不登校復活の道(ブログ)
210 長男がいない時の次男の様子
210 長男がいない時の次男の様子
次男は長男を省く両親、次男、娘で外出をすると、とても生き生きとしていました。
・・・
その日は家族でプールへ行く事になりました。
長男を誘いましたが、
「行かない」
と言うので、4人で出かけました。
長男のいないプールでは、次男はとても明るく笑っており、泳ぐことにも前向きで、一生懸命泳ぎの練習をしていました。
・・・
別の日、長男も一緒にプールに行くと、次男はチャレンジする事は一切やめ、ほとんど笑わずプールで詰まらなそうに過ごしていました。
「今日は泳がないの?」
と私が言うと、次男は、
「長男に何かを言われることが嫌」
「何か言われるくらいなら、何もしたくない」
そう言いました。
・・・
次男が何かをして、
「できた!」
と、喜んでいると、
「そんな事できて当然!」
「そんな事で喜んでいるのかよ!」
「誰でもできるわ!」
などと、喜ぶ事を馬鹿にされていました。
そんな事が続いた結果、次男は、長男がいる時には、何かに挑戦するという事を一切しなくなりました。
長男を留守番させて家族で出かける時は、私たち夫婦も、次男も娘もリラックスして過ごす事ができました。
209 不安定な時の長男の様子
209 不安定な時の長男の様子
2022年7月末
この頃、長男は情緒が安定している日、不安定な日で別人の様に様子が変わりました。
大変な子育てをする中、私は子供を【かわいい】と思う余裕がありませんでした。
姉たちにその事を話すと、
「不登校への対応、次男の支援級の事、子供が少しでも良くなるようにと一生懸命やっているのだから、可愛がっているよ!」
と言われました。
周りにそう言われても、自分が出来ていない事ばかりに目が行き、可愛い、可愛がっていると思う事ができせんでした。
【子供たちが可愛くて頑張っている】というよりも【このままでは困るから頑張っている】そんな感じでした。
・・・
【合う薬が見つかれば、本人も楽になり、穏やかになる】
そんな言葉を聞くと、長男に薬を飲ませるべきなのではないか?
と思う事もありました。
・・・
長男の情緒が不安定な時は、私が話せば、
「うるさい!黙れ!」
と言い、反応をしなければ、
「無視するな!」
「酷いよね!」
と食って掛かってくる。
もー、何したって文句言われるんじゃん!
たまに会いに来る担任の先生との学習約束を、私は管理していませんでした。
先生と約束した1日1ページの漢字を学習する事が嫌になると、
「勝手に約束しやがって」
と私に言います。私が、
「お母さん知らないし」
「自分が先生と約束したんじゃないの?」
と言うと、
「漢字をやるなんて言ってない」
と私に文句を言ってくる。
・・・
長男が次男の悪口を言い、注意をすると、
「うるせー毒親」
「性格悪いな!くそばばぁ!」
と言われ、売り言葉に買い言葉で、
「性格悪い親な事はお母さんが1番分かってるわ!」
「だからお前が生まれたんだ!」
と言ってしまい、言ってしまった自分に撃沈する。
「・・・」
「あーあ・・・」
「私、全然我慢できないな・・・」
「変われないな・・・」
「もう、無理」
関わっている相手が9歳児とは思えず、同じ土俵に上がり喧嘩をしてしまう。
【怪物みたいな子】を育てている、そう思ってしまう時があるのです。
・・・
あの子1人のせいで他の4人の家族が不健康になる。
もう長男に施設に入ってほしい。
長男を省いた4人で平和に暮らしたい。
楽になりたい。
そんな事を考えてしまう日がありました。
208 主人からの依頼
208 主人からの依頼
2022年7月23日
朝、次男を優しく起こしても暴言を吐かれる。
長男には、
「寝よー」
と優しく話しかけても、
「指図すんな」
「指図されるから寝たくなくなるんだ」
と言われる。
「皆んな寝よっー」
と明るく言うだけで、全く思いやりのない返事が返ってくる。
そんな毎日はもう、うんざりでした。
疲れ切った気持ちは顔に出て、きっと態度に出て、それを子供たちが敏感に感じ取り、負のスパイラルに陥っていたのだと思います。
・・・
主人の実家に帰ってから、主人が子供たちの状況に口出しする様になりました。
今まで子育てに何も口を挟まなかった主人が、長男の事を、
「昼夜逆転も治らない」
「本人は治す気もない」
「スマホ依存もある」
「このままじゃまずい」
「このまま好きにさせていてはいけない」
「もう、親はお手上げだから、入院させようか」
「次男への暴言が酷すぎる」
「回復が遅すぎる」
「とにかく外に出さないといけない」
「このまま好きにさせていたら、家庭内では許されても、社会に出た時に本人が困る」
「だめな事はだめ、と厳しくするべき」
そんな事を急に言い出しました。
私に対しては、
「どんなに手抜きでもよいから、とにかく明るく笑顔でいてほしい」
そう言われました。
【お母さんが元気なら家族は明るくなる】そんな呪縛のような事の書かれている参考資料を、何度も読んでいました。
笑顔でいてという主人の言葉は、きっと義理のお母さんから言われた言葉です。
子供たちがこうなったのは【私のせいだ】という意味なのかな、と私は感じました。
・・・
主人が実家に帰った際、余りに酷い状況の我が家の子供たちを見て、義理のお母さんに、何か言われたのではないかと思います。
義理の母は、息子たちを見て、びっくりしており、
「昼夜逆転は直さないと」
「発達障害だったとしても、情緒があまりにも不安定すぎないか」
と主人に言ったそうです。
・・・
私たち夫婦は長い時間をかけて、徐々に今の状況に慣れていった為、感覚が麻痺していました。
冷静に考えれば、9歳の子供に、普通の声掛けをする事ができない。
「ご飯食べよー」
「寝るよー」
そんな声掛けにすら、
「指図するな」
「俺が好きな様に動く」
そんなふうに返してくる。
やっぱり、長男は異常なんだ。
あの児童精神科が言っていた 、
「お兄ちゃん、客観的に見たら明らかに、異常ですよ」
それが正解なのかもしれない。
言われた時は、
「許せない!」
「いい子なのに!」
そんな気持ちになったのに、今の長男の態度を見ていると、医者から見たら、私が理解力が乏しく、物分かりの悪い親なのではないか?
そんな気持ちになりました。
・・・
主人の実家に行った際、娘は主人にべったりだったそうです。
お出かけに長男を誘うと、
「妹が行くなら行かない」
と言う。
主人と次男がハンバーグを食べに行く約束をしていると、長男は、
「ハンバーグは食べたくない、焼肉に行きたい、ハンバーグなら行かない」
そんなふうに、主人を困らせた、と言っていました。
次男は次男で、
「何で全部長男の言う事を聞くの?」
「僕は?」
「何で、いつも僕の意見は聞いてくれないの?」
と主人に訴えかけたそうです。
長男が入院を受け入れるはずがありませんでした。
両親も躾けるべきか、厳しくするべきか、今までのやり方で何も言わず長男のペースで生活させるべきなのか、もう分かりませんでした。
どーすりゃいいの?
まさに八方塞がりでした。
私はもう疲れており、笑顔でいられるわけない!
生活リズムをまず整えよう、昼夜逆転を直させるなんて、できるわけない!
そんな事言うなら、やってみてよ。
この子達と24時間、エンドレスに過ごしてみてよ!
やれるならやってよ!
そんな気分でした。
207 切り替えの難しい次男
207 切り替えの難しい次男
2022年7月
反抗的な態度な多い次男でしたが、落ち着くと寝室で寝る前に学習をしたがりました。
学校の宿題は提出しない日もありましたが、担任の先生に、
「とにかく、次男の心が安定する事を優先したいので、宿題が提出できなくても強い指導はしないで下さい」
とお願いしていました。
私は次男に宿題をやっていない事は指摘せず、次男のやりたがる学習を一緒にしていました。
次男は寝る前に動画止めてから、気持ちの整理がつくまで地団駄を踏み、暴言を吐きます。
塾の先生からいただいた助言を守り、反抗的な態度は指摘せず、躾けは諦め、無反応で対応する事を続けていました。
【目に見えて変わった!】
という事はありませんが、少しずつ、反抗が収まっているのかな、と感じる日もありました。
・・・
その時期次男は九九や漢字に興味がありました。
できる事を認め、楽しく学習を続けていると次男がご機嫌で眠りにつく日が増えていきました。
・・・
発達凸凹塾の先生には、
次男さんは頑張りたい気持ちのある子なので、切り替えの時にちょっとサポートすれば大丈夫です。
何にでも全力なので切り替えるのが苦手なんですよね。
大切な個性だなぁと思います。
と指導記録をもらいました。
・・・
私は何とか平和に動画を止め、次男を寝室に連れて行きたい!と願っていました。
次男が動画よりも、私との寝室での学習が楽しい!と思ってくれるよう、次男の好きなマインクラフトの中の漢字をメモして学習したり、九九表を作ったりしていました。
206 次男の支援級への転籍の相談
206 次男の支援級への転籍の相談
2022年7月14日
次男の支援級への転籍の相談をするために学校へ行きました。
次男の在籍する1年1組を通り、15メートルほど廊下を進むと支援クラスがあります。
支援クラスを見学するために、授業中で静まり返った廊下を私は歩いていました。
前方から黄色帽子を目深く被り、肩を顎のあたりまで上げて体を小さくしながら歩いている次男とすれ違いました。
あ!次男だ!立ち歩きしてる!と思い、私は、
「よー!」
と手を挙げて、小さく声をかけました。
次男は私をちらっと見て、少しハニカミ、どこかへ歩いて行きました。
支援員さんは付いておらず、1人でふらふらしていました。
・・・
支援クラスを見学後、クラスを受け持っている先生方と面談をしました。
私は支援クラスの先生に次男の情緒を理解してもらうため、なぜ次男が学校に恐怖心があるのか、今までの兄との関係性などの話をしました。
支援クラスに転籍する事に関して、担任の先生は、
「授業中、迷惑行為などは一切ありません」
「立ち歩きで授業を聞いていない事で、今後の学習が心配です」
「ゲームが好きならタブレット学習の方が楽しくできるので、支援クラスでタブレット学習をした方が次男が伸びるのではないか」
「集団が苦手なのであれば、人数の少ない支援クラスの方が心地良いのではないか」
「あくまでも本人の希望を優先させましょう」
と話していました。
私も担任の先生と同じ意見でした。
・・・
その時期まで、次男はクラスの誰とも話をしておらず、誰とも関わらず、立ち歩きをし、脱走をし、家ではデジタル漬けでした。
発達凸凹塾でのタブレット学習には、とても前向きに取り組んでいました。
そんな姿を見て、タブレット学習の方が次男は楽しいのだろうな、と私は感じていました。
・・・
支援クラスは、
「その子の個性に合わせて学習させる」
「皆に合わせる事も少ない」
と言っていました。
支援クラスに移っても1年1組の授業に半分くらいは参加する。
支援クラスが不必要になり、通常クラスに戻りたければいつでも戻れる。
そんな説明を受けました。
・・・
問題は本人の気持ちでした。
何度か次男に、
「自由に勉強できるよ」
「タブレット学習だから楽しいんじゃない?」
と、支援クラスを進めましたが、次男は必ず、
「絶対に嫌だ」
「どうして、僕は今のクラスにいちゃダメなの?」
「どうして、僕だけなの?」
「他の子は行かされないんだよね」
「何でなの?」
「絶対に行きたくない」
と泣き出しました。私は、
「次男が今のクラスがいいなら、今のクラスのままでいいんだよ」
と話を切り上げるようにしていました。
私は次男は慣れない環境が苦手なので、行った事のない支援クラスへ行く事が不安なのかな?と思っていました。
きっと慣れれば、支援クラスの方が快適になるのではないか?
何度か体験に行けば、支援クラスを希望するのではないか?
そんなふうに思っていました。
・・・
学校側は、
「夏休み明けから、1日1時間ずつ支援クラスを体験させてみます」
と言い、その日の話合いは終わりました。