228 不登校前の私の子育て
228 不登校前の私の子育て
私は、子供が思い通りにならないと、子供が傷つく、感情的な叱り方をし【子供がもうこれ以上傷つきたくないから、もうやらない!】と思うような叱り方をしていました。
もー!こっちの気持ちを分かってよ!
そんな感情です。
正しい叱り方を知りませんでした。
叱り方を知らない私は、子供を傷つけ、責めるのです。
あなたなんて、全然かわいくない!
そんな雰囲気を醸し出しながら、傷付け、脅していたのだと思います。
怒り出すと【教える】【叱る】【躾ける】というよりも、頭に血が上り【おこる】【いかる】そんな感情で長男に接していたと思います。
・・・
子どもを産んでから、親の仕事は悪い面を訂正する事だと信じ切って子育てをしていました。
子育てはそういうものだと、信じて疑いませんでした。
周りに、注意をしない、子供に甘いお母さん、と思われる事も嫌でした。
周りから、自分が「ちゃんとしたお母さん」と評価されるために厳しくしていたかもしれません。
・・・
長男の不登校、次男の立ち歩きなどの集団不適合を知る前までは、私は厳しい親だったと思います。
子供を甘やかしてはいけない。
子供を大切にし過ぎてはいけない。
そんな精神で、子供の気持ちをそっちのけでした。
先生に対しても、
「びしばしやってください」
と、言える親でなければならない。
過保護にしてはいけない。
子供の意見を聞き過ぎてはいけない。
我慢させなければいけない。
ちゃんと子供を我慢させれる親。
子供に厳しくできる親。
自分の子供よりも他者を優先する事のできる親。
そんなふうに
【こうゆう親であるべき】
という形があり、そこにのみ、焦点を当てていました。
子供が今何を望んでいるのか、そんな事を考えた事がなかったような気がします。
我慢をさせれば、我慢のできる子になる。
叱れば叱られ慣れて、叱られる事に耐えられる子になる。
いつも人に譲る癖をつければ、人を優先できる子になる。
いつも、迷わず我が子を我慢させ、人前で自分の子を褒める事もしませんでした。
「どうしたいの?」
そんな言葉をかけた記憶がありません。
人生は大変なので、大変な事に慣れさせよう。
無意識のうちに、そんな気持ちで子育てをしていたのではないかと思います。
そんなふうに、心に寄り添う子育てはできていませんでしたが、
キャンプへ連れて行く
何時まででも、外遊びにとことん付き合う
旅行へ沢山連れて行く
沢山経験してほしいと、とにかく外出し、そこら中に子供と出かける事には全力でした。
そんな事ばかりに力を入れていました。