事もありましたが、その回数が驚くほど減っていったのです。
心が回復しているように感じ、とても嬉しかったです。
長男は次の日も、お昼から雨の中外で走り回り、私不在で、私のママ友と外食をしていました。
まさに、メキメキ元気になってきた、そんな感じでした。
その日の夜には、突然、
「ボールであそぼー」
と言い、庭で静かにキャッチボールを始め、インラインスケートも、
「もっとうまく滑れるようになりたい!」
と何度も動画を見ながらコツを研究し、練習していました。
そんな話をしているとM先生は、
「体を動かし始めたら最終段階ですよ」
「とても良い兆候だと思います」
と教えてくれました。
長男が元気になると同時に、私も心の底からエネルギーが沸き上がるように元気になっていきました。