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224 不登校になる過程

224 不登校になる過程

 

教育動画(添付資料)の中で不登校になる子の過程が説明されていました。 

 

以下資料引用 
 
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子供が、好ましくない行動をとるときの目的、大人からみて、子供の行動が、「好ましくない」と見えるときは多々あります。 

 

子供の「良くない」行動を見つけたとき、その子供の行動の「目的」を知ると、その「対策」も立てやすくなります。

 

子供が「好ましくない」行動を取るときでさえ、子供の中には、何かしらの「目的」があります。 

 

つ まり、何かの「目的」があって、好ましくない「行動」を取るのです。 

 

 子供の「好ましくない行動」の「目的」は、次の4つのパターンに集約できます。 

 

①から順に進み、 どんどんとエスカレートして④まで進みます。  

 

【第1目的】親の注目を引く  

 

【第2目的】力を誇示する(親に主導権争いを挑む) 

 

【第3目的】復讐する  

 

【第4目的】無気力・無能さを示す 

 

 問題行動に対する対処方法 【親の注目を引く】ために問題行動をしている場合 子供の好ましくない行動に、関心を示さないようにしましょう。 

 

子供の好ましい言動に、関心を向け ます。 

 

「いつも注目の的でないと不安だ。」というのは間違った考え方なので、子供がそのように思い込 むことのないようにしましょう。 

 

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【力を誇示する(親に主導権争いを挑む)】ために問題行動をしている場合 子供が闘いを挑んでいたとき、親は、その闘いから、降りてしまいましょう。

 

力で押さえつけて親が 勝っても、「やっぱり力があるのがいいのだ。」と子供は思うだけです。

 

子供は、自分の能力を認めて欲 しいのですから、その能力を認めてしまえば、問題は解決します。

 

家庭の中のすべてのことを決めて、 指図するのをやめて、子供にもルールの決定に参加してもらい、家庭の中の仕事を手伝ってもらうよう にしましょう。

 

手助けをお願いするのです。 

 

「貢献するのは、喜ばれることだし、気分の良いものだ」と いうことを体験してもらうのです。 

 

そのことで、子供は自己評価を高めますので、好ましくない言動は 不必要になります。

 

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【復讐する】ために問題行動をしている場合 第一に、親が「傷つけられた」と思わないことです。

 

思っても言わないことです。 

 

そのような素振り を子供に示すと、子供が「目的を達成した」と気付くからです。 

 

次に、子供は「自分が愛されていない」 と思い込んでいますから、たくさんの機会を捉えて「そうではない」ことを伝えなければなりません。

 

子供が「自分は愛されている」ことを確信できないと、この段階は解決できません。  

 

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【無気力・無能さを示す】ために問題行動をしている場合 まず、周りの者が、批判的な言動を、一切、やめることです。

 

同時に、どんな些細なことであっても、 子供が貢献したり、建設的に行動したりしたことに関心を示し、それを認めて、勇気付ける必要があり ます。

 

短所や欠点も指摘せず、逆に、長所や、できていることにだけ、関心を向けます。

 

この段階の子供は、とても「くじけやすい」ので、少しでも批判を受けると、この段階に留まってし まいます。めちゃくちゃにたくさんの勇気付けが必要なのです。 
 
 
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私はこの資料を読み、今までの長男との関係で、思い当たる節がありました。  

 

どこかの段階で、親が自分たちの間違った子育て、子供のsosに気が付き教育方針、子供への接し方を変えていれば、最終段階の【不登校・引きこもり】までいかないのだと思います。 

 

我が家は、最終段階の不登校になるまで、親が変わろうとしなかったため、長男は不登校になったのだろう。 

 

子供が自信がないのも、不安が強いのも、今まで親に、全ての行動において、「あーしろこーしろ」と指示をされてきているから。 

 

言われた事に従って行動してきたため、自分の行動に自信がなく、不安が強くなる傾向があるそうです。 

 

子供は親からの指示に従い続けることに疲れ切り、最終手段として、 

 

「僕は無能です」 

 

と訴える。 

 

それが【不登校】と説明していました。 

 

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その先生は、親にできる事は、 

 

「過去にやってしまった事を子供に平謝りする」 

 

「親の気持ちを子供に理解させようとしない」 

 

「いい行動を見落とさない様に、見張っていて、すかさずほめる」 

 

「【ありがとう】を伝えて」 

 

「【感謝】をつたえて」 

 

「それ素敵、そうゆうの好き、あなたが好き」 

 

「表面的にではなく、魂の言葉をご自身のお子様に浴びせて下さい」 

 

「本来、自分の子供が、どれだけいい子か、お母さんは気が付いているはずです」 

 

とおっしゃいました。 

 

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その先生の話を聞いていると、私はいかに大切な部分を欠落させた子育てをいていたのだろう・・・と思うようになりました。 

 

手を掛ける、心配する、正しい事を教える、間違えを注意する、そうでなければ、私は親をさぼっている、そう思いながら子育てをしてきました。

 

もっとサボって子育てをしたほうが良かったのかもしれない。 

 

頑張ればできる事を、やらない自分を許せなかったのはなぜだろう? 

 

さぼってしまったら、私がこの家族の中にいる意味はないと思っていました。 

 

私は、やめ方、休み方、手の抜き方、諦め方がよく分かりません。 

 

どこまでやったら、やめていいのか。 

 

どこまでやったら、休んでいいのか。 

 

どの部分の手を抜いていいのか。 

 

子供の、どの行動は見逃していいのか。 

 

何を教え、何を教えなくていいのか。

 

その加減が分からず、永遠に頑張ってしまう傾向がありました。 

 

ちょっと頑張ればできる、そんな事に対し【やらない】という選択肢を持てませんでした。 

 

常に、我慢をして頑張るべき、そう信じて疑った事はありません。 

 

3人の子供に対しても【無理】【できない】と上手く伝える事ができませんでした。 

 

きっと無意識のうちに、子供にも同じ事を求めていたのではないかと思います。 

 

張りつめて、疲れて生きている私をみて、子供も張りつめて生きていたのではないか? 

 

「少し頑張ればできる!」 

 

そんな事を繰り返し、物理的には出来るけれど、心がキャパオーバーになると、快く子供の要望に応える事ができませんでした。 

 

その積み重なりで、子供に何かを言われた瞬間に、イラっとし、 

 

「もう!お母さんばっかり呼ばないでよ!」 

 

そんなふうに思うようになっていきました。 

 

そして、その感情をそのまま子供にぶつけていました。 

 

手は抜かない、家事もサボらない、そんな事ばかりにこだわり、不機嫌に子供たちのお世話をしていたと思います。 

 

子供にとって一番必要であろう、心を満たす関わりをしていませんでした。