不登校復活の道(ブログ)
319 奴隷化?
319 奴隷化?
2022年10月
この時期、私は、ただただ子供たちの要望に応え、奴隷化していれば揉める事はなく、子供との関係性が崩れない、と感じていました。
私が少しでも何かを言えば、子供は不機嫌になる。
要望を叶えなければ、関係が悪くなる。
子供たちの言う事さえ聞いていれば、揉め事が起きない。
そう、思い込んでいたのです。
その事をM先生に話すと、先生は、
「奴隷はだめですよ、あくまで、仲間、対等な関係を築くのです」
「上から目線はやめて、対等な関係です」
「親であっても、嫌な事は嫌と伝えたら良いです」
「どうしようもなく嫌な時は、お母さんは嫌だよ、もし、あなたが、同じことをされたらどんな気持ち?」
「お母さんは今、嫌な気持ちだよ」
「なぜなら、こうだからだよ」
「あなたは、こうすると良いよ」
そんな関わり方で子供たちと接するように、と助言してもらいました。
・・・
その当時、私は、子供の要望を叶える、心を満たす、に集中し過ぎていて、過剰に子供の言う事を聞いていたように思います。
今振り返ると、私はまだこの時、本当の意味での【勇気づけの子育て】【子供の心を満たす事】を全然理解していませんでした。
何でも言う事を聞き、あなたたちの思い通りにしていたら、心が満たされるんでしょ、と冷めた感じで思い、これだけ言う事を聞いているのに、何が不満なんだよ、と、結局は子供に不満を抱いていたように思います。
今この子たちに何をしたら、どんな声掛けをしたら、心が温まるのだろう、この子は今、どうしてほしいんだろう、なんて思考はなかったのかもしれません。
私が本当にするべきだった事は、子供たちが、
お母さんは、僕の気持ちを大切に尊重してくれる、僕の願いが叶う事で、僕の心が満たされるように、僕の気持ちが温まる様に、と頑張ってくれている【僕は大切にされているんだ!】と、心底感じるような接し方なのだと思います。
それを私は何でも言う事を聞いて、言いなりになる、と勘違いしていました。
例えば・・・
子供:
「お腹すいた、焼きうどん!」
私:
「はい」
子供:
「水」
私:
「はい」
私:
「お風呂はいろー」
子供:
「無視」
私:
「ご飯できたよー、置いておくねー」
子供:
「無視」
次男が自分で寝ると決めた時間になって
「時間だよー」
と私が声を掛けても、基本的には無視で、返事が返ってきたとしても「うるせー」と無感情に言われるだけでした。
M先生は、それでも、子供を諦めるような事は一切言わず、粘り強く私に、
「今、お母さんがやられていることは、本当に酷い仕打ちだと思います」
「それでも、諦めずに、子供を信じて頑張りましょう」
「子供には、こうしてくれるとお母さんは嬉しいな、と伝え、無視されたら、潔く引き下がる」
「地道に、ただただ、それを温かい気持ちで続けて下さい」
「奴隷になるのでも、親だからと言って、上から目線になるのでもなく、対等に、丁寧に子供と関わり続けて下さい」
と言われていました。
・・・
私が子供の心を満たす事に過度に集中し、奴隷のように言う事を聞いていた時、一時的に子供たちの状態が良くなっても、私の深層心理にある子供たちへの不満や不安に子供が気が付くと、結局また、親子間の感情の糸が複雑に絡み合い、すぐに良い関係は崩れてしまいました。
結局私は、自分自身の、コントロールできない感情に支配され、なかなかうまく子供の心を温める子育てができませんでした。
結局は、子供の気持ちを温めよう、理解しよう、という気持ちよりも、私の大変さを分かってよ、理解してよ、こんなにやってるじゃん!という気持ちの方が強かったのかもしれません。