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320 次男を癒す事
320 次男を癒す事
2022年10月
この時期、娘と公園に行く時に、遊びたい盛りであろう7歳の次男を誘っても、一緒に来ることはありませんでした。
「何で公園にいくの?」
「公園に行く事に、なんか意味あるの?」
そう言い、ゲームの画面だけを見ているだけでした。返事が返ってこればまだましで、基本的には無反応で無視されていました。
・・・
夏休みから引き続き、次男は本当に、ご飯も食べず、「お風呂入ろう!」と声をかけても一向に来ず、ただただ取りつかれたかのように家にいる間中、ゲームをしていました。
我が家でのその風景はもう、当たり前になっていましたが、私は、定期的に、その姿を見る事が強烈に耐え難くなる時がありました。
主人も、次男の状態があまりにも酷いので、
「次男、廃人化してるよね、このまま注意しないのは、本当に適切なのか?」
と不安を口にするようになっていました。
次男の状態を知っているM先生には、
「次男君は、今は親に試し行為をしている、と捉えて下さい」
「親は子供に、何度も、何度も、一万回試されます」
「親は本当に、僕の気持ちに寄り添う覚悟をしているのか、どんな姿の自分に対しても、変わらず愛を注いでくれるのか、本当に大切にしてもらえるのか、そんな事を何度も何度も、心の傷付いた、愛されている実感がない子供は試すのです」
「親は、根負けせず、そんな時こそ、愛を注ぎ続けて下さい」
と粘り強く、私に言っていました。
私の目には、次男は、私を試していると言うよりも、ただただゲームが楽しいから、ゲームに支配され、それ以外の事が何もできなくなっているように映っていました。
私はM先生に、その事を伝えると、先生は、
「お母さんは、次男君の、悪い面だけに捉われているから、【ゲームしかしない】という発想になるのですよ」
「何度も言っていますが、とにかく、次男くんの良い面を見つけ、その子の良い面だけを見て下さい」
「次男君の今までの、7年間の発育環境をしっかり振り返って下さい」
「お兄ちゃんからの精神的、肉体的攻撃により、次男君は、相当、今まで精神的に辛さを味わってきているはずです」
「お兄ちゃんに邪魔され、おっぱいも好きなだけ飲めず、抱っこもしてもらえなかったけど、次男君なりに幸福感が薄いまま、踏ん張って生きてきたのではないでしょうか?」
「幼いのに、お兄ちゃんに、執拗なまでにいじめられても、耐え忍んできたなんて、とてもけなげで、ふびんだとは思いませんか?」
「生まれ出てから今までの、最も親からの愛が必要で、幸せである時期に、本来ならばしなくても良い我慢を、嫌というほどしているのですよ」
「耐性のある大人でも耐えられないような状況だったのではありませんか?それをお母さんは、次男君が満足するまで、フォローしていましたか?」
「本来ならば、次男君は、もっとグダグダになっていても、文句言えないと思います」
「今、次男君は、今までの辛い状態から逃避し、セーフティゾーンに逃げ込んでいると見て良いと思います」
「ゲーム以外の事をしていると、不安になってしまう状態なのではありませんか?」
「親が、子供が満足するほどの愛情や安心感を与え、次男君が、ここも、あそこも、実は安心で、自分の居場所は、至る所にあるのだ、と心から納得できるよう、お母さんは今、頑張って下さい」
「そうしたらそのうち、本来の子供らしい姿を必ず取り戻します」
「不登校前に、お母さんが、長男君と喧嘩を繰り返す姿を見せていた事も、幼い子供にとっては極めて大きな負担なのです」
「次男君の発育環境が、何年もかけて、じわりじわりと、次男君から子供らしい活力を奪い取ってしまったのです」
「こちらが間違った子育て法に気が付き、子育て法を変え、上手くやり始めたのに、何でこの子は、すぐに良い子にならないんだ?、というのは、むしろ、むしがよすぎませんか?」
「大人でもそんなに簡単に思考や行動を切り替える事はできません」
「人はみんな、さまざまな環境に自分を適応させて、今現在の姿になっているのです」
「次男君には、今、とにかく癒しが必要なのです」
「生まれてから7歳になるまで、ずっと兄に酷い暴言や暴力を受けていた事、それに対して心を癒してもらうような、適切なフォローもしてもらえなかった事、そんな日々の苦しみを数日では癒す事はできません」
と言われました。
私は至る所に相談に行っていましたが、M先生のような目線で指導を受けた事はありません。
ほとんどの相談所は「困りましたね、秩序が保たれるよう約束事を決めましょう」と、それが出来ずに困っている、という事を理解してもらえませんでした。
親は、目に見える【不登校】という形で問題行動を起こしている長男ばかりに気が向いていたけれど、次男も、ずっと幸福感の少ない幼少期を過ごしてきたんだな、傷だらけなんだな、申し訳ないな、という気持ちで胸が締め付けられたのです。
子供の今の状態だけを見て、おかしい、わがままだ、異常だ、と嘆くのではなく、なぜ、この子は今こうなのか?今の姿になるに至った過程は何なのか?と親はしっかりと自分の今までの行いに目を向ける必要がある、と、私は感じました。