2024年1月の記事一覧
162 新しい教頭先生
162 新しい教頭先生
教頭先生が変わりました。
子供が何も問題なく学校へ通っている時、教頭先生の存在を意識したことはありませんでしたが、我が家は今、長男、次男ともに問題を抱えており学校に相談に行く機会が何度かありました。
新しい教頭先生は、長期に渡り特別支援クラスを担当していた方で、長男の不登校に対して、
「学校は勉強しにくる所じゃない、遊びでいいんだよ、と長男君に伝えて下さい」
と言いながら、こちら側の気持ちを尊重し、対応を真剣に考えてくれているように見えました。
教頭先生は、
「学校なんて、来なくてもいいと思う、多様化だし」
「でも、長男さんが来たい気持ちが少しでもあるのなら、学校がやれる事は全てやります、何でも言って下さい」
「クールダウンで1人になりたいなら、1人になれる部屋を用意します」
「音楽の授業に出たくないなら、出なくていいです」
「宿題もやらなくていい」
「まずは、学校に来るだけでいいと思います」
「学校の事より、どんな子か知りたいな、会いたいな、何が好きなんだろ話してみたいな」
と私に話しかけてくれました。
「学校側はできる事は何もありません」と断言していた前年度の教頭先生とは比べ物にならない、そんな印象を受けました。
長男がとても嫌がっていた3年生の時の担任の先生は他校へ移動になったと聞き、 長男に、
「3年の時の担任の先生、もう学校変わったみたいだね」
と伝えると、長男は、
「あの先生にもう会わなくていいんだ」
「また、1つ学校に行ってもいい理由が増えたな、僕、行こうかな」
と言いました。
・・・
私はなぜか、長男が学校行きたいと言い出しても「嬉しい」という気持ちが湧きませんでした。
理由は、多分・・・
私はもともと極端な性格で【嫌】という感情が芽生えると、そこから急降下で、その全てが嫌になる。
その全てに対し、嫌が止まらなくなり、受け付けなくなる。
そんな性格は極端な思考を生みました。
当時私は、その感情を学校に持っていました。
フリースクールの【自由にさせると子供に自主性が生まれ、伸びる】という思考や、きのくに子供の村学園の【全て自分たちで決める】という教育方針を知る度に、公立小学校への不信感が生まれていきました。
全て決められた事で、みんな同じ事をする公立に通えば、型にはめられ、個性や感性が失われてしまう。
子供の個性を潰されてしまう、心が病んでしまう、と極端に思い込んでおり、私の気持ちが公立小学校を拒否し、恐怖症みたいになっていたように思います。
161 会えなかった友人に会う
会えなかった友人に会う
2022年4月頭
不登校になってから、病院にも行けていませんでしたが、長男は歯科矯正の歯医者にも自ら行きたいと言い出しました。
歯科医の先生は不登校が理由で矯正治療に通えていない事を知っており、「どうしたい?続けたい?一旦休憩しても大丈夫だよ」と長男に聞いたそうです。
長男は「もう、通えます」と答えたと言っていました。
・・・
スポ少も、3年生のクラスも同じ幼稚園時代の友人がいます。
不登校になってから、断っても断っても、何度も何度も「遊ぼう!」と誘いに来てくれていましたが、長男は絶対に会う事ができませんでした。
ある日、突然長男がその友人と遊びたいと言い出しました。
ママと私は友人なので、ママに連絡を取ると、すぐに遊びに来てくれました。
友人は、リビングのテレビでゲームをしている長男に向かい、
「よー!お前半年くらい会ってないのに、全然変わってねーなー」
「お、お前もついにゲーム始めたか!俺強いぞ!」
と言いながら家に入って来ました。
「お前、毎日何してんの?学校来いよー」
「俺んちだったら、学校休むと父さんにぶん殴られるよ!」
と、言っていましたが、長男は苦笑いをしながら友人の言葉を交わしているようでした。
その子と遊んだのは数時間だったと思います。
友人がゲームではなく「外で遊びたい」「かくれんぼしよ」と誘っていましたが、長男はあまり乗り気ではなく、少し体を動かすと、すぐにソファに座りゲームをしていました。
私の目には、長男はあまり元気がないものの、ガンガン話しかけ、ちょっかいを出してくる友人と楽しそうに遊んでいるように見えました。
友人が帰宅すると「楽しかったよ」と言うものの雰囲気は全然楽しそうではなく、元気がなく、部屋にこもり、しばらく出てきませんでした。
160 4年生の担任発表
160 4年生の担任発表
私の人生の中に【不登校】という言葉が入り込んでから7か月が経過しました。
2022年4月7日
在校生の担任発表がありました。
長男の新しい担任は3年生の時の主任先生でした。
行き渋りが始まった頃、何度も何度も放課を潰し長男と話し合いを重ね、不登校原因を問い詰め続けた先生です。
先生が何とかしようと頑張ってくれていた事は理解していますが、長男はその話し合いをとても嫌がっていました。
学校側には、復学した際の事を考え、不登校に理解のある先生を担任にしてもらいたい、と何度も頼んだのに。
長男の4年生の担任に不登校の知識があるとは到底思えず、
「ありえない」
そんな気持ちでした。
学校は沢山いる生徒の中で、長男が来ない事など何とも思っていないのだな。
今までの学校の対応を振り返っても学校側に期待できることは何もありませんでした。
それでも、なぜ、わざわざ長男を問い詰め、長男が拒否し続けた先生を担任につけるのか、私には理解ができませんでした。
当時、長男の家での発言から、私は長男が学校に行きたがっていると思っていました。
担任の先生が嫌なことが理由でまた1年間、4年生も行けないと予想し、みぞおち辺りに締め付けられるような不快感を感じた事を覚えています。
長男は、
「学校行こうかな」
「友達と遊びたいから行きたいな」
「でも担任が嫌だからやめておく」
そんな事を独り言のようにずっと言っていました。
私は、
「自分がどうしたいか、自分で決めたらいいよ」
と言うと、
「遊びたい」
「体を動かしたい」
「ゲームばかりしたくない、お母さんがゲームの時間を決めてほしい」
「学校に行きたい、でも担任が嫌だ」
「3年生の時の担任には会いたくもない」
「1年生の時の先生なら行きたい」
「音楽の時間は受けたくない、教室で1人で待っていたい」
「どの先生にも話しかけられたくない」
「『おはよう』と言われるのも嫌」
「『頑張ってるね』と言われるのはもっと嫌」
「話しかけられる事がとにかく嫌」
そんなマイナスな事をずっと言っています。
行き渋りだした頃、励まされたり話し合いをさせられた事がとても嫌だったと言っていました。
そんな事を言い続ける長男に私は、
「先生に話し合いは絶対しないようにお願いしてあるよ」
と伝えましたが、今度は、
「勉強がきっと分からない」
「きっと皆んな話してくれない」
「僕と話していても、きっとすぐに他の子と話すから僕は1人になる」
「きっと、独りぼっちなんだ、嫌だ、嫌だ、行きたくない」
と泣き出します。
「行きたいけど不安なら、先生に付き添ってもらおうか?」
と提案すると、
「先生とは話したくない」
と言う。
「4年生の担任の先生は本当に嫌い、嫌、声がでかい、うるさい、頑張れってうるさい」
と言い続けます。
そんな息子の気持ちが伝染し、私自身も担任の先生と不登校対策の話し合いをすることにも、学校へ行く事にも抵抗感が生まれ、しばらくの間、担任の先生に会うことができませんでした。
・・・
私は4年生の担任の先生に対し、
・熱血先生
・ビシッと規則正しく整列などをさせる
・生徒との距離感がつかめず、行こうか、頑張ってみようかと励ましてばかりいる
・生徒のタイミングに合わせ、程よく放っておく事ができない
・少し待てば子供が動き出す、というタイミングで、無駄に高いテンションで「さぁ行こう!」と背中を押す
そんなイメージを勝手に抱いていました。
・・・
長男は私が買い物へ行く事すら嫌がり、こんな事をよく言っていました。
「お母さん死なないで、お母さん死なないで、人は死んだらどこへ行くの?天国なんてきっとなくて、1人でその辺をウロウロして、凄く寂しいんだ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」
そんなことを突然言い出し、泣き続ける事がよくありました。
長男はいつも不安定でした。
私はどんな言葉をかけることが正解なのか分からず、
「不安なんだね、お母さんは死なないよー、好きなだけこの家に居て、好きな時に学びたい事を学べる場所に行けばいいよー」
と明るく伝えるようにしていました。
159 学校が始まってから数週間の家での次男の様子
159 学校が始まってから数週間の家での次男の様子
次男は朝、私と学校で別れる際に、
「学校が終わったら迎えに来てね、絶対来てね、絶対だよ、約束だよ」
と何度もお願いしていました。
私は約束通り、毎日下校時間に正門へ次男をお迎えに行きました。
娘の幼稚園のお迎え時間とかぶっていたため、娘を通常保育よりも早めに引き取り、娘と一緒に次男をお迎えにいきました。
初日は幼稚園時代の癖が抜けないのか、ランドセルを背負って帰る、という事を知らないからか、私を見ると持っている荷物を全て投げ捨て、通学団の列から抜けて走り出しました。
私が、
「小学生は自分でお家までランドセルを持って帰るんだよ」
と教えると次の日からは自分で背負って帰るようになりました。
・・・
次男の先生は賛否両論ある先生でした。
「とても良い先生だよ」という人もいれば「怒鳴りつけて怒りまくるので子供が委縮する」という人もいました。
次男には長男から植え付けられた学校への恐怖のイメージがあります。
今の次男に委縮するような指導をされたら確実に不登校連鎖になるだろう。
私は、担任の先生に、長男の行き渋り時の発言を伝え、次男の学校への恐怖心を話しました。
その上で、過度な指導は避けてもらうようお願いしていました。
小学校へ通う次男は、集団に一切なじめず、体が固まり、学校では一言も声を発しませんでした。
私の眼にはとても健常児には見えませんでした。
5月7日に児童精神科の予約をしてありました。
診断名を出してもらい、過度な指導はしないことを徹底してもらおう。
診断名なしに、ただ「厳しくしないでほしい」という要求をする事には躊躇いがありました。
過保護のモンスターペアレンツと思われないか、と心配し、学校側に状況説明しやすいよう、診断書が欲しい、と思っていました。
最初の数週間、次男には帰宅後、次のような症状がありました。
・玄関でお漏らしをしてしまう
・帰ってからもずっとランドセルを背負って玄関でぼーっと座っている
・帰ってしばらくすると、玄関の土間部分を裸足で、うつろな目付きでうろうろと歩き回り、「どうしたの?」と話しかけても聞こえていないかのように反応がない
・姿が見えない、と次男を探すと、寝室の布団を頭からかぶり震えている
・腹痛
・無表情
・爪かみ
その他にも心配になるような出来事がいくつかありました。
そんな次男の様子を見ていた私は次男に、
「学校はここだけではなく、色々な学校が選べるので、苦しくなったら次男に合う学校を一緒に探そうね」
と言い続けていました。
次男は、私がそれを言うと嫌がりました。
私の問いかけへの返答はいつも、
「僕はこの学校に通いたいんだ」
「そんな事言わないで」
でした。