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263 【当たり前】を疑ってみる

263 【当たり前】を疑ってみる 

2022年9月

 

次男が学校へ行きたくないと言う時、私は、 

 

「頑張ろうね」 

 

と次男を何とか学校へ行かせよう!などと励ましたりはしませんでした。 

 

「行きたくないんだね、それでも起きてきてくれてありがとうね」 

 

と次男に声をかけるようにしていました。 

 

M先生から教えてもらった【勇気づけの子育て法】を意識している事もありましたが、長男のように自分の精神の限界まで頑張り、家庭が機能しなくなるほど心を壊してしまうのであれば、そうなる前に対策しておきたい、という気持ちがとても強かったです。 

 

長男は不登校初期に、気が狂ったように暴れました。
私は、次男まで同じようになってしまったらどうしようと怯えていました。

 

次男が不登校になる事よりも、心を壊し、長男のように暴れ回ったら、私自身が、精神的にもう持たないかもしれない・・・。

 

当時の私は、次男の些細な問題行動にも過敏に反応し、次男の気分の浮き沈みに一喜一憂する日々を送っていました。

 

次男が、 

 

「今日は半日で帰って来たい!」 

 

と言えば、 

 

「半日は行こうとしてるんだね!」 

 

と出来ている事に目を向け、本人が気が付いていない今現在出来ている、彼の素晴らしい部分を本人に伝えるように心がけていました。 

 

私の心に不安がなかったわけではありませんが、なんとかその不安な感情は押し殺し子供たちの気持ちに寄り添うようにしていました。

 

そんな対応をしていると、癇癪を起している次男もキョトンとして怒りの熱が下がり、気持ちが落ち着いていく日が増えていきました。

・・・ 

 

世間一般的には【親が甘い!】【世の中そんなに甘くない!】【理想像だ!】と非難されそうで、こんな緩い対応で本当に良いのか、子供たちはだらしのない子供にならないのか、と私の中では常に迷いがありました。 

 

それでも以前のように、子供が怒り出したら同じ土俵に上がり、子供に負けてはいけないのだ!と意地になって子育てをしていた時よりも気持ちはとても楽でした。

 

早々と戦いの土俵から降りてしまう事で私の心は以前よりも穏やかになったのです。 

 

・・・

 

不安が強く心配症な私は、私の今の子育て法が合っているのかをM先生に相談しました。すると先生は、 

 

「情緒が不安定な次男を、本人が行きたくないと言っている学校へ無理やり行かせる事の方が問題ではありませんか?」 

 

「嫌がる学校へ無理やり行かせる、なんて事をしていたら折角築き始めた親子間の絆を壊してしまいますよ」 

 

「学校は行きたければ行けば良いけれど、行かなくても良いのですよ」 

 

「楽しくて良い所なら、子供は自ら進んで行きますからね」 

 

「好奇心旺盛な大切な子供時代に、嫌な学校へ行き退屈な時間を過ごす事よりも、お母さんと愛のある触れ合いを沢山経験し絆を深める事の方が遥かに大事です」 

 

「息子さんが学校へ行く事を嫌がったら、『ずっと一緒にいようね』と言ってあげて下さいね」 

 

「息子さんが心からお母さんに愛されている!と思えるように沢山愛を注いでくださいね」 

 

と助言していただきました。 

 

・・・ 

 

私は学校は行くもの、義務教育なのだからそれが【当たり前】みんなそうしているのだから、と思っていました。 

 

時には【当たり前】を疑ってみる。 

 

果たしてみんながやっていることが正しいのか?

 

子育ての最終目標は何なのか。 

 

学校へ行ってほしいのも、厳しく躾けをするのも、何かができるようになると良い!と習い事に通わせるのも、全て子供に幸せに生きていてほしいから。 

 

最終目的地は【我が子が『幸せだよ』と自立して暮らしている事】

 

幸せの形は本人が決めるしかなく、『幸せだよ』と胸を張って言える大人になる為に私が今できる事は、何なのだろう?と思うようになりました。