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2023年10月の記事一覧

25 大好きなサッカー

25 大好きなサッカー 

 

長男は一つの事にはまると異常なまでの集中力を発揮し、とことんやり続けます。コロナで休校の時は、サッカーにはまり朝起きてから寝る時間まで、家の庭でリフティングをしているほど、サッカーが大好きな子でした。 
 
 
2021年10日2日(土) 

 

そんなサッカーが大好きな長男が、不登校気味になってからサッカーにも行かないと言い出しました。 

 

練習の集合時間は13時なのですがその時間になっても一向に動かずテレビを見ていたので、私は時間に支度をしていない長男にイライラし主人に出発を促すように頼みました。
 

主人が「時間だよ」と長男に言っても、 長男は返事をせず、ぼーっとご飯を食べながらテレビを観ていました。 

 

主人は何も言わずに黙ってその姿を見守っていました。 

 

私は長男の態度にイライラし、

 

この子はなんてマイペースなのだろう。マイペースを超えて自分勝手すぎないか? 

 

あー、イライラするな・・・なんで集合時間が気にならないのだろう・・・

 

でも最近、何かと理由をつけて、全ての事を嫌がるようになったな、とやたらと怠いと訴え気分の起伏が激しい長男の事を私はとても心配していました。
 

・・・

 

13時10分を過ぎると、 長男が自分自身に気合を入れる感じで「よし!行くか!」と立ち上がりスパイクを履き始めました。すると今度は「スパイクがきつい」と不快そうに座り込みました。 

 

私はスニーカーで練習に参加しても良い事を伝えましたが、長男は「スニーカーなら行かない」と部屋に戻ってきました。 

 

私は、お休み連絡をしてないんだからスニーカーで行ってよ!と何度か言いましたが、長男は、「スパイクがハマらない」の1点張りで動こうとはしませんでした。 

 

私はこの時、長男はサッカーに行きたい気分じゃないからずる休みしようとしているのだなと思い、長男に、

 

「だからスニーカーでいいって!!!」 

 

と強く言いました。そんな私に対して長男は、

 

「暑いし!行かない!」 

 

と言うので、私は、

 

「サッカーはコーチも含めやる気がある子が行く所!暑いから、行きたくないからって休む位ならもう辞めなさい!」 

 

と叱りつけると、長男は、

 

「あーーーーー始まった始まったうるせーーー!!!」 

 

と部屋にこもってしまいました。

 

私は厳しくしなければ、甘やかしてはいけないと思っていて、長男に世間一般的な正論を押し付けていました。 

 

・・・

 

結局長男はサッカーをお休みし、主人と新しいスパイクを買いに出かけました。 そのスパイクはその後一度も履かれる事はありませんでした。 
 

買い物へ行く途中長男が主人に、
 

面白くない話、長い話は全て無視し、耳に入らない様にしている。先生にもそうする様になり、何を言われたのか、何をするのか分からない。

 

何かをあげるから、あれをやって!と言われる事が凄く嫌で今後一切、誰の指示にも従うつもりは無い。

 

と言ったそうです。 

 

・・・

 

2021年10月3日(日) 

 
この日も長男は、テニスの体験に行きたいからサッカーは休みたいと言い、サッカーを欠席しました。 
 

主人は、新しいスパイクを買ったし、昨日も休んだし、テニスの体験はいつでも行けるからサッカーにいったら?と説得していましたが長男は、 テニスの体験に【今日】絶対に行きたいから、サッカーは来週行く、と言い結局欠席しました。

 

・・・

 

午後から、家族で買い物へ行いくと、 道中の30分間長男は、 

 

学校を辞めたい、給食がまずいしつまらないし全部嫌。 

 

僕はもう、学校を爆破したいと思っているんだ、あんな場所に何の意味があるのか分からない。

 

とにかく女子が嫌だし、音楽の授業も嫌! 

 

と言い続けました。

 

・・・

 

帰宅後に、長男は、「買い物で購入してきた消しゴムがない!!!」 「今すぐ買ってきて」と泣き出しました。 

 

私が、往復1時間以上もかかる場所だから、無理だよと説明しても、

 

「嫌だ!今すぐ買ってきて!」 

 

「買ってきて!買ってきて!買ってきて!今すぐ買って来いよ!」 
 

と、とにかくしつこく要求してきました。 
 

買いに行けば早いのですが、こんな理不尽な要求を聞いてしまったらわがままにならないのか、そこが不安で私は長男の要望を聞くことが出来ませんでした。 

 

・・・

 

その日、夕食にグラタンを出すと長男は、

 

「こんなものは食べたくない、気分じゃないからいらない」

 

と言い、 私は、今日だけだよと約束してもらい、 別の物を長男に作りました。 

 

。 

まだ8歳の子供の、こんなわがままを聞いていていいのだろうか、長男のわがままを聞かなければ長男は絶対に諦めず、引き下がらないので聞くしかないのだけれど、それでいいのだろうか、何が正解なのか私には分かりませんでした。 

 

 

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24 彼の望む自由

24 彼の望む自由 

 

2021.9月末

 

この日、 夜9時になると長男が突然ソファの周りをぐるぐるぐるぐる回り、一方的に話し始めました。 

 

・自由になりたい 

 

・体育は着替えたくない

 

・体育の内容は全て自分で選びたい 

 

・靴の履き替えもしたくない 

 

・自分が学びたい時に学びたい事を学びたい 

 

・何で皆同じ事をしないといけないのか分からない 

 

・先生はそんなに偉いとは思えない 

 

・学校行かないで鳥になりたい 

 

そんな内容を30分以上、絶え間なく私に話し続けました。 

 

・・・

 

その話をすると、誰かが、こんなアドバイスをくれました。

 

・学校、会社、どこかに属している限りは自由に出来ない

 

・中学は自由な校風の所に通わせた方が良いのでは

 

・ルールばかりで退屈だけど、学校を卒業しなければ働けないし、お金が無いと自由に出来ない

 

・未来に向けて、今は我慢するべき時 

 

・皆同じ気持ちだけど、やらないわけにはいかないから頑張っている

 

・今は嫌だけど頑張ろう! 

 

・お父さんが家族のために働けているのも、学校を頑張ったから

 

そんなことを、何度も言い聞かせて教え込むしかない、と言われました。

 

ダメな事はダメ!と注意をしたかったのですが、注意をすると、負のスパイラルに入りました。 
 

別の日、 リビングで、部屋の明かりを真っ暗にしてテレビを見ていましました。 

 

その日は明かりをつけてはダメ、と言うので、私は夕食を作れませんでした。それなのに、寝る時は電気を消してはダメと言うので、全員が眠れません。
 

この頃は、就寝時以外は「電気を付けないで」と、言う事が増えていて家中真っ暗な事が多かったです。 
 

私から見た長男は、 

 
プライドが高く負けず嫌いで自由人 

 

こだわりが強く極度なマイペースなのに真面目

 

些細な変化に気が付き、同調圧力が苦手でいつも不安そう 

 

そんなイメージを持っていました。

 

 


学校で疲れ果て、家では私と喧嘩をし、次男をいじめる長男の事を、私は【面倒な子】と思っていたのです。

 

この日寝る前に長男が、迷路を書く用の新しいノートをランドセルに入れていて、明日は学校に行く気なのだな・・・と胸を撫で下ろしていました。 

 

長男は当時、ずっと自由になりたいと言っていました。

 

 

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23 心療内科と言う選択肢

23 心療内科と言う選択肢

 

不登校気味の長男が、家庭内では情緒がとても不安定である事を学校に話すと、学校側に心療内科を薦められました。

 

学校の先生は、心療内科医はプロなので、原因を引き出してくれるのではないか?と言っていました。
 

私は、今の状態の長男を心療内科に連れて行けば、「僕を信用していない!僕は病気じゃない!」という気持ちから親への不信感で、より心を閉ざしてしまうのではないかと心配していました。 

 

主任の先生は、私に、

 

「本人にだらけ癖がつくので、学校を休ませても課題を与え、絶対にストレスフリーにさせないように」

 

と言い、

 

「家にいるのが楽になり益々行かなくなるのは怖いですから!」 

 

と言われました。 

 

・・・

 

2021.9月末

 

長男が私に、

 

「1時間目の音楽はお休やすみして、その後学校へ行くのはどう?」

 

と提案をしてきました。私は長男に、

 

「音楽嫌なんだね、でも他の子も嫌でも頑張っているんじゃないの?」 

 

と長男の提案には乗りませんでした。

 

・・・

 

その日、担任の先生から電話があり、長男が3年生になってから初めて手を挙げて質問したと聞き、波はあるけれど、 少しずつ良い方向に向いてきているのかな? と私は安心したのです。

 

そんな嬉しい報告を聞いていたのに、長男は、

 

「クソつまらんかった」

 

と不貞腐れながら帰宅しました。

 

・・・

 

夜は長男の機嫌が悪く、長時間次男にテレビを譲りませんでした。

 

次男は、

 

「僕もテレビ見たい!長男見過ぎ!ずるい!」 

 

と怒っていましたが、 長男はわざと2時間の番組を選択し、

 

「は、は、は、これ終わったらどうぞ!って言ってますよね!」 

 

「ねぇねぇ聞こえませんか?聞こえないか!バカだから」 

 

とまた次男に暴言を吐いたのです。

 

そんな長男のわがままな振る舞いに対し私は、

 

今は耐えるしかないのか、 叱る人がいないとエスカレートしてしまわないか、反抗期なのか、 私が可愛がって育てた子は、【こうゆう子】なのだろうか? 


と、とても悲しい気持ちになりました。 

 

気持ちの浮き沈みの激しい長男は、常に「怠い、怠い」と、言っていたので、私はこの子は鬱なのかな・・・と心配になる事もありました。

 

ネットで調べた情報に照らし合わせ、もしかしたらこの子は発達障害かもしれない!と思った事もあり、むしろ発達障害であってほしい!発達障害と診断された方が今までの子育ての困難さの説明がつく!

 

この子は育てるのが難し過ぎる、と思っていたのです。

 
 

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22 我が家のゲーム事情

22 我が家のゲーム事情

 

2021年8月の夏休み、この時までデジタル系のおもちゃが一つもなかった我が家は【VRシューティング】というデジタル系のおもちゃを購入することになりました。

 

購入を楽しみにしていて、ご機嫌な長男に私は私は長男をダイニングテーブルに座らせ、

 

「私はあなたを信用していないから、貴方が時間を守れるとは思わないから、約束事を紙に書きなさい」 


と私が一方的に決めた約束事を紙に書かせました。確か内容は、

 

・1日30分 

・宿題してから 

・少しでも守れなかったら没収 

・金土は1時間 

 

ゲームを買うのが気にいらない、と言わんばかりに、私はとても不機嫌そうな顔でその約束事を長男に書かせ、長男も不服そうな顔で、書かなければ買ってもらえない・・・と不貞腐れて記入していました。 

 

お互いに気分は最悪でした。

 

購入したゲーム機 
↓ 


私自身が幼少期、テレビを厳しく制限された経験があり、デジタルな物はとても悪いもの!と思い込み、長男が小さな頃から子供にテレビをほとんど見せていませんでした。

 

テレビは極力見せず、外に連れて行き、時期には桜を見せる。

 

電車を見に行き、絵本を読み、外でお弁当を食べる、五感に刺激のある事を、感性が豊かな子なる様にと子育てを頑張っていました。

 

未就園児時代はテレビに頼らず、休憩する暇無く、子供と関わっていて、私もガラ携を使用し、ネットも見ない生活でしたが、その事に不満を抱いたことはありませんでした。

 

・・・

 

未就園児の時、長男は戦隊ものがとても好きだったので、本人の手作りで剣やヒーローグッズを作っていました。 

何度も、何度も、長男が作り直し、ボロボロになった剣は今も捨てられずに残っています↓

 

 
私は子供が欲しがるものを何でも買い与える事に抵抗感がありました。 

 

・恵まれすぎて何でも手に入り、物を大切にしない子にならないように

 

・与えられ過ぎず、我慢が出来る子になりますように

 

と思っていて、言う事を聞き過ぎてはいけないとわざと望みを叶え過ぎないようにしていました。

 

・・・

 

その考え方の子育ては、必然的に「ダメ!」と言う機会を沢山生みました。 

 

小さな子供は基本、親に要求ばかりしていますが何かが欲しいと言われても、 何かをやってみたいと言われても、これを買ってと言われても、テレビ見たいと言われても、ダメと言い、心の中では買うつもりでいるおもちゃも、快諾はせず 一旦は「ダメ」と言わなければ、と思っていました。 

 

要求を何でも聞くとわがままになると思い、ああしたい、こうしたい、と言う子供の要求をすんなり聞き入れませんでした。

 

私は、一生懸命、いい子に育ちますように、と愛を持って、子供の要求を聞かない様頑張っていました。 
 

その子育て法は【我慢できる子】を育てるより【親にお願いする事を諦める子】を育ててしまいました。

長男にとってはゲームもその一つだったのではないかと思います。 

 

3年生の夏休み、8歳で完全不登校になるまで長男はゲームを持っておらず、YOUTUBEも見た事がなかったと思います。

 

長男は一度も私にゲームを欲しいと言った事はありませんでした。 

 

私は理想の子供像を持っていて、自然児でワイルドな子に育って欲しいと願い、毎日外で遊ばせていました。

 

長男も外が大好きで、ゲームに興味があるはずがないと思い込んでいたし、【そうゆう子】であって欲しい、と願っていました。

 

ママたちの間では、ゲームの開始時期を迷っているという話がよくでていましたが、私は長男がどうしてもゲームが欲しい!と言うまでは、買い与えないでおこうと決めていました。 

 

ゲームが無法地帯の友人宅に長男が遊びに行きたがると、私は、

 

「ゲームを始めるきっかけになると困るから」 

 

と、行かせませんでした。

 

私は勝手に、小さい頃にゲームを始めると【ゲーム脳】になり、ゲーム依存症になると思っていたのです。

長男はゲームが欲しいと私に強くは言いませんでしたが、少し欲しがった時があり、その時私は長男に、 

 

「あなたは遊びの天才なんだから、ゲームを買う事でそれが無くなったらお母さんは悲しいから」と言い、購入を許可しませんでした。

 

主人は自分も主人の父親も電子機器依存気味なので、長男が主人と同じ脳の仕組みな場合、ゲームしかしなくなるかもしれない、とゲームを与える事に否定的でした。 

 

ゲーム時間を作り、ルールを定めると、どちらが何秒長くゲームをした!などと言い争いが始まり、兄弟げんかが激しくなりました。

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21 担任の先生

21 担任の先生

 

2021年9月中旬 

 

突然長男が、床にべたっと座り、上を向き、涙を拭わず、幼い子の様にわんわんわんわん泣きだしました。

 

「女子が嫌!授業が暇で落書しているのにずっと注意してくる」 

 

「僕は退屈な授業を、落書きする事でなんとが耐えているのに」 

 

「音楽が嫌!部屋が暑い!音がうるさい」 

 

「ミニ先生が嫌!教えてほしい子だけ手を挙げた子だけ教えてもらうのに、何で僕に教えてくるんだ!」

 

「僕が『教えなくていい』と言うと『じゃー、もう2度と教えてあげない』と意地悪を言われる」

 

「僕は教えてなんて一度も頼んでいないし手も挙げていない!」 

 

嫌。嫌。嫌。全部嫌!!! 
 

そう言ってしばらくの間長男は泣き続けました。

 

担任の先生は若い女性で、私に、

 

・愛情不足が悪い方に出る子がいるので構ってあげてほしい、今日、長男の頭をいい子いい子したら、少し落ち着きましたよ。

 

・学校では、友人と仲良く遊んでいて、全く不登校児に見えません

 

・隣の子が嫌な様ですが、女の子に話し掛けられても上手に交わしていましたよ

 

・席替えは2週間後に予定しています

 

・迷路が好きなので、授業に迷路を取り入れました

 

・クラス全員で鬼ごっこをした時は、楽しんでいましたよ

 

・学校に来たら、フォローしますが、来なければ、出来る事は何もありません

 

・朝お迎えに行く、一緒に通学団で行く、等はお母さんの方でお願いします 

 

・お母さんも、長男君も、ゆっくり休んだらどうですか? 

 

・算数の回答をわざと間違えたので、注意しました

 

・テストは85点位で、学習困難は無さそうです

 

・私では分からないので、主任に相談します

 

と言われました。
 
 

担任の先生は、その後完全不登校になった長男に数か月間、一度もプリントも持って来ず、電話をかけてくる事もなく我が家は学校とは音信不通でした。 

 

1ヵ月ぶりに電話が掛かってきた!と電話をとると、長男の名前は一度も出さずに「もうすぐ懇談会がありますがご都合の悪い日はございますか?」 

 

とだけ聞かれました。 

 

・・・

 

我が家は不登校経験がなく、学校側に何も期待していなかったし、連絡が来たところで何も変わらない事は分かっていたので、特に不信感や不満を学校側に抱いてはいませんでしたが、完全不登校の場合、担任の先生と連絡を取り合う事を後に知りました。 

 

先生は私に、経験不足で、どうしたらよいか分からない、といつも言っていました。

 

私は全く連絡をして来ないその先生が、自分が担任している、急に学校に来なくなった生徒の事が気にならない事が不思議で、学校は来ている子に学問を教えるだけの場所なんだな、と思った事は、覚えています。 
 

 

私は誰に相談すべきか、私自信はどうするべきなのか、いつも悩んでいました。

 

長男は休んでも、ご機嫌な時がありました。

 

お買い物の手伝いをしてくれたり、妹が泣いていると泣き止まし、服を着替えさせてくれました。私が、

 

「ありがとう!」

 

と、長男を抱きしめると、「大好き」と、手を広げて抱きついてくれました。
  

ご機嫌で話していても、学校の話題になると完全無視し、無反応になる事が多かったです。

 

不登校は最初が肝心とどこかの資料に書いてあり、担任の先生が頼りないなら、教頭先生に話すとか、スクールカウンセラーに相談してみたら?と姉が助言してくれました。 

 

長男にばかり気をとられていると、次男が日に日に笑わなくなっていきました。

 

幼稚園送迎後、近くの公園から様子を見ていると、 皆が元気よく運動会のリレー練習をしている中、テラスで無表情でぽつんと座っていました。

 

次男も指示が通らず、指が折れそうな程、強く私の指を曲げたり、手あたり次第殴ったり、暴力的な事が多かったです。

 

兄にいじめられている次男は、兄を見ると、

 

「あいつ、死ね!死んでほしい!」

 

と泣き出す事がありました。

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