不登校復活の道(ブログ)
70 近所のフリースクールにて
70 近所のフリースクールにて
2021.10月中旬
長男が玄関から裸足で飛び出して、出かけようとする私を追い掛けてきます。
「お母さんどこに行くの?」
「僕も行く!」
「連れて行ってよ」
「ねーどこに行くの?」
私:
「用事があって出かけるだけだよ」
「すぐ戻るから」
完全不登校になってから長男は私が外出するのを怯える様になりました。
自分の知らない所で何かが進められているという不安なのか
裸足で車に乗り込んできて着いて行く!どこにいくの!どうして一緒に行っちゃダメなの?と喚きます。
私は何とか理由を付けて外出していました。
市内で水曜だけ開校のフリースクールが立ち上がりました。
今日は月に一度のアウトドア開校でした。
設立者は私と同年代の女性です。
今日はそこへ話を聞きに行きました。
その女性は中学生(男)、5年生(女)、2年生(男)、年長さん(女)、の4人のお母さんです。
第1子の長男が小3で不登校になったそうです。
その際色々考え前回私が話を聞きに行ったフリースクールに通う様になった、と言っていました。
子供たちが小学校に入学すると選択肢を与えるそうです。
①公立の小学校へ行く
②フリースクールへ行く
③ホームスクーリング(家で学ぶ)
④何もしない
毎日子供自身で選ばせる。
と言っていました。
幼稚園は片道50分ほど掛かる森の幼稚園に、毎日、通わせていると言っていました。
ほわーん。とした不思議な雰囲気の方でした。
その場には第2子の娘さんと第3子の息子さん、旦那さんがいました。
子供達は2人共マイペースで柔らかい雰囲気でした。
私の話を聞いて
設立者の女性:
「そうなんだ、心配いらないんじゃない?」
「学校が合わないんだよ」
「そもそも学校って行く意味あるのかな?」
と言っていました。
一緒に来ていたご主人を紹介してくれました。
物腰柔らかなご主人の事をこう説明していました。
・凄く沢山教育を受けてきた
・小学校では良い中学に入る為、中学に入ると良い高校に入る為、高校に入ると良い大学に入る為、大学に入ると一流企業に入る為、子供時代一度もその瞬間の為に生きてこなかった
・未来の為に子供時代を犠牲にしてきた
設立者の女性:
「今何してると思う?」
「無職(笑)」
「本人が隠さないで良いって言うから言うけど、精神病んで、会社辞めたの」
「笑えるでしょ。何の為に子供時代を必死に生きてきたんだって話」
「本人その気持ちが強いから、子供が不登校でも、まぁ、いいんじゃないって」
「息子は小4になって、しばらく公立の学校に戻ったの」
「担任の先生が楽しくて学校が嫌じゃなかったって」
「学校が嫌ではないからこそフリースクールか、公立か自分で考えてフリースクールに通う事に決めたみたい」
「詰まらなくてフリースクールに行ったら逃げたって思っちゃうから、公立も楽しいけどフリースクールを選んだって
思いたかったんだって!」
ご主人は女性の話を薪に火をおこしながら、にこにこ聞いていました。
私には
「その子(うちの長男)大丈夫な気がするな」
「話聞いてると大丈夫だと思う」
何故大丈夫と思ったかは聞いていません。
その場にいた2人の子供達は、親に
なにしていい?
これしていい?
等の質問は一切せず、自分たちで考えて動いている感じがしました。
親の目を全然きにしていません。
とても柔らかで優しく、私に手作りのおやつを作ってくれました。
その場には長男と同じクラスの子のお母さんで子供を森の幼稚園に通わせている方もいました。
そのママは学校に不満があるようでした。
ママ:
「学校はこれ程子供が苦しむのに内省しないよね」
「先日息子は図工で本人は完成した!と思った絵にここも色を塗ろう、ここも何かを描こう、家に持って行って描き加えて来て、と言われた。息子の中ではもう完成しているから絶対に書き加えないと言っていた」
「宿題の出し方が気に入らないから、私流のやり方でやらせている」
と言っていました。
長男と同じクラスのその息子さんはその1か月後の11月から完全不登校になります。
同じクラスで2人の完全不登校児が出ました。
相談後わたしは
色々な考え方があるんだな。
子供が学校に行かなくても苦しそうじゃなくていいな
私はここまで割り切れないな
と思いました。
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2021/10/24(日)
私は子供への接し方に自信がありませんでした。
主人の子供に対する態度にも思うところがありました。
より良くしたい!と感じ主人にこういいました。
私:
「子供に接する態度でおかしいよって思う事があったら言い合おうね」
主人:
「俺には何も言わないで。指摘しないで。言われたくないから。俺は俺でやる」
「俺が決めて俺がやっている行動には一切口出ししないで」
え?
・・・
今なんて言った?????
・・・
しばらく理解できず私は黙ってしまいました。
喧嘩ではありません。
子供への接し方がおかしかったら教え合い改善して行こう、という提案でした。
お願いやペースを乱す事をやたらと嫌がる主人の事を私はこう思っていました。
・長男の脳機能は絶対に主人の遺伝子だ
・全ての事で2人はそっくり
・指示、指摘を不思議なくらい嫌がる
・嫌がり方が病的
私はそう感じていました。
一般的な声掛けをしても顔が引きつる事があります。
私の言い方が悪いのだろうか?
優しい人ですが何かをお願いする時は凄く気を使いました。
主人は長男の気持ちが良く分かるのではないか?
主人は協力的でした。
長男を頭ごなしに叱ったり、学校へ行かない事を否定したりはしませんでした。
それでも、今の家庭の状況は話し合い必須です。
1日に何があったのか、何に困っているのか話したかったです。
主人と話し合う事はあまりありませんでした。
私は不安な気持や相談をひたすら2人の姉にしていました。
長男も放っておくしかない。
好きにやらせるしかない。
脳機能が指示を受付けないのだ。
今なら、学校さえ行っていれば他は全て放っておこうと思える。
幼馴染のママが我が家の子供たちの主張の強さにびっくりしていました。
実家の母も3人共意志が強く私が大変そうだと心配していた様です。
そんなに我が子達は主張が強いのだろうか?
よその子育てはどんな感じなのだろう?
もっと楽なの?
楽しいの?
私は全く楽しくない。
こんなに大変なのはうちだけなの?
私のせいなの?
何でなの?
次男も大変になってきました。
何一つ言う事を聞きません。
聞かないと言う決心が先にあるの?と思う程聞きません。
主張が強く生意気な事ばかり言います。
優しさや穏やかさが全くありません。
何なんだ、うちの子達は!
ある日サッカーの試合を観に行きました。 出口で 長男が
長男:
「ジュース飲みたい」
私:
「はーい。コンビニ寄ろ」
長男:
「嫌、ここのじゃなきゃ嫌」
私:
「コンビニにあるんじゃない?凄い戻らないと自販機ないよ」
長男:
「じゃぁ無かったらここまで戻ってこいよ」(怒)
私:
「歩いても良いなら戻ろ」
長男:
「嫌だ、歩きたくない!」
「でもコンビニに気に入るのが無かったらここまで戻って来い!」
私:
「めんどくさ・・・」
まぁ、これでいいよ。が出来ない。
妥協しない。
全ての動作でイチイチ躓き、事が進まない。
イライラがとまりません。
頭の中が常に沸騰しているみたいな感覚でした。
次男は次男で
~(次男の名前)ちゃーん。と言って可愛がっても
「うるせー、触るな」
と死んだ魚の様な目をして振り払ってきます。
この時期は次男を幼稚園へ行かせる事も一苦労でした。
可愛くない!
なんなんだこの子達は!!!
私のせいなのだろうか。
ストレスしかない。
解放されたい。
そんな気分の毎日でした。
68 混乱期?安定期?
68 混乱期?安定期?
2021.10.22
ネットを調べると不登校は対応も症状も十人十色らしい。
不登校初期
混乱期
安定期
等出てきました。
引用: https://www.saga-ed.jp/kenkyu/kenkyu_chousa/h17/tekikyou/enerugii2.htm
ネットを共有しながら姉と話をしていました。
姉:
「今、混乱期じゃない?」
私:
「いや!抜けた!安定期???」
「混乱期から安定期に入りつつある気がする」
姉:
「やっぱり、無理はダメって書いてあるね。」
私:
「そうだよね」
姉:
「ゆっくり回復を待とう!」
私:
「何もしないで待つだけ?」
「親は何をしたらいいんだろう?」
記事に載っている不登校児の症状はそのまま長男でした。
驚くほど同じなのです。
この曲線がそのまま長男なら、この表の様に回復する日が来るのだろうか?
悪い情報は頭にすっと入って来るのにプラスな事は信じる事が出来ません。
2021/10/23
幼馴染と遊園地へ行きました。
行くか行かないか葛藤していましたが最終的には行きました。
始め友人に会っても近くに行けずその場でウロウロうろうろ自信が無さそうにソワソワしていました。
不安そうな顔をして、常に落ち着きがない感じです。
以前とは違う姿でした。
波はあるけれど楽しい時間を重ねて回復するのかな・・・
色々な人からアドバイスを聞いて、対応策が見えてくるといいな。
最近は前よりも落ち着いている時間が長い。
当たり前に決められた道は無理なのだろうと思えてきました。
今日は幼馴染と会えた。
同じ小学校なのに会えた。
このタイミングで遊べた事がとても嬉しかったです。
幼馴染のママが長男の様子を教えてくれました。
ママ:
「いつも通りだよ。優しいよー。全然問題ない」
私:
「そうなの、、、信じられないよーーー」
ママ:
「泊っていくみたいでお風呂も入ったよ!」
私:
「えー、ありがとう!うちでは全然入らないからありがたい」
幼馴染のママ:
「心配いらないよ」
この日は友人の家に泊まりました。
お風呂にも入り10時には寝たと聞いてホットしました。
外ではおかしくならないんだな・・・
67 フリースクールにて
67 フルースクールにて
車で1時間、電車なら乗り継ぎで1時間半掛かるフリースクールの見学に行きました。
古びた建物の中で子供たちが走り回っています。
大人は居ません。
学校なの?
約束の時間になると設立者の方がお話をしに来てくれました。
50代位のその方は
「あー、こんにちは」
とラフな感じで話掛けてくれました。
以前電話で一通りの事はお話していました。
今日は学校見学のつもりで来ていました。
その方は以下のように私に話しました。
「早くsos出せて良かったと思った方がいいよ」
「よく2年半耐えたね」
「早いうちから体に出てるよね」
「1年生の時からなんでしょ?反発」
「掛った年数の倍、立ち直りには掛かるから、覚悟した方がいいよ」
「公立は薦めない」
「苦しみ続ける」
「子供を苦しめたいの?」
「子供に何を求めてるの?」
「何かを見つけたら凄い力を出すはず」
「子供ってそうゆうもんだよ」
「信じてあげなよ」
「自分の安心の為に学校行かせようとしてない?」
「うちに来てる子達は最初自己肯定感低いんだよね」
「でもね、半年後にアンケート取ると皆上がってるの!」
「見事だよ!顔が全然違うもんね」
「とにかく色々触れさせるといい」
「目標を見つけてそれに向かう為の勉強しかしないタイプでしょ息子さん」
「うちは皆ゲームばっかやってる」
「完全自由。ただ完全自由にし過ぎてずっとゲームしてるから、DDtime作ろうよって子供達と話合った。デジタルデトックスタイム。そして今度は時間を守る事を学ぶんだよね、子供って」
「凄いよね子供。カウントダウンしてるよ。5.4.3.2.1って」
「来る来ないも勿論自由。家を出る瞬間から自分で決断しなければならないんだ」
「学校に行くのか、何を食べるのか、全て自分で決める、出来るよ、1年生だってやらせれば出来る」
「それが自信に繋がるんだよ」
「今大人になってる人に勉強好き?って聞いて好きって言う人ってどれ位いる?」
「大体嫌いって言うよね。それが公立の学校のダメなとこ」
「学びは本来とても楽しい事、子供は学びたいに決まってるんだよ」
「そうゆう生き物だから」
「それなのに公立って勉強は辛い物、頑張る事って教えてるよね、バカだよね」
「自主性奪って言う事聞け聞け、好きな事を納得行く迄とことんやらせないから、皆勉強は詰まらない事、やらされる事ってなってるんでしょ」
「そんな所に通わせるの?」
「子供が先に道示してくれたんでしょ」
「その子賢いんじゃない?」
「皆と一緒なんてクソくらえなんでしょ?」
「いいじゃん」
「解放してあげてよ」
「何で学校行かせたいかもう一回お母さんが考えてみてよ」
「子供を何者にしたいの?」
「なんで公立行かせたいの?意味ある?」
「うちは不登校児より森の幼稚園とかからの子が多いよ」
「逞しいよ、皆」
「修学旅行の行先も予算も全て自分たちで決めるからね」
「そんな力公立の子達ある?」
「ここは生きていく力を付ける場所なんだ」
「義務教育の9年間が終わったらびしばし俺が社会に出れる様鍛えるよ」
「そうゆう学校を作ってる」
「人は皆に助けてもらって生きていくんだ、それを教え込むんだよ」
「俺なんて滅茶苦茶仲良しだもんね」
「お昼も300円だけ持ってきてもらって、いつ食べても、何食べてもいつ買い物行っても、調理室で何作ってもOK!」
「助け合って作り出すんだよ。何度も何度も失敗してさ」
「そこが学びなんだよ、本物の学び」
「ね、お母さんもさ、自分と向き合ってよ」
「なんでうちだけ!とか思ってない?」
「思ってたら間違えだよ」
「生きていたら色々あるんだ。子供が不登校じゃなくても介護で苦しむ、夫婦関係で苦しむ、災害で苦しむ」
「皆順番に色々あるんだよ」
「子供が公立NO THANKYOU?いいじゃん WELCOME じゃん」
・・・
その日は雨が降っていて、古い建物の室内には電気が付いていませんでした。
薄暗い2階の窓から灰色の空が見えて、それをぼーーーっと見ながら先生の話を聞いていた記憶があります。
あの日の記憶の中の風景は全て灰色で鮮やかな色がありません。
そっか・・・
確かに息子が私に何かを気付かせてくれているのかな。
行く様になったとしても公立に通わせていいのだろうか?
何が正解か分からなくなってきました。
66 学校の対応 教頭先生との話
66 学校の対応 教頭先生との話
同じ市内に少人数制の公立小学校がありました。
全校生徒12人ほどです。
ここでもいい!
ここなら団体生活ではない。
ここなら行けるのではないか。
思い立ち、すぐに電話しました。
とても感じの良い担当者の方は、親切に、こう説明してくれました。
・現在の小学校さえよければ受け入れ可
・中学からは今の小学校の子達が通うマンモス校と合流
・わが校は、のんびりやってます
長男は【学校】=【悪】になっている。
行くだろうか?
私は、オルタナティブスクールの枠が空くまでここに行けばいいのに。
遠方に出し寮に入った方が協調性は養われるのではないか?
鍛えてもらうしかない!
そう考えていました。
その日は教頭先生と面談しました。
カツカツカツカツと、ヒールの音を立て、せかせか歩きながら教頭先生は教務主任を紹介してくれました。
教頭:
「彼がお話を聞きますから」
主任:
「不登校対応させてもらいます」
私:
「不登校児の対応は何度もされているのですか?」
主任:
「まぁ、多少は」
私:
「子供をどう動かすか、何度か経験されているのですか?」
(どんなアプローチをするのか確認したかった為)
主任:
「んー、色々な子がいるので」
私:
「今は学校の話題も出せません 荒れます」
主任:
「それなら、しばらくは無理させない方がいいです」
私:
「それしかないですよね・・・」
教頭先生は私の話を聞きましたがとても事務的でした。
話中何度も何度も時計を見ていた印象だけが残っています。
私は人の名前、顔を覚える事が得意ですが教頭先生の事は何一つ思い出せません。
話の内容も何一つ覚えていません。
それ程意味のない話合いでした。
教頭先生は明らかに興味がなさそうに
「初めて聞くのでね、そうゆう子は」
「んー、どうしていきましょうね」
と、また、時計を見ながら言いました。
復学する際に勉強が分からないと長男が辛いと思った私は教頭先生にお願いをしました。
私:
「4年生に向けて、万が一「行く」と言った場合、学力で困らない様 絶対に外せない学習課題のプリントだけいただけませんか?」
教頭:
「あ、はい。そうですよね、担任に伝えておきます」
解決策を提示される事もなく、私の気持ちを聞いてくれるでもなく、
また時計を見て
教頭「あ、はい、時間です」
私 「お時間いただきありがとうございました」
・・・
ただただ無意味だな。と思いながら帰宅しました。
娘の預かり場所を苦労して探してまで聞くべき話ではないな。
その後何日経っても課題のプリントは届きませんでした。
どうせ、やらないし、いいんだけど。
でも、なんかな・・・。